クイロンの北90kmのところにあるバック・ウオターの中心地。しかし,それ以外は観光資源がなく,観光客がたくさん集まるような所ではない。船着き場の周辺が一番にぎやかで,中心地から少し離れると田舎になってしまう。個人的には都会よりこのような町が好きだ。
クイロンからの定期船は18:30にアレッピーの船着き場に到着した。荷物をもって下船し,リキシャーに連れて行かれたのは街の中心部から少し離れた「Tharayil Home」,シングルで200Rpの部屋は清潔でベッドには蚊帳がつってある。
ここはゲストハウスというより,家族経営の民宿に近い。食事も2階のテラスで気兼ねなくとることができる。朝食が50Rp,夕食が100Rpと地域の水準からすると,ちょっと高めである。寝ようとして灯りを消すと,蚊帳の外に蛍がいる。メガネを外しているので蛍の光が大きくにじみ,幻想的な光景になる。
朝の散歩ですてきな笑顔に出会う
朝の散歩の途中で学校に向かう大勢の子どもたちがいる。一組の写真をとると,次々にグループが寄ってくる。すてきな笑顔につられてフィルムをたくさん使ってしまった。この町では写真に対する拒否反応はほとんどない。
子どもたちは制服姿で,男子は白シャツと紺の半ズボン,女子は白シャツと青のスカートである。タミール・ナドゥ州では,小学生でも高学年は足を隠すパンジャビーになるので,ケーララ州は,その意味では進んでいるのかもしれない。
彼らと一緒に歩いて行くと学校に着いた。学校の敷地内には入れなかったので,教室横の窓格子の間にカメラを入れ,かわいい女生徒の固まっているところを一枚撮る。すると,男子生徒が集まってきてちょっとした騒ぎになってしまった。仕方がないので,鉄格子の外から一枚撮ることにする。この写真もなかなか面白い絵になった。
立派なヒンドゥー寺院
小さな町にも立派な塔門(ゴープラム)を備えたヒンドゥー寺院がある。切石を積み上げていく南インド(ドラヴィダ様式)のヒンドゥー寺院の原型は,8世紀にカンチープラムのパッラヴァ王朝の時代に確立した。
その後,14世紀になると巨大な塔門をもつ姿に変わっていった。巨大な塔門は町のどこからでも眺めることができ,かつ荘厳な印象を与え,人々の信仰心を引きつけたことだろう。
塔門には数え切れないほどのヒンドゥーの神々の像が刻まれ,極彩色に彩色されている。それに加え,寺院の内部に一つもしくは複数の神殿をもち,主神や関連する神々を祀っている。
塔門を飾り,陽光のもとで手の届かない所から人々を見下ろす外の神々と,薄暗い神殿の内部に置かれ,人々が触れることのできる神々は,宗教の高みと,現世利益の二面性を解決する手段だったのかもしれない。
ヒンドゥーの寺院で結婚式を見学する
ヒンドゥー寺院ではちょうど結婚披露宴が執り行われていた。凝った彫刻が施されている木造の正門は閉じられている。中庭に通じる木戸を通って人々が出入りしていたので,僕も中に入ってみた。
寺院の周囲を楽隊が鳴り物入りで回っている。インドの結婚式はにぎやかでかつオープンである。寺院の中庭には着飾った女性の参列者と子どもたちが集まっている。男性はシャツとズボン姿である。
しばらく子どもたちと一緒に事の成り行きを眺めていると,少し年輩の男性がやってきて,僕を新郎・新婦に引き合わせてくれた。2人にお祝いの言葉を述べ写真をとろうとすると,年輩の男性も一緒に入ることになった。それでようやく彼が新郎のお父さんであろうと見当をつけた。彼に案内され,お祝いのごはんをごちそうになった。
この会場でインドのタブーを一つ犯してしまった。子どもたちに続いて,来賓の女性のグループの写真を撮ったところ,「皆さんの許しを得てからにしなさい」と注意を受けた。インドの文化や考え方についてある程度理解していると自負していたので,自分のうかつさを恥じた。
女子校の昼食
昼食時に町中を歩いていると女学校をあった。中庭では生徒たちが手に食器をもって並んでいる。入り口には守衛がおり中には入れなかったが,面白い素材なので写真に収めるとこっちを向いて笑顔を見せてくれた。生徒たちの制服は白のシャツにオレンジ色のスカートの組み合わせであった。
翌日,同じ時間にもう一度のぞいて見ると,生徒たちの服装が一変していた。生徒たちは色とりどりの私服姿で,昨日と同じように食器を持って列を作っている。何人かの積極的な子どもたちは,カメラの前に並んでくれた。制服の日と私服の日があるのか,それとも日によって通ってくる生徒が異なるのであろうか...。
そのようなことを考えながらシャッターを押していると,先生らしき人がこちらにやってきて,「何か用事でもあるのですか」と詰問された。僕は「日本人の観光客で写真が趣味なんです」と答えると,不審者ではないと分かったのか戻って行った。考えてみれば,日本では校門の横で写真を撮っていれば絶対に不審者にされてしまう。どうも,お騒がせしました。
海岸には漁師の生活がある
アレッピーの海を見るため,リクシャーのお兄さんに海の方に行ってもらった。少し赤みをおびた砂と青い海が,南国の太陽のもとにどこまでも続いている。漁師の2人連れが網を持って歩いている。そのうち海岸を浸食から守るため大きな岩を積み上げたところに出た。インドではこのようなところを歩くのに注意が必要だ。岩の間に身を隠してトイレを済ませる人が多いからだ。
岩の向こうには漁師の集落がある。家の前では2人の老人が座っている。この浜で生まれ,働き,子どもを育て,この浜で死んでいく。周囲の景色も集落もほとんど変化せず,ただ時間だけが過ぎていく生活がここにある。
田園地帯には農民の生活がある
町外れを散策していると,巾20mほどの水路に渡し船があった。ルンギ姿の船頭が竹竿を使って対岸と行き来している。外国人料金は5Rpである。向こう側に渡ると田園地帯と小さな集落が点在していた。ある家の横でおばあさんが集まり,カワニナのような黒い巻貝から身を取り出している。近くにいた子どもの写真を撮り,お礼にフーセンをあげると,気のせいかおばあさんたちの表情がゆるんだようだ。
集落が途切れると,見渡す限りの水田になる。ちょうど播種の時期にあたり,農民たちは発芽した種子を袋に詰め,水を張った田んぼに直に蒔いていた。周辺には驚くほどたくさんの白サギが集まり,田んぼの何かをつついている。もしかしてとも考えたが,農民は鳥を追い払うことがない。白サギは水性昆虫や小動物を探していると思われる。ケーララでも人と動物が共存できる環境が残っている。