Home 亜細亜の街角 | Aranya Prathet / Thailand / Mar 2003

アランヤプラテート  (参照地図を開く)

アランヤプラテートはカンボジアのポイペトと国境を接している。1975年以降,戦火に追われたカンボジア難民が押し寄せ,周辺に大規模な難民キャンプが置かれた時期もあった。

しかし,インドシナに平和が訪れ,難民キャンプはすべて撤去され,タイの一般的な地方都市になっている。この国境は外国人にも開放されており,バンコクとシエムリアプを結ぶ中継点として訪れる旅行者が増えている。

シエムリアプ→ポイペト→アランヤプラテート 移動

シエムリアプ(08:00)→ポイペト(15:00)→国境→アランヤプラテート(15:30)とバスで移動する。シエムレアプからポイペトに向かうバスはスターマートの前から出発した。

道路の周辺は乾いた水田が広がっており,はるかかなたに申し訳程度に林が見える。かなりの割合の水田はすでに荒起しを終え,雨を待っている状態だ。この地域の広大な水田はほぼ100%天水頼みのである。そのため,ちょっと雨量が少ないとすぐ「旱魃」ということになる。

カンボジア西部の森林減少は著しい。そのため地域の気候が変化し降水量は減少している。一方,トンレサップ湖周辺では森林減少のため斜面の保水力が低下している。ひとたび激しい雨が降ると大量の土砂が流れ込む現象も発生している。「森は人がいなくても生きていけるが,人は森がないと生きていけない」とは至言である。

代替のバスを待つため2時間ほど食堂で過ごすことになった

出発してからすぐにエアコンの効きが悪くなる。そのためかどうかは分からないが,バスは食堂の前で停車し,再び動き出すことはなかった。代替のバスを待つため2時間ほど食堂で過ごすことになった。代わりのバスがやってきて乗客が乗り込み,再出発である。道路は数年前とは比較にならないくらい良くなっており,時間もずいぶん短縮されている。

15:00にポイペトのイミグレーション前に到着した。窓口にパスポートを提出し,国境ゲートをくぐるともうタイである。6km離れたアランヤプラテートの町まではバイクタクシーかトクトクが利用できる。

アラン・ガーデン・ホテル

アランガーデン・ホテルの部屋は8畳,Wベッド,トイレ・シャワー付きで150Bである。ベッドもシャワーも清潔であり居心地は悪くない。斜め向かいの角にはセブン・イレブンがあり,これはちょうどよいランドマークになる。

アランヤプラテート駅

屋台の町

夕方になるとアランは屋台の町に変身する。セブンイレブンの南西の通りは,車両の通行が禁止され,衣類,CD,食べ物の屋台が並ぶ。暗くなると電球の光がとてもきれいだ。ついつい誘蛾灯にさそわれるように出かけてしまう。

クイティオとゆでとうもろこしをいただき,食後にオレンジジュースを飲んで23Bの安さである。この街はえらい!屋台の近くにはドラム缶型のゴミ箱が設置されているではないか。中国,カンボジアを旅するとゴミ箱がとてもなつかしくなる。

肉を食べるということは

セブンイレブンの北東に市場がある。周辺は露店が出ており,夕方からは電球が灯され夜店になる。ここは食材や食べ物の店が並び,見て回るだけでも楽しい。近くから特徴のある豚の悲鳴が聞こえてくる。門の内側はコンクリートのたたきになっており,豚の半身が引きずられてくる。建物の中には半身に解体されたものが数頭分ころがっている。

豚はやかましく鳴きながら逃げ回っている。鉄棒を持った男たちが豚の頭にねらいをつけ,一撃する。豚は参らない。2発,3発で豚は横倒しになる。別の男が喉を切り,バケツで血を受ける。肉を食べるということはこういうことなのだ。

朝の国境

国境のタイ側には巨大な市場があり,その外れにイミグレーションがある。その先にはアンコールワットを模したカンボジアの国境ゲートがあり,大勢のカンボジア人が入国を待っている。

タイ側のゲートが開くと人々は大挙してタイに入ってくる。カンボジア側もタイ側も入国管理は省略されているようだ。しかし,タイの税関の検査は厳しい。タイで売り物になるものの持込は一切認めないという強い意志が感じられる。

税関の職員とその手先のカンボジア人は横柄な態度で入国者の持ち物を検査している。荷車を引いてきた人々は,荷車の底や袋の中身までチェックされ,何か見つかると没収される。僕が10分ほど見ている間に,シャツが2枚,ジーンズが1本没収された。ほとんど弱いものいじめに近い。

土砂に埋もれた線路

かってタイとカンボジアの間には国際列車が走っていたという。現在でも国境のタイ側には古びた線路が横たわり,金網の向こうのカンボジア側の線路は土砂の中に埋もれている。島国で暮らしていると「国際列車」という言葉は,妙にこころをくすぐる響きをもつ。しかし,残念ながらここの国際列車が再開されることはもうないだろう。

タイに托鉢に出かける僧侶もいる

朝の国境を越えるのは商売人や働きに出る人たちだけではない。ポイペトの僧侶たちは国境を越えて托鉢に出かける。裸足の僧侶たちは国境ゲートの近くで分かれ,重複しないように国境近くの市場を回る。アランの街からここまで托鉢に来る僧侶はいないので越境托鉢が定着している。

国境を越える人々

国境ゲートのタイ側には大勢の子どもたちが待機している。。別の子どもたちのグループはプラスチック,ペットボトル,アルミかんなどお金になるゴミを集めている。彼らは袋に資源ごみを分別して詰め込んでいる。タイの回収業者が買いにくるのか,鉄くずを山のように積んだトラックもいる。

しかし,国境を越えた大多数の人々は何をしているのかよく分からない。市場で散見される事例から考えられるのは,大八車を使って荷物運びをする,市場で下働きをする,タイで商品を仕入れカンボジア側で売りさばくことなどである。両国の経済格差が,国境でさまざまな光景を見せてくれる。

大八車の車列が国境を通過する

怪しげに国境を越える人たち

日傘を差し掛けるサービス

アランからトクトクや車が到着すると,日傘を持った子どもたちが駆け寄る。クライアントが市場から国境まで歩く間,日傘をさしかける。これで料金が10Bである。しかし,そうそうカモ(クライアント)がやってくるわけではない。

2つの寺院

庭園を飾る花

入国管理事務所

屋台を散策する

アランヤプラテート→バンコク ローカル線の旅

旅の終わりがカウントダウンに入った。今日は06:30のローカル線でバンコクに移動する。ホテルの受付は眠りこけており,2-3回呼んでも返事が無いので,キーをカウンターにおいて外に出る。荷物があるのでトクトクで駅に向かう。列車はすでに待機しているが,キップの窓口は閉まったままだ。バンコクまでは約200km,3等料金は48Bとバスの半額である。

窓の外は乾燥した水田が続いている。しかし,あるところから先は緑色に変わった。乾期にもかかわらず,見渡す限りの広い水田を潤す水がどこからか供給されているのだろう。灌漑用水が整備されているようにはとても見えない

チャオプラヤ・ボートで川遊び


シエムリアプ   亜細亜の街角   バンコク→成田