ダムノン・サドゥアックはバンコクから西に約70kmにある小さな町だ。この町にはバンコク周辺ではもう見られなくなった「水上マーケット」がある。細い水路に商品を積んだ手漕ぎ舟が集まり,水上の市場になる。この早朝に始まり,10時くらいには終わってしまう水上市は,バンコク観光のハイライトの一つとなっている。
アユタヤ→バンコク→ダムノン・サドアック 移動
アユタヤ(09:00)→モーチット北BT(11:00)→サータイ南BT(13:00)→ダムノン・サドアック(15:30)とバスで移動する。宿で教えてもらった近くのバスターミナルからバンコク行きのバスに乗る。40Bのバスは適度のエアコンが入り快適である。
モーチット北BTはバンコクで最大のバスターミナルである。しかし,バンコクから南に向かうバスはここからは出ていない。ターミナルの係員に確認してサータイ南BT行きのNo.195の市バスに乗り換える。
こちらはエアコンは入っていない。それでも風が入ってくるので暑さはそれほど気にならない。問題は排気ガスである。空気の汚れていない田舎からバンコクに入ると排気ガスは相当気になる。僕は終点がサータイと勘違いしてしまい,終点から同じバスで戻ることになってしまった。
今度は車掌にちゃんと行き先を告げておいたので,サータイ南BTの前の路上で降ろしてもらえた。バスターミナルは通りの反対がわにあり,歩道橋を渡らなければならない。歩道橋の下にはテーブルを置いた店があったので恒例のスプライトをいただく。
店の客に行き先を聞かれ「ダムノン・サドアック」と答えると聞き直された。どうも僕の発音が現地風ではないらしい。親切な彼はタイ語でこの地名を書いてくれた。このメモを関係者に見せるとすぐにバスが見つかった。
バスが到着したのは普通の田舎町であった。水辺の町をイメージしていたけれど,どうやらフローティング・マーケットまでは距離があるようだ。ゲスト・ハウスを探してみたが,どうやらノック・ノーイ・ホテルしかないようだ。部屋(170B)は10畳プラス広いバスルーム,ベッドもシーツも清潔である。天井のファンが風を送ってくれる。けっこう居心地の良い部屋であった。
夕食がてらメインストリートを歩いてみる。常設の食堂はなく,屋台を利用することになる。鶏飯(カオ・マンガイ)とコーラの代金は30バーツが相場であるが,40バーツを請求され,ちょっと不愉快になる。もっとも,口内炎を煩っている僕にとっては,刺激の少ない鳥ご飯はありがたい。
近くの公園では音楽に合わせて,集団エアロビクスが行われていた。これもタイでは見慣れた光景だ。
水路は生活の重要なインフラ
水上マーケットを目当てに観光客が大勢やってくる。しかし,日帰り観光が可能なため,この町に滞在する人はほとんどいない。僕は人々の生活を見るのが好きなので,この町で泊まってのんびり町を歩き回るつもりだ。
「タイの普通の田舎町」と紹介したが,それは幹線道路沿いだけのことだ。そこを外れて少し歩くと,この町の中を水路が縦横に走っており,その水路に沿って家屋が密集していることに気が付く。
水路と家屋の間には狭い通路があり,それを伝って水路の風景を楽しむことができる。爆音をとどろかせながら走る観光用のスピードボートはこの穏やかな風景に似合わない。
さらに,大きな水路から小さな水路に足を運ぶと,この町の水路は「網の目」という形容がふさわしいほど,いろいろなところにつながっていることが分かる。そのようなところには水道が普及しているわけではない。裏通りにあたる水路では,人々は水路の水を生活用水として使用している。
町中の水路は昔から生活道路の役割を果たしてきた。水路は水上マーケットにもつながっているので,小舟が生鮮食料品や雑貨などを運んでくる。女性たちは舟に声をかけ,岸辺で商いが始まる。小舟にはエンジンがなく,おばさんは1本の櫂を使って上手に舟を操っていた。その姿は水路の風景にとても似合っている。
経済発展によりこの町の生活もどんどん変化している。幹線道路沿いには大きな商店ができ,ほとんどの買い物はそこで用が足りる。それでも水路から届けられる生鮮食品は,これからも水路の人々の食卓を支えていくことだろう。
山車ならぬ出舟
水路の町ではお祭りも舟で巡回する。寺院の本尊には「水尾・・・」と書かれていたのでたぶん道教のお寺であろう。七夕飾りのようなものを舟に積み込み,爆竹を鳴らしながら水路を巡って行く。周辺の住民はバルコニーや水路際の通路で見物している。
朝の托鉢
タイ,ラオス,カンボジア,スリランカなどの上座部仏教においては,出家した僧侶は僧伽(そうぎゃ,samghaの音訳)に属することになり,世俗の社会ルールが適用されない。その代わり厳しい戒律の中でひたすら修行を続け,悟りを目指す。タイにおいては僧侶は227の戒律を守ることが義務付けられている。
その一つとして僧侶は労働や炊事をすることが禁止されている。そのため,食事は托鉢という形で在家の人々からの施食を受けなければならない。しかも,食事は午前中に限定されている。このため,上座部仏教国においては,毎日早朝の托鉢が見られるということになる。
水上マーケットにバイクタクシーで向かう
町から水上マーケットまではちょっと距離があるようだ。地図も無いのでバイクタクシーに連れて行ったもらう。小舟4-5艘分の細い水路の両側に建物が並び,近くの橋の横には大きな駐車場がある。バスが停まると,大勢のツアー客が出てくる。タイ人の観光客も多い。
駐車場以上に混雑しているのは水路とその周辺である。水路の両側には市場や土産物屋,食堂がのきを連ねている。その前には小舟が横付けされており,岸を歩く地元の人や観光客相手に商売が行われている。舟同士の商売もけっこう多い。
08時には混雑してくる
新しい舟が次々とやってきて,お客と商売の場所を探している。観光客を乗せた小舟も,混雑した水路をゆっくり進んでいく。でも写真は岸から撮るほうが良い。近くの橋の上もいい写真スポットになる。
小舟が積んでいる商品の多くは野菜,果物などの生鮮食品である。他にも雑貨屋もあるし,水上屋台もありともかくにぎやかだ。観光スポットだけあって,この周辺の土産物,食堂はとても高い。食べるのなら舟の屋台がよい。また,この機会にトロピカル・フルーツを味わうのもよい。
日本の値段と比べてみても仕方が無いけれど,果物はとにかく安いので安心して買うことができる。マンゴーは大きめのもので1個10-20B,バナナは10Bで小さい1房が買える。オレンジはジュースになって1グラス10B,パイナップルは皮をむいてもらい半分が10Bである。酒の飲めない僕は毎日果物三昧である。
水上マーケットの周辺はまるで道路が町内の区画を決めているように,水路がその役割を果たしている。その代わりに車が走れるような道路はこの一画にはない。
果樹園の水遣り
水路の町の周辺にある農地や果樹園はちょっと変わっている。土を掘って水路を作り,残土は両側に盛り上げ,そこに作物や果樹を植える。畑の中は小舟で移動することになる。
乾季の水遣りは小舟にエンジン付きのポンプを乗せ,水路から直接かけるようになっている。男性は竿を使って舟を水路に沿って移動させる。水路を往復すると両側の果樹の水遣りが完了する。
アスパラの出荷
別の畑ではアスパラの収穫が行われていた。ここも同じように盛り土の畑である。一家総出で働いている。息子たちは小舟で畑を巡り,アスパラを収穫してくる。
女性たちは上面と右側面のない直方体の箱に入れ,箱からはみ出した根元の部分を切る。こうして長さをそろえられたアスパラは,太さにより3ランクに選別され出荷される。
この頃から雨が降り出した。最初は大したものではなかったが,すぐに土砂降りとなり,アスパラ農家で雨宿りをすることになる。小さな子どもたちは目の届くところで遊んでいるが,だれもかまってくれない。ヨーヨーを作ってあげると,大人も仕事の手を休めて見ている。
寺院の集会
近くのお寺に人々が集まっている。広い本堂は板張りになっており,一角だけが60cmほど高くなっている。そこにはオレンジ色の僧服をまとった15人ほどの僧侶が控えている。
女性が僧侶に水の入った金属製のお盆と銀色の容器を持ってくる。女性は木の枝を容器の水に浸して,お盆の上で僧侶の手に降りかけている。もちろん,上座部仏教では僧侶が女性に触れることは禁忌となっている。水をあげる功徳を木の枝を介して間接的に行っているように見えた。
となりの一画では男性たちが食事をしている。彼らに呼ばれ僕もごちそうになる。ごはん,豚肉の煮込み,野菜炒め,トムヤムスープがその日の昼食になった。寺院の外では女性たちが水路の横で食器を洗っていた。さすがに水は水路からではなく水道か井戸の水を使用している。おそらく昔はこの水路の水が生活用水としても使用されていたにちがいない。
食事会は30分ほどで終了した。隣に座っている地域のまとめ役のおじさんは真ちっまで行くので送ると言ってくれた。しかし,彼のバイクはエンジンがかからない。プラグを交換し,ポイントを磨いてもだめであった。
結局,通りがかったトラックに乗せられた。このトラックは途中で立派な家に入り,舞台をバラして運ぶ用事があった。だいぶ遠回りして町に到着した。
水路を歩く
15時過ぎから橋を渡り,右側の水路を探検した。水に接した生活の場面をいくつか見せてもらい,写真を何枚か撮らせてもらった。道路ができたので商売の中心は道路沿いに変わったが,それまではこの水路こそが大通りであり,生活の中心であったことだろう。
健全な地域社会がある
子どもたちは岸辺の工事現場の鉄板の上で遊んでいた。鉄板には隙間があり,下は水路になっている。でも,大人が子どもたちをちゃんと視ている。地域社会の中で,子どもたちは近所の友達と一緒に泣いたり,笑ったりしながら成長していく。
近所の家は子どもたちにとって,自分の家同様に出入り自由である。お友達と一緒にごはんをいただくことも珍しいことではない。タイの田舎町には健全な地域社会がある。