パクセ (参照地図を開く)
パクセはコーヒーの産地として知られるチャムパサック県の中心地である。パクセは20世紀に入ってからフランスによって建設された町でその歴史は浅い。近くのワンタオ村はタイとの国境が開いており,外国人も通過できる。
パクセはコーヒーの産地として知られるチャムパサック県の中心地である。パクセは20世紀に入ってからフランスによって建設された町でその歴史は浅い。近くのワンタオ村はタイとの国境が開いており,外国人も通過できる。
サワンナケート(06:45)→パクセ(12:30)とバスで移動する。パクセ行きのバスは相当の年代物である。荷物を屋根に上げてもらい座席を探す。前半分は完全に埋まっており,最後尾に空席があったのでそこにする。この判断は大きな過ちであったことはそのうち証明される。
乗車率100%になったので定刻前にバスは出発した。道路は車線拡張のためずっと工事中の区間が続きダート状態である。
このあたりの赤土(ラテライト)は粒子が細かく,乾燥するとほこりになりやすい。バスの前輪がこの赤土のほこりを巻き上げ,開いている窓からどんどん入り込んでくる。
ほこりは最後尾に達すると行き場を失い,しばらく空中を漂ったあとそのあたりに降り積もる。膝のうえのザックはすぐに埃だらけになり,そのうち積もっているのが分かるようになる。ラオスのバスでは後部座席に座ってはいけないと肝に命じた。
バスが止まるたびに新しい乗客が乗り込んできて,彼らのためにプラスチック製のイスが通路に並べられる。バスはときどき小休止するがこのイスと乗客がじゃまになって外にも出られない。唯一出られたのは昼食の大休止のときだけで,ようやくトイレに行き水を補給することができた。
昼食の材料はどこにも見当たらない。ここではほとんど食べられずにバスに戻ると,となりの席の親子がカーニャオとチキンを食べ出したので少し分けていただく。お礼として2人の子供にキャンディーとフーセンをあげる。
このあたりは川や水路が多く,道路はたくさんの橋を通過した。橋と道路がつながっていない場合は,橋を迂回して畑や藪の中を通って進んで行く。また道路と橋のつなぎ目には段差がありバスの後部はときどき無重力状態になり,そのあと衝撃がやってくる。ひどいときは50cmも体が浮いて座席にたたきつけられた。
橋の近くには必ず看板が設置されており,日本のODAを示すロゴと英語とラオス語で何かが表記されている。道路工事はともかく橋の建設は日本からの援助が入っており,看板は顔の見える援助政策の一環なのだろう。どうせなら,このひどい道路もついでになんとかして欲しい。
道路の周囲を観察する余裕はほとんどなかった。記憶に残るのはわずかな森と広大な荒地である。もしかしたら荒地ではなく雨期には耕作地になるのかもしれない。水田は干上がっており緑は見えない。一部,水に恵まれたところでは収穫の季節を迎えようとしている。
6時間かけてパクセ到着し,ようやくバス地獄から解放される。乗合のトクトクでゲストハウスに向かう途中,何回か水をかけられる。どうせ埃だらけになっているので体にかかるのは問題ではない。荷物にかからないようにカバーしているとバケツで思いきりかけられて,ゲストハウスに着いたとき上半身はびしょぬれである。
バナパ・ゲストハウスの概観は立派である。庭もあり静かな環境である。しかし,もっとも安い30,000Kの部屋はコンクリートのたたきに高さ30cmのベッドがあるだけだ。荷物を降ろし首から下げていたパスポート・ホルダーの中を点検する。パスポートは少し濡れており現金はびしょぬれ状態のため,ベッドの上に広げて乾かす。なんともひどい移動であった。
パクセはメコン川とセドン川の合流地点にあり,ちょうど三方が川に囲まれた半島のようになっている。セドン川の夕陽ではさまにならないにで,南のメコン川に向かって歩き出す。小さな広場があり廃品回収の一家が忙しそうに働いていた。子どもたちも一緒に働いている。女の子が一人ちょっと疲れたのかハンモックで揺られていた。
じきにメコン川の土手に到着した。メコンは川岸からずいぶん下を流れていた。増水期にはここから水が溢れるとはとても信じられない。川岸は道路になっており,その反対側には民家が集まっている。まだちょっと日が高いので子どもたちの写真を撮りながら,夕日がいちばん良い状態になるのを待つことにする。
近くの民家で全長60cmほどのミズオオトカゲを調理している。まず軽く火であぶってうろこを落とす。その先はと思っていたら,あとは家の中で調理するため中に引っ込んでしまった。
このあたりの子どもたちは写真大好きである。家から他の子どもたちを連れてきて撮ってよとせがむ。子どもたちに付き合って何枚か写真をとる。夕陽の時間になると子どもたちと一緒にビューポイントに戻る。みんなで丸太半分のベンチに坐り,キャンディーをなめながら夕陽を見物する。
夕食は同じゲストハウスに泊まっているカンボジア人旅行者の一家にごちそうになる。レストランに入るとちょうど彼らの料理ができたところで,自分も同じものをと注文すると,「それでは一緒に食べなさい」と招待してくれた。人情のこもった魚のから揚げとチキンスープはとてもおいしかった。また彼らとの会話もとても楽しい。
パクセのあたりではメコン川は国境ではない。タイとの国境はメコンの少し東側にある。パクセ/ウボンラチャタニ間の国境は外国人も開かれている。少し前までは途中でメコンの渡し舟が必要だったが,現在では橋ができたのでありがたいことにパクセからラオスの国境の村ワンタオまで直接バスで行けるようになった。
パクセのバスステーションを出発した小型トラックバスはメコンにかかる新しい橋を渡り,ほとんど一直線の舗装道路を快調に飛ばして行く。乗客がここがワンタオと教えてくれたが辺りにはそれらしいものは何もない。実際の国境はもっと先にある。
大きなバスステーションに到着する。ここからラオス側のイミグレーションまではバイクタクシーを利用する。運転手は1kmもあると言っていたが実際はその半分で,バイクは3分でイミグレーションの建物に到着した。建物は新しく立派だ。窓口の係官の対応もスムーズであった。
これでラオスとお別れであるが,その前にあまったラオスキープを両替しなければならない。両替の看板が見当たらないので近くの大きな店に入り両替をお願いするとその場でやってくれた。レートは1B=200K,銀行レートは192なので4%ほど悪い。ここらから歩いて国境ゲートにあたる鉄柵の間をくぐり抜けタイに入る。やはりタイに入ると雰囲気が違う。