クラチエ (参照地図を開く)
プノンペンから435km,メコン川の東岸にある小さな町である。町の中心は中央市場,それを囲むようにフランス風の建物が並んでいる。川イルカが見られる「イルカ公園」以外に観光資源はないが,旅行者の人気は高い。
プノンペンから435km,メコン川の東岸にある小さな町である。町の中心は中央市場,それを囲むようにフランス風の建物が並んでいる。川イルカが見られる「イルカ公園」以外に観光資源はないが,旅行者の人気は高い。
プノンペン(07:20)→クラチエ(12:30)とスピード・ボートで移動すえる。宿のおじさんがバイクタクシーの運転手に因果を含めてくれたので,船着場までの料金は1500Rであった。
ボートの屋根は中央の盛り上がったカマボコ型のため,荷物は一番前の滑りずらい所に置く。今日はくもりがちなので座席も屋根の上にする。船は日本橋,王宮前広場,カジノ船など見なれたポイントを通過したあと,大きく向きを変えてメコン川に入る。
たくさんの漁師の船が出ている。荷物や乗客を乗せた木造船もゆっくり行き交っている。そんな中でこのスピードボートの速度はその名の通り抜きん出て早い。近くの船はこの大型船が作る波によって上下に揺れている。
しばらくすると強い日差しが戻ってきた。肌に痛いくらいの日差だ。日焼け止めをサブザックに入れておかなかったことを後悔する。上空にはたくさんの綿雲が浮かんでおり,ほんのときどき日陰を提供してくれる。雲の動きを見ていると何だかこの船の上空だけ避けているるような気がする。
船は途中でいくつかの町に寄る。小さな船着場には小さな桟橋があり,人と物が行き交っている。船が着くと物売りはわずかな停船時間に飲み物や食べ物をもって船の中を動き回る。コンポンチャムはさすがに大きな町でフェリーが行き交っている。しかしその上にはメコンをまたぐ橋ができており(正式に開通はしていない),バイクが走っている。
荷物を持って船を下りるとゲストハウスの客引きが集まってくる。その中で20才くらいの青年からきれいな英語で「cheep, clean, 2 or 3$」と話しかけられ,後をついていく。スターゲストハウスは道路を挟み市場の西側の角にあり,部屋は8畳,トイレ・シャワー付き,2つのベッド,物干し台がある。床はきれいなタイル張りで,シーツやシャワー室も清潔である。部屋代は3$でここに決定。
ここから眺めるメコンは川幅約1km,乾期の今は砂浜ができている。堤防から水面までは10mもありそうだが,雨期になると足元まで水がくるという。これだけの川幅の水位を10mも上げる自然のすごさに驚く。
夕日に染まるメコンと空は朱色と金色に染められている。雲がかかっているため,力を失った赤い太陽が沈んでいくというわけにはいかなかったが,夕日に映える雲や水は神々しい輝きをもっている。悠久のときを刻んできたメコンにボトルの水で乾杯する。
バイクタクシーで15kmほど離れたイルカ公園に出かける。メコンの川イルカはラオスのコーンの滝のものが有名であるが,生息数が激減したため見ることができればとてもラッキーという状況である。
イルカ公園は石のベンチと屋台がひとつあるだけで他には何も無い。ここから見るメコンは大小の中島が点在しており,コーン島からのそれと似ている。イルカが姿を見せる場所は岸から50mほど離れており,じっと見ていると水面から黒いものが浮かび上がる。イルカの頭か背中である。ラオスでは幻になりつつあるイルカを見られたのは感動である。
この水域には何頭かのイルカが集まっているらしく,黒い影が次々と水面に現われる。彼らが姿を現すのは時間して1-2秒,ほんの一瞬である。しかも狭い水域とはいえどこに現われるかは分からないので写真は無理であった。
メコン沿いに北の方を散策する。1軒の家で「国境無き医師団」のTシャツを着ている人を見つけ中に入る。するとフランス人とおぼしき人が出てきて,僕が日本の会員であることを告げると,ここはこの地域の保健・衛生活動を担当していると説明してくれた。
入り口に中山学校と書かれた学校を見つけた。「中山」は孫文の別称なので,手のひらに「中山」と「孫文」と書いて子供たちに見せたところけげんな顔をするだけであった。一緒に見ていた教師も同じ反応なのであきらめてさようならをする。
川沿いの道は船大工の集落のところで途切れた。ここでは3人の男性が10mもある長い船に側板を取りつけている。使用する道具はのこ,かなづち,斧などごく簡単なものだけだ。
岸辺には家舟が繋がれており,洗濯をする女性や水遊びをする子供たちがいる。子供たちはカメラをまったく怖がらずたくさん写真をとらせてくれた。近くの集落を回って子供の写真をとる。しかしこの暑さでは3時間の活動が限界であり,ゲストハウスに戻り昼寝をする。
ゲストハウスに帰る途中に結婚式の家を見つけた。いつものように中庭に入れてもらい写真を撮らせてもらう。ちょうど写真屋が記念写真を撮っていたので彼と一緒に2人がポーズを取っているところを撮れたのはラッキーである。新郎・新婦は鼻筋の通った美男・美女で,何故か親戚とおぼしき人とは似ていない。
新婦がいなくなったと思ったらなんとお色直しをして再登場である。今までの青のドレスからピンクのドレスに変身いている。この一族は相当のお金持ちのようだ。大人の参列者はちゃんと礼服を着用し,子供たちの服装もこぎれいである。
メコンに沿って下流の方に歩き出す。少し歩くとコンクリートの建物はなくなり農村のような風景に変わる。家は高床式,壁の材料は板か竹を編んだもの,屋根はヤシの葉か草で葺いている。
集落の入り口で遊んでいた子供の写真をとりキャンディーとフーセンをあげると,その情報はすぐに伝わりたくさんの子供から声をかけられる。子供たちが自分の後からぞろぞろ付いて来るのはうっとうしいので,集合写真を撮りキャンディーとフーセンを配ってお引取りを願う。
この集落にはクメール系とべトナム系の人々が暮らしている。ベトナム系の中には日本でも売れるような美少女が何人かいる。しかし,恥ずかしがり屋の彼女たちの写真を撮るのは容易ではない。