亜細亜の街角
旅の始まりと旅の終わり
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バンコク  (参照地図を開く)

バンコクは東南アジアおよび南アジアに行くためのゲート・ウエーにあたる都市だ。バンコクでビザをとり,陸路でインドシナの国々や中国の雲南に向かうのは容易である。また,ミャンマーや南アジアに行きの3-12カ月オープンの航空券も格安で手に入れることができる。というわけでバンコクは「旅の始まりと終わり」の街になる。


成田(19:30)→バンコク(24:00)移動

日本からの飛行機は夜から深夜にドンムアン空港に到着することが多い。ドンムアン空港バンコク中心部から北方に約20kmにある国際空港である。長い間タイの空の玄関口として機能しており,正式名には「バンコク国際空港」であるが,「ドンムアン空港」の通称で呼ばれている。これは,「東京国際空港」が「羽田空港」の通称で呼ばれているのと同じである。

ドンムアン空港は3700m,3500mの2本の滑走路を備え,長い間,タイおよび東南アジアのハブ空港として機能してきたが,1970年代以降の発着機数の増加により手狭になったため新空港の建設が計画された。

スワンナプーム空港はバンコクから30km東方にある国際空港である。2006年9月28日に開港した。新空港の開港によりバンコク国際空港はスワンナプーム空港となり,バンコクの空港コード「BKK」は新空港に継承された。

新空港の敷地面積は3240haであり,世界有数の規模を持つ国際空港である。2本の滑走路を持ち、最大で1時間に76便の飛行機を離陸させることが可能である。年間の最大輸送人員は4,500万人とされている。ちなみに,日本最大の羽田空港の敷地面積は約1,522ha,年間の離発着回数は約38万回となっている。

ドンムアン空港は24時間空港のため深夜の時間帯でもイミグレーション・カウンターはほぼ全部開いていて,それぞれ20人くらいの乗客が並んでいる。タイのイミグレーション係官はスムーズに入国処理をこなしていく。

空港内の銀行も開いていてTC(Travelers Check)を両替する。この時期,外国の銀行のATMから銀行のキャッシュカードやクレジットカードで現金を引き出せるようになっており,僕のTC利用は2008年頃には終了した。両替レートは1US$=42.7バーツであり,1000バーツ札をメインに手渡される。しかし,1000バーツ札は町中では使いづらく,100バーツ札が基本となる。

エアポートバスが動き始めるのは05時30分なので空港内で待つことにする。とりあえず,カフェでクイティオ(ヌードル・スープ)をいただく。さすがに空港内の物価は高く,80バーツし町中の2-3倍である。

この麺には日本の七味のように青トウガラシを刻んだ辛みしょうゆを薬味として使用するようになっている。僕がこの薬味をかけようとすると,近くの客室乗務員から「ビター」と注意された。しかし,この薬味は「チリ」なんですけれど。


朝一のエアポートバスでカオサンへ

カスタムのゲートを抜けて到着ロビーに出る。正面一番左の出口を出ると左側にエアポートバスの乗り場がある。バスは3系統,運行時間は05時から24時,料金は100B,市内に向かうには最も役に立つ乗り物である。次に来るバスの番号はチケット売り場に表示されている。

行き先を告げてチケットを買うのでバスは乗客の目的地で降ろしてくれる。カオサンで宿をとる乗客は多いのでまず心配はいらない。カオサンはバンコクの安宿街だ。そこは欧米人,日本人,韓国人,中国人のバックパッカーで溢れている。

旅行に必要なものはこの界隈で何でもそろう。ここは需要が供給を生み供給がさらなる需要を生み出す不思議な街なのだ。僕はビザを取るためだけにこの喧騒の街に滞在している。できればさっさと,ここでないどこかに移動したいものだ。滞在中,24時を過ぎてもカオサン通りは昼間と同じようににぎやかであった。それは僕の目には異様な光景に写る。

カオサン通りの安宿は軒並み満室と断られた。西側の通りを渡り,ワット・チャナソンクラームの裏手の通りのTPハウスを訪ねると,じきに空室ができるということなので待つことにする。ということで,11時30分にチェックインできた。ここはビザなどの手配をしてくれるので,利用価値が高い。

食事はもっぱら屋台でいただく。立派なレストランも多いが,屋台の魅力には勝てない。皿のごはんにおかずをかける(添える)タイプが主流である。ごはんと1品の豚肉・野菜炒めで20B,3品で40Bといったところだ。10Bのしぼりたてのオレンジジュースも付けることにしよう。安くておいしい屋台を見つけるのは旅の楽しみの一つである。


ラオスビザを手配する

タイの後はラオスに向かう計画なので,まずラオスビザを手配する。手配するといっても宿のスタッフにラオスビザ,30日と告げ,パスポートを預けると2日でビザをとってくれる。料金は1630バーツであり,この中に手数料が含まれている。

パスポートを預けるのでパスポートの写真付きページは,あらかじめ日本でコピーしている。とはいうものの,パスポートなしではバンコクから移動できないのでエキスプレスでビザ手配となる。

カンボジアのビザは取得後40日以内に入国することが求めらており,タイ→ラオス→カンボジアと回る日程では間に合わないので,国境ビザを取得することにする。まあ,何とかなるだろう。

ワット・サケット(黄金山寺院)

カオサンから西に歩くと民主記念塔,ワット・ラチャナーダがあり,その向こうにワット・サケット(黄金山寺院)が見える。寺院そのものも観光名所であるが,丘の上にある建物の屋上展望台からの眺望がすばらしい。

ここからバンコクの街が一望できる。多くの寺院や仏塔の先端が空に突き出しており,改めてバンコクの寺院の多さを実感できる。天使の都の人々は仏教との強いつながりの中で暮らしている。

ワット・インドラビハン

カオサンから北に歩くと10分ほどでワット・インドラビハンに到着する。そこには高さ30mはありそうな巨大なブッダの像が立っている。修学旅行か何かで参拝にきた女学生が花と線香を手に熱心に祈っている。

どのような宗教でも祈りの姿は美しい。経済発展にともない,この国でも若者の仏教離れが報じられている。しかし,彼女たちとを見ていると,まだまだ宗教が生活とともにあることを実感できる。

運河ボートに乗ったら違う方向に移動する

バンコクはたくさんの運河が張り巡らされている。都市化の急速な進展により,運河はどんどん埋め立てられており,内水氾濫をどのように制御するかは大きな課題となっている。

都市開発の面から邪魔者扱いされている運河ではあるが,運河を巡る運河ボートは水上交通として利用されている。船の原則に張られているブルーシートはしぶきが乗客にかからないようにするためのものである。

だいたいこの方角に向かうだろうと推測して乗り込んだところ,見知らぬところに連れられていってしまい,バイクタクシーで戻ることになった。

チャオプラヤ・ボートでチャイナタウンへ移動

チャオプラヤ川は「タイの母なる川」である。スコータイ,アユタヤ,トンブリ,歴代の王朝はすべてこの川の近くに首都を築いてきた。バンコクの街もこの川の両側に広がっている。船に乗ってバンコクの風景を楽しむのはとてもすばらしい体験になるのでお勧めする。

船といってもあのときどきぼったくりでニュースになるスピードボートではなく,地元の人々の足となっているチャオプラヤ・ボートである。ガイドブックにも船着場が記載されているので容易に利用することができる。料金数バーツでカオサン,王宮寺院,ワット・アルン,中華街・・・など主要観光スポット間を移動できる。

チャオプラヤを見て日本の川との違いにすぐ気が付くことがある。この川には堤防がない。日本でいうと土手に相当する部分は,周囲と同じ高さになっている。そして川の直近まで家やビルが建てられている。乾期でも土手と水面の差は1mほどしかない。これでは雨期になると市内が水浸しになるのは明らかだ。

ファランポーン中央駅でキップを購入

バンコクの次の訪問地はチェンマイであり,列車移動を考えた。ファランポーン中央駅ならキップは購入できるだろうと出かける。確かにあっさりキップは手に入った。価格は481バーツとバスに比べてだいぶ高い。

中古のサンダルを購入

宿の玄関先に中古品の売り場コーナーがある。バンコクは旅の終わりになることが多いので,本国に持ち帰る必要のないものをここで処分する人も多い。ちょうど手頃のサンダルがあり,サイズがちょうど良かったので120バーツで購入した。町中を歩くのにサンダルは快適だ。ここの宿は靴を脱いで入るタイプであるが,靴のまま入るところでは,部屋の中でスリッパ代わりに使うこともできる。

ノンタブリーの市場を見学

チャオプラヤ・ボートで20kmほど北上したところにある古い市場がある。ここはバンコクの隣県のノンタブリー県になる。カオサンから船で行けるので,バンコクのちょっとした船旅を経験できる。

魚と野菜の種類は非常に豊富で,タイの庶民の利用する市場の雰囲気が味わえる。この季節には望めないマンゴスチンが店先にあり,思わず0.5kgを買ってしまう。僕にとってマンゴスチンは文字通り熱帯果物の女王である。さすがに,市場で食べるわけにはいかないので,船着き場に出て,チャオプラヤ川を眺めながらいただく。

ワット・ポーの思い出

王宮寺院の近くにあるワット・ポーは寝釈迦仏とタイ式マッサージ発祥の寺として有名である。本尊と思われる黄金仏ははるかな高さから人々を眺めており感動的である。お顔も穏やかで世俗の喧噪を忘れ瞑想するにはよい場所を提供してくれる。

寝釈迦仏は「クシナガルの地で涅槃に向かうブッダ」を造形にしたものである。実際スリランカの寝釈迦仏のそばには弟子のアーナンダが立っており釈迦の最後を看取る構図になっている。この造形はスリランカのものがオリジナルであろう。

ともあれここの寝釈迦仏は巨大で全身を一度に見ることはできない。涅槃に向かうブッダは「私を拝んで何になる,時間を惜しんで修行に励みなさい」と弟子たちを諭したという。仏像があふれる現在の寺院を見たらブッダは何と言うだろう・・・。

この寺院で南部のツアーガイド学校の生徒たちと知り合いになった。ガイドとしての知識を実物で再確認するとともに,英語で先生に説明する試験を受けるために来たという。一人は試験の練習のつもりか,涅槃仏について説明してくれた。タイではなかなか英語は通じないので女子学生との会話はなかなか楽しいひとときであった。


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