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スローじゃがいもライフ 2006年11月25日
ペルー・飯尾響子  素敵なスローライフ

ペルーはさすがジャガイモ原産地。みんなジャガイモをよく食べる。都会でも毎日欠かさず食卓にのぼるが,高地の村ともなれば,少々のトウモロコシとお肉のほかは,ほとんどジャガイモばかり食べている。飽きはしないかと聞かれそうだが,その心配だけはない。ひとことでジャガイモと言っても,ペルーアンデスだけで300種も栽培されているからである。クスコの小村の青空朝市で,山と積まれたジャガイモ。午前だけでこれだけ売れるということだ。

高地の村では,しばしばひとつの畑に,数十種のジャガイモをごちゃまぜにして植えつける。できるだけ同じ味と形の産物を,それも大量に作る先進国の大規模農業の,まさに正反対のやりかたである。この一見効率の悪そうな方法は,ジャガイモの病気がはやったときに真価を発揮する。数十種もあれば,必ずいくつか病気に強い種がふくまれているから,あらかじめ畑の全滅をふせぐことができるのだ。

肥料は動物のフンを使い,天水をたよりに,もちろん無農薬で作られる高地のジャガイモは,味のほうもすばらしい。色は炭のように黒いものから,あざやかな紅白のぶちまでさまざまだが,味もそれぞれまるで違っている。しかも,日本の白っぽいジャガイモからは想像しがたい,手のこんだお菓子かなにかのような,深い複雑な味がするのだ。

こういうおイモをたべつけている高地の人は,化学肥料で作られる低地のジャガイモを,まあ無理もないことだが心底ばかにしている。いっぽう都会の人は,アンデスのものごとはとりあえず軽蔑(けいべつ)する,というあしき慣習のため,高地の小粒ジャガイモには目もくれない。だから同じペルーでも,首都リマとアンデスとでは,家で食べるジャガイモの味がぜんぜん違っていた。でもさいきん,ちょっとうれしい変化が起きている。

首都のスーパーでも,色とりどりの高地のおイモが商品化されるようになったのだ。きれいに洗って,気のきいたデザインの袋に詰めてあるから,気むずかしい都会の消費者も抵抗なく手をのばす。そして一度食べれば,あまりのおいしさに,必ずまた買うことになる。アンデスの奥地も,着実に商品経済の波にのみこまれていく現在,昔ながらのジャガイモの植え付け面積は,残念なことに年々小さくなっている。けれどこうして都会で高く売れるとなれば,高地の人たちもはりきって,今後も作り続けてくれるかもしれない。それは長い目で見れば,アンデスの貴重な遺伝子資源を,後世に伝えるという重い意味をもつ。もちろん私としては,アンデスのおいしいおイモがリマでも食べられるようになったのが,いちばんうれしいのだけれど。