亜細亜の街角補足

インダス川


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水の民、イルカと共に パキスタン・インダス川(3)2006年08月29日 手こぎの木造船は、ススキが生い茂る中州の脇に静かに寄せた。黄土色の水面にじっと目をこらす。息を殺し、5分、10分……。「バシャ」。80メートルほど先の水面が波立った。丸々としたカワイルカの灰色の背中がほんの一瞬、見えた。数分の間に5頭が次々と水面に姿を見せた。ただ海のイルカと違い、高く跳び上がったり船に近寄ったりすることはない。

パキスタンを縦貫するインダス川。大文明を育んだ大河にカワイルカが生息していることは、あまり知られていない。世界でも限られた大河にしかいない。常に水が濁っている環境で生きてきたインダスカワイルカは、明暗を見分ける程度の視力しかない。その生態を見てもらうことで保護を訴えようと、地元の非政府組織(NGO)や世界自然保護基金(WWF)などが05年2月から、南部サッカル近郊で見学ツアーを始めた。これまで訪れた人は約500人。まだまだ少ないが、来訪者のノートには「初めて姿を見て感激した」「環境の大切さを学んだ」と絶賛の言葉が並ぶ。

■見学ツアーの船頭に転身

木造のツアー船「インダスクイーン」を操るのは4人の船頭だ。全員が「モハナ」と呼ばれる漁民から転職した。アブドゥル・ジャバールさん(22)もその一人。10年ほど前から父親を手伝い、ナマズやコイなどを取っていた。WWFで働く友人から船頭を募集していると聞いたのが2年前。カワイルカがわざわざ人に見せるほど貴重なものとは知らなかったが「冒険気分が味わえる」と応じる気になった。

仕事は重労働だ。船に発動機はない。急流では満身の力を込め、何度もさおをさして針路を調整する。上流に向かう時は、船をつないだロープを体に巻いて浅瀬を歩く。蜂に襲われる時もしばしばだ。漁民のころは最低でも月に5000ルピー(約1万円)稼いだが、いまは3000ルピー。軽食屋台の副収入で何とか食いつなぐ。7月には長女ライバちゃんが生まれた。「正直言って割に合わない。でもイルカの保護に役立つことができ、とてもやりがいを感じる」。照れくさそうに笑った。

運河に迷い込んだり漁網に引っかかったりして、カワイルカは激減した。捕獲は禁止されているが、強壮剤の高価な材料として密漁も絶えなかった。保護の目が向けられるようになったのは、ここ数年のことだ。ツアーの現地責任者イムラン・マリクさん(26)は01年から漁村や学校に足を運び、保護を訴えた。「そんな必要があるのか」といぶかった漁民も次第に理解を示してくれた。この5年間で、運河で身動きが取れなくなった約70頭のカワイルカが、漁民の通報で命を救われた。

地元シンド州政府の後押しで03年から、川沿いの農民に化学肥料の削減を呼びかける講習会も始まった。WWFなどが今年実施した調査によると、推定生息数は1331頭。5年前の初調査よりも243頭増えた。地道な努力が実を結びつつあるようだ。「多くの漁民が船頭に転職すれば、結果として漁網に引っかかるイルカを減らすことができる」と、イムランさんはツアーに込められた別の狙いを説明する。来年はツアー船を3隻に増やし、8人の新たな船頭を雇いたいという。賃金の増額が目下の課題だ。

■漁獲量減り、陸へ転職も

鉄橋の下にある中州の端に、船尾が反り返る独特の形をした30隻ほどの木造船が浮かんでいた。どの船も布団や鍋などの生活用品を積んでいる。漁民モハナの「集落」だ。25家族約250人がここを拠点にしているという。「我々モハナは船で生まれ、船で死ぬ。食事も寝るのもすべて船の上だよ。子どもの学校? 誰も行かせてないよ」。リーダー格のモンタズ・アリさん(45)が教えてくれた。

そもそも中州は公有地で家を建てられない。唯一あった粗末なかやぶき小屋の中で、女性たちが竹カゴを編んでいた。人々は浅瀬で取った魚を市場の商人に売って生計を立てる。収入は安定しない。取れる魚の量も以前より減った。船を売り払い、農業や建設作業員に転職する人が後を絶たないという。30年ほど前まで、この中州全体に数千隻の船がひしめいていたというが、いまは300隻ほどを数えるだけだ。「夏は暑いし、冬は寒い。今日からでも陸に移ってちゃんとした家に住みたいよ。でも金がないから、ここに居続けるしかない」とモンタズさんはこぼす。かつて船が泊まっていた中州の水際で、水牛の群れが首まで川につかって涼んでいた。(北川学)


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