亜細亜の街角補足

トンレサップ湖


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2隻のボートが、ゆっくりとこちらに向かってくる。その後ろに引っ張られていたのは、川面に浮かぶ家だった。雨期で水位の上がったトンレサップ川。陸に近い方へ、船に引かれて住宅丸ごと「引っ越し」する。

カンボジアが本格的な雨期に入った7月下旬。トンレサップ川に浮かぶ漁村チュノックトゥルーは、引っ越しの季節を迎えていた。岸の近くに家を落ち着けると、魚の仲買人ソイ・ルンさん(26)は、額の汗をぬぐった。「なんで移動するのかって? 川も湖もどんどん広がるからさ」。トンレサップ川は、カンボジアの中央にある巨大湖トンレサップと大河メコンとを結ぶ。雨期にメコンが増水すると、プノンペンにある合流地点からメコンの水が流れ込み、川は湖に向かって逆流を始める。

逆流は5、6月から10月ごろまで続き、乾期でも琵琶湖の4倍ほどある湖を、その数倍にも広げる。湖への入り口に位置するチュノックトゥルーの村人たちも、湖と川の膨張に合わせ、岸の方に向かって数回の移動を繰り返す。

村の役員を務めるチム・セン・ハクさん(64)によると、今の村は約1400世帯。ポル・ポト政権が79年に崩壊した直後はわずか30世帯ほどだったが、漁に生活の糧を求める人たちが国内各地やベトナムから次々に流入してきた。小船がひっきりなしに行き交う「幹線水路」の両側には、雑貨店から服屋、電器屋、床屋、歯医者、船用の給油所まで浮かぶ。

歯医者のレ・ヤン・チャイさん(37)は、93年に開業した。川沿いの陸の村出身だが「ここには競争相手がいなかったから」。 7軒ほどある電器屋の一番の売れ筋はカラーテレビ。どの家も屋根に大きなアンテナを立て、発電機を使って見る。携帯電話店も2軒できた。ヘン・ニーさん(22)は、はやりの音楽を着信音にインストールするサービスを始めた。店には若者たちが入り浸る。

■競争激化、大型魚が減少

20年前から製氷業を営むサオ・ヒンさん(43)は2年前、川の水を浄化して売る事業に乗り出した。村人たちに、おなかを壊す人が増えてきたのだという。「生活排水やゴミが増え、昔より水が汚くなってきたみたい。環境の悪化は寂しい」と話した。

変化は漁師たちも感じている。タン・ハンさん(54)は、さえない表情で戻ってくる日がほとんどだ。「取れる量は減り続けている。大きな魚はもういないよ。収入も減る一方だ」。政府の統計では、漁獲量はこの10年でさほど変わっていない。だが、大型魚の減少は政府や国際機関、NGOも一様に指摘する。

いくつかの要因が指摘されている。国全体の人口増に伴い、90年代から漁業への新規参入が急増した。水上漁村は湖上だけで大小200近くもあるという。政府は湖や川の多くの部分を占有漁業区とし、区画ごとの漁業権を入札で売ってきた。落札者は期限の2年間に、違法を含むあらゆる手段で魚を取る。

一方、高価な漁業権を買えるのは土地の有力者か大規模漁業者に限られるため、数では圧倒的な零細漁民は限られた公有水面で必死に稼ぐ。こうした状況を受けて政府は00年、占有漁業区の約半分を零細漁民に開放。さらに各地に漁協をつくり「共同体漁業」による資源の管理を打ち出した。

だが「改革」は必ずしも順調ではない。当局の支援態勢が不十分なうえ、漁協に独自の資金もない。川沿いの村の漁協役員は「みんな勝手に取り、違法漁業者の外部からの侵入も後を絶たない。当局は動いてもくれない」と嘆く。

■NGOがルール作り支援

そんな中、NGO「るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ」(松本清嗣代表)が、湖西部の共同体漁業支援で成果を上げている。当局に働きかけて違法漁業を取り締まらせ、漁協内では資源管理のための厳しい規定をつくった。松本代表は「これを各地に広げるには、当局の汚職構造の解消、漁協の活動資金の手だて、国際的な支援の枠組みづくりなど課題は多い」と指摘する。

科学者たちも動き出した。塚脇真二・金沢大助教授らのグループが03年から3年間かけ、川と湖の魚や植物、水質、地形などをつぶさに調べ上げた。「環境の変化を知るには基礎データが必要だが、長年の内戦でそれすらなかった」と塚脇助教授は話す。

カンボジアに恵みをもたらし続けた川と湖はいま、岐路にさしかかっているようにみえる。チュノックトゥルーでも、資力がある人の中には村を去って陸に移る人も出始めた。「でも、わしにはあてがない。昔のトンレサップに戻ってくれることを願うだけだ」。ベテランの漁師が、ぽつりと言った。(貝瀬秋彦)


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