亜細亜の街角補足

インド波紋広げる準国歌


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■インド 独立闘争の象徴、現代版ヒット 波紋広げる「準国歌」 歌9 2006年05月31日

ラクダを連れ、砂漠を歩く村人たち。ターバンを巻いたシーク教徒や民族衣装のチベット系女性の姿もある。オレンジ色と白、緑の国旗を持った子供たちが楽しそうに駆け回る。インド各地の映像をバックに流れるさわやかでポップなメロディー。「バンデ・マータラム(母なる大地よ、あなたをたたえる)」。ジーパン姿の歌手が両手を空に掲げて声を張る。

インド独立50周年の97年、こんなCMがテレビで繰り返し流れた。歌っていたAR・ラーマンさん(39)は「ムトゥ踊るマハラジャ」などの映画音楽で知られる人気音楽家だ。テレビで宣伝したアルバム「バンデ・マータラム」は、100年前に誕生した同じ名の「原曲」をイメージした7曲を収録。国内を中心に日本、米国、英国などでも売られ、100万枚近い大ヒットになった。

インドの母なる大地への敬愛を歌った原曲は、サンスクリット語の4連の詩に、後にノーベル文学賞を受賞したタゴールが曲を付けた。1896年、国民会議派の大会で披露された。「その後、反英国の独立闘争ではこの歌がシンボルになった。私はまだ少女だったけれど、よく覚えている」。ガンジーの非暴力主義を受け継ぐ平和運動家ニルマラ・デシュパンデ上院議員(76)は振り返る。

だが独立後、国歌(ナショナル・アンセム)にはタゴール作詞作曲の「ジャナ・ガナ・マナ(人民の心)」が選ばれた。バンデ・マータラムは「楽団演奏に向かない」との理由で、国歌に準じる「ナショナル・ソング」に甘んじた。イスラム教徒の反対に配慮したとされる。3連、4連目に「母なる大地」をヒンドゥー教の女神になぞらえた個所があった。そのため会議派は37年以降、2連目までしか歌わないことを決めていた。

それから半世紀。この歌を「新曲」でよみがえらせた仕掛け人は、ラーマンさんの高校時代の学友、バラトバラさん(41)だ。経済の中心ムンバイ(ボンベイ)で、ペプシコーラやホンダ、ネスカフェなどのCMを手がけたビデオプロデューサー。独立闘争の闘士だった父の一言がきっかけになった。 「広告は商品のために大きなアイデアを表現する仕事。今度はインドについて、大きな何かをつくったらどうだ」

バンデ・マータラムのことが浮かんだ。「独立闘争を知らない若い世代に、この歌の新しい意味を与えたい。格好良く、インド人だと自信を持てるものにしたい」。若者に影響力のあるラーマンさんを誘った。ビデオの制作で1年以上かけて全国を回り、1分間の映像を200本撮影。ヒンドゥー教、イスラム教、いろんな宗教を信じる人がいる。国土の8割近くは農村。カースト差別も残る。多様な背景を持つ人たちが国旗の下で一つになる。そんなイメージでつくった。97年以来、毎年8月15日の独立記念日の前にテレビでこのビデオが流れる。

■斉唱強制の動き,反発も

 ブームは思わぬ波紋を広げた。「原曲」の斉唱を強制しようとする動きだ。ヒンドゥー教の伝統文化の優越性を強調するインド人民党(BJP)が、その中心にいる。中部マディアプラデシュ州のボパール。県庁舎の講堂に5月1日朝、職員約100人が集まった。「バンデ・マータラム/そこは水に恵まれ/豊かに果物が実り……」。全員で歌う。

同州のBJP政権は昨年6月、毎月1日の朝に州の全役所で斉唱することを決めた。「愛国心を持つ大切さを伝える狙いだ」とサンジャイ・ショクラ県長官は趣旨を説明する。斉唱の強制はBJPが政権を握る地方政府で相次ぐ。98年、ウッタルプラデシュ州が公立学校で義務づけた。ラジャスタン州は03年に公立学校や社会福祉施設で、ムンバイ市も04年、市立学校に義務化した。

BJPの支持団体、民族義勇団(RSS)幹部のラム・マダフ氏は「『新曲』は、バンデ・マータラムというマントラ(呪文)復活に大きく貢献した」と認める。だが、イスラム教徒を中心に反対の声がやまない。ウッタルプラデシュ州では義務化の撤回に追い込まれた。全インドムスリム法律委員会のモハンマド・カスミ副委員長は「アラー以外をたたえるのはイスラムの教えに反する。これは愛国心養成の名目で、ヒンドゥー至上主義を推し進める動きだ」と批判する。

無所属のデシュパンデ上院議員は「独立闘争ではヒンドゥーもムスリムも、多くが詩の深い意味を知らずに歌っていた。でも今、政治的に利用するのは問題だ」とする。 多様な宗教と文化、民族が共存するインド。それゆえに問題も抱える。結局、インドとは、愛国心とは――。

バラトバラさんはこう答える。「インドは歴史的に(イスラム王朝や英国の支配など)多くのことを経験してきた。今では古い伝統と現代的な面を併せ持つ。この国の強さの基礎には、多様なものを調和させる何かがある」(小暮哲夫)


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