亜細亜の街角補足

靖国問題


■小泉首相の靖国参拝の言い分

■太平洋戦争は自衛上の戦争?

■政教分離との関係

戦前,靖国神社は軍国主義の精神的支柱としての役割を果たし,国民を戦争へと総動員した歴史的反省の上に政教分離が憲法で定められた。しかし,首相の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反するのではないかという疑念に対して司法は基本的な判断を下していない。

1975年の三木首相が戦後の首相として初めて終戦記念日に靖国神社に参拝した。政府は公用車を使用しない,玉ぐし料は公費で出費しないなど4つの条件を挙げ,「参拝は私的なもの」として扱おうとした。すなわち「私人としての参拝」と「公人としての参拝」の分け,前者は信教の自由にあたるが,後者は政教分離の制約を受けるとの論理である。

1985年の中曽根首相は「私人」「公人」の枠組みを残しつつも,@戦没者の追悼が目的A本殿または社頭で一礼する方式での参拝は首相での資格でも違憲ではないと解釈を変える。中曽根首相はこの年の終戦記念日に公式参拝に踏み切り,小泉首相もこれを踏襲したものだ。

首相の参拝は憲法違反ではないかという訴訟がいくつも提起された。下級審の判断は分かれたが,公式参拝については「違憲」「違憲の疑いがある」という判決がいくつも出ている。これに対して最高裁は憲法判断に踏み込まず原告の訴えを退けた。首相の参拝が原告一人ひとりの具体的な権利を侵害したわけではというのがその理由だ。

■昭和天皇の発言メモ

■なぜ靖国神社なのか


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