亜細亜の街角補足

ケマル・パシャ・アタチュルク


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■本文

第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国はセーブル条約により旧オスマン帝国領土の全面分割が決められた。現在のトルコ共和国の領土のうち,
(1) ボスポラス海峡のヨーロッパ部分および海峡は連合国の共同管理
(2) ギリシャ人の住むアナトリアのスミルナ(イズミル)地区はギリシャに割譲
(3) アラブ人の住む地域のうちシリアはフランスの委任統治とする
(4) パレスチナとメソポタミアはイギリスの委任統治。とする
(5) トルコ地区に住むクルド人は1年後独立を前提に広汎な自治を認める
(6) アナトリア東部地区はアルメニア人の独立国樹立を認める
というもので国土の大半を失いかねない事態に直面していた。この国難を救済したのがトルコ共和国建国の父と呼ばれる「ケマル・パシャ・アタチュルク」であった。彼は国土の保全を求めるトルコ勢力の指導者になり,アンカラにトルコ大国民議会を組織して抵抗政府を結成した。ケマルを総司令官とするトルコ軍はアンカラに迫ったギリシャ軍に勝利し,翌年にはイズミルを奪還して、ギリシャとの間に休戦協定を結んだ。これにより連合国はセーヴル条約の履行を諦め,新しい講和条約の交渉を通告した。

■「歴史ぱびりよん」サイトにある小説ケマル・パシャ・アタチュルクへのリンク

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