チベット文化圏に属するスピティ地域
インド最北部はチベットと接しており国境線がまだ確定していない地域(係争地域)がいくつかある。問題の一つはチベット文化圏がインド側にも広がっていることである。現在の主要な国境線は英国のインド統治時代に引かれたもので,中国は民族や文化を基準にするとそのような国境線は不条理であると事あるごとに主張し,ときには武力衝突も発生している。カシミール地域の領有権をインドを争っているパキスタンは共通の利害が重なり,伝統的に中国と親密であり,双方の実効支配地域に国境紛争はない。
インドのチベット文化圏としてはラダック地域が有名であるが,ラダックの東南部に位置するスピティ渓谷地域にもチベット文化圏は続いている。この地域はサトレジ川とその支流のスピティ川,それにベアス(Beas)川に囲まれている。スピティ地域の中央部を北東から南西に向かってヒマラヤ山脈が走っており,その東側がチベット文化圏に属している。
サトレジ川は遠く西チベットのカイラス山付近に源流があり,そこはインダス川,ヤルツァンポ(ブラマプトラ)川などアジアを代表する大河の源でもある。ベアス川はアムリトサルの南側でサトレジ川と合流し,サトレジ川はインダス平原でインダス川に合流している。南東部のチトクル村はヒマラヤのふところに抱かれたようなところで,峠を一つ越えるとそこはガンジス川源流部の聖地である。
チベット文化が今に残されている
スピティ地域はサトレジ川沿いの交易路によりチベットと結ばれており,文化的にも民族的にもチベット文化圏に属している。もっとも,中国のチベット支配により多くのチベット文化を代表するゴンパ(チベット寺)は破壊されてしまった。さらに漢人が移住してきており,チベットにおいてもチベット人は少数民族になってしまっている。チベット鉄道が開通したので,このような傾向は加速されることであろう。
悲しいことだがチベットの文化を見るのなら,チベットの辺境もしくはインド国内のチベット文化圏のほうが適しているのかもしれない。2004年の夏にダラムサラからマナリを経由してレーに向かった。そのときはレーへの道が不通の場合は代替案としてスピティを訪問する計画であった。スピティ地域は一度は訪問したいと思っているが,未だ実現しておらず,僕にとっては見果てぬ夢となっている。
スピティ地域の見どころ
地域の拠点となる町には時計回りにシムラ,マナリ,タボ,レコン・ピオ,サラハンなどがあり,安宿もそれなりに整備されているようだ。バスは少なくともシムラからタボまでは問題なくある。タボからマナリの区間は情報がない。マナリからレコン・ピオンまでの東半分のルートはラダックと同じような雄大な風景が楽しめるようだ。
夏も良さそうだが春や秋のように雪がある時期の風情も捨てがたい。氷雪を頂いた山やお花畑のように自然の美しいところはキャンプ場になっておりツアーに参加すればそのような風景を楽しむこともできる。
チベット文化の見どころはゴンパと呼ばれるチベット寺院である。ゴンパはなぜか人里離れた山の上にありメインのルートからは歩くかタクシーを利用しなければならない。主要なものとしてはキー・ゴンパ,ダンカル・ゴンパ,タボ・ゴンパなどがある。もっともほとんどの村には大小のゴンパがあるようだ。
峠にはチョルテン(仏塔)が置かれ,タルチョ(経文を印刷した旗のような布)がはためいているという。村や集落にはラダックであったような元気な子どもたちもおり,機会があればぜひ訪問したいところだ。インドの辺境地域のためスピティに入るにはパーミッションが必要である。ルートの途中に何ヶ所かのチェック・ポストがありパスポートとパーミッションがチェックされる。パーミッションそのものはシムラやサラハンで簡単に取得できるようだ。