亜細亜の街角
陽光に輝く渡嘉志久の海の色に感激する
Home 亜細亜の街角 | 沖縄・渡嘉敷島|Nov 2013

けらま荘は朝食付きである

この民宿は朝食付きであり,1階の食堂で正しい日本の朝食をいただく。昼食のパンを持って出かけると夕方まではなんとかなる。

今日は島の南端に行ってみよう

今日の計画は渡嘉敷島の最南端まで行くことにする。片道3kmのちょっと長い散歩となる。

今にも降り出しそうな空模様だ

08時に朝食をいただき,08時30分に出かけようとすると雨が降っている。いちおうカサはもっているものの,さすがに雨の中を歩きたくない。部屋に戻って09時まで待つと雨が上がったので出発する。空模様は今にも降り出しそうな頼りない状態であった。幸いなことに日中は雨にはならなかった。2日間とも夜間に降って,朝に上がるというパターンとなり,ともあれ日中の活動には支障なかった。

サキシマフヨウ(アオイ科)

サキシマフヨウ(Hibiscus makinoi,アオイ科・フヨウ属)は八重山の11月を飾る花である。ここは八重山ではないが,それでも道路わきにこれでもかというくらいたくさん見かけた。

原産地は南西諸島であり,沖縄全域に分布しているようだ。10-12月が花の時期で彩りの少なくなった冬期の野山に艶やかな花がよく目立つ。

花の色は白から薄いピンクまでの幅があり,日当たりのよい場所のものはたくさんの花を付ける。僕には本土に分布する同属の「フヨウ」と区別はつかないが,沖縄にたくさん自生しているものはサキシマフヨウと判断した。

サキシマフヨウのめしべ

フヨウの仲間であるため,めしべの柱頭は上に曲がっている。ほんのりとピンク色が浮き出ているような花弁はとても艶めかしい。

リュウキュウマツ

確信はないがこの枝ぶりはリュウキュウマツ(リュウキュウアカマツ,Pinus luchuensis,マツ科・マツ属)であろう。南西諸島に分布する松であり,本土では内陸部にアカマツ,海岸近くには耐潮性の強いクロマツと棲み分けができているが,南西諸島ではリュウキュウマツが独占種となっている。とはいうものの,本土から侵入したマツクイムシの被害と,山林の開発により枯死するものが多く出ている。

道路下のクバの木を上から眺める

クバの木を上から見る機会はそうそうない。道路下にクバの木があったので上からの記念写真を撮る。

クサギなのかな

道路から少し離れているところに咲いていた。花の様子はイボタクサギに似ているが,背が高いし,花の付き方もずいぶん多いのでクサギ(Clerodendrum trichotomum,シソ科・クサギ属)であろうと判断した。もう少し花のアップの写真があれば判定できたかもしれない。 日本では北海道から琉球列島まで分布ししているが,沖縄ではほとんどが変種のショウロウクサギ (C. trichotomum var. esculentum)となっているのでおそらくそれであろう。

■調査中

■調査中

てっとり早く上に向かう

付着根で真っ直ぐよじのぼるつる性植物,若い茎はサトイモ科のものに類似,葉には光沢がある,これだけ特徴があっても種は特定できない。

イノシシ捕獲器

森の多くの場所にイノシシ捕獲器が仕掛けられていた。日本にはニホンイノシシとリュウキュウイノシシが棲息しており,どちらもイノシシの固有亜種とされている。リュウキュウイノシシはニホンイノシシより小さく,体長は90-110cm,体重20-70kg程度である。

渡嘉敷島ではイノシシは棲息していなかったが,肉用に飼育されていたものが2006年に小屋から逃げ出して繁殖し,イモやユリの畑を荒らすなど農作物への被害が相次いでいる。このイノシシがニホンイノシシなのかリュウキュウイノシシなのかは不明である。それでも体重が100kgクラスのものが捕獲されているのでニホンイノシシの可能性が高い。

渡嘉敷村では島内に200匹はいるとみて捕獲器を設置しているが効果は出ていない。島の生態系への影響や,人に危害を加える恐れもあり対策が望まれている。

アダンの大きな茂み

11月になると沖縄でもススキが見ごろとなる

オキナワハイネズ

この植物は渡嘉敷村公式サイトに「渡嘉敷に伝わる幸福の木」として次のように掲載されている。

低木で主幹は地面を這い,立ち上がったりして1m程度にななる。枝の先端はとがっていますが,さわっても痛くない。伊豆七島から琉球列島にかけて分布し,沖縄本島,伊平屋,伊是名などにも自生している。

渡嘉敷には次のようなふるい民話がある。その昔,中国貿易に出かけた船がしけにあい,危うく遭難しかけました。そのとき,傾いて転覆寸前の船が岸に生えていたヒッチェーシ(オキナワハイネズ)の枝で支えられ,危うく難を逃れたという。それ以来,「かりゆしの木」として大切にされるようになり,多くの家の石垣の周辺に植えられ,あちらこちらで見られるようになった。特に渡嘉敷では人気のある樹木で,小さな石を積み上げた石垣に生えると石垣は強度を増し,台風などから家屋を守ってくれている。

展望台より|ゴールは近い

渡嘉敷島の南端近くの展望台から南を眺望する。ゴールはかなり近くなったという感じがする。このとき,僕は写真の先端まで行けると考えていたが,実はそこは陸続きではなく,5mほどの狭い水路で分断されていた。この展望台の周辺は上記のオキナワハイネズの大群落になっていた。

ここが道路の終点

道路の終点は駐車場となっており,トイレも整備されていた。その横には写真のような展望台がある。しかし,あいにくの天気であり,景色をゆっくり眺める余裕はない。

渡嘉敷島の南端はあと300mほど先であり,そこには7000年前の「船越原遺跡」があり,爪型文土器やヤブチ式土器,曽畑式土器が出土している。爪型文土器は土器の表面全体に爪の模様が施された深鉢形の土器であり,沖縄本島各地にも分布しており,渡嘉敷島で発見されたものが最古のものとなっている。(渡嘉敷村公式サイトより)

南端近くの東海岸

駐車場と展望台のあるところは島の幅が300mほどしかなく,少し移動すると東海岸と西海岸を見ることができる。どちらの海岸にも同じ程度の砂浜があり,どちらも砂浜まで緑が進出している。

南端近くの西海岸

■調査中

グンバイヒルガオ

自分のサイトの中で「グンバイヒルガオ」を検索してみると沖縄旅行記だけで7件がヒットした。おそらくアダンやクバを除くともっとも頻繁に出てくる植物である。グンバイヒルガオ(軍配昼顔,Ipomoea pes-caprae,ヒルガオ科・サツマイモ属)は世界中の熱帯から亜熱帯の海岸に広く分布する海浜植物である。

沖縄では「アミフィーバナ」または「ハマカンダー」と呼ばれ,海岸近くに一面のみごとな群落を形成する。葉は先端に浅く切込みが入る楕円形であり,これが軍配に似ていることが名前の由来となっている。

グンバイヒルガオの戦略はほふく前進である。1ヶ所でしっかり根を下ろし,そこから周辺に茎を伸ばし,生息範囲を広げる。

正面は渡嘉敷島と狭い水路で分離されるウン島

西海岸の南端は大小の石だらけの海岸となっている。渡嘉敷島は隆起サンゴ礁の島ではないので基盤岩が海食や風化によりこのような石になったのであろう。琉球石灰岩の海岸風景を見慣れている僕にはちょっと異様な光景に写った。

二枚貝の群落

この密集した二枚貝は糸満の海岸で見たものと同じであろう。岩がまったく見えないほどに密集している。ヘリトリアオリガイ(Isognomon acutirostris,マクガイ科)は潮間帯の岩場に密集して付着する。

足糸孔から丈夫な足糸を何本も出して体を岩に固着させ,人間がつまんで引きはがそうとしてもびくともしない付着力をもっている。他の多くの二枚貝類と同様に濾過摂食であり,潮の流れにより運ばれてくるプランクトンを水ごと吸い込み,濾し取って摂食する。

ここが渡嘉敷島の南端

西海岸を南に進んでいくとウン島との間の水路に出た。ここが渡嘉敷島の南端である。水路の幅は5mほどであるが水深はありそうなので先には進めない。

水面から1m位のところに貝が付着している

ここの岩場の窪みや割れ目にはたくさんの巻貝や二枚貝が棲み着いている。やはり,現在の水面からは1mほど高いところであり,阿波連の北側ビーチの岩場と同じ状況である。海の潮の満ち引きによりこの高さまで水が来るのだろうが,月に何回かではどうやって採餌や繁殖をするのか不思議だ。もっとも海岸の岩場の貝の仲間には塩水が苦手という種もいる。

海岸で拾い集めたもの

海岸にはたくさんものが落ちているのでコレクションを作ってみた。中央の小さな穴の開いたものはウニの殻である。トゲはすっかり無くなっており,このような姿になっている。

イシサンゴ

キクメイシの仲間であろう。イシサンゴの構造がよく分かるのでサンプルとして登場してもらった。サンゴ礁を形成するイシサンゴは,刺胞動物門>花虫綱>六放サンゴ亜綱>イシサンゴ目>キクメイシ科>キキメイシ属のように分類される。この分類の意味するところはイソギンチャクやクラゲの仲間で,胃は隔壁により6の倍数で分割され,石灰質の外骨格をもった動物ということになる。

キクメイシはポリプと呼ばれるイソギンチャクに似たサンゴ虫の群体である。キクメイシは大きなものになると直径1mを越えるが,その中に棲息しているポリプはすべて同じ遺伝子をもっている。

最初はたった一つのポリプが地底に着床し,その後は無性生殖(分裂)により数を増やしていった結果がキクメイシになる。つまり,一つのキクメイシはたくさんのクローン・ポリプの共同住宅のようなもので,ポリプが増えると新しい部屋(石灰質の外骨格)を自分で増築していくようになっている。

ポリプの個室にあたるものが莢(きょう)であり,写真では多角形で囲まれた部分である。この莢(きょう)の中にポリプが入っており,採餌の時以外,ポリプは莢(きょう)の中に身を隠している。

採餌の時はポリプを伸ばし,その先端の触手でプランクトンなどを捕獲し,中心部の口に運ぶ。このときの生態はイソギンチャクと同じである。触手の数もやはり6もしくは6の倍数となっている

ポリプが莢(きょう)から頭を出すもう一つの場面がある。それは他のサンゴと接近した場合である。お互いにポリプを伸ばすと触れ合うくらいの距離になると,触手に付いている刺胞を使って相手を攻撃する。このときはサンゴが刺胞動物であることが分かる。

ポリプの下部はほとんどが消化器であり,その胃袋は隔壁により6の倍数で仕切られている。胃袋などは一つにしておいてもなんら支障はないと思うが,仕切りを設けるのがイシサンゴの生き方なのだ。

ミドリイシの構造とは関係ないが,ポリプには開口部は一つしかない。そのため,プランクトンを捕食するのも,消化されなかったものを排出するのも,バンドルと呼ばれる卵と精子の固まりを満月近くの夜に一斉に放出するのも同じ開口部からである。

写真では中心から放射状に伸びた隔壁により莢(きょう)が分割されているのが分かる。この隔壁も石灰質からできているので,ポリプが死滅しても莢(きょう)とともに石のようになって残る。

ノウサンゴ(Brain coral)

表面の模様が人間の脳に似ていることからこのような名前が付いたのだろう。あまり気持ちの良いものではない。

ノウサンゴ(Platygyra lamellina)はキクメイシ科・ノウサンゴ属のれっきしたイシサンゴの仲間である。通常のイシサンゴは一つひとつのポリプを仕切るように外骨格を作るので分かりやすい。ノウサンゴの仲間は莢(きょう)が分かりづらいのでこのような連続した模様に見える。

■調査中

クロナマコ

ナマコは棘皮動物(ウニ,ヒトデ,クモヒトデ,ナマコなどが含まれる)の仲間である。「棘皮」とは棘のある硬い皮をもつという意味であり,本来はウニを対象にして付けられた名前である。ナマコは棘も硬い皮(殻)ももたないが,皮膚の中には細かな骨片をもっている。

刺胞動物(サンゴやイソギンチャクの仲間)は固着性であり,着床後はほとんど移動することはないが,棘皮動物は管足(かんそく)という多数の伸び縮みする器官を使用して移動することができる。ナマコ,ウニ,ヒトデは体の下側に管足をもちゆっくりと移動する。たくさんの棘を生やしたウニも棘の間から管足を伸ばして移動する。

ナマコの仲間は世界に1500種おり,日本では200種が見られる。姿かたちからとても食用にはなりそうもないが,日本では1000年以上も食料にしている。中国では干しナマコは珍重されており,江戸時代以降は日本からの重要な輸出品となっている。

食用にしているのはマナマコであり,体色は赤,黒,緑のものがある。写真のクロナマコは完全な黒色ではない。これは天敵から身を守るため砂や泥を体に付けているかららしい。

もし,完全に黒いナマコを見つけたら,それは「ニセクロナマコ」だと思ったほうがよい。こちらは有毒なので食用にはできないし,あまり刺激するとキュビエ氏器官とよばれる粘着性の高いソウメンのようなもの(無毒)を肛門から出すので要注意である。

午前中なので東海岸の海の色は西側とは異なる

琉球石灰岩の奇岩が砂浜を分けている

琉球石灰岩のポットホール

ポットホールとは一般的に河川の基盤岩に開いた円形状の穴であり,深いものは数十cmにもなる。ポットホールは川の流れが小石を動かしてできるものであり,wikipedia には次のように生成過程が説明されている。

河底や河岸の表面が硬い場合,表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による浸蝕のためにくぼみとなる。このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。

琉球石灰岩の場合は炭酸カルシウムでできているため,物理的な作用だけではなく酸性の雨などにより化学的な溶食が起きる。雨は大気中の二酸化炭素を溶かし込んでいるため弱酸性となり,石灰岩を少しずつ溶かしていくので,ポットホールの元になる窪みが出来やすい。その窪みに小石などが入り,波によって激しく動かされるとポットホールに成長する。

いったいどこに土壌はあるのかな

石灰岩の上にアダンが密生している。土壌と呼べるものは岩の上にはなく,いったいどうやって成長するのか不思議な感じを受ける。

守りの体勢になったヤドカリ

海岸を歩いている少し大きめのヤドカリがいた。つまみ上げると体を貝殻の中に入れ,挟脚で前面を塞ぐ防御態勢をとった。貝殻の入り口部分は見事に塞がれている記念写真となる。

スナヅル

海岸の近くに不思議な植物が地面を覆っていた。スナヅル(Cassytha filiformis,クスノキ科・スナヅル属)は海岸の荒地や砂浜に生育するつる性の寄生植物である。中国南部,中南米に分布しており,日本では小笠原諸島,九州南部,南西諸島に自生している。外観的によく類似しているものにネナシカズラがあり,こちらはヒルガオ科のつる性寄生植物である。

光合成は行わず,寄生した先の根から養分を摂る。日本では主にグンバイヒルガオやハマゴウ等の海浜植物に寄生する。ここのものは大きさ6-7mm,淡黄色の小さな球形のものを付けており,これはおそらく実であろう。

阿波連ビーチの岩場を歩いてみる

南端の探検を終えて阿波連ビーチの北側の岩場を歩いてみた。手前の大岩と背後の岬との間は未探索エリアである。

巨大な流木が打ち上げられている

巨大な流木が打ち上げられていた。一様な太さの幹と中心部の様子から判断するとココヤシであろう。それにしても太い,直径は50cmはゆうにあるだろう。ココヤシの幹はせいぜい20cmほどのイメージであるが,インドネシアのロンボク島で木材として加工されていたものは直径40cmほどで,真っ直ぐであった。この流木のサイズはココヤシとしては最大級であろうが,ありうる大きさである。

展望台のある岩も海食されている

展望台のある岬も海食の影響を受けており,小さな洞窟がいくつかできていた。

夜のオカヤドカリ探検

滞在2日目の夜はもう一度クバ林にオカヤドカリの探検に出かけた。昨夜はあった落ち葉の山はすでに無くなっており,周辺を照らすといくつかの個体を見ることができた。そういえば,南端探検から戻ったとき,道の横の水路を整備するために重機が入っていたことを思い出した。

夜のヤドカリ探検

夜半に雨が降ったために・・・

夜半にけっこう強い雨が降り,移動日の朝の天気は回復傾向にあった。那覇に戻るフェリーの時間は15時30分であり,民宿の帳場を担当している人は「出発まで部屋を使っていてかまいませんよ」というありがたいサービスであった。それならば午前中は渡嘉志久ビーチに行ってくることができる。

昨日とは反対側の道を上っていくとアスファルトの道路にイモリがたくさん出ていた。アカハライモリ(ニホンイモリ)だろうと思っていたらまちがいであった。沖縄に棲息しているのは別種の尻圏イモリ(Cynops ensicauda,イモリ科・イモリ属)であった。

シリケンイモリは奄美諸島から沖縄本島,渡嘉敷島にかけて棲息しており,沖縄のものはオキナワシリケンイモリという亜種となっている。尾の先端が尖り,剣のように見えることが和名の由来である。背面は黒や茶褐色,腹面はオレンジ色や黄色となっており,背面には淡黄色の斑紋が入るものが多い。

普段は湿度の高い林床や側溝などにいるが,ある程度の雨が降ると道路に出てくるという。ただし,体内にテトロドトキシンという毒素をもっているので素手で触るのは避けた方がよい。

開発による生息地の減少,道路脇の側溝による生息地の分断,側溝に落下して出られなることによる死亡,交通事故,ペット用の乱獲などにより生息数は減少している。しかし,保護動物とはなっておらず,この日に道路上で見かけた個体数からすると,生息数は問題ないように思える。渡嘉志久までの道では交通事故と側溝への転落が目に付いた。

オキナワシリケンイモリはペットとしても人気があるようで,検索するとペットショップの情報がたくさん出てくる。歩いているときこのイモリを容器に入れて集めてる人を見かけたが,もしかしたら販売用であったかもしれない。

渡嘉敷村森林公園

1kmほど上って行くと枝道の先に簡易水道施設があり,そこから森林公園に下るローラー式の滑り台があった。これはずいぶん長く,100mほど下ることになる。現在は使用禁止となっている。滑り台に沿って下って行くと森林公園に出る。ここにはログハウスと広場がある。周辺は林になっており「ハブに注意」の看板がある。

この滑り台は遊具の広場まで続いている

戦跡碑

沖縄本島に米軍が上陸を開始したのは4月1日のことであった。それに先立ち,3月26日に米軍は沖縄侵攻のための泊地や水上機基地などを設置するため座間味島と渡嘉敷島などに上陸している。日本軍は地上部隊を配備しておらず,海上支援部隊が軽火器で応戦することになった。

米軍は29日までに慶良間諸島を占領した。その過程で追い詰められた島民394人が自決している。また,日本軍将兵530名が戦死し,121人が捕虜となっている。この史実を後世に伝えるためこの碑が建立されたのであろう。同じような慰霊碑は島の東側にもあり,白玉之塔と呼ばれている。

この道は峠を越えて渡嘉敷港に続く

道は渡嘉敷島の背骨となっている山を越えて東側にある渡嘉敷港まで続いている。その手前に渡嘉志久ビーチに下りる道が分岐している。この道を下って行くと,阿波連と同じようにオキナワシリケントカゲが道路上で犠牲になっていた。

渡嘉志久ビーチに着くころには晴れ間が出てきた

ありがたいことに,渡嘉志久ビーチに着くころには晴れ間が出てきた。この海岸は西に面しているため午前中の光で南国の海が輝いていた。慶良間ブルーはもう少し沖合の青のことであるが,浅い砂地の海の色のグラデーションも感動的であった。沖縄旅行の最終段階でこのような海を見られたことはラッキーであった。

白い砂と青い海の風景

ちょっと高い東屋からビーチを眺める

海岸には少し高くなった東屋があり,ここから4分割して海の写真を撮った。ビーチからの写真では分からないが,航空写真では周囲の海岸線から500mほど奥まった湾状の地形となっており,海岸線からサンゴ礁の影が湾の中央部に向かって伸びている。

右から順番に撮影する・その1

右から順番に撮影する・その2

右から順番に撮影する・その3

右から順番に撮影する・その4

小さなヤドカリと遊ぶ

国立沖縄青年の家・海洋研修所

海岸から少し離れている巣穴

ビーチから少し離れたところにでは地面に丸い穴がたくさん開いていた。このような巣穴をもつ動物はオカガニであろう。しかし,渡嘉敷島にオカガニが棲息しているのだろうか。

ネットで「渡嘉敷島 オカガニ」で検索してみてもそれらしい情報が得られない。その中で画像を見ていくと渡嘉志久海浜公園のものがあり,このたくさんの巣穴はオカガニのものだと分かった。

ネット上には池間島(宮古)のオカガニの産卵がニュースになっていた。おそらく,海浜公園のオカガニも6月には産卵のために渡嘉志久ビーチを目指すのだろう。

イノシシの捕獲器

さすがに晴れると気持ちが良い

渡嘉志久ビーチとのお別れショット

紅一点

沖縄ではもっとも一般的なオールドタイプのハイビスカスは生垣にもなっているし,このように半野生化しているものもある。

クバの木が青空に映える

阿波連のクバの林

阿波連のクバの純林ともお別れ。2日間に渡り夜間のオカヤドカリ探検を楽しませてもらった。

渡嘉敷港に送っていただく

宿に戻り一休みしてから渡嘉敷港に送っていただく。オフシーズンとはいえ,出発日の半日延長サービスのおかげで晴れの渡嘉志久ビーチを見ることができてラッキーであった。

フェリーとかしきのシンボルはザトウクジラ

冬場になると慶良間諸島の海域に回遊してくるザトウクジラはダイビングと並び慶良間観光のもう一つの重要な要素となっている。ザトウクジラは夏に北極周辺の海域で食べられるだけ食べ,冬場はほとんど採餌することなく,出産・繁殖・子育てに専念し,春になると再び北極周辺に戻る。この9000kmを回遊する偉大な旅人を暖かく見守っていただきたい。

岩礁とつながっているような錯覚をうける

移動日の晴れは本当にありがたかった

このように小さな塊が集まっている雲は高積雲,巻積雲などと呼ばれ,秋の雲とされている。一般的には雲の大きさ,集合体からうける印象により,ひつじ雲,さば雲,いわし雲,うろこ雲などの名前が付いている。今日の雲は塊が大きいので「ひつじ雲」にしよう。

渡嘉敷島とお別れ

前島が近づく

黒い雲のすき間から光が差し込む

フェリーに乗っている間に渡嘉敷島の方角に黒い雲がかかり,通り雨が降ったようだ。雨が上がると雲の切れ間から光が差し込みとても良い感じとなった。

どこかの島に向かう

泊港が近づいてくる

那覇で2泊してあとは自宅に戻ることになる。初めての沖縄旅行で自分なりに沖縄の自然,歴史,文化を理解できたと思う。特に感じたことは沖縄は本土よりずっとアジアに近いということだ。沖縄の自然や文化の基調は黒潮文化圏のものであり,アジアをずっと旅してきた僕にとって沖縄はまさにアジア旅の延長線上にあった。


沖縄・渡嘉敷島1   亜細亜の街角   那覇経由成田空港