亜細亜の街角
米原のヤシ林と川平湾の絶景を楽しむ
Home 亜細亜の街角 | 沖縄・八重山諸島・石垣島|Oct 2013

今日のプランは米原と川平湾である

この日ははバスターミナル(08:30,米原キャンプ場線)→米原ヤシ林(徒歩)→米原ビーチ(12:28,米原キャンプ場線)→川平湾(徒歩)→底地ビート(徒歩)→川平湾(17:20,川平リゾート線)→バスターミナルと移動した。

本数の少ないバスを3回利用するのでバスを逃すとアウトである。幸い東運輸のバスターミナルでは石垣島・路線バス運行時刻表をもらえるので,これをもとに計画を立てることができる。バスで島内を回ろうとする人にとってはこの時刻表は必需品である。

米原のヤエヤマヤシ群落で降ろしてもらう

米原キャンプ場線は石垣市内を循環して島の中央部を縦断して米原に出る。そのため,米原までの所要時間は約1時間となる。この路線はパンナ岳の東側を通るので,パンナ公園までは直線で2kmほど離れており,さすがに公園行きには利用できない。

米原のヤシ林入り口はバス停になっているので,ブザーを押すと止まってくれる。ここは県道79号線で立派な案内標識が立っている。

ユニークなシーサーが出迎えてくれる

日ざしがあるのでハイビスカスの色が鮮やかだ

ハワイアン系の園芸種であろう。南国の陽光の下で鮮やかな色彩であり,このような花に出会うとついつい写真にしてしまう。

丘の中腹にヤシ林が見える

ヤエヤマヤシの群生地は県道から500mほど内陸に入った丘の斜面に広がっている。近づいて行くと独特の形状をしたヤシの葉が丘の中腹に見える。この丘は桴海於茂登岳と呼ばれており,本家の於茂登岳はここから南西に2kmほどのところにある。

稜線にもヤシのシルエットが続いている

丘のふもとはサトウキビ畑になっており,よく吠える犬のいる土産物屋のところからサトウキビ畑の道に入り,ヤシの雰囲気が出ているポイント探す。

入り口周辺には何軒かのジュース屋が営業している

ヤシ林の入り口には何軒かのサトウキビジュース屋が営業している。適当な長さに切ったサトウキビの茎をローラーの間に挟んで絞ると搾り汁が出てくる。これを布で濾して,そのままサトウキビジュースとして出してくれる。さわやかな甘みは暑い気候に似合う飲み物である。インドや東南アジアでは定番の飲み物であり,僕もしばしば氷無しのもので喉を潤している。

森のイメージがそのままになっている

ヤシの群落に向かう石段の道の両側は原生林のままであり,貴重な自然を観察する良い機会である。照葉樹の林床は上層の葉で日光が遮られて薄暗い空間となっている。八重山の御嶽の多くはこのような雰囲気をもっており,ちょっとどきどきしながら上って行く。照葉樹に混じってヤシの仲間のクロツグが株のような幹から大きな葉柄を伸ばしている。

ギランイヌビワの大木

石段のすぐ横に大きなギランイヌビワ(Ficus variegata Blume,クワ科・イチジク属)の木がある。その前にはプレートがあり,この木の説明がある。属名はイチジク属であるが学名を英語読みしたフィカス属でも通用する。

イチジク属は熱帯地域を中心に世界で800種が知られており,日本では本州から南西諸島に16種が存在している。その中で沖縄でよく見られるものにはガジュマル,イヌビワ,ギランイヌビワ,アコウ,オオイタビなどがある。

無花果と表記されるようにイチジク属の果実はとても変わっており,花が咲かずに突然果実ができるように見える。沖縄で見られるものではイヌビワ,ガジュマルは花序を枝先につけるが,アコウやギランイヌビワでは太い幹の樹皮から短い枝が出てそこに花序がつく(幹生果)。幹に直接果実が付いている光景はとても奇異に感じるが,熱帯地域を歩いていると非常にしばしば目にすることになる。ギランイヌビワは珍しい幹生果を観察できる貴重な植物である。

イチジクの仲間は枝から気根を伸ばし,地面に着くと新しい幹のように成長し,複数の幹が一つの木を支えるという特異な樹形となる。不思議な能力のせいなのか,インド圏にはガジュマルに類似したインドボダイジュとベンガルボダイジュが地域の聖木とされていることが多い。沖縄でもガジュマルはそのように扱われるのか,御嶽にはしばしば見られる。

ギランイヌビワは成長すると板根を発達させる。ここのものはそれなりに確認することができる。太い幹に果実が付き,板根が発達していたらギランイヌビワと判断することができる。

クロツグの群落

クロツグは光の少ない林床で群落を作っている。クロツグ( Arenga engleri Becc,ヤシ科・クロツグ属)はヤシの仲間の常緑性低木である。茎はほとんど隠れて見えず,そこから複数の3mほどにもなる長い葉柄が束になって伸びる。

ヤエヤマヤシ

ヤエヤマヤシ(Satakentia liukiuensis (Hatsushima)は八重山固有種のヤシ科の高木であり,高さ15-20m,直径20-30cmになる。

現在では種子から苗木が作られ,多くの場所で街路樹となっているが,八重山でも自生地は石垣島の米原,西表島の干立と仲間川の3か所しかない。1属1種かつ近縁種が見当たらないという特殊な植物がどうして八重山の3か所にだけ自生しているのかと素朴な疑問が生じる。

しかも,ふもとのサトウキビ畑から見て分かるように,成長すると周囲の森の樹冠から突出してしまう。ヤエヤマヤシの成長点は幹の上部に1か所しかなく,そこが損傷されるとそれ以上は成長できない。

これは台風の通り道となっている八重山では致命的な弱点であり,少なくとも幼木は森の中でないと生育することは難しいだろう。実際,ヤエヤマヤシの街路樹の中には成長点が折れたり,幹そのものが折れてしまったものをよく目にする。

こう考えるとヤエヤマヤシは八重山の在来植物とは思えない。何か人為的なものが介在しているような気がする。しかし,人間にとってヤエヤマヤシは他の有用なヤシと異なり植物繊維と木材以外の価値はなく,食料の足しにはならない。そのようなものを昔の人がわざわざ植える理由は見当たらないので,やはりヤエヤマヤシは謎の植物である。

幹は平滑で環紋がある。この環紋は古い葉柄の脱落痕であり,1年に2枚の葉が新たに芽吹くので2本が1年に相当する(と地元の人が教えてくれた)。ここにあるものは樹齢200年を越える老木である。

遊歩道の最後は群落地のところで終わっており,その周囲にたくさんのヤエヤマヤシの高木が立ち並んでいる。普通に写真を撮ると幹しかフレームに入らないので,場所を選んで真上の写真にする。ヤシが群生している雰囲気がよく分かる。

幹に横方向の筋(環紋)があるのが分かる

この環紋はヤエヤマヤシの年輪のようなもので,1年に2段分成長する。1段4cmとすると1年で8cm,20mになるには250年かかる計算である。(本当かな?)

オオタニワタリ

オオタニワタリはチャセンシダ属(Asplenium)を代表する着生のシダ植物である。属名となっているアスプレニウムは約700種が知られており,熱帯を中心に寒帯まで分布している。オオタニワタリ (Asplenium antiquum Makino)は日本南部から台湾にかけて分布しており,八重山ではシマオオタニワタリあるいはヤエヤマオオタニワタリという近縁種があり,識別は困難なのでオオタニワタリで代表してもらうことにする。 着生シダは森林内の樹木の幹あるいは枝に付着して成長する。着生シダは生育場所を借りているだけで成長に必要な水と栄養素は自分で調達するので寄生植物とは異なる。もっともこの周囲のものを見ていると地面でも成長できるようだ。

シダ植物は葉だけでは識別できない

塩の工房がある

この塩の工房の半分はカフェになっており,パイナップルジュースをいただいた。甘みがちょっと少なく,タイあたりのパイナップルのおいしさに比べるとちょっと差がある。塩の工房は「石垣の塩」のところで見た最終ラインの蒸発釜だけがあり,海水を濃縮していくラインはない。

■調査中

米原のヤエヤマヤシ林とお別れ

1本の木で生垣を造る

オオバイヌビワ

この木は県道の街路樹となっており,枝葉は少し高いとこにあるので詳細は確認できなかったが,比較的大きな葉と,葉腋に実を付けていることからオオバイヌビワ(Ficus septica,クワ科)であろう。この種の特徴は大きなつやのある葉とカボチャのような果嚢であり,歩道には熟した果実が散乱し,足の踏み場もないほどだ。

歩道は歩ける状態ではない

ノアサガオ

アサガオ属(Pharbitis)を独立させる分類系もあるが,APG分類では「アサガオ」はサツマイモ属(Ipomoea)に分類されており,代表的なものは下記の通りである。
・アサガオ(Ipomoea nil)
・ソライロアサガオ(Ipomoea tricolor)
・マルバアサガオ(Ipomoea purpurea)
・ノアサガオ(Ipomoea indica)
・アメリカアサガオ(Ipomoea hederacea)

アサガオは古くからの園芸種であり,日本でも中国から伝来し平安時代から変異種や交配種が生み出されている。ノアサガオは亜熱帯から熱帯地域に広く分布する多年性・宿根性植物であり,沖縄ではアサガオといえばノアサガオを指す。ノアサガオの園芸種も「琉球アサガオ」,「オーシャンブルー」などの名前で流通している。

米原ビーチに到着

石垣市のウェブ・サイトには次のように紹介されている。

米原海岸(ビーチ)は,沖縄県石垣市に位置し遊泳危険区域指定されておりますが,貴重な自然海岸でできた, かつ浅瀬でサンゴの観賞や熱帯地域特有の魚類等の観察が気軽に楽しめるスポットとして,年間約20万人が訪れる人気の高い場所となっている。

しかし,人気観光スポットとして利用が促進される半面,ゴミによる生態系への影響やシュノーケリングによるサンゴの踏み荒らしなど, 人的利用による間接・直接的な自然環境への影響が懸念されている。



米原ビーチはキャンプサイトあること,シュノーケリングによりサンゴ礁を気軽に観察できるので人気が高く,年間20万もの人が訪れるという。

しかし,目の前に広がっているのは本土のように砂地の海水浴場ではなく,サンゴ礁という複雑で壊れやすい生態系なのだ。フィンを付けてサンゴを踏むとサンゴは損傷を受けるし,魚の餌付けは生態系の外乱要因になるし,日焼け止めクリームを塗った人が海日入るとその成分が溶出する。

来訪者が少ないときはそれほどの環境影響はなくても,20万人ともなると大きな影響を及ぼすことになる。米原海岸のサンゴ礁を保全するためには相応の規制を設ける必要がある。自然に対する人間活動の影響を一定範囲に抑えないと,自然は必ず劣化していく。このままの状態が続くと,米原ビーチはただの砂地の遊泳危険区域になってしまう。

米原ビーチはとても横幅がある

ずっと先までビーチとなっている

サンゴ礁の内外で海の色は劇的に変化する

この海岸は100mほどの遠浅のサンゴ礁となっており,その外側の白波は立っているあたりから急に深くなる。水深の浅いところは海底からの反射によりエメラルド・グリーンに輝くが,水深が深くなると海底からの反射は少なくなり,空の色の反射と海中に入射した光の浮遊物からの反射が海の色の主役になる。海の色については長くなるので「波照間島2」を参照していただきたい。

リーフの内外では海の状況が大きく変わり,リーフ外でのシュノーケリングには危険性が伴う。リーフ内でも海岸から沖合に向かってできる離岸流という潮の流れがあり,遊泳者が気づかずに巻き込まれるケースが多い。米原沖では護岸流に巻き込まれる水難死亡事故が3年連続で発生している。護岸流に対する注意書きは海岸で見かけたが,どれほどの人たちに読まれているかは不明だ。

海岸のすぐそばまでサンゴ礁が迫っている

10月半ばのビーチは人影は多くない

波打ち際では波紋が砂地に写る

子どもたちがシュノーケルを楽しんでいる

イシガキトカゲ

海岸近くの横に伸びた木の上にトカゲを見つけた。トカゲの仲間は警戒心が強く写真はなかなか難しい。ゆっくりと近づいて1枚撮るとすぐに逃亡してしまった。イシガキトカゲ(Plestiodon stimpsonii)はトカゲ科・トカゲ属に分類され,八重山に生息する固有種である。体長は15cmほどで,青い尾が特徴である。

しかし,八重山に生息する「キシノウエトカゲ」の若い個体も同じように青い尾となっており,正確に識別するためには耳の後ろから前足の付け根にかけてのラインの違いを見なければならない。「キシノウエトカゲ」は国の天然記念物であり,準絶滅危惧種でもある。

県道79号線に面する米子焼の工房

県道79号線に出るとバス停の近くに異形の巨大なシーサーが並べられていた。そのときはシーサーとは気が付かず,西太平洋の島嶼文化のイメージが先行していた。工房の中を覗いてここがシーサーの制作工房であることが分かった。

この色鮮やかな原色の使い方が米子焼の特色だという。ウェブ・サイトのURLからすると米子の読み方は「よねこ」のようであり,そこには次のように製品が紹介されている。

粘土で作ったシーサーを1100度の高温で焼いた後,ネオカラーの原色をまだらに重ね塗りする。米子焼工房独特のおおらかで調和のとれた色調が,かわいいシーサーにピッタシの癒し系,しあわせ色になっています。

なんとなく西太平洋の島嶼文化を感じる

ブーゲンビリアはハイビスカスほど見かけなかった

水田と於茂登岳の風景

県道の陸側には於茂登岳を背景にした水田が広がっており,出穂まぢかという状態である。石垣島では一期作もしくは二期作が行われており,二期作の場合は早春に田植え→夏に収穫・田植え→晩秋に収穫というサイクルになる。ここの水田は夏に二回目の田植えが行われたようだ。

石垣島のような暖かい地域では,夏に収穫した水田をそのままにしておくと切り株から「ひこばえ」が成長してきて,秋に収穫することができる。二期作においては夏に収穫と田植えが集中するので農家にとっては重労働になる。その代わりに切り株に施肥してひこばえで二期作を行うところもあるという。

バスに乗って川平(かびら)に到着する

12時28分頃に米原を通るバスで川平湾に移動する。「21世紀に残したい日本の自然100選」(昭和58年)にも選ばれた石垣島随一の景勝地なので天気の比較的良い日を選んで訪問することにした。さすがは景勝地の川平湾である。10月の半ばではどこに行ってもそれほど観光客と出会わなかったのに,ここには大勢が集まっている。土産物屋やアイスクリームを商うカフェもオンシーズンの賑わいである。

川平湾公園の展望台からの眺望

川平湾に面した海岸近くの高台は公園となっており,そこには川平湾を一望できる展望台がある。川平湾の写真はほとんどがここから撮られたものであり,最高の撮影ポイントになっている。

川平湾がかくも美しいのは中心部がある程度深くなっていることによる。それにより,砂浜から深みに至る海の色のグラデーションが生まれ,周辺の緑の小島が織りなす風景と一緒になり,いかにも明るい南国という印象を受ける。もちろん,太陽の位置,潮の干満により海の色は変化するので,ベストの風景を眺めることが出来た人はラッキーである。

川平湾公園の展望台からの眺望

川平湾公園の展望台からの眺望

川平観音堂

川平公園に隣接して川平観音堂がある。カフェや土産物屋のある広場から川平公園に行く途中にあるお堂が川平観音堂であり,創建は17世紀とされている。海を臨む立地場所から船の安全を祈願するところではと推測する。とはいうものの,僕の目にはここの雰囲気は御嶽そのものであり,お堂は拝所のように見える。

底地ビーチに向かって歩き出す

川平湾から底地ビーチまでは半島状の地形を横断しておよそ2kmの道のりである。時刻は14時なので十分17時20分のバスに間に合うように戻ってこられる計算である。

川平からは半島先端部のクラブ・メッド川平へバスが通っているので簡単かなと思っていたら,道がよく分からない。方角で道を選択し,歩いて行くことになった。この地域には不釣り合いなほどの立派な道路を行くとすぐに怪しげな道になった。さすがにここはバス通りではないだろう。

すぐに怪しげな道になる

半島の西側に出ると木々に守られた墓地があった

かまわず歩いて行くと半島の反対側に出たようだ。帰りの目印を確認し,念のために交差点の写真を撮って先端方向に進む。道沿いに大きな樹木に守られた島のようなところがあり,近づいてみると墓地であった。

道路の周辺にはサトウキビ畑が広がっている

半島を北に向かう道路

サトウキビの海に浮かぶ小島のような風景

こんもりと茂った樹木のかたまりはサトウキビの海に浮かぶ島のような風景になっている。このようなところは例えば御嶽のように伐採を免れたものなのでろう。あるいは,大きな岩があって畑にできなかった可能性もある。

ようやく底地ビーチに到着する

舗装道路に案内板があり,ようやく底地ビーチに到着した。ここは狭い道から砂浜に入るようになっており,レンタカーでやってくるとそのまま砂浜に入り込んでしまい,四駆でもない限りスタックしてしまう。

僕が到着した時は小型車がすでにスタックしていた。後ろから押しても脱出できない。そんなとき次の車がやってきて同じようにスタックしてしまった。ここの砂は目が細かく,しかも軽いので車にとっては大敵である。さらに,次の車もやってきたので,事情を話して引き返してもらった。幸いホテルの方から四駆の大型車が来てくれて2台の車は助け出された。これでようやく写真が撮れる。

空模様が怪しくなる

しかし,のんびりとはしていられなかった。空模様が怪しくなったので,あわてて引き返すことにした。しかし,林を抜けた舗装道路の手前で雨につかまってしまった。傘を取り出して葉の茂った木の下でしばらく雨宿りである。

すぐ近くの枝にカンムリワシとまっていた

雨が通り過ぎたので動こうとすると,目の前の木の枝に大きな鳥が止まっているのに気が付いた。カンムリワシである。そっと傘を置いてはやる気持ちを押さえながら望遠レンズに切り替え,2枚撮影する。さすがにあせっており,ズームするのも忘れてしまった。鳥の位置は逆光となっているので少し移動しようと動くとワシはふわっと飛び去ってしまった。ということで逆光の2枚の写真が残され,程度の良い方を加工してみた。

カンムリワシ(Spilornis cheela,タカ科・カンムリワシ属)はインドから東南アジア,中国南部にかけて分布しており,世界的には絶滅の心配はされていない。しかし,日本では希少種であり,2012年の調査では西表島に78羽,石垣島に110羽とされている。

望遠に切り替えたついでにシロサギも撮影する

16時過ぎの川平湾

川平公園の南側にはこんな像もある

どうしてこんなところに人魚の像があるのかと思ったら,近くに「川平湾の人魚物語」のいきさつが記された案内板があった世界初の黒蝶真珠養殖発祥の地である川平湾にふさわしいものであると納得した。

その昔,村の若者が漁をしていると人魚がとれました。そのころ人魚は不老長寿の薬とされていたので捕まえるのが常でしたが,大変美しい娘(人魚)であったので若者は村人の止めるのも聞かずに,人魚を海に返してしまいました。

若者は村から追われ,行き場を失ったので娘(人魚)が哀れに思い,自分の国へと連れて帰りました。人魚の国の長老は「娘を助けてくれたのでかの地で二人で暮らせ」と言って見事に光輝く黒蝶真珠を取り出し若者と娘(人魚)に与えました。二人はこの地へ移り住み,子沢山に恵まれ幸せな一生を送りました。


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