亜細亜の街角
石垣市の都会ぶりに驚く
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波照間島→石垣島移動

このブログを書いているクリスマスの時期に,船の時間を確認しようと安栄観光のサイトを複数回開いてみた。波照間島の船便はこのところ欠航が続いている。12月29日の09時の天気図ではカムチャッカ半島の南端に954hPaという台風並みに発達した低気圧があり,冬型の気圧配置となっている。

しかし八重山諸島は中国大陸に中心をもつ高気圧に緩やかに覆われており,それほど気象条件は悪くなさそうだ。それでも昼便は欠航,夕方便は様子見の状態である。風向を確認すると北東の風であり,高気圧の縁を回る強い風のようだ。

この風のため沖縄本島南端から台湾北端を結ぶ弧の南側には海上警報が出されており,大原港便は運航されているものの,上原港便もすべて欠航である。10月に時点では台風が接近するとき以外はほとんど欠航はなかったので冬場の離島航路は気象条件が厳しいようだ。

10月10日,09時50分発の高速船で石垣島に移動する。06時30分に起床,昨日買った富嘉売店で久しぶりに入荷した菓子パンとチーズで朝食をとる。荷物をまとめるときに外に干しておいたフェイスタオルが明け方の強い雨で濡れてしまっている。

僕は離島にはレジ袋のようにゴミとして処理することが難しいものは持ち込まないようにしていた。さて,袋の無い状態でこの濡れたタオルをどうしようと思案し,結局,メインザックのボトルホルダーに詰め込むことで解決した。

この一件を思い出して離島のゴミ処理がどのようになっているのか調べてみた。離島でも人の生活がある限り様様な廃棄物が生じる。竹富町では平成17年からごみの分別収集を開始し,平成22年からごみの有料化を開始した。分別区分はもやすモミ,もやさないゴミ・有害ゴミ,資源ゴミ,粗大ゴミの4区分である。 生ごみ類(生ごみ,落ち葉など)はごみ収集の対象になっておらず,自宅で堆肥にするか,公民館等に設置されている大型生ごみ堆肥化容器に各自で投入することになっている。

燃やすごみは各島にある焼却場で処理され,焼却灰と不燃ごみは石垣島,西表島にある一般廃物最終処分場で埋め立て処分される。しかし,最終処分場の容量はそれほど大きくないので2020年頃にはいっぱいにりそうである。

プラスチックフィルムやペットボトル,飲み物カンはなどは資源ごみとして西表島の最終処分場に隣接するリサイクルセンターで一次処理される。しかし,各離島から西表島に搬入するためには石垣島経由になるので高コストとなる。さらに,一次処理された資源物は沖縄本島に搬送されるのでさらにコストがかかる。

個人的には離島を本問する観光客に環境保全のための入域料を設定し,離島航路料金に上乗せすべきと考える。西表島の人口は2300人に対して年間観光客は90万人である。

もう一つの量の多いものは海岸漂着物である。黒潮が運んでくる漂着物が多いので,その大半は外国からのものである。また,船舶や漁船から流失したものも多い。このような漂着物は産業廃棄物となるため竹富町では処分することはできまない。ボランティア活動などで離島で集められた漂着物は船で石垣島に集められ,(事前に連絡があれば)輸送料は竹富町が負担している。

730交差点

11:20頃に石垣島の離島ターミナルに到着する。予約を入れておいた民宿ゆくるまでは1km足らずなので歩いて行くことにする。離島ターミナルの裏に出て東運輸のバスターミナルのある通りを東に歩くと730交差点に出る。

1972年5月15日の沖縄返還か6年後の1978年7月30日から道路交通法は本土のものが適用され,車は右側通行から左側通行に変わった。これを記念してさんばし通りと国道390号線の交差点に「730記念碑」が建てられた。これにより交差点の名前は「730交差点」と呼ばれる。

しかし,今まで右側通行であった沖縄を左側通行に変更するには大変な準備と周知が必要であり,大変なプロジェクトであったことだろう。当時の記録を調べると次のような記事がみつかった。

左車線用に取り付けられた信号機,標識,道路標示は当日までカバーが掛けられ,一斉に逆方向に掛け替えられた。路上の矢印は新しく書いた矢印にテープを貼って隠しておき,当日はがす作戦を採った。

道路自体の改修も行われ,右折車線を設けたり,交通島と呼ばれる分離帯も整備された。ガードレールも車の進行方向によって継ぎ合わせ方が違うため付け替え作業が行われ,バスも新しい車両を大量に準備して入れ替えられた。

730 当日,58号線(当時は1号線と呼ばれていた)の歩道橋には人が鈴なりになり,世紀の瞬間を見守ったそうだ。学校でもこの日は様子を見に行きましょうと指導したそうだ。730 のキャンペーンソングもあったと聞く。

記録映画では大きな事故もなく移行できたとある。確かに当日のトラブルは心配されたよりも少なかったようだが,その後も混乱は続いた。(週刊沖縄ふぁん,第231号)

ここは国道390号線の起点にあたる。国道390号線はここから石垣島,宮古島を通り那覇市に至っている。もちろん,海上には国道はないので,島毎に国道390号線が通っている。総距離は552kmであり,そのうち陸上距離は63qである。石垣島内では東海岸を通り伊原間が終点となる。

喜久屋商店

730交差点からさんばし通りを進み,民宿の案内図の通りに信号のある交差点で右折し,そのまま目印になる喜久屋商店を通り越してしまった。目印にするくらいだからもう少し大きな商店だろうという先入観が良くなかった。ともあれ,間違いに気づきここまで引き返した。民宿ゆくるは素泊まりなのでこの個人商店では飲み物と食料の調達にだいぶお世話になった。

民宿ゆくる

写真は喜久屋商店側から見た民宿ゆくるである。こちらは裏側であり,入り口はこの反対側にある。建物はL字形になっており,写真の左端は二段のかいこ棚構造のドミトリーと共用の居間,台所になっており,コンクリートの部分は洗面所,シャワー,トイレ,L字の縦の部分は個室客室と経営者の住まいとなっている。

表はL字の建物に囲まれた庭になっており,共用の居間から庭に面した濡れ縁に出ることができる。ドミトリーの部屋は1.5畳ほどの広さで上下の二段に仕切られている。ドミトリーの料金は1500円であり,コストパフォーマンスの良い宿である。

無料のWiFiの接続ポイントもあり,携帯は持たず,旅行用のパソコンを持参していた僕にとってはとてもありがたいところであった。

多花性のハイビスカス

宿から離島ターミナルに向かう道を復習しながら歩いてみた。石垣市内は大きな町であり,今まで集落しか見てこなかった僕はその都会ぶりに驚かされた。何といっても調べてみると人口は47,000人であり,西表島全体の20倍である。

ということで,石垣市は日本最南端あるいは日本最西端の市ということができる。市内は家が密集しているものの,宿の近くの家の庭には南国らしい花もたくさんあり,中でもこの多花性のハイビスカス(コーラル系)は目を引いた。

琉球瓦

市内には伝統的な平屋,琉球瓦の家屋がけっこう残されている。しかし,中には老朽化して解体されているものもある。解体時は琉球瓦は再利用ができるのか,壊さずに取り外されて集められている。半円形の琉球瓦は二種類あり,カーブが緩やかなものは女瓦,丸みの強いものは男瓦と呼ばれている。

瓦を敷くときはまず女瓦を半円部を下にして敷き,瓦の重なり部分を泥でふさぎ,その上に男瓦を半円部を上にして敷いていく。最後に瓦の重なり部分全体を漆喰で塗り固める。漆喰で強く固定するのはもちろん台風による強風対策である。

解体中の家屋

伝統家屋をそのまま商店にする

解体される伝統家屋もあれば,修繕してお店にしているところもある。このジュース屋はさんばし通りの大川南交差点にある。健康食品の店などには伝統家屋がよく似合いそうだ。ちなみにこ交差点からまっすぐ東南方向に行くと民宿ゆくるがあるので,信号機に付いている交差点の名前をしっかり記憶しておいた。

オオゴマダラは石垣市の蝶

石垣市には下記のようにたくさんいくつものシンボルが制定されている。
市の木:ヤエヤマコクタン
市の花:サキシマツツジ
市の鳥:カンムリワシ
市の蝶:オオゴマダラ
市の魚:ハマフエフキ
市の貝:クロチョウガイ

う〜ん,こうして列挙してみるとカンムリワシとオオゴマダラ以外は見ていない(見たかもしれないが写真にしていない)。

ユーグレナモールの入り口が見える

「ユーグレナモール」は石垣市公設市場を中心に100店舗以上の飲食店やおみやげ店が軒を連ねるとても賑やかな商店街である。並行する中央通りと銀座通りにアーケードがあり,日本最南端にあるアーケード付き商店街と紹介されている。

2010年にネーミングライツ(施設命名権)の導入により,それまでの「あやぱにモール」から「ユーグレナモール」に名称変更した。命名権を買ったのは株式会社ユーグレナであり,東京大学本郷キャンパス内に本社と研究所がある。ミドリムシを研究テーマに環境問題,食糧問題,エネルギー問題,健康問題など,地球の抱える困難を解決することを目指しているベンチャー企業である。

ミドリムシはユーグレナ藻(単細胞真核藻類)を代表する種で,鞭毛で運動するという動物的性質と葉緑体をもち光合成を行うという植物的性格を合わせもっている変わり種の生物である。

ベンチャー企業が着目したのはユーグレナ藻の高い糖類生産性なのであろう。ユーグレナ藻はパラミロンと呼ばれる多糖類の結晶を貯蔵しており,ときにはその量は乾燥重量の50%にも達する。

ミドリムシとは異なるが,藻類の中には単位面積当たりの油分の生産性がナタネの10倍から80倍という驚異的なものもある。そういえば,クロレラの栄養素生産性も素晴らしく高い。食料,エネルギー,医療の分野で21世紀は藻類の時代になる可能性は十分考えられる。

一部は露店のようになっている

カツオブシは八重山の出汁の基本

現在は鹿児島県が日本一の鰹節の生産地となっている。代表的な生産地は枕崎市と指宿市山川であり,年間生産量は2.4万トン,これは日本全体の約70%に相当する。沖縄,八重山は古くから鰹節の生産地として知られていた。1900年代の初頭から沖縄糸満の漁師たちは八重山に進出しカツオ漁を始めている。 1910年になると八重山に鰹節製造業者が進出し,その半数近くは宮崎出身者であった。1912年の八重山の鰹節生産量は28万斤となり,沖縄全体の25%を占めるようになった。太平洋戦争により漁船の多くは被災し,戦後は本土からから来ていた船主や漁業者が引揚げたため生産は縮小し,地元資本の向上も1983年頃に全て廃業してしまった。

鰹節が生産されなくなっても八重山は鰹節の出汁が好まれ,現在でも削り節ではなく鰹節の状態で販売されている。おばさんに産地をたずねると「鹿児島」という答えが返ってきた。

熱帯の果物も売られている

石垣市公設市場

2つのアーケード通りに挟まれた地下に石垣市公設市場がある。

マグロを解体する

石垣市公設市場の魚介類を扱っている一画では近海物のメバチマグロやビンチョウマグロが商われており,魚屋のおばさんはマグロを解体していた。公設市場で商品をさばく人は圧倒的に女性が多い。

店の裏側でそのままいただくことができる

マグロを扱っている店ではお願いすると店の裏手などで食べさせてくれる。500円のパックを見たらさすがに量が多いので,300円のパックを作ってもらった。それがこの量である。

僕が食べているとき近くのおじいさんがシークヮーサーを持ってきて,しょうゆ皿に絞ってくれた。この風味はなかなかすばらしくて,全部おいしくいただくことができた。おじいさんは残った2個を持っていけとテーブルに置いてくれた。

僕はシークヮーサーの果物を見て棚田で有名なフィリッピンのバナウェでよくいただいたホットレモンを思い出した。ここは標高が高いので雨が降ると寒さに震えることになり,暖かい飲み物が欲しくなる。ホットレモンは観光客向けのメニュー表示で実際には「カラマンシー」という小さなかんきつ類が使用されている。この「カラマンシー」は「シークヮーサー」にそっくりである。

シークヮーサー(和名:ヒラミレモン(平実檸檬)、学名:Citrus depressa。ミカン科の柑橘類,高さは5メートルほどで琉球諸島及び台湾に自生する。沖縄方言で「シー」は「酸い」、「クワス」は「食わし」の意味であり,「シークヮーサー」という名称は酸食わしという意味になる。温州ミカンを小型にしたような姿をしている。(wikipedia)

シークヮーサーの果汁

沖縄ではシークゥワーサー入りの飲み物にずいぶんお世話になった。シークヮーサー(ヒラミレモンCitrus depressa)はミカン科の常緑低木であり,琉球諸島及び台湾に自生している。かんきつ類の仲間で4月に白い可憐な花を咲かせ,7月には3-4cmほどの大きさの緑色の果実になる。そのままにしておくと黄色の熟果となる。シークヮーサーは緑色の未熟果の状態で収穫したものであり,酸味が強く甘味は少ない。

沖縄県ではレモンの代わりに果汁を飲み物や料理,醤油に加えるなどして使用している。しぼり汁を泡盛に加えて楽しむこともある。シークヮーサーに多く含まれるノビレチンにはがん抑制効果が期待されており,健康食品として加工され流通している。シークヮーサーの果汁は持ち帰りたかったが,さすがに荷物になるため,帰る直前に那覇で買うことになった。

貫録のあるシーサー

たびたび登場するシーサーであるがこの写真の主役は左背後にある「石敢當」である。沖縄県と鹿児島県に多く見られ沖縄ではいしがんどうあるいはいしがんとう,鹿児島ではせっかんとうと呼ばれる。これは魔除けのためのものである。

集落を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため,丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに魔除けの石敢當を設ける。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。石敢當には文字だけが刻まれた石碑,石版を壁面に貼り付けたもの,壁面に文字だけを記したものなどいくつもの形態がある。(wikipedia)

手前の貫録のあるシーサーは建物の門や屋根,村落の高台などに据え付けられ,家や村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味をもつ。古くは単独で設置されていたが,本土の狛犬の影響を受けて阿吽の一対となることが多くなった。

軽食の移動販売車

天川御嶽(あーまーおん)

宿の横の道をまっすぐ南西に歩くと登野城漁港の近くに出る。その手前に天川御嶽がある。敷地内には看板があり,この御嶽の由来が次のように記さていた。

天川御嶽の歴史は古く,「八重山島由来記」(1705年頃)にも記されている。登野城村の伝承では,新城家(アーマーヤー)の祖先で霊験高く篤農家でもあった野佐真が天川原の霊石を信仰していたことから毎年豊作・豊漁に恵まれ,そのために村人たちもその霊石を尊信するようになり,豊年・豊漁の神として信仰するようになったといわれている。

首里王府時代には沖縄本島への貢納船に乗り込む役人の航海安全を祈願する七嶽(美崎・宮烏・長崎・天川・糸数・名蔵・崎枝)の一つとされていた。現在でも折々の祈願のほか,旧暦6月には豊作の感謝と来る年の豊穣を祈る豊年祭が古式豊かに執り行われている。

帽子を被ったシーサー

石塀に張り付いて成長する

調査中

登野城漁港のシンボルはオニイトマキエイ

黄系のハイビスカスは艶めかしい

サザンゲートブリッジ周辺地図

登野城漁港から国道390号線を離島ターミナル方向に少し歩くとサザンゲート・ブリッジ入り口の交差点に出る。ここから南に行くと離島航路の防波堤のようになっている人工島との間にサザンゲート・ブリッジが架かっている。

橋の上からは石垣港が一望できる。東横イン石垣島の南河がE岸壁で現在は台湾からのクルーズ船以外には使用されていない。そこから東にある櫛の歯のように桟橋が並んでいるところが離島ターミナルで,ここから周辺離島への高速船が出ている。

その向かいにあるのがフェリーバースであり,ここからは与那国島への定期フェリーが出ている。石垣島は沖縄周辺を担当する第11管区の巡視船の寄港地となっており,浜崎町の北側の岸壁を利用している。

サザンゲートブリッジは歩道は付いている

この橋には歩道が付いており,歩いてあるいは自転車で人工島に行くことができる。

石垣港側のシンボルはオニイトマキエイ

オニイトマキエイ(Manta birostris,トビエイ科・オニイトマキエイ属)は世界最大のエイとして知られている。しばしば「マンタ」とも呼ばれており,これはオニイトマキエイ属の学名からきている。英語名もManta ray である。オニイトマキエイの大きさは胸鰭の横幅で表すのが一般的であり,平均的な個体で3-4m,最大のものは8m,体重3トンにもなる。

熱帯の海のごく表層を大きな口を遊泳し,入ってきたプランクトンエラで濾し取って食べる。石垣島や西表島の周辺はマンタを見ることのできるダイビング・スポットが多数あり,ダイバーにとっては最も見てみたい魚の一つとなっている。

橋の中央部から石垣港を眺める

水路の向こう側に石垣港が見える。石垣港は沖縄県内および日本各地から八重山列島への物資集散機能を担う重要港である。離島ターミナルおよびフェリーバースから発着する船舶は周辺の離島にとっては島と外部を結ぶ唯一の交通手段となっている。

漁船の航跡が青い海に映える

人工島側のシンボルはバショウカジキである

バショウカジキ(Istiophorus platypterus,マカジキ科・バショウカジキ属)は長大な背鰭が特徴のカジキであり,大きなものは全長3mほどにもなる。釣りの対象として人気があり食用にもなる。

他のカジキと同様に上あごが伸びて鋭くて長い吻となる。名前の由来となった背びれは普段は折りたたまれており,獲物を追って急旋回するときなどは大きく広げる。この広がった背びれを日本では芭蕉の葉に見立て,英語では帆のように見えることから英語ではSailfish と呼ばれる。

カジキの仲間は外洋性の高度回遊魚であるが,バショウカジキは比較的沿岸に近寄ることが多く,マグロ延縄,突きん棒,定置網等で漁獲される。八重山近海にもカジキは多く,与那国島では毎年,国際カジキ釣り大会(与那国町主催)が開催される。

橋の中央部はロングスパンとなっている

人工島の大半は公園になっている

橋の向こう側は人工島となっている。1979年から国の直轄事業として埋め立てられ,面積は約72haある。東京ドームの建築面積が4.7haなので15個分に相当する。参考までにディズニーランドは51haである。

この広い人工島はなんのために造成されたのかはネットで調べてもよく分からなかった。石垣市としてもこの広大な土地を生かした2030年を目指す青写真があるようだが,こちらも詳細は不明だ。現在はその一部が「新港地区緑地公園」として利用されている。

少し上の石垣港周辺航空写真で人工島の南側を見ていただくとかなり程度のよいサンゴ礁になっているいることが分かる。形状からして南側は人工ビーチを造る計画ではなかったかと推測する。

この人工島にはたくさんの野良猫が住み着いている

この人工島にはたくさんの野良猫が住み着いている。彼らが何を食料にして生き延びて来たかは不明であるが,野良猫は繁殖しており,(食料があるなら)放置しているとどんどん数が増えていく。最初は猫の多い島だなと思っていたが,この写真の光景を見てさすがにギョッとした。

タイワンレンギョウ

石垣港の近くで見かけた。タイワンレンギョウ(Duronta repens,クマツヅラ科・タイワンレンギョウ属)は西インド諸島から熱帯アメリカかけての地域原産の常緑低木である。長く伸び,垂れ下がる枝先に総状花序をつけ,濃い青紫色や淡青色の花を咲かせ,花後は茶色がかった黄色の実を鈴なりに付ける。

石垣島の深刻な問題

世界有数の珊瑚礁とエメラルド色の海に囲まれた石垣島は,癒やしを求める都会人に人気の観光スポットだ。この島で深刻な問題が持ち上がっている。大量定年期に入った団塊世代を中心とする本土からの移住者と地元住民とのあつれきである。

人口減に悩む地方自治体にとって,団塊世代は大切な「お客様」のはずだが,石垣島では逆に「団塊様お断り」の空気が強まっている。島の人口は現在約4万7000人だが県外からの移住者は昨年(2006年)だけで1840人にも上る。住民票を移さない「幽霊人口」は8000人ほどと推定されている。

石垣島には地元の人が「リトルトーキョー」と呼ぶ地域がある。市街地から車でおよそ30分、海を一望する斜面に40戸ほどの家が建つ山原(やまばれ)の新興住宅地だ。デザインに工夫を凝らした家が立ち並び、近隣には犬の美容室や瀟洒なレストランもある。まさに東京の住宅地さながらの「移住村」だだという。

文化圏の違う人間が一緒の島で暮らそうとするとどうしても摩擦が生じる。そのような時は移住してきた方が土地の文化や慣習にしたがうのが当然であろうと土地の人々が考える。ところが,移住者の多くははそのようには考えないようだ。

市役所に届けられた移住者からのクレームには次のようなあるという。
・小学校から17時に流れる音楽がうるさいから止めろ
・エイサーの練習の音がうるさい
・近所の三線の音がうるさい

小学校からの音楽,エーサーの練習,夕涼みの時に三線をつまびくのは石垣では当たり前のことであり,伝統的な文化の一部である。それを,後からやって来た人たちが「私たちはそのような文化には耐えられないからやめてくれ」というのであるから確執が生まれるのは当然である。

上に挙げた山原地区は移住者が集まった,いわば特殊村というべきところであり,周辺の地域との関わりをほとんどもたない。実際のところ(私も団塊の世代なので理解できるが),自分のいままで培ってきた文化や価値観を変えるのは大変なことである。

しかし,石垣島の文化や慣習から浮いた生活をしたいのであればことさら石垣島を選択する必要はない。今まで住んでいた地域を生活の基盤として,ときどき旅行者として島を訪れればよい。

島に移住するということは地域の一員としてやっていく覚悟が必要であり,自分から地域に溶け込む努力も必要である。それができる人ならば,沖縄の人間は(元来のおせっかい精神をもっているので)なにかとサポートしてくれるはずだ。

この内容は「日経ビジネス2007年」と「沖縄の不都合な裏事情」の記事から作成した。

僕はほとんど見ることはないが,テレビ朝日系で「人生の楽園」という番組がある。主に50代以上の夫婦が地方に移住し,店を経営したり,農業を営んだりして今までとはちがった第二の人生を歩む姿を周囲の人々との交流を交えて描く番組である。

この番組は(当然ながら)移住地における成功体験を取り上げており,そのキーになっているのは地域の人々との交流であろう。

人生の楽園はどこにでもあるが,そこを自分の楽園にするためにはそれなりの努力が必要であり,それは石垣島と同様に地域文化への順応と地域の人たちとの交流である。観光で来たときのイメージだけで自分の楽園はここだと決めてしまうには余りにも思慮が不足している。

新栄公園

サザンゲートブリッジから石垣港を半周して離島ターミナルに出て,西側のE岸壁を目指す。そのためにはいったん港の外に出て一般道路を歩かなければならない。石垣島は高度の車社会なので離島ターミナルの北側は駐車場になっており,その向こうに港に並行する道路がある。この道を東に行くとじきに730交差点となる。ここを西に行くと新栄公園ががある。

巨大なリュウゼツランとガジュマル,アコウがたくさんあるだけの公園には石垣島から日本各地までの直線距離が記された標識があった。(離島を除く)日本最北端の稚内までは3092kmとなっている。

りゅうせきのタンク

道路はりゅうせき(旧琉球石油)のタンク群にぶつかり,その外側をぐるっと回らなければならない。株式会社りゅうせきは沖縄県において石油,ガス製品などを販売する企業であり,前知事の稲嶺氏はりゅうせきの社長,会長を歴任している。

沖縄のエネルギーを支えているいるのは圧倒的に石油である。発電の99%は火力発電であり,その多くは石油火力であり,離島では重油のジーゼル発電が採用されている。そのような石油依存の沖縄でも天然ガス火力と自然エネルギー利用というエネルギー革新が進んでいる。

2012年には吉の浦(沖縄本島中頭郡中城村)に沖縄電力のLNG基地ができ,2013年にはコンバインドサイクルを採り入れたLNG火力発電(出力25万kw・2基)が稼働を開始している。沖縄県は再生可能エネルギーの比率を2030年には10%まで引き上げることを宣言した。

歩道のアートはフエフキダイ

石垣市のシンボルとなっている魚は「ハマフエフキ」であり,りゅうせきのタンクから右に折れて少し行った交差点近くの歩道にこのアートがあった。近くにはクロチョウガイのアートもある。

ハマフエフキ(Lethrinus nebulosus,フエフキダイ科・フエフキダイ属)はインド・西太平洋域に分布しており,日本では関東以南に分布しているが,熱帯・亜熱帯の沿岸海域がメインとなっている。

東日本ではほとんど流通しておらず,西日本では少量が,沖縄では「たまん」と呼ばれ高級魚のひとつとなる。与那国島の民宿で釣り客が釣っていたものを刺身で少しいただいたところ,上品な白身でであり,沖縄で高級魚とされている訳が理解できた。

石垣市にある竹富町役場

フエフキダイのアートのある交差点には竹富町役場がある。竹富町は西表島,竹富島,小浜島,黒島,波照間島,鳩間島,新城島,由布島の有人島およびその周囲にある仲の神島などの無人島から構成され,面積は334km2,人口3900人となっている。

複数の離島にまたがっている町の行政機関をどこに設置するかは大きな問題であり,1938年に町役場は竹富島から石垣町に移転した。これは,現在と同じように石垣島が離島航路の拠点となっており,離島間を結ぶ航路はほとんどなかったためである。

こうして,役場が町の区域外に位置することになった。日本でこのような事例は鹿児島の十島村・三島村の2村しかない。竹富町役場とほとんど接するように東北側には石垣市役所がある。

石垣港ターミナル

かって,E岸壁はフェリーターミナルであり,名古屋,大阪,那覇,宮古からの定期航路の旅客用ターミナルとなっていた。場所は東横イン石垣島の向かいとなる。しかし,すべての航路の旅客営業は2008年に終了となり,このターミナルは現在使用されていない。唯一,台湾からのクルーズ船がE岸壁に接岸するので,そのための旅客ターミナルとして使用されている。

海洋巡視船

E岸壁の北側の港湾施設には海洋巡視船が係留されていた。最近,尖閣問題のため沖縄の西海域における緊張が高まっている。日本の沿岸警備を担当しているのは海上保安庁(Japan Coast Guard)であり,海上における人命,財産の保護,法律違反の予防・捜査・鎮圧を行うために国土交通省の外局として置かれている。

本来の任務は海上の安全,治安の確保であるが,現実には海洋権益の保全(領海警備,海洋調査)も任務としている。米国の沿岸警備隊は軍隊(準軍事組織)と認識されているが,日本の海上保安庁はあくまでも行政の一部とされ,海上保安庁法第25条では軍事否定の条文があり,その中では「海の警察」と表現されている。

担当水域は領海,接続水域,排他的経済水域(EEZ)であり総面積は約447万km2となる。さらに日米SAR協定に基づく捜索救助区域は本土から南東1200海里程度まで広がっている。

EEZ海域を地域に区分し,11の管区海上保安本部が設置されている。沖縄海域を担当しているのは第11管区であり,その範囲は東西約1000km,南北約500km,面積36万km2に及んでいる。

第11管区海上保安本部の中には複数の保安部,保安署が設置され,石垣島には石垣海上保安部があり,合計6隻の巡視船(大型船舶)・巡視艇(小型船舶)が所属している。最近は尖閣問題のため同海域周辺に常時出動が必要な状態であり,他管区の巡視船の応援を受けながら任務を遂行している。

そのような事情から石垣港の岸壁には石垣海上本部所属の巡視船よなぐに,みずきとともに巡視船しもきたが係留されていた。巡視船の名前ははほとんど管区内の地名を採用しているので,しもきたは東北を担当する第2管区からの応援船であろう。

巡視船は基本的には1隻で単独行動をしており,海上警備の任務を遂行するためには十分な速力,航続力,探知能力,指揮・通信能力,警察力としての本分を果たすための適切な武装/装備が必要である。

また,海難救助の任務を遂行するためには荒れた海でも活動可能な良好な航洋性,ヘリコプターによる迅速な輸送力,巡視船が収容した要救助者に救急救命処置を行う人員と装備,速やかに医師による医療行為を受けさせる体制づくりが必要である。

また、消防活動や海洋汚染対策の任務を遂行するためには消火機能や油防除などの特に特別な機能を持った巡視船を配備しておくことが必要である。(wikipedia)

石垣漁港のドック

周辺の自販機の多さに驚く

八重山で驚くことの一つは飲み物の自動販売機の多さと容器を捨てるゴミ箱が設置されていないことである。島の人々や観光客は容器をどうするのだろう。

ホウオウボクはマメ科の植物である

石垣漁港を見学してから市内に戻ろうと比較的大きな道を行くと石垣市役所の前に出た。ここにはホウオウボクの木があり,大きな豆がたくさん付いていた。ホウオウボク(Delonix regia,ジャケツイバラ亜科・ホウオウボク属)はマダガスカル原産であり街路樹として世界中の熱帯・亜熱帯地域で見ることができる。

花の時期は木全体が朱色に染まる。和名は風に揺れる花の様子が鳳凰が羽ばたく姿に似ていることに由来する。マメ科の植物なので種子は30-40cmにもなる大きな豆となる。花が似ているものにオオゴチョウがあり,こちらは低木なので識別ができる。

石垣市役所のガジュマルの根

熱帯育ちの樹木は地表近くに根を張ることが多い。これは熱帯地域の土壌の性質に起因する。熱帯雨林に代表されるように熱帯地域は豊かな植生が見られ,その土壌も栄養豊かなイメージがあるが,実際は有機物が速やかに分解され植物に急襲されるため,表土は薄く栄養に乏しい。

そのため,樹木の根は地表を這い回って栄養を吸収しようとする。大きな板根をもつサキシマスオウノキも,浅い根で樹木本体を支えるための工夫である。ここのガジュマルは広い範囲に根を伸ばし, 大きな本体を支えるとともに根の範囲はすべて自分のテリトリーだと主張しているようだ。

泡盛のゆるキャラ「泡 盛子」

泡盛を扱っている酒屋のカンバン娘である。ちなみに「泡 盛子」で検索してみると,関西テレビの食べ物キャスターが出てきた。これはいったいどういう関係?

権現堂正門

石垣市役所から北に向かうと権現堂と桃林寺が隣り合っている。1614年に桃林寺と一緒に創建された。祭神は熊野権現を勧請したもので,八重山における寺社建立の始まりとなる文化遺産である。1771年の「明和の大津波」により完全に破壊され,1786年に再建された。

「明和の大津波」は八重山地震によりもたらされた。琉球列島の東側ではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいく琉球海溝がある。

ここでは日本海溝や南海トラフほど頻度は高くないが津波を伴うM7クラスの地震が発生する。これにより引き起こされた津波は石垣島では30-40m高さまで遡上したと考えられ,先島諸島では12,000人が犠牲となった。

桃林寺正門

八重山に寺社が一つもなかったため,薩摩藩の進言により1614年に建立された臨済宗の寺である。山門には阿吽一対の仁王像があり,これは沖縄最古のものとして県の文化財に指定されている。

桃林寺本堂

桃林寺の境内には絵馬が吊るされている

桃林寺本堂内部

八重山の泡盛

泡盛とは下記の規則を満たす蒸留酒と定義することができる。
(1) 原料にタイ米を使用する
(2) 黒麹菌を用いる
(3) 仕込みは1回だけの全麹仕込みである
(4) 単式蒸留機で蒸留する

沖縄には泡盛の酒造所が何軒あるのか調べてみた。答えは「泡盛百科」に掲載されていた。沖縄本島および周辺の島々に31社,宮古は7社,八重山は10社となっており,合計48社となっている。それぞれの酒造所の銘柄を合計すると927種となる。これはいかに呑兵衛でも泡盛全銘柄の制覇とはいかないだろう。

のりば食堂

石垣市内の民宿ゆくるに滞在していた時,こくこのバス停の前を行き来していた。バス停の横にあるので「のりば食堂」というありのままのネーミングである。あるとき,昼食のため入ってみた。僕はたまたま入ってみただけであるが,ネットではしっかり濃い出汁のお店(もっと八重山そばを知りたいならここ)という店に名を連ねていた。

ソーキそば

となりの席の家族連れが注文したので一枚撮らせてもらった。食べ物に関しては意外と写真を撮り忘れるので,よそ様の注文品を紹介する。そばという名前は付いていてもそば粉はまったく使用しておらず,本土では品質表示法に違反することになるが,沖縄では慣習的な呼び名として認められており,法律に触れるものではない。

八重山そばの出汁は鰹節あるいは鰹節と豚骨の合わせが多く,あっさり味なら鰹節だけ,濃厚な味なら豚骨というように分かれている。もっともそば初心者の僕などはそのような微妙な注文はできようもなく,単に「八重山そば」あるいは「ソーキそば」という注文をするだけである。

「八重山そば」は「ソーキそば」はトッピングのちがいによるもので,「八重山そば」には島かまぼこが乗っていることが多い。「ソーキそば」には豚のあばら肉(スペアリブ)を甘辛く煮込んだものが乗せられる。高くなるけれど個人的にはこれが八重山そばの王道だと思っている。

もっとも,この日は野菜不足を解消するためこの店の創作料理ともいえる野菜たっぷりの「沖縄野菜そば(600円)」にした。これは当たりであった。スープのできが良いので,麺としゃきしゃき野菜を十分に楽しむことができた。この店には「トンカツそば」なるものまであったが,さすがにそれは願い下げだ。


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