私的漫画世界
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法月理栄

法月理栄(のりづきりえ)は静岡県島田市出身で現在も同市に在住の漫画家です。1950年生まれですから私とほぼ同年齢であり,いわゆる「団塊の世代」の1年あとということになります。東京デザインカレッジを卒業後に結婚し,子育てが一段落したのを機に漫画を描き始めました。

1978年に「利平さんとこのおばあちゃん」が第3回小学館新人コミック大賞・佳作を受賞し,1979年から10年にわたりビッグコミックで同作品の連載が開始されまれた。作者にとっては20代の終わり頃からの10年ということになります。

この作品は法月にとっては二作目ということになりますが,田舎の雰囲気がとてもよく出ています。このような作品が描けるのは田舎暮らしの原体験があるのではと推測します。

作者が育ち,現在も暮らしている島田市は静岡県中部に位置し,市域は大井川の両岸に広がっています。大井川の中流域から下流域に位置しているものの,海には面していません。市の面積は316km2,人口は10万人弱です。市の面積は結構広いのですが,新東名高速道路の北側はほとんどが山がちな地形となっています。

江戸時代には東海道の宿場町として盛えました。市内を流れる大井川は江戸の防衛上の理由から架橋を禁止されたため,人足による川越制度が敷かれました。「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と馬子唄でも唄われたように,大井川は東海道最大の難所であり,川越人足の脇あたり(約136cm)を越えて増水すると川留めになり,旅人は水が引くのを何日も待つことがありました。

東海道本線の金谷駅から千頭まで大井川に沿って大井川鉄道が北に向かっています。さらに,千頭から井川まで井川線が続いています。大井川鉄道には観光用のSL列車が運行されていますので,私も一度は体験したいと思っていますが,自分の優先順位の関係で未だ果たしていません。さすがに機関車トーマス号は願い下げです。

大井川鉄道の金谷から川根温泉笹間渡駅までは島田市に含まれており,その両側は南アルプスに連なる山岳地帯となっています。この環境ならば「利平さんとこのおばあちゃん」の舞台になっているような田舎の村が残されていたのかもしれません。想像をたくましくすれば,作者の祖父母がそのような村にいたのかもしれません。

などと考えながら読み進めていくと下巻の最後に作者のあとがきがあり,その中には次のような一文が納められていました。

おしげばあさんのモデルは,やはり身近にいたおばあちゃんです。丸いメガネにおまんじゅうの髷姿は曾祖母です。母方の祖母は荒物屋を一人で商っていました。祖父が逝ってからも,土間に主の履き物をずっと置いていました。割烹着を着て,あまり多くを語らない控えめなおばあちゃんでした。

復刊された「利平さんとこのおばあちゃん」

「利平さんとこのおばあちゃん」は足かけ10年に渡り連載され全47話が発表されました。その中から主として初期の作品をまとめた単行本が小学館から1985年に2冊発売されています。しかし,その続きは出ることはなく,既刊の単行本も絶版となってしまいます。残念ながら読者の高い支持は得られなかったようです。

このままでは消え去っていく運命の作品でしたが,2006年に全47話の中から厳選した27話が上下巻にまとめられて エンターブレイン(ビームコミックス)から新しく発売されました。

私はそれまでこの作品を知りませんでいた。ぱらぱらとめくって内容をチェックすると一般受けはしないものの,なかなかの作品であることが分かりました。

エンターブレインはこのような埋もれた良い作品をときどき復刊することがあります。もちろん,商売ですから売れない作品を世に出すわけにはいきませんが,多少のリスクはあってもこのような地味でも優れた作品を発売する姿勢は一人の漫画ファンとしてとても好ましいものと感じられます。2010年に同社から復刊された「大平面の小さな罪」なども岡崎二郎の名作です。

「利平さんとこのおばあちゃん」の舞台は山原村原の口という村落であり,主人公の「太田しげ」さんが一人暮らしで亡き夫の「利平」さんが残した荒物屋を切り盛りしています。

このような村落ではしげさんが店を閉めることになると村人が不便なことになります。都会のように同じような商品を扱う商店がたくさんあるわけではないのです。

そんなわけで,しげさんは荒物屋を営みながら,村人や町からやってきた人たちと交流をもち,日常よく起こりそうな出来事を通して喜んだり,悲しんだり,感激したりという日々を送っています。

「利平さんとこのおばあちゃん」についてネットで調べていると「子どもの本とおもちゃ 百町森」というお店が出てきました。調べてみると静岡市にあるお店のであり,ここで「利平さんとこのおばあちゃん」のサイン本が置かれたことがあるという情報でした。

同じ静岡県の生んだ漫画家であり,田舎のおばあちゃんと人々の交流を描いた心温まるお話がつまった本を店頭に置くことにしたようです。この店のウェブサイトには次のような説明があります。

静岡市にある子どもの本とおもちゃの専門店です(創業1979年)。ヨーロッパの木のおもちゃやゲーム,家具・外遊びの遊具など子どもが遊ぶ環境全般を扱っています。60坪の店内には,子どもと親が遊ぶプレイルームも併設しています。


ヨーロッパの木のおもちゃといえばフィンランドやスエーデン,エストニアが有名ですね。そのような木のおもちゃは職人による手仕事であり,一つひとつ丁寧に作られています。

それだけに日本で主流となっているプラスチックのおもちゃに比して価格は高いものになりますが,安心して子どもたちに遊んでもらうことができます。さらに,プラスチックのように使い捨てではなく,親から子へ,さらに孫へと修理しながら次の世代に手渡していくこともできます。

そのような木のおもちゃを扱うお店で大人の童話ともいうべき「利平さんとこのおばあちゃん」が販売されたのはなんとなく分かるような気がします。それではおしげおばあちゃんの田舎暮らしの様子を印象に残ったお話を通して見てみましょう。

第1話|利平さんとこのおばあちゃん

長年連れ添った利平さんに先立たれたおしげさんはちょっと寂しそうです。子どもはおりませんので田舎の一軒家で一人暮らしをしています。二人の仲は円満であり,利平さんとの結婚生活はおしげさんにとってはとても幸せでした。

しかし,利平さんは本当に幸せであったのかと考えさせられるできごとがありました。それは,利平さんの墓参りに行ったとき,お寺の住職の妻であるおきくさんが利平さんの墓の前で「利平さん・・・あたしより先に逝ってしまうなんて・・・あのときはごめんなさい・・・あたしはあなたに辛い思いをさせたけれど,これからは毎朝お世話に参ります」とつぶやきながら手を合わせています。

おしげさんの心になにやらもやもやしたものが生まれてきます。近所の留造さんに利平さんとおきくさんのことをたずねると,その昔は恋仲になったけれども寺の一人娘のため婿を迎えることになったと話してくれました。

『もしかして,あたしは(おきくさんの)間に合わせではなかったのか』とついつい考えてしまいます。そんなとき,利平さんが毎年通っていた温泉宿から案内の葉書が届きます。

利平さんはいつも一緒に温泉に行こうと誘ってくれましたが,おしげさんは店を閉めることに抵抗があり,利平さんだけが温泉に行っていました。おきくさんのことで気がふさいでいたおしげさんは葉書の温泉宿を訪ね,1泊します。

宿の女将から利平さんが「ばあさんと来たかった,ばあさんにもこのごちそうを食わせてやりたい」と話していたことを教えられます。それでもおしげさんは(自分と一緒になって)利平さんが幸せであったか確信がもてません。

駅で列車を待っているときに焼き物屋のおじさんがおしげさんを探してやって来ました。彼は利平さんが一年前に温泉に来たときに作った湯呑みを差し出します。それは夫婦湯呑みであり,それぞれ「利平」「しげ」と名前が入っており,その反対側には「幸」「福」と描かれています。

利平さんはおしげさんと一緒になりとても幸せだったと分かり,おしげさんはなぜか涙が止まりません。温泉に来る前におしげさんが漠然と抱いていたもやもやは利平さんが1年前に作った夫婦湯呑みによりすっかり解消されました。

第一話を要約するとこのような他愛もない話になります。この話が描かれてからそろそろ40年近い歳月が経っており,現代のスマホ世代にはこのような話の良さはほとんど伝わらないでしょう。それどころか昭和世代でもこのような作品を評価するする人は少数であったと考えます。

人生の終わりに近づいてからふとこころに影を落とした疑念が形見となった夫婦湯呑で氷解する話は純文学のような味わいがあり,それだけに漫画という媒体では正当に評価されるのは難しいのかもしれません。

ところで作品中の温泉から帰る時,おしげさんはローカル線の列車とバスを乗り継いでいます。おしげさんの住んでいるところが大井川の近くにある山村であると仮定すれば,川根温泉なのでしょう。川根温泉は大井川鉄道の川根温泉笹間渡駅まで500mほどの距離であり,駅まで歩いて行くことができます。

第6話|法事の帰り

おしげさんは谷口の伯父さんの法事に出かけました。法事が終わると参加者はそれぞれ車に乗って戻っていきます。一人残されたおしげさんは歩いて帰ることにします。来るときも歩きでしたからそれほどの距離ではないようです。

おしげさんは何かが後からついてくる気配を感じ,イノシシではあるまいなとちょっと緊張します。後をつけてきたのは犬でした。その犬は追い払っても追い払ってもついてきます。

おりしも雨が降り出し,おしげさんが木の下で雨宿りをすると,犬も近くで座り込みます。おしげさんは自分が小さなころ谷口の伯父さんが「生まれ変わったら犬になりたい・・・心のあったけえご主人様に飼われりゃあ犬ほど幸せなもんねえだ」と話していたことを思い出し含み笑いを浮かべます。

そのとき子ども心にもおじげさんは「(伯父さんが犬になったら)あしが飼ってやる」と心の中でつぶやきました。そのことが犬に通じたのか犬はどこからか傘をくわえて戻ってきました。

おしげさんは傘を開くと名前が書いてあります。犬はおしげさんをもう人の住んでいない家に案内します。近所の人の話では犬はこの家で飼われており,飼い主が息子さんに引き取られたときに置き去りにされたようです。

この犬は人間の敵意を敏感に感じ取るらしく,近所の人にはさっぱり慣れません。とはいうものの,この時点ではおしげさんは犬を飼う気はありませんでした。帰りがけに戸口に立てかけておいた傘を乾かすために広げると,骨のところに結び文があります。中にはお金と次のような文面がありました。

お願いします。この犬を飼ってやって下さい。この傘を犬がわたした人はきっと良い人と思います。犬にはご主人様はおまえが選べと言いました。お金は少しですがエサ代です。犬の名は新しいご主人様がつけて下さい。どうかかわいがって下さい。


『やれやれ・・・妙なことになった。あしはこの犬に見込まれたってわけか』などと独り言を言いながら家路に着きます。ところが犬はいつの間にかいなくなってしまいます。『あしは犬にまで嫌われてしまっただ』とおしげさんはさびしそうにつぶやきます。

家に着くと犬はおしげさんの匂いをたどり先に着いて待っています。それからこの犬は犬になりたいと言っていた谷口の伯父さんの名前から「お杉」と呼ばれ,おしげさんに飼われることになります。

犬を置き去りにしなければならなかった元の飼い主の願いを利平さんを亡くしてちょっと淋しい生活のおしげさんが引き受けるようになるという話しですが,傘に託された元の飼い主の願いと,小さな頃に聞いた谷口の伯父さんの願いがぴったり符合する話に仕上がっています。このようななにげない心情をていねいに拾い上げていくと,この作品の良さが分かってきます。

春・五百羅漢

おしげさんの村に居つくようになった女性の芸術家が晴天寺の五百羅漢の写真をもってきて,「利平さんに似ているでしょう・・・ここに行くと亡くなった人に似た石仏が必ずあるって話よ」と教えてくれます。

おしげさんはその気になり,翌日バスに乗って出かけます。人通りが途切れたあたりに晴天寺の山門があります。静かな環境ですが,おしげさんと同じ目的の人がけっこう来ています。

その中で亡き夫の面影を宿す石仏を探す男の子を連れた女性がいます。おしげさんは子どもの世話をしながら一緒に探すことにします。先に駆けていった子どもが「あった」と声を出した石仏は芸術家先生の見せてくれた写真のものでした。母親もふっくらしたところがそっくりと同意します。

そこに「これはお母さんなんだから」という女の子が現れ,男の子と言い争いになります。女の子に呼ばれてやってきた父親は恐縮し,男の子の母親も恐縮して謝ります。

お互いに連れ合いを亡くした同士であることが分かり,女性はおしげさんと女の子の父親にもってきたお弁当をいっしょにいたきませんかと誘います。計らずしもお昼を誘われたおしげさんは嬉しそうに仲間に入ります。

敷物を敷いて5人はお昼をいただきます。女性は「分かっていてもついついパパの分まで作ってしまうんです」とその多さについて説明します。二つの家族はそれぞれ亡き人の思い出話をしているときに寺の住職が現れ,「家族水入らずのところを悪いが,ここでお弁当を広げられてはこまるのう」と場所を移動するように言います。

おしげさんは住職の「家族水入らず」という言葉に反応し,「さあ,パパさん・・・ママさん,家族だ」と言い出すと女性は「ねえ,パパ・・・片付けましょう」と引き取ります。

男性は赤くなりながら「そっ,そうだな・・・ママ,カーディガン直ったかい?」と返すと,「はい,あなた・・・どうぞ」とにわか家族ごっこが続きます。

バス停でおしげさんは「秋のお彼岸にまたあの石仏様の前で会わず!あしらはきっと縁があるだに・・・」と話します。しばらくして,おしげさんのところにあの日の写真が届きました。それはまるで家族の記念写真のようです。

阿羅漢 (あらかん)は仏教において尊敬や施しを受けるに相応しい聖者を意味します。語源はサンスクリット語のアルハットであり,これを漢字に音訳したものが阿羅漢です。羅漢と省略されることもあります。

初期仏教では修行者の到達し得る最高位をこのように呼んでいましたが,漢字圏では原義が失われ,仏法を護持することを誓ったブッダの16人の弟子を十六羅漢,第1回の仏典編集(結集)に集まった500人の弟子を五百羅漢と呼称しています。

私は埼玉県に居住しており,近くの川越市・喜多院の五百羅漢は日本三大羅漢の一つに数えられています。残念ながら私はまだ行ったことがありませんので,この機会に訪問し,父母や祖父母に似た石仏を探してみようかななどと考えています。

第17話|あいちゃん

芸術家の先生が胃潰瘍で入院しました。おしげさんはあわてて市民病院にかけつけます。しばらくは輸血と点滴のため彼女はベッドから動けませんので,おしげさんが身の回りの世話をすることになります。

洗濯場でおしげさんはこの病院で家政婦をしているあいちゃんに出合います。あいちゃんは明るくて,行動的で病院の人気者です。芸術家の先生の病室はあいちゃんにとっては特別のものでした。そこはあいちゃんの夫が長い間闘病生活を続けたところでした。そのとき,彼が描いたあいちゃんの似顔絵が棚の下の残されています。

そのような縁であいちゃんはしばしば芸術家の先生の病室を訪ね,おしげさんとも親しくなります。あいちゃんの住まいはおしげさんのバスと同じ路線にあり,おしげさんはあいちゃんに誘われて彼女の住まいを訪れます。

小さな机の上に二人一緒の写真があり,あいちゃんはまず写真の夫に話しかけながらコーヒーを置きます。あいちゃんが飲むカップも夫が買ってきてくれた思い出の品物です。

おしげさんも自分のところにも同じような湯呑みがあり,同じように写真に話しかけたりしながらそれでお茶を飲むと話します。二人は同じような生活習慣をもっていることにより意気投合します。

そんなとき,あいちゃんの患者さんがベッドから転落し,頭から出血するという事件が起こります。あいちゃんはそのとき芸術家の先生の病室にいたため,自分の責任だと自分を責めます。

屋上であいちゃんを見つけたおしげさんは「いまちゃんとしとかにゃあ これから旦那さんの写真に正面向いて話ができんだよ」と励まします。さいわい,患者さんのケガは大事に至らず,安堵したあいちゃんは笑顔で移動用のベッドを押していきます。

若くして夫を亡くしたあいちゃんは夫の看病の思い出がたくさん詰まっている病院で家政婦となる道を選択し,実家にも戻らず懸命に生きています。1980年ごろでしたら(子どもがいませんので)このような形で生計を立てることは可能だったと思います。

これが現在なら経済的に苦しい状況に陥る可能性は十分にあります。2014年にNHKは「子どもクライシス」として3回シリーズの番組を放送しました。それによると,母子家庭における相対的貧困率は60%,就労平均年収は181万円,就労者の半数以上は非正規雇用となっています。

このデータからわかることは日本社会が極端に社会的弱者に対して冷淡なものになっていることです。格差社会の米国ですらひとり親世帯の相対的貧困率は35%程度,EU諸国では5-25%ですので,日本の母子家庭の相対的貧困率の高さは許容できる水準ではありません。

女性は男性の従属物ではありませんので,女性がシングルマザーになったり,子連れ離婚をすることは人生の選択肢として容認される社会でなければなりません。現実の社会では母子家庭が貧困に陥ると,自己責任,社会のお荷物という評価が下され,困った人たちとして差別の対象にもなります。

現代日本においては経済的に多くの女性は社会的弱者であり,母子家庭には特段の配慮が必要です。にもかかわらず,少子高齢化対策のための政策の中には母子家庭のセーフティ・ネットを強化するという発想はないようです。

赤い電球

駐在所に石原さんという新しいお巡りさんが赴任してきました。田舎の駐在所勤務を嫌がる妻は子どもと一緒に町の自宅に残っています。おしげさんは宿舎が散らかっていることから,なにかと世話を焼くことになります。

ある日,見慣れない小さな女の子がおしげさんの店の前に立っており,事情を聞くと自分で迷子だと言います。おしげさんはあわてて子どもの手を引いて駐在所に駆け込みます。

実はこの子は石原さんの子どもであり,母親はようやく駐在所でしばらく過ごすことにしたようです。迷子になったこの子は赤い電球を目印に駐在所を探そうとしたようです。

この母親は教育熱心で隣近所とは付き合いの少ない家庭中心主義のようです。兄と妹が遊びに行こうとすると,お勉強の時間でしょうと言い出します。石原さんは鷹揚に「まあ,いいじゃないか」となだめます。

母親は田舎の濃密な人付き合いは苦手であり,村人がなにかを聞きに来ても「あたし,なにも分かりません」とそっけない対応です。

日曜には町に出て買い物を楽しみにしていましたが,交通事故で豚が逃げ出し,石原さんは村人と一緒に駆け出します。母親は日曜も家族だけの時間もとれない駐在所勤務に愛想をつかし,子どもたちを連れて町に戻ります。

村人たちは「嫁の辛抱が足りない」と噂しますが,おしげさんは村のためにお巡りさんの家庭がうまくいかないことを気に病んでいます。

おしげさんは町の本署に出向き前任者に相談しますが,さすがに家庭問題を上司に持ち込むわけにはいきません。おしげさんが説得のため石原家を訪問したところ,下の娘がリュックを背負ってどこかに出かけたようであり,兄は「パパのところに行った」と話します。

母親は駐在所に電話したところひどく怒られました。母親は青くなりおしげさんと一緒にバスに乗って村に向かいます。普段ならバス停から駐在所まではすぐなのですが,今は工事のためその4kmも手前までしか通っていません。

道路工事の現場では女の子が通ったことが分かりました。その先を進むとバイクで石原さんがやってきて,娘には合わなかったと話します。暗くなりかかっていますのでおしげさんは村人に子ども探しを依頼します。村人はこころよく子ども探しを始めます。

捜索には妊婦さんも参加しており,彼女は「村の子がはぐれてるっていうときにじっとしちゃいられないよ」と話してくれます。この「村の子」という言葉は石原さんの妻にはとても新鮮な響きだったようです。

おしげさんは迷子の子が赤い電球を目印にしていることを思い出し,もう一つの赤い電球がある消防施設で無事に見つけ出します。母親が「さあ帰りましょう」というと娘は「どっちのおうち」と聞き返し,母親は「赤い電球のおうちよ」と答えます。

町の暮らしと田舎の暮らしの大きな差異点がここにあります。町ではお金を出せばたいていの問題は誰かが解決してくれます。しかし,田舎ではそうはいかず,村人がお互いに助けあっていかなければなりません。そのために人間関係が濃密になり,町からやって来た人にとっては大きな精神的な負担になることもあります。

石原さんの妻もこのケースに該当します。しかし,妊婦さんまでもが「村の子」の捜索に参加してくれた暖かさは田舎ならではのものであり,その暖かさに触れると田舎の人間関係の良さに気付かされたことでしょう。きっと,この事件を機に石原さんの一家は村人の仲間入りができることでしょう。

「利平さんとこのおばあちゃん」にはこのような話がたくさん詰まっています。現在の漫画のようにはなばなしいストーリーはありませんし,絵柄も地味なものです。しかし,お話の中核にあるのは田舎ならではの豊かな人間性であり,暖かい人間関係です。若い頃はこんな退屈な漫画と思っていても人生経験を積むにしたがって人生で大切なものは何かと気づかされる作品です。