私的漫画世界
宮沢賢治の世界をビジュアル化する
Home私的漫画世界 | 風の又三郎

ますむらひろし

「ますむら ひろし」は1952年生まれですので私がリアルタイムで漫画を読んでいたころには作品を出していたはずですが,まったく記憶にありません。

山形県米沢市の出身であり,宮沢賢治の影響を強く受けているような感じがします。1973年に応募した「霧にむせぶ夜」が第5回手塚賞に準入選しています。「霧にむせぶ夜」は石原裕次郎が1968年にレコードを出し大ヒットとなりました。ますむらは音楽もやりますのでその縁でこのタイトルの作品を描いたのでしょう。

その後,「ガロ」や「マンガ少年」で執筆しています。さすがにこの範囲では私との接点はありませんので作品も作者名も知らないのは当然です。

私はますむらの作品はほとんど読んだことがありませんが,擬人化され二本足で立つ人間サイズの猫が出てくるものが多いようです。古本屋でますむらの作品を最初に手に取ったのは宮沢賢治作品を漫画化した「銀河鉄道の夜」と「風の又三郎」でした。

原作の細かい所は忘れていますが,大筋は承知していました。ページを開くと人間の子どもの代わりに服を着て二本足で歩く猫が登場するのですっかり面食らってしまいました。

「グーグーだって猫である」でも触れたように個人的には猫を擬人化した表現は好きではありません。さてさてどうしようと少し迷いながら内容を読むと原作をていねいにトレースしていましたので購入してみました。

内容は悪くないですね。ほとんどの登場人物が猫になっており,その雰囲気が宮沢賢治の作品世界と不思議にもうまく融合しているのです。ますむら作品は宮沢賢治の影響を強く受けているようですので,そのため相性が良いのでしょう。

ますむらの代表作品であり,ライフワークともいうべき「アタゴオル物語」は「ヒデヨシ」という狂言回しのようなキャラクターが引き起こす騒動が物語の中核にあるものの,全体基調はファンタジーです。

「イーハトーブ」が宮沢賢治の心象世界にある理想郷であるように,「アタゴオル」はますむらの作品の原風景となっています。その雰囲気がそのまま賢治作品の漫画化に生かされています。

これによりますむらは2001年に「第11回宮沢賢治学会イーハトーブ賞」を受賞しています。宮沢賢治の研究者でもあるますむらにとってはとてもうれしい受賞だったことでしょう。


宮沢賢治

宮沢 賢治(1896年-1933年)は大正から昭和にかけて多くの作品を手がけた岩手県出身の詩人,童話作家です。多数の作品が執筆されていたにもかかわらず生前に出版されたものは「春と修羅(詩集)」と「注文の多い料理店(童話集)」だけであったため,ほとんど無名に近い状態でした。

彼の没後に親交のあった草野心平らの尽力により作品群が広く知られるようになり国民的作家として評価されるようになりました。

郷土である岩手県やその象徴ともいうべき岩手山をこよなく愛し,作品中には心象の理想郷として「イーハトーブ」を登場させています。

賢治はその地域では裕福な家に生まれ,学業を積み,就職もしています。そのような恵まれた生活と周囲の農家の悲惨な境遇の落差からある種の罪悪感を抱くようになり,彼の作品世界に投影されています。また,彼の作品のよき理解者であった妹のトシの失くした喪失感もそれ以降の彼の作品に影響しています。

賢治の童話は大人が読んでも難解な部分があります。作品中には彼が思い描いた心象の風景をそのまま書いているように感じられるところが多々あり,それを読者が自らのイメージに転換してありのままで理解するのは難しいのです。

これは,作者と読者を結ぶものがテキストしかないことによる限界なのです。特にファンタジーの世界ではそのことを強く感じます。

賢治の心象の風景は独特のものであり,その表現方法は擬声語(擬音語と擬態語の総称)を多用し,作品によっては詩のようなリズム感をもたせてあります。そのような表現方法は独特の自然との交換力によるものとされており,賢治の作品の際立った特徴となっています。

ますむらが童話世界を漫画化するにあたりもっともこころを砕いたのは賢治の心象の風景を絵の世界でどのように表現するかであったと考えます。その心象の風景がしっかり描かれていれば,テキストを付加することにより賢治の作品世界は読者にも理解できます。

そこに出てくる登場人物は人間でも擬人化した猫でも作品を理解するうえではそれほど問題にはなりません。ますむらは「アタゴオル物語」で擬人化した猫の世界を描いており,賢治の童話を漫画化するするのあたり,その描写方法をそのまま持ってきても読者にとっては違和感はありません。

そもそも,ますむらが「アタゴオル物語」で擬人化した猫の世界を描いたのは宮沢賢治の作品から受けた影響によるものとも考えられます。単行本「風の又三郎」には「どんぐりと山猫」「雪渡り」「猫の事務所」が収録されています。それらの原作品には山猫,きつね,猫が擬人化されており,その延長線上に「アタゴオル物語」があるのかもしれません。

擬人化された猫の世界という表現を共有することにより,作品の垣根を越えてまったく別の作品世界がつながることにもなります。この作品世界のつながりはますむらにとっては当然の帰結であったかもしれません。宮沢賢治の研究者であり,その影響を受けたますむらにとっては作品世界で賢治と一つになれることは漫画家としての原点であり,終生の目標だったのではと推測します。


風の又三郎

宮沢賢治は完成した自分の作品にしばしば手を入れており,「永久の未完成これ完成である」という言葉を残しています。「風の又三郎」も複数の版のテキストがあるようです。そのあたりを調べてネット上に開示しているサイトがあります。その中から「校本全集版」のテキストを引用してみますと物語の書き出しは左欄のようになっています。

この原作のテキストとますむらの漫画を比較すると,テキストレベルで非常に良くトレースしていることが分かります。宮沢賢治の作品世界は独特のものであり,重要なテキストを省略したり変更したりすると彼がテキストを通して読者に伝えたかった心象の世界を歪めてしまう危険性があります。

そのため,ますむらはテキストを可能な限り原作からトレースし,それを自分なりに解釈した風景にはめ込む手法をとっています。

最初のページには谷川の近くに小さな民家のような小学校,小さな運動場,背後に迫る山などが描かれています。朝早く登校してきた二人の服装は着物ともんぺの組み合わせです。彼らは教室の中で見知らぬ子どもを見つけますが,彼の服装は洋風化しています。その後に集まってきた子どもたちは着物姿ともんぺ姿が混在しています。最後に登場した先生の服装は洋風化しています。

それは賢治の時代の村の学校ではごく普通のことです。ますむらは賢治の思い描いていた世界を(自分なりの解釈ではありますが)正確に再現しようとしていることがこれで分かります。

ところで子どもたちが転校性を「風の又三郎」と呼びますが,これはいったいなんなのでしょう。ネット上で「風の三郎」を検索するといくつかの答えが見つかります。
● 賢治の出身地である岩手県に伝わる風の神様
● 東北地方の民話で伝わる妖怪「座敷わらし」
● 甲信越地域で使用されている風の神の呼び名
● 風の神(風の三郎)を旧暦6月27日にまつり風除けを祈る(新潟県)
● 風の三郎を風の又三郎を呼んで風の神として祀る(新潟県)

このあたりは宮沢賢治の研究者がいろいろ調べており,複数の研究者は盛岡高等農林学校在籍時に出会い,大いに親交をもった一年後輩の保阪嘉内の影響を指摘しています。

保阪嘉内は山梨県韮崎の出身であり,彼の故郷の八ヶ岳には「風の三郎ヶ岳」があるようです。風の神を「風の三郎」と呼ぶ地域は新潟,長野,福島,山梨,静岡などの甲信越地方から東北地方にかけて広がっています。

二人の間で共通の話題として「風の神」の話があったとしてもなんら不思議はありません。大親友と「風の三郎」を共有できたことが作品を生むきっかけになったというのは自然な流れです。

同じようなことは「銀河鉄の夜」についてもいえます。賢治が14歳,嘉内が13歳であった1910年にハレーすい星が地球に接近し,嘉内は韮崎の実家から南アルプス方面に尾を引くハレーすい星を眺め,スケッチとして残します。このスケッチには「銀漢(銀河)ヲ 行ク彗星ハ 夜行列車ノ様ニニテ 遥カニ虚空ニ消エニケリ」と書き記しています。

20代の頃に二人は岩手山に登り,山頂で一夜を明かしたことがあります。その日が満天の星空であったかどうかは分かりませんが,子どもの頃のビッグイベントであったハレーすい星の話が出てくるのも自然なことです。

嘉内はそのときのスケッチに記したすい星の印象を賢治に話したかもしれません。すい星を銀河を行く夜行列車に見立てる発想は賢治にとっても新鮮なものであり,二人は物語のプロットにつながるようなことも語り合ったのかもしれません。このようなことは私の推測に過ぎませんが,多くの研究者も嘉内の影響について記しています。

「風の又三郎」とはいったいどんなお話だったのか,ますむら漫画で説明してみましょう。原作の冒頭の部分を読んでもらうと分かるように,旧かなづかいの文章は読みづらくかつ内容もあまり頭にはいりません。

ますむら漫画の方がずっとよく分かります。やはり,賢治の心象の風景が背景として描かれていますし,子どもたちの会話が本文と分離されて吹き出しの形となっていますので理解しやすいわけです。内容は日記形式で夏休み明けの9月1日から9月12日まで続いています。当然ですが,この形式は原作と同じです。

●9月1日
子どもたちが登校すると一つしかない教室の中には見知らぬ少年が座っています。上級生の一人は突然どうと風が吹いてきたことから「風の又三郎」だと叫びます。この表現は「風の神」というよりは「風小僧」に近いものだと推測します。朝礼の後で教室に入った子どもたちに先生は転校生の「高田三郎」を紹介します。彼の父親は鉱山技師でありモリブデン鉱石の採掘のためこの土地にやってきました。

●9月2日
上級生は三郎のことが気になり,朝早くから学校に集まります。この日は授業風景が描かれています。教室は一つであり,そこで1年生から6年生が授業を受けます。先生は1人で学年ごとに問題を出したり,教科書を読ませたりと大忙しです。兄弟で鉛筆を取り合う騒動もあり教室の中はにぎやかです。

●9月3日
この日は日曜日です。子どもたちは学校の近くの泉で水を飲み,野原に遊びに行きます。野原の一画は草刈り場や牧場になっており,子どもたちは馬と戯れます。嘉助は牧場から逃げ出した馬を追って迷子になりますが,風の又三郎が見守ってくれたおかげで無事に皆のところに戻ることができました。この体験から嘉助は三郎=風の又三郎とより強く考えるようになります。

●9月5日
朝からの雨は授業が終わるころには上がります。子どもたちは山ぶどうを取りに出かけます。途中で三郎はたばこ畑で葉を一枚むしってしまいます。当時はタバコは大蔵省が直轄する専売制でしたので,葉の一枚でもとることは法律に違反することになります。もちろん,畑の中の葉の枚数を数えることなどは不可能ですからおとがめはありません。子どもたちは山ぶどうをとり,栗を拾い集めます。

●9月6日
気温が上がり子どもたちは川遊びに行きます。石を水中に投げ入れ,その石をもぐって取りに行く「石取り」は当時の遊びです。どこかの大人が発破(ダイナマイト)を水中に投げ入れ,魚をとろうとしています。子どもたちは下流で気絶して流れてくる魚をつかまえます。この当時でも発破漁は禁止です。

●9月7日
一人の子どもが学校に「毒もみ」をもってきました。これは山椒の粉を川にまき,魚をしびれさせて捕まえるものです。この漁も禁止されています。学校が終わってから子どもたちは川に行き,上流から毒をまいてもらいますがさっぱり成果がありません。子どもたちは川の中で「鬼っこ」に興じます。天気が急変し雷鳴がとどろき,雨になります。子どもたちは木の下に避難しますが,三郎はまだ泳いでいます。どこからか「雨はざっこざっこ雨三郎 風はどっこどっこ又三郎」という声がします。子どもたちは同じ言葉を唱和します。三郎は水からあがり,ぶるっとふるえながら「いま叫んだのはお前たちかい」とたずねます。

●9月12日
どっどど どどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくわりんもふきとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

一郎は夢の中で三郎が現れたときに聞いた歌を再び聞きます。今日は風が強く一郎は又三郎が飛んで行ってしまうような不安を感じます。朝食もそこそこに嘉助と一緒に学校に行くと,ちょうど出てきた先生が三郎はお父さんの都合で転校していったと話します。二人は顔を見合わせ,相手の考えを探ろうとします。はたして三郎は「風の又三郎」だったのだろうかと・・・。外では風が吹き,教室の窓を音をたたて揺すっています。

この作品から賢治のメッセージを読み解くことはまずできません。一緒に収録されている他の作品も同様です。賢治はこれらの作品を童話として分類しており,その中になんらかのメッセージを探すことは生産的な作業ではないのかもしれません。

童話は賢治の心象の世界をそのままテキストにしたものであり,その世界は(友人や家族の影響はあるものの)自己完結しているように感じられます。現在の私達には賢治の内面世界である心象の世界をより深く理解しようとすることだけが残されているように感じます。


銀河鉄道の夜

この作品は宮沢賢治の作品ではもっとも知られています。私も子どもの頃に読んだ記憶はありますが内容はどうだったかと訊ねられると答えようがありません。いま読み返してもこの作品は非常に難しいものです。

作品を通して賢治がなにを伝えたかったのかがよく分からないこと,列車から見える情景の描写がきわめて観念的で自分でイメージするのが難しいことがその要因だと考えます。ますむら版の「銀河鉄道の夜」ではイメージの点はある程度分かりますので少しは理解の助けになります。