大石まさるの作品世界
大石まさるは東京都出身です。デビュー作は「火星探掘紀行」であり,1995年か1996年頃のようです。1998年以降は主に少年画報社の雑誌で作品を発表しています。
といっても,私がちゃんと読んだことのある作品は手元にある「みずいろ」と「水惑星年代記」だけですから,大石まさるの作品の傾向を論じるには資料不足です。
言えることは「ファストライフ」に属する人たちと「スローライフ」に属する人たちとの交流が主要なテーマになっているということです。「みずいろ」では仕事優先の母親は都会暮らし,父親は田舎でのんびり暮らしています。娘の清美は暖かい人々に囲まれ田舎暮らしを楽しんでいます。
「水惑星年代記」の第1話の茉莉(まつり)は宇宙軌道エレベーターで働いていますが,実家は田舎であり,雪道を自転車で移動するという落差が笑えます。
大石ワールドでは近未来の科学世界と現在の田舎世界が同居する世界であり,そこでは最先端科学を目指す人たちもいれば田舎でのんびり暮らす人もいます。
茉莉の婚約者はふだん月面で暮らしており,超光速通信を研究しています。しかし,彼も地球に戻ると田舎暮らしであり,茉莉の祖母は「男を立ててあげなければ」などと現在では死語になっているような古いことを口にします。物語の舞台は近未来を指向しつつも,人間関係は現在より一昔古いものが作者の作品世界になっています。
「水惑星年代記」でときおり出てくる科学理論は「鶴田謙二の Spirit of Wonder」と雰囲気が似ています。量子のテレポーテーションを利用した超光速通信,超高密度物質によるカウンターGによる加速度の相殺,空気より軽い水素の詰まったニッケルの風船など超SFの科学技術が話の小道具として組み込まれています。
もちろん,そのような技術はあり得ないものなのですが,どうしてあり得ないのかという考察をしながら,ふむふむと楽しく読むことができます。
もっとも,最終巻の「月娘」はひたすら前へ,ひたすら遠くを目指す人たちが主役となっており,人間関係もそれに応じて変わっています。「水惑星年代記」としては地に足のついていない異端の作品です(宇宙に進出するのですから地に足がついていないのは当然ですね)。
火星年代記
「水惑星年代記」というタイトルを見て私のような団塊の世代の方々はレイ・ブラッドベリにより書かれSF小説の古典となっている「火星年代記(The Martian Chronicles)」を思い浮かべるのではないでしょうか。
この作品は1940年代に執筆された短編にいくつかの書きおろし短篇を追加して一冊にまとめたもので初版は1950年です。地球と火星で起きたできごとを記したそれぞれの短編には1999年1月から2026年10月までの日付が付与されており,年代記のタイトルの通り時間順に並べられています。
1997年には改訂版が発表され,前書きを新たに書きおろし,幾つかのエピソードを入れ替え,始まりの年代を2030年に変更しています。
1968年に初公開されたSF映画の傑作「2001年宇宙の旅」のように,1960年代のSF作家は21世紀には人類は太陽系に進出していると考えましたが,現実には太陽系といえども非常に広大であり,地球の重力を振り切って火星まで人を運ぶのは現在でも夢に近いプロジェクトです。
現実の宇宙開発はSF作家の期待よりはるかに歩みが遅く,作家の設定した時間軸が置き去りにされるようになっています。
宇宙の夢を語るのはとても素晴らしいことです。しかし,それに水を差すようで申し訳ないのですが,私たちは足元の地球の状態もしっかり認識するようにしたいものです。
文明が始まった8000年前には500万人であった人類は,2000年前には2億人,現在は72億人を越えているでしょう。人類は生物・無生物をとわず地球資源をすさまじい勢いで消費しており,他の生物の生息環境を著しく狭め,劣化させています。
人類は化石燃料を大量に消費し,その廃棄物である二酸化炭素は地球温暖化を招いています。その化石燃料も生産のピークを意識しなければならない時期になっていますし,原子力発電の廃棄物である使用済み核燃料は行き場も見つからないまま溜まり続けています。
これだけの環境破壊を引き起こしながら,地球人口のうち6人に1人,12億人は1日1.25$以下で暮らさなければならない絶対貧困層を形成しています。日本でも相対貧困率が16%となっており,母子家庭に限ると50%を越えています。科学を発展させ,経済規模を拡大させても人類の相当割合は生きるのにやっとという状況です。
地球温暖化についていえば,「水惑星年代記」では海水面の上昇により陸域の相当部分が水没しています。物語の中ではそれでも未来に向かって進んでいく人々が描かれてますが,実際にそれほどの海面上昇が短期間で起きたら,悲惨な状況になります。
現在の世界人口の半分以上は海岸から60km以内のところに居住していますので世界中で10億人単位の環境難民が発生します。河川の河口デルタは農業に適しており,多くの国の穀倉地帯となっています。そのような地域は海水面上昇にはもっとも脆弱なところなのです。
現在でも20cmほどの海水面上昇により長い海岸線をもつベトナムでは海岸浸食が喫緊の課題となっています。太平洋に点在する島嶼国家は国民全体を別の国に移住させる計画が進んでいます。
日本の沿岸居住人口割合は世界平均よりずっと高く,3大都市圏はすべて沿岸にあります。海水面が80cm上昇すれば日本の海岸の砂浜はほとんど失われ,2mも上昇すれば沿岸都市の水没が現実のものとなります。
現在,もっとも懸念されているのはグリーンランドの氷床です。平均して1500mの厚さをもつグリーンランドの氷床がすべて溶融すると海水面は7m以上上昇します。氷床の溶融量は気温に比例するわけではありません。
気温があるところまで上昇すると氷床そのものが不安定になり,海への流出と溶融が止まらなくなります。この非可逆的な変化が何度の気温上昇で生じるかは分かっていませんが,言えることはそこに達するともう取り返しがつかないということです。
もちろん,グリーンランドの氷床の大半が溶融するためには1000年ほどの時間がかかりますが,人類の命運を左右することになります。人類の一員として水の惑星がこれ以上陸域を浸食しないことを願うばかりです。