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水の惑星から宇宙に向かう物語
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大石まさるの作品世界

大石まさるは東京都出身です。デビュー作は「火星探掘紀行」であり,1995年か1996年頃のようです。1998年以降は主に少年画報社の雑誌で作品を発表しています。

といっても,私がちゃんと読んだことのある作品は手元にある「みずいろ」と「水惑星年代記」だけですから,大石まさるの作品の傾向を論じるには資料不足です。

言えることは「ファストライフ」に属する人たちと「スローライフ」に属する人たちとの交流が主要なテーマになっているということです。「みずいろ」では仕事優先の母親は都会暮らし,父親は田舎でのんびり暮らしています。娘の清美は暖かい人々に囲まれ田舎暮らしを楽しんでいます。

「水惑星年代記」の第1話の茉莉(まつり)は宇宙軌道エレベーターで働いていますが,実家は田舎であり,雪道を自転車で移動するという落差が笑えます。

大石ワールドでは近未来の科学世界と現在の田舎世界が同居する世界であり,そこでは最先端科学を目指す人たちもいれば田舎でのんびり暮らす人もいます。

茉莉の婚約者はふだん月面で暮らしており,超光速通信を研究しています。しかし,彼も地球に戻ると田舎暮らしであり,茉莉の祖母は「男を立ててあげなければ」などと現在では死語になっているような古いことを口にします。物語の舞台は近未来を指向しつつも,人間関係は現在より一昔古いものが作者の作品世界になっています。

「水惑星年代記」でときおり出てくる科学理論は「鶴田謙二の Spirit of Wonder」と雰囲気が似ています。量子のテレポーテーションを利用した超光速通信,超高密度物質によるカウンターGによる加速度の相殺,空気より軽い水素の詰まったニッケルの風船など超SFの科学技術が話の小道具として組み込まれています。

もちろん,そのような技術はあり得ないものなのですが,どうしてあり得ないのかという考察をしながら,ふむふむと楽しく読むことができます。

もっとも,最終巻の「月娘」はひたすら前へ,ひたすら遠くを目指す人たちが主役となっており,人間関係もそれに応じて変わっています。「水惑星年代記」としては地に足のついていない異端の作品です(宇宙に進出するのですから地に足がついていないのは当然ですね)。

火星年代記

「水惑星年代記」というタイトルを見て私のような団塊の世代の方々はレイ・ブラッドベリにより書かれSF小説の古典となっている「火星年代記(The Martian Chronicles)」を思い浮かべるのではないでしょうか。

この作品は1940年代に執筆された短編にいくつかの書きおろし短篇を追加して一冊にまとめたもので初版は1950年です。地球と火星で起きたできごとを記したそれぞれの短編には1999年1月から2026年10月までの日付が付与されており,年代記のタイトルの通り時間順に並べられています。

1997年には改訂版が発表され,前書きを新たに書きおろし,幾つかのエピソードを入れ替え,始まりの年代を2030年に変更しています。

1968年に初公開されたSF映画の傑作「2001年宇宙の旅」のように,1960年代のSF作家は21世紀には人類は太陽系に進出していると考えましたが,現実には太陽系といえども非常に広大であり,地球の重力を振り切って火星まで人を運ぶのは現在でも夢に近いプロジェクトです。

現実の宇宙開発はSF作家の期待よりはるかに歩みが遅く,作家の設定した時間軸が置き去りにされるようになっています。

宇宙の夢を語るのはとても素晴らしいことです。しかし,それに水を差すようで申し訳ないのですが,私たちは足元の地球の状態もしっかり認識するようにしたいものです。

文明が始まった8000年前には500万人であった人類は,2000年前には2億人,現在は72億人を越えているでしょう。人類は生物・無生物をとわず地球資源をすさまじい勢いで消費しており,他の生物の生息環境を著しく狭め,劣化させています。

人類は化石燃料を大量に消費し,その廃棄物である二酸化炭素は地球温暖化を招いています。その化石燃料も生産のピークを意識しなければならない時期になっていますし,原子力発電の廃棄物である使用済み核燃料は行き場も見つからないまま溜まり続けています。

これだけの環境破壊を引き起こしながら,地球人口のうち6人に1人,12億人は1日1.25$以下で暮らさなければならない絶対貧困層を形成しています。日本でも相対貧困率が16%となっており,母子家庭に限ると50%を越えています。科学を発展させ,経済規模を拡大させても人類の相当割合は生きるのにやっとという状況です。

地球温暖化についていえば,「水惑星年代記」では海水面の上昇により陸域の相当部分が水没しています。物語の中ではそれでも未来に向かって進んでいく人々が描かれてますが,実際にそれほどの海面上昇が短期間で起きたら,悲惨な状況になります。

現在の世界人口の半分以上は海岸から60km以内のところに居住していますので世界中で10億人単位の環境難民が発生します。河川の河口デルタは農業に適しており,多くの国の穀倉地帯となっています。そのような地域は海水面上昇にはもっとも脆弱なところなのです。

現在でも20cmほどの海水面上昇により長い海岸線をもつベトナムでは海岸浸食が喫緊の課題となっています。太平洋に点在する島嶼国家は国民全体を別の国に移住させる計画が進んでいます。

日本の沿岸居住人口割合は世界平均よりずっと高く,3大都市圏はすべて沿岸にあります。海水面が80cm上昇すれば日本の海岸の砂浜はほとんど失われ,2mも上昇すれば沿岸都市の水没が現実のものとなります。

現在,もっとも懸念されているのはグリーンランドの氷床です。平均して1500mの厚さをもつグリーンランドの氷床がすべて溶融すると海水面は7m以上上昇します。氷床の溶融量は気温に比例するわけではありません。

気温があるところまで上昇すると氷床そのものが不安定になり,海への流出と溶融が止まらなくなります。この非可逆的な変化が何度の気温上昇で生じるかは分かっていませんが,言えることはそこに達するともう取り返しがつかないということです。

もちろん,グリーンランドの氷床の大半が溶融するためには1000年ほどの時間がかかりますが,人類の命運を左右することになります。人類の一員として水の惑星がこれ以上陸域を浸食しないことを願うばかりです。


水惑星年代記

短篇が6話収録されていますが「LETTERS2」を取り上げてみましょう。すでに宇宙軌道エレベーターは完成しており,茉莉はおそらく無重力状態の静止軌道ステーションで働いているのでしょう。

宇宙軌道エレベーターは地上から垂直に伸びる約10万kmにもおよぶケーブルです。静止軌道から下側のケーブルには重力がかかり,上側のケーブルには遠心力が働きますので通常の素材では自重のため切れてしまいます。

私達の身の回りの物質ではまったく強度が不足しており,鋼鉄では50km,ケプラー繊維では200km程度が限界です。そのため,軌道エレベーターはSFの産物にとどまっていましたが,カーボンナノチューブができたことにより10万kmのケーブルは技術的に可能になりました。

カーボンナノチューブは網の目のように原子間結合した炭素原子が円筒状になった素材です。比重は鋼鉄の1/100,単位面積あたりの引張強度は鋼鉄の300倍というすぐれた素材です。この素材を長くする技術が確立すれば宇宙エレベータ建設の最大の技術的課題が解決します。

宇宙エレベータを使用すれば訓練を受けていない一般人でも現在の国際宇宙ステーションの高度400kmまでは日帰り旅行で行くことができます。これから上は研究者の世界となり,宇宙線の影響が無視できなくなりますので,水に覆われた特殊なシェルターの中に入って移動しなければなりません。

この手軽に宇宙に行くことができる夢の設備建設費用は100-200億ドルとなっており(wikipedia),信じられないくらい安いという印象です。日本では東京から大阪までリニア新幹線を通す費用が約10兆円ですから,(1$=100円で計算すると)1kmあたり2億ドルです。それに対して軌道エレベーターは1kmあたり10-20万ドルに過ぎません。

茉莉が働いている静止軌道ステーションは無重力状態です。これは地球から離れたので無重力となっているわけではなく,重力と周回による遠心力が釣り合っているためです。

10万kmにおよぶ宇宙エレベータには複数の高度にステーションが建造されますが,無重力状態の場所は静止軌道ステーションだけです。それより低い所では重力>遠心力となり下向きの力が加わり,高い所では遠心力>重力となり上向きの力が加わります。

さらに,静止軌道より高い所では地球の脱出速度を超えていますので,そこから宇宙船を送り出すと地球の引力から脱出するためのエネルギーは不要になります。

地球の周回軌道に衛星を打ち上げるためのロケットにおいては全重量の90%は燃料と燃料タンク,燃焼エンジンとなっています。燃料を持ち上げるためにさらに多くの燃料が必要ですのでこのようなことになります。月や火星を目指すには地球の引力を脱出しなければなりませんのでさらに多くの燃料が必要になります。宇宙エレベーターではこの燃料が不要になります。

静止軌道ステーションは地上から35,000kmの上空にありますので地上駅から出発した場合,新幹線ほどの速度で移動しても約1週間かかる計算です。軌道エレベーターの名前の通り地上と軌道ステーションを行き来するクライマーと呼ばれるシャトルはエレベータ―と同じ動きをします。

ただし,形状は円筒型であり,フロアで区切られた空間となります。クライマーはロープでけん引されるのではなくケーブルを挟み込むような構造のリニアモーターとなるでしょう。そのための電力は地上からレーザーあるいはマイクロ波ビームで送られることになりそうです。

一般人が気軽に行ける高度400kmでは遠心力が重力よりずっと小さいので,体がちょっと軽くなったという程度の感覚です。当然,座席に座るときはお尻は地球を向けることになります。

ところが,静止軌道より高いところに行こうとすると遠心力>重力となりますのでお尻を地球と反対に向けて(逆立ちした状態で)座ることになります。

クライマーもエネルギー無しで(逆にブレーキをかけながら)高度10万kmの最終ステーションまで行くことができます。その代り,静止軌道に戻る時はモーターを動かさなければなりません。これは感覚的には不思議な世界です。

地上から静止軌道に達するまでクライマーは大量の電力を使いますが,下りではブレーキをかけて速度を一定に調整しなければなりません。このブレーキで発電することにより,上りで使用したエネルギーの相当部分を回収することができます。

人間は無重力状態に長い間いると骨密度と筋力が衰えてしまい,地上に戻って来た時には重力のため立つことすらできない状態になります。

宇宙エレベータでは静止軌道から地上に戻る時も1週間程度の時間がかかります。その間に少しずつ増える重力に身体を慣らしていくとある程度,回復できるかもしれません。現在の宇宙ステーションから帰還するときは一気に落ちますので回復時間はありません。

同時に降りていくにしたがって重力が大きくなりますので,茶碗を空中に置くようなクセも改善されるはずです。もっとも,無重力状態ではすべての食品は密封されたものが基本です。

現在では粘性の高い料理を容器に盛り,スプーンですくうというところまで進化しています。飲み物に関しては密封容器をストローで吸う方法が基本でしょう。最近のニュースでは無重力状態で使用できるマグカップが話題となっています。

久しぶりに地上に戻った茉莉は雪の中を自転車をこいで祖母のところに向かいます。周辺の景色や家屋は現在と同じであり,近未来という感じはしません。このように一つの話の中で異なる時代のような場面が混在するのが大石ワールドの特徴です。

茉莉は家の近所で氷の張った池で祖母の彼氏の戸田おじいさんに出合い,池の上を歩こうとして氷が割れます。これは,無重力の世界のクセが出てしまったのか,自分の体重を過小評価したのかは分かりません。

もっとも,その後の展開を見ると茉莉の入浴シーンにつながりますので,彼女のヌードを見せてあげようとする作者のサービスのようです。

茉莉が地上に降りたのは郵便配達を職業としている戸田おじいさんに恋人の等宛の手紙を届けてもらうためです。え〜っ,手紙を届けてもらいたいなら軌道ステーションで投函すればそれで済むようにも思いますが,それでは話しができませんね。

当の等は(通常は月面勤務ですが)田舎の自宅で研究の追い込みで電話にも出られないほど集中しています。戸田おじいさんは茉莉が結婚すると聞いて大ショックです。(これこれ年齢を考えなさい,あなたは茉莉の祖母がちょうどつり合いがとれていますよ)という影の声が聞こえてきそうです。

茉莉の祖母は(結婚を迫るのではなく)「男の人に花をもたせることが大事なのよ」と茉莉を諭します。このあたりの時代感覚は田舎の古い家と同じです。等は現在研究中の超光速通信が完成すればそれを使ってプロポーズしたいという考えています。

手紙の返事をもらえないまま茉莉は軌道ステーションに戻ります。1週間後に月にいる等からプロポーズの電話が入ります。茉莉が「ええ,もちろん」と答えると周囲の人々がどよめきます。

茉莉が「あたし 赤ちゃんができたの」と告げると周囲はさらにどよめきます。この時,等は超光速通信技術のお披露目の最中でテレビカメラがそれを実況中継していました。こうして茉莉の婚約と妊娠は世界に配信されてしまいました。


続・水惑星年代記

「続・水惑星年代記」を代表する作品は「AROUND THE WORLD IN 8DAYS」です。気球による無寄港・無補給世界一周レースが開催され,賞品は「フィオナ・ブラック」助教授です。

このレースは富豪であるフィオナの祖父がフィオナを結婚させるために仕組んだものです。フィオナ祖父の乗り物は1/2スケールのヒンデンブルグB号でありこの時代は使用が禁止されている内燃機関を搭載しています。

一方,フィオナが頼りとするのは大学の天才学生である文男です。彼のアイディアは空気より軽い水素の詰まったニッケルを素材とする気球?です。推進力を発生させさせるモーターの電力は太陽電池パネルで供給します。「ピグ丸」と命名された飛行船の形状はブタ型の蚊取り線線香といったところです。その下に小さな与圧された居室がついています。

しかし,この水素+ニッケル素材は空気より軽いのでしょうか。断じてそんなことにはなりません。ニッケルの結晶格子のすき間に水素が入り込む一種の合金はできます。しかし,その物質は元のニッケルより重くなります。これは水素も質量をもっているからです。

水素ガスを充填した風船が浮くのは風船が押しのけた空気の体積相当分の浮力を受けるからです。このとき風船の内部と外部は約1気圧でバランスしており,内部の水素ガスは同体積の空気より軽いため風船は浮力を受けます。

金属の結晶格子のすき間に入り込んだ水素原子はニッケル合金の外部の空気を押しのけませんので浮力は得られません。風船を浮かせるためには空気を押しのける必要があります。

空気の重さは0℃・1気圧の標準状態では22.4リットルが26.88gほどです。したがって大人二人と居住区の重さを200kgとすれば標準状態で気球部の容積は7440リットル以上が必要です。

ヒンデンブルグはドイツの飛行船であり,水素で必要な浮力を作り,エンジンでプロペラを回して推進力とします。しかし,船体の剛性は小さいため速度に限界があり,およそ時速100km程度で運航されていました。赤道周の4万kmを1周するとすれば400時間かかる計算です。

話の中では偏西風が出てきますのでレースは中緯度帯で行われるようです。北緯45度帯ということであれば一周は4万kmの約0.7倍となります。この計算は各自でトライしてみて下さい。

レースのスタート地点はヨーロッパのようです。東向きに移動し太平洋に出る頃には参加者の9割はリタイアしています。「ピグ丸」から見る世界には水没した都市の景観があります。そのようなところでもビルの上層階を利用した人間の営みが描かれています。

しかし,実際に1mほど水没すれば都市はその機能を停止せざるを得ません。作品中にはメタンハイドレード,核融合などの言葉が並んでいますが,それらは禁断の資源であり,見果てぬ夢の技術です。

また,「私達はまだ未来を選ぶことができる」というテキストもあります。残念ながら沿岸都市を水没させるほど海水面が上昇した場合,多くの国では国家の存亡に関わるような大混乱が生じます。

仮に混乱が収束したとしても未来の選択はほとんど不可能です。私達は選択が可能な現在において未来を選択しなければなりません。

北米の先住民には「大地は祖先からの贈り物ではなく子孫からの借り物である」という考え方があります。これは,自分たちの世代は未来世代のために大地を豊かな状態で引き渡す責任があるということを意味します。

私たちは自分たちの生活水準を考えると同時に未来世代のための選択をしなければなりません。それが現在世代の責務なのです。しかし,現実の世界では現在の生活水準を維持することが人々の唯一無二の選択のようです。自分たちの現在の選択が未来世代にどのような結果をもたらすかなどは考えたくもないようです。

さて,狭い居住区内では二人のいさかいと和解が交互に続きます。フィオナの一言が文男の欲望に火を付け,なるようになってしまいます。翌朝,テレビがレースで2位となっている「ピグ丸」のインタビューにやって来ます。

外部から写された映像には裸で寝そべる二人の姿があり,世界は驚きます。ブラック卿はこのシーンを見てひっくり返ります。それでも「ピグ丸」の構造を知り,文男をブラック家に迎えたいと切望し,レースにさらに力を入れます。

その頃,「ピグ丸」では痴話ゲンカが続いており,気が付くとモーターが1個故障しています。これでは,速度は出ません。

文男は居住室を切り離し,本体を衛星軌道まで持ち上げます。本体と居住室はカーボン・ナノチューブでつながっています。本体はニッケルと水素でできていますので蓄電池となっており,上空でキセノンを電離してイオンエンジンとなります。う〜ん,この辺りになるとなにがどうなっているのか分かりません。

「ピグ丸」の本体には推進剤のキセノンが相当量積み込まれており,ニッケル水素電池のエネルギーでキセノンをプラズマ化し,電界の中に放出すると陽イオンとなったキセノンは負電極に向かって加速されます。

このとき機体は陽イオンが得た運動量の総和と同じ大きさで逆方向の力(推力)を受けます。これは燃料の燃焼ガスを噴射することにより逆方向の推力を受けるロケットエンジンと同じ原理です。

違いは噴出速度です。同じ質量を噴出させるにしても噴出速度が大きくなると,本体はそれだけ大きな推力を得ることができます。イオンエンジンは燃料を使用するものに比べると高効率ですが,質量を捨てて推力を得るという原理は同じですので相応の推進剤が必要です。

「ピグ丸」の円筒型の本体はイオンエンジンのためのものだったのです。もっとも大気圏では空気そのものを推進剤にしてイオンエンジンとすることもできます。そうすれば,本体を衛星軌道まで持ち上げる必要はありません。

といことで「ピグ丸」は加速し,本体は「ヒンデンブルグB号」より先にゴールラインを通過しますが,居住室はそれより遅れてしまい二着なります。そんなことは二人にはどうでもいいことであり,文男はフィオナを兄に紹介するためそのまま出発します。文男の兄嫁は茉莉となっていますので,文男は等の弟という設定になります。


環・水惑星年代記

「環・水惑星年代記」には「ムーン・シード」が収録されています。これはフィオナの両親の物語りであり,フィオナの生い立ちの物語でもあります。フィオナが産まれた頃,宇宙軌道エレベーターは稼働しておらず,最後の(費用のかかる)月ロケットが月面基地に到着します。ブラック夫妻は個人資金で(実際にはブラック卿のお金で)ここまでやってきました。

到着早々,ブラック夫人(美亜・ブラック)は産気づき,月面でフィオナを出産します。フィオナは月で誕生した最初の人間となります。フィオナは2歳になり,月面の低重力環境にすっかり適応しています。

その頃,軌道エレベーターが稼働を開始し,物資や資材の補給はずっと楽になります。月面基地のキャプテンは「大航宙時代の幕開け」を高らかに宣言します。そんなとき,月面基地の酸素供給塔で爆発が起きます。美亜の機転で月面基地は守られましたが,基地の外にいたフィオナと父親は吹き飛ばされます。

地球上では大気があるため,爆発のガス圧が大気を介して周囲に伝わり人や物を吹き飛ばします。しかし,月面のような大気のほとんどない環境で爆発が起きても周囲のものは吹き飛ばされません。

爆発物の破片が周囲に飛散するだけです。爆発で生じたガスも大気がないため微粒子として飛散するだけです。月面基地の事故は酸素供給塔で起きましたので塔内に蓄積されていた気体が噴出したため,近くのフィオナたちも吹き飛ばされたのでしょう。

月面基地の居住区では美亜の指示で緊急減圧が行われました。これは火災に備えてのことなのでしょう。月面基地内の与圧環境は地球上と同じ1気圧であり,酸素と窒素の割合も同じであると推測します。地球上の1/6とはいえ重力がありますので,(ふんだんにあるかどうかは別にして)消火に水も使えます。

緊急減圧をすると与圧環境中の酸素分圧が与圧に比例して低下しますのでものは燃えづらくなります。酸素分圧は空気中の酸素濃度(酸素の割合)とは異なります。高い山に登ると呼吸が苦しくなるのは気圧がさがることにより酸素分圧が低下するためです。酸素濃度は地表でも高山でも変わりません。

空気中の酸素濃度はおよそ21%ですが,これが18%になると人は酸素欠乏症となり,脳の活動の低下し命に係わります。酸素濃度が18%程度になるとローソクのように少し燃えずらいものは消えてしまいます。しかし,山の上で酸素分圧が15%ほど下がっても(これは1500mくらいの標高に相当します)ローソクは燃え続けます。

緊急減圧→酸素分圧の低下は人体に大きな影響を与えます。地球上(1気圧,0m)では大気中の酸分圧は148mmHg,肺砲内の酸素分圧は103mmHgです。この分圧の差により外気から肺胞に酸素が取り込まれます。同様に肺胞の二酸化炭素分圧は外気よりも高いので肺胞から外気に排出することができます。

ところが,急激に気圧が下がると外気の酸素分圧が気圧に比例して下がります。外界の気圧がおよそ2400mの高さに相当する0.75気圧に下がると,酸素の分圧は108mmHgまで下がりますので,肺砲内の酸素分圧と同じ程度になり酸素は取りこまれませんます。

体内で酸素が消費されて肺胞内の酸素分圧が外気より十分に下がると,外気→肺胞という酸素の取り込みは可能になりますが,それまでは人体は低酸素状態になるのでは危惧します。

爆発により吹き飛ばされたフィオナと父親のキアランはほぼ真空といってよい月の空間を飛んでいます。作業用スーツのスラスターでは基地に戻れませんので,逆噴射により月の南極側の永久影のクレータ近くに落ちます。これで二人が生きていられることはほぼ奇跡です。

キアランは光をまったく反射しないオベリスクのようなものを発見します。そこには階段があり,内部には人間が生きていられる環境がありました。ここは人工的な基地のような場所です。

美亜と二人は感激の再会を果たします。この基地には絵文字のようなものが記されていおり,それは「トンパ文字」であり,考古学者のキアランはこの施設は地球人が造ったことをすでに解読していました。「トンパ文字」は中国雲南省の麗江周辺に居住する少数民族のナシ族に伝わる象形文字です。現在でもほんとんど使用されておらず,月世界に持ち込まれる可能性はゼロです。

植物が育つためには栄養素,二酸化炭素,水,温度などが必要ですがここにはすべてがそろっています。この支持根をたくさん生やしたタコノキ似の樹木の学名は「フィオナ・ブラック」です。う〜ん,2001年宇宙の旅のモノリスと,北欧神話のユグドラシル(世界樹)を組み合わせたような話ですね。


翠・水惑星年代記

碧・水惑星年代記

このシリーズでは「凪と波(なぎとなみ)」がSFチックでいいですね。地球から他の恒星系の地球型惑星への集団移民はSFでよく取り上げられる題材です。

記憶に残っているのは星野之宣の「2001夜物語」です。移民船が出発した後でHD(ハイパードライブ)が実用化され,移民船が到着する前に植民地惑星の環境を整備するという物語です。また,小説ではハインラインの「宇宙の孤児」があります。こちらは「凪と波」と同様に低速の巨大宇宙船の中に一つの地域ほどの自然環境を乗せ,人々は世代交代を重ねながら,別の恒星系を目指します。

「凪と波」では移動時間が1000年であり,冷凍睡眠は使用されていないようです。巨大な宇宙船には一つの町ほどの人々が乗っていましたが,到着時には一人の男の子を除き死に絶えてしまいました。移民船の中では命を受けついでいくのは難しいようです。

それどころか宇宙船の中で(仮に食料,水,酸素が十分にあったとしても)10年,20年という期間を生き抜くことが可能なのか疑問です。最大の問題点は無重力環境です。宇宙船内に遠心力を利用した人口重力発生装置があったとしても5年も過ごせば体の変化が起きそうな気がします。

人間の身体も代謝も重力があることを前提にできていますので,無重力の影響はどのように現れるのか想像がつきません。SF的にはこのような移民船には凍結受精卵を乗せ,到着の少し前に解凍して人工子宮に入れることになります。子どものお守りをするのはホログラム像ではなく人間型ロボットです。

ともあれ,この物語の設定では一つの町ほどの人々を乗せ,世代交代を繰り返しながら1000年かけて目的地の到達する「世代交代型低速恒星間宇宙船」となっています。近親交配なしに世代交代を繰り返すためには少なくとも500人の搭乗者が必要になります。設定では一つの町程度となっていますので5000人から1万人程度でしょう。

無重力の問題をクリアしたとしてもこれほどの人口を支えるためには膨大な資源が必要であり,大量の廃棄物が発生します。物語の中にあるように食料の備蓄は(その量の多さから)不可能であり,廃棄物をどうするかという問題も発生します。

宇宙船の内部は閉鎖空間ですから,1000年という滞在期間を考えると,すべての物質をリサイクルしなければなりません。そのために必要なエネルギーは宇宙船の内部で作り出さなければなりません。外から取り込む光エネルギーは恒星間航行ではほとんど期待できません。

工業的な方法では水や酸素の完全なリサイクルはできません。また,食料生産のことを考えると地球の生態系の一部をそのまま持ち込む必要があります。簡単にいうと恒星間宇宙船内には重力,生態系という小さな地球環境が必要になります。

物語の中でも世代を重ねるごとに人口は減少し,目的地に到着した時には『なぎ』と呼ばれる男の子一人という状況でした。この子をケアするのが『なみ』ですが,実体はなくホログラムによる立体映像です。

『なみ』は『なぎ』がこの惑星で生きていく術を学ばせようとします。ソバとジャガイモの種を植え,一面のお花畑の中で『なぎ』は『なみ』に唐突にプロポーズします。『なみ』はホログラムですから彼のプロポーズには応えられません。

この惑星に同型の二隻目の移民船が到着します。こちらの宇宙船には生存者はおりません。閉鎖空間おいて種としての力が弱まりゆっくりと滅亡していきました。しかし,二隻目の宇宙船には冷凍保存された卵子が1個ありました。『なみ』は『なぎ』との結婚を承諾し,「赤ちゃんを産んであげる」と告げます。この最後の『なみ』の言葉がこの物語のハイライトとなります。

他の恒星系への移民の話はSFでは定番のものです。しかし,恒星間航行は途方もない距離が障壁となります。もっとも近い恒星までの距離は4.2光年です。

計算を簡単にするため物語の中の移民船は10光年を1000年で航行したとすれば,この移民船の速度は光速の1/100ということになります。移民船の質量を国際宇宙ステーション(420トン)の1000倍とすれば42万トンということになります。

この質量を1G(9.8m/sec2)で加速すると光速の1/100(3000km/sec=300万m/sec)に達するのは約30万秒(83時間)後です。加速時間には問題はありませんが,加速するための推進剤の量が問題となります。

時間当たり一定量の推進剤を一定の速度で噴出し続けると宇宙船はほぼ等加速度運動となります。そのような場合,宇宙船の質量を(m1),増加した速度を(v1),使用した推進剤の質量を(m2),噴出速度を(v2)とすれば運動量保存則からm1・v1=m2・v2の関係が成立します。

実際には連続的な推進剤の噴射により宇宙船の質量は連続的に小さくなっていきますので計算はもう少し複雑ですが,m1>>m2であれば大きな誤差にはなりません。

宇宙船を加速するためには質量をできるだけ速い速度で噴射(放出)しなければなりません。推進剤の噴出速度を光速の1/10とすれば40万トンの宇宙船を光速の1/100の速度に加速するためには4万トンの推進剤が必要になります。

推進剤の噴出速度が光速の1/100の場合は40万トンの推進剤が必要になり,推進剤の質量を加速させるため,さらに多くの推進剤が必要になるといういたちごっこになります。宇宙船の巡航速度に対して推進剤の噴出速度は10倍くらいでなければ計算は成立しません。

こうして大量の推進剤を噴出して得られた光速の1/100ほどの巡航速度は目的の恒星系に近づいたときは惑星軌道に入るため-1G程度で減速しなければなりません。地球を周回する国際宇宙ステーションの速度は7.66km/secですから,光速の1/100(3000km/sec)に比べると静止しているようなものです。

宇宙船の周囲は真空の宇宙区間ですので減速するためには推進剤を逆方向に噴射する必要があります。この方法で惑星軌道を周回するくらいの小さな速度に減速するためには加速時と同じくらいの量の推進剤が必要です。

目的の恒星系に複数の惑星があるとすればその公転方向の前を通過することにより,惑星の重力を利用して減速することは考えられます(スイングバイ)。しかし,光速の1/100の速度,40万トンの質量を考えると制御は至難の業です。宇宙空間では加速も減速も大変なのです。


水惑星年代記・月娘

「水惑星年代記・月娘」には6話が収録されていますが,すべて「月娘(ルーニャン)」と呼ばれる「讀巫女・ブラック」に関わるエピソードとなっています。名前から分かるように彼女はフィオナ・ブラックと文男の娘であり,月面で生まれ育ったため「月娘(ルーニャン)」と呼ばれます。男だったら「月男」なのでしょうか。ちょっと雪男を連想させるような呼称になります。

月で生まれ育った彼女は特異体質であり,「自ら代謝を落とし低圧下でも血は沸騰しないし,紫外線はもちろん宇宙線にも壊されないDNAをもつ者」とされています。う〜ん,この設定はSFをも超えています。

「低圧下でも血は沸騰しない」ということについては問題はありません。しばしば,真空中に人が暴露されると@気圧が低いので体液が沸騰する,A1気圧で外圧とバランスしていた内圧のため破裂するという俗説が広く知られていますがどちらも正しくありません。

さすがに実験で確かめたという話は聞いたことがありますが,事故により宇宙飛行士が帰還カプセルの閉鎖不良のため真空状態にさらされ,3名全員が死亡しました。これはソユーズ11号の事故であり,死因は窒息死となっており,体液の沸騰や身体の破裂はありません。

もう一つは地上の低圧訓練においてほぼ真空中に十数秒曝露されましたが,後遺症もなく生還しました。これは米国での事故であり,減圧症もなかったと報告されています。人体の表面を覆う皮膚はすぐれた防御機能をもっています。

「紫外線はもちろん宇宙線にも壊されないDNAをもつ者」については不可能でしょう。それは,DNAの化学的結合エネルギーより紫外線,宇宙船のエネルギーは格段に大きいからです。そのため,DNAは損傷を受けます。

ありうるとすれば,DNAの修復機能が非常にすぐれている場合です。損傷は受けますが修復機能により人体に影響のないレベルに抑えることができるということであれば可能かもしれません。

特別な環境下でなくても人の体の中では1つの細胞において毎日5万から50万回の頻度でDNAの損傷が発生し,細胞内の修復機能がその大半をカバーしています。

しかし,修復されなかった不正な遺伝子は次の世代に伝えらることもあり,それが突然変異につながると考えられています。遺伝子の微小な変化が進化の原動力となり,生物は少しずつ変わっていくことになります。

そのような宇宙向きの特異体質をもつ讀巫女は月からさらに遠くを目指します。月衛星軌道を周回しているステーションでバイトしているとき,命綱つきで宇宙遊泳に出ていた地球からの修学旅行生が自分で命綱を外してしまいます。

周囲はほぼ真空ですのでステーションから離れた修学旅行生は離れたときの速度と回転を維持したまま衛星軌道を周回します。ステーションとわずかな相対速度の差があると(例えば秒速1mとすると)修学旅行生は1分後には60m,1時間後には3600mステーションから離れていきます。

月の軌道ステーションは(同じ軌道高度であれば)地球のステーションの1/2.5ほどの周回速度で回っています。これは,月の重力は地球の約1/6と小さいことによるものです。それでも軌道高度が地球ISSと同じ400kmとすれば,周回速度は2.5km/secの速度です。

救出にあたり周回速度の大きさはそれほど問題ではありません。難しいのは目標物に近づくための速度制御です。EMU(有人の船外活動ユニット)を使用しても軌道上ですので大きな加速は使用できません。EMUの速度が大きくなると周回軌道から外れてしまいます。

1km先の物体を回収するためには少しずつ近づいて,接近するときは目標物と同じ速度に減速しなければなりません。目標物との相対速度が大きすぎると目標物をはじき飛ばしてしまいます。

その難しい作業を讀巫女は酸素供給用のヘルメットを被っただけで外に出て,スプレーで加減速を行い,同じ程度の質量をもつ目標物の回転を止め,ステーションに収容します。

人間一人という小さな質量なのでこのような芸当ができますが,より大きな質量をもつEMUではずっと難しい作業となります。この救出活動が認められ,讀巫女は火星行きのメンバーとして採用されます。

讀巫女は火星行きのプログラムを受ける前に地球に行き両親(文男,フィオナ)を訪ねます。月面生まれで月面育ちの讀巫女は地球の重力に耐えられることはないと断言はできませんが非常に困難だと推測します。

月面の重力は地球の1/6です。月育ちの讀巫女は月の重力に適合するように骨格や筋力ができているはずですから動くことはまず無理です。体内循環のような生理機能も重力の影響を受けますので,生命活動が危うくなるかもしれません。

これは逆のケースで考えてみれば分かります。地球人が6倍の表面重力をもつ惑星で生きていけるか,動くことができるかということです。

有人ロケットの最大加速度は3G程度です。これは立った状態の人間が耐えうる重力の限界(4G程度)によるものです。進行方向に対して横になっている場合でも6G程度が限界です。

ロケットの打ち上げ時の加速時間は軌道高度により異なります。ISS軌道(高度400km)における周回速度は7.7km/sec(7700m/sec)ですので1G(9.8m/sec2)で加速した場合で780秒,3Gでは260秒ほどかかります。

ロケットの中で宇宙飛行士はイスに座っており,その状態でも数分間,3G程度が限界なのです。6G環境にさらされた地球人がどうなるかは推して知るべしです。

讀巫女の母親のフィオナは効率最優先の月の生活を嘆き,月の住民を「超浪費者」と呼びます。讀巫女は当然反発します。月面の生活はすべての物質をリサイクルしなければなりません。効率最優先は仕方がないことなのです。

しかし,どうして彼らは月面での生活に魅力を感じるのかという疑問も生じます。地球上には月から持ち帰った岩石のサンプルが300kg以上ありますが,それを分析してもジャイアントインパクト仮説がほぼ確認されたこと以外には重要な発見はあったとは聞いていません。

太陽系の成り立ち,火星に生命は存在するか(存在していたか)などのテーマについては無人探査機を送り込むのが理に叶っています。

地球の環境が悪化するため,火星移住は人類存続のために必須だという人たちもいますが,どれほど地球の環境が悪化したとしても火星の環境より悪くなることはあり得ません。

人類が優先順位の最上位として考えなければならないのは火星の移住ではなく,地球環境の悪化を食い止めることです。火星を改造してコロニーを作る技術と資金は人口増の抑制,エネルギー問題,環境問題に振り向けられるべきです。

地球環境を悪化させたり汚染するのは人類の宿命かもしれませんが,それを押しとどめることに人類の英知が向けられなければなりません。

物語の中では1000年前に人類の一部は月→火星を経て他の恒星系を目指す大脱出を果たしており,火星基地には定期通信が到着しているようです。太陽系の外に第二の地球を求めるのは人類の夢かもしれませんが,いかに科学が進歩しても物理法則を超えることはできません。


みずいろ

1999年の作品ですので作者の初期作品ということができます。それでも,「水惑星年代記」と同じ雰囲気をまとっています。「みずいろ」に描かれている人間関係や田舎の風景が作者の原点であり,それを同心円状に広げたのが「水惑星年代記」のように感じられます。

高校3年生の夏,田舎町の高校に東京から「川上清美」が転校してきます。「加藤猛」は彼女のことが気になってしかたがありません。暑さのため夕涼みに出かけた猛は川で全裸で水とたわむれる清美に見とれてしまいます。清美は同級生の男子である猛の前でバスタオル1枚で火にあたる天然ぶりです。

母親を東京に残し,父親と一緒に田舎に引っ越してきた清美は地域の人たちと一緒に田舎の夏を体で感じとっていきます。スローライフをそのまま体現している作品ですが,清美の胸の大きさは作品の雰囲気に不釣り合いな即物的な表現であり,それはないでしょうと言いたくなります。究極のエロスはチラリズムにあると考えるのは,自分の年齢によるものなのでしょう。