私的漫画世界
人間の本性をここまであからさまにしなくても・・・
Home私的漫画世界 | 弁護士のくず

井浦秀夫

井浦秀夫は長野県出身です。地元の高校を卒業後に早稲田大学第一文学部に入学し,無事に卒業しています。大学在学中は早稲田大学漫画研究会に所属しており,その縁で東海林さだおのアシスタントとなります。

1979年に「私は人を殺した」で双葉社の漫画アクション新人賞を受賞し,プロデビューを果たしました。かれこれ35年間,漫画家として活動してきましたが,「弁護士のくず」に出合うまで「井浦秀夫」の名前も作品もまったく知りませんでした。

作品履歴をチェックした限りでは社会的な問題を扱うノンフィクション作家に近いような感じを受けます。井浦は「弁護士のくず」の前作として「強欲弁護士銭高守」を発表してします。

こちらの主人公はパンチパーマの大顔であり「大仏オヤジ」と呼ばれており,外見がヤクザ,中身は守銭奴というとんでもない弁護士という設定になっています。

「勝つのは金だ」「勝訴の道も金しだい」などという法曹界にはいて欲しくない言動の持ち主ですが, ときには法律で杓子定規に解決するのではなく,依頼者の利益を守る働きをしてくれます。

周囲の人たちの造形は「弁護士のくず」とほぼ同じです。「弁護士のくず」ではこの主人公を劇画調から子どもの絵のような造形に変えています。作者の言では「九頭の顔を敢えて『ペルソナ(仮面)的』にしてあるのは、そうしないと恥ずかしい台詞を言わせることができないから」とのことです。

これは分かような気がします。劇画調の風貌で作品中のような言動があれば,ずいぶんシリアスな印象になります。あの落書きのような容貌は読者をあまり刺激しないためのものなのです。

このひどい造形を主人公とする漫画は人間の本性や事件の真実を引きずり出す手腕が評価され一定の人気作品となっており,平成18年度小学館漫画賞一般向け部門を受賞しています。

基本設定

人権派弁護士で有名な白石誠弁護士事務所に所属する九頭元人が主人公です。この九頭弁護士は破天荒の性格で社会通念上,言ってはいけないことを依頼者の前で平気で口にしたり,裁判を有利にするためには弁護士としての倫理違反スレスレのことまでします。そのため事務所では「弁護士のくず」とささやかれる存在です。

同僚には弁護士になって日の浅い武田真美や中堅の加藤がいます。どちらも常識人であり,特に武田は弁護士経験だけではなく人生経験が浅いため,依頼者の言うことを鵜呑みにして弁護に当たろうとします。

それに対して,九頭は依頼者がいつも本当のことを話すとは限らないし,ときには嘘までつくことを承知しています。また,そのような事情は裁判の相手方も同じだということを知っています。

依頼者の主張という一面だけで裁判に臨むのはリスクが大きいので,九頭は事前にいろんな情報を収集しておきます。そのような情報収集は相手方にも及び,情報戦略で裁判を有利にします。とはいうものの裁判の結果は社会正義には反しない方向で解決が図られますので安心して読むことができます。

九頭の相棒としてしばしば被害に会っているのが武田です。いわゆる常識をもった優等生であり,依頼人の話に自分の感情をシンクロさせてしまう性格です。武田は依頼人の隠し事や嘘にはほとんど気づかず,そのままでは裁判で足元をすくわれることになります。それを九頭がカバーする展開がよく見られます。

裁判の度に武田は九頭の手腕を認めざるを得ませんが,裁判の前の言動のひどさや,裁判後に依頼者を貶める非常識な発言があり,どれほど九頭が有能な弁護士であることが証明されても人間的評価は「弁護士のくず」のままです。

そのため,ボケ(九頭)とツッコミ(武田)という漫才コンビが今日も裁判を担当することになります。確かにまっとうで有能な弁護士が主役では直球勝負の話しにしかなりませんので,漫才の面白さはでてきませんし,手段を選ばず人間の本性をあばいたり,事件の背後を明らかにする役割は難しいですね。

九頭という破天荒のキャラクター設定があって初めてこの作品は成立します。それでも,回を追うごとに「なに これ」と思う作品の割合が増えていきます。

それではこの「くず弁護士」の手腕を私のお気に入りの話で紹介してみましょう。依頼者や訴訟相手に対する無礼な発言はできるだけ出さないようにしておきます。作品中での毒舌はこの程度ではありません。

愛と金(第1巻)

原告は「金盛みちる(女性)」,被告は元銀行員の「夢野(男性)」です。夢野は銀行員であった頃にみちると婚約しました。みちるは寿退社し料理教室に通います。

しかし,夢野は銀行を退職しカレー屋を目指すことにします。みちるは婚約を破棄し慰謝料を要求します。単純な武田はエリートコースを蹴って男のロマンに賭けるなどと口にしますが,九頭はそれをあっさり笑い飛ばします。

みちるは銀行員として将来を嘱望されている夢野と婚約したのであって,それを勝手に反故にしたのだから慰謝料を払えという論理です。夢野は要求額の100万円を受け入れますが,武田がそれを伝えに行くと,要求額は200万円だと言われます。

これを聞いた九頭は相手方の弁護士に電話し,200万円を払いますと伝えると,ちょうどみちるがおり,折り返し要求額は300万円になります。この異常なやりとりで九頭はみちるの本心を理解したようです。このあたりの洞察力が九頭の持ち味です。

裁判では九頭の質問により夢野が銀行を辞めた理由が明らかにされます。夢野は銀行を辞めた以上,みちるをあてのない自分の人生に巻き込むのは無責任なので,婚約は解消したい,ただし,夢野から解消するとなるとみちるに傷がつくのでみちるから解消するよう依頼したものです。

この間の事情は裁判で初めて明らかにされるます。実はみちるは夢野のことを諦めきれないため裁判に至りました。九頭はみちるの本心を見抜いており,夢野が心変わりしたのではないことを明らかにしたため,告訴はあっさり取り下げられます。

この二人にはコミュニケーションが決定的に不足しているようです。自分の本当の気持ちを素直に説明すれば,なんの問題もなかったはずです。でも,それでは九頭弁護士の出る幕がありませんので,この漫画が成立しないことになります。

ところでみちるが300万円の訴訟を起こして,仮に300万円が全額認められた場合,弁護士費用はどのくらいかかるものなのでしょう。この費用は弁護士により異なりますが,おおよそ着手金が8%,報酬金が16%となっていますので,裁判費用は72万円ということになります。この話のように途中で訴訟の取り下げになった場合はどうなるんでしょうね。

遺産は誰のもの(第1巻)

この話は遺産相続の調停です。康代の母・しのぶが亡くなり(父はすでに他界しています)通帳に残された600万円の遺産は法定相続人である康代と兄の影文の二人が相続します。法定比率では二人は300万円づつを相続しますが,法定相続人の間で協議で自由に決めることができます。

影文(の妻)はしのぶが自分の家で同居していたので寄与分を要求し,康代100万円,影文500万円と主張しています。これに不満な康代の夫が九頭と武田のところに相談に来ます。この種の遺産を巡る争いは大きな遺産でも小さな遺産でも同じように発生します。

遺産相続で本人の意思を伝えるのが「遺言書」です。遺言により本人の意思で遺産は(法定相続人以外の人を含め)いかようににも相続させることができます。ただし,法定相続人の遺留分が50%ありますので,正確には遺産の半分は自分の意志で相続させることができます。

通常,遺言書は公正証書として作成し,一通は公証人により保管され,一通は遺言者に渡されます。一方,遺言者が自筆で作成し,署名・捺印した自筆遺言書も形式が整っていれば効力を有します。

本人が亡くなってから自筆遺言書がある場合,あるいは見つかった場合は遅滞なく検認のため家庭裁判所に届け出なければなりません。この話では自筆遺言者がキーとなります。

康代の夫は影文の妻が義母を虐待していたと訴えますが,康代が母を引き取りたいと言ったときはそれに反対して殴る蹴るの暴力をふるっています。一方,影文の家では妻が大いばりであり,しのぶは針のむしろに座っているようなものです。

虐待に耐え,自分の唯一の話し相手になってくれる康代に全遺産を相続させたいと願っていたしのぶは,2通の自署遺言書を作成し,1通は自分の部屋に置き,1通は康代に持たせます。この2通作成したところにしのぶの知恵が込められています。

影文の家で話し合いをもったとき,遺産相続の当事者でない二人の言い争いになります。その間に九頭はしのぶの部屋で「かしこい遺言書の書き方」という本を見つけ,自筆遺言書があることを見抜きます。

案の定,影文の妻は遺言書を見つけ,夫の目の前で破り捨てています。九頭は康代の持っている遺言書からもう一通の遺言書が破り捨てられたことを指摘し,影文は相続欠格であることを宣言します。なおも喚き散らす妻を影文がたしなめ,俺には遺産をもらう資格はないと話します。

これで康代の夫が喜びますが,九頭は相続人は康代さんだと釘を刺します。康代が遺言書を見せなかったのは,母親の遺産を夫に触れてもらいたくなかったためであり,彼女はとうに離婚を決意していました。

康代のもつ遺言書には「遺産はすべて康代に相続させる」とありました。どこかに寄付して下さいと康代は通帳を九頭に渡します。九頭はしのぶの名前で書留郵便を出し,康代に通帳を送ります。康代は母から送られた通帳を抱きしめます。この話は最後の書留郵便が秀逸です。普段の言動はひんしゅくものですが,このような人間的な側面がこの作品の救いとなっています。

実際にしのぶが亡くなった時点で彼女の銀行口座は(葬式代等の必要経費を除き)凍結されますので,康代が母親の遺産を相続するには次のような手続きを踏まなければなりません。
・自署遺言状の家庭裁判所での検認
・被相続人の出生以降の一連の戸籍謄本の収集
・相続関係説明図による法定相続人の確定
・法定相続人の戸籍謄本の収集
・遺産分割協議書の作成
・相続関係者代表もしくは法定代理人の指定
・代表もしくは代理人に委任する委任状の作成
・代表などが必要書類をもって各金融機関に出向き手続き

私は父が亡くなった時,司法書士にお任せしようかとも考えましたが,けっこうな費用がかかること,人生で1回くらいは経験しておくのも悪くないと思い自分でやることにしました。

私には兄弟はおりますが,父親の自筆遺言書は「すべての財産は母親に遺贈する」というものでした。この遺言書を法定相続人全員に開示して遺言書の通りに遺産相続を行うことにしましたので,遺言書の検認は省略です。

母親が全遺産を相続するという内容で「遺産分割協議書」「代表に委任する委任状」を作成しました。このとき法定相続人全員の戸籍謄本と印鑑証明書をもってきてもらいました。相続関係者代表は私にしました。

父親が亡くなる前から父母は老人ホームに入ってもらっていましたので,実家の土地・建物は売却する前提で(相続登記,土地の更地化,売却契約などの手続きに母親が書類の当事者にはなれませんので),形の上では私が相続することにしました。

父親の出生からの戸籍謄本は現戸籍から遡れるようになっていますので,2か所の市役所に書類を送って取り寄せました。

通帳のある金融機関は3つありましたので,分割協議書を共通書式で作成し,各金融機関でコピーをとってもらって処理してもらいました。ゆうちょ銀行だけは窓口処理ができませんので,私の住所に書類を送ってもらい近くの郵便局で処理しました。

土地・建物の相続登記は(一般登記よりは簡単とはいえ)2区画になっていたためさすがに難しかったです。幸いネットの世界にはちゃんとひな形が掲載されており,それを手本に作成し,地域を担当する法務局に持ち込みます。

そこには法務局OBのデスクがあり,書類をチェックしてくれます。それから本提出となり無事に相続を済ませることができました。さすがにけっこう大変でした。土地の更地化,売却は不動産屋の仲介により無事に終了しました。

このような経験をしたことにより,作品中における遺産相続の問題をより興味深く読むことができます。

まぶたの父(第1巻)

ある日,白石事務所に小学生の女の子が訪ねてきて「お父さーん」と言いながら九頭に抱きつきます。彼女はかって九頭が同棲していた秋野葉月の娘の美月です。葉月と九頭が一緒の写真を見た事務所の弁護士はいさぎよく認知するよう九頭に迫ります。

しかし,九頭には自分の子どもでないという確信があり,母親を呼んで来いと話します。しかし,葉月は去年交通事故で死亡しています。現在は伯父のところにいるとは話しますが,認知してくれるまで帰らないと思いつめた表情です。

九頭は持ち前の洞察力で美月が家出をしてきたことを見抜き,美月を連れて彼女の伯父の家に向かいます。九頭は電車の中で伯父の家と言ったときに美月のおびえた表情を見逃しません。

葉月は別れても九頭のことをとてもいい人,正義の弁護士と娘に話していたようです。いやいや,九頭さんずいぶん美化されたものですね。

九頭は美月の先入観を変えようと昔の二人を知っている人に会わせ,九頭の人間性を語らせます。しかし,美月のこころは変わりません。

九頭が父親とにらむ男性のところに行き,事情を説明すると「迷惑だ 帰ってくれ」とひどい言葉です。九頭が証拠として彼の髪の毛でDNA鑑定をすると言い出すと唖然とした顔になります。

九頭は彼が父親と確信しますが,美月は「あんな人 お父さんじゃない お母さんはいつもお父さんの話をしていた」と承知しません。伯父の家では邪魔者扱いされ,母親の悪口を聞かされるのは美月にとっては耐えられないことです。「九頭さんならお母さんの悪口は言わないでしょう」と迫ります。

事務所に戻ると美月の伯父がおり,九頭に美月を押し付けようとします。美月はあまりのことに「やめて」と泣き崩れます。そこに九頭が父親とにらんだ男性から電話が入り,「髪の毛を交換してくれたら個人的に300万円支払う」と持ちかけます。

ふだんは人間の本性をそのまま口にする九頭もさすがに人間の嫌なところを見せつけられ,「美月はオレの子だ」と怒鳴ります。美月はお父さんと抱きつきハッピーエンドとなりますが,次の瞬間にはもう後悔の表情となるというオチがつきます。

この作品は九頭の狂言回しにより成立ており,結果は美月の認知のように人の道を踏み外さいところに落ち着きますので,手段や言動はともかくとして人倫にはそむかないという一線が守られているのがいいですね。九頭と美月はけっこう良い親子関係を築いていきます。

現実の世界では法律の定める父子関係は難しい時代となっていることを示す2つのニュースがあります。一つは夫婦の間に生まれた子どもがDNA鑑定により生物学上の父子関係がないと判定された場合,母親あるいは父親が父子関係不在を法律的に認めてもらえるかという裁判の最高裁判決です。判決内容は次の通りです。

夫と子との間に生物学上の父子関係が認められないことが科学的証拠により明らかであり,かつ,夫と妻が既に離婚して別居し,子が親権者である妻の下で監護されているという事情があっても,子の身分関係の法的安定を保持する必要が当然になくなるものではないから,上記の事情が存在するからといって,同条による嫡出の推定が及ばなくなるものとはいえず,親子関係不存在確認の訴えをもって当該父子関係の存否を争うことはできないものと解するのが相当である。


この裁判は離婚した妻が子どもを引取り,子どもの生物学上の父親である男性と暮らしているケースであり,父親からすると自分の子どもと暮らしているにもかかわらず,法律上の父親が別にいるのはおかしいということで「親子関係不存在確認」を求めたものです。

結果として子どもの身分を安定させるためには,生物学的な証拠があっても法律的な父子関係を変えることはできないということになりました。5人の裁判官のうち2人はこの判決に反対しています。

判断の根拠となっているのは判決文中にもある「嫡出推定」です。これは,「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法の規定です。

この規定は父子関係を科学的に証明する手段がなかった時代に子どもの法的地位を守るためには必要であったと考えます。

一方,この規定は父子関係という極めて重要な事柄を何の根拠もない「推定」だけで縛り付けるものでり,妻の不倫が珍しいことではなくなっている時代,科学的にほぼ100%で親子関係が証明できるるに時代にそぐわないといわざるを得ません。

婚姻中の夫婦といえども父子関係は推定に基づいていますので,法律的には父親は妻が産んだ子どもに対して「嫡出否認」の訴えを起こすことができます。ただし,これは夫が子どもが生まれてことを知ってから1年間という制約がありますので,上記のようなケースには適用できません。

簡単にいうと現行法では子どもが生まれたことを夫が知ってから1年以上経過すると(夫婦関係が物理的に不可能であるケースを除くと)法律上の父子関係は変えることはできないということになります。さすがに,このような硬直した法律は時代に合わせて変更されるべきです。

もう一つのニュースは日本で生まれたけれども親が出生届を出さなかったために「無戸籍」のまま暮らしている子どもたちが毎年500人ほどにもなるというものです。

その大きな原因となっているのは民法772条,別名「離婚後300日規定」とも呼ばれるものです。それは,ある女性が離婚した後、300日以内に子どもを産んだ場合は「婚姻中の懐胎」とみなすというものであり,100年以上前の1898年に施行されています。

この規定も「嫡出推定」からの流れによるものです。仮にA子さんが破たんしている家庭を捨ててB男さんと関係し妊娠したとします。A子さんはあわてて離婚しますが,2つの壁があります。

まず,女性は離婚後180日間は再婚できないという民法の規定があります。これは前夫との婚姻中の懐胎がなかったことが確認されるまでは再婚を認めないということです。この規定は離婚直後に再婚されれば父子関係の「嫡出推定」が出来ない状態になることの歯止めとなっています。

A子さんが180日後にお腹の子の父親であるB男さんと結婚し無事に子どもが生まれます。A子さんとB男さんが市役所に出生届を出しに行くと,窓口で「離婚後300日規定」により子どもの父親はA子さんの前夫になると言われます。

このような事態を避けるため出生届を出さないケースが年間500件発生する無戸籍児の大半を占めています。もちろん,このような事態を救済する調停の手段はありますが,法律は積極的に複雑な家庭環境で生まれた子どもを救済することはありません。

日本では戸籍がない個人は著しい不利益を被ることになりますし,戸籍をもつにしても実の父と暮らしながら法律上の父は他人といういびつな状態となってしまいます。これは人権侵害にあたります。100年以上前の民法を盾に子どもの人権を侵害するのであれば法律は誰のためにあるのかと問いたくなります。

上記の話は父子関係についてのことですが,現在は「体外受精」「代理母」もごく身近なものとなっており,親子関係を規定する民法は早急に時代に合わせて整備されることが望ましいと考えます。

美月の場合は婚姻関係にない(未婚の)葉月の子どもとして生まれましたので,母親が出生届を出し,(葉月は父親に認知を求めませんでしたので)父親欄は空白となります。

日本の民法は婚姻主義ですから,婚姻関係にない女性の産んだ子どもは「非嫡出子」となります。仮に葉月が父親となる男性に認知を求め,男性が拒否した場合は裁判となります。現在はDNA鑑定がありますので父子関係は簡単に判定され証拠として決め手になります。

つまり,法律は非嫡出子においてはDNAによる血縁上の父子関係を認めていながら,嫡出子においては「嫡出推定」にしがみつくといういびつな状態になっています。

葉月はすでに亡くなっており美月は未成年ですので,九頭が認知すれば九頭の戸籍には美月の名前が非嫡出子として記載され,美月の戸籍の父親欄には九頭の名前が記載されます。この場合,争うことはありませんのでDNA鑑定は不要です。

トヨタマヒメ(第1巻)

豊田彦穂は妻が浮気をしているといって事務所を訪ね,九頭と武田が担当することになります。妻の真姫も代理人を立てており,代理人を交えて話し合いをすることになります。

彦穂が妻の浮気を疑ったのは彼女の日記です。その中には浮気相手とされる鮫島への想いが記されています。話し合いの中で彦穂は妻の心はここにはないので,そんな空虚な結婚生活は続けられないと話します。

話し合いは難航し,妻の代理人は「慰謝料をもらって離婚に応じたらどうですか」と助け舟を出すと夫は「そっちが浮気をしているのになぜオレが払わなければならないんだ」と激怒します。

その日の話し合いは不調に終わります。九頭は妻の日記になにか不自然なものを感じ取り,彦穂から真姫の態度がおかしくなり始めた時期が3か月前であることを確認します。

結婚して7年になりますが,夫は妻がそのような日記をつけていたことを知りませんでした。しかし,妻の態度がおかしくなってから,妻が慌てて日記を隠すところを見てしまいついつい読んでしまったという経緯も聞き出します。

九頭は真姫の仕組んだ賭けに気が付いたようです。二回目の話し合いの席上で九頭は予め彦穂に「なにも言わずに表情を変えるな」と指示します。九頭は日記の内容について語ります。

真姫は高校時代に鮫島のことを密かに思っていましたが,言い出せないうちに友人のAが告白してしまい,二人は3年後に結婚します。真姫はそれまで彼氏を作りませんでしたが,二人の結婚を機に彦穂と結婚しました。

結婚3年目の同窓会で真姫は鮫島からキミが好きだったと告白されます。そして,3か月前に鮫島は離婚します。しかし,日記にはそのことが記されていません。

日記はこの日を境に内容が変わっています。それは夫に読ませるためのものでした。真姫は自分からは離婚を言い出せませんでしたので日記の力を借りて夫から離婚を言い出してくれることを期待していたのです。

真姫の代理人はそんなのは言いがかりに過ぎない,妻は離婚を望んでいないと念をおします。すると九頭は夫は考えを変えてやり直すことになったから問題はなにもないと発言します。

夫は無表情のままであり,妻はあわてます。真姫は「別れて下さい 慰謝料はいりません」と言い出します。九頭が夫に本気であることを示しなさいと畳みかけると,真姫は「慰謝料は払います 彼のところに行かせて下さい」と話します。

妻の心を知った彦穂は無表情のまま涙を流します。夫婦といえども相手のこころの奥底は分からないものです。彦穂の涙は妻の苦しみを知った涙だと解釈したいものです。

トヨタマヒメ(豊玉姫,豊玉姫神)は「古事記」にある山幸彦と海幸彦神話に登場する女神です。海神・綿津見神の娘であり火遠理命(=山幸彦)と結婚し,男神を産みます。出産のときに夫に決して見ないでと念を押しましたが,夫は約束を違えて覗いてしまったため,トヨタマヒメは綿津見神の国へ帰ってしまいます。

夫に見ないでと言った日記を読まれてしまったので豊田真姫(豊玉姫)は故郷に帰ります。一説にはトヨタマヒメは勾玉の一大産地であった出雲の姫であるとされています。作品中で鮫島が住んでいるのはS県となっており,そこは埼玉県や静岡県ではなく島根県なのでしょう。

美徳の人(第2巻)

この話は羽桁仁の遺産相続を巡る裁判です。羽桁には二人の子どもがいますが,自筆遺言書には「鎌田霧子に600万円を遺贈する」と書かれています。羽桁の妻は子どもたちが中学生の頃に亡くなっており,彼は男手一つで二人の子どもを育て上げました。

二人は独立しており,羽桁は一人暮らしをしています。羽桁は鎌田と出会った時には末期がんを宣告されており,余命いくばくかの状態でした。羽桁は鎌田と同居するわけでもなく,最後は長女に看取ってもらいます。

その羽桁がデートクラブで知り合った鎌田に600万円を遺贈するというのです。法定相続人である長女と長男は羽桁が女に騙されており,遺言書は本人の意思に基づいているものではないと遺産分与に応じません。

事務所に相談きた鎌田は遺言書は正当である,二人の関係は自由恋愛であると話し,常識派の武田は『どうみても羽桁はこの女にたぶらかされて遺言書を書いた』とみています。

しかし,九頭は裁判において,鎌田は不幸な生い立ちからファザコンのため(金の有無にかかわらず)年上の男性が好きなのであり,決して金目当てではないことを主張します。

反対尋問では鎌田が自殺した前夫の治療費のため450万円ほどの借金を抱え,5歳の子どもを養うためにも切実にお金が欲しいと言わせます。

長男と長女の羽桁がいつも相手のことを気遣って自分のことは後回しにするという人柄が明らかにされます。九頭の尋問では死期の近づいた羽桁が鎌田に世話をさせなかったのは長女に気遣ってのことではないかと反論します。

また,新しい遺言書がないことを確認させ,長女の管理下にあったとき新しい遺言書を作成しなかったことから異常な状況下で書かされた遺言書ではないことを主張します。同時に「新しい遺言書を隠しているな」とたずねたときの長女の動揺を見逃しませんでした。

九頭と武田は先方の事務所を訪ね判決前に認諾(こちらの主張を認めること)を求めます。その話し合いの中で次男が口をすべらせて新しい遺言書があると言ってしまいました。先方の代理人は大慌てです。

すでに裁判で新しい遺言書はないと証言していますので明らかになれは遺言書の隠匿になり,相続欠格となります。長女は認諾に応じるよう弟を説得します。

九頭は羽桁も鎌田も他人のために過剰に尽くしてしまう人間であること,そのような二人が出会い経済的に行き詰まって心中まで考えていた鎌田に深く同情した羽桁は600万円の遺贈を申し出たことを説明します。

この話はちょっとずるいですね。九頭は最初の段階で鎌田から羽桁の申し出について聞き出していたはずです。そのことを先方に伝えればあっさり和解できたかもしれません。新しい遺言書も有無も一緒に確認すれば和解はさらに確実となったことでしょう。

それを裁判に持ち込み,その中でも当事者二人の心情を語らせないで,最後に種明かしをしています。もっとも,最初から羽桁の申し出を明らかにしてしてしまっては感動ドラマが生まれません。

現実の世界では結婚相談所を介して資産のある老人に近づき,交際後あるいは結婚後に相手が不審死しているという京都の「後妻業殺人事件」がニュースとなっています。

「後妻業」は黒川博行氏の小説であり,今回の事件が発覚する前に執筆されたものですが,手口などは酷似しています。このような小説が描かれる背景には日本の各地で類似の事件が起きていることがあげられます。

木嶋佳苗事件や上田美由紀事件など結婚や交際を媒介にした連続不審死事件は記憶に新しいものです。このような鬼畜の所業を平然と実行する女性が増えてきているということなのでしょう。家庭内の不審死には警察も簡単には介入できませんので,この種の犯罪は高齢化社会の中でこれからも増加していくのでしょう。

羽桁が鎌田の窮状に同情し,彼女の借金相当額を遺贈したいというこの話は殺伐とした事件の多い現実社会に暮らす私たちにとって一服の清涼剤となります。