私的漫画世界
着想から十数年をかけて完成度の高い作品となる
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白井弓子

白井弓子は長い間,同人誌で活動をしてきた漫画家です。2005年に「天顕祭」の執筆を開始した時には同人誌活動のキャリアは20年に及んでいます。

「天顕祭」の原形はその10年ほど前に遡り,夜神楽のにぎわいと闇の濃さに着想を得て16頁のネーム(下書き)を描いたそうです。それをコミティアのワークショップに持ち込んだところ,大きな仕掛けがないとストーリーが生まれないと指摘されました。

私には原形となるネームがどのようなものであったのかは知る由もありませんが,16ページということから推測すると,「汚い爆弾」「浄化竹」「スサノオ伝説」は含まれていなかったと考えます。

それから10年後に本編4冊,番外編1冊を自主出版の形で発表しました。作品の総ページ数は約340ページに膨らんでいます。

白井は自薦の形でかって応募したことのある「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」に応募し,2007年に同人誌作家としては初めて奨励賞を受賞しました。贈賞理由として「文化メディア芸術祭 歴代受賞作品」サイトには次のように記されています。

ある時,この国を襲った「汚い戦争」によって国土のあちこちにばらまかれ,残された「フカシ」という毒素を若竹に吸収し浄化させようとする地域の物語。その土地には昔から伝わる祭りの主役「クシナダヒメ」(大蛇「ヤマタノオロチ」に見初められた)に選ばれた犠牲の少女と,それを阻もうとする鳶の若頭の淡く激しい恋物語は,一昔前の,モノクロの名作映画を観ている雰囲気で久しぶりに胸がときめいたものだ。

組んだ竹の隙間から,あるいは地の底から大蛇が少しずつ姿を現してくる演出や,登場人物それぞれのキャラクター表現,斬新な構図,静かな眼の演技などに作者の鋭い才能を感じるし,まずはもって自費出版という地味な世界からの挑戦と知って,同じ環境で頑張っている若者達を励ましたい意味もある。


この受賞により「白井弓子」の名前は社会的に知られるようになり,サンクチュアリ出版より本篇と番外編が一冊の単行本として出版されることになりました。そのため,加筆修正を加え,2008年夏に出版の運びとなりました。

単行本の帯には「上橋菜穂子さん絶賛」の文字が添えられています。上橋菜穂子は「精霊の守人」で知られる児童文学やファンタジー,SF作品を手がける作家であり,白井弓子とどのような接点があるのかと調べてみました。

すると「狐笛のかなた 」という作品のカバー装画とイラストを白井が担当していました。その縁で上橋が推薦の言葉を送るようになったのでしょう。実際,一冊の単行本にまとめられた「天顕祭」は描画のすばらしさと物語性が両立する密度の濃い作品となっています。

天顕祭|5つのキーワード

天顕祭の設定には次の5つのキーワードがあります。
(1)スサノオ伝説
(2)汚い戦争
(3)浄化竹
(4)くぐり輪
(5)重し

物語の基本設定はストーリーの中に部分的に埋め込まれていますので,読者自身がまとめていかないと物語全体を理解することができません。

第一の設定は「スサノオ伝説」です。スサノオ(須佐之男命)は日本書紀,古事記に登場する荒ぶる神であり,最高神アマテラスの弟とされています。

ヤマタノオロチ退治の英雄譚は古事記のものが一般的であり,天顕祭の用語解説も古事記によるものです。古事記ではスサノオはヤマタノオロチ(八岐大蛇)を切り刻み,クシナダヒメ(櫛名田比売)と夫婦になります。

天顕祭ではヤマタノオロチは死んではおらず,結界により守られた気の安定した深い地中に封じ込められたということになっています。日本書紀が編纂されたのは7世紀のことであり,神話の始まりはおそらく3-4世紀のことですので,ヤマタノオロチはその頃から深い地中で水のある地表に出ることを渇望しています。

第二の設定は「汚い戦争」です。汚い戦争とは「フカシ(不可視)」と呼ばれる目に見えない毒物を拡散させる爆弾を使用した戦争のようです。放射性物質をまき散らす核兵器のようなものと考えると分かりやすいかもしれません。

日本と思われる国は「汚い戦争」によりひどく汚染されましたが,自分たちも同じような兵器を使用していたようにみえます。北山飛び地にはエレベーターシャフトをもった深い深い縦穴があり,そこには戦争中に爆撃を避けて何かを保管しようとしたところです。高レベルの放射性物質あるいは核廃棄物と考えると分かりやすいかもしれません。

その作業中に地震が発生し,作業員たちは穴の底に取り残されます。エレベーターに通じる扉は閉ざされ,作業員は一人またひとりと「フカシ」の毒により死んでいきます。

この事件により地中の気がゆらぎ,オロチを封じ込めていた結界に小さな亀裂が入り,オロチがわずかに力を発揮するようになります。オロチは最後の一人の魂を散じないようにし,「オロチの君」に仕立てて地上に婚約者を残していた彼の思いを利用して結界に穴を穿とうとします。

第三の設定は「浄化竹」です。汚い戦争で汚染された土地には植物は生えないと考えられましたが,ある種の竹だけは芽を出し,成長することができました。

この竹はフカシの毒を吸収しますので,伐りとって炭にして地中深くに処分すると地域のフカシは少しずつ低減していきます。この「浄化竹」はオロチの分身のようなものであり,これを介してオロチは 地表に影響力をもつことができます。

「汚い戦争」とその結果,生じた「浄化竹」が2000年近く封じられていたオロチを呼び起こし,地表に影響するようになったということです。

ヒロインの「木島咲」が高層住宅に住んでいるのは,地中のオロチの影響力から逃れようとしてのことです。しかし,「浄化竹」を介してオロチは咲の近くまで迫るようになります。

第四の設定は「くぐり輪」です。北山飛び地には竹炭処分用の深い縦穴があります。焼却された浄化竹はこの穴の中に投棄されます。穴の中ごろには50年に1度行われる裏の「天顕祭(秘祭)」のための舞台があります。ここは穴の底に溜まった竹炭の粒子が舞い上がり,レベル1の汚染度(マスクをすればよい程度)となっています。

この縦穴とオロチがうごめく縦穴は「くぐり輪」を介してつながっています。それは物理的につながっているようでもあり,夢の世界(意識世界)だけでつながっているようにもみえます。おそらく,どちらもありうる設定なのでしょう。

裏の「天顕祭」においては「オロチの君」の花嫁となる女性(クシナダ姫)はこの地下の舞台に降ろされます。咲の場合は身体は真中により地表近くまで運び上げられましたので,意識だけが地底に送られたようです。

オロチの穴で待つ「オロチの君」の意識は血の通った身体を維持しているため,夢の中で二人の意識が触れ合ったとき,彼をだまし通すには生身の女性の実感が必要なのです。

物語の後半部は「くぐり輪」の向こう側,常世の世界で繰り広げられる戦いとなります。それは夢の世界というよりは意識の世界といった方がよいかもしれません。

このような犠牲は自分で終わらせたいと強く思う咲は意識の中で「オロチの君」を刺します。「オロチの君」は(おそらく意識だけの存在なのでしょうが)自分が生身の体を保持していると思っているので,意識世界(咲にとっては夢の世界)で死ぬ(魂が散じる)存在のようです。

第五のキーワードは「重し」です。咲のような強い思いは「重し」という表現となります。真中の強い思いは「重し」となり,スサノオは「根の国」から戻ることができ,オロチを切り刻みます。

そのままでは真中の意識はオロチの穴の中に留まらなければなりませんが,「オロチの君」が本来の意識を取戻し,彼の意識が「重し」となってスサノオはオロチを切り刻み続けます。真中と咲はオロチの意識支配を逃れて,地上に戻ることができました。

この5つの設定を理解してこの作品を読むと理解はずっと深まると考えます。それでも物語の内容にはいくつか私の理解が及ばない点もあります。そのような疑問点を脇に置いても,作者が造り上げた世界と精緻な描写,夢と現実を交錯させる密度の濃いストーリー展開は十分に楽しめます。

天顕祭とは

天顕は天顕菩薩からきています。といっても作者の創作であり,単行本の用語解説には次のように記されています。

56億7000万年後に現れ人々を救うとされる弥勒菩薩をモデルとして戦後(汚い戦争後に)つくられた菩薩。未来に現れ,汚染された土地を完全に浄化すると言われている。社会不安から戦後急激に民間信仰が広がり,過激な儀式が行われた。現在は表向き穏当な祭祀として定着している。


北山天顕神社はかってスサノオを祀っていましたが「汚い戦争」の後は神社の名前を変えて天顕菩薩を祀るようになりました。50年に一度の本来の(裏の)天顕祭は大地を浄化するための人柱に端を発する過激なものでしたが,現在の例大祭はクシナダ姫の行列とスサノオのオロチ退治が結び付いた穏健なものになっています。

しかし,その裏で初期の人身御供の習慣は脈々と受け継がれています。裏の天顕祭を執り行っている宮司はその本当の意味を知らないまま,生贄を地下に送り込んでいました。

咲と真中が生還したことにより人身御供の習慣の意味を知り,かつ,スサノオが「オロチの君」重しとしてオロチを切り刻んだことにより,もう地の底を揺らす者はいなくなりました。

北山天顕神社は誰かが誤って穴の底に入りオロチの「重し」にならないよう,舞台のあった深い穴を埋めてしまい,その形跡を残していません。これからの天顕祭は表の例大祭だけになり,オロチについても形を変えた伝承となっていくことでしょう。

56億7000万年後に現れ衆生を救済するとされる弥勒菩薩からもう少し多い頻度で現れて大地を浄化してくれる天顕菩薩を創作したのは秀逸な着想です。いつの世も人は神仏に救いを求めます。それはブッダが生きていた時代も現在もそれほど差はありません。科学が進み,生活が豊かになっても人の世の悩みは尽きません。そのような悩みにつけ込むような怪しげな新興宗教も数多く出てきています。

釈迦族の王子として生まれ,宮廷内で妻子とともに幸せに暮らしていたシッダールタ(ブッダ)は身分と妻子をすてて出家します。おそらく彼に大きな影響を与えたのは「ウパニシャッド哲学」でしょう。

「ウパニシャッド哲学」はバラモン教の聖典「ヴェーダ」の理論書であり,「輪廻転生」から「解脱」して魂の平安を目指すべきであると説いています。それは,肉体の衣を脱ぎ捨てた魂の平安を主題にしていました。

それに対してブッダは肉体をともなった人間がどうすれば人生の苦しみや悲しみを克服できるかを課題にしています。この課題の中には「霊魂」や「輪廻転生」といった形而上の概念は含まれていないことに注意しなければなりません。

ブッダは死の淵を覗くような苦行を重ねましたが,自分の求める真理に到達することはありませんでした。6年の修行ののちにブッダは苦行を放棄し,瞑想による真理への到達を目指します。

ブッダは苦行林を出て乞食のため村に入り,村娘スジャータの差し出した乳粥により体力を回復させます。ガヤー村にあるピッパラと呼ばれる大きな樹の下に一人坐して瞑想を始めます。ブッダは深い瞑想に入り,ついに真理を見出すことができました。

ブッダがその下で成道をなしとげた大樹は「菩提樹(インド・ボダイジュ)」と呼ばれるようになり,ガヤー村は「ブッダガヤ(ボーダガヤ)」と呼ばれるようになりました。このときブッダが到達した真理を簡単に説明すると次のようになります。

人間は多くの欲望と執着をもちます。それらが自分の思うようにいかないところに苦しみや悲しみが生まれます。つまり,欲望と執着こそが苦しみや悲しみの原因であり,それを減ずることにより苦しみや悲しみも減ずることができます。そして,欲望と執着が完全になくなった状態を「涅槃(ニルバーナ)」としています。涅槃こそがブッダの到達した最高の境地ということができます。


私は自分を仏教徒とは思っていませんがブッダの教えの本質は理解できますし,共感することができます。私たちはより多くを求め,愛する人との暮らしが永続することを願います。

そのような欲望や執着を捨て,足ることを知り,いつかは別れの日の来る愛する人との現在の関係を大切にすることにより,人生の悲しみや苦しみを低減することができます。それは,56億7000万年後に現れる弥勒菩薩よりずっと確かな人生の指標になります。

とはいうものの,人間はそれほど強い存在ではなく,例えば幼い子どもに先立たれた両親の哀しみを考えると,人々が神仏にすがるも人間らしい側面だと理解しています。