私的漫画世界
描きたいものを描いたという印象の短編集です
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入江 亜季

入江亜季は香川県出身であり,同人誌活動を経て2004年に「コミックビーム」に掲載された「アルベルティーナ」で商業誌デビューを果たしています。2005年からは「コミックビーム」に「群青学舎」の連載を開始し,2008年からは「Fellows!(2013年からハルタに誌名変更)」に「乱と灰色の世界」の執筆を開始し,現在も連載中です。

少女漫画のような華麗な絵柄で「Fellows!→ハルタ」の看板作家となっています。ネット上の評判を眺めると看板作家として3人の女性が名前を連ねています。彼らのデビュー年は次のようになっています。

2002年|森薫が「エマ」の連載開始
2004年|入江亜季が「アルベルティーナ」でデビュー
2008年|笠井スイが「花の森の魔女さん」でデビュー

エンターブレインの編集部は新人の育成が上手なようです。この3人は絵のすごさで読ませる漫画家となっています。

漫画界では絵のすごさと物語のすごさを両立させることはとても難しいことです。特に週刊誌の場合は毎週16ページですのでその両立は難しく,何人かのアシスタントによる分業制が必要となります。

「私的漫画世界」の範囲で絵のすごい漫画家といえば「池上遼一」「谷口ジロー」「ながやす巧」が挙げられますが,いずれも原作ものを手がけたり,書き下ろしの形をとっています。商業誌において絵のすごさを追求するとどうしてもそのような形になってしまいます。

絵のすごさで読ませている「Fellows!」の3人娘は毎月24ページもしくは2ヶ月で24ページを描いています。週刊誌に比べると4割程度の原稿量ですので彼女たちは描画の大半を自分で描いているようです。

「Fellows!」は年10回発行ですので夏休みと正月休みは取れるようになっています。それでも絵のすごさで読ませている漫画家にとってはほとんど1年中ペンを握っているような状況ではないかと推測しています。

現在の漫画界においてメジャーになるためには描画をある程度犠牲にしても(編集部との協調により)読者の支持を集めるような物語性に軸足を置かなければなりません。

「Fellows!」の3人娘は自分の描きたいものを描くことに徹しているようですので,大きなヒット作にはつながらない,しかし,良質な作品を生み出す漫画家になりそうです。

そのような作品を支持する読者層は確実に一定割合で存在しますので,彼女たちの苦労は一定の支持を集めることでしょう。漫画家としてメジャーになり高収入を得るのは一つの生き方であり,そこそこの収入で自分の世界を社会に発信していくのも一つの生き方です。

最近,私が「BEAMCOMICS」を買い求めることが多いのは後者の作品に大きな魅力を感じているせいなのだと自己分析しています。

群青学舎

「群青学舎」はエンターブレイン発行の「コミックビーム」において2005年11月号から2008年11月号まで連載されました。作品のタイトルに「群青」を入れたのは作者の青色に対する思いが込められているようです。

入江はカラー着彩の名手として知られており,本人も色塗りが大好きだと語っています。その入江の好きな色が「ウルトラマリンブルー」であり,よく使用するのが「ナイトブルー」です。

「ウルトラマリンブルー」とは「海を越えてきた青」を意味しており,日本語では一般的に「群青」と呼ばれています。

人工的に青色顔料が製造される以前,青の顔料は鉱物性のものに限定されており,ユーラシア大陸の西側ではエジプト古王国時代から「ラピスラズリ」が使用されていました。

ツタンカーメンの黄金のマスクを飾る青いストライプ,クレオパトラの目元を彩る青いアイシャドーは「ラピスラズリ」を粉末にした顔料が使用されています。

旧世界では「ラピスラズリ」は現在のアフガニスタンでしか産出されない貴重な鉱物であり,ヨーロッパからすると地中海を越えてきた青ということで「ウルトラマリンブルー」と呼ばれています。

大航海時代になっても「ラピスラズリ」は貴重品であり,(粉末にする工程が難しかったこともあり)粉末顔料の単位重量当たりの価格は金よりも高価でした。

17世紀のオランダ美術を代表する画家であるフェルメールは天然ウルトラマリンを使用することで知られており,「フェルメール・ブルー」と呼ばれていました。彼の代表作である「真珠の耳飾りの少女」は「青いターバンの少女」とも呼ばれており,鮮やかな青が少女の白い肌を際立たせています。

日本ではラピスラズリは入手できませんでしたので,青色の顔料として藍銅鉱(岩群青,アズライト)が使用されていました。このため深い青色を「群青」と呼ぶようになりました。ヨーロッパから「ウルトラマリンブルー」が伝えられてからも同じ「群青」とされましたが,厳密に定義すると「群青」と「ウルトラマリンブルー」は異なるものです。

天然ウルトラマリンは非常に高価な顔料でしたが,1828年に合成ウルトラマリンが発明され,はるかに安価な「群青」が出回るようになりました。現在では天然顔料,合成顔料を含め深みのある鮮やかな青を「群青」と呼んでいます。

フェルメールと同じように「ウルトラマリン・ブルー」が好きな入江は商業誌で最初の連載となる短編集を「群青学舎」としたようです。

作品世界は学校・学園には限定されていません。個々の作品中の登場人物が年齢に関係なく成長していく姿が描かれていることが多いことから「学舎」としたと推測します。

単行本のカバーには3色の青の同心円があり,もっとも内側の色が「群青」ということになります。群青はRGBが定義されていますので自分のパソコン上でも作り出すことができます。しかし,色調は表示装置により異なりますので一例ということになります。

それでは,「群青学舎」に収録されている入江ワールドを紐解いてみましょう。

アルベルティーナ(第1巻・第10話)

この作品が入江亜季の商業誌デビューとなります。親子で喫茶店(もしくはコーヒーハウス)を営んでいるティナは店の看板娘です。彼女を目当てに多くの男性がやってきて店は繁盛しています。

その中で風采の上がらないブットシュテット先生だけはティナではなく新聞に没頭しています。それがティナにはなんとなく気になります。ある日ティナが先生の肩に触れようとすると,先生はティナの手をつかんで制止します。先生の服の肩のところには鳥のフンが付いていたからです。

思いがけずに手を握られてしまいティナは接客も上の空になります。先生はそれから1週間顔を見せません。店が終わってからティナは雨の中を傘もささずに歩く先生を見かけ,傘を差し出し「返しにくるのよ」と告げます。

先生が店にやって来るとティナは胸のボタンを一つ外したブラウス姿で「この店には もっと見るべきものがあるのをご存じ?」と迫ります。回りの客が「妙な気を起こす奴もいますよ」と忠告するとティナは平然と「起こしてくれていいのに 先生だけは」とつぶやきます。

店の中は騒然とし,先生は席を立ちますが,その後を「明日もいらして下さるわよね 先生」というティナの声が追いかけます。

この作品は24ページの短篇であり,物語性には乏しいものです。それでも,描画は新人離れしたものであり,まさしく「すごい絵で読ませる」作品となっています。

読後感は悪くはありませんが,1回読んだだけではす〜っと目の前を通り過ぎるような印象です。この作品では絵に集中して活字になっていないティナのこころの動きを理解しないとその良さは分かりません。それが「絵で読ませる」作品のよい所でもあり,難しい所でもあります。

ニノンの恋(第2巻)

魔法使いの卵のニノンはとある青年に恋をし,何通ものラブレターをしたためますが彼に渡す勇気はありません。魔法使いである叔母のスカーレットとガーネットはニノンの手紙を見つけ,読みあって感想を語り合っています。

ニノンは手紙を返してと抗議しますが,叔母たちはニノンの頭の中の青年像を魔法の映像機に映して「いい趣味しているんじゃない ブスのくせに」と小馬鹿にします。確かに叔母たちはどちらも美形なのですが,それは魔法によるものなのです。

叔母の仕打ちに腹をたてたニノンは照魔鏡(もしくは窓)の覆いを上げてしまいます。そこからの光により叔母たちの魔法は効力を失い,中年の女性に戻ってしまいます。

怒ったスカーレットはニノンの手紙を青年のポケットの中に送ってしまいます。裸足で走り出したニノンは青年を探し,公園のベンチで本を読んでいる青年のポケットから魔法で手紙を取り戻そうとしますがうまくいきません。

青年は手紙に気が付きじっと読んでしまいます。なんと,ニノンの手紙は公園にいた他の青年たちにも届けられており,ニノンは呆然と眺めるだけです。

ニノンの家に青年が手紙の束を返しに来ると,ニノンは思わず逃げ出します。『それはあなた宛に書いたものです』と声にはなりません。

今度こそは手渡そうとニノンは新しい手紙を書きます。ニノンの一途な想いに叔母たちも魔法で協力してかわいい少女にして送り出します。ニノンは手紙を手渡し,青年は「どうもありがとう」と受け取ってくれました。

笑顔のニノンはもう魔法が解けかかっています。でもニノンの(亡くなった)母親は素顔でもとても美形であり,ニノンももう少し大きくなれば魔法の力なしでもかわいい少女になることができそうです。

この作品は「乱と灰色の世界」の原点となっています。乱は大きな才能を秘めながら不器用なためそれを制御できない小学生という設定であり,お気に入りの大きなクツをはくと高校生ぐらいまで成長し,魔法をある程度操れるようになります。

ニノンの造形は小学生の乱と同じであり,魔法が不得意という点も共通しています。この作品も物語性はとても希薄であり,童話のような印象です。

それにしても「群青学舎」の収録されている短編には傾向とか方向性といったものが見られません。作者の頭の中にある描きたいものをそのまま表現しているような感じです。

赤い屋根の家(第3巻)

第3巻には「赤い屋根の家」「メリー・ガーデン」「待宵姫は籠の中」など私にとっては心地よい作品がそろっています。「群青学舎」の連載が始まってから1年半が経過し,絵とストーリーのバランスがとれてきたように感じます。作品の内容に関しては時間と空間を含めて多様であり方向性は見られません。

「赤い屋根の家」はお屋敷です。ジルの父親は仕事に忙しくてほとんどジルと言葉を交わすこともありません。

母親が亡くなった時,ジルは7-8歳です。父親は自分の部屋に閉じこもってしまったので,雨の夜の町を歩いているところを飲み屋で保護されます。ハロルドがジルをお屋敷に連れて行くと,彼女はコートの端をつかんで離しません。

子ども心にも自分を保護してくれる人だと直感したようです。この光景を見た父親はハロルドにジルのお守り兼秘書のような仕事を与え,ハロルドはお屋敷で暮らすことになります。

成長したジルは寄宿舎に入りますが休みにはお屋敷に戻ってきます。ジルにとってハロルドは唯一の話し相手であり,保護者です。年頃になったジルはハロルドに恋するようになりますがハロルドはまだ子どもだと相手にしません。

父親にはジルが年々手が付けられなくなるとこと,父親としてちゃんと娘と一緒の時間を過ごすよう忠告します。父親もハロルドに親しげに接する娘から,彼女の気持ちは分かっています。しかし,父娘はどちらもハロルドの言うことを聞こうとはしません。

お屋敷で暮らし始めてから毎年の墓参りにジルに付き添うのはハロルドの仕事となっていました。今年こそは父娘で行ってもらおうとハロルドはスケジュールを空けておいたのですが,急な仕事が入ったと父親は答えます。

ジルはけなげにも一人で行けるわと告げます。お前が一緒に行ってくれと告げられたハロルドは一計を案じ,「いいんだな 今行けば泣いてすがられるだろうな 子どもでも女だし ジルはかわいい 好きにしろと言ったも同然だよな」と言い残して出かけます。

ジルは雨の中で木の下でしょんぼりしています。傘をさしかけたハロルドに抱きつきます。そこに父親が傘もささずに息せき切って走ってきます。ジルは父親に抱きつき,ハロルド世話のやける親子だと独白します。

どこかで読んだような話しですがジルの造形が良いのでよしとしましょう。思春期の娘にどのように接したらよいかが分からない父親の姿は多くの作品で語られています。「赤い屋根の家」ではジルが夜の町を歩くエピソードと,お墓参りのエピソードがちょうどよいスパイスになっています。

スパイ・アンド・スパイ(第4巻)

これは「群青学舎」の中でも毛色の変わったスパイものです。舞台は列車のコンパートメントです。どこぞの秘密資料を手に入れた二人のスパイはおたがいに自分のものだと主張します。ピストルの撃ち合いを回避して話し合いで決めようとします。

資料の入った容器を窓際に置き,車内販売のビールとコーヒーでひとときの平穏な時間を過ごします。次の瞬間にビールビンとコーヒーが相手めがけて投げつけられ,続いてナイフやフォークが飛び交います。再びやってきた車内販売員はこれを見て唖然とします。

しまいにはロケットランチャーで天井を吹き飛ばします。二人は容器を奪い合い,そのためふたが開いてしまいます。なんと,中身は空です。二人はお互いにお前が隠したのだと罵り合いますが,実は車内販売の女性が第3国のスパイというオチがついています。

この辺りまで読み進めるとこのドタバタ・コメディーがこの作家の一つの持ち味であることが分かります。もちろん,登場人物や舞台が全く異なりますので物語としての類似点はありませんし,話題が多方面に及んでいますので,短編集を4冊読んでも飽きがきません。

ところで,第4巻の巻末には付録あるいは番外編としてそれまで出てきた人々のその後がラフスケッチで描かれています。このサービスは4巻分の主要登場人物がラフスケッチで描き分けることのできる画力があってのものであり,なかなか達者な絵だねと思わず声にしてしまいました。


乱と灰色の世界

作者の初めての長編連載作品です。灰町に居住する漆間家が物語の主要舞台となっています。父親の全は黒羽衆の統領,母親の静は当代きっての魔法使い,長男の陣は狼に変身できる高校生,長女の乱は大きな才能をもちながら不器用でそれを使いこなせない小学生です。

灰町から北東90kmのところに魔法使いの隠れ里があり,そこにはすべての生き物を腐敗させ,食い尽くす骸虫(むし)の穴があり,里の者は骸虫が外に出ないように封印し,多くの魔法使いが幾重にも封じの魔法をかけてきました。

静は骸虫を封印するため里に居なければならず,灰町の漆間家は三人暮らしとなっています。不器用な魔法使いの乱はお気に入りの靴を履くと変身の魔法が使えるようになり,高校生くらいの美少女になります。漆間家では変身した乱が外に出ることを禁止していますが,今日も乱は変身をしたり,空を飛んだりして灰町に騒動を引き起こします。