私的漫画世界
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山川直人

山川直人は東京都出身,高校時代から同人誌活動を始め,卒業後はフリーターで生活費を稼ぎながら漫画家を目指しました。1988年に「シリーズ間借り人」で商業誌にデビューしています。

しかし,作品リストで見る限り,1989年から約1年間「ヤングチャンピオン」誌で連載され,1991年に刊行された短編集「あかい他人」から2002年にビームコミックスで発刊された「ナルミさん愛している」までは商業出版がありません。この間は同人誌活動がメインだったようです。

山川直人の作品は特異な絵柄と暖かいストーリーが特徴です。ストーリーが暖かいと言われてもピンとこないかもしれませんが,なかなか他に適当な言葉が見つかりません。

山川作品のストーリーはひねりもなければオチもありません。(ときどきファンタジーやSFの世界にワープすることはありますが)日常的な出来事をそのまんま表現しているのです。

でも・・・,そのような話に退屈することはなく,読後感は心が暖かくなるという不思議なものです。強いて言葉で定型化するなら『大人のメルヘン』ということになります。

単行本の帯には『漫画界の吟遊詩人』という表現がよく見られます。山川直人の漫画家人生における1990年代はほとんど同人誌活動と作品の自費出版で費やされました。

彼の作品のいくつかには売れない漫画家の話が出てきます。それは,おそらく自分自身を投影したものだったのでしょう。商業誌でデビューを果たしても,彼の独特の絵柄と刺激の少ないストーリーは読者の大きな支持を受けたとは思えません。

そのため,山川は活動の場を同人誌に移し,自分の世界を発信し続けてきました。この姿勢こそが『漫画界の吟遊詩人』と形容されるべきものであり,2000年代に入って商業誌でも売れるようになってから付けられたキャッチコピーにはいささか抵抗があります。

それでも,商業誌で売れるようになってからも,同人誌活動を継続する姿勢はやはり『漫画界の吟遊詩人』だねと自分を納得させるようにしています。同人誌活動は吟遊詩人の創作活動の源泉になっているようです。

山川直人の独特の絵柄は最初からそのようになっていたのか手持ちの作品を比較して調べてみました。もっとも早い時期の「シアワセ行進曲(1995年・自費出版)」と最近のものを比較すると,「シアワセ行進曲」はページ全体が少し白っぽい感じがしますし,人物の線が細いように感じます。

言ってみればユニークな絵柄ではあるけれど現在よりもだいぶ普通の漫画に近いということです。それが,「ナルミさん愛している(2002年・商業出版)」になると人物線は太くなり,細かい効果線の描き込みによりページ全体が黒っぽくなっています。この時期には現在に続く独特の描画スタイルが確立したようです。

コーヒーの歴史

コーヒーは全世界で900万トン生産されており,そのうち720万トンが国際的に取引されています。国際価格はおよそ3$/kg(3000$/トン)ですので貿易金額は216億ドルにもなります。主食である小麦の貿易額は450億ドルですから農産物としては非常に大きな金額となっています。

コーヒーの原産地はエチオピア(アラビカ種),西アフリカ沿岸(リベリカ種)です。コーヒーが(現在と異なる形であれ)利用されていたという歴史は定かではありません。もっとも古い伝説は「食べたヤギが興奮する果実」です。時期は6世紀あるいは9世紀となっています。

エチオピアにおいてヤギ飼いの少年カルディはヤギが興奮して飛び跳ねることに気がつきました。彼が修道僧に相談したところ,山腹の木に実る赤い実が原因と判りました。修道僧がその実を食べたところ気分が爽快になり,眠気がなくなりました。修道僧は他の修道僧にもこの果実を与えたところ,同じように眠気がとれることが分かりました。それにより,修道院では夜業における眠気覚ましに利用されるようになりました。


う〜ん,ありそうな話ですね。コーヒーの木には葉,果肉,種子にカフェインが含まれており,果肉や種子を食べたヤギが興奮することはあり得ます。私もコーヒーの実の薄い果肉を歯で削り取って食べてみたことがあります。(量は少ないものの))けっこうおいしく感じます。

一般的に動物は興奮状態になると周囲への注意が散漫となり,天敵に狙われやすくなりますので決して好ましいことではありません。少なくとも好んで興奮状態を作り出す果実を食べる動機は低いと思うのですが,おいしいというので食べてしまうことはあり得ないとは言えません。

コーヒーのカフェイン効果はさておいて,エチオピアでは上記の伝説以前から食料の一部にコーヒーの実が利用されていたのは確かなようです。現地で「ボン」と呼ばれるコーヒー豆は煮ると食用になります。

糖分,脂肪,タンパク質を含有していますので有用な食料になったと考えられます。エチオピアの一部の地域では現在でもこの習慣が残されています。エチオピアでは葉を乾燥させたり炒ったりしてお茶にして飲む文化もあります。

しかし,このような習慣はコーヒーの木が自生している地域に限定されていたようです。コーヒーがアラビア半島に伝わったのは「ヤギの伝説」にある6-9世紀のことと考えられます。

アラビア半島ではコーヒーの生豆をすりつぶして熱湯で成分を抽出していたようです。この時期にアラビア半島はイスラム化しており,コーヒーはイスラム共同体における特別な薬として飲まれていました。特にスーフィーというイスラム神秘主義集団では夜の礼拝の時にしばしば飲用されていました。

13世紀になるとコーヒー豆を炒るようになり,香りと風味が付加された飲み物として多くの人に好まれるようになりました。この時期からコーヒーはイスラム世界に広まっていきます。

どうしてコーヒー豆を焙煎するようになったかについては,何かの事故で生豆が焼けてしまい,その焼け残りが芳香を出していたためとされています。この説は火事で焼け残ったタバコの葉が芳香を発したことから喫煙の習慣が始まったという北米インディオの話と類似しています。

イスラム世界にコーヒーが広まるとコーヒーの飲用がイスラムに反すると禁止令が出されたこともあります。16世紀になるとイスラム世界の盟主となったオスマン帝国がコーヒーの産地を支配下に置くようになり,コーヒー文化が帝国内に普及しました。

イスラム世界では焙煎し砕いたコーヒー豆をカルダモンと一緒に煮出して抽出する方法が一般的となり,それは現在にまでつながっています。この方法は煮出すことに失われた香気をカルダモンにより補うものであり,17世紀になると砂糖が使用されるようになりました。

この中東の遊牧民伝統のコーヒーは異国情緒に溢れており,何回かおいしくいただきました。このコーヒーは煮出したままカップに注ぎますので,すぐに飲んではいけません。少し時間をおくとカップの底にコーヒーの粉が沈みますので,それを飲み込まないようにぎりぎりのところを見切るのがちょっと楽しいのです。

オスマン帝国にコーヒーが普及した時期,キリスト教世界のヨーロッパではコーヒーは異端の飲み物でした。当時の資料には「キリスト教徒の聖なる飲み物であるワインをイスラム教徒は飲めないため,悪魔からコーヒーを与えられる罰を受けている」などとも記されています。

それでも,少しずつコーヒーはヨーロッパにも浸透していきます。この頃,中国からはお茶が,新大陸からはカカオがヨーロッパにもたらされました。当時のイギリスのコーヒーハウスではコーヒー,紅茶,ショコラが提供され,(男性の)社交場あるいは商取引の場となっていました。コーヒー文化はヨーロッパに広まり,さらに移民とともに米国にも伝わっていきます。

ヨーロッパにコーヒーが普及するとコーヒーを淹れるための器具も進歩していきます。当初はトルコ式にポット状の容器に入れて煮出す方法でしたが,煮出したコーヒーに混ざる豆の滓を取り除くため,粉末にした豆を麻の袋に入れて煮出す方法が考案されました。この方法は布ドリップに発展していきます。

1908年には使い捨てのペーパードリップが発明され,発明者の名前をとった「メリタ」は現在でもブランドとなっています。手軽に美味しいコーヒーを淹れられるのでもっとも普及しています。

1842年にフランスでコーヒーサイフォンの原型となる器具が発明され,現在のエスプレッソ方式につながっています。密閉された容器の中で抽出されるためコーヒーの香りが強いこと,味の再現性が良いことなどが特徴です。

1827年にフランスで発明された新型ポットの「パーコレータ」は西部開拓時代の米国で普及しました。西部劇ではカウボーイが焚火にポットをかけてコーヒーを淹れるシーンがよく見られます。

焙煎,真空包装,抽出器具などの進歩によりコーヒー文化は手軽にかつ洗練されたものとなっていきます。

コーヒー近代化のもう一つの流れは「インスタントコーヒー」です。コーヒー抽出液から水分を除去し,残留物を粉末状にしたものがインスタントコーヒーです。

言葉にすると簡単ですが,製品として実用化するとなると多くの問題をクリアしなければなりませんでした。1906年に米国で製法特許がとられ実用化に成功しています。

スイスのネスレ社は1937年に「スプレードライ法」によるインスタント・コーヒーを完成させ,「ネスカフェ」の商品名で販売され,インスタント・コーヒーの代名詞として知られるようになります。

「スプレードライ法」は高温の乾燥筒の中に高温のコーヒー液を噴霧して素早く乾燥させる高温乾燥方式です。

それに対して抽出液をいったん-40℃以下で凍結させ,細かく砕いて真空状態にして水分を昇華(液体を経ずに固体から気体または気体から固体へと相転移する現象)させて取り除きます。この方法が「フリーズドライ法」であり,高温乾燥に比べると香りが損なわれません。ただし,製造に手間がかかるため価格は割高になります。

こうして,コーヒー文化は手間ひまをかけて淹れる方法から手軽にお湯を注ぐだけでできるインスタントまで広がり,世界中で愛飲されるようになっています。

山川氏のコーヒーはもちろん新鮮な焙煎豆を買ってきて,ちゃんと保管し,必要分を取り出して,砕いて抽出する本格的なものです。無精者の私などはこのプロセスが面倒くさくて,インスタントかパッケージになったドリップコーヒーを飲んでいます。

「コーヒーもう一杯」の世界

「コーヒーもう一杯」は単行本で5巻,全60話から構成されています。基本的に一話完結の体裁であり,特定の人物が中心になっているわけではなく,(中には複数回登場する人物もいますが)それぞれの話ごとに主人公は異なります。

各話に共通するのは「コーヒー」であり,コーヒーをていねいに淹れる場面,喫茶店での出来事,コーヒーをおいしそうに飲む場面などが物語において重要な位置を占めることが多いようです。

絵柄は特徴的です。人物はずいぶん簡単に描かれているのに対して背景の細かい効果線が高密度で描き込まれています。そのため,暗い背景に人物の白さが浮き出るような感じとなります。この独特の描画は「コーヒーもう一杯」の全5巻を通して変わっていません。

最近の本屋はフィルム包装のため内容が読めませんので新しい漫画を買う時は事前に古本屋で内容をチェックするようにしています。最初にこの本を手に取った時,あまりにも特異な描画にすぐ書棚に戻してしまいました。少し時間を置いてからもう一度,手に取って話を読んでみるとなかなか味わい深いものがあり,収集するようになりました。

話の内容は友情,恋愛,家族,女性,仕事,喫茶店,猫など多彩であり,一言では表現できません。多くの話は日常における小さな出来事を淡々と描いています。

このような地味な話作りが山川直人の特徴です。話しも絵も地味なのですが,不思議な暖かさをもっており,個人的にはそんなところに惹かれたと分析しています。

もちろん,各話の中には必ずコーヒーに関連する場面があり,作中の人物がコーヒーの淹れ方を語ることもあります。

また,コーヒーを淹れるための器具についても語られています。そのような場面では器具が男性あるいは女性の姿で描かれており,主人公が新しく電動ミルを買ってきて,包装を解いたときなどには「ふつつかものですが」と仲間の器具に挨拶するような場面もあります。

電動ミルの登場で出番が少なる運命の手回しミルも「たまにはオレも使えよ」と語りかけます。このようなファンタジー風の作品もけっこう好きです。全60話の中からお気に入りのものを何話かご紹介しましょう。

コーヒーもう一杯(第1巻)

駆け出し漫画家の豆太のところに漫画家の青山が訪ねてきます。豆太のアパートは古い木造モルタルのアパートであり,部屋は台所付きの一間です。床は畳敷きであり,畳の目がていねいに書き込まれています。丸いちゃぶ台や天井も効果線で埋められています。

青山が到着した時,豆太はちょうどコーヒーを淹れています。使用している器具は専用ポットと茶こしです。直前に挽かれたコーヒー豆はお湯を注ぐと中央部がふっくらと膨らんでいます。コーヒーの香りが漂ってきそうな場面です。

部屋に入った青山も「やあ,いい匂いだな」と口にします。豆太は漫画を描く前に気合を入れようとコーヒーを淹れていたところです。コーヒーの入った二人分のカップが置かれたちゃぶ台に座り豆太はさっそく口を付けますが,青山はミルクと砂糖をもらって入れます。

豆太の部屋にはパソコンがありますが,これは何のためにあるのかよく分かりません。パソコンが自分の思うように動かない時に豆太は青山に助けを求めます。青山は「同じことを5回も6回も聞かれてるんだよね」と嘆きます。豆太はデジタリアンにはなりたくないようです。

青山は特に用件を話さず,「コーヒーの淹れ方を教えてくれ」と頼みます。豆太は一生懸命説明しますが青山はなんとなく上の空といったところです。その方法は青山と妻の睦美に教えたものであり,青山家ではもったぱら睦美がコーヒーを淹れていたようです。

青山が「こんな面倒なことを毎日やっているのか」とたずねると豆太は「慣れですよ 慣れ!」と答えます。しかし,私の経験ではよほどのコーヒー好きでなければこの面倒な儀式を継続できません。我が家もコーヒーメーカーを経由してインスタントとパックされたドリップタイプになってしまい,そこから焙煎豆→ペーパードリップには戻れそうもありません。

コーヒーの淹れ方と飲み方に関してとりとめのない話をしてから青山は帰ろうとします。豆太は青山が何かを話したがっていることを察知してタバコを買うと言って一緒に外に出ます。

自販機の前で青山は妻と別れたと話します。青山は妻が淹れてくれたコーヒーを感謝もせずに飲んでいたと続けます。これから青山は自分でコーヒーを淹れなければなりません。豆太は青山に「コーヒーを淹れるることはできますが,それは睦美さんの味とは違う味です」と語ります。

この言葉は(睦美と和解して)再び彼女のコーヒーを味わえるようにしたらというように解釈することができますし,もう彼女のコーヒーの味は取り戻せないのだから自分の味でこれからは生きて行かなければならないとも解釈できます。友人の離婚とコーヒーの淹れ方だけで一つの作品ができています。

かわいい女(第2巻)

カオリは新しい彼の部屋で「コーヒー飲める」ときかれます。前の彼はコーヒー好きでいろんな喫茶店に連れていってもらいました。それらはコーヒーがおいしいことで有名な店ばかりでした。当然,カオリはひとかどのコーヒー通になっていました。

新しい彼はカオリのためにコーヒーを淹れてくれました。豆はブルーマウンテンブレンドと値の張るものですが,買い置きもののようであり,焙煎してから日にちが経っているようです。

肝心のコーヒーの淹れ方にも問題がたくさんあります。彼はコーヒーポットを使わずに,やかんの沸騰したお湯をじかにドリッパーに注ぎます。コーヒー豆は膨らまず,蒸らすこともせずにどんどんお湯を注いでいきます。

ドリップからサーバーに全部落してしまい,これではえぐみも入ってしまいます。出されたコーヒーをカオリはちょっと困った顔で眺めています。彼は「なんだ 砂糖とミルクが欲しいのか」と気を利かせてくれます。

カオリの元彼は妻帯者でした。別れてからカオリはコーヒーを自分で淹れるようになり,一人で元彼のことを思い出しながらコーヒーを飲んでいました。もちろん,コーヒーに砂糖やミルクを入れることはありません。

極上のコーヒーの味を知っているカオリですが,もうぜんぜん未練のない元彼と現在の彼をコーヒーのことで比較している自分を『嫌な女』だと責めます。彼はミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲むカオリをかわいい女だと見ているようです。いま大切な人は目の前のこの人なのです。カオリは『かわいい女』にならなきゃと自分に言い聞かせながら「おいしい」と口にします。

彼の部屋は畳であり,やはり畳の目の細かい描き込みがあり,カオリが元彼を回想するシーンではカオリ以外の部分は細かい効果線で埋められています。

さて,この先,二人はどうなるのでしょう。カオリは彼のちょっとできの悪いコーヒーに砂糖とミルクを入れて飲む生活を続けるのでしょうか。それとも,さりげなくコーヒーのおいいしい喫茶店に誘い,もっとおいしいコーヒーの淹れ方があると教えてあげるのでしょうか。

人生において自分の知らないことを知ることは大切なことですが,あまりにも情報に溢れている現代社会では自分の必要な情報を適切にコントロールすることが重要です。彼が本当にコーヒーが本当に好きだと分かったなら,カオリはさりげなく彼を上のレベルに引き上げる『賢い女』になるべきでしょう。

路上の花(第3巻)

笹本は漫画家を志しており,雑誌の新人賞に入選してからアルバイトをしながら1年をかけて「恋人は火星人」という40ページの作品を仕上げました。彼は東京の出版社に持ち込みの約束を取り付けて夜行バスに乗り込みます。

早朝に東京に到着した笹本は約束のある午後まで時間をつぶすために街を歩きますが,そんな時間では開いている店はありません。笹本はビルの階段に座って寝ているような女性を見つけ,心配そうに声をかけます。

女性は「おなかすいてるの なにか御馳走してくれる?」と目の前の喫茶店を指さします。二人はそこでモーニングセットを注文します。笹本は「前祝の小さな親切」と心の中でつぶやきます。

笹本がトイレに立ったすきに女性は彼の原稿の入った封筒とともに消えていました。笹本は出版社に持ち込みの件をキャンセルし,傷心のまま故郷に戻ります。その後は漫画を描く気にはならず,原稿を持ち去った女性をうらむ日々を過ごしていました。

しばらくしてから笹本は上京し,デザイン事務所に就職します。そこで5年間しっかり勉強させてもらい,独立し,結婚し,小さいながらも事務所を構えてなんとかやっていけるようになりました。

そんな彼のところに編集プロダクションをしているという女性から電話がかかってきます。喫茶店で会ってみると彼女は「これに見覚えがおありではないかと」と言いながら封筒を取り出します。その中には20年以上前に紛失したあの原稿が入っていました。

彼女はミルクを入れたコーヒーを前にしながら,ある女性からこの原稿を預かったと話します。その女性は「あなたに申し訳ないことをした この原稿は返さなければならない」と人を介して編集プロダクションの女性に託したようです。

もうとうに忘れてしまったことですので彼女への恨みは消えており,笹本がその女性がどうしているかとたずねると,3年前に亡くなっているということでした。

彼女が先に喫茶店を出てから,笹本は原稿を取り出しパラパラと流し読みします。20数年ぶりに見る自分の原稿はお話にならないくらい稚拙なものでした。

冷めてしまったコーヒーを飲みながら笹本は「彼女はこれを読んだんだろうか」とつぶやき,もし,読んでくれたとすれば彼女は最初で最後のたったひとりの読者だったわけだと感慨に浸ります。

この話の中には2つのコーヒーを飲む場面が描かれており,暖かいコーヒーから立ち上る湯気が効果線の描き込みに縁どられて漂っています。この場面もコーヒーの香りが十分に読者まで届いています。

若い頃の自信作の漫画原稿は客観的に見て稚拙なものであり,笹本が漫画の世界に入って成功したかどうかは分かりません。それよりも,自分が漫画からデザインの道に進み,家族を養ってこられたのは原稿を持ち逃げした彼女のお陰なのではと笹本氏は考えたのではと推測します。

喫茶ヨシオ(第4巻)

これはちょっと毛色の変わった物語です。会社員の鈴木は高校時代からの友人の久保山ヨシオの母親から連絡を受けます。久保山は会社にも行かず自分の部屋に引きこもってしまい,自分は喫茶店のマスターだと思っているようです。

鈴木が訪ねると久保山は自分の部屋に「喫茶ヨシオ」という表札を掲げ,机にはコーヒーの抽出器具が並べられています。久保山は「いらっしゃい」と言いながら鈴木にメニューを差し出し注文を聞きます。

鈴木がブレンドを注文すると久保山は豆を挽きコーヒーを淹れ始めます。鈴木が「久保山」と声をかけても返事はなく,「マスター」と呼ぶと返事が返ってきます。コーヒーが出来上がると「500円です」とメニュー通りの料金が請求されます。

母親の話しではもう3か月もコーヒーや本を買いに外出することはあっても,家に帰ると自室に閉じこもる状態が続いているそうです。鈴木は家に戻り妻のキミコに久保山の状況を説明します。

久保山はコーヒーについて多くの本を読み漁っており,彼との話にはコーヒーがヨーロッパに伝わったととき,有害説もありすぐには受け入れられなかったことや18世紀にスウェーデン国王のグスタフ3世の実験などの話しがあります。

鈴木にとっては「喫茶ヨシオ」におけるマスターとの会話はとても楽しいひとときに感じられるようになります。フランスの文豪バルザックとコーヒーの関係ついて語り合う二人には笑いが絶えません。鈴木の妻のキミコはなんとなく久保山のところから帰ると夫が楽しそうに見えることに気が付きます。

ある日,鈴木が久保山の家を訪ねると「喫茶ヨシオ」の部屋は元に戻っており,久保山は元気に「おーう鈴木 どうした?」と声をかけてきます。

久保山は鈴木を相手にマスター体験ができたことにより「喫茶ヨシオ」病から解放されたようです。彼は「喫茶ヨシオ」についてはまったく覚えていないようです。

鈴木は肩透かしをくったように寂しい気持ちで自宅に戻ります。都会の喧騒の中でオアシスを求めるように「喫茶ヨシオ」病は鈴木に感染してしまったようです。

休日にキミコがいつまでも起き出してこない夫の部屋を開けると,そこにはコーヒーの抽出器具並べた机の前に少しまぶたが下がった状態の夫がおり,「やあ,いらっしゃい」と声をかけます。

自分だけの秘密の憩いの場所をもつことは男性にとってはある種のロマンです。それは,路地の奥にあるような小さな喫茶店かもしれません。そこでマスターとコーヒー談義を交わすひと時はその人にとっては至高の時間なのかもしれません。そのような場所が突然無くなってしまうと,その人は「喫茶ヨシオ」病にかかるのではと推測します。

豆太の日々(第5巻)

ある朝,目を覚ますと豆太はやっぱり豆太でした。机の上には描きかけの原稿があり,テレビを点ければおなじみの顔が出ています。外に出るといつもの街並があり,いつもの店でいつもの定食をいただき,いつもの喫茶店でコーヒーをいただきます。

安心しながらもちょっとがっかりして豆太は机に座り,漫画を描き続けます。そんなときに青山からちょっと立ち寄るとの電話があります。現れた青山は特に用事はなく近くまで来たのでついでにと言います。青山から手渡された袋の中には食料品が入っており,豆太は面食らいます。

とりあえず豆太はコーヒーを淹れますが,青山は本当に用件がないようです。豆太は青山に断ってあと少しで終わる漫画を描き出します。連載誌が休刊となるため,豆太の連載もこれで終わりになります。青山もそのことを知っており,心配してやって来たようです。

青山は「手伝おうか」と言って,消しゴムをかけてくれます。豆太が高校生の時には一人でよく青山の原稿を手伝っていたことを思い出して「うふふ」と思い出し笑いをします。

あれから今日まで豆太の漫画の仕事はあったりなかったりで,青山の手伝いをしたり,カットの仕事をもらったりして食べてきました。「こういうのがこれから先もずっと続けばいいんだけどなあ」と豆太は独り言のようにつぶやき,青山は「・・・うん」と応じます。

再びコーヒーを淹れる豆太に原稿を読んだ青山が「なんか 終わりそうじゃないか」と話しかけます。豆太は「だから あと少しって言ったでしょう」と答えます。『コーヒーもう一杯』で豆太の漫画は終わりなのです。

豆太の漫画人生は山川直人の姿を投影しており,彼の描く『コーヒーもう一杯』も次の話で終わります。豆太に自分の漫画家人生を重ね,豆太の作品に自分の作品を重ねたきれいな話しに仕上がっています。翌朝,目を覚ますと豆太はやっぱり豆太でした。机の上には描き上げた原稿があります。


シアワセ行進曲

古道具屋で買わされた丸いちゃぶ台といっしょに絵美が幹太の部屋に転がり込んできて同棲生活が始まります。幹太はあまり売れていない漫画家であり,絵美は喫茶店でバイトをしています。

二人して働いているのでそれなりの暮らしが出来るかと思いきや,お金が入ると無計画に使ってしまいますでいつもお金に苦労しています。それでも,笑ったり,怒ったりのにぎやかな暮らしが描かれています。

ナルミさん愛してる

一人暮らしの「ナルミさん」とUFOキャッチャーの景品であるぬいぐるみのカエルの「ドミノ」の物語です。「ドミノ」はぬいぐるみですから当然しゃべれませんが,彼の目線から「ナルミさん」の日常が語られます。

口笛小曲集

コーヒー場面のない「コーヒーもう一杯」といった感じの短編集です。一話完結であり作品相互の関係はまったくありません。