私的漫画世界
ピアノの音が聞こえてくるような気がします
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一色まこと

「一色まこと」は「出直しといで」「花田少年史」の時から知っていますが,ギャグ調の絵柄が好きではなかったので単行本を収集することはありませんでした。それが,「ピアノの森」になるとずいぶん絵柄がすっきりしてきており,これなら収集する価値があると判断しました。

そのように考えたのは2006年くらいのことでしたので新しい装丁のもので収集を始めることができました。というのは,2002年時点で「ピアノの森」はアッバース・コミックスとして第9巻までがすでに発刊されていましたが,連載がモーニングに移ったことによりモーニング・コミックスとして第1巻から再刊されています。

単行本を収集する人にとっては装丁が変わるということは一大事であり,9巻までは旧装丁,10巻からは新装丁では書棚に並んだ時の印象がずいぶん変わります。

「ピアノの森」の全巻を揃えたいとする人の多くは書棚に並べたときの違和感を避けるため第1巻から買い替えることになります。これは単行本を収集する人にとっては気の毒な二重投資となります。

作者の「一色まこと」は長い間というかつい昨日まで男性であると思っていました。このブログを書くためにwikipedia を開いたところ,「日本の女性漫画家」となっており驚きました。そう言われてみると,主人公の高校時代以降の造形は女性の作品という感じが強くなります。

「一色まこと」はおそらくペンネームなのでしょう。「一色氏」は古い武家の家系であり,清和源氏の流れをくみ,足利氏の支族の一つです。発祥の地は三河であり,現在の愛知県西尾市には一色町の地名が残っています。

室町時代には大いに隆盛し,若狭・丹後・伊勢・志摩・三河・尾張二郡(知多・海東)の大守護となっています。また,室町幕府の要職を占めています。しかし,15世紀になると一色氏は将軍足利義教と対立し,次第に衰退していきます。

作者の「一色まこと」に関してはネット上でも個人的なプロファイルはほとんど明らかになっていません。1984年に第10回ちばてつや賞佳作を受賞した「カオリ」で商業誌デビューを果たしています。商業誌デビューは20歳前後でしょうから,作者の生年は1864年前後と推測できます。

「ショパン国際ピアノコンクール」のあたりから不定期連載となったのは作者が遅筆であることが影響していますが,それ以上にこの作品に対する作者の思い入れが強く,自分が納得できるものになるまでストーリーを検討し,描画を工夫しているためであると一部のサイトではささやかれています。おそらくそれは正しい見解なのでしょう。

モーニングの編集部もそのような作者に対して理解を示しているので不定期連載が可能になっているのでしょう。自分の納得の出来るものを世に出すという姿勢は現在のようにとにかく締切に合わせて描き上げる漫画家が多い中では特異な存在となっています。

読者にとっては作者のそのような苦悩や心血を注ぐ姿を紙面から読み取ることはできませんが,音の世界を紙の世界で表現しようとする作者の苦労は十分に伝わってきます。

ピアノの森執筆履歴

「ピアノの森」は1998年より「ヤングマガジン・アッパーズ(講談社)」において連載が開始されました。この雑誌は月2回のペースで刊行されており,単行本の発刊履歴からすると「ピアノの森」はほとんど休載することなく第9巻まで進行しています。

ところが第9巻と10巻の間には約3年の間があいており,長期休載期間があったことが分かります。休載期間は第80話(2002年11月,いつかふたりで)と第81話(2005年4月,特別のピアノ)の間にあります。

この間に「ヤングマガジン・アッパーズ」は廃刊となり,第81話からは発表誌を「モーニング(講談社)」に移し,第2章ということで再開されました。

単行本は同じ講談社でもモーニング系のコミックスとして新しい装丁で再刊されるようになりました。そのため,古本屋の書棚にはアッバース時代のものとモーニング系のものが別々に並ぶことになります。

2005年4月に隔週連載が再開されたものの,遅筆の作者は定期的に原稿を出すことができず,2008年5月からは不定期連載になっています。

第101話(2006年1月,ワルシャワの胎動)からは先は足かけ8年に渡り延々と「ショパン国際ピアノコンクール」が続きます。第25巻ではコンクールの最終審査の発表があり,物語の大団円も近いような気がします。

巻数 発刊 内容
第01巻1999年08月 地方都市の森脇小学校でカイ,雨宮,阿字野が出会う
修平はカイが森のピアノを弾くのを聞いて驚く
第02巻1999年08月 森のピアノでカイは阿字野の音を再現する
阿字野はカイの隠された才能に気付く
第03巻1999年10月 カイは阿字野にショパンの弾き方の教えを乞う
阿字野はカイに普通のピアノの弾き方を訓練する
第04巻2000年04月 カイが全日本学生ピアノコンクールに出場する
修平はカイに全力で勝負することを約束させる
第05巻2000年08月 誉子はカイの励ましにより上がり症を克服する
コンクール予選における修平,誉子,カイの演奏
第06巻2001年03月 コンクール地区本戦における修平と誉子の演奏
修平は地区予選で優勝し誉子は特別奨励賞を受ける
第07巻2001年09月 森のピアノが焼失する
修平は全国大会で優勝し留学する
第08巻2002年05月 スランプで一時帰国した修平はカイと再会する
カイは複数のバイトをかけもちし高校に通う
第09巻2002年11月 修平はカイの部屋に泊り自分を取戻す カイはマリアとしてP☆クラで演奏し佐賀,冴と知り合う
第10巻2005年07月 中学生の誉子は司馬のレッスンを受けるようなる
誉子がショパンコンクール・オーディションに出場する
第11巻2005年12月 誉子の腱鞘炎が発覚し本選を辞退する
大分のコンクールで誉子はカイと再会する
第12巻2006年04月 カイはセローの指揮でM響と共演する
ショパン音楽コンクール予備選が始まる
第13巻2006年12月 ショパン音楽コンクール一次予選が始まる
優勝候補のパン・ウェイの演奏は阿字野の音をなぞる
第14巻2007年06月 阿字野とカイの約束が明らかにされる
修平が演奏し喝采を浴びる
第15巻2008年05月 レフ・シマノフスキの演奏
カイの演奏が始まる
第16巻2009年08月 カイの演奏は大喝采をうけるが評価は分かれる
第一次審査通過者30名の発表
第17巻2010年03月 落選したアダムスキとの話から修平は何かを感じ取る
第二次審査が始まる,ソフィ,パン・ウェイの演奏
第18巻2010年07月 修平は自分の心をピアノで表現し喝采を浴びる
レフ・シマノフスキは完璧なショパンを演奏する
第19巻2010年11月 カイの演奏はその導入部で会場の色を変える
第二次審査を通過できなかった修平は苦悩する
第20巻2011年09月 雨宮洋一郎は勝ち負けにこだわるまちがいに気付く
修平はカイにひどいことを言ったことを悔やむ
第21巻2011年11月 最終審査を前に修平はカイと和解し練習に付き合う
パン・ウェイのゴシップ速報が出回る
第22巻2012年08月 カイたちと雨宮洋一郎,佐賀が顔を合わせる
記事に苦悩するパン・ウェイを阿字野が励ます
第23巻2013年05月 パン・ウェイは温かみのあるショパンを演奏する
誉子が修平と二次審査のピアノについて語る
第24巻2014年05月 カイは照明のアクシデントを最大の演出に変える
カイのピアノは森を抜けて大きな広がりをもつ
第25巻2014年05月 レフの演奏は一時乱れるがポーランドの心を弾く
利害抜きの素直な審査の結果,カイはウイナーとなる
第26巻2015年01月 カイの依頼でドクター仲尾が阿字野の手の手術する
周囲の励ましによりピアニスト阿字野が復活する

「ピアノの森」と「Dr.コトー診療所」

「私的漫画世界」の目次で確認していただいたいのですが,奇しくも「ピアノの森」と「Dr.コトー診療所」という業界ものの作品が並ぶことになりました。どちらも大ヒット作品となっており,単行本の巻数も類似しています。ネット上の情報では「ピアノの森」の単行本売り上げは1巻あたり約25万部,「Dr.コトー診療所」は約48万部とされています。

業界ものは作品を通してある業界の内情が分かる仕掛けとなっており,それが読者の知的好奇心をくすぐります。それに加えて人間ドラマが物語性を高めているのが人気の秘密です。

それでは「ピアノの森」と「Dr.コトー診療所」を比べるとどちらがドラマ性の高い作品を作りやすいかというと明らかに「Dr.コトー診療所」の方です。

医者もの,警察もの,事件記者もの,法曹界ものではドラマの骨格となる事件は向こうからやってきます。マスメディアを注意深くチェックしていれば作品に取り込むことのできる様々な事件を拾い上げることができます。

特に医者ものは患者の命を救う行為が主になりますので比較的容易に感動的なドラマに結び付きます。それに対して「ピアノの森」はピアニストの世界を描いたものであり,仮に天才的なピアニストを登場させたとしても,物語性を高めるためには医者ものに倍する苦労が必要となります。

さらに,演奏の良し悪し,感動を紙の媒体で表現しなければなりませんので,読者がどこまで理解できるかという問題もあります。それに対して。医者ものでは命の問題は非常に分かりやすいので読者の共感を呼びやすいという側面ももっています。

「ピアノの森」は作者が渾身の力で描き上げた作品であり,「Dr.コトー診療所」との単行本売り上げ部数の差(人気の差)は読者の共感の得やすさ,分かりやすさではないかと分析します。


小学校時代

家の都合で地方都市に引っ越してきた雨宮修平は森脇小学校に転入します。そこで修平は「森のピアノ」を弾く一ノ瀬海(カイ)と音楽教師をしている阿字野壮介に出合います。

修平の父親洋一郎は海外にも名前の知られたピアニストであり,修平は幼少時からピアノの英才教育を受けています。阿字野はかって天才の名をほしいままにしていた若きピアニストでしたが,交通事故によりピアニストとしての命脈を断たれ,現在は森脇小学校で音楽教師をしています。

阿字野が特別注文で作らせたピアノは業者が引き取ったものの,鍵盤が重く阿字野以外には弾きこなせず,森の中に捨てられました。小さなときから海はその森を遊び場にしており,「森のピアノ」をおもちゃ代わりに弾いていました。

転校性の修平はガキ大将に森に行ってピアノの弾いて来いと命じられ,カイに連れられて森に入り,「森のピアノ」を弾こうとしますが,鍵盤が重くて思いきり力を込めたたくようにするとようやく音が出る状態です。

そのピアノをカイは弾きこなします。しかもその曲は阿字野がアレンジしたものであり,カイは一度聞いただけで記憶してしまったのです。小学生では抜きんでた演奏技術をもっている修平はカイの才能に驚愕します。

修平からこの話を聞いて阿字野は誘われるように森に入り,失われてしまった自分の音を再現するカイに選ばれた者がもつ才能を見出します。音楽室で阿字野は「ピアノを教えて欲しかったら自分のところに来なさい」と話します。

カイは「森のピアノ」ではショパンが弾けないことが分かり,阿字野に教えを乞います。阿字野は「森のピアノ」で育ったカイを「普通のピアノ」に慣れさせるため指の練習曲を延々と弾かせます。

この退屈なピアノに飽きたカイは天窓から差し込む月の光から「ピアノの森」をイメージして阿字野の課題をマスターします。阿字野の指導でカイは自由にショパンを弾けるようになります。

阿字野がカイにピアノを教えることを知った修平は「全日本学生学生ピアノコンクール」の地区予選を目指して練習に励みます。阿字野はカイとの約束としてピアノの教える代わりにコンクールに出場させることにします。

コンクールの朝,カイを迎えに来た阿字野は母親のレイコに「カイをどうしょーっていうの」と問い詰められ,コンクールのことを話します。レイコは喜び一緒にコンクールの会場に向かいます。

中部南地区予選のプログラムの中に雨宮修平の名前があり,関係者は驚きます。丸山誉子も修平の名前を見つけて「最悪だわ」と嘆き,カイと言い争いになります。

誉子は実力は十分にあるのですが,極度のあがり症であり,過去の発表会ではいつも散々なピアノとなっています。今回は修平の名前を見て階段に座り泣いています。

それを見つけたカイは自分の一番好きな場所を連想させ,そこにいるつもりでピアノを弾くことを教えます。誉子の場合はトイレの中で犬のウェンディといることでした。誉子はウエンディの代わりにカイの頭を抱いてイメージを作り上げます。

修平の演奏は完璧なものでしたが,誉子は一番落ち着く場所にウエンディといる気持ちで見事な演奏をして,家族の人たちを喜ばせます。演奏を終えた誉子はカイに抱きつきます。

カイのピアノは阿字野の音を再現するものであり,会場に来ていた雨宮洋一郎を驚かせます。ところが,カイは途中で演奏を止め,改めで自分の感性で演奏します。

会場は割れんばかりの拍手と感動に包まれます。しかし,審査員の多くは楽譜通りの正確な演奏だけを採点の対象としており,カイの演奏は認められず予選を通過できません。

修平は完璧さを上回る何かがカイの演奏にあることを認め敗北感を味わいます。誉子は「それでもあんたが一番だった」とカイに告げます。本選において修平は再び完璧な演奏により優勝します。誉子は審査員に挑戦するようにカイのイメージを込めたピアノを聞かせ,審査員特別賞を受けます。

審査が終了する頃には雨になり,森の端は雷雨に見舞われます。雷はピアノの近くに落ち,「森のピアノ」は燃え上がります。駆けつけたカイはピアノの側に行こうとして消防士に制止されます。

カイは目の前で一番の宝物を失います。レイコはこの機会にカイを阿字野に預けようとしますがカイはレイコを森の端に残して行けないと拒絶します。

「全日本学生学生ピアノコンクール」本選の日にカイは楽器店のイベントで透明のアクリル製ピアノを見かけます。「弾いてもいいですか」とたずねると難解なアレンジの楽譜を渡され,「これが弾けるならね」と条件を付けられます。

カイは初見の楽譜で弾き始め,イベントに出演する音楽家を驚かせます。彼らは自分たちの楽器でカイの演奏に合わせます。いろいろな音が一つになり,カイは森のピアノを弾いている気持ちになり,ピアノが自分にとって命と同じものであることを知らされます。

カイは森のピアノと訣別し,阿字野にピアノを教えてもらうことにします。しかし,レイコを残して留学することを拒否し,自分の先生は阿字野以外にはないと語ります。

阿字野は自分が交通事故から生きながらえたのはカイを世界に送り出すためであったと考えるようになります。一方,修平は全国大会でも優勝し,カイとの直接対決を避けるためオーストリアに留学することを決めます。


高校バイト時代

小学校5年生からカイの行方はまったく分からなくなります。これは阿字野がカイを森の端から切り離したためです。その間,カイはバイトをして生活費を稼ぎながら,学業とピアノを両立させてきました。5年の月日が流れ,カイは高校1年生になります。

留学中の修平は極端なスランプになり,休学して日本に一時帰国します。修平は日本を旅行してきた学園の生徒が撮ったビデオに写っているピエロ姿の楽団の演奏を聞いて驚きます。それは,まちがいなくカイのピアノでした。そのときから修平の手が動かなくなり,ピエロに会うため日本に戻ってきました。

修平は森脇小学校や森の端を回りますがカイの消息はつかめません。洋一郎はカイの情報を収集し,学校名と後見人が阿字野であることを修平に知らせます。阿字野は桐山音楽大学教授の肩書によりカイを全面的にバックアップしています。

修平がカイのバイト先として案内されてのは「P club」といういかがわしいクラブでした。そこで修平は女装してマリアという名前で出ているカイのピアノを聞くことになります。カイは修平を外に連れ出し正体を明かします。

カイに抱きしめられた修平は「やっと会えた」とつぶやきます。マリア(実はカイ)はピアノのステージが残っており,再び女装をしてステージに向かいます。

そこにはマリアのピアノを聞くために通っている佐賀武士が花束を持って待っています。マリアを見て佐賀は「なんていい女なんだ」とつぶやきます。佐賀はマリアとそのピアノに恋い焦がれ,後にショパンコンクールの会場の立ち話から,マリアがカイの女装であることを知り,なんともいえない顔をすることになります。

カイはクラシック音楽でストリップショーを演じようとします。修平はクラシックを冒涜するものと怒りを感じ,イスに座りこみ目を閉じます。すると,カイのピアノだけが聞こえ,修平はいつのまにか寝入ってしまいます。

修平はカイの住んでいるところに行く前に自宅に立ちより,荷物を取ってきます。洋一郎には「僕はもう大丈夫だよ,もう逃げるのはやめたんだ」と伝えます。

カイの住処は閉鎖されたジャズバーの建物でした。この家賃のために「P club」のショータイムを月に10回こなしています。カイは中学2年の時からここに棲みついていると話します。

翌朝,カイより遅くに起きた修平は建物の壁一面に書き込まれたレシピや勉強の跡を見つけ驚きます。カイの留守中には不登校児がピアノの練習にやって来て,彼の指導により修平の指は鍵盤の上を動くようになります。修平は涙ながらに自分の指がこれほどピアノを弾きたがっていることを知ります。

修平は5年前の留学による逃避と,現在のスランプ状態について語ってから,「僕はもう逃げないから君のピアノを聴きたい」と頼みます。

カイの選んだ曲はリストの「ラ・カンパネラ」でした。修平はピアノに感情が込められているのを感じ取るとともに,「優れた音楽家は例外なく優れた技術と優れた音楽性の両方をもっています」という学園の教師の言葉を思い出します。

これで吹っ切れた修平はカイに感謝のメモを残して自宅に戻ります。修平は演奏会を終えた洋一郎に挨拶をし,「父さん,僕は自分でこの道を選んだんだ ピアノを弾くことを」と力強く告げ,学園に向かいます。

物語はしばらくカイと岸上冴の恋愛関係となりますが,この部分は本作品のテーマと無関係な夾雑物であり,描かずもがなのところです。作者としてはカイと誉子の恋愛関係に対する予防線としての設定であったのかもしれませんが,個人的にはまったく意味のない展開であると感じています。番外編の「調律師 カイ」を挟んで第81話から始まる第2章に移行する方が物語としてはずっとすっきりします。


ショパン音楽コンクールへの挑戦

「ショパン国際ピアノコンクール」に照準を合わせ,カイは「P club」やピエロのバイトをすべて辞めて,桐山音楽大学で阿字野の指導を受けることに専念します。

マリアのピアノに惚れこみ「P club」に通い詰めていた佐賀はマリアが辞めたことを知り,日本の音楽関係者のリストから洗い出そうとします。当然,該当者は見つかりませんが,代わりに阿字野が桐山音楽大学の教授となっていることを知ります。

一ノ瀬海の名前はピアノ界から5年間はまったく消えていました。誉子はカイのピアノが忘れられず,彼に出会うためいくつかのコンクールに出て特別賞などをとりますが一等賞にはなれません。コンクールに出てプログラムからカイの名前を探す日々が続いています。

中学2年からはハヤマ音楽大学の司馬から指導を受けています。それから3年が経過し誉子は「ショパン国際ピアノコンクール」へ出場するための推薦オーディションに臨んでいます。誉子はパンフレットを探しますがカイの名前はありません。

佐賀は審査員に名を連ねています。マリアのピアノに恋している佐賀は司馬に「ひとりの少年のたった5分の演奏がすべてを変えることもある」と打ち明けます。

誉子の演奏を聴いて佐賀は左手の指の微妙なバランスの狂いに気が付きます。司馬はそのような異変に気が付いていないようです。一次予選通過後に佐賀は誉子の故障について司馬に告げます。

二次予選の演奏で司馬も痛みをこらえて演奏する誉子に気が付き,思わず涙します。司馬は誉子の左手を握ると誉子の顔が歪み,司馬は「今回は僕たち辞退しよう」と告げます。

しかし,誉子は辞退を拒絶します。誉子はカイと同じ舞台に立つことだけを夢見てこれまでの厳しいレッスンを続けてきましたから,諦めきれない思いです。誉子は本戦出場の5名の枠に残ります。

そんなとき,佐賀が司馬と会い,阿字野が音楽の世界に戻っていること,『JAPAN ソリストコンクール』の出場者の中にカイの名前があるとことを知らせます。二人は阿字野がカイを森の端から切り離したと推定します。

司馬は迷いながらも誉子を連れて大分のコンクールを見に行くことを選択します。二人はギリギリのタイミングで会場に到着します。誉子がパンフレットを手に取ると,司馬は「次に出てくる,やっと会える」と話します。

場内アナウンスがカイの名前を告げ,誉子はあまりの衝撃に思考が停止します。カイが壇上に現れ誉子は「う,うそ」と涙ぐみます。カイのピアノは誉子がずっと追い求めてきたもの以上に進化していました。カイの演奏は荒削りで・・・大胆でありながら切なく聴衆を包み込むものでした。誉子は手を直しカイと同じ舞台に立ちたいと切に願います。

モニターで観ていたM響のメンバーもカイの演奏の新鮮さに注目しています。同じくモニターを観ていた世界的な指揮者のジャン・ジャック・セローも「難しそうだが面白い」とつぶやきます。

演奏の途中でカイは力が入りすぎて弦を切ってしまいます。とっさの対応として失われた音をカバーするアレンジで演奏し,関係者を驚かせます。カイの演奏は聴衆の喝采を浴びますが,コンクールとしてはアレンジが認められないので入賞は難しいようです。

演奏後にカイは近くの公園に行き,誉子はその後を追って再会を果たします。カイは誉子の名前を聞いて「便所姫」を思い出します。誉子はその後の6年間のことをかいつまんで話します。

審査の結果,カイは入賞を逃しますが,審査員として出席していたM響の代表者は今回は1位無しとして,代わりにカイをソリスト賞に推すことを提案します。審査結果の発表があり公園のカイに阿字野が連絡を入れます。

M響との音合わせでカイは弾き直し後にオーケストラに合わせる演奏をしますが,演奏会で飛び入りで指揮をとるセローはカイに最初の演奏で行くように話し,M響のコンサートマスターを慌てさせます。

演奏会ではセローの指揮によりM響とカイのピアノは見事な協奏曲を奏で聴衆の大きな拍手を受けます。佐賀はセローの出現により阿字野が「ショパン国際ピアノコンクール」を目標にしていることを理解します。

演奏後にカイは「ショパン国際ピアノコンクール」におけるセローと阿字野の関係について話されます。セローは「コンクールに必要な推薦状は喜んで書かせてもえらうよ」と阿字野に告げます。コンクールまではあと1年です。

雨宮洋一郎は旧知のセローに面会に行き,セローがカイの推薦状をしたためているのを見て愕然とします。この情報はすぐにザルツブルグで学んでいる修平に伝えられ,修平は自分もコンクールに出場することを決意します。


ショパン音楽コンクール予備審査

1年半が経過し,5年に1度の「ショパン音楽コンクール」が始まります。予備審査は286名の応募者の中から本審査に出場する80名を選出するためのものです。留学先をポーランドに変更して精進してきた修平の演奏は1年半前のスランプをまったく感じさせないものであり,自信に溢れています。

カイの演奏は緊張のため前半はひどいものですが,後半は修平の咳払いに救われ立ち直ります。会場の外で修平は「僕は君と勝負するためにここに来たんだ」と宣言します。

ショパン国際ピアノコンクール一次審査

カイは予備審査を通り一次審査に進みます。カイは修平に握手を求めますが修平はそのまま立ち去ります。その頃,東京では司馬と誉子が病院を訪れ,誉子の腱鞘炎は完治している告げられます。

そこで司馬は整形外科医の梨本を見かけ,前にカイと梨本が深刻な表情で話し合っていたことを思い出します。司馬の頭にはカイもなにか手の故障を抱えているのではという心配がよぎります。しかし,M響に出ているカイのピアノを聴く限りではそのような兆候は見られません。

阿字野はワルシャワに出発する直前に森の端のレイコを訪ねます。彼女は不在であり,1時間後に戻ったレイコはあわてて外に飛び出し,近くで待っていた阿字野に燃え残った「森のピアノ」の鍵盤を託します。

ワルシャワでは華やかな熱気に包まれて第15回ショパン国際ピアノコンクール一次審査が始まります。初日のソフィ・オルメッソンはドレスの肩ひもが切れるというアクシデントに動揺しますが,短時間で立ち直り喝采を浴びます。

優勝候補のパン・ウェイの演奏を聴いてカイは驚きます。それは阿字野のピアノそのものであったからです。彼のピアノは阿字野のコピーではなく完全に自分の音にしています。かって,それを指摘した修平は彼から手ひどい反撃を受けます。カイはパン・ウェイのピアノは煉獄の苦しみの中から生み出されたものだと感じ取ります。

一次審査の4日目にはオーシャ・ユシュシェンコが会場のスタンディング・オベーションを誘うすばらしい演奏をします。そして,大会5日目にはアダムスキ―が登場し華やかな演奏をみせます。

次に登場した修平の演奏は会場をためいきで満たします。最後のノクターンではキリストの受難ではなくカイという存在に対する自分の苦悩を託します。修平の演奏は聴衆の大喝采を浴びます。

しかし,トイレにおいて修平は極度の緊張から倒れそうになり,アダムスキ―に背負われて控室に運ばれます。気が付いた修平にアダムスキ―は「自分自身と向き合うことに集中した方がいい」と忠告します。洋一郎と連れ立って歩く修平にアダムスキ―は「心の闇はずっと深いのかもしれない」とつぶやきます。

8日目にはアレグラ・グラナドスの迫力の演奏があり,ダニエル・ハントは今にも倒れそうな演奏が終了するとあろうことか失神してしまいます。韓国のアン兄弟の演奏も甲乙つけがたい素晴らしいものです。9日目(最終日)にはレフ・シマノフスキとカイが登場します。

レフ・シマノフスキの祖父は有名なピアニストであり,姉のエミリア・シマノフスカは天才ピアニストでしたが事故のため現在まで意識の戻らない状態です。そのエミリアに「大丈夫よ レフ いつも一緒にいるわ」と励まされます。レフは彼女を想いながら審査員を刮目させる演奏を披露し,ポーランドの新星に躍り出ます。

最終日の2番目の演奏者はカイです。会場では阿字野,佐賀,セロー,パン・ウェイ,シマノフスキ,雨宮親子が彼の演奏を待ちます。ピアノの前に座ったカイは壁に飾られているショパンのレリーフを眺め,小学校のときのことを思い出します。

カイのピアノはショパンを聴き疲れていた聴衆を覚醒させます。コンクールの様子はインターネットで配信され誉子もパソコンに集中しています。修平はこころの中で「僕はまだカイくんに勝てないかもしれない」とつぶやきます。

カイの演奏は満場総立ちの喝采となります。審査員のエキエルトは「カイイチノセ恐るべし イチノセのピアノは聴けば聴くほどより聴きたくなる これはピアニストにとって大きな才能だ」と語ります。しかし,多くのポーランド人審査員にとっては審査の絶対基準はポーランドのショパンであるかどうかなのです。

佐賀はマリアのピアノを聴けなくなったことによる飢えの感覚をカイのピアノが満たしてくれたことで頭が混乱してしまいます。佐賀は本人に確認しようとしますが,自分の考えをまとめることができません。

最初の通過リストは破棄され2度目のリストを審査員が作成しているという理由で一次審査の発表は遅れます。ポーランドのヤツェック・ホフマンは「一次通過者30名を選ぶのは僕なら5分とかからないよ 採点自体はそれぞれの演奏中にすんでいるわけだからね よからぬ点数操作をしていないのならね」と審査の内幕を暴露します。

修平,アン兄弟,カイ,オルメッソン,パンウェイ,シマノフスキは通過しますがアダムスキの名は呼ばれません。ポーランド人のアダムスキはシマノフスキという新しいポーランドの星が台頭したことによりポーランド人の審査員により落とされたとホフマンは解説します。

一次審査の通過者発表の雑踏の中で修平は不安にかられトイレに行ったところでアダムスキに出会います。そこで修平は自分の運命の扉を開く言葉に出合います。

大丈夫だよ うまい言葉は見つからないけれど・・・
君のピアノには不思議な品格・・・みたいなものがある
なぐさめてくれてありがとう
でも・・・でも僕には楽しんで弾くなんて・・・きっとできない
僕はここで絶対に勝たなきゃならない相手がいるから
だから僕は・・・そのために僕は・・・120%・・・200%の努力をしてきたんだ
もう・・・これ以上はがんばれない

誰よりも練習してきたって?
120%,200%だって?
はは・・・僕が練習してこなかったとでも?
こんなことは言いたくないけれど”自分だけががんばっている”みたいなことは言うな。
あんまり当たり前すぎて言うのもいやだけど・・・
全員とは言わないが 少なくとも2次に進む30名はおまえと同じくらい練習なんてしているぜ。
誰でも当たり前にやってることなんだよ!
誰よりもがんばってきたって・・・だって?
何それ 苦行の話? そんな張りつめたピアノ・・・誰に聞かせたい?
誰が聴きたい?
おまえって何のためにピアノを弾いてるの?
オリの中で自分のためだけに弾きたいわけじゃないんだろ?

自分の拠り所としてきた努力が特別のものでないと指摘され,修平の中で何かがはじけます。修平はカイの住まいに残されていたおびただしい壁の書き込みを思い出します。カイがどれほどの努力をしているかを見ようとはしなかった自分に気が付きます。

僕にはホント努力することしかなくて・・・
でもそれがみんな当たり前のことなら・・・
僕のピアノには・・・何か他に取り柄があるんだろうか?

あのさ・・・ピアノって誰が弾いても簡単に音が出るだろう
だから技術的にうまく弾けるとごまかされちゃうんだけど・・・
だからこそ 自分だけの音色 響きを出すのが難しいんだけど・・・
ピアノはあくまでも楽器であって 表現者は自分なんだよ アマミヤ!
表現する者に表現するハート,思い,イメージがなかったら 自分とピアノの向こう側にいる人間には技術しか伝わらないんだ
わかっている?
君がピアノに命を与えるんだよ!

だったら僕にはなにもない! 空っぽなんだよ
ははは・・・バカ言うなよ
空っぽなやつに努力なんてできないだろう
大丈夫! きみはピアノに真摯でまっすぐだ!
2世のプレッシャーはあるだろうけれど・・・
でも 君ならきっとそんなものやり過ごせる
誰かに勝ちたい! と思うのも理解する!
ホントは勝ち負けじゃないけど・・・
でも そのまっすぐな気持ちがあればきっとそこもやり過ごせる
まだ17歳なんだ
17歳のまっすぐなピアノはそれだけで十分新鮮で魅力的なんだよ


アダムスキのやさしい言葉が修平の張りつめていた殻を破ります。修平は「僕はこれまで誰かに”聴かせたい”と純粋に思ったことがあるだろうか。認めさせるために聴かせたいと思うことはあっても・・・」と自分と向き合うことができるようになります。

しかし,父親の洋一郎は阿字野とのライバル意識から脱け出せず,修平がカイに勝てるかどうかを友人にたずねます。長い時間が経過しても洋一郎はまだ阿字野の呪縛から解放されておらず,その呪縛が修平の枷となっているようです。

修平にとってはカイに勝つことだけが父親に認められることと思い込んでいます。しかし,それはアダムスキとの会話でたどりついた「誰かに聴かせたいピアノ」を目指す気持ちとは矛盾するものです。


ショパン国際ピアノコンクール二次審査

第二次審査は30名により4日間にわたって行われます。演奏順は名前のアルファベット順であり,今回はOから始まります。会場の中でカイは「俺達 ここまで来れて本当によかったね」と修平に声をかけますが,修平は無言のままです。

初日の一番手となるオルメッソンはレベルの高い演奏で会場の大きな拍手を受けます。二番手のパン・ウェイの演奏は阿字野の音を踏襲したものであり,佐賀は「きっとヤツは阿字野のピアノに耽溺したんだ かっての俺のように・・・」と分析します。

彼の演奏を初めて聴く阿字野には特別な感情は現れません。阿字野はパン・ウェイの底流にある哀しみと怒りを感じ取り,これは私の音楽ではないと判定します。パン・ウェイの歌に会場は総立ちとなります。

2日目の午後に修平が登場します。ステージに上がり修平はアダムスキの言葉を反芻し,心の中で「僕が 僕のすべてをピアノに与える」とつぶやきます。

実はこの言葉は修平にとっては真新しいことではありません。多くの先生がいろんな形で修平に伝えようとしてきましたが,修平はその言葉を聞き流してきました。演奏の前に修平は「大勢に聴かせなくてもいい カイくん 僕はキミに聴かせるために・・・ピアノに魂を入れよう」と自分に言い聞かせます。

修平のピアノは変わり,自身もピアノと一体になっている感じをつかみます。審判席からも「一次のピアノとはうって変わってなんと抒情的な・・・」という声が漏れます。

洋一郎は修平の変化を喜びつつも,感情の趣くままにミスをすることを恐れます。修平は”僕のピアノを弾いている”ことを実感します。演奏を終えて修平は確かにミスはしたが僕は”自分だけの音”をつかんだと満足の表情です。会場は修平の演奏に総立ちで拍手を送ります。

レフ・シマノフスキの演奏は気品と美しさを兼ね備えておりこれぞポーランドのショパンであることを感じさせるものです。審判席からは「これこそが我々の待ち望んでいたショパン!」という感嘆が漏れ聞こえるようです。

彼は演奏しながら姉のエミリアに許しを請い,はっきりと「許すわ」という声を聞きます。エミリアの事故に責任を感じて萎縮していたレフの魂は解放されます。彼の演奏は聴衆も専門家も優勝を確信させるものでした。

30分の休憩を挟んで次の演奏はカイです。梨本医師と中尾医師も会場でカイの演奏を待ちます。30分の休憩があっても会場はまだシマノフスキの演奏の余韻が色濃く残っています。カイは再びステージに飾られたショパンに挨拶をして演奏に入ります。

カイのマズルカはその導入部だけで会場の色を変えます。審判席を含め会場は満開の菜の花が咲き乱れるポーランド平原となります。ポーランド人でしか分からないと思われていたポーランドの大地のイメージをカイは見事に表現します。

次のポロネーズでは静かな導入から激しい中間部からパワーを落とさず終結部に向かいます。観客はプログラムの途中にもかかわらずナシャ・ポルスカ(私達のポーランド)と叫び出します。審判席も日本人がどうしてこれほどポーランドの心を表現できるのかとざわめきます。

ピアノソナタ第3番では美しいタッチの中間部から超超ピアニッシモで主部に復帰します。このような演奏が可能なのかと会場も審判席も驚きと感動に満たされます。

演奏が終わると会場は地鳴りのような”ブラボー”の喝采が湧きあがります。修平は立ちすくみ,パン・ウェイは「このピアノに勝たなければ阿字野の前に立つことはできない」と思いながらも熱い闘志をたぎらせます。

二次審査は終了し2時間後に最終審査に進む12名が発表されます。19名の審査員は最終審査に進むことの可否と点数を記した用紙はそれぞれの演奏者ごとに提出されています。

「イエス」が19票(満票)の者が7名であり,14票の11位が4名,13票の15位が1名となります。審査員は自分の関係者の審査には参加できませんのでその分は考慮されます。

ポーランド人の審査員のウェベルはシマノフスキ優勝の最大の障害となりそうなカイを落として,修平を入れることを提案します。しかし,ヤシンスキ委員長は「彼らコンテスタントの演奏は世界に発信されています。どうか御自身が審査員に選ばれているという誇りと自覚をもって正しいと信じる評価をしてくださることを・・・お願いします」と告げ,利害にとらわれない審査を求めます。

審査結果が発表され,その中には修平の名前はありません。カイと出会った修平は「僕におめでとうとでも言わせたいのか?」と突き放します。翌日,公園でのインタビューを受けた修平は再びカイと出会います。

自分の音を表現することに成功したものの,カイに勝たなければというもう一つの枷にしばれれている修平は最終審査に進めなかった無念さのあまり「今・・・僕はキミのいない世界に行きたい いや・・・ずっと前から・・・ カイくんゴメン! 僕はキミが嫌いだった 小学校のときから嫌いだったんだ ずっと・・・」と口にしてしまいます。カイは寂しげな表情を見せます。

しかし,修平はすぐにカイを嫌いだという感情以上にそのようなことを口にした自分が嫌いだという自己嫌悪に陥ります。洋一郎は自分自身のショックが大きく修平の心のケアをすっかり忘れてしまいます。修平は翌日の取材に顔を見せず,寮にも戻っていません。

洋一郎は自分の愚かさにようやく気が付きます。洋一郎は『一ノ瀬海に勝つことが修平の未来の扉を開く道なのだ 言い換えると一ノ瀬に勝たなければ修平の未来はないのだ』と繰り返し修平に刷り込んでいたことに気が付きます。

それは洋一郎にとっては阿字野の呪縛から逃れるためでもあったのです。自分のアイデンティティをカイに勝つことと自ら規定させられてしまった修平の心の重責を洋一郎はようやく理解することができたようです。

ショパンの命日にあたる10月17日はコンクールは休みとなり,人々はショパンの心臓が納められている「聖十字架教会」に集い,モーツァルトのレクイエムを聴きます。

教会にはカイ,阿字野,セロー,洋一郎,修平が集います。最後尾で演奏を聴いている修平は自分の中のドロドロしたものが浄化されるように感じます。怒り,恨み,嫉妬といった負の感情は消え去り,安らかな気持ちに戻ることができます。

洋一郎は「誰かに憧れ・・・ 競い・・・ 勝ちたいと思うことがわるいことだなんて思わない しかし,それと別に 音楽をする喜びというのは・・・ 本質的なところにあることを 私はわすれていたのだ」と述壊します。

洋一郎は翌日の朝に寮の階段に座り修平を待ちます。散歩に出かけるパン・ウェイに修平を見かけたら連絡するよう依頼します。その修平はパン・ウェイの散歩コースで犬と一緒に寝ていました。

最終審査に進めなかったショックから一晩中街を歩き回った修平は「本当はカイくんに出会わなければ・・・ 僕はきっと大切なピアノを手放していた カイくんに出合わなければここまで上ってくることはできなかったし,自分の音を手に入れることもできなかった」という答えを見出します。


ショパン国際ピアノコンクール最終審査

最終審査は国立ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演で行われます。今までのピアノ単独の演奏とは勝手が違います。本来はパン・ウェイが一番手なのですが養父が危篤ということで急きょ中国に戻ることになり,彼の演奏は最終日に変更されます。

一番手に繰り上がったオルメッソンのピアノは華麗で優美でありながら力強いものでした。カイは次のタイスの演奏を聴かずに練習に向かい,それを見た修平が後を追います。カイの練習場所はショパン・アカデミー(ワルシャワ音楽院)です。

修平は運よくカイの隣りの部屋を借りることができました。修平は自分が八つ当たりの呪いの言葉をぶつけたことによりカイが深く傷ついたことを知っています。修平は大事なファイナルをベストの状態で臨んでもらうにはどうすればよいかと思案します。

となりの部屋では阿字野が戻ってきて協奏曲のパートの練習を始めますがカイは身が入らないようです。練習を中止した阿字野は「協奏曲は大勢の職人たちとの共同作業になる その場で全神経を研ぎ澄ませて・・・ オケの音と・・・ 呼吸・・・ そして観客・・・ それらとどうコミュニケーションをとれるか それが勝負になるだろう」と教えます。

また,「大丈夫! 自信をもて! 私の教えをなぞらなくても もうおまえはおまえなんだ! おまえはすでに・・・私の中から欲しいモノだけを取って通り抜けた・・・ 一ノ瀬海というオリジナルなんだよ! そしてファイナルは終わりではなく・・・ ピアニスト一ノ瀬海のスタートなんだ!」と励まします。

カイと阿字野の師弟関係はコンクールの終わりまでとなっていますので,これが阿字野の最後の教えということになります。

カイは頭の中をリセットするためピアノに向かいます。カイはピアノに集中すると森のピアノを弾いている気持ちになります。カイの頭の中は透明の無になり,どこからかオーケストラパートのピアノが聞こえてきます。

カイはそれが隣室からの音であり,自分のピアノに合わせていることを知ります。カイがテンポを変えるととなりのピアノもそれに追随してきます。カイはその音が修平のものであることが分かってきます。

カイが隣室に入ると修平がおり「遅くなってゴメン! 手伝いにきた」と声をかけます。カイは涙ぐんで膝からくずれ,修平は「八つ当たりしてゴメン」といいながらやはり涙となります。

修平にとっては長い間溜まっていた心の澱が消えていくのを感じます。修平は場所を変えてオーケストラのパートを担当してカイの練習を助けることにします。

修平は今までにない素直な気持ちでカイに自分の気持ちを伝えることができるようになります。カイも小学校の時に修平が転校して来なければ阿字野と出会うこともなかったと感謝の気持ちを伝えます。

練習に集中できないカイを心配した阿字野とセローはドアを開けて二人が向かい合ってピアノを弾いているところを見て大いに安心します。

二人は朝まで協奏を続けます。修平が「阿字野のためにベストを尽くさなないとね」と話すとカイは「うん・・・でもホントはそれだけじゃダメなんだ・・・」と意味深な返事をします。

修平が「じゃあ優勝でもする?」と続けると,カイは一呼吸おいて「うん 優勝したい」と口にします。カイが順位にこだわるのはよほどの事情があると修平は察します。

「何かあるんだね? カイくん」とたずねられ,カイは半年ほど前の突き指のことと,その病院でもっと重要なことが分かったと打ち明けます。担当した梨本医師の紹介で米国を拠点に活動し,音楽家の手の治療では世界的な権威である仲尾博士とコンタクトを取ることができたと語ります。

この時点ではカイの手指にどのような問題があるのかは明らかにされていませんが少なくともピアニスト人生を左右するもののようです。仲尾博士は「ショパンコンクールで優勝したら引き受けよう 手術費用は破格できみに支払い能力はないのでその賞金を充てるといい 料金はそれでも足りないがショパン・コンクールの優勝賞金とあれば十分見合う」と話したそうです。

カイはピアニスト人生をスタートさせるためには優勝が課せられているのです。修平はこの無茶な話に驚き,憤りますが,カイは「むしろ分かりやすくていいよ」と淡々としています。修平は自分の抱えているものよりはるかに深刻な問題を抱えているカイに自分のもっているすべての力を貸そうと決意します。最終審査におけるカイの出番まであと2日です。

この時期にビクトリアによってパン・ウェイの生い立ちに関するゴシップ記事が流されます。それは彼の悲惨な生い立ちを暴露するものであり,養父の「阿字野はもう終わった人間であり,パン・ウェイが唯一無二のオリジナルである」という発言も掲載されています。

どこの世界にもこのようなゴシップを書きたがる輩もいますし,それを読みたがる愚かな大衆もいます。言論の自由は基本的人権の一部として尊重されるべきものですが,ネット社会においては言論の自由を何を書いてもよい,何を発信してもよいとはき違えている人がどんどん増えています。

匿名を隠れ蓑に他人を誹謗中傷したり,自分の嫌悪の感情をそのまま書き連ねる人の多さに暗澹たる気持ちになります。幸いビクトリアのゴシップ記事はコンクール運営を妨害したと判断され刑事告発されます。

ファイナルの3日目もレベルの高い演奏が続き,ファイナルに残ることがどれほど大変なことかを示唆しています。休憩時間にはカイ,修平,阿字野,セロー,洋一郎が立ち話になります。この話しに佐賀は耳をそばだてます。

話の中で阿字野がカイを世界に飛翔させるためだけにその持てる力をすべて注ぎ込んできたことを知った洋一郎は深く感動します。話がカイのバイトに移り,マリアの名前を聞き,佐賀は5人のところにやってきてカイとどちらも驚きの表情で顔を見合わせます。カイはあわてて佐賀をみんなに紹介します。

最終審査4日目の朝のニュースとしてパン・ウェイがピアノ協奏曲を2番から1番に変更したというニュースが流れます。彼の1番はすでに伝説となりつつあるパリでの演奏があります。パン・ウェイはカイに勝つために1番に変更したようです。

演奏順にも一悶着あり,結局,順番はくじ引きとなり,向井,パン・ウェイ,カイ,シマノフスキの順となります。

向井の演奏が始まる頃,パン・ウェイはゴシップ記事により阿字野が自分の存在を忌々しく思ってはいないだろうかと思い悩みます。パン・ウェイにとっては阿字野のピアノは自分を地獄から救い出してくれたクモの糸のように感じており,ピアニストとして阿字野の前に立つことが悲願でした。

しかし,このような記事を阿字野が読んだなら,自分はもう阿字野の前には出られないだろうと暗澹たる気持ちになります。向井の演奏の途中で会場に着いたパン・ウェイは階段の途中で阿字野と出会います。阿字野は軽く会釈して通り過ぎようとしますが,パン・ウェイは思わず「阿字野先生」と声をかけます。

僕のピアノは先生を・・・
先生を不愉快にはしませんでしたか?
まさか どうしてそんなことを
あの見事なピアノを聴いて不愉快になる人間がいるとでも
僕のピアノは先生のピアノを基にしています
先生のピアノに出会わなければ 僕は生きてはいなかった
先生のピアノはたった1本の命綱でした
それが本当なら光栄に思います

では先生はこの先も このまま僕がピアノを弾くことを許可してくれますか?
許可?
先生のピアノを継承していくことです
もしかしたら キミが私のピアノに惹かれたのは・・・
もともと 生まれながらにして キミの求める音と私の求める音が共通していたのかもしれない
・・・?・・・
だから キミの魂が私のピアノに強く反応した・・・ とは考えられないか?
私は残念ながら それを追及する途中で挫折してしまったが・・・
キミはその先に行けるんだよ
それでも私の許可が必要かい?
気負うことなく ピアニスト パン・ウェイのベストなピアノを弾いてほしい

で・・・でもそれがイチノセを叩きのめすことになっても・・・
それでも先生は構わないと・・・?
ははは 構わないよ!
徹底的にやってくれ!
パン・ウェイくん 私はキミのこの先が見たい
私が求めていた音は・・・ この先どう成長するのか見てみたい
だから・・・ だらかもう何も怖れないで 思うがままに・・・
存分に!


阿字野は手を差出し握手を求めます。阿字野の言葉はパン・ウェイの心を解き放ったようです。ステージに上がるパン・ウェイは今までにない晴れやかな表情であり,自分を虐げた養父に対しても『愛情はもてないが心から感謝する』と思えるようになります。

パン・ウェイのピアノは硬質な音から入り,修平はパリで聴いた衝撃的な演奏を思い出します。しかし,その音は第2主題から温かい音色に変化し,会場は驚きに包まれます。

彼と阿字野のピアノは同質のものですがパン・ウェイはクール,阿字野はパッションという差がありました。そのパン・ウェイが温かい音を手に入れたのです。

しかも,その音は阿字野のピアノを感じさせるものではありません。彼のピアノは阿字野の音を踏襲し,その先に向かって進化しています。パン・ウェイは阿字野の言葉に魔法をかけられたように自分でも驚く変化をとげています。

パン・ウェイは音が生きていることを感じ取り,今まで崖っぷちでピアノを弾いていたような彼の心はピアノを弾くことの喜びに満たされてきます。演奏を終えたパン・ウェイの表情は生きていることの素晴らしさに輝いています。

会場は割れんばかりの喝采が途切れません。カーテンコールの途中に照明が消えるアクシデントがあり,審査員席では「照明もパニックを起こすほどの演奏だったってことだね」という会話も起きます。

カイの演奏まで30分の休憩時間があり,修平は会場で丸山誉子と出会います。誉子は二次審査の修平のピアノについて「あたしの耳にはどんなに上手くてもBGMにしかならないピアノと・・・ ハッとして聴き入るような二種類のピアノがあるの! こころに飛び込んでくるようなピアノよ 一次のピアノは普通に聴いてたけれど・・・ 二次のピアノは一体何があったの? ・・・ってくらい心が震えたわ!」と伝えます。

演奏に臨みオーケストラのマエストロと話をしている阿字野にカイはお守りとして持っていた「森のピアノ」の燃え残りの鍵盤を手渡し,「森のピアノはもう俺の中にあるから」と話します。

マエストロの合図によりオーケストラの演奏が始まります。カイの導入部は『爆発』であり,圧倒的な音圧で会場のこころをとらえ,カイのピアノに集中させます。カイの主題提示は野性味をもちながら気品をもつものであり会場を感嘆させます。

そのとき,会場の照明が落ちます。オーケストラは動揺しますがカイのピアノは少しもブレません。カイのピアノに導かれるようにオーケストラの動揺は収まり,会場も再び演奏に集中します。

ほの暗い非常照明の中で演奏は続きます。視覚が失われた会場は耳に集中して演奏に聴き入ります。カイは照明のアクシデントが生み出した暗さを最大の演出として,会場を満天の星空に変えます。

その演奏はクールなパン・ウェイの心にも響いてきます。カイのピアノは自然で気持ちがよく,うっかりすると審査員も自分の立場を忘れてしまいそうになります。カイのピアノは会場の意識を森に変え,さらにオーケストラとのコミュニケーションにより森を出て大空に誘います。

この尋常ではないコミュニケーション能力は森のピアノと自然や動物たちとの対話により培われたものです。カイのピアノはどこまでも自由に伸びやかに遠くを目指します。

演奏が終わりマエストロとカイは抱擁を交わします。会場は一転して熱狂のスタンディング・オベーションとなります。審査員もこの歓声によりようやく我に返ります。この時点でカイはピアノ界の新星としてみごとにデビューを果たします。

パン・ウェイは『今日は・・・何かを達成したつもりでいたが・・・ ここからが新たな挑戦だと思い知らされた』とつぶやき,修平は洋一郎に「父さん僕はゾクゾクしているよ! だって,僕の目指している音楽は生涯をかけても悔いの無いモノだって確認したんだ!」と語ります。

カメラフラッシュの中でカイは阿字野と抱き合い「俺 先生の言ってたことがやっとできたんだ」と話し,阿字野は「うん,よくやった最高のピアノだった 私の想像を超えていた」と最大限の賛辞を伝えます。

最後に登場するのはレフ・シマノフスキです。ワルシャワ・フィルハーモニーはカイとの共演でテンションの上がった状態で演奏に入ります。レフは姉のエミリアに届くことを祈りながらポーランドの心を演奏に込めます。

次の演奏を待っているときにエミリアが「空想なんかじゃないよ レフ! ちゃんと ずっとあたしはレフと話をしていたよ」と話しかけます。思わず涙でレフのピアノが乱れます。乱れはすぐに収束しますが,オーケストラとのコミュニケーションは途切れたままです。

エミリアの励ましにより,レフはエミリアの事故以来はじめて心から前を向いて歩くことができるようになり,オーケストラと一緒に歩み始めます。

レフのピアノが終わりオーケストラが後奏を演奏しているときに会場はナシャ・ポルスカ(私達のポーランド)の大合唱となります。レフは『オーケストラのお陰で今までで一番のピアノが弾けた』と心でつぶやきマエストロと抱き合います。

レフは熱狂的なカーテンコールに応えることなく,会場を後にしてエミリアの病院に向かいます。レフはエミリアが命と引き換えに自分を励ましてくれたのではと心配しましたが,エミリアは酸素吸入器を外して呼吸することができるようになっています。

一次審査でアダムスキが落ちたことに対して審査の中立性に疑義を投げかけ,出入り禁止の処分を受けたシモンはヤシンスキ委員長に事前に手を打っておきます。それは,現在,世界でもっとも著名なピアニスト7名に今回のコンクールの採点をしてもらったデータと実際のコンクールの採点データを比較しようとする企画です。

7名の採点表では一次審査におけるアダムスキはトップ10に入るものであり,30名の一次通過者に入れなかった審査結果と大きく違っています。シモンは最終審査の採点表を誌面で公表したいと申し出ますがあっさり断られます。

しかし,採点結果は順位として公表されますので,二つの採点の違いを誌面で比較することはできます。これはヤシンスキにとっては大きな足かせとなります。採点の違いが大きく食い違うとコンクールの審判員の中立性や能力に疑義が出ることになりかねません。

ヤシンスキは苦吟の結果,ファイナルの始まる前に個々の審判員の採点表の公表もありうると告げます。そうすれば審判員同士で点数の貸し借りをしていた事実が明るみに出ることになります。

審判員は自分の中立性と能力に疑義が生じることを恐れ,一次審査からのすべての演奏の結果をみて順位付けをする案にまとまりました。審査員たちは自分の感性でもっともよかったピアニストを選ぶことになります。

ファイナルの審査結果が発表になります。ポロネーズ賞にはパン・ウェイ,マズルカ賞はカイ,コンチェルト賞はカイ,ソナタ賞もカイが受賞します。入賞となる6位はソフィ・オルメッソン,5位はオーブリー・タイス,4位は該当者なしで3位がアレグラ・グラナドスとレフ・シマノフスキ,2位はパン・ウェイとなりカイがウィナーとなります。

ここまでが第25巻までの物語です。第25巻の帯には『「ピアノの森」次巻,ついに最終巻 16年以上続くカイの物語が26巻で完結します 発売は2015年春頃の予定です』と記されています。


エピローグ

カイは「ショパン国際ピアノコンクール」において最年少の17歳でウィナーとなります。このコンクールの出場資格は17歳からですから大変な快挙です。

最終審査の前にカイと完全に和諧することのできた修平はカイの勝利にもろ手を挙げて喜んでおり,その光景を洋一郎は複雑な思いで眺めています。

優れた相手をライバルとして自分を高めていくことは人生にとって大いにプラスになりますが,ただ相手に勝つことだけを目的としてしまっては大きな歪みが生じます。洋一郎は二次審査のあとでそのことに気づきましたが,それでも修平の喜ぶ様子に複雑な気持ちを抱かざるを得ませんでした。

パンウェイも素直にカイに祝福の言葉をかけます。彼にとってもカイのピアノとの出会いは衝撃でした。阿字野を心の師としてピアノに精進してきたパンウェイもより広い世界で切磋琢磨するようになるでしょう。

授賞式のあとは入賞者による「ガラ・コンサート」が執り行われ,その会場にカイが手術を依頼したドクター仲尾が姿を見せます。エピローグの焦点はカイが仲尾に何を依頼したかということです。

話の流れをたどるとカイが顕在化はしていないものの何かピアニストとして致命的な故障を抱えているように見えます。この件はいくつもの伏線が状況証拠となっています。読者にとっては物語の終盤に暗雲が立ち込めているように感じられます。

おそらくいくつかの伏線から読者が想定していた展開はカイ自身の手術がテーマになっていたのではないでしょうか。「森のピアノ」で少年時代を過ごしたカイは通常の人よりはるかに強く鍵盤をたたくクセがあり,時には演奏時に弦を切ることもありました。

この指に過度の負担のかかる演奏が重大な故障に結びつくことになり,それはピアニストのカイにとっては難しい手術の必要なリスクとなっています。それならば,「手術料はショパン音楽コンクールの優勝賞金」という非常識な仲尾の提案もうなづけるものです。

それまでの話の展開は読者をしてこのように理解させるものでした。しかし,作者はどんでん返しの話にしています。カイが依頼した手術は交通事故で少し不自由になった阿字野の左手をもとのピアニストの機能まで回復させるというものです。

この展開には驚かさられました。同時に「なるほど,そういうことだったのか」とうなづいている自分に気が付くことにもなります。カイは恩返しというような単純な動機で阿字野の復活を願ったわけではないでしょう。自分のこれからの成長にはピアニストとして復活した阿字野との切磋琢磨が必要不可欠であるという熱い思いがあったのでしょう。

カイの熱意により阿字野は手術を受け,左手の機能は自由にピアノを弾ける程度に回復します。しかし,25年間,弾こうとしても自由に動かせなかった記憶に縛られ,往時の輝きを取り戻せません。パンウェイやカイのアイディアも功を奏しません。

カイは大きな契約を断り,阿字野と一緒に弾くことを優先し日本に戻ってきます。これで阿字野も腹を括らざるを得ず,自分のもっとも好きな風景や場所に身を置くことをイメージしながら,復活したての左手を初歩段階から慣らしていくことにより,少しずつ自分の演奏を取り戻していきます。

カイの育った「森の端」は再開発により生まれ変わり,レイコはそこで「ピアノの森」というカフェを経営しています。従業員はかっての「森の端」で働いていた人たちです。「ショパン音楽コンクール」を機にレイコと阿字野の関係は急速に親密なものになり,ベンちゃんは気が気でありません。

阿字野の手術から22か月が過ぎ,ついに阿字野のカムバック・リサイタルが開催されることになり,パンウェイは日本に向かいます。「ショパン音楽コンクール」を制したカイを育てた阿字野の復活は音楽界で大きな話題となります。

演奏開始の前に雨宮洋一郎はかっての阿字野の華麗な世界を彷彿とさせるプログラムを見て大いに心配します。「もし,骨董のようなピアノであるなら,カムバックなどせずあの栄光の音を記憶の中にとどめておく方が幸せではないか」という心配は,かっての華麗な阿字野の音を知ってる人々に共通のものです。

阿字野はピアニストの世界に戻ることを恐れず,第2の命を授けてもらった自分の生きる意味だと言い聞かせながらピアノに向かいます。阿字野の演奏はパンウェイの命を繋いだものでした。それどころか,華麗さの中に心に泌み入る優しさに満ちたものでした。会場の人々は阿字野の復活に心から感動し祝福します。

リサイタル後半のプログラムは阿字野とカイの協奏でした。このすばらしいエンディングは18年間にわたる作品の最高の名場面となります。もちろん,「ショパン音楽コンクール」のファイナルの演奏や審査結果の発表,ガラコンクールも名場面として記憶に残りますが,最終場面に阿字野の復活をもってきた作者の構成力に素直に拍手したい気持ちです。


ガキの頃から

1990年から2004年にかけて発表された短編集です。一色まことのギャグ調の絵柄が嫌いなのですが,「ピアノの森」の勢いで買ってしまいました。さすがに2000年に入ると内容はギャグでも画風が変わってきているのが分かります。収録作品は次の通りです。

・将ちゃん(1990年)
・野郎なんかにゃ分かるまい(1993年)
・駒子(1995年)
・姉ちん(1998年)
・いつも一緒(2004年)
・ばか(1990年)
・珠ちゃんが好きで・・・(1990年)
・顔(1991年)
・咲ちゃんにお手上げ(1991年)
・恋人のわっ(1991年)