私的漫画世界
浮世離れしたな暖かさをもった物語です
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入江紀子

入江紀子は1987年に月刊アフタヌーンにおいて「猫の手貸します」でデビューしています。現在は執筆活動をしているかどうかは不明ですが,少なくとも2008年頃には現役の漫画家でした。活躍の場はほとんどが女性誌であり,多岐に渡っています。毛色の変わったところでは「月刊アフターヌーン」「近代麻雀オリジナル」などにも作品を発表しています。

年齢は公表されていませんので推測することになります。デビューが1987年であり,そのとき20歳前後とすれば1967年±2年といったところでしょうか。

アシスタントを使用していないとのことですが,短篇を中心にとても多作です。入江紀子で検索しているときに「入江紀子さんの作品リスト」というページを見つけました。

ここには彼女の全作品履歴が記されています。形式から推測すると,Excel で作成し,それをhtmlに変換 したようです。そのため,ウェブページのデータをコピーしてExcel に貼り付けると元のデータを再現することができます。

データの中には各作品のページ数がありますので,1988年から2008年の20年間にこの作家が執筆した原稿枚数が約7000枚であることが分かります。平均すると1年間で350ページですから,1週間に7ページということになります。これは週刊誌連載の半分の量であり,それをアシスタントなしでこなしていたということであれば,相当仕事が速いことが分かります。

私は恋愛ものはほとんど読みませんが,人間関係の微妙なところを押える作品はきらいではありません。とはいっても,今までに読んだのは「のら」と「ひなた」だけです。「のら」は特異な人間関係がテーマとなっており,書評を書くのでしたら本来ならドロドロした男女関係をさらりとポジティブ指向で描き上げた「ひなた」の方が書き易そうです。

ネット上の書評(読後感想)の中に『入江紀子さんの作品はどれを読んでも同じという気がする。意外性とか,凝った仕掛けとかで読ませる作家ではないのだ。ただひたすらに理想の自分と理想の男を書き続けている人であるのだと思う』という一文がありました。

私自身は手持ちの作品以外は読んだことがありませんので,この内容が正しいかどうかは判断できません。しかし,なんとなく入江紀子の作品はそのような傾向があることに同意できそうです。

「ひなた」には5組の夫婦もしくは恋愛関係にある男女が描かれており,状況は異なっていても情念の薄い人間関係が描かれています。ここでいう情念の薄いとはパートナーに対して不誠実というわけではありません。

お互いに相手に対して誠実ではあるけれど,過度に相手を束縛しない関係ということができます。このような人間関係が作者にとっては一つの理想であり,その究極の姿が「のら」ということになるのでしょう。

第1話|ひなた

主人公の日向子(ひなこ)は3年間つきあった男性と結婚しますがわずか1年で離婚します。離婚の原因は下記の通りです。
@日向子は自分だけの時間が欲しいと思うようになった
A日向子が別の男性(陽くん)に一目ぼれした
B旦那にも新しい恋人ができた

これでは結婚生活を続ける意味がありませんので円満離婚ということになります。しかし,Bが無い場合は妻が一方的に結婚生活を破たんさせたことになり,すんなり円満離婚とはならなかったことでしょう。そのようなドロドロした部分を都合よく削除してしまうのが作者の持ち味であり,ストーリーが浮世離れしているところです。

元旦那はそのまま新しい女性と一緒の生活を始め,晴れて独身に戻った日向子は陽くんと正式におつきあいを始めます。しかし,自分は結婚生活には向いていないことを知った日向子はしばらく一人暮らしをすることになります。日向子はエステシャンですので経済的に自立した生活は可能です。

元の生活に戻って日向子は幸せそうですが,この先はどうなるんでしょう。結婚生活において自分だけの時間が欲しいと切実に願う日向子は,作中で語られているように結婚には不向きな性格です。子どもができたらどうなるんでしょう。少なくとも子育て期間中は24時間母親でいなければなりません。そのような生活に日向子は耐えられるのでしょうか。

人生において自分はこうありたいという目標をもってその方向に向かって努力することは目標の無い生活よりずっとよいことです。しかし,結婚生活とは夫婦の合意に基づく人生設計が優先します。その中では自分の目標を修正せざるを得ないかもしれません。独身時代にもっていた自由の一部を犠牲にしなければなりません。それが二人であるいは家族で生活するということなのです。

作品中で日向子は夜中に目を覚まして二つの思い出に浸り,『どうしていつも なくしたものは くりかえし くりかえし 夜おとずれるんだろう』と涙ながらにつぶやきます。私にはそのような寂しさに浸り,横で寝ている陽くんにすがりつく感情と自分だけの時間をもちたいという理性との相反する関係が理解できないところです。

寂しいときは横に誰かがいて欲しいが,四六時中いられると迷惑だということなのでしょうか。そのような都合のよい人間関係はあり得ません。自分の人生を思い通りに生きたいということであれば,それにより失うあるいは得ることができないある種の幸福感はあきらめるしかありません。

第2話|カポック

主人公のみどりは風太郎との新婚生活に幸せいっぱいです。OLをしていたみどりは結婚を機に退社して専業主婦になります。洗濯物を干して本屋に行くと元カレのタカアキとばったり出会います。みどりとタカアキはしばらく付き合っていましたが,タカアキの浮気が許せなくて別れました。

タカアキは結婚のお祝いにとハードカバーの新刊本と昼食をプレゼントしてくれます。二人は付き合っていた時と同じように静かに会話をすることができます。食事をしながらみどりは『嫌いになんかなるわけがない いちどはちゃんと好きになった人だもの 今ではもっと愛している別の人がいるだけだ』と思いを巡らせます。

二人の場合,(結婚を前提に)付き合っていた男性が別の女性とも関係していることが分かったのですから普通の場合は修羅場となるはずです。ところが入江作品においてはそのような相手をなじる感情は生まれてこず,交際関係は円満に解消されたようです。この辺りも入江作品の浮世離れしているところです。

確かにお互いの感情をぶつけあってけんか別れするより,自分のプライドを傷つけず幸せだった記憶をそのまま温存できる別れはずっとよいものです。それでもなぜみどりは浮気が発覚した時点でタカアキとの関係を修復することができなかったかという疑問がわいてきます。。

自分のプライドが許せなかったのかもしれません。あるいは,結婚してからも同じようなことが繰り返されると考えたのかもしれません。結果としてみどりはタカアキと静かに別れ,新たに風太郎と出会います。

作品のタイトルになっているカポックは立派に育っている鉢植えの木です。みどりは名前に似合わず植物を片端から枯らしてしまい,残ったのはこの一鉢ということになっています。同じようにみどりはいくつかの恋をしたものの最後まで残ったもの(結婚まで行き着いたもの)は風太郎だけでした。

みどりはカポックの鉢を見ながら『ほんとはいつも枯らしてばかり 今は たまたましあわせだけど また 枯らしちゃうんじゃないかって・・・』と独白します。

帰宅した風太郎は新刊本を取り出します。それはみどりがタカアキからプレゼントされたものと同じものでした。みどりが『ごめんね 私 今日・・・』と言うと,風太郎はがっかしたそぶりもみせず『ま,いいか これを機会におれも読もう』と言ってくれます。二人は同じ本を別々に読み,みどりは『この人と いつまでもいっしょにいたい 同じ物語のなかで泣いたり笑ったり』と幸せに浸ります。

第1作の日向子は自分の時間をもちたいと離婚に至りましたが,みどりはこの人とずっと一緒に愛を育んでいきたいと考えます。そうです,どんなに好きでも愛は育てなければ枯れてしまうのです。年をとってから『いっしょに生きてくれてありがとう』といえる結婚生活は理想です。

第3話|サンドイッチ

主人公の女性は幼稚園児の頃に誘拐された(というよりは迷子状態のところをいい人に保護された)という話が内挿されており,それが作品の大半のページを費やしていますので,特にコメントするようなことはありません。

第4話|帰らなくちゃ

見合いにより結婚して1年目の弓枝はひょんなことから夫の矢崎が別の女性と付き合っているのではという疑惑をもつようになります。彼女の感は当たっているのですが,夫はやさしく,現在の生活にこれといった不満の無い弓枝は精神的に不安定になります。

家の中で一人であれこれ思いつめるのがいやになって弓枝は反乱を起こすことにしました。よそ行きの服を着て,夫の友人がやっている八百屋でソルダムを買います。八百屋の奥さんに『旦那さんとデート?』と聞かれ,『ううん・・・かけおち』と答えます。

弓枝は見知らぬ男性の車に乗って食事に出かけるところを八百屋の奥さんの友人に目撃され,『かけおち』が現実の疑惑になります。もっとも二人は食事をしただけで,そのとき次のような会話が交わされます。

え,オレ人妻とメシくってんの!?
みえないな〜 ほんと!?
お見合いでね
なんとなくいいなあと思って結婚して・・・
はやく結婚したかったの
自分の家が欲しかったの
・・・旦那さん 好きじゃないの?
・・・ううん
すごーーーーく好きなんだけど
でも あの人は別の女の人もすきみたい
私 毎日失恋しているのよねえ
ふられているのに 私はもう結婚してて
いっしょに暮らしていてて
はためには ハッピーエンドの後で・・・
これ以上 どうしたらいいんだろう?
旦那さんに言えばいいじゃん
・・・言ったら 困るわ あの人
困るようなことをしてんだから 困らせてやりゃーいいんだよ
一人で困っていないでさあ
こんどは ふたりで困りゃいいんじゃない?

弓枝は一人でホテルに宿泊します。その夜,帰宅した矢崎は妻がいないのに驚きます。八百屋に出向いて友人に『女房来ていない』とたずねます。『弓枝さんなら夕方に来たわよ』と言いながら八百屋の奥さんが顔を出すと矢崎はびっくりします。彼女は矢崎の反応のやましさを直感したようで,『弓枝さんはかけおちするんだって』と伝えます。

その頃,弓枝は自宅に電話しますが矢崎は電話に出ず,彼女なりにうろたえてしまいます。翌朝,弓枝は再び電話をして矢崎にどなられます。すぐに帰って来いという矢崎に弓枝は『あたしだって外で一人になりたいときもあります』とどなり返してしまいます。

夕方にホテルにやって来た矢崎が『なんで・・・家出なんか』というので,弓枝が『それ 本当に聞きたい』と返すと矢崎は固まってしまいます。

さてさて,この二人の結末はどうなるんでしょうね。いくら弓枝が矢崎を好きでも,結婚後も元の彼女との関係を続けるような男に対して逆の感情が生まれても不思議はありません。自分がパートナーに対して誠実に生きようとすればするほど,夫の不実がより暗い影を落とすようになりそうです。

経済的に自立できていない弓枝はこのようなとき,選択肢がずいぶん狭くなってしまいます。両親や見合いを勧めてくれた方との人間関係も微妙になりそうです。現在の生活を続けるにしても,第1話の日向子がいみじくも言ったように『この先ずっと 何十年も 嘘をつき続けるなんて・・・ 人生がもったいないじゃないですか・・・』ということになりそうです。

このような人生相談を受けたとしたら,私なら『事実関係を明らかにして,それでも彼と一緒に暮らしたいという感情がより強ければ夫には彼女と完全に別れてもらい,新しい気持ちで共同生活を続けなさい。もし,そのような人とはもう一緒にいたくないとということであればきっぱり別れなさい』とアドバイスします。

灰色の疑惑を抱えた生活は決してこころからの幸福感をもたらしてくれません。もっとも,弓枝さんが灰色のままでもかまわないということであれば,それは個人の選択でしょう。

第5話|おなかとせなか

川原(男性)は装丁デザイナー,町田(女性)は雑誌編集部に勤務しており,お互いに仕事一辺倒の生活を送っています。町田が川原に仕事の依頼をしたことから,二人の仲はあっという間にできてしまいます。

しかし,川原の家に泊るといろいろと面倒なことがありますので,町田はアパートを出て二人は同居生活を始めることになります。ところが,単なる同居生活では二人の両親は納得せず,親孝行ということで忙しいスケジュールの合間にいやいやながら結婚式をあげます。

結婚の法的な手続きは婚姻届を市役所に提出するだけで済みますので,なにも結婚式を挙げる必要はありません。結婚により町田から川原に姓が変わることはいろいろな手続きが必要であり,女性は大変です。

そのような面倒さを乗り越えて結婚式を挙げた二人ですが,めでたしめでたしとはいきません。親族からの『仕事やめろ,子ども産め』攻撃もその一つです。さらに双方の仕事がさらに忙しくなり,すれ違い生活となります。

一緒に暮らしたいということで結婚してもこれでは一人暮らしと変わりありません。結婚したことにより却って二人の気持ちが離れる結果となり,『結婚していない方がうまくいくような気がする』という結論に達した二人は離婚することにします。

二人は友人たちを集めて離婚披露パーティを開き,離婚宣言を発表します。こうして離婚となりますが,再び結婚したくなったら再婚するという話にはのけぞります。結婚するときの面倒をもう忘れてしまったのでしょうか。

現在の時間的なすれちがい生活をそのまま続けるのがもっとも現実的な解決策です。仕事の異常な忙しさはこの先ずっと続くものではありませんので,時間的なすれ違いはそのうち解消されることでしょう。

本人たちは自分たちのことは自分たちで決めると言いながらも,私には結婚という社会制度に振り回される滑稽な姿に写ります。離婚宣言をするくらいなら,親族に対して自己決定宣言を出してはいかがでしょうか。もっともこのような常識的な対応では物語になりませんね。


のら

戸籍も名前もなく,住むところもない少女がさまざまな人のところに居候をするという物語であり,主人公は『のら』と自称しています。前出の「入江紀子さんの作品リスト」でチェックしてみると,この作品はいくつかの雑誌を渡り歩いていることが分かります。主人公の『のら』と同様に作品の方も根無し草のような状態であることは笑えます。

『のら』は頭が悪い少女という設定になっていますが,どうしてどうして,ときには社会や人間関係の本質をずばりと言い当てます。それは,頭の良し悪しではなく女性に備わった生物的な直感のなせる技なのでしょう。単行本は3巻あり,収録作品は玉石混交状態ですが,ときどき書棚から取り出したくなる不思議な物語です。