安永航一郎

安永航一郎に関する情報はネット上でもほとんど集められません。
・1962年生まれ，大分県出身
・大分舞鶴高等学校卒業
・九州大学入学
・1980年，「FIELD BALL1980」がヤングマガジン創刊記念新人賞を受賞
・1981年，「鉄人スポーツマスク」が少年ジェッツ創刊記念漫画賞に入選
・1982年，県立地球防衛軍執筆開始

これほど情報の少ない漫画家も珍しいですね。作品に関するエピソードもほとんど出ていませんので書くことがありません。

絵柄はなかなか達者なものがあり，この作者独特のギャグネタとのギャップがとても新鮮に感じた記憶が残っています。登場人物の中でもオズマ，バゾク，大雑の女装姿は一見の価値があります。これだけの絵が描けるのですから普通の作品も手掛けることができそうですが，なぜか特異なギャグにひたすら固執する異能の漫画家です。

コメディあるいはギャグ漫画ですからストーリーを追っても意味がありませんので，名場面をいくつか紹介することにしましょう。評価はご自身でされて下さい。

陸軍中野予備校とは

陸軍中野学校は諜報や防諜，宣伝など秘密戦に関する教育や訓練を目的とした大日本帝国陸軍の軍学校です。中野学校の名前は所在地が東京都中野であったことに由来します。

1938年（昭和13年）に「防諜研究所」として発足し，1940年（昭和15年）には「陸軍中野学校」として参謀本部直轄の軍学校となっています。目的が諜報や防諜ですので陸軍内部でも極秘の扱いとなっていました。公式には1945年8月15日の敗戦をもって閉校しています。

ここまでは史実ですがここからは漫画の設定になります。太平洋戦争末期の昭和19年（1944年）に酢堂陸軍少将は「陸軍中野学校」の生徒の質を向上させるため，「陸軍中野予備校」を設立し，諜報活動に必要な様々な学科訓練，技能訓練が行われていました。

ところが「陸軍中野学校」は終戦とともに閉鎖されていますのでこの予備校から進学する生徒はだれもいないことになります。終戦後40年間もこの予備校が機能していたとは驚きですが，そのような瑣末な事項にとらわれるようではこの作品をとても読み通せません。

ともあれ，1985年になって突然，旗本家に酢堂少将の孫である「酢堂大雑」が中野学校の受験のために現れ，うやむやのうちに居着くことになります。「陸軍中野予備校」の出身者はなぜか確たる理由もないまま，海の彼方にある南蛮帝国の日本支部と戦うことになります。

このような基本設定で始まった作品ですが，この作者のいつものパターンでこのような設定はほとんど意味を持たなくなり，変わった特技の持ち主が明るいバトルを繰り広げることになります。

本来の主役は「酢堂大雑」なのですが，話の後半には登場人物の一人に埋没していきます。このような展開もこの作者にとっては珍しいことではありません。

「酢堂大雑」を始めとして「陸軍中野予備校」の出身者はどのような食生活で育ってきたのか，白いご飯に異常な愛着と執着をもち，泣きながら白いご飯を食べるのですぐに正体が露見してしまいます。

特技・17条拳法

酢堂大雑がマスターしている中野予備校の拳法です。電柱をなぐると痛みを感じますが，その痛みを手を鍛えることにより抑えるのが空手ですが，17条拳法では電柱をなぐったら，痛みが伝わってこないうちに素早く手を引っ込めます。

これなら痛くないうえに，その分，相手の痛みは2倍になるという実にお徳用の拳法です。さて，読者の皆様はこの論理はどこが間違えているかちゃんと説明できるでしょうか。

特技・中野予備校式扮装術

中野予備校には極めて高度な扮装術があり，酢堂大雑はそれをマスターしています。大雑は作品中で3回完璧な女子に扮装しています。なんといっても骨格まで変えることができますし，筋肉を寄せて立派な胸を作ることもできます。

最初の場面は旗本家の庭で鯛窟おじいさんがコバヤシ丸（大雑が連れてきた諜報犬）にお菓子をあげているとき，垣根の向こうに美少女が通ります。

かわいいワンちゃんですね　おたくのですか？
ん？　ああ，そんなもんじゃよ
お嬢さん　大層犬がすきなよーじゃねえ
おたくにも犬はおるのかね？
ええ，うちのはグリソムって名前でした･･･
このワンちゃんによく似た犬だったんですが･･･
昨年の夏･･･交通事故で･･････
（ぐすっ）
あ，すまん　すまん
悪いことを聞いてしもうた
あ，ごめんなさい･･･
思い出したら急に悲しくなっちゃって･･･
平気です，気になさらないで下さい
また，会いにきてもいいですか
あ，ああ，ぜひまたきなされや
じゃ，失礼します。バイバイ，コバヤシ丸

鯛窟おじいさんは可愛い少女との小さな秘密ができたのでごきげんです。最後に美少女が初対面の犬を「コバヤシ丸」と呼んだことにも気が付きません。家族は鯛窟おじいさんのごきげんの訳を聞きますが「ヒ・ミ・ツ」とエヘラエヘラしているばかりです。

そこへ，大雑が戻ってきてあの美少女の帽子を被り，「なんかあったのかな〜っ」とやったものですから，鯛窟おじいさんは怒りのために血圧が上がり入院騒ぎとなります。

次の話では健太郎が目覚まし時計を止めようとすると，横から手が出てきて止めます。メガネをかけると横に妹のたけしが上半身が裸の状態で横になっています

（うふ･･）
ぎええええ!!
おにいちゃん　お　は　よ（間にハートが入る）
おにいちゃんではないっ!!
たっ　たけしっ！　なんつーカッコでオレの部屋に!?
はよ　服着んかっ!!
あっきれた　ゆうべあんなにかわいがってくれたじゃない
し，しらんぞっ　なんのことだっ
まーまー，兄妹で照れなさんな
（はっ）
さては，きさま酢堂だなっ!!
ま，妹をつかまえて酢堂だななんて

酢堂が扮装を解いたときにうるさいわねとたけしが入ってきて二人の状況をもろに誤解します。

あんたたち　そおゆう関係だったの？
酢堂：へ？
健太郎：そおゆう関係？
（はっ）
ばか　変態っ　異常っ！
わーーっ　誤解だっ　やめんか
（どかん　ばきっ　がちゃん）

兄さんも兄さんよっ
まさかあーゆー趣味があったなんて･･･
だから誤解だつーとろうがっ!!
男に手を出すほど飢えてたんなら
ひとこといってくれれば　あたしが･･･
わーっ　おそろしいことゆーなーっ
女の子の友だち紹介してあげたのに
兄さんなにをうろたえてんのよ？
わはははははは　なんでもないぞっ

このあたりのやりとりは絶妙ですね。お下劣，おバカな漫画家という書評が目立ちますが，どうしてどうしてこの酢堂女装事件の2話などは笑いのツボをよく押えているコメディーに仕上がっています。

特技・中野式贋作術

酢堂はたけしの通っている枕返高校に偽造書類で転入手続きをとり，入学します。このとき中野式贋作術，中野式変装術と侵入工作術が大いに役にたっています。その他にも中野式格闘術，中野式走法，中野式泳法，中野式調理術，中野式演算術などがあるそうです。

南蛮帝国

オズマと大雑はケガで入院中の桜井を訪ねます。彼も中野予備校の出身者です。以下の会話は横書きとなっており，これは予備校生同士が重要な会話をするときは暗号を使用することになっているというアホな説明があります。

殺し屋におそわれた！
ばかな！　中野予備校の人間がそのへんの殺し屋ごときに･･･
酢堂　おまえ南蛮人とゆーのを知っているか？
室町，江戸時代の西洋人の総称
表向きはそんなところだ
表向き!?
海の向こうに秘密国家「南蛮帝国」があるのだっ
桜井さん頭打ったのか？
あーっ，てめえ本気にしてねーな
あたりめーだよ！
そんなもん　地図のどこをみたってのってねーよ!!
あほ者っ　秘密国家がわざわざ場所を教えるかっ!!
うーむ　なるほど
そーゆーわけで私たちは南蛮帝国と戦っているわけだ
酢堂くん，ぜひ協力してもらいたい
オレ知りませんよっ　南蛮人なんかかんけいないもーん
甘いわよ　酢堂くん！　南蛮人の主食はパンよっ･･･
日本が南蛮帝国の手に落ちたら･･･
明日からはコメの飯が食べられなくなるのよっ
先輩!　がんばりましょうっ!!

オズマの白いご飯が食べられなくなるという説明に酢堂は危機感を抱き，南蛮帝国と戦う決意を固めます。しかし，経済で世界を支配しようとしている南蛮帝国にとっては中野予備校の出身者と戦う意味はまったくありませんので，ただただ迷惑な存在です。こうして，仁義なきコメディーが始まります。

ゲゲーベンの館

オズマと大雑は情報収取のため南蛮帝国に関係しているとみられるゲゲーベンの館に侵入します。警備員に見つかり，大雑は穏形の術（完全に自分の気配を断つ術）を使いますが，あっさり頭を石灯籠で殴られつかまります。

目がさめたかね？　酢堂大雑くん？
な，なんでオレの名を!?
ふっふっふ　我々の情報網を甘くみちゃいかんよ･･･
と，いいたいところだが･･･
実はキミのポケットの中に学生証があったのだ
人のものを勝手にとるのはドロボーだぞっ！
人の家に勝手に忍び込んでなにをゆーか！
ふっふっふ　しかし，さすがだなっ
よくぞオレの潜入を見破った
たしかにキミは完璧に気配を断っていた
しかし，ただ一つ誤算があった
誤算だと!?
そのとーり
ばかな！　中野式潜入工作術に誤算など！
ならば教えてやる　誤算とはニオイだ
キミの足にイヌのフンがついたままだったのだ！

この犬のフンについてはコバヤシ丸のものだったというオチがついています。さらに警備員に扮装したオズマはおそろいのトランクスではなく花柄のパンツをはいていることからバレてしまい追いかけられるという下ネタもあります。第1巻は（下ネタがらみが多いのですが）けっこう正統派のギャグあるいはコメディ漫画の体裁をとっています。

ところが，体育教師の尾崎の出現あたりから変態漫画の領域に踏み込んでいき，変人・奇人のキャラクターに頼る展開となります。その中でもゲゲーベンの娘のバゾクの造形はいいですね。彼女はナンヤネン教官の厳しい指導を受けており，究極のエージェントになるはずが，（腕は立つものの）究極の貧乏人になってしまいます。

新春東西ストリップ合戦

オズマと大雑の件をゲゲーベンから任せてもらったバゾクですが，毎晩のように大雑の笑い声を聞かされる悪夢に悩まされます。ある晩，目を覚ますと枕もとで実際に大雑が笑っており，自分がさんざんおちょくられていることに気が付きます。悪夢から解放されたバゾクは反撃に転じます。

旗本家に出向き帰宅したたけしに催眠術をかけ，自分の意識をたけしに植え付けます。たけしの身体を乗っ取ったバゾクは睡眠薬入りのコーヒーを大雑に飲ませようとしますが，あっさりバレてしまいます。

とってもおいしい睡眠薬でした！
（どぉおおおおおお!!）
このわしをだまそうとは10年早いぞ
寝相の悪い南蛮娘がっ?!
だれが寝相の悪い娘じゃ!!
さ･･･さすがは陸軍特殊工作員！
よくぞ，私の正体を見破った！
ふっふっふ，ばか者が！
お前は姿かたちをまねるだけで心の演技ができていないっ
本物のたけしはな！
絶対わしにお茶など出してくれんのだーっ!!
（ぐわっははははは）
虐待されていることをじまんするな，ぼけなすーっ
しかし，見事に変装したもんだなーっ
思わず三つ星をあげたくなったぞ！
ぷぷぷっ，あんさんなにゆーてまんねん
これは変装なんかやおまへんで！
なにっ!?　ではなんなのだ!?
はっはっは，この体は本物の旗本たけしのものだっ
私は高度な催眠術により
他人の身体に自分の意識を移植することが可能なのだっ!!
ううっ，では私はおまえには手も足も出せんとゆーわけだなっ
はっはっは，大当たりよっ

さてさてこれには大雑も困りました。そのときピンとひらまきました。彼はさりげなく会話を続けます。

ひとつ質問！
なんだ？
催眠術の最中　あなたの体はどうなっているんでしょーか？
ピンポーン
失神状態になるので，今は玄関先に放置していまーす
それはよいことを聞いた!!
（ドドドドドド）
げげっ，待たんかい!!
し，しまった！
のせられてついいらんことを言ってしまった!!
こっ，こら　酢堂ーっ!
しかし，時すでに遅く，バゾクの体は同じ術により大雑に乗っ取れてしまいます。
はーい
げっ!?
ま･･･まさかっ!?　きさま　酢堂かっ!?
はっはっはっ　きさまごときにできる技
帝国陸軍に不可能なはずはないっ！
きさまの体はわしがもらった!!
で･･･では，これで条件は対等とゆーわけか？
ふっふっふ　どーかな　そいつわー
うりゃ（場面説明：バゾクが胸をはだける）
！？（場面説明：たけしが仰天する）
ぎゃああああああっ！　な，なんてことするのよっ!!
（場面説明：たけしはあわててバゾクの胸を隠す）
お前は恥とゆーもんを知らんのかいっ!!
別に〜，他人の体じゃもーん
くっ，くそっ　負けるもんか!!（場面説明：たけしも胸をはだける）
おー，絶景かな　絶景かなー（場面説明：人々が集まってくる）
お，おまえなーっ　自分以外はどうなってもいーんか!?
うん
酢堂ただちに服を着ろっ!!
さもなくばおまえの本体に10円ハゲを作るぞっ!!
ほーっ，そのようなよくないことを考える奴はな〜
こうじゃ（場面説明：バゾクがスカートを落とす）
ぎゃああああっ!!（場面説明：見物人は喜ぶ）
さーて，最後の一枚いこか〜っ!!
わーっ，やめんかーーーい
やめてほしくばたけしを元に戻し，おとなしく帰れ！
さもなくば最後の一枚がものをいうぞっ
う･･･
せーのぉ･･･
わーーーっ，わかったわかった！

こうして新春の珍事は幕を閉じますが，半裸で気が付いたたけしが最大の被害者となります。このきわどい話もうまくまとめています。ここに紹介しているような話は少年チャンピオンで一世を風靡した「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「ふたりと五人」のようなナンセンス・ギャグ漫画とは一線を画する知的な側面をもっています。

この路線で行ってくれれば名作コメディ漫画という評価になったかもしれませんが，やはりそれでは話作りが難しいのでしょう。しだいに，変態路線に向かってしまい，さらに当初の設定はないも同然，主役は忘れ去られる展開となっていきます。