私的漫画世界
諸星さんの作品としてはもっとも分かりやすい
Home私的漫画世界 | 西遊妖猿伝(第1部大唐篇)

諸星大二郎

諸星大二郎(1949年生)は東京都出身のSF・伝奇漫画家です。都立高校卒業後,3年間公務員を務めたのち,1970年から「COM」に投稿するようになり,商業誌デビューを果たします。1974年に「生物都市」で第7回手塚賞を受賞して本格的な作家活動に入ります。残念ながら私はこの作品を読んだことがありませんが,ネット上の情報を集めると次のようなストーリとなります。

木星の衛星イオに到着した調査船の乗組員は機械と生命が融合した不思議な共同体に接触します。この廃墟となった都市のようなものはイオの知的生命体が環境の悪化に対応するため機械と融合することで生き延びようとしたものです。

この都市に接触した乗組員に融合が感染し,帰還する宇宙船の中ですべての乗組員は宇宙船と融合してしまいます。

地球に帰還した宇宙船が応答しないため,外部からハッチを壊して中に入るとそこから生物と人工物が融合する現象が始まり,町全体が生物都市となってしまいます。生物都市に取り込まれた住民の意識は一つになり争いも支配もない,不思議な安心感に包まれます。

宇宙船の帰還を見に来た少年は生物都市が生まれる一部始終を目撃し,山奥で機械に頼らないで暮らしている変わり者の男性と暮らし始めます。少年が一つだけこころ残りにしていることは宇宙船が見れなかったことだというオチがついています。


この「生物都市」は第7回手塚賞の審査の俎上に乗せられ,選考委員の満場一致で決定されました。この作品を特に強く推したのが手塚治虫と筒井康隆とされています。

この二人は当時の日本ではSFの泰斗であり,無名の新人の手になる「生物都市」の独創性とストーリーの完成度の高さに,先行する類似作品があるはずだと思いを巡らしましたが何も出てこなかったという逸話が残されています。

実際,私も諸星大二郎の作品を読むにつけ,あまりに不思議な物語に面食らったものです。内容は理解できても物語の骨格・思想が理解できないのです。氏の代表作となっている「マッドメン」「暗黒神話」「孔子暗黒伝」のうち私の書棚に残っているのは「孔子暗黒伝」だけとなっています。

壮大な宇宙観をもつこの作品は何回読み直しても全体像が把握できません。私にとって諸星は不思議な作品世界をもつ異能な漫画家ということになります。その中で,「西遊妖猿伝」はそのまま読み進めることができます。さらに,オリジナルの西遊記や中国の歴史の知識があればさらに理解は深まります。

特異な絵と物語により独自の世界を構築していく作風のため,好き嫌いがはっきり分かれる作家ですが,受賞歴は次の通りです。
・第7回手塚賞(生物都市)
・第21回日本漫画家協会賞優秀賞(僕とフリオと校庭で,異界録)
・第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞(西遊妖猿伝)
・第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(栞と紙魚子)

ネット上には第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した時の言葉が掲載されています。

このたび,思いがけず大きな賞をいただくことになり,驚いています。今まで,こういうものには縁がないと自分で勝手に思い込んで,マイペースでずっとやってきたので,驚くというより,少々狼狽していると言ったほうがいいかもしれません。

そもそも,二十数年前に実質的にデビューして,現実にマンガ家生活を始めるきっかけになったのは,「少年ジャンプ」で公募していた新人賞「手塚賞」を受賞してからでした。今また,手塚先生の名前を冠した賞をいただき,不思議な運命の巡り合わせ…と言ったらオーバーですが,先生も「西遊記」を描いておられることだし,なにやらできすぎた偶然のようなものを感じていました。

そうなると僕はさしずめ,手塚先生の掌の上でいばっている孫悟空のようなものでしょうか。まあ,それは考えすぎとしましても,これからもマイペースは変わらないと思うので,如意棒ならぬペンを持って,こつこつ天竺を目指して歩き続けようと思います。時にはアイデアというきんと雲に乗って・・・。


「僕はさしずめ手塚先生の掌の上でいばっている孫悟空のようなものでしょうか」という自己評価は彼なりの謙遜であり,社会的な評価としては当たっていません。

戦後の(劇画を除く)少年漫画の大きな流れを作ったのは手塚治虫であり,多くの作家はその流れの中で自分の表現方法を模索してきました。しかし,漫画の読者層が広がるにつれて手塚の枠を超える作家が現れてきており,その中でひときわ異彩を放っているのが諸星です。

彼はその創作活動の端緒から手塚の掌を飛び出しており,それは手塚にとっては心中穏やかではなかったという本人の言葉が残されています。

西遊記原典との比較

「西遊妖猿伝」の原典となるのは西遊記です。このあまりにも有名なお話は子ども向けの本やアニメなどで繰り返し紹介されており,十分に頭に入っていると思っていたらどうもそうではないようです。

そもそも原典は全100回の長編であり,日本語訳では文庫本10冊,ダイジェスト版でも3冊になります。一言でいうと唐僧・三蔵が白馬・玉龍に乗って三神仙である孫悟空,猪八戒,沙悟浄を従え,大元の経典を求めて天竺に向かう物語です。もちろん,この求法の旅の途中で多くの妖仙に狙われることになります。

ところが「西遊妖猿伝」は(少なくとも大唐編の範囲では)三蔵法師が経典を求め天竺に向かうということだけが原典と一致するだけで,主要登場人物の設定や物語の進行はまったく別物となっています。

なた太子,顕聖二郎真君,紅孩児,金角大王,金角大王,黄風大王,昆虫妖怪(黒蜂,スズメバチ,蚋,アブ,藪蚊,ミツバチ,トンボ),六耳びこうなどもまったく別の設定となって出てきます。そのあたりも原典と比較しながら読んでいくと,おもしろいかもしれません。

西遊記の漢文の原典は全100回(100話)となっており,それぞれに話の内容を簡潔に表す表題が付いています。wikipedia に第一回の画像が掲載されており,表題は漢詩のように7文字+7文字の形で表されています。おそらくこの形式は100回とも同じなのでしょう。

「西遊妖猿伝」においても漢文調の格調高い表題が付けられており,それを講釈師が語るという形式になっています。第一回の表題を私の乏しい漢詩の知識で漢訳すると次のようになり,二つの文は対句となっていることも分かります。

群雄中原に鹿を逐い 嬰児深山に野女を求む
群雄於中原逐鹿 嬰児深山求野女

中にはちょっと苦しいものも含くまれていますが,古代中国を題材とした作品を数多く発表している作者は相当の漢文の素養もあるようです。

「西遊記」は三蔵の一行が天竺まで行って経典を入手し,長安に戻って経典を雁塔寺に納めるところまでとなっています。私がの書棚にあるものは「第1部大唐篇」だけであり,全体としては「第2部西域篇」「第3部天竺篇」の三部構成となる予定です。

「大唐篇」は1983年から1997年にかけて発表されたものであり,「西域篇」はそれから11年後の2008年から再開されています。この中断期間が長かったことと,出版社が双葉社が潮出版に変わり,「大唐篇」と「西域篇」が合わさった形で新刊となっていますので収集を断念しました。

wikipedia の記事では大幅な加筆修正が施されており,双葉社版とは主要キャラクターの末路などに相違があると記されていますが,確認はしていません。「天竺篇」も始まっているようですので,終了した時にどうするか考えるつもりです。

花果山の章

西暦220年に後漢が滅亡してから中国は分裂と戦乱の時代が続きます。この混乱の時代に楊堅が北部を再統一し,581年に隋を建国しています。楊堅はすぐれた政治能力の持ち主であり,588年に時間をかけて南方の陳を滅亡させ,400年ぶりに中国を統一します。内政面でも律令制度の改革,科挙制度の採用などその後の唐の制度にそのまま引き継がれる優れた政策を実施します。

しかし,その後を継いだ煬帝は首都造営,南北を結ぶ大運河の造営,高句麗遠征などを推し進め人民は塗炭の苦しみを味わうことになります。各地で反乱が相次ぎ,李密,王世充,竇建徳,李淵(後の唐の高祖)などが群雄割拠することになります。物語はそのような時期から始まります。

孫悟空の父親は兵役で高句麗遠征軍に編入され死亡します。母親は山中の野人にさらわれ,「無支奇」の精を受けたとされる悟空を産み,嬰児を里の者に預けます。悟空は叔父のところで養育されます。その村も戦火に焼かれ,悟空は天涯孤独となり,母親に導かれるように野人の居住地に足を踏み入れます。

悟空は水簾洞で「無支奇」と対面します。無支奇は一つ目の巨大な猿の姿をしており,しばしば乱世に現れて戦乱を煽る存在とされています。無支奇は不死身であり,縛妖鎖で捕縛しておくことはできても殺害することはできません。

現在の無支奇は鎖で縛られていますが,資格のある者に斉天大聖の称号を授けることにより自由の身になれます。斉天大聖とは原典で悟空が自称したものです。迷った末に悟空が帽子を被ると,帽子を押える輪(金環)が悟空の頭を締め付けます。原典では「緊箍児(きんこじ)」と呼ばれており,三蔵が呪を唱えると頭を締め付けるものとなっています。

無支奇は水簾洞を破壊し,水とともに姿を消します。李冰は二郎真君の縛妖鎖をもって無支奇を河に沈めます。悟空は痛む頭を抱えさ迷い歩き,それを木の上から無支奇に仕える通臂公が見守っています。

悟空は記憶を失い,野人のようになり,巨大な虎を仕留めその皮を腰に巻きます。通臂公が呼びかけても自分を思い出せないようです。悟空は村の家畜を襲って罠にかかり,京師に護送されることになります。

その途中で野営した断頭波で悟空は多くの白骨の怨嗟と恨みを晴らしてくれとという声を聞き,激しい頭痛に悩まされます。そこに旅の僧が通りかかり,護送の兵士は彼にお経をあげてくれと頼みます。彼の唱えるお経により白骨は鎮まり,悟空は自分を取り戻します。悟空は漠然と旅の僧に深い因縁を感じます。

旅の途中で劉黒闥の部下である紅孩児を京師に護送する一団と合流し,船で黄河を遡ります。人足を虫けらのように扱う校尉に対して悟空は超常の力を発揮して檻を破壊します。船の前の無支奇が姿を現しますが,すぐに水中に沈んでいきます。悟空は紅孩児の檻を壊し,行動を共にすることになります。

五行山の章

悟空と紅孩児は劉黒闥の本拠地である相州に向かいますが,すでに城は唐軍の手に落ちています。劉黒闥の武将たちを救おうとした二人は唐軍に追われるようになり,危ないところを竜児女に救われます。悟空は竜児女とともに平頂山に向かい,紅孩児は劉黒闥が落ち延びたとされる館陶に向かいます。

平頂山の山塞の主となっているのは金角,銀角の兄弟であり,近郊の村から食料などを略奪しています。竜児女はそれを諫め,金角とともに唐軍の兵站部隊を襲い,兵糧を奪い取ります。

竜児女は悟空を近くの五行山に連れていきます。そこはいつも霧が立ち込めており,細い自然の石橋の向こうに白雲洞があります。石橋を渡って悟空は背後に山を削った無支奇の像を見ます。

白雲洞の中には古代文字の碑文があり,そこには孫悟空や竜児女の名前もあります。ただし,その区画の人々は民衆を率いて蜂起したものの志半ばで敗れ去ったあるいは敗れ去る運命の者たちです。

この洞窟の碑文には滅びる者の運命を変える内容もありますが,それは天竺の古い言葉で記されており,天竺僧の迦菩提は「カヌマ」に会うと滅びる者が天の星になると読み,それが古い天竺の邪教の神であると説明します。

平頂山の章

竜児女に頭を抑えられている銀角は彼女の弱点を見つけ,捕えて山塞に連れ込みます。山塞を目指す唐軍を金角が追い払っている間に,白雲洞に戻ろうとした悟空は山塞の近くで金角の手下に襲われたとき竜児女が落とした金箍棒(如意棒)を見つけ手にします。不思議な力が体を充たし,手下を苦も無く殺害します。

白雲堂で竜児女と再会し,壺の中の映像で彼女の身に起きたことを知った悟空は金箍棒を手にして山塞に行き,銀角以下を皆殺しにします。通臂公は疲れ果てて寝ている悟空から棒を取り返し白雲堂の竜児女に届けます。

やってきた唐軍に碑文を知られまいと竜児女は金箍棒を斉天大聖像の目に投げつけ,石橋もろとも破壊します。戻ってきた悟空に瀕死の竜児女は「天竺に行きたかった・・・」と微笑みます。

弟・金角を殺害された金角は通臂公から金箍棒をうばい,それで悟空をおびき寄せます。悟空は金角と戦いながら棒を取り戻し,互角の闘いとなります。この騒ぎを聞きつけた唐軍により金角は矢を射られながらも逃げた悟空を追い詰め,金箍棒で頭を割られます。悟空は矢を受け,唐軍に捕えられます。

玄武門の章

唐軍により護送される囚人の中には劉黒闥の部下もおり,紅孩児たちは護送部隊を襲い,悟空たちを救出します。悟空は猿から金箍棒を返してもらい,長安の郊外に潜み,劉黒闥と竜児女の仇を討とうとします。同じころ玄奘も長安に到着し,大覚寺に草鞋を脱ぎます。

悟空は宮城に献上される大熊の腹の中に身を隠し,潜入に成功します。とはいうものの広い宮城で追われることになり,掖庭宮に隠れているところを地湧夫人の部屋に連れ込まれます。

この部屋の隠し戸から地下に下りた悟空は地底宮(森羅殿)に入り込み,なた太子との闘いになり水路に流されます。この水路は長安の運河に通じており,彼を救った辻易者の袁守誠は悟空の中に伏竜の卦を認めます。

宮城への秘密の通路を見つけた悟空たちは宮城内に潜入し,劉黒闥の仇である李元吉を玄武門で急襲しようとしましたが,その前に李世民が軍を率いて元吉と太子を打ち取ります。

悟空は捕えられ,李世民はそのまま皇帝を幽閉し新太子として全権を掌握します。二月後に世民は太宗として帝位につき,(歴史的には)名君と評価されるようになります。

閙天の章

李世民は悟空を殺さず弼馬温という官職を設けて軍馬の世話をさせようとします。鎖で厩の壁につながれた悟空はまた多くの死者を夢に見て錯乱します。

天竺行きをを願い出る陳情のため宮城内に潜んでいた玄奘は紅孩児の皇帝暗殺計画を聞くことになり,厩に逃げ込みます。気を静めるため経を読む声に悟空は正気を取り戻します。悟空は玄奘をワラの中に隠します。

通臂公は悟空のことを知り,飛蝗を自在に操る蝗婆婆に助けを求めます。飛蝗の大群が長安を襲い,その混乱に乗じて通臂公は宮城内に忍び込みます。厩には地湧夫人,なた太子が集まり,宮城警備の魏徴の兵士たちと乱闘になります。

一方,紅孩児は首尾よく皇帝の寝室に侵入しましたが,待ち受けていた魏徴に切りつけられます。悟空は通力を発揮し,厩の壁を破壊し,その隙に地湧夫人,なた太子は逃れます。

悟空は金箍棒を受け取り宮城内を大いに騒がせます。馬と飛蝗とともに脱出してきた悟空に紅孩児は助け出されます。悟空たちは抜け穴から地下宮殿に逃れ,そこに皇帝と警備兵がやってきます。地湧夫人は墓室の天井を崩し,人々はかろうじて逃げ出します。

陰道女(女性の獅子像)の背に乗せられて脱出したなた太子は悟空たちがやってくるのを察知し,陰道女に乗って悟空に襲いかかかりますが,紅孩児の短剣に倒され,陰道女は石に戻ります。

玄奘から皇帝暗殺の話を聞き,皇帝の命を救うことになった薫侍郎は昇進しますが,彼のところに紅孩児が現れ,密告者が玄奘であることを聞き出します。大覚寺では塔に籠った玄奘は須弥山の夢を見,最上部の蓮華座の上に悟空が座っているのを見たところで夢から覚めます。


盤糸嶺の章

悟空は夏州で突厥の支援を受けてかろうじて独立勢力を維持している梁師都のところに逃れます。しかし,ここもやっていることは大同小異であり安住の地ではありません。農民を迫害する虎先峰を殺害し悟空は出立します。

同じころ,玄奘は国禁を犯して天竺を目指して出発する決心を固め易者の袁守誠に挨拶に行きます。彼は玄奘のために卦をたて天竺には4人で着くことになると占います。

悟空は突厥に襲われている二郎(二娘)を助け,盤糸嶺に向かいます。花園で蜜娘に見初められた悟空たちは盤糸洞に案内されます。そこには七仙姑と呼ばれる年頃の女性たちが暮らしています。彼女たちはそれぞれ一種類の虫を飼いならしており,自由に操ることができます。

二人はさっそく彼女たちの婿さん候補となります。上の部屋では通臂公が蝗婆婆に紫金鈴を返しにきていました。その夜,悟空はさっそく娘たちに夜這いをかけられ一悶着となります。まじめな,物語にもこのような遊びの場面がいくつか挿入されています。


紫雲山の章

盤糸嶺からやってくる飛蝗の動きに気が付いた百眼道人は村人をけしかけて盤糸洞を襲います。一方,蝗婆婆は逃げ出した平天蝗が悟空の力を受けて完成したことを知ります。蝗婆婆の留守中に村人は盤糸洞を襲い,火を付け七仙姑の何人かを殺害しますが,黒蜂に襲われ撃退させられます。百眼道人は二娘から紫金鈴を奪います。

悟空は突厥と戦い紫雲山までやってきて蝗婆婆に出合います。千花洞の毘藍婆菩薩は世界を吹き飛ばす颶風を起こすとされており,蝗婆婆も平天蝗で世界を一度滅ぼそうとしているようです。

悟空は菩薩像を打ち,外に出ると九頭付馬に襲われ,危ういところを紅孩児に助けられます。九頭付馬が戦いの中で毘藍婆菩薩像を破壊すると洞窟から突風が吹き出し周辺のものをすべて吹き飛ばします。崩れた千花洞の奥には無支奇の像があり,吹き飛ばされている悟空に語りかけます。

悟空は二娘と一緒に村に行き,百眼道人の通力のため無意識の中で道人を殺害し,村を破壊します。二娘は疲れ果てて眠った悟空を安全な場所に避難させます。

気が付いた悟空は道人のところから紫金鈴を盗み出したという好色で食い意地の張った破戒僧の猪悟能(八戒)を探すことにします。それにしても八戒を巡るドタバタはこの作品の緊張感を一時的とはいえ弛緩させています。


観音院の章

第7巻からは物語の舞台は「河西回廊」となります。河西回廊は現在の甘粛省にあたり,南側の祁連山脈と北側の沙漠地帯に挟まれた東西方向の細長い平地となっています。祁連山脈からの雪解け水に涵養されたオアシスが点在しており,東西交通の要衝となっています。

前漢の武帝の時代に河西四郡(涼州,甘州,粛州,瓜州)が置かれています。おおまかな距離は長安(680km)→蘭州(270km)→涼州(830km)→瓜州(敦煌)となっています。唐代の詩人王維の詩(西のかた 陽関を出づれば 故人無からん)にある陽関は瓜州の南西70kmのところにあり,ここが当時の中国世界の最西端でした。

当時はこの距離を歩くか馬に乗って移動していました。日本でも江戸時代の1日の徒歩移動距離は「男10里,女9里」というのが平均だったようです。馬で移動する場合は乗り慣れた人なら1日60kmほどとされています。1日40kmとすれば長安から蘭州までは17日かかる計算です。

長安を出発した玄奘は蘭州を目指しています。その途中にある松の木の上に烏巣禅師が座っており,五台山から戻ってきた弟子の恵岸行者から紫雲山の様子を聞きます。

禅師は危険なのは無支奇像より人の心であり,根絶するには衆生を仏の力により感化していくよりないと説明します。また,衆生の大いなる救いとなる人物がもうすぐここを通ると話します。

やって来たのは玄奘であり,宗派により経典の解釈が異なる現状に疑問をもち,この上は自分の目で原典を確認したいと話します。

仏教はブッダを祖としていますが,ブッダの生きていた時は経典の類はありませんでした。ブッダ自身は自分の悟りの内容を形式化した形では説いていません。ブッダは臨機応変に相手に合わせた説法を行ってきました。そのため,ブッダの入滅後にサンガ(教団)の中ではブッダの言葉を仏典としてまとめる作業が必要になりました。

有力な弟子たちが集まり(三蔵の結集),それぞれの人がブッダから聞いた言葉を口誦し,他のメンバーがその内容を確認していきます。これを繰り返すことによりブッダの言葉が集まったメンバーの中で再確認されていきます。

このときはブッダの説話を「経・律・論」と大きく分類しており,これが三蔵ということになります。このようにまとめられた経典はすべて記憶に頼っており,その後に多くの経典が生まれたり,教団が分裂していく原因ともなっています。

ブッダの入滅から100年後,アショーカ王(即位年はBC268年)の時代に教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに分裂します。これを「根本分裂」と呼び,それ以前を「初期仏教」,以後を「部派仏教」と呼ぶ慣わしになっています。

これは経典の解釈の違い,あるいは戒律の例外を認めるかといったブッダの教えの本質には関わりないところが原因となっています。その後もインド仏教は上座部系11部,大衆部系9部に分裂し,それぞれの部派は独自の経典を持つようになります。

それに対してアショーカ王の時代に「パーリ語経典」がスリランカに伝わっています。パーリ語はその当時使用されていた俗語(サンスクリットは聖語とされていた)の一つであり,アショーカ王の碑文にも使用されています。

(異論もありますが)上座部の主張によればパーリ語経典は最古のものであると同時に元々の仏教の形をより忠実に伝えるものであるとされています。これにより,スリランカでは初期仏教の形態がそのまま残り,ここを起点に東南アジアに「上座部仏教」が伝来しています。このルートを「南伝仏教」といいます。

ブッダの入滅から400年ほどが経過すると大衆部の中から「大乗仏教」が派生します。大乗仏教部は上座部を「専門的な煩瑣な哲学論議に陥ち入り,自己の解脱を中心にしている小乗仏教」として批判しています。この文面から考えると経典の解釈上の問題は入滅後400年経っても続いているようです。

同時にブッダ以外の菩薩信仰や菩薩による救済という新しい概念が登場します。また,ブッダの対機説法を集約したバラバラの経典を主題ごとにまとめることも始まり,多くの仏典が生まれる契機となっています。このように,「大乗仏教」の登場によりインド仏教は大きく変遷していきます。

大乗仏教は北インドからヒマラヤを越えて中国西域→中国→韓国・日本に伝わっています。このルートを「北伝仏教」といいます。しかし,このルートには言語の違いという障壁があり,多くの経典が複数の言語に翻訳されて伝播することになります。

特に中国では漢字という表意文字を使用しているため,翻訳(意訳と音訳の混在)には非常に難儀しています。西暦629年,中国からの留学僧である玄奘三蔵がナーランダ大学を訪れ,657部の経典を長安に持ち帰り,原典を翻訳したことが日中の仏教界に大きな影響を与えています。

中国では経典の翻訳だけでは観世音菩薩信仰や新しく多くの経典が生み出されました。また,北伝仏教は文化習俗の異なる多くの地域に広がったことから,それぞれの地域の宗教観と結びついて多様な仏教世界を形成することになります。

烏巣禅師は続いて下を通った悟空を見て,「邪神に魅入られており,御仏の力でも救えぬほどじゃ」と嘆きます。禅師は恵岸に玄奘の身辺に気を付けるよう命じます。玄奘と同行する八戒,悟空と二娘,その後をつける紅孩児が蘭州の玄奘が宿泊した寺に集まります。

玄奘の宿泊した寺の院主は袈裟に異常な執着心をもっており,袈裟を着せた女性と痴態の限りを尽くします。そこを玄奘に見られたため禅堂ごと焼き殺そうとします。中では紅孩児が玄奘を殺害しようとしますが悟空が制止します。

蘭州は黄河に面しており玄奘たちは羊皮筏子で川を渡ります。悟空は後を追い,八戒が紫金鈴を振ると飛蝗が集まってきます。八戒は紫金鈴を黄河に投げ入れると大きな渦が起こり,その底から無支奇が現れ,黄河は大荒れとなります。

黄河を渡り烏鞘嶺を越えると河西回廊となります。ここは旅人を殺害し金品を奪う黄風大王の縄張りとなっています。涼州を目指しす玄奘たちは途中で紅孩児に襲われ,このときは恵岸に救われます。悟空たちは旅芸人と行動を共にし,黄風大王の手下を撃退し息子の小旋風を捕えます。

この事件で盗賊の目は悟空たちに向けられ,玄奘たちは無事に烏鞘嶺を越え,河西回廊に出ることができました。旅芸人の一行も河西回廊に入り,黄風大王の本隊に遭遇しますが,そこに李勣の率いる官軍が現れ,難を逃れます。小旋風は官軍に引き渡されます。

李勣の軍は突厥との戦に備えるもので涼州城の中に駐屯します。突厥が河西回廊に進出しているため玄奘たちはしばらく涼州で足止めとなります。


黄風大王の章

涼州には悟空,玄奘,李勣,黄袍,通臂公と役者がそろいます。そして,小旋風を奪い返そうとする黄風大王が遠巻きに監視している構図となっています。悟空は旅芸人の余興として玉女台から発掘され都督府の庭に置かれた大きな鼎を割ってしまい,これが禍を呼びます。

通臂公は恵岸を誘い出し玉女降臨の術により,死者を呼び覚まし恵岸を襲わせませ。一方,都督府では割れた鼎から李軌の亡霊が出現し,悟空のところにやってきます。

黄袍は二娘を捕え,薬売りの符牒に紛れさせて悟空を誘いだします。悟空は天竺楼に乗り込み黄袍と彼の部下と対決します。

その夜は黄砂が舞い,黄風大王はあらかじめ城内に潜入させてある部下に城門を開けさせ涼州を急襲します。都督府はあっさり破られ小旋風は牢から救出されます。続いて天竺楼を襲い妓と金目のものを略奪し,二娘も一緒に連れ去られます。

悟空は黄袍と戦いながら李軌の鼎が置かれている納屋に入り込みます。李軌の亡霊の影響か悟空に超常の力が宿ります。黄風の部下をなぎ倒しながら黄袍に迫り,建物ごと破壊します。黄袍は割れた鼎の中に身をひそめ難を逃れます。

李軌の亡霊は恵岸の浄瓶の中に玉女と一緒に封入され,これで悟空は我にかえります。報復のため黄袍は城門を出ようとする小旋風を殺害し,それを悟空の仕業にします。

山塞では黄風大王が戦利品を吟味しているところに,殺害された小旋風が運ばれてきます。悟空は黄風の部下に案内させて山塞の近くまでやってきます。悟空は夜を待って山塞に忍び込み,二娘を救出し夜陰に紛れて逃れます。

怒り狂った黄風大王は玄奘と旅芸人を処刑する準備を進めます。正気の状態の悟空には500人からの手下を相手するには力不足ですので通臂公に頼んで一計を案じます。

通臂公は悟空の要求に合う場所探しをしていると恵岸がいます。悟空は玄奘を救出するためにということで恵岸の協力を取り付けたようです。仕掛けは出来上がり,悟空は黄風大王のところに使いを出します。大王は人質釈放の条件を飲み,下の谷の村に連れ行くことを命じます。手下には谷を包囲するよう命じます。

折から風が強くなり黄砂が舞い上がります。タクラマカン沙漠やゴビ沙漠の周辺ではこのような砂嵐がしばしば発生します。地元では「黄砂」という表現はほとんど使用されず「沙塵暴」(シャーチェンパオ)あるいは「沙暴」と呼びます。

中国の気象当局は瞬間風速 25 m/s 以上で視程が 50m 以下の大規模な砂塵嵐を「黒風暴」(カラブラン)と呼びます。高さ数百m,幅数百mから100kmにも及ぶ砂塵の壁が押し寄せてくるため,その中では真っ暗となり,歩くことさえままならない状態となります。「黒風暴」はめったに発生しませんが,「沙塵暴」はしばしば発生し被害をもたらします。

悟空は約束通り谷に現れ,人質は解放されます。しかし,黄風大王は彼らを無事に帰すつもりはないようです。悟空は谷を走り抜けながら日が暮れるのを待ちます。悟空は大王の手下たちと乱戦になり,玄奘を殺害しようとした紅孩児は恵岸と打ち合いとなります。

そのさ中に恵岸のもつ浄瓶がこぼれ落ちて割れます。中から李軌の亡霊が出現し,それを感じた李軌に殺害された亡者が土の中から立ち上がります。彼らの怨念が悟空の超常の力を引き出します。悟空は村の廃墟に向かい,黄風大王の手下が追うと,彼らに殺害された亡者の怨念も加わり,悟空は斉天大聖の力を感じ取ります。

しかし,少し様子が変です。二娘は幽霊たちが悟空を狂わせていることを感じ取り,玄奘に経を読んでもらいます。悟空はその声を耳にして正気を取り戻します。斉天大聖の闇の力と悟空を光の中に連れ戻す玄奘の声が拮抗する中間にこころを置くと正気のまま大聖の力を操ることができ,黄風大王とその軍勢を全滅させます。

廃墟の村の怨霊は仏塔の中に閉じ込められもう悟空には影響しません。黄砂が少し晴れると空には巨大な斉天大聖の影が浮かびます。悟空は二娘を旅の一座に預け,自分は玄奘と一緒に天竺に行くと告げます。悟空は果たして宿命を変えて本当の自分になることができるでしょうか。

大唐編はここで終わり,その続きが始まるまでには11年を待たなければなりませんでした。しかも,出版社が変わり,単行本を収集するなら最初からやり直し状態です。そのため,収集に二の足を踏んでいます。何といっても,現在手元にある9巻には愛着があります。


孔子暗黒伝

非常に難解な物語です。主人公の二人の少年が合体し,中国→インド→東南アジア→日本と移動し,さまざまな神話的体験をします。その起点と終点に孔子が出てきてきますが,彼の行動,経験,発言の内容はおぼろげには分かりますが,真意を理解できたとは到底思えません。いつか,自分なりの理解を確定してテキストにしたいと考えています。