私的漫画世界
物語性では「龍-RON-」ですが「六三四の剣」は熱いですね
Home私的漫画世界 | 六三四の剣

村上もとか

作者の名前は「もとか」となっておりどのような漢字になるのかと思っていました。wikipedia には本名が「紀香」となっていましたので,おそらくこれを「もとか」と読むのでしょう。これは100人中100人が正しく読むことはできませんのでひらがな表記にしたのでしょう。出身地は東京であり岩手県に住んだことはありません。

父親の影響なのか小さいころから絵が好きであり,将来は挿絵画家になろうかと思っており,高校を出たら美大に進もうかなと漠然と考えていたそうです。本人談では『ルーズな性格のため遅刻せずに学校に行くのが大変だった。(会社員のように)毎日決まった時間に出勤する仕事はできないだろう。とにかく家でできる仕事に就きたかった』と語っています。

高校2年生の時に漫画雑誌「COM」と出会いすっかり漫画派となり,漫画ばかりを描いていました。いつの間にか美大に行く気がなくなり,進路が決まらないまま高校を卒業します。

とりあえず,建築の専門学校に進みますが,周囲の人たちの真剣さを見るにつけ,仕事をするなら好きなことをやらなきゃだめだということに気が付きます。自分の18年間を振り返って,いちばん大事なものはと自問すると,やはり漫画ということになりました。

そこで,近くに住んでいた「望月あきら」(ワイルド7の作者)のところに押しかけて,無理やりアシスタントにしてもらいました。しかし,半年後にアシスタントチームが解散になり,そこからは雑誌に漫画を投稿するようになりました。

本人談では『新人の登竜門として少年ジャンプの手塚賞という新人賞があり,その賞と月例の賞と2本応募して全部落ちた』とのことです。それでも当時の編集者の目に留まり,21歳の時に「燃えて走れ」でデビューします。

村上もとかのウェブサイトには「その後,同誌に『空の城』を連載するが,10週で打ち切りとなり,それからまったく描けない状態が1年半続く」と掲載されています。

彼が復活したのは1975年発表の「熱風の虎」であり,ここから「龍−RON」までの作品はだいたい目を通しています。ストーリーがしっかしていて,かつそれを的確に描写する力をもった作家であると評価しています。

デビュー作が(原作のついた)四輪レーサーを扱った作品だったためか,初期作品はほとんどモータースポーツを題材にしています。しかし,村上もとかのような硬質の作品は「少年ジャンプ」の読者層には難しかったと思われます。

自分の作風が生かせる場所として,1977年の「赤いペガサス」以降は(2006年まで)一貫して少年サンデー,少年ビッグコミックス,ビッグコミックスオリジナルなど小学館の雑誌で活躍しています。

1981年に連載が開始された「六三四の剣」はそれまでのモータースポーツを離れ剣道を題材にした作品であり,剣道を通して成長する六三四をはじめとする少年たちをていねいに描いています。奇を衒わない正統の剣道漫画であり,現在でもこれを越える剣道漫画は見当たりません。

「六三四の剣」の連載が終了したのは1985年であり,本人談ではその後,ちょっとしたスランプ状態になっています。それは,それまでずっと少年誌で描いていました村上もとかが新しい物語のため青年誌に移行するための生みの苦しみのようなものだったようです。

その中から,1991年に20代の初めから描きたいと思っていた「龍-RON-」の連載をビッグコミックオリジナルで開始します。「龍-RON-」は15年に渡る大作となります。村上もとかの代表作は何かと聞かれると,物語性の高さからやはり「龍-RON-」と答えるでしょう。

「龍-RON-」は「熱風の虎」→「赤いペガサス」→「六三四の剣」と長編作を重ねるごとに成長してきた作者の一つの到達点です。しかし,「六三四の剣」には「龍-RON-」にはない熱さがありますので,個人的にはこちらを代表作と考えています。

村上もとかの受賞歴は次の通りです。
1982年:第6回講談社漫画賞少年部門(岳人列伝)
1984年:第29回小学館漫画賞少年部門(六三四の剣)
1996年:第41回小学館漫画賞青年一般部門(龍-RON-)
1998年:第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(龍-RON-)
2011年:第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞(JIN-仁-)

六三四の剣の舞台

主人公・夏木六三四は盛岡市で生まれ,小学生から中学生の時期を峠山で過ごし,高校入学を機に盛岡市に戻ってきますので物語の主要舞台は盛岡市ということになります。

峠山は北上市と秋田県横手市のほぼ中間に位置する山間の地であり,北上市までは20kmほど離れています。峠山の標高は約500m,北上市は北上盆地の中央に位置しており,平地部の標高は50-200mほどです。

六三四は北上市の剣道クラブに自転車で通っていましたので,往復40km,帰りは平均2%の上りとなります。アップダウンがあるでしょうし,変速機が付いていなければ大変な鍛錬になります。

村上もとかは東京と神奈川にしか住んだことがないにもかかわらず,物語の舞台を遠い岩手県にしたのには理由があります。そもそも村上もとかは剣道をほとんど経験したことがありません。

「六三四の剣」を描くためには剣道に関するそれなりの知識や実際に試合を見ることが必要になります。そのため,剣道経験者を探していたところ,奥様のつてで「三田栄一郎」さんを紹介していただきます。

「剣道についてお話を訊かせてください」とお願いしたところ,剣道部に所属している現役の弟さんを紹介してくれました。このような縁で村上もとかは盛岡市に住んでいる「三田栄一郎」さんのお宅を訪ね,盛岡の町がすっかり気に入ります。

盛岡の町から見える雄大な岩手山,盛岡城址,北上川の流れが作品のイメージにぴったりしていたのです。こうして,盛岡市を主な舞台として「六三四の剣」の連載が開始されます。その中で六三四の父親の名前を「栄一郎」としたのは,三田さんの名前から拝借したものです。

六三四の名前は6月3日午後4時に生まれたことにちなんでいますが,作者の村上もとかの誕生日も6月3日であり,4時に生まれたら六三四となっていたところだと対談の中で語っています。



作品中の最初と最後には盛岡市のシンボルともいうべき岩手山が描かれています。上記の市内を流れる北上川から見た岩手山の画像はwikipedia から引用しました。岩手山は盛岡市から北北西に20kmほどのところにある複成火山で標高は2038mです。岩手県の最高峰であり,日本百名山にも選定されています。

作品中にも詩集「春と修羅」の作者として出てくる岩手県の生んだ国民的作家(詩人・童話作家)である「宮沢賢治」も盛岡高等農林学校3年の夏に学友とともに 岩手山に登り,『岩手山 いただきにして ましろなる そらに火花の 涌き散れるかも』と詠んでおり,この歌が刻まれた石碑が馬返し登山口のところにあります。

作品中で六三四が小中時代に所属した「北上少年剣道クラブ」の縁で2014年に第1回「六三四の剣」杯少年少女剣道大会が開催され,東北6県から750人が参加ました。

主催者の「北上市剣道協会」は村上もとかに協力を打診し,快諾を得て実現したものです。参加者全員にイラスト入りの手拭いがプレゼントされ,個人・団体の優勝カップは六三四のイラストの入った特製のものだそうです。

この大会には村上もとか本人も来場し,「東日本大震災で大きな被害を受けた中,みなさんはこの3年間精進して技と心を磨いてきた。全員に賞状を贈りたいぐらいです」と励ましています。

東京生まれ,神奈川育ちの村上もとかにとっては故郷はないようなものですが,人々との交流により岩手が第二の故郷になっているようです。

「六三四の剣」の後に執筆した「龍−ロン−」においてヒロインの「田鶴てい」が岩手の貧しい農家の生まれであるのは決して偶然ではありません。岩手の方言では「はずかしい」を「おしょすごと〜」というそうですが,夏木佳代(六三四の母親)も田鶴ていも同じことを口にしています。

「六三四の剣」は少年サンデーコミックスでは24巻の大作であり,次のように大きく4つに区分することができます。それぞれの区分は単行本で6巻くらいにまとまれらますので,この構成は作者が当初から描いていた構想によるものなのでしょう。

1. 盛岡子ども時代(第1巻−第6巻)
2. 峠山時代(第6巻−第13巻)
2. 高校時代前半(第13巻−第18巻)
4. 高校時代後半(第19巻−第24巻)

いろんな漫画作品を手元に残し(収集し),ときどき読んでみる人たちにとっては,このくらいの冊数が一つの限界になります。90cm幅の書棚に入る冊数は40-50冊なので,個人的にはそのあたりが一つの作品の限度としています。村上もとかの作品では「龍−ロン−」(全42巻)は偶然にも書棚の一段にぴったり収まるようになっています。

盛岡子ども時代

3歳のときにはもう父親の栄一郎に剣道の手ほどきを受けており,同年代の子どもたちよりはるかに強い存在でありながら,決して弱い者いじめをしない子どもとして描かれています。

父親の栄一郎は六三四を頭上に持ち上げ,「岩手山だ 父っちゃが世界で一番好きな山だ! 六三四でかくなれ あの山のようにでかい人間になれ」と話します。栄一郎は強くなれとはいいません,剣道を通して六三四が人間的に成長することを願っています。その成長に強さがついてくるのが理想なのです。

剣道の世界にはそれを象徴するように「剣の道は礼に始まり礼に終わる―」とされています。剣道とは剣技を磨くスポーツですが,それを通して心をを育むことが大きな目的となっています。

・苦しさや辛さに耐える心
・勇気を持って立ち向かう心
・相手への感謝,思いやりの心
・親や年長者への尊敬の心
・指導者への礼節の心

私は戦前の「忠君愛国教育」には反対する立場ですが,豊かな社会の中でひ弱で,自己中心で,他人の傷みの分からない子どもたちが多いのを暗澹たる気持ちで見ています。子どもたちの人間教育で大きな比重を占めるのが家庭内教育なのですが,残念ながら親世代がすでに豊かさの中で育ってきており,家庭でできないことを学校教育に求めるようになっています。

ところが現在の学校教育は知識偏重であり,本来,子どもたちは多様な価値の尺度で評価されるべきところを,学力偏差値だけが子どもの価値を表す尺度のようにとらえられています。

さらに,偏差値は高校や大学のランク付けにもつながっており,「社会に適応できる一般的な知識と健全な心をもった子どもを育てる」という教育本来の目的からは乖離したものとなっています。剣道をすれば強くて健全な心が育つと保証されるわけではありませんが,一つの解決策になるでしょう。

六三四は町道場に通うようになっても,ひたすら強い相手を求めて暴れ回ります。昇級審査で不満を口にした六三四は佳代に厳しくたしなめられますが,まだ5歳児の六三四はそんな難しい理屈は分かりません。

このような強さと人間的な成長のギャップを大石との早朝稽古で少しずつ埋めていきます。7ヶ月の結果は中学生になったかっての小学生四天王との稽古ではっきり分かりました。大石との朝稽古を終わるあたり,六三四は「ありがとうございました」と一礼します。このように六三四の人間的な成長がこの作品の大きな魅力となっています。

父親栄一郎の全日本選手権優勝を機に物語は新しい展開を見せます。栄一郎の先輩で最大のライバルである東堂国彦からの電報が届きます。彼は大学時代の21歳で全日本選手権で優勝し,その後は試合に出ていない不世出の天才です。

六三四と栄一郎は奈良県・柳生の里に東堂を訪ねます。そこで生涯の友であり,ライバルとなる修羅に出合います。父親以外の人とは誰とも稽古したことがない修羅は六三四との互角稽古で圧倒的な強さをみせます。

正木坂道場の稽古で東堂の強さが自分のはるか上にあることを知り,栄一郎は岩手県警を辞職して修行一筋の一年を送ることにします。上司は本部長からなんとしても慰留してくれと頼まれていますが東堂と対決したいという栄一郎の決意を聞き,いつでも戻って来てくれ,悔いのない修行をと述べて送り出します。家計を支えるために佳代は六三四が入学した小学校の教員となります。

栄一郎は子どもの頃にお世話になった寺の裏山で修行を続けます。佳代にだまって寺にやってきた六三四は中学生の杉子から短い竹刀による特訓を受けます。深夜に栄一郎に起こされ稽古を見学した六三四の目には栄一郎が東堂をイメージして対戦している様子がはっきり見えます。六三四の心の修行も少しずつ進んでいるようです。

全日本選手権の代表に栄一郎と東堂が名乗りを上げます。二人は準決勝で対戦し,東堂の強烈な突きに場外に転落しても勝利し,続く決勝でも勝って二連覇を達成します。しかし,その直後に倒れ,帰らぬ人となります。特急列車で東京に向かう佳代は対向車両の窓に栄一郎の顔を見ます。彼女は栄一郎が逝ってしまったことを感じ,「あなた!?」と声にします。

少年誌の漫画でこのような形で人が死ぬことは非常に珍しいことです。にもかかわらず,「六三四の剣」では主要登場人物が3人も亡くなっています。

村上もとかの作品には「死の匂い」がするものが多いのは事実です。「赤いペガサス」では二人のF1ドライバーが亡くなっており,「岳人列伝」では多くの登山家が山で亡くなります。この二つの作品では死と隣り合わせの極限の世界で命がけで頂点を目指す者たちを描くために必要なものでした。

それに対して「六三四の剣」では死を日常の中に置くことにより,生の中で努力する美しさを際立たせようとしているように見えます。また,父親の死で挫けることなく剣道の道を進む六三四,母親の死に際して生きているときに約束した強くなることを誓う修羅は作者にとって一つの理想像なのでしょう。

栄一郎の葬儀には大勢の人が弔問に訪れます。その中で佳代は六三四に次のように語りかけます。

こんなにたくさんの人に集まっていただけるなんて,栄一郎さんの人徳ね。父っちゃは立派な剣道家だったけれど,それ以上に愛情豊かな人情家だった。相手の気持ちを理解し,相手の人格を敬ってこそ,勝負に勝つことができると・・・・・・

ただ他人を打倒すための剣術ではなく,剣道というのは自然に自分を磨いてくれるものだと父っちゃは信じていましたもの・・・・・・

峠山時代

佳代は峠山の分校に転勤となり,六三四も一緒に引っ越します。雪深い峠山で六三四は剣道を忘れたようにふるまい,スキーに転向したようです。スキーは栄一郎も得意なスポーツでした。

しかし,六三四は三年間,立木を相手に突きの練習を重ねてきました。3年間の特訓で杉の木が貫通してしまいます。六三四は杉子たちを人質にして校舎に立てこもった強盗を一突きで建物から突き落とします。杉子も佳代も六三四が密かに突きの練習をしていたことを知ります。

六三四は東堂と対決するため一人で柳生の里に向かいます。東堂は六三四の眼を見て何かを感じ取り,勝負に応じます。東堂は隙だらけの下段の構えですが,彼の眼光に威圧されて六三四は動けません。

東堂は「目を閉じて突きなさい」といい,六三四はいったんは目を閉じますが,勇気を振り絞り目を開けて防具の無い東堂の喉を突きます。竹刀が砕けるほどの突きは決まりましたが東堂は倒れません。

東堂はかたきうちまがいの六三四の剣を厳しく諫め,夏木がお前にたたきこんだ剣はそんなものでではなかったはずだと一喝します。それどころか六三四の突きは修羅にも通じず,見苦しく修羅に飛びかかります。東堂は六三四を打ち据え,自分も涙を流します。東堂は六三四を外に突き出し,「夏木が生きていたら同じことをしただろう」と語ります。

この家出事件を機に佳代は六三四を「北上剣道クラブ」に入れます。このクラブには轟嵐子がおり,保育園以来の対決となります。5年生になると六三四は上級クラスの大将となり県大会に出場し,優勝します。

全国大会に備え,代表メンバーは峠山の慈光寺で合宿をします。佳代をコーチに地獄の特訓でごはんも喉を通らない状況です。このシーンは「巨人の星」でもありましたね。この合宿の特訓は「心技体」のうち技と体を鍛えるのに大いに役に立ったようです。

全国大会で六三四は修羅と再会します。準決勝で北上剣道クラブは柳生剣友会と対戦し,引き分けの代表戦となり六三四はは修羅と対戦します。延長戦にもつれこんだ戦いの休憩時間に,修羅は六三四に寄り添う佳代の中に母・朝香の面影を見い出し奮起し,紙一重で勝利します。この場面も子どもが理解するのは難しいところでしょうが,本作品の名場面の一つです。

峠山では教師の異動があり,八重樫先生がやってきます。彼の国語の授業で岩手県の生んだ国民的作家の「宮沢賢治」が取り上げられ,詩集「春と修羅」の中の「永訣の朝」が紹介されます。賢治が最愛の妹の臨終のときを詠んだこの詩は六三四を感動させます。六三四も多感な時期に差し掛かっているようです。

剣道クラブでは練習相手に不足していた六三四は北上市内の中学校や高校に出向いて「無茶修行」をします。その中で六三四は栄一郎を彷彿させる上段の構えを身に付けていきます。さらに,警察道場で修行することになります。

ここのメンバーには栄一郎の指導を受けた者が大勢おり,六三四は剣に打ち込みます。6年生に進級した六三四は警察道場から卒業を言い渡されます。六三四は防具を取り,居住まいをただし,両手をついて「ありがとうございました」と感謝の挨拶を口にします。六三四も剣道を通して「感謝の心,年長者への尊敬の心,指導者への礼節の心」を身に付けたようです。

小学校最後の全国大会で六三四は熊本の有働,鹿児島の日高という終生の好敵手と出会います。個人戦の決勝で六三四は決勝で修羅と対戦し,白熱した間合いの攻防から受け流そうとした東堂の竹刀をへし折って勝利します。余談ですがこのときの六三四の防具に付いている名前は「六三四」です

高校時代前半

六三四は盛岡の開陽学園(架空のもので「高松の池」に面しているという設定になっています)に進学します。盛岡と北上市は北上川で結ばれており,六三四は60kmの区間をボートで3日間かけて遡ってきました。

盛岡に戻るのはおよそ8年ぶりです。下宿先の青空荘は北上川の船着き場近くにあり,そのまま管理人に挨拶となります。ここはふた昔前の学生寮のようなところです。二階にある六三四の部屋は北上川に面しており,ここから川に飛び込みます。そして岩手山を振り仰ぎながら「岩手山!岩手山! 帰って来たぞ」と叫びます。

手荒い歓迎を受けながら六三四と嵐子は剣道部に入部します。日曜日に六三四はかって両親とともに住んでいた家を訪ね,柱についていた父親の背丈と比べてみます。六三四の背丈はもう父親を超えていました。

剣道部の新監督がやって来ます。それは,かって六三四が早朝稽古をつけてもらった大石です。大石に打たれ,六三四は大石が自分よりずっと強い存在であることを知り安堵します。

六三四はひょんなところから保育園で一緒だったもなみと小学6年生の県大会以来の再会となります。そのときはもなみが嵐子の目の前で六三四に抱きつき,嵐子は心中穏やかではありませんでした。もなみは早池峰女学院に通っており,六三四を八幡宮に呼び出します。

六三四が約束の場所に行くともなみは20人からの不良にからまれており,後をつけてきた武者とともに乱闘になります。この件が学校側の耳に入り,校長に理由を聞かれても二人はいっさい言い訳をしなかったため,六三四は3日間の停学,武者は自主退学となります。

校長の話では不良たちが訴えたようですが,本来は学校の処分の前に警察沙汰ですから,このような片手落ちの処分はありえません。嵐子は六三四から事実を聞き出し単身で不良たちのたまり場に向かい,危ないところを北陵高校の乾に救われます。乾は不良たちに謝罪させ,六三四は新人王戦に出場できるようになります。

六三四は乾に会いに行きます。乾は複雑な家庭の事情から親とは別居しています。中学時代は奈良県におり,剣道を初めて3年目に修羅と延長を戦うまでに成長した天才剣士です。岩手に戻ってきたので乾は修羅を破った唯一の男である六三四の打倒に燃えています。二人は武道館で竹刀を交えます。乾の剣は手段を選ばないものであり,彼のかつぎ技には六三四も苦しめられます。

そんな時,修羅が六三四を訪ねてきて乾の話をします。奈良の大会では修羅も相当苦しめられたようであり,六三四には十分注意するよう忠告します。修羅は道場でかつぎ技を六三四に見せ,その対策を実地で六三四に研究させます。中学時代に乾の勝つためには手段を選ばない剣を阻止してきた修羅は今度は君の番だと語ります。

県大会の当日,乾は六三四を徴発して殴らせます。これが六三四の動揺を誘い,乾との対戦は苦しいものとなります。六三四は乾の殺気に追い詰められ,恐怖心から迷いの剣となっています。乱戦の末,二人はもつれるように倒れ込み,乾は左ひじを骨折します。

乾の見舞いに行った六三四は花瓶を投げつけられます。六三四も「今回の試合は勝ったとは思っていない。んだが 今度やるときこそ絶対に打ち負かしてやるぜ!」と応酬します。

しかし,その帰り道に姉の亮子から彼の悲惨な過去の話を聞きます。亮子はさらに「俊一は死にたくて剣をふるっているんだと思う」と話します。六三四は試合のときに乾の殺気に気圧されて荒れ狂っただけだと悟ります。

乾との試合のあと六三四はスランプに陥り,インターハイの代表決定戦で全敗します。大石監督は六三四の未熟さを見抜いており,一から(心の)修行をやりなおせと伝えます。

六三四は訪ねて来た佳代に自分の現在の気持ちを正直に話し,武者修行の旅に出て自分を鍛え直したいと告げます。佳代は「いいわ,なんでもおやりなさい。それがあなたの考え抜いた末のものであればいいのよ」と答え,「一期一会」の言葉を贈ります。

夏になると六三四は嵐子のところでバイトをして旅費を工面します。出発を前に六三四は嵐子に次のように語ります。

なあ嵐子・・・
オレは今までいろんな大会に出てけっこう優勝もしたよ
そして自分でもしらねえうちにテングになって・・・
勝ち負けばかりにこだわる剣道をやってきたような気がするんだ
オレ・・・剣道さやめるわけでね!
それどころか今までの何倍も剣道に打ち込むつもりだ
まんずみていてけりやあ 嵐子!


翌朝,六三四は剣道場から名札を外し,一人で旅立とうとしますが嵐子がそれを見送ります。六三四は栄一郎の母校の八雲学院大学に出向き,特別に武者修行を受け入れてもらいます。スランプから抜け出ていない六三四は男子部員には歯が立たず,女子の風戸にも敗れ,女子寮の用務員室にかつぎこまれます。

六三四は男子としては認められず,女子寮で生活することになります。最年少の六三四は皿洗いをし,女子の大部屋で寝る毎日です。1週間にわたる風戸の稽古で六三四は自分を取り戻したようです。風戸との試合を制し,男子部員と互角の稽古ができるようになります。

次の六三四の訪問地は鹿児島です。フェリーの到着を鹿児島中の高校剣道部員が出迎え,たたきのめそうと意気込んでいます。日高が現れさっそく稽古が始まります。日高は六三四の技から荒っぽさが消え,鋭さが増していることを感じ取ります。

六三四は日高の家に招かれ,素小手,素面で示現流の日高と稽古となります。トンボの構えから繰り出された日高の一撃は六三四の竹刀をはじき飛ばし,肩口に打ち込まれ,気が付くと翌朝になっています。

広い庭では示現流の早朝稽古が始まっており,そこにインターハイ3位の関が乗り込んできて野試合となります。六三四は日高の重い竹刀で戦い,振り回すことができず防戦一方となります。防御の中で六三四は関の剣筋を見切り,一の太刀にすべてをかけた一撃で面をうばい失神させます。

インターハイに出るため鹿児島を離れる直前に日高は肩の傷が癒えた六三四と竹刀を交えます。六三四は日高の豪剣をはね返します。しかし,重い竹刀のためスピードについていけず苦戦します。六三四は剣の峰を押すようにして日高から面をうばいます。

インターハイ個人戦は東堂が史上初の1年生優勝で終わります。日高からの伝言により熊本に剣道の化け物がいることを知り,六三四は熊本に向かいます。六三四は有働から古沢兵衛のことを聞きます。

六三四は有働の妹・麻衣子の案内で古沢の住む洞窟に向かい,稽古をつけてもらいます。古沢の二刀流は防御と攻撃が完全に一体となっておりつけ入るすきもありません。しかも打撃の強さは半端ではありません。

上段からの意表をつく諸手突きが古沢ののどに決まるとかれの目の色が変わります。六三四は古沢の気迫に震えながらも突きを出しますが,逆に突きを決められます。あわやというときに麻衣子が止めに入ります。古沢は行けといい,六三四は手を付いて「ありがとうございました」と礼をします。

もなみは六三四からの手紙を森の中で読んでいると,不思議な音に気が付き,近くまで行ってみると乾が木立を相手に竹刀を振っています。しかし,左手は思うように動かず,竹刀を落してしまいます。

もなみの気配に気が付いた乾にもなみが挨拶すると,乾は六三四の大切なものを奪い取ろうともなみを押し倒します。もなみが「ひきょう者! あなたは負け犬だわ!」と叫ぶと乾はひるみます。もなみは六三四がどれほど剣道に打ち込んでいるか知ってもらうために手紙を差出します。乾は二刀流のことを知り,逆二刀を考えつきます。

六三四は武者修行の帰りに修羅を訪ねます。この頃,修羅は内山のところに寄宿しています。昼間の学校対抗戦で修羅は20人抜きの離れ業で勝利をもたらします。その報復のため天竜学園は修羅を闇稽古に誘います。修羅の殺気を感じた六三四は真夜中に出かける修羅の後を追います。

六三四がまず出て明かりの無い道場で稽古が始まります。六三四は相手の動きを目で見るのではなく,心で感じており,闇稽古に慣れた天竜の部員を圧倒します。これは心眼と呼ばれる剣道の極意の一つです。助っ人にやってきた大学の強豪・宇田川は名乗りを上げ修羅と対戦し,修羅が一本を奪います。この二人の強さは底がしれません。

東堂が正木坂にやって来て,六三四の成長を見るため,修羅との試合を所望します。この勝負は六三四が紙一重で勝ちます。武者修行だけで剣をきたえるのは難しいものなので,東堂は六三四が心技ともに成長していることに安堵します。別れ際に修羅は「今度キミと戦う時はひのき舞台で戦いたい!その時まで東堂修羅はだれにも負けんでえ!それがボクのキミへの挑戦状や!!」と語ります。

高校時代後半

六三四は盛岡に戻り,開運橋で合宿から逃げてきた白石先輩を見かけ,地獄の合宿の話を聞きます。途中でやはり逃げ出そうとした嵐子と出会います。六三四は大石監督に勝負を挑みます。六三四は格段に腕を上げており,次第に互角の打ち合いになります。組みうちとなった二人は道場の外の崖から転落します。

大石は監督をやめて全日本選手権を目指すと告げます。六三四と大石は子どもの頃から不思議な因縁で結ばれており,いつか倒したいと思っている相手です。六三四は「その日までオレの剣の師匠はあなた一人だ! ぜひ日本一の座さつかんでけろ!」と思いを口にします。大石は弟子にする条件として東堂を倒して高校日本一になれと告げます。

翌年のインターハイ個人戦は修羅と日高が決勝で対決し,修羅が二連覇を達成します。六三四は山にこもり出稽古にも行っていません。独力で強くなるのは容易ではないことは剣道をしている者は知っています。

表彰式で日高と修羅の会話を聞いていたインターハイ3位の秋田の梅木は六三四を訪ねて峠山にやってきます。梅木は滝の前に吊るされた夏みかんを見つけ近寄ったところ,みかんは目の前でさく裂します。

慈光寺の境内で梅木は修羅からの伝言を伝えるとともに六三四に試合を申し入れます。六三四の気迫に圧倒され,あっさりと面をとられます。梅木は打たれる前にキミの発する気に打ちのめされていたと形容します。梅木は修羅に「岩手に虎あり」と短い葉書を送ります。

東堂は修羅を訪ね,素面・素小手,打突ありの木刀勝負を提案します。これは真剣勝負と変わらないものです。当然,修羅は拒否しますが,東堂は許しません。父親の殺気を感じ,殺されると思ったとき,修羅の中に変化が起きます。東堂は修羅の中に阿修羅の力が宿ったと感じます。

しかし,打つ瞬間に脳裏に母親の声を聞き,寸止めにしますが,東堂の木刀は修羅の胴に食い込みます。修羅は倒れ,続いて東堂も膝を付き,「思うとおり・・・生きるがいい・・・」と言いながら倒れます。

東堂はあばら骨を折り,3か月のギブス生活ですがほとんど普通の生活ができます。父親を見舞いに行くと東堂は自分が手の施しようのない癌であることを知っていました。

東堂は「命は惜しくないが一人残された修羅が気がかりであり,そのため剣を交えたが,修羅は一人でも生きていけることが分かった。これで・・・やっと母さんのところにいってやれるよ」と語ります。修羅は父に「剣を手にした父さんはこの世で一番こころの強い人間だと思っていた。今度は剣を手にせず戦ってほしいんや!」と告げます。

六三四は剣道部に復帰しましたが(稽古相手がいないため)練習用の竹刀で素振りだけに専念します。これは大石の言い残した指示です。

もなみが相談したいことがあるというので武道館の稽古の後でということにします。もなみは嵐子に乾が九州にいたこと,一方的に手紙を寄こすこと,盛岡に帰ってきており会いたいとの電話があったので六三四に相談したいことなどを話します。

その乾は稽古相手を探す六三四に名乗りを上げます。乾の逆二刀流は六三四を困惑させるとともに,左手の打ち込みには破壊力があります。乾が古沢の秘剣の構えをしたときもなみが間に入ります。六三四は乾の成長に驚かされます。

もなみを送る乾にもなみは手紙などを寄こさないように告げますが,乾はそれはできない言います。乾は自分でもどうしてか分からない,あんたのことが頭に浮かんで消えんのやと続けます。もなみは乾に大嫌いと告げ,乾はこれでもう一度あの地獄に戻る決心がついたと語ります。

久しぶりに佳代を訪ねた六三四は佳代の転勤の話を聞きます。異動先は盛岡市ですので六三四は喜びますが佳代は沈みがちです。佳代は八重樫先生から結婚を申し込まれていることを話します。佳代が六三四にその話をしたということは結婚はしたいけれど六三四がどのように受け止めるかを確認しておきたいということでしょう。

六三四は「オレ・・・母っちゃに幸せになってほしい。だけどオレ・・・その前に母っちゃの剣さみてえ! もう一度・・・母っちゃが剣を手にして全力で戦うとこ見てみてえ!!」と告げます。

次の全日本選手権に佳代は最年長の40歳で出場します。佳代は体力的な限界を感じながらも準決勝に進み,本大会2連覇中の風戸と対戦します。佳代は20年前の自分と対戦する気持ちだと語ります。

最初から攻勢をかける佳代は小手をとられますが胴を返します。白熱した試合の中で佳代は学生時代を思い出します。学生運動に身を投じていた佳代は機動隊員となっていた先輩の栄一郎に打ちかかりますが,彼は手を出しませんでした。

後日,機動隊を訪ね佳代は稽古の後でそのことを聞くと,栄一郎は「キミだけではない。オレはデモの学生を警棒でなぐることはできん! オレがあこがれ追い求めている剣の道さよごしたくないんだ。警官失格かもしれん・・・だが,武道家の誇りは守りたい! いつか道さきわめ・・・竹刀で人さ打つのではなく,心で人さ打てるようになりたいのだ!!」と答えます。

おそらくこの言葉が佳代の心をとらえたのでしょう。試合会場には八重樫先生や峠山の子どもたちが見学に来ています。六三四はそこに行き,八重樫先生に子どもたちの面倒は見るからもっと近くで母っちゃを見守ってくれと申し出ます。これが六三四の出した答えです。

残り20秒のところで二人とも倒れ込み,起き上がるときに佳代は八重樫と視線を交わします。佳代は心の中で「わたし・・・あの人が好きです。この試合にわたしの全力をふりしぼり・・・・・・そして・・・生まれ変わるつもりです。許してくださいね! 栄一郎さん!」とつぶやきます。

両者は激突し佳代は面を決めますが,打突後の残心が不十分なために有効打とはなりませんでした。延長戦をフルに戦い,力尽きた佳代は八重樫にすがりつきます。

風戸は3連覇を決めましたが,佳代の前で手を付き「夏木先生ありがとうございました」と一礼します。風戸は「本当の日本一は夏木先生です。あの準決勝で先生に打たれた面は・・・真剣ならば確実に頭を断ち割られた一撃でした。

わたし・・・勝つことしか考えないおごりたかぶった心をみごとに断ち切られた気がしました。夏木先生はわたしにとって子どもの頃からのあこがれであり目標でした。今日,打たれた面をわたし一生忘れません」と語ります。

この佳代が全日本選手権に出場した話の展開は見事ですね。子どもたちではこの辺りの心理描写を理解するのは難しいかもしれません。大人になって読み返すと得るところが多いのもこの作品の特徴です。

インターハイに向けて県予選が始まります。六三四と嵐子は圧倒的な強さで勝ち進みます。開陽高校は男女の団体戦で優勝します。男子個人戦の決勝では相手の上段に構えさせない作戦にてこずりながらも勝利します。

女子の準決勝で嵐子は足首を痛め,決勝ではいつもの踏み込みができず苦戦し,延長戦となります。試合の中で嵐子の足首の状態はひどくなり,小手を奪いながらも残心不十分で有効とはなりません。

再び飛び込んで小手を決め,ふんばったときにアキレス腱を痛め,全国大会を辞退することになります。六三四は自室でふさぎ込んでいる嵐子を背負って北上川の土手に出て,佳代と八重樫先生の結婚式について報告します。

結婚式の日にお祝いにやってきたもなみの様子がおかしいので六三四がたずねると,乾とのことで相談を受けます。乾の手紙には飾らない文章で真剣な言葉がつづられています。それがもなみの心に波紋を投げかけています。その夜,乾と会ったもなみは「あなたなんか大嫌いよ 二度と会いたくないわ」と宣言しますが,なぜか自分にウソをついているという思いを棄てられません。

稽古の帰りに六三四は三人の男たちに今から稽古につきあえと誘われます。彼らが車で向かった先は警察学校でした。道場には栄一郎の大きな写真が六三四を出迎えます。そこには大石が座っており,夏木先生の前でお前の上段をみせてみろと若手の実力者3人と試合となります。

3人を苦もなく退けた六三四に大石自身が相手となります。大石に面と小手を決められ,六三四は信じられない気持ちです。大石は「おまえは自分より弱い者を相手にしてきたので勝つのがあたりまえになちまった。その構えは一見相手を威圧するように見えるが・・・試合に勝つだけしか考えていないあさましさがみじみでている!」と指摘します。

六三四は大石の突きをどうしてもかわせず床に何回も叩きつけられます。その中でもう一度だけと立ち上がった六三四は突きをかわして面を打ちます。六三四は何かを体得しようとしています。

何度かの失敗ののち六三四は栄一郎の秘技としていた突きを抜く極意を身に付けます。六三四は両手をついて稽古の礼をいい,「オレさ岩手の虎の血にかけてだれよりも堂々と戦い,必ず日本一の座さ勝ちとってくるぞ」と宣言します。

全国大会を前に鹿児島では日高が,奈良では東堂が激しい稽古に励んでいます。大学日本一の伊賀を相手に修羅は一刀流の極意ともいうべき「面打ち落とし面」を見せます。

全国高等学校剣道大会は武道館で開催されます。男子団体戦は日高の薩摩高校が制します。逸材の揃った男子個人戦で六三四は3回戦で逆二刀の乾が対戦します。この試合をもなみがじっと見ています

試合は白熱し,六三四の突きを抜く技をもってしても紙一重であり,首筋から出血します。延長戦に入り,六三四は乾の突きを下からすりあげ面をうばいます。もなみのところに近寄った六三四は「あいつのところに行ってやれ」と声をかけます。失意の乾に対してもなみは「剣道をやめないで下さい。あたし,いつかあなたの二刀流が日本一さなるのをみてみたいわ」と話しかけます。

六三四は首筋のケガをものともせず準決勝に進みます。残ったのは六三四,東堂,日高,有働という 顔ぶれであり,六三四と日高,東堂と有働の対戦となります。日高は示現流をベースに独自の工夫をした剣で挑み,六三四の竹刀をへし折ります。

竹刀を交換して試合は続行され,日高の豪剣が六三四の面にさく裂します。これで吹っ切れた六三四は呼吸を読み,時間切れ寸前に突きを入れます。延長戦で六三四は日高の面をかわし面を入れます。東堂,有働戦は一本ずつで延長となり,東堂は面打ち落とし面で勝利します。

決勝を控えた六三四は洗面所で出血を止めようとします。そこに六三四の動きに異常を感じ取った嵐子が入ってきて布を裂いて応急処置をします。嵐子は決勝戦を見るのが怖いと六三四の背中にしがみつきます。六三四は「ダメだ!最後までみていろ!」と厳しい表情で伝えます。

六三四は修羅の足さばきに戸惑いますが,心眼で動きをつかみ,修羅の攻撃の先をとり小手を決めます。修羅は攻勢に出て,残り10秒のところでつばぜり合いからの面打ち落とし面を決めます。

延長戦に入り,微動だにしないにらみ合いから六三四の片手面を見切った修羅が打ち落とそうとしますが,延長戦の直前に痛めた腕の付け根のため果たせず,六三四の面が決まります。試合終了後に東堂危篤の連絡が入り,修羅は駅に向かう車内から見える雲の中に父母の姿を見ます。

12月に入り六三四のところには修羅から手紙が来ます。修羅は学校の寮に移り医大を目指して受験勉強を開始しています。それに対して六三四は教師になり,過疎化が進み剣道をやる機会の少ない山の子どもたちに剣道のすばらしさを教えたいと返信します。書き上げた手紙を前に受験勉強の疲れで眠る六三四を岩手山が見守っています。この最後の余韻の残る場面も剣道を題材にした不朽の名作にふさわしいものです。


昭和初期の京都から太平洋戦争末期の満州までを舞台とする壮大な物語です。京都の名門押小路家の長男「龍」は一麿と中国人紅子の間に生まれました。小さなころから剣道に親しむともに,中国人の陳から少林拳と中国語の会話を習っています。

物語は京都の武道専門学校(武専),満州航空,浙江省,上海,満州と目まぐるしく動いていき,そのなかで紫禁城の秘法「黄龍玉璧」を巡る争いの中心に置かれることになります。

岳人列伝

山岳を題材にした短編集であり,次の作品が収録されています。個人的には「南西壁」,「時よ止まれ」は傑作だと思っています。

・南西壁
・裸足の壁
・北壁・Part1 遭難
・北壁・Part2 時よ止まれ
・遠い頂
・ザイル
・ヒマラヤの虎
・吹雪
・K2・Part1 最終キャンプ
・K2・Part2 北西稜の5人

赤いペガサス

日系英国人でレーサーのケン・アカバを主人公にして,当時は日本ではマイナーだったF1の世界を描いた先駆的作品です。作品中ではケンの所属する。SVE(サンダーボルト・エンジニアリング)チーム以外は実在のF1マシンやF1チーム,ドライバーが出てきます。

ボンベイ・ブラッドというその当時は世界でも数人しか発見されていない特殊な血液型をもっていますので,事故などで輸血が必要になるときは大変です。そのため同じ血液型をもつ妹のユキはレースの転戦先で非常時用の新鮮血液を保存しており,兄妹以上に深いきずなで結ばれています。