風の谷のナウシカ
「風の谷のナウシカ」は徳間書店のアニメ情報誌である「アニメージュ」に掲載された宮崎駿の漫画作品ですが,一般の方々には1984年に劇場公開された宮崎駿監督のアニメ映画作品の方がずっと知名度が高いと思います。
両者は作品世界や多くの登場人物は同じですが,ストーリーはほとんど別物といってよいほど異なっています。漫画作品は全7巻であり,映画作品はその序盤の2巻くらいをベースに製作されています。
実際,アニメージュに連載が始まったのは1982年であり,映画が劇場公開されたのは1984年ですから,ほとんど物語のさわりの部分だけで映画化が進められたことが分かります。
映画は善と悪の対決ではなく,「戦争の愚かさ」を描くとともに「自然との共生」を主題にまとめられています。「戦争の愚かさ」と「自然との共生」は20世紀における人類の普遍的なテーマであり,それを自然な形で物語の中に描き出されていることが多くの人々の支持と共感につながりました。
宮崎の初期アニメ作品には原作はほとんどありません。どうして「風の谷のナウシカ」にだけ原作ともいうべき漫画版が存在しているかについてはwikipedia に次のように記されています。
宮崎の才能に惚れ込んだ鈴木敏夫(アニメージュ誌副編集長)は「風の谷のナウシカ」の映画化を目論み,徳間書店の企画会議に諮った。が,「原作のないものは無理」という理由で却下された。
「コナン」の時より宮崎に注目していた徳間書店の「アニメージュ」誌編集長・尾形英夫は,オリジナル企画実現のため「原作付き」のハクをつけることを考案,「アニメージュ」1982年2月号より「風の谷のナウシカ」の連載が始まり,やがて多くの読者の支持を集めるようになる。
さらに自社イベントのための特別短編アニメーション企画を彼に持ち掛ける。企画は短編の筈だったが次第に拡大,尾形の尽力により,当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し,宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され,1984年にアニメーション映画として製作・公開された。
宮崎は職業として漫画家とアニメーションの選択に悩んだ末にアニメーションの道に進みました。彼の携わったアニメの中で「アルプスの少女ハイジ」(テレビ)は高視聴率を獲得しましたが,「未来少年コナン」(NHK)は低視聴率に終わり,「ルパン3世・カリストロの城」(劇場映画)の興業成績は芳しくありませんでした。
このままでは才能はあるが客を呼べないアニメ制作者となってしまいます。「風の谷のナウシカ」の企画が徳間書店の企画会議で却下されたのはそのようなリスクを懸念してのことでしょう。
そのため宮崎は1982年から雑誌「アニメージュ」に「風の谷のナウシカ」の連載を開始します。その当時の心境を彼は「映画やアニメーションをやってたらできないようなことをやらなければわざわざコミックを描いている意味がないと思ったから,自分がこういうものはアニメーションになるまいって考えた世界をやってたんです」と述壊しています。
アニメ映画にはならなくても自分の今をこの作品に込めたいという思いだったのでしょう。漫画の「風の谷のナウシカ」は読者の支持を集め,連載後1年ほどで徳間書店も映画化を決断します。
漫画の「風の谷のナウシカ」は映画化の時点では第2巻の途中の状態でした。映画化が決定してその制作期間中は漫画連載は中断していますが,映画完成後も漫画版は映画とはまったく異なる方向で展開していきます。
劇場アニメ映画として「風の谷のナウシカ」は一定の興行成績を収め,アニメ監督宮崎の名前は広く知られることになります。その後,宮崎はおよそ2年おきに天空の城ラピュタ(1986年),となりのトトロ(1988年),魔女の宅急便(1989年),紅の豚(1992年)を制作していきます。
アニメ制作期間は中断したものの漫画版「風の谷のナウシカ」は描き継がれ,1994年に壮大な叙事詩ともいうべき物語が完成し,第23回日本漫画家協会賞の大賞を受賞しています。その中には映画版には描かれていなかった宮崎の自然観,生命観,戦争観,宗教観などが含まれています。
漫画作品は映画よりずっと長編であり,戦争を巡る人間の醜さや愚かさ,救いを求める人々の姿を丹念に描いています。その中で最終兵器と思われていた巨神兵が実は旧世界では調停者あるいは裁定者の役割をもっていたことが語られています。
さらに腐海の生態系は旧世界の科学者が「世界浄化」のプログラムの一部として造り出したこと,人類を救済するために用意した遠大な再生計画について語られています。この中には人類そのものの改造計画も含まれています。
この再生計画を司っている「シュワの墓所の主」とナウシカとの対決が漫画作品の最大の山場となっています。人類の再生計画とは平和的で自然と調和できる人類への移行計画ですから,ナウシカが拒否する理由はないと考えられますが,それを拒絶して墓所の主を破壊したナウシカの生命に対する倫理観を読み解く必要があります。
物語の世界
単行本の第1巻の表紙裏には次のような一文が記されています。物語の舞台は現在の産業文明からおよそ2000年後の世界ということになります。現在を起点にすると,1000年後には巨大産業文明は「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により崩壊し,世界は有毒物質で汚染されます。
それと同時に「腐海」という広大で攻撃的な生態系が生まれ,人類は残されたわずかな土地で細々と生き延びてきました。ナウシカの物語が始まるのは「火の七日間」からおよそ1000年後の世界ということになります。
ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は
数百年のうちに全世界に広まり 巨大産業社会を形成するに至った
大地の富をうばいとり 大気をけがし
生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は
1000年後に絶頂期に達し
やがて急激な衰退期をむかえることになった
「火の7日間」と呼ばれる戦争によって
都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し
複雑高度化した技術体系は失われ
地表のほとんどは不毛の地と化したのである
その後産業文明は再建されることなく
永いたそがれの時代を人類は生きることになった
第3巻に物語に関連する地図が掲載されていますので引用しました。長さの単位は「リーグ」となっており,1リーグ=1ノット・時間=1.825kmとされています。地図の色分けが良くなく分かりづらいのですが,薄茶色になっている海を青色に,灰色になっている腐海を緑色にイメージしていただけると分かりやすいです。地図で示されている領域はおよそ4000km四方ということになります。
大陸の中央部は「腐海」に飲み込まれており,人類はその周辺に小さな王国を作って暮らしています。腐海は少しずつ広がっており,人が住める土地は減少しています。海は汚染物質が最後にたどり着くところであり,生物が生息できる環境ではなくなっています。
このような大惨事を引き起こした「火の七日間」とはいったい何んであったかはほとんど述べられていません。参事を引き起こした「巨神兵」は漫画版では神に等しい調停者・裁定者とされており,裁定の結果が「火の七日間」であったかもしれません。あるいは複数の裁定者の判断が異なったために起きた神々の戦争であったのかもしれません。
いずれにしてもその結果は文明の崩壊を招き,旧世界(高度産業文明社会)の技術は失われ,残された人々は旧世界の遺物であるセラミックやエンジンを発掘して暮らしています。作品中に描かれている人々の生活は19世紀あたりのものになっています。
エフタルはかって巨大な王国でしたが300年前の大海嘯によりその大半を腐海に飲み込まれてしまいました。エフタル砂漠の周辺に点在する小王国はかってのエフタル王国の末裔が暮らしており,漫画版ではトルメキアを盟主として同盟を結んでいます。
腐海からは「瘴気」と呼ばれる有毒な大気が発生し,人類の生存を脅かしています。出生率は下がり,生まれてきた子どもも幼くして死亡することが多く,ナウシカにしても10人の兄・姉たちは腐海の毒が原因で亡くなっています。
運よく大人になることができても毒の影響でしだいに手足は石のようになっていき,やがて死んでいきます。これが腐海のほとりで生きる者の定めなのです。そのような危機的状況でもなにかをきっかけに戦争が起こります。
物語のテーマ
2020年5月の朝日新聞に2回に渡り,「風の谷のナウシカを読み解く」という記事が掲載されました。その記事タイトルは「権力なき社会のヒントに」,「自然との共生,突き抜けた境地」となっていました。
風の谷のナウシカのテーマは多岐に渡っています。
(1)巨大産業文明は必然的に衰退の道を歩むのか。
(2)環境の悪化や資源の枯渇は必然的に紛争を引き起こすのか。
(3)人類は地球における神として振る舞って良いのか。
(4)人類が生命に介入することは許されるのか。
現在,先進国,中進国が享受している「大量消費社会」は多くの問題を抱えています。すでに,1972年には「ローマクラブ」が,現在のままで人口増加や環境破壊が続けば,資源の枯渇や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らしています。
簡単にいうと,人類が地球を食いつぶす前に従来の経済のあり方を見直し,持続可能な社会を目指す必要があるということです。有限の地球で人類が人口や経済活動を無限に増殖させることはできないのは自明の理ですが,「経済成長」を放棄することは,当時の先進国も開発途上国もありえない選択でした。
ローマクラブの第1回報告書が出されてから約半世紀,世界中の国々はひたすらGDPを指標とする経済成長を目指しており,「地球の限界」などは次の世代か次の次の世代が考えることとして政治の世界でも個人の頭の中でも先送りされてきました。石油,天然ガスにおける非在来型資源開発により,エネルギー資源の枯渇が先送りされたことも大きな要因です。
2020年に(なぜか突然)「地球温暖化」が現実の脅威と強く認識されるようになり,2020年から2021年にかけて世界の主要二酸化炭素排出国は2030年に50%削減という目標を掲げ,日本も46%を目標としています。
しかし,1990年代から「地球温暖化」は現実的な危機でした。にもかかわらず,二酸化炭素排出量の大きな先進国は「経済成長」の足かせとなる削減には消極的でした。発展途上国は先進国より切実に「経済成長」を希求していました。
その結果,「地球温暖化」が世界の共通認識になっても,人類活動起源の二酸化炭素排出量は増え続けました。2020年時点の人類の二酸化炭素排出量は,地球上のすべての火山活動により排出される二酸化炭素量の100倍にもなっています。これが,地球環境に影響しないわけがありません。
それが,待ったなしの状態になるまで世界は経済成長を目指し,10年間で50%削減という非常事態宣言下でも,「グリーンエコノミー」と称して,二酸化炭素排出量削減と経済成長は両立すると世界の指導者は考えているようです。「経済成長」は現代社会の必須要件であり,「成長の限界」はあってはならないもののようです。
でも,よく考えてみて下さい。地球という閉鎖環境で人類の繁栄(人口と経済の成長)が永続することなどありえません。現在の人類は地球からあらゆる自然資源を略奪することにより繁栄しており,それは必然的に人類以外の大多数の生物が暮らしている自然環境を破壊し,汚染しています。
地球の生態系を一つの生命体とすれば,現在の人類はがん細胞のような存在になっています。がん細胞には意思はありませんが,ひたすら増殖を続け,宿主を死に至らしめることにより,自分も死ぬことになります。
人類もこのまま増殖と経済成長を続けると地球環境や生態系をひどく損ね,その影響は人類の生存そのものを脅かすことになります。20世紀末には人類の活動は地球の環境容量を超えており,人類は自然資本を食いつぶしながら見かけ上の繁栄を続けています。
これほどの犠牲の元に繁栄している人類ですが,世界銀行の報告では,世界の「絶対的貧困」率は,2017年の9.2%から2020年には,新型コロナウイルス・パンデミックや紛争,気候変動の影響で,9.1%から9.4%ほどの間の水準に悪化していました。
世界銀行の定義する「絶対的貧困」とは,1日の生活費が1.9米ドル(約200円)未満の状態にある人です。世界人口(78億人,2020年)のうち7億人は絶対的貧困の状態なのです。この人たちは1人当りに換算すると二酸化炭素排出量は豊かな人たちの1/100以下ですが,気候変動や自然環境劣化の影響を最も受けやすい人たちです。
この30年間のグローバリゼーションによる経済成長がもたらしたものは「格差」です。豊かな国と貧しい国,同じ国の中でも豊かな人と貧しい人が存在し,その格差はどんどん広がっています。日本には「絶対的貧困」は定義されていませんが,「相対的貧困」という概念はあり,平成末期には929万人が該当します。
平成の30年間を通して日本の労働分配率は下がり続け,企業利益と株価は上がり続けています。政府は「戦後最大の景気拡大」といっても,富は豊かな人たちに吸収され,非正規社員の収入は「相対的貧困」ラインを下回ることになります。
日本でも新型コロナ下では「相対的貧困」率は確実に上昇しています。「貧しい人」は経済的弱者であり,新型コロナの影響をもっとも受けることになります。また,社会にとって本当に必要なのは相対的に低賃金のエッセンシャル・ワーカーであることが分かりました。
このような国家間の格差,同じ国の中での格差がなければ機能しない経済・社会の仕組みはどこかおかしいのです。富を分かち合い,格差を縮小することにより,経済成長に頼らない安定な社会を目指すべきです。
地球温暖化には2種類の「閾値」があります。一つは「人間社会」へのリスク,もう一つは「地球の気候システム」が変化するリスクです。人間社会への影響は食料,洪水,水不足,マラリアから分析すると,1.5-2.0℃の気温上昇を境にリスク人口が急激に増加するとされています。これが,2030年までに二酸化炭素排出量を半減しなければならない根拠となっています。
「地球の気候システム」が変化する閾値の気温上昇は,現時点では明らかになっていませんが,この閾値を超えると地球温暖化は暴走し,氷床や永久凍土が融解し,南米のアマゾン熱帯雨林がサバンナになるといった不可逆的な変化が生じます。
地球上の生物や人類がこれからも普通に暮らしていくためには,2030年までの50%削減の失敗は許されませんが,果たして私たちには豊かで快適な暮らしを捨てて,地球を守る覚悟があるのでしょうか。現実の世界には「腐海」もなければ「墓所の主」も「ナウシカ」もいません。私たちは自らの選択と知恵で地球を守らなければなりません。
旧約聖書の創世記の第六日目の記述には,「神は地に家畜,這うもの,地の獣をそれぞれに創造された。神は御自分にかたどって人間の男と女を創造された。神は彼らを祝福して言われた。産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という記述があります。
創造神は人間を特別な存在としてすべての生物を支配することを認めています。この支配するということはどのような意味をもっているのでしょうか。文字通りすべての生物の生殺与奪の権限をもっていると解釈するのが正しいのでしょうか。創造神はあらゆる生物を人間に奉仕するために作られたのでしょうか。
そうではないと信じたいものです。創造の意図にせよ,進化の結果にせよ,他の生物に比して抜きんでた知能をもつようになった人類は特別の存在であるのは事実です。しかし,地球の支配者となった人類は多くの生物種を踏みつけにしながら破滅の道をひた走っているように見受けられます。
人類に与えられた特別の力は地球という生物の楽園を破壊せず,自然と共存するために使われるべきだと考えます。支配という言葉の意味するところは管理という意味に解釈するべきでしょう。特別な力を手に入れた人類は地球の生態系を維持・管理する責任があるということです。
支配と共生は西洋と東洋の思想を端的に言い表しています。自然を征服するのが西洋の文明なら,自然とともに生きるのが東洋の基本思想です。現実の世界は西洋文明が世界を席巻しています。
人類の単独繁栄により他の生物は乱獲されたり,生存場所を狭められて急速に数を減らしています。同時に78億人にも達する人類における貧富の格差は道徳的に許容できない水準にまで拡大しています。
人類が自分たちの責務に目覚めなければ20世紀と21世紀は「人類の引き起こした大絶滅の世紀」,「地球温暖化が閾値を超え環境が激変した世紀」と呼ばれることになるでしょう。残念ながら哲学も宗教も知能が極大化した人類を知性的な生物に導くことはできないようです。
第1巻|トルメキア戦役勃発
主人公のナウシカは風の谷の族長ジルの一人娘です。腐海の縁に存在する風の谷は海からの風によってかろうじて腐海の毒から守られていますが,それでも影響はまぬがれず人口は500人の小王国です。
メーヴェで腐海の縁に降りたナウシカは腐海に分け入り,王蟲の完全な抜け殻を発見します。透明な半球状の眼の殻を取り出し,その下でムシゴヤシが午後の胞子を雪のように飛ばすのを見ていたとき,頭の中に「コロセ」という声が聞こえてきます。
メーヴェで飛んだナウシカは森から出てきた王蟲を光弾で停止させ森に帰します。王蟲に追われていたのはジルの友人でナウシカの師であるユパでした。ナウシカは久しぶりの再会にユパに抱きつきます。
風の谷の城ではユパのための宴会が催され,ユパのおみやげが配られます。この谷では平和が保たれていますが,その頃,トルメキア軍は友邦のペジテ市を滅亡させています。ペジテ市からの避難民を乗せた船が腐海の縁で墜落し,救助に向かったナウシカは瀕死のラステルから兄に渡してと秘石を預かります。
トルメキア軍の一小隊は秘石を探しに風の谷までやって来て,立ちふさがったナウシカと親衛隊兵士の果し合いになります。怒りにかられたナウシカは彼の急所を刺し,ユパは両者を分けます。分が悪いと見たクシャナは兵を引きます。
村人は総出でコルベットの着陸したあたりを焼いて胞子の侵入を防ごうとします。しかし,残された胞子が長老の木に入り込み,発芽したため村人は泣く泣く焼きます。
トルメキア戦役が勃発しトルメキア主力軍は土鬼領内に進出します。クシャナは別働隊とされ辺境の同盟勢力を率いて腐海を南進するよう命令されます。軍参謀として平民出身のクロトワが派遣されます。
ナウシカはジルの代わりに参戦することになり,準備が進められます。子どもたちはナウシカにチコの実を届けてくれます。ナウシカに従う者は城おじと呼ばれる年長者ばかりです。
その夜,ユパは城の地下室でナウシカが腐海の植物を育てているのを見て驚愕します。ナウシカはきれいな土と水では腐海の植物は小さくなり,瘴気を出さないことをユパに説明します。
ナウシカはパージを引いたガンシップで集合地に向かい,ユパは腐海の謎を解くため風の谷を出発します。
集合地に向かうクシャナの編隊にアスベルの操縦するペジテ市のガンシップが攻撃してきます。1番艦が墜落し,風の谷のガンシップはそれを回避しようとしてパージのワイヤが切れます。2番艦も落され,ナウシカは念話でアスベルに呼びかけます。一瞬ひるんだところを撃たれ,アスベルのガンシップは腐海に落ちていきます。
風の谷のガンシップはワイヤの切れたパージとともにが腐海の水域に着水します。王蟲が浮かんできて触手でナウシカの意識を探ります。同時にナウシカは王蟲の心を覗くことになります。そのとき,王蟲は急いで移動を開始します。
腐海に墜落したアスベルは蟲と戦い殺します。あわやというところで,メーヴェに救出され,二人は腐海の最深部に不時着します。そこにいた王蟲は蟲たちに攻撃を停止させます。王蟲はアスベルに念話で「小サキモノガ殺スナトネガッテイルカラダ」と話します。マスクを失ったナウシカは生きており,アスベルは腐海の最深部が清浄であることを知ります。
ナウシカはアスベルに秘石を渡します。この腐海の最深部でナウシカは石化した木が砂になって落ちてくるのを見ます。それが何を意味するのか,どうして腐海の最深部が清浄なのかまだナウシカには分かりません。