私的漫画世界
北条さんはこんなきれいな物語も描けるんです
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北条司

北条司(1959年生)は1980年に「少年ジャンプ」に掲載された「おれは男だ!」でデビューしています。九州産業大学を卒業するものの漫画を描いて就職活動をしていなかったことから,とりあえず漫画家になることを目指したという嘘のような逸話が残されています。

その頃は地方でこつこつと短編を発表する地味な漫画家をめざしていました。ところが,読切として描いた「CAT'S・EYE」が好評であったことから少年ジャンプ編集部が北条に内緒で連載を決定してしまい,アパートを用意して半ば強制的に上京させてしまいます。

上京後,すぐに連載が始まり,こころの準備ができていないためずいぶん苦労したという本人談が残されています。週刊漫画誌に連載するということは毎週16ページを仕上げなければなりませんので,北条氏のように緻密な描画をもつ漫画家にとっては大変なことです。

「CAT'S・EYE」は4年で終了し,ほとんど間をおかず「シティーハンター」の連載が始まります。この作品は6年に渡り連載され北条氏の代表作となっています。しかし,「シティーハンター」は編集部の都合により突然死となります。

そして,約2年のブランクの後に発表されたのが「こもれ陽の下で…」です。「CAT'S・EYE」と「CITY HUNTER」の成功により北条氏は「美女とアクション」漫画家として評価されていますが,もともと本人が描きたかったのは登場人物の心の流れをメインに描く,より繊細なストリーだったと述べています。

少年ジャンプの要求によりアクションを取り入れているものの,それだけが北条氏の描きたかったものではないということです。そのため,「こもれ陽の下で…」においては北条氏は自分の描きたいように描いています。

このような作品が作者の本当の持ち味なのでしょう。残念ながら掲載誌が「少年ジャンプ」では宝の持ち腐れです。ジャンプの読者層の大半がこのような地味でもこころ暖まる物語をちゃんと理解できるとは考えられません。

「こもれ陽の下で…」は1年を待たずに打ち切りとなります。これが,小学館あたりの青年誌にでも連載されればずっと長寿の作品となったことでしょう。わずか3巻で終了した作品ですが,個人的には「こもれ陽の下で…」が北条氏の持ち味がもっともよく出ている傑作と考えます。

こもれ陽の下で…

「こもれ陽の下で…」に先立ち50ページほどの短編「桜の花 咲くころ(1993年)」が発表されています。この作品は「こもれ陽の下で…」の10年前の物語となっており,主人公の「西九条紗羅」とメインゲストの「桜井真樹」少年の交流が描かれています。

木のざわめきから真樹の身に危険が迫っていることを察知した紗羅は木と共鳴できる能力を使い,真樹の事故現場を特定し,救助に役立てます。しかし,この件で紗羅の特異な能力が近所の人に知られるようになり,紗羅と父親は新しい町に引っ越さなければなりませんでした。このようなことを繰り返してきたせいか,二人の家はトレーラーハウスという設定になっています。

退院した真樹は自宅の庭にある弱った桜の木が満開になっているのを見て,紗羅に感謝の言葉を伝えようとしますが,トレーラーハウスのあった場所はもとの空き地になっており,真樹はその風景を眺めながら「そんな…気がしていた…君はいつも…こうやって転校をくりかえしているんだろうと…だから…」とつぶやきます。

植物とこころを通わせることのできる少女の物語は「こもれ陽の下で…」につながっていき,その中で10年後の真樹が教習生として登場し,紗羅と再会する話もあります。また,「こもれ陽の下で…」の最終話ではメインゲストの北崎達也がやはり10年後に再会する場面も描かれています。

特異な能力を身に付けたことにより紗羅の時間は少女のまま止まってしまっています。時間とともに成長した少年と時の止まったままの少女の再会は切ないものであり,少年は時の止まった少女の哀しみをいやでも知ることになります。

時の止まった少年(少女)をテーマにした古典には「ピーターパン」があります。彼の場合は積極的に年をとらないようにしており,異世界「ネヴァーランド」で同じように親をはぐれた子どもたちや妖精の「ティンカーベル」とともに冒険の日々を送っています。

私も子どもの頃の記憶しかないものですから,彼が自分の時が止まっていることに対して何らかのこころの葛藤をもっていたか否かについては定かではありません。

漫画の世界では萩尾望都の「ポーの一族」が記憶の最表層にあります。こちらは永遠の時を生きる一族に迎え入れられた少年の物語です。通常,一族に迎え入れるためには成人年齢に達してからなのですが,エドガー・ポーツネルの場合は危急の事情により14歳で長老の血を受け継ぐことになります。

彼自身も3年後に再開した妹のメリーベルを自らの手で一族に迎えることになり,そのことを「日々があのまま過ぎていたら…ぼくなどのためにこんなめにあわずにすんだのに…こんな呪われた身で生きるめにあわずに…」と述懐しています。

「ポーの一族」の場合は,いわゆるバンパネラ(吸血鬼)という人間の世界とは敵対する関係ですのでこのような表現となったと思われますが,少年(少女)のときが止まることに対しての主人公の気持ちは表現されていません。

「こもれ陽の下で…」における主人公の紗羅は植物とこころを通わせる特異な能力とともに歳をとらない体質となってしまいました。彼女の母親は物語の中には登場せず,家族は父親だけです。紗羅の体質が変化したことによる父親の驚愕と苦悩の深さはいかほどであったことでしょう。

成長しない娘を周囲の人に気が付かれないようにするため,一定期間で引っ越しと転校を繰り返さなければなりません。しかし,父親はそのような特異体質の娘をそのまま認め,二人で暮らしていく道を選択します。

紗羅自身も自分と生きていくことが父親にとって大きな負担となっていることは十分に承知しています。また,知り合った人たちと一定期間以上の時間を共有できない哀しみは「最終話」における「このまま…二人の時間が止まってしまえばいいのにね…」という形で表現されています。

個人的には時の止まった自分を紗羅自身がどのように考えているのかをもう少し描いて欲しかったと考えます。しかし,「少年ジャンプ」ではそのような表現はとても望めるものではありません。

紗羅と達也の出会い(第一場)

達也が空き地の「エゴノキ」を伐ろうとして鋸を当てたときにクラクションとともに大型トレーラーが空き地に入ってきます。車からはかわいい女の子が降りてきて達也をひっぱたきます。これが達也と紗羅の出会いとなります。続いて雲をつくような大男が降りてきて,達也は一目散に逃げ出します。

達也の妹のさつきはこの木から落ちて,車いすの生活を余儀なくされており,歩けるようになるのは無理だと医者から言われています。達也が「エゴノキ」に何かをしようとしていることを察知したさつきは車いすでマンションの入り口の階段から転落します。

これを感じて「エゴノキ」は激しく動揺し,それは紗羅にも伝わります。さつきのところに駆け寄った紗羅は「あの木のせいでさつきはこうなったんだ」と告げられます。

紗羅は夜を待って「エゴノキ」に触れ,こころを通わせます。「エゴノキ」から事件の真相を聞き出した紗羅は二人の夢に現れ,自分のこころを届けてもらいます。拓也は自分の罪の意識を木のせいにすることにより苦しさから逃避していたことを気付かされます。また,さつきも拓也のことを少しも恨んでいないことが分かります。

夢から覚めた達也とさつきは同じ夢を見たとこに驚き,夢の中の人物は「木の精」だと考えます。「エゴノキ」のところまで連れてきてもらったさつきは「エゴノキ」から勇気をもらい,リハビリを開始することを口に出します。

紗羅と大城の再会(第二場)

10年前から歳をとらなくなった紗羅はずっと4年生であり,学校に退屈しており,なんとか理由をつけて学校をサボろうとします。しかし,父親はそれを許しません。紗羅は和泉台小学校の4年3組に転入となります。当然,達也と同じクラスということになります。

しかし,紗羅は教室の入り口で同行してきた父親の足を払って逃げ出します。同じく遅刻で一時間目をさぼっていた達也と一緒のところに少女写真大好きの大城先生が現れます。大城は紗羅を見て驚愕の表情を浮かべます。

大城はマンションに戻り自分で撮りためた少女写真集をどかします。書棚の奥には一枚の写真があります。そこには紗羅が写っており,日付は7年前の1986年となっています。大城は「このたった一枚の写真から始まったんだ。私の少女の美への追及は!!この傑作を撮ったときから…」と独白します。大城は7年前と同じ紗羅に困惑します。

小西の想い(第三場)

和泉台小学校の花壇はみごとに手入れされています。花壇には内気な小西がおり,紗羅はそのすばらしさを褒めます。花はきれいに咲いていますがなんとなく寂しそうです。そこに達也がやって来て紗羅に声をかけます。

小西は動揺し,同時に花たちは色めき立ちます。小西と花を見比べ,紗羅は花たちが小西のこころに反応していることを知ります。小西は1,2年生のとき達也と同じクラスにおり,よく男の子にいじめられていました。そんなとき達也が助けてくれました。

花壇を荒らした男の子たちを追い払ってくれたとき,達也が特に「タマスダレ」の名前を聞きました。「タマスダレ」はさつきが好きな花なのですが,そのときの達也の笑顔が忘れられない小西はひそかに達也を想っていたのです。

しかし,今週いっぱいで小西は転校することになっており,その沈んだ気持ちが花たちにも伝わっていたようです。小西は「もう一度北崎くんの笑顔みたかったな…一緒にこの花を見たかったな…」と涙ぐみます。

紗羅はいじめられっ子で花だけが友達であった昔の自分を思い出します。夜中に紗羅は学校に行き,花壇の周辺の植物たちに「みんな協力して…あなたたちの生命力を少しだけタマスダレたちにわけてあげてほしいの…」と呼びかけます。

植物とこころを通わせているとき紗羅のこころは身体を抜け出し,実年齢の女性の像として描かれています。一部始終を達也が見ていたことに紗羅は気が付きます。3日後,達也は紗羅に連れられて小西のいる花壇にやってきます。

タマスダレは満開となっています。小西は「うれしい…北崎くんとこの花を見れて…転校の前に…北崎くんと一緒に…」とうれし涙を流します。彼女にとっては一生の思い出になることでしょう。紗羅は達也が3日前のことを学校側に話す気はないことを知ります。この時点で達也は紗羅の同志となることができたようです。

さつきの初恋(第八場)

もう歩くことはできないと医者に言われていたさつきはリハビリセンターに通い,順調に回復していきます。すでに歩行器は卒業して2本の杖で歩くことができるようになり,紗羅や達也を驚かせます。さつきは同じセンターに通っている和紀のがんばりを手本にリハビリに励んだようです。

二人の間にはある種の感情が芽生えているようで,シスコンの気がある達也にはそれが面白くありません。さつきは和紀の車いすを押して川べりの散歩に出かけます。歩けるようになって浮き浮きしているさつきは和紀の「ぼくのほうが訓練はじめて長いというのにね…なのに未だに立つこともできないんだぜ」という一言にショックを受けます。

気持ちが沈んださつきは祖母から聞かされた光る花の話をします。その花はこの川沿いに咲いており,その花を見た人はどんな願い事もかなうとされているそうです。さつきは「もしあったら…和紀くんに見せてあげたい…そしたら」とつぶやきます。

苦しいリハビリを重ねても立ち上がることのできない和紀はある日,「捜しにいこう…光る花」とさつきを誘います。二人は川の上流を目指す小さな冒険に出かけます。センターでは二人がいなくなったため大騒ぎとなります。

紗羅はずっとさつきを見守っている「エゴノキ」にこころを通わせ,木の感応力を通してさつきたちの居場所を確認します。その頃,二人は道に迷い,さつきはかなり疲れています。休憩中に川に近づいたたため,さつきと車いすの和紀は土手を滑り落ちます。川に落ちる直前で和紀はさつきの手をつかんで転落を阻止します。和紀が力つきる寸前に紗羅の父親に救出されます。

「エゴノキ」から光る花について教えられた紗羅は上流に行くことを提案します。目指す場所には確かに光る花がありました。それは蛍が花の中に入り込んだものでした。願い事をかなえてくれる光る花は和紀の新たな努力を引出し,ついに立つことができるようになりました。

紗羅と真樹の再会(第十一場)

教育実習のため桜井真樹が和泉台小学校にやってきます。彼は10年前に紗羅と接点がありました。木の上で小学校の雰囲気を懐かしんでいた真樹は「サラ」と呼ぶ達也の声に反応します。

職員室で4年3組を担当することになり,学級名簿で西九条紗羅の名前を見つけ,10年前の初恋の少女のことが脳裏をよぎります。クラスで出席をとると紗羅は休んでいることが分かります。放課後,真樹の足は自然とトレーラーハウスの方に向いてしまいます。そして,10年前と同じ少女に出会い,気を失います。

ハウス内のベッドで気が付くとなじみの紗羅の父親の顔があります。何もかも10年前と同じ光景です。花屋の仕事をしている紗羅を見ながら,真樹は「まるでここだけ時間が止まった空間のようだ…」と独白し,なぜかなつかしさに涙が溢れます。

ひょんなことから拓也も紗羅の能力について知っていることが分かり,真樹は「おれたちは同じなんだよ…仲間なんだよ」と握手を求めます。遠足の時に拓也は一計を案じて紗羅と真樹を連れ出し,二人だけの時間をもたせようとします。

三人は野原で寝そべり,真樹は夢うつつに紗羅の大人のこころを見ることになります。「どう,いい気分だった…先生」と話しかけられ,真樹はまぶしそうに紗羅を見ます。真樹にとっては10年後のまぶしい思い出となります。

真樹を駅まで見送った紗羅は「真樹くんのあたしへの気持ち,すごくうれしかった…」と告げます。紗羅は真樹のこと最初から分かっていたのです。紗羅は「風が…木々のかおりが…なつかしい人がくることを教えてくれた…」と拓也に語っています。

このように「BODY JACKER」編を除いてたいした事件もなく,紗羅を中心の登場人物や植物とのこころの交流が物語のテーマとなっています。少年ジャンプの読者にとってはさぞかしたいくつな話だったと考えます。

このような地味でもこころあたたまる話はジャンプの読者にとって理解不能領域にあったことでしょう。この作品は1年をもたずに終了となりました。私としては大人の心をもった少女の物語として集英社以外の場で続編を期待しています。


少年たちのいた夏

この短編集には1995年に少年ジャンプ誌上で発表された「蒼空の果て」,「少年たちのいた夏」,「American Dream」の三編が収録されています。いずれも太平洋戦争時もしくはその直前の物語となっています。

作者はデビュー当時から太平洋戦争時の話を描きたいと思っており,これらの短編で15年来の夢が形になったと語っています。北条氏は戦争を直接描くのではなく,戦争という個人ではどうにもならない時代において懸命に生きようとする人々を描いています。そして,そのような個人のレベルから国家が発動する戦争の残虐さ,愚かさを伝えているような気がします。

特に表題となっている「少年たちのいた夏」は太平洋戦争の末期,学童疎開学級を抜け出し東京に戻ろうとした4人の子どもたちと,捕虜収容所を脱走した米国人男性のこころ暖まる交流を描いた秀作です。

CITY HUNTER

北条氏の代表作です。少年ジャンプで6年に渡り連載されましたが,少年よりは大人を意識した内容であったたため,ジャンプの読者層と合わないため誌上ランキングは決して高くはありませんでした。ジャンプ編集部の混乱もあり,4週間前に打ち切りを通告されたそうです。

いくら商業誌とはいえ,作家を使い捨てにするような方針には賛成できません。私の中では作家を大事にしすぎるのは小学館,大事にしないのは集英社という分類ができているせいか,私の書棚には集英社の作品はとても少ない状態です。

物語は新宿を舞台に「スイーパー(sweeper)」を稼業とする冴羽とその相棒の槇村香が依頼者からの仕事を数話をかけて解決するハードボイルドとコメディをミックスした独特のスタイルとなっています。冴羽は仕事に関してはえり好みが激しく,美人の依頼か自分のこころが動かされるものしか引き受けません。その結果,節操のない「もっこり」が常態化しており,この部分はひんしゅくものです。

北条司短編集