私的漫画世界
古代日本史を舞台にした国盗物語
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藤原カムイ

作画を担当している藤原カムイ(1959年生)は高校卒業後に桑沢デザイン研究所で学び,1979年第18回手塚賞佳作でデビューしています。同期の受賞者には北条司,野部利雄がいます。

華麗さとすっきりさをあわせもつ絵はけっこう好きです。私の持っている「雷火」普及版のカバーデザインも素晴らしいですね。藤原さんはデザイン出身なので自らカバーデザインも手がけているのでしょう。

「カムイ」のペンネームは高校時代から使っていたそうです。カムイは神居などとも表現され,「神を意味するアイヌ語」とされていますが,必ずしも私たちの考えている絶対的な超越者を意味するものではありません。

近代以前のアイヌの人々の宗教観はアミニズムであり,生物・無生物を問わずすべてのもの,あるいは自然現象(地震,津波,疫病など)の中に「ラマッ」と呼ばれる精霊が宿っていると考えていました。

アイヌの人々は世界を人間の住むところ(アイヌモシリ)と精霊の住むところ(カムイモシリ)に分けて理解していました。アイヌモシリのラマッは何らかの役割をもってやって来ており,その役割を果たすと再びカムイモシリに戻ると考えていました。日本語の精霊に相当するアイヌの言葉は「ラマッ」ですから,カムイに相当する日本語は思い当たりません。

アイヌ語の「カムイ」は1964年から執筆が開始された白土三平の「カムイ伝」によりすっかり日本語の中に定着しました。1959年生まれの藤原さんはこの不思議な響きをもつ言葉に魅了されたのであろうと推測します。

雷火(らいか)の世界

雷火(らいか)はスコラの漫画雑誌月刊コミックバーガー(現:月刊コミックバーズ,幻冬舎刊)に1987年から1997年まで連載されました。物語の舞台は紀元三世紀頃,「倭国(なのくに,いこく)」の中心地「邪馬台国」となっています。

「邪馬台国」は中国の「魏志倭人伝」に記されていることから,日本側の文献がほとんど残されていないにもかかわらず存在していたことは日本古代史の定説となっています。ただし,魏志倭人伝に記されている国名は「邪馬壹国(やまいちこく,やまいっこく)」であることに注意しなければなりません。

この「邪馬壹国」が江戸時代の国学者により「邪馬薹国(やまたいこく)」と改定(改ざん)されています。これは,近畿の大和朝廷と「邪馬壹国」を関連付けるための文字操作であり,それにより「やまと」と「やまたい」は発音上の近縁性を論じることができるようになりました。

個人的には「邪馬壹国」が九州圏にあっても近畿圏にあっても,現在の天皇家と直接的なつながりがあっても,なくても何の問題もないと考えますが,現在の天皇家につながる当時の近畿天皇家にとっては,「邪馬壹国」は近畿天皇家の前身でなければならないという歴史的な事情があります。

この事情とは日本書紀では最初の天皇である「神武天皇」の即位年をもって日本国の創建としており,それ以前には日本列島を代表する勢力はなかったとしている点にあります。つまり,魏志倭人伝で「倭国」と呼ばれている国家あるいは国家の体裁をもった勢力は近畿天皇家そのものもしくは前身でなければならないのです。

7世紀から8世紀にかけて近畿天皇家により編纂された「日本書記」には神武天皇から始まる天皇家の系譜をたどるとともに,日本列島で最初で唯一の支配勢力であることを記しています。「日本書記」は3世紀(?)から8世紀にかけての近畿天皇家(大和朝廷)の正史であり,それぞれの時代の歴史的出来事を記しています。

そうすると3世紀に存在していた「倭国」,「邪馬壹国」は近畿天皇家の前身であり,「卑弥呼」や「壹与」は近畿天皇家の人物ということになります。ところが日本書紀にはそのような記述はいっさいありません。

3世紀に国を統治しており,三国時代の魏国に使節を遣わしていた女王の名前が出てこない正史などはありえないことです。現に日本書紀には神武天皇以来の天皇の名前はもらさず書き連ねてあるのです。このような矛盾に対して後世の研究者は例えば卑弥呼は神功皇后とするような苦しい作文をしてつじつまを合わせなければなりませんでした。

この近畿天皇家の一元主義から離れて,「日本書記」,「古事記」以外の国内の地方風土記,朝鮮,中国の歴史書を概観あるいは精査すると3世紀から8世紀にかけての日本列島の勢力地図が浮かび上がってきます。

上記のような考察は「よみがえる卑弥呼(古田武彦著)」に記されているものです。「邪馬台国」に関しては多くの書籍がありますが,私の読んだ中ではこの本がもっとも論理的,かつ中国,朝鮮の歴史書と整合性のあるもののように感じられました。

しかし,日本の学界では彼の論文はほとんど反論もなしに「無視」されています。現在の学界では日本列島における最初で唯一の支配勢力は近畿天皇家であるという呪縛に支配されています。古代史のように事実関係を解明することが難しい学問ではこのような呪縛による先入観は致命的なものとなります。

学問とは事実関係を整理して一つの結論を得るものにもかかわらず,古代日本史においては「近畿天皇家による一元支配」が結論として有り,それに合わせて古代の文献を(勝手読みして)つじつま合わせすることが主流となっています。

このような本末転倒のアプローチは決して学問とは呼べないものです。明治維新で確立された「万世一系」の天皇制の時代ならともかく,戦後の民主主義の時代になってもなお呪縛から自由になれない古代日本史研究からは決して古代日本の正しい姿は見えてきません。

「よみがえる卑弥呼」の中には日本国の起源に関して興味深い記述もあります。新羅・唐連合軍と百済・倭国連合軍が戦い,百済・倭国側が大敗した白村江の戦い(662年)の9年後の天智10年(671年)に新羅の歴史書には「倭国の廃止,日本国の創建」の通知を日本国より得て,そのことが記録されています。

日本書紀にはそのような記述はありません。倭国と日本国が同一権力者による国名の変更だけの出来事なら日本側の正史である日本書紀に記すことには何の不都合もないはずです。それどころか中国の歴史書にも記されている「倭国」が近畿天皇家の前身とする日本書紀の立場では国名の変更は最重要事項として特筆されるべき出来事です。

この記述の欠如は倭国と日本国の権力者が同一ではなかったことを如実に物語っています。つまり,倭国の権力者と近畿天皇家は(ある種のつながるはあったかもしれませんが)異なっているということです。

同時に倭国は7世紀まで日本列島を代表する勢力(九州朝廷)であり,近畿天皇家は7世紀にその権力を引き継いだ(奪取した)ということになります。その重要なポイントが「白村江の大敗」であり「倭国の廃止,日本国の創建」ということになります。

「雷火」の中では邪馬台国は20以上の国からなる連合国家という設定になっています。邪馬台国はすでに朝鮮や中国の王朝からは地域を代表する勢力として認知されており,後漢の創始者である光武帝の時代に朝貢使節を送っており,その時は「漢委奴國王」と記された金印を贈られています。

また,魏国(中国の三国時代の国)の時代には邪馬壹国は女王卑弥呼を中心に政治が行われ,知識・技術を取り入れるため魏国と交流しており,「魏志東夷伝」の一部にそれに関する記述があります。

この物語中では邪馬台国の位置については九州説を採用しています。中世から「邪馬台国」が日本列島のどこに位置していたかは多くの研究と議論の対象になってきました。しかし,朝鮮,中国(魏,西晋)の歴史書に多数記述されているのは「倭国」ですから,「邪馬台国」を探す前に「倭国」がどのあたりを勢力圏にしていたかを探した方が理にかなっているような気がします。

中国側の歴史書の記述をたどると「倭国」は海に面したあるいは海に近いところにあったと推定できます。また,中国や朝鮮半島と(戦争を含め)多くの交流があったことがうかがわれます。さらに,弥生時代の全漢式鏡の出土地域,絹の出土した墳墓の分布からして個人的には博多湾を中心とする九州北部に一つの勢力圏があったとするのが妥当だと考えます。

この地域に「倭国」の中心があったとすれば魏志倭人伝に記された「帯方郡(朝鮮半島北部)より女王の都する所,水行十日,陸行一月」の表現も朝鮮半島を陸路で縦断するのに1月,海路で九州北岸に至るまでに10日とすなおに読むことができます。

そもそもこの内容を魏国に報告した帯方郡塞曹掾史の「張政」は軍事的視点から報告しているのは明らかです。「帯方郡」からどのようにして,どの程度の日数で「倭国」に行けるかは軍事的には最重要な情報であり,彼の報告が距離をまちがえたり,方角をまちがえるなどいうことはあり得ないことなのです。魏志倭人伝の記述は日本書記のように恣意的に記されたものではないので額面通りに読むことが肝要です。

物語の舞台

物語と舞台となっているのは九州北部です。歴史的な時期を示す指標としては中国における魏国の滅亡(265年)が物語の中に含まれていますので3世紀後半ということになります。

現在の博多湾に面したあたりに女王卑弥呼の統治する「邪馬台国」があり,筑後川の南側にはヒメキコソの率いる「狗奴国」があります。物語の冒頭でライカたち漂流民の少年が神仙術を学んでいる老師の杣小屋は両国の中間点に位置する熊鬼山にあるという設定になっています。

邪馬台国は20以上の小国からなる連合国家であり,魏国から帯方郡塞曹掾史(朝鮮半島北部の帯方郡から派遣された外交官兼軍事顧問)の「張政」を迎えて先進の知識・技術を取り入れようとしています。

一方,狗奴国は単独国家でありヒメキコソの指導力,朝鮮半島から伝わった騎馬軍団や優秀な武器により邪馬台国に対抗する勢力となっています。両者の激突は時間の問題という時期が物語の舞台となります。

ただし,両者がどうして激突しなければならないのかは語られていません。邪馬台国が20以上の小国の連合国家であったことから分かるように,この時代の国とは現在の町程度の規模であり,国家(倭国)の統一などという概念はなく,地域勢力の征服と服従という関係があるだけです。

邪馬台国が連合国家となる前には「倭国大乱」というイベントがありました。これは小国同志が戦争を繰り返した状態と理解できます。そのような戦争で働き盛りの壮丁人口が減少することは小国にとっては大きな損失であり,無益な争いを停止するために卑弥呼を女王とした連合国家を作ったいきさつがあります。

仮に狗奴国が邪馬台国に加わっても狗奴国の主権が脅かされるようなことにはならなかったはずですから,なぜ両者が死ぬか生きるかの戦いをしなければならないのか設定に疑問があるわけです。

中国や朝鮮の文献に記された1-3世紀における倭国(なこく,いこく)の記述を整理すると次のようになります。240年に魏により帯方郡から派遣された使節の中に張政が含まれていたと推測します。

暦年 記述内容

57年
146-189年
178-184年
239年
240年
243年
248年頃
*
*
*
265年

倭奴国が金印を授与される(後漢書)
倭国大乱(後漢書)
卑弥呼が共立され倭を治め始める(梁書)
倭国が魏に使節を派遣,仮の金印と銅鏡100枚を与えられる
帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ詔書,印綬を奉じた
倭王は大夫の伊聲耆,掖邪狗ら8人を復遣使として魏に派遣
卑弥呼が死去し墓が作られた
男の王が立つが国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ
卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定した
壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせた
倭の遣使が重ねて入貢,邪馬台国からの最後の入貢

金属器の普及

物語の前半では真鍮製と鉄製の武器の性能について比較されています。世界の古代文明においては使用する主要な道具により石器時代,青銅器時代,鉄器時代に区分する三時期法が広く採用されています。道具の材料の技術革新は社会構造に大きな変化をもたらしますのでこの区分法は理にかなったものと考えられます。

青銅は金属器の中ではもっとも製造が容易ですが,それでも材料となる銅と錫が必要であり,さらに高度な火の利用と冶金術が必要となります。青銅器は(十分に生産できれば)石器や木製の道具に比べてずっと効率的な農具・生活用具に利用できます。また,殺傷力の高い武器にも使用できますので社会と国の力関係に大きな変化をもたらしました。

青銅器以上に道具や武器として優れた性質をもつ鉄器の普及も同様の革新的変化をもたらします。ただし,古代中国では錫の産生が少なかったため青銅器は祭祀のための用具や武器に使用されるのに留まっていました。

それに対して春秋時代の末期から戦国時代初期に西からもたらされた鉄の製造技術は中国社会に革新的な変化をもたらしました。この時期の溶鉱炉は塊鉄炉 (bloomery)と呼ばれており,レンガで周囲を囲み,木炭で予備過熱してから砕いた酸化鉄と木炭を一定割合で混合したものを上部から投入します。

内部は一種の不完全燃焼となるようにふいごにより空気量が調整されます。その結果,塊鉄炉の下部はに還元された鉄とスラッグ(ノロ ,鉄滓)が混合した多孔性の塊ができます。これは「塊鉄 (bloom) 」と呼ばれます。

塊鉄炉から取り出された灼熱状態の塊鉄は鉄が半溶融の個体,スラッグは溶融状態ですのでハンマーで打つと液体のスラッグが飛び出してきます。この工程を経て銑鉄が出来上がります。日本の「たたら製鉄」では加熱中に炉の一部に穴を開けてスラッグを流し出す工夫がしてあります。

このようにして生産された初期の鉄(銑鉄)は炭素含有量が高いため,硬いけれども衝撃にはもろいので武器には適さず,もっぱら農具に使用されました。このことが古代中国における農業革命,さらに商業革命をもたらしました。

中国では鉄の資源量が多かったので生産量は急速に拡大します。しかし,銑鉄を生産するためには大量の木炭が必要になります。1754年に英国で高炉にコークスを使用するようになるまで鉄の製造にはもっぱら木炭が使用されました。

相対的に効率の良い産業革命前の英国の高炉でも1トンの鉄を精錬するためには2トンもの木材が必要であったとされています。古代中国ではより大量の木材が必要であったと推測できます。

鉄の生産が増加するのに反比例して周辺の森林量は減少していきます。現在の華北や黄土地帯は緑の少ない地域となっていますが,かっては豊かな森林地帯であり,大型獣が棲息していたことが確認されています。

現代人はあたりまえのように大量の鉄を使用していますが,古代の鉄は森林と引き換えに得られる貴重品であり,かつ鉄器としての性能を向上させるため多くの苦労があったはずです。その結果として良質の鉄が生産できるようになると,武器は鉄製に置き換えられ,戦闘の規模も格段に大きくなります。

中国については1950年代の「大躍進運動」で鉄の生産量を飛躍的に増大させるために古代とさして変わらない原始的な溶鉱炉(土法炉)が全国の都市,農村で展開されました。建築資材(耐熱煉瓦),燃料,原材料のすべてが満足に供給されない中で生産目標だけが独り歩きすることになり,森林資源を大量に浪費して使い物にならない粗悪な銑鉄を生産する結果となりました。

話を日本に戻しますと,日本には渡来人とともに青銅器,鉄器がほぼ同時期にもたらされました。当初は金属を輸入する形態でしたが,1世紀,遅くとも3世紀には中国地方で製鉄が始まったとされています。古代日本は新石器時代から一気に鉄器時代に移行したと考えられています。

前半部と後半部の路線変更

物語の前半は邪馬台国をめぐる「国盗物語」であり,ライカと彼の仲間,狗奴国,張政とその配下の異能人が武闘を繰り広げます。国盗りのキーとなるのは卑弥呼の死後,新女王に即位した「壱与」ということになります。

ところが地下世界を中心とする後半部は「封禅の儀式」により張政が神にも等しい能力を得るというストーリーに路線変更しています。張政の当初からの目的が巫女を媒体とした「封禅の儀式」による神格化であるとすれば国盗りなどは些末なことであり,卑弥呼を言いくるめたり,操って儀式を行えば済むことです。

にもかかわらず,国盗りのため張政は卑弥呼を暗殺し,「封禅の儀式」で必要になるということで甦らせ,その力を借りるという無茶苦茶な展開となっています。このことにはかなりの違和感を感じます。

物語の前半部でも神仙術や張政配下の異能人の技は超常的なものですが,いちおう人間の物語の範疇に収まっていました。それが,後半部分は神と神の対決という次元の異なるものになってしまっています。

結果としてはライカが勝利するわけですが,神の力をもってしまったライカには人間の世界に暮らせるはずもありません。不老不死となったわが身を呪いながら,愛する人や仲間たちが年老いて死んでいくのを仙境から眺めているしかないのです。

そもそも「封禅の儀式」とは古代中国で帝王が行ったとされる儀式であり,天に対して感謝する「封」の儀式と地に感謝する「禅」の儀式の2つ構成されていると云われています。

この儀式は春秋時代からほとんど行われなくなり,中国を最初に統一した秦の始皇帝が泰山で行ったことが史記に記されています。このときは既に古い時代の儀式の知識は失われており,複数の人の知識を寄せ集めたものになったとされています。

つまるところ「封禅の儀式」は帝王が天と地に感謝するだけのものであり,天下の人々に帝王の威と正統性を知らしめるものであったようです。「雷火」ではそれが天と地の龍の力を体内に呼び込む儀式として描かれています。

しかも,儀式を成就するためには強力な巫女の助けを必要とするというのです。張政はそのために自分が暗殺した卑弥呼を甦らせ,その力を借りて儀式を行います。卑弥呼は地の龍を呼び出したところで力尽き,ライカは壱与(壹與)の力を借りて天の龍の力を取込み,両者による宇宙規模の戦いに発展します。

物語の展開としては張政を格別に神格化させる必要はなく,部下よりも一段強いボスキャラとして扱ってもまったく問題はなかったでしょう。そうすれば,全編を通して違和感なく,神仙術を中心とする人間の武闘物語として十分に楽しめると考えます。