私的漫画世界
さすがに85巻で収集はあきらめました
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花咲あきら,雁屋哲

1981年に商業誌でデビューし,1983年からはずっと「美味しんぼ」しか描いていませんので,漫画家人生のほとんどを「美味しんぼ」に費やしていることになります。

連載開始時の絵柄は劇画調でとてもラフなものであり,特に主人公の山岡士郎の造形はひどかったですね。参考として単行本第1巻のカバー絵を掲載してみますので比べてみて下さい。栗田ゆう子もまるで子どものような造形でした。

しかし,回を重ねるごとに絵柄も整理されてきて単行本の第7巻あたりでほぼ完成したようです。それにしてもこのままいくと花咲アキラは生涯ほとんど一作品の作家として終わってしまいそうです。wikipedia でチェックしても作品リストには「美味しんぼ」と「のぼうの城」しか出てきません。しかし,それもまた漫画家人生なのでしょう。

「雁屋哲」は「美味しんぼ」の原作者としてすっかり有名になりましたが,その10年前には「男組」で少年サンデーの看板作品となっています。それ以降も男の生き様を骨太のストーリーでなぞってきました。

この時代のイメージがすっかり染みついている私などは「美味しんぼ」という畑違いの作品に当初はかなり面くらいました。しかし,料理・食材・環境など多岐に渡る知識が網羅されており,原作者の知られざる一面が明らかになります。

タイトル 作画 発表年 掲載誌
男組池上遼一1974-79年少年サンデー
海商王かざま鋭二1975年少年マガジン
男大空池上遼一1980-82年少年サンデー
獅子たちの荒野由起賢二1983年漫画ゴラク
美味しんぼ花咲アキラ1983年-BCスピリッツ
ザ・テラー村野守美1985年週刊サンケイ

社会的な主張をもった漫画です

「美味しんぼ」は日本のグルメ漫画を代表する作品であり,1986年に第32回小学館漫画賞を受賞しています。究極のテーマは当然,美味の追及なのですが,それにととまらず日本の食文化や食材を生産する環境に関する様々な問題点をテーマとして取り上げています。

食文化・食の問題を通して日本社会の抱えるさまざまな問題を投影させることにより,「美味しんぼ」は他のグルメや料理を扱った漫画作品とは一線を画する作品となっています。

「美味しんぼ」では何が味を左右する決め手であるかをしっかりと描いており,さらに真正な料理には真正な食材が必要であることを語る一方で,料理は材料自慢,技術自慢になってはならないと諫めています。このような哲学が長寿作品を支える人気の秘密であると考えています。

食を題材にして多くの社会的問題を提起していること自体は評価することができます。漫画ではこのような地味な社会問題は人々の関心を引きませんのであまり取り上げることはありません。

ただし,作品の中で指摘されていることがすべて正しいかどうかは議論のあるところですし,内容と程度が正しいかどうかは読者が自分の頭で考え,判断しなければなりません。歴史認識のように国論が別れている案件に関して一つの側の考え方だけが正論のように記載されていますので,ネット上でも誹謗・中傷が集中しているサイトも見られます。

たとえば食材に含まれる化学物質について考えてみましょう。私たちは普段の食生活の中で食材の産地や加工方法,添加物などにいちいち注意を払っているわけではありませんし,スーパーマーケットの食材にそれほど問題があるわけではありません。

にもかかわらず,食の安全に関しては「美味しんぼ」に限らず「この物質が含まれているものはだめ」という表現が目立ちます。もちろんそのような物質がゼロであることは望ましいのですが,現実の世界では人工化学物質を全く含まない食材は存在しません。

放射性物質は自然界に広く存在しており,私たちは呼吸や飲食を通して微量の放射性物質を体内に取り込んでいます。内部被曝・外部被曝を合わせるとは日本人は1.5msv/年程度の放射線を自然界から受けています。

有害化学物質も同様に世界中に広く拡散しています。検出技術の進歩によりPCBやPOPs(残留性有機汚染物質)は世界中の土地や海洋で検出されています。POPs は生物体内の残量時間が長いため生態濃縮(生物の食物連鎖により有害物質が上位捕食者により多く蓄積される)が起こります。

最上位捕食者である人類は知らないうちに多くの化学物質を体内に取り込んでいます。現在では世界中に拡散した有害化学物質は自然界の一部のようになっています。化学物質と無縁の北極圏でも同様です。相対的に南半球は北半球に比べて程度は小さいということはできます。

現在使用されている農薬や食品添加物は生産性やコストを大きく犠牲にしなければゼロにすることはできません。重要なことは物質の毒性の性質(閾値の有無),毒性の程度(最小有害濃度作用)を確定し,安全性を担保した許容摂取量を定めることです。

許容摂取量の範囲では健康への悪影響は(十分に)小さく,公衆衛生は維持されるという考え方です。大半の有害化学物質は摂取許容量が規定されており,その範囲においては健康に影響しないことが社会的に認知されています。ところが,放射性物質のように新たな有害物質が放出されると,マスコミが大きく報道しますので不安が風評に結び付くわけです。

このように書くと私が化学物質容認者であるように感じられるかもしれませんが,個人的には快適で便利でモノの溢れる社会より安心と持続性のある社会がはるかに望ましいと考えています。そのためには,大量消費社会と訣別し,新しい社会的価値観を創造しなければなりませんが,人類は一度手にした大量消費社会を手放すのは不可能だと悟っています。

このように,私たちは有害物質の性質と同時にその毒性の程度を知らなければ議論のできない社会に生きています。私たちは個々の化学物質にただ×を付けるのでなく,その必要性と毒性を天秤にかけて判断しなければなりません。

もちろん,「美味しんぼ」の主張しているように,見た目や食感のために添加される物質はなくすべきだと考えます。しかし,一定の安全性が確保されるなら,より商品価値の高いものを購入するのが大量消費社会の消費性向なのです。

東西新聞社のグータラ社員が主人公です

物語の主人公は東西新聞社文化部に所属する山岡士郎であり,研修を終えた新入社員の栗田ゆう子が文化部に初出社するところから始まります。

お昼は部長命令で文化部員は料亭に集められ,三種類の水と三種類の豆腐が配られます。水は@水道の水,Aこの料亭の井戸の水,B丹沢の山奥の鉱泉水,豆腐は@スーパーの豆腐,A上野の有名豆腐店のもの,B京都の有名豆腐店のものとなっており,それぞれを判定せよというものです。

この難問に正解者が二人出ました。それが山岡と栗田ゆう子であり,二人は東西新聞社創立100周年の記念企画を担当することになります。そこに登場した東西新聞の大原大蔵社主は「究極のメニュー」作りについて説明します。

人類の文化は食の文化でもある。たとえば,ルイ14世の残した晩さん会のメニュー…,秀吉が聚楽第で催した大宴会のメニューなどはそれぞれの文化の粋を具現し,その豪儀さを物語るものだ。

現在,日本はあらゆる国の料理を輸入している。これほど多彩な食の文化をもつに至った国は日本が唯一,初めてである。そこで私は世界中のありとあらゆる美味・珍味の中からよりすぐった,後世に残す文化遺産としてのメニューを作ろうと考えた。人類のたどりついた究極のものとして最高のメニューを作るのじゃ!!


このときの大原社主は劇画調であり重厚な人物として描かれています。谷村部長はちょっとワルの雰囲気を漂わせており,山岡は服装・態度ともにひどい人物として描かれています。栗田ゆう子は社会人というよりは子どものような造形です。

「究極のメニュー」の担当者を決定する試験は難問でも@の水道水とスーパーの水の判定ができれば,残りは二者択一ですから確率的には4人に1人が合格することになります。これでは「鋭敏な味覚」の試験とはいえそうもありません。

そもそも「究極のメニュー」は食文化を語るものでなければなりませんので,味覚は必要条件であっても十分条件ではありません。ともあれ,水と豆腐の試験に合格したグータラ社員の山岡士郎と新入社員の栗田ゆう子が担当者となり,物語が始まります。

「美味しんぼ」は100巻を越える大作であり,私は85巻で収集をあきらめましたのでその範囲でお話しすることにします。この作品は連載の1回あるいは複数回で一話を形成しており,形式的には一話完結の体裁となっています。

レギュラーの登場人物はだいたい固定されていますが,一話ごとに新しいゲストあるいは過去に登場したゲストが出てきます。この形式が長期間の連載を可能にしているようです。日本の漫画で単行本が100冊を超えるものはいくつかありますが,その多くはこのような形式をとっています。下のデータは2011年上期のものです。

こちら葛飾区亀有公園前派出所 174巻
ドカベン(シリーズ)165巻
ゴルゴ13160巻
クッキングパパ113巻
弐十手物語110巻

海原雄山

「美味しんぼ」では山岡士郎の実の父親の海原雄山が非常に重要な役割を果たしています。折に触れて様々な哲学を語っており,ある意味では山岡以上に重要なキャラクターです。「美味しんぼ」が単なる美食の話に留まらず,社会的は広がりをもった物語に展開されていくのは一重に雄山のお陰であり,物語の屋台骨を背負っている人物です。

海原雄山は日本画家,陶芸家,書家として当代随一の名声をもつ芸術家であり,稀代の美食家として東京に「美食倶楽部」という会員制の超高級料亭を主宰しています。山岡は母親が食事のことで雄山から虐待されていたと考え,(おそらく母親の死をきっかけに)海原家を出て,母方の姓を名乗っています。家を出るとき山岡は雄山の絵画や陶器を残らずぶちこわしており,親子の確執は埋めようもない深さになっています。

登場した時の雄山はまさしく芸術の鬼,美食の鬼であり,大原社主に招待された「花やま」では料理を食卓からたたき落とし,「ここの料理人はダシの取り方も知らんのかっ!」と怒鳴り散らします。

「初山」が再建された祝いの席で東西新聞社の一行と顔を合わせたときは「亭主,今日の客の人選は何だ!食べ物の味も分からん豚や猿を私と一緒の席に着かせるのか!!」という暴言を吐きます。

どう考えても初期設定の雄山は人格者からはほど遠い存在でした。このままでは山岡が傲慢な雄山をひれふさせるというストーリーしかできない設定です。原作者もさすがにこれはまずいと考えたのでしょう。雄山は鬼のような厳しい一面をもつ筋の通った人格者に設定が変更されています。このキャラクターの設定変更により,海原雄山は偉大な敵役に昇格しています。

海原雄山が芸術と美食の世界で生涯をかけて「北王路魯山人」を越えようとしているように,山岡士郎は偉大な父を越えようとしているところに大人の物語が展開されています。

もちろん,「究極のメニュー」と「至高のメニュー」の直接対決が始まった時点では雄山は山岡よりはるかに先を行っており,山岡は多くの敗戦から一つずつ教訓を得て,雄山に近づいて行くことになります。

物語では山岡とゆう子の結婚,双子の誕生により少しずつ和解の道を歩み始めます。和解を進めるのはゆう子の役目ということになります。山岡もゆう子も物語の進行とともに人間的に成長していき,特にゆう子は雄山にものを言える数少ない人間となり,周囲の人たちと一緒になって二人の和解に努力します。

物語の類型化

それぞれの話は山岡やゆう子を中心に展開されますが,いくつかのパターンに類型化できます。

(1)ケンカ売り込み型(マッチ・ポンプ型)

初期の話はこのパターンが多いですね。典型的な話は「味で勝負」です。大原社主が日本の最高の食通とされるメンバーを集めて「究極のメニュー」について話します。当然,彼らはその意義について賛意を示すわけですが,話がフォアグラに及び,山岡に質問が向けられると騒動が発生します。

日本の食通とたてまつられている人間はこっけいだねえ!
外国人がうまいと言うからその尻馬に乗って有難がっているけど
有名ブランド商品を有難がるのと同じ・・・
中身じゃなくて名前を有難がってるだけじゃないの?

この発言は食通の人たちの強い反感を買うことになり,山岡はフォアグラよりうまいものを食べさすという約束をさせられます。谷村部長は「いいかげんにしないか」とたしなめますが,大原社主はさすがに大物ですから「いいから」と山岡を止めません。

対決は一週間後ということで山岡は茨城に向かい漁船を雇い,鮟鱇を捕獲しようとします。栗田も同行します。やっと捕獲できた鮟鱇を山岡が手早く吊るし切りにして肝臓を取り出します。これを酒で洗って蒸すと出来上がりです。

対決場では最高級のフォアグラとこのアンキモの対決となります。このような場合,味の優劣を決めるための審判が必要となりますが,大原社主,谷村部長,富井副部長があたります。

ゆう子は「美味しい」と感嘆の声を上げ,大原は「フォアグラにない鮮烈さがある,少しも生臭くなくて豊かな香りだ」,谷村は「食べ比べるとフォアグラは油くさくて味がべったりと濁っている」と発言し,勝負はつきました。

東西新聞社のメンバーは美食の王と謳われるフォア・グラがアンキモの前ではかすんでしまうことに衝撃を受けます。結果として大原は日本の食通の支援を断り,山岡とゆう子に「究極のメニュー」を託します。

このように山岡がケンカを売るパターンは初期作品の典型となっており,「寿司の心」では銀座一の銀五郎が,「平凡の非凡」では京極万太郎が,「野菜の鮮度」では板山社長が,「手間の価値」では横浜中華街の料理人が山岡にケンカを売られることになります。しかし,結果として山岡は相手と和解したり,料理人が料理の原点に立ち戻ることになり,全体としてめでたしめでたしの話しとなります。

(2)問題解決型(人助け型)

これは料理に関する問題で悩んでいる人を山岡が助けるパターンです。東西新聞の社員食堂のコックの大里はパリ留学を目指してジャン・ルピックの研修会に参加しています。彼は第一次審査はパスしますが第二次審査の課題で悩んでいます。

山岡は研修の前にルピックの自尊心を損ねていますので,大里が不利になるのではと心配し,合格するよう手を貸すことになります。山岡は懇意にしている牧場に行き,最高の牛の乳からバターと生クリームを作ってもらいます。

最終審査でルピックは大里のソースに驚かされます。ルピックはそれが山岡の助けによるものと見破りますが,「日本人もなかなかやるな」と大里を合格させます。

モツ煮込みで自尊心を傷つけられたルピックはくだんの店に通い生ハムを置いて帰ります。その生ハムを味わった山岡は「本当に肉の食い方については,日本はフランスに及びもつかないのさ」と独白し,「ジャン・ルピック氏に…」とグラスを傾けます。

このような料理の問題を解決して人助けをするパターンは初期からあり中期の基本的なパターンとなります。ゆう子の祖母は鳥の水炊きの記憶を再び味わって認知症が改善され,黒田社長のシマアジの刺身がおいしくないと言った従業員の息子は山岡により鮮度の違いを説明されて救われます。

ソバに負けない強い味のそばツユに悩む屋台のそば屋は山岡のはからいで雷門の「藪」の味を伝授されます。ドイツの豪華客船ラインのシェフである寺村は山岡にレストランの娘ザビーネとの仲をとりもってもらいます。この男女の仲をとりもつ,あるいは人間関係の確執をとく人助け型がしだいに増えて,(山岡の人間的な成長により)ケンカ売り込み型はしだいに減少していきます。

(3)衝突・対決型

対決型はほとんど山岡と海原雄山の衝突のパターンとなります。料亭初山で顔を合わせた山岡と雄山は最高の刺身で口論となり,山岡は最高の鯖の刺身を求めて葉山に行きます。

ところが今年は目的の鯖は不良でほとんど網にかからない状況で幻の鯖となっています。そのため,釣り船を出して目的の鯖のいそうな場所をねらいます。苦労の結果,ゆう子が一匹釣り上げます。

関係者が料理屋に呼ばれ「葉山の根つき鯖」が出されます。一同はその鮮烈で複雑かつ深みのある味に驚きます。初山の店主は「全てがぎりぎりの線なのですよ。これ以上香りが強かったら下品になる。これ以上,脂が強かったら下卑た味になる!」とその味を評価しました。

当然,雄山もその味を理解しますが,器に難癖をつけて店を出ます。後日,その料理屋には雄山作のみごとなまないた皿が届けられます。鯖の刺身の一件では山岡が一本とった形になりましたが,たいていの場合は山岡が雄山にたたきのめされることになります。

海原雄山の陶芸の師匠である人間国宝の唐山陶人の結婚式で,士郎は陶人から孫のような新婦の領子にご飯の炊き方とみそ汁の作り方を教えてやってくれと頼まれます。それを聞いた雄山は「この男にうまい飯がたけるのかね?」と発言し,口論になります。

陶人は二人にご飯とみそ汁を作ってもらい,自ら判定することにします。雄山は陶人の窯で働いている本村を代理に指名し15年前と同じもの作れと言います。士郎のご飯とみそ汁は陶人を十分に満足させますが,雄山のものを口にした一同はそのおいしさに驚愕します。

本村は米粒を選別し,味噌を山椒のすりこぎでつぶす配慮をしており,その差が大きな味のちがいとなって現れたのです。山岡は雄山から次のように激しく罵倒(叱責)されます。

美食を芸術の域まで高める条件は,それは唯一,人の心を感動させることだ。そして,人の心を感動させることの出来るのは,人の心だけなのだ。材料や技術だけでは駄目だっ!!それが分からぬ人間が究極のメニューなどとぬかしおって,おまえには味を語る資格はない。


この言葉は深く山岡のこころに沁みたようです。山岡は競馬を止め「究極のメニュー」に取り組む決意を固めたようです。物語の初期段階では雄山と士郎の差は大きく,その差は「究極のメニュー」と「至高のメニュー」の直接対決にまで持ち越されています。

(4)課題解決型

東西新聞がアフリカ飢饉救援募金キャンペーンを開始します。谷村部長がけちで有名な大日石油の成沢社長を訪問すると,成沢はおいしいものを食べさせてくれたら寄付をするとあからさまに催促します。大原社長が接待すると成沢は怒り出します。

今日の料理は金がかかっていますな。
私は少しもうれしくない!
あんた達,頭がどうかしているんじゃないのかね!
アフリカの飢饉を救うための募金をしているんだろう
だったら,今日の料理は金なんか遣わずに
その分アフリカに送ってやればいいじゃないか
私は天下のケチ平と呼ばれている男だ
金の有難味は骨の髄までしみて分かっているんだ
無駄金を遣うなんて死んでもイヤだ!!


これには大原も一本取られた形になりました。山岡は「あの人の言うことは筋が通ってますね,こっちの負けですね」と発言し,対応を考えることにします。山岡はホームレスの辰さんに成沢をデパートの試食品で接待することを考えつきます。

大原はそのアイディアを承認します。辰さんは見事に成沢を満足させ,成沢は1億円の小切手を大原に手渡します。

課題解決型は山岡本人あるいは東西新聞社が解決しなければならない問題に直面したときに,山岡が知恵をしぼるパターンです。

東西新聞の創立100周年の記念事業の一つとしてドイツオペラ団を招へいした時,主役のマリア・セレーネが日々元気をなくしていき,公演のキャンセルにまで発展しそうになります。山岡は彼女にはソウルフードが不足していることを見抜き,タコと彼女の出身地のオリーブオイルの食事で彼女の元気を回復させます。

物語はだいたいこのようなパターンの組み合わせで進んでいきます。もちろん,それぞれの話には料理や食べ物に関するうんちくがちりばめられており,読者は退屈することがありません。このあたりが,この作品の衰えない人気の秘密でしょう。

「究極のメニュー」VS「至高のメニュー」(第15巻)

発行部数で東西新聞と激しく争う帝都新聞が「至高のメニュー」の企画を発表します。企画の内容は「究極のメニュー」とほぼ同じであり,東西新聞側は企画を盗まれたと憤ります。しかも,「至高のメニュー」の総指揮を海原雄山がとるいうことですので山岡も驚愕します。

小泉編集局長は「帝都新聞は明らかに我々の企画を知っていながらそれを盗んだんだ。だが,紙面に表れるのは向こうが先だ。これも,おまえたち二人がなまけてグズグズしていたからだ!わが社の創立百周年の記念行事を台無しにしたんだっ!!」と激しくなじります。

谷村,山岡,ゆう子の三人は辞表を出すと言い出し,大原はそれを止めます。大原は三人に責任の取り方を指示します。担当者が辞めれば「究極のメニュー」は白紙に戻され,帝都新聞の「至高のメニュー」に名をなさしめることになります。これは,発行部数で競争を続けている東西新聞にとっては大きな痛手となります。

大原は新聞紙上で「至高のメニュー」と対決して勝つこと以外には途はないと語ります。三人は大原の提案に奮い立ちます。「ここでおめおめ引き下がれるか!」という大原の言で「究極のメニュー」と「至高のメニュー」の紙上対決が始まります。この頃までの大原社主は人情の機微をわきまえた大物ですね。

この紙上対決を聞きつけた「週刊タイム」が新聞発表と同時に週刊誌上で対決させるという企画を持ち込みます。具体的には両者に実際の料理を作ってもらい,それを審査員に食べてもらい優劣をつけようとということです。東西新聞社も帝都新聞社も後には引けない状況であり,こうして実際の料理対決が始まります。

第1回の「卵料理」では究極側の「トリュフソースのゆで卵」と至高側の「卵の黄身の味噌漬け」の対決となります。「トリュフソースのゆで卵」は審査員をして「これは前菜なんてものじゃない,主菜に値する」と言わしめます。

しかし,「卵の黄身の味噌漬け」を食べて一同は言葉を失います。判定は味の高貴さと鮮やかさでトリュフソースのゆで卵よりはるかに上だということになりました。雄山はおもむろにこの料理の説明を始めます。

秘密の一つは大豆から選んで作った二年物の味噌であり特別の品種の鶏を屋外の自然環境で穀物で健康的に飼育して生産した卵でした。雄山は料理の技法を云々する以前に,どれだけ本物の材料を求めることができるか…,それを極限まで追求し後世に残すことこそが「究極のメニュー」なり「至高のメニュー」なりを作る目的であるはずだと続けます。

この時点の雄山は人格者であり攻撃的な一面は影をひそめるようになります。「卵の黄身の味噌漬け」の説明は新聞社の関係者や審査員だけではなく山岡に直接語りかけているようです。このような敗北を積み重ねながら山岡は成長し,少しずつ雄山の高みに近づいていきます。