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これを読んで博多に行ってきました
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長谷川法世

福岡市博多区出身,福岡高等学校を卒業後に大学受験のため上京しますが,故郷に戻り漫画家を志します。1968年に「正午の教会へ」がCOMの月例新人賞を受賞します。その後1972年の「痴連」で本格的に漫画家としてデビューします。

代表作は「博多っ子純情」です。新大阪と博多を結ぶ山陽新幹線は1975年に全線開通し,博多の知名度は大幅に上がりましたが,それとほぼ同時期に始まった「博多っ子純情」により「博多」事情を知り,親しみを感じるようになった人も多いのでは推測します。

作者はまさに「博多っ子」であり,作品のほとんどは博多を舞台にしたものであり,博多祇園山笠にも毎年参加(土居流)しているそうです。

博多っ子純情

「博多っ子純情」は1976年から1983年まで「漫画アクション」に連載されました。タイトルの通りに博多を舞台にしており,作品中に描かれている博多の風物と博多弁の会話により「博多」を全国に知らしめた劇画となっており,1980年に第6回博多町人文化勲章を受章しています。また,第26回(昭和55年度)小学館漫画賞を受賞しています。

1970年代には「博多っ子純情(1976年-1983年)」「土佐の一本釣り(1975年-1986年)」など地域を舞台にしたいくつかの名作が発表されています。いずれも地域における人々の生活や祭りなどの民俗をていねいに描きながら,主人公たちの物語を進行ささせています。

ちょうど,地域の生活を背景にして,物語が浮かび上がってくるような仕掛けとなっています。この二つの作品はその路線の成功作品ということができます。読者は物語の背景になっている地域事情を理解しながら,物語を追っていくことができますので,二つの楽しみを味わうことができます。

「博多っ子純情」にしてもただの中学生や高校生の日常を描いても読者を引きつけるものにはならなかったでしょう。地域事情をていねいに説明することにより登場人物の輪郭がはっきりし,かつ主人公を理想化せず欠点と長所を併せ持った等身大の姿で描いたことも共感できるところです。

一話完結の形となっており,各話に使用されている博多弁が各話のサブタイトルとなっています。また,第1話という表現ではなく第1回という表現もちょっと新鮮でした。


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福岡市の中央を南から北に那珂川が流れ,博多湾に注いでいます。地名上は那珂川の西側が「福岡」,東側が「博多」となります。那珂川は河口の少し手前で長さ1km,幅200mの「中洲」を挟んで流れており,西側が那珂川,東側が博多川となっています。

「博多」は福岡市の一部なのですがとても古い歴史をもっており,平安時代には大宰府の外港として,室町から戦国時代にかけては中国,朝鮮,南蛮貿易により大いに繁栄していました。

ところが江戸時代になり,この地域(筑前国)に着封された黒田長政は父如水とともに那珂川の西側に福岡城を建造しました。福岡城址は現在の舞鶴公園となっており,西側の大濠公園とともに市民の憩いの場となっています。

福岡藩は福岡城の北側に城下町を整備し,武士が博多に居住することは禁止されました。こうして,福岡は武士の町,博多は町人の町として並存することになります。明治になり博多・福岡をまとめて1つの市・福岡市として市制が施行されて現在に至り,博多の地名は博多区として残されています。

私もこの漫画で「博多祇園山笠」のことを知り,職場の後輩の実家に遊びに行きました。そこは,櫛田神社のすぐそばで博多川に面した川端商店街でした。那珂川の向こうには中洲のネオンがきらめいています。

「中洲」は九州最大あるいは西日本最大の歓楽街とされており,約3,500軒の飲食店・風俗店などがひしめいています。博多川の東岸が川端商店街であり,そのすぐ東側には「櫛田神社」があります。

櫛田神社は古くから博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社であり,博多の人々からは「お櫛田さん」という愛称で呼ばれています。「博多っ子純情」の中にもこの表現がたびたび登場しています。

「山笠」の期間中(7月1日−15日)には約1800席の桟敷席が設けられ,熱狂に包まれる境内は8月に訪れたときは静かなたたずまいを見せており,奉納された背の高い飾り山笠が置かれていました。

かっての「博多祇園山笠」では高さ15mもの山笠を舁いていましたが,明治時代に電線の敷設のために実際に動く「舁き山笠」と展示用の「飾り山笠」に分化しました。

「飾り山笠」は櫛田神社に向いた面を「表」とし,その裏側を「見送り」と呼びます。それぞれ博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ,「表」には武者物,「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多いようです。

私は勇壮な「博多祇園山笠」を映像でしか見たことがありませんでしたので,「櫛田神社」と「飾り山笠」を見ることができてちょっとした感動を味わいました。

博多祇園山笠

「博多祇園山笠」とは福岡市の博多区で毎年7月1日から7月15日にかけて開催される700年以上の伝統のある祭です。正式には「櫛田神社祇園例大祭」であり,櫛田神社奉納される祇園祭のひとつです。ネット上では「wikipedia」と「博多祇園山笠公式ホームページ」に詳しく説明されています。

福岡市博多区のおもに博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)で7月に行われる。元来は,祇園祭のひとつであったが,氏子の町内が始めた付け祭りが発展する過程で山笠と呼ばれる山車が登場する様になったため神社の祭りも含めて「博多祇園山笠」と呼ばれるようになった。

参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマ」とも略称される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に日本の音風景100選に選ばれた。

地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちであるが山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり,地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。山笠を担いで市内を回ることを山笠を「舁く」(かく)と言い,担ぐ人のことを「舁き手」(かきて)という。

山笠期間中は行事参加者の間ではキュウリを食べることが御法度となる。一番根強い説としては「キュウリの切り口が櫛田神社の祇園宮の神紋と似ているから」というものがある。櫛田神社や京都・八坂神社など水天神系の神紋の図柄は木瓜(ボケ)の花である。また,「夏が旬のキュウリを断ってまで祭りに懸ける」という意気込みとの説もある。また,期間中の性交も御法度になる。

博多祇園山笠は女人禁制の祭りであり,旧来の流に於いては子供山笠も含めて舁き手は男性のみである。また女性は舁き手の詰め所に入れないしきたりとなっている。かつては舁き手の詰め所の入口に「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札が立てられる風習になっていた。この「不浄の者」は喪中の人と女性のことを指しているが,女性差別につながるとして2003年(平成15年)に立て札の設置は中止された。(wikipediaより引用)



「博多祇園山笠」の起源には諸説がある。櫛田神社の社伝によると,祭神の一つ祇園大神(素盞嗚命)を勧請したのが天慶四(941)年。すでに都(京都)では現在の祇園祭につながる御霊会が行われており,勧請間もなく始まったという説。また,文献的初見である「九州軍記」に基づいて永享四(1432)年起源説もある。

諸説がある中で博多祇園山笠振興会は一般に広く知られている聖一国師が仁治二(1241)年,疫病除去のため施餓鬼棚に乗って祈祷水(甘露水)をまいたのが始まりという説を取っている。当時は神仏混淆の時代。これが災厄除去の祇園信仰と結びついて山笠神事として発展したというのだ。この1241年を起源として,2011年の本年は丁度770回目の記念すべき開催となる。

時代は鎌倉,室町から戦国時代。博多の町は大陸貿易の基地として栄え,それが故に戦国大名,豪族の争奪の場となって焼け野が原と化した。その復興を命じたのが豊臣秀吉で,「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれる。その間,博多山笠も隆盛,衰退を繰り返したに違いない。

山笠は古くは高さ15m前後のものをゆっくりと舁いていたが,「櫛田社鑑」によると,貞享四(1687)年正月,竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町(土居流)の花嫁が,花婿ともども里帰りしたところ,土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため,竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。

この場は何とか収まったが,夏のお祭りの際,恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し,土居流も負けてはならじと走り,これが評判を呼び,「追い山」に発展したという。(博多祇園山笠公式ホームページより引用)



<曳き山の単位を「流れ」といいます,画像は「博多祇園山笠公式ホームページ」より引用しました>

複数の町内会がまとまった組織を「流(ながれ)」と呼び,その単位で「曳き山」や「追い山」に参加します。「曳き山」に参加しているのは上図の7つの「流」であり,「飾り山」は多額の費用がかかりますので商店街や企業の協賛で制作されます。

「博多っ子純情」では郷は「博多流」となっていますが,これは実在のものではありません。物語の中で特定の「流」名を出すことは他の「流」に対するえこひいきになるので作者は配慮したと考えられます。実際,主人公と他の「流」のメンバーのけんかの場面も出てきますので必要な配慮です。

「山笠」の日程は毎年7月1日から15日と決まっており,12日が「追い山ならし」,13日が「集団顔見せ」,15日の「追い山」が祭りのクライマックスとなります。

「追い山」は「山留め」から櫛田神社へ奉納(清道廻り)するまでの時間およびそこから5km先にある決勝点までの舁き回り時間を競います。櫛田神社への奉納は年ごとに順番が決められており,一番山笠は午前4時59分に山留めをスタートします。

「曳き山笠」の重さは約750kgあり,その上に3人の「台上がり」の男性が乗りますので総重量は1トン近くなります。6本の曳き棒に24人の曳き手がつき,「台上がり」の男性が曳き手に指示を出し,先頭の鼻取りが方向を制御し,後ろから後押しが押して「山笠」は走ります。総重量1トンの「山笠」が走るのですから,それは勇壮なものです。

「山留め」から櫛田神社の境内に立てられた「清道旗」を半廻りしたところでいったん停止し,一番山笠に限り舁き手を除く全員が鉢巻を外して「博多祝い唄(祝い目出度)」を斉唱します。これは一番山笠にのみ許された特権で唄うのは1番のみです。この停止時間を考慮して一番山は午前4時59分にスタートします。

このあと,一番山笠は5km先の決勝点の廻り止めを目指して再び走り出します。その後,二番山笠,三番山笠が順次走り出します。

エピソード|中学時代(第1-6巻)

物語は主人公の郷六平が中学2年の夏から始まります。彼は一人息子なのになぜか「六平」となっています。これは父親が「五郎」ですので,数字を一つ加えて命名したものと推測します。

夏は山笠の季節であり,まだ半人前の六平は山笠を曳かせてもらえずふてくされています。ところが,五郎が足をひねったため代理で追い山に参加することになりました。服装も正規の締め込みと地下足袋のいでたちです。しかし,途中で転倒してしまい,曳き手に踏まれてしまいます。立ち上がった六平は心配する隣りの青葉(六平の初恋の人)を払いのけ,水をかぶって山笠の後を追います。これで一人前の博多っ子が誕生します。

郷,黒木,阿佐の三人組は大の親友であり,集まると女性の生理や身体の仕組みについて話が及んでいます。放生会の夜に三人組はストリップ小屋に入りますがおどろおどろしいものを見たようです。

小屋に入るとき六平の友だち以上,GF未満の小柳類子に見つかり,ストリップの一件をちゃらにするため六平に頬にキスすることを要求されます。両方の頬にキスするところが,タイミング違いで唇に触れてしまい,類子は「赤ちゃんのできたら」といって泣き出します。

隣りの青葉は高校生で六平の兄貴分である穴見と相思相愛ですが双方の両親からきつく叱られ,駆け落ちします。それを二階の自室から目撃した六平は大きなショックを受けます。二人は鹿児島に居をかまえたようです。

秋の運動会では三年生から借り物競争に使用する猫を見つけてくるよう命令されます。猫を渡そうとしたとき,誰かが猫の尻にからし明太子を塗りつけたため会場は大混乱となります。

猫事件のため三年生に呼び出された六平は危ういところを一年生女子の芹井の証言により難を逃れます。芹井は六平を片思いしていおり,このときはとても不細工で太めに描かれていますが,2年になるとスマートになり,高校になるとずいぶんかわいらしくなっています。

修学旅行は九州一周でした。当然,大浴場のシーンが出てきます。男女の大浴場はベランダでつながっており,三人組は覗きに出かけます。しかし,誰かが足をすべらせ三人とも前に倒れます。覗きがバレて三人組は大目玉を食います。

さらに六平の親衛隊と称する三人組からコーラとウイスキーの差し入れがあり,一杯飲んだところで米倉先生に見つかります。そのとき,米倉先生はあこがれの朝倉先生とどんばらの会話を聞いてショックを受け,そのままウイスキー入りのコーラを飲み,本件に関してはおとがめはありませんでした。

鹿児島では旅館に青葉が訪ねてきます。類子がついてきて「郷君に好いて貰うとります,ばってん,うちは二番目やもん」と意味深の発言をします。類子の勘は鋭いですね。青葉の話では穴見は小さな漁船に乗り込んでいるとのことです。六平は父親と母親から預かった小遣いを青葉の両親からといって差し出します。

修学旅行から戻ったとき六平は両親へのお土産は買えませんでしたが,事情を知っている類子が焼酎とつげの櫛を六平に手渡します。類子はやきもち焼きが強いところがありますが,よくできたお嫁さんになりそうですね。

粘土でお互いに友だちの顔を造る図工の授業がありました。三人組は例によってくだらないことでおしゃべりしているところを先生に見つかり,「おしゃべりしながらいい作品が出来ると思って・・・」と叱られますが,六平の作品を見て先生は後の言葉を引っ込めます。未来の博多人形師の才能の片りんがうかがえます。

実はこの作品のモデルは穴見でした。帰宅すると隣家から青葉の取り乱す声が聞こえてきます。戻ってきた五郎から乗っていた漁船が沈み穴見が死亡したことを知らされます。六平は墓地の木に登り声を殺して泣きます。

三人組が買い物をしているすきに類子はバレンタインのチョコレートを六平のカバンの中に入れます。ところがそれに気付かないまま,六平はカバンをストーブの近くに置いてしまいます。類子の目論みは外れ,チョコレートは教科書を汚してしまいます。

類子が友人と喫茶店でしゃべったことが原因となって六平は浜五中の三人にけんかを売られ痛めつけられます。教室で六平は浜五中の生徒に六平のことをしゃべった女生徒を見つけたら真っ裸にして那珂川に放り込むと息まきます。

もっともこの一件は博多三中の番長・富田の知るところとなり福岡城址の決闘となります。双方合わせて100人の大乱闘が始まろうとしたとき,六平はモデルガンを空に向けて撃ち,注目を集め,震えながらも「博多祝い歌」を歌います。この歌は宴会などの〆の歌なので乱闘もお開きとなります。

卒業式があり六平たちは最上級生になります。帰宅すると博多屋の大将が来ており,五郎が注文を受けて制作した博多人形の原型が出来上がっています。六平が見せたミレーに影響されたのかなんとなくヨーロッパ人に見える親子三人の像です。博多人形に関しては目の肥えた大将が感心するほどの出来栄えです。二階に上がった一行は六平の造った穴見の像を見て「蛙の子は蛙」だと評価します。

六平と類子の関係に小さな転記が訪れます。六平は器械体操をしている新2年生の駒根千恵子に,類子は新3年生の芝刈正雄に想いを向けることになります。類子がそのことを六平に告白すると,六平は「実を言やあ俺もくさ・・・」と言ったため類子に浮気者と罵倒されます。

山笠の朝山が始まり中学三年生のクラスでは参加するのが当然という雰囲気ができています。去年の追い山に参加した六平は男子生徒に小声で「今年はみんな締め込みから毛がはみだすげな」と伝えたところ,阿佐が大きな声でそのことを口にして女子生徒の耳目を集めます。

男子に総スカンをくった阿佐は六平に「聞いちゃりい,毛のはみ出すとは男だけじゃなかげな」と駒根千恵子のレオタード姿の拡大白黒写真を取り出します。確かに黒い線が見え,六平は大きなショックを受けます。しかし,それは阿佐がネガに傷をつけて父親の暗室で現像したものと分かります。

三人組は彼女の写真を火葬にするため自転車で海に行きます。六平は「駒根千恵子かわいか〜〜ッ」と絶叫し全裸で海に飛び込みます。黒木と阿佐もそれにならい,三人はあらん限りの情熱を奈多の海に叩きつけます。日が傾くころ,三人は全裸で記念写真を撮ります。気が付くと潮が満ちて服が流されており,三人は夕暮れの街を全裸で自転車をこいで帰ります。青春の名場面ですね。

三人組は阿佐が惚れこんでいる芸者の「菊五郎」のマンションを訪問します。彼女の本名は藤竜子というようです。六平はドアに手を挟まれながらも対応に出た女性に懸命に阿佐の気持ちを伝えようとします。騒ぎを聞きつけて菊五郎が出てきて,彼女に阿佐の気持ちを伝えることができました。三人は菊五郎の名入りの手拭いをもらって意気揚々と引き上げます。

六平は母親から山笠事務所(テント)への届け物を六平に依頼されます。この当時,事務所には「不浄の者立ち入りべからず」という看板が立てられており,女性は事務所に入ることはできませんでした。さすがに,現在はこの看板は無くなりましたが,おそらくその習慣は残っていることでしょう。事務所に行った六平は五郎に「女はなして不浄ンね」とたずね,大人衆から「六平ちゃんもどうやら色気のでてきたごとしとるな」と冷やかされます。

追い山の前夜,六平と仁久島は日頃のいざこざの決着をつけようと公園で殴り合いのケンカになります。山笠の関係者が集まって衆目注視の中でケンカは続き,ついには流れ同志の名誉をかけた戦いになります。条津親分が登場してなんとか流れ同志の乱闘には至りませんでした。

このときのケンカの熱気が冷めやらぬうちに始まった追い山では遅いと言われた博多流は清道廻りが33秒となり,はじめて40秒を切ることができました。清道廻りに全力をふり絞った博多流はその後,よれよれになりながらも平均並みの40分で決勝点にたどりつきました。

類子が盲腸で入院している頃に六平は声変りをします。芝刈正雄と駒根千恵子は従妹同士で仲が良いことが分かったことにより,類子と六平の精神的浮気は実を結ばず,元のさやに収まります。類子の見舞いに行った六平はお互いの片思いが破たんしたことを口にして笑いあいます。

六平の五郎は博多人形師なのですがこのところ収入に結び付く仕事をこなしておらず,生活費をめぐって母親と口論になります。五郎はパチンコにでかけ,三人組も遊び納めということでパチンコ屋に繰り出します。そこで菊五郎姐さんと出会い,五郎と菊五郎さんが初めて顔を合わせます。五郎は菊五郎の美しさに芸術意欲が湧き上がってきたようです。

体育祭で六平は青組の応援団長になり,応援の方法について悩みは尽きません。合同練習で青組に芹井がおり,すっかり可愛らしくなっていることに驚きます。仁久島のヤジや芹井のこともあり,なかなかうまくいきません。帰り道で川岸の石段で三人組が座って仁久島との決着について話しているとき,土手の上では米倉先生が朝倉先生にプロポーズする場面に出くわします。朝倉先生はしどろもどろながら雰囲気は悪くないようです。

体育祭の当日,六平は徒競走で転倒して最下位となりますが,応援では学生服でひとしきり応援してから,黒田武士の服装に着替え,小さな山笠を繰り出して最高潮に達した時,仁久島たちが背後からもたれかかっていた大看板が破れてしまい,応援も最下位になってしまいます。もう彼とは決闘しかありません。

決闘の場所は聖福寺の史跡です。六平と仁久島との一対一の対決となります。しかし,仁久島は兄からケンカの特訓を受けてきており,六平は劣勢に立たされます。地面に這いつくばされたとき六平は穴見から教わった鉄拳一直線を思い出します。また,「ケンカは度胸ぞ,相手ばのむかのまれるかぞ」という言葉も思い出します。右手の拳を一直線に突き出すだけの単純なものですが,これで形勢は逆転します。仁久島の兄は六平にどうして鉄拳一直線を知っているかとたずねられ,穴見のことを口にします。仁久島の兄も穴見にあこがれており,六平が穴見の直系の子分であることを知り,仁久島兄弟と和解します。

六平の成績は下降しており,このままでは高校進学が難しいとまで言われます。類子に問い詰められ六平は自分なりに進路について考えるようになります。帰宅すると両親はおらず手持ち無沙汰に人形を彩色してみます。博多屋の大将と一緒に帰宅した両親は六平の作品を見つけます。五郎は博多人形の授賞式の帰りでした。五郎は遊びと修行の区別もつかんのかと怒ります。押入れでそれを聞いた六平は自分の未熟さを恥じます。

その反省の結果なのか六平は米倉先生に就職を相談します。米倉先生は六平の家を訪問し,六平の就職について切り出します。両親は六平が親にも相談しないでそのようなことを考えていたことに大いに怒り,六平は三人から集中攻撃で叱られ,ふてくされて類子の部屋に窓から入り避難します。

類子は六平が自分を頼ってきたことに喜び六平の頭を膝の上に乗せ,耳かきをしてあげます。二人はままごとのようにじゃれあい,六平の家では米倉先生の結婚をめぐって酒盛りが進みます。類子の部屋では両親がやってきため六平はあわてて窓から出て,家出はあっけなく終了します。

六平は隣の青葉に映画に誘われます。類子から六平の気持ちを知らされている青葉は結婚に先立ち,六平にそのことを伝えるためでした。六平は自分が子どもであることを痛感し,青葉の結婚を自分でもびっくりするくらい冷静に祝福することができました。青葉から「高校にいってちょうだい,私の分まで」と促され,素直に「うん」と答える六平でした。

卒業アルバムの写真を撮る日,六平は体育教員室の屋根にひかかったスーパーボールを取ろうと塀によじ登ったところをどんばらに見つかり,建物と塀の間のすき間に転落します。ようやく救出された六平は足を骨折し,卒業写真は欄外となりました。

骨折入院中の六平の病室を担当する看護婦さんが美人で,三人組はそのことで話がもちきりです。夜中に小便がしたくなった六平はベッドの下の尿瓶に手を伸ばしますが,わずかに届かず,無理な姿勢のためベッドから転落し,そのはずみでおもらしをしてしまいます。美人看護婦さんが当直でなくてよかったですね。

六平の病室に黒木と阿佐が菊五郎さんと連れ立って見舞いにやってきます。居合わせた六平の母親は彼女が夫の創る人形にどことなく似ていることを見抜きます。このところ六平のところには定期的に手紙が届きます。差出人の無い手紙はサクランボのイラストのある便箋に書かれており,「入院中も勉強を忘れないで」という一文で始まり,各科目の練習問題が記載されています。ずっと後になって,この手紙は類子のものだと判明します。

三人組は米倉先生のところに新年の挨拶に向かいます。そのとき米倉家には振り袖姿の朝倉先生が来ており,二人だけのところを三人組は窓から挨拶して驚かせます。玄関から入ると着物姿の女子生徒もやってきました。みんながいるところで三人組は二人の結婚についてたずねます。米倉先生は受け流そうとしますが,三人組から土手の上のプロポーズの一件をばらされて往生します。

年が明けてからも例の「サクランボ通信」は続いています。六平はいったい誰からのものかと妄想します。五郎は受賞を機に博多人形にますますのめり込んでいきます。六平が墓地で頭を冷やしていたところに五郎が井戸に人形を投げ込むのを目撃します。五郎は「試験勉強やらたいしたことなか,大変なとは社会に出てからたい,大人になったら毎日毎日が試験ぞ」となかなかの人生訓を垂れます。

六平は引き続き「さくらんぼ通信」で勉強と妄想を繰り返しています。そんなとき,五郎から菊五郎さんをモデルにしたいので頼んでくれと打ち明けられます。六平は阿佐と一緒に菊五郎を訪ね,モデルのことを話すと,彼女はあっさりと引き受けてくれました。モデルの件を聞いた五郎はこころここにあらずという反応を示し家族を心配させます。

五郎と六平は菊五郎の家を訪問し,五郎は筆を使用して菊五郎をデッサンしようとしますが,上がっているようでなかなか進みません。二日目で写生は終わり,その後は自宅で粘土の原型を造る作業となります。しかし,五郎は不眠不休で原型づくりに励みますが満足のいくものはできません。思い余って五郎は菊五郎に裸の写生を頼み込みます。六平は必死に止めますが菊五郎は出来上がった人形を誰にも見せないことを条件を承諾します。約束通り五郎は完成した人形の原型をこわし,デッサンも燃やしてしまいます。この経験により五郎の人形師の腕は一段上がったようです。

入試の一週間前,六平は阿佐と黒木と三郡を縦走して5時間で戻ってこれるかというかけをしてしまい出発します。六平は反対する親を終点の先に大宰府があるとして説得します。しかし,骨折上がりの六平にとって意外と大変であり,一度は雪の中につっぷしますが無事に大宰府にたどりつきます。ここは学問の神様・菅原道真が祀られているところです。そこで六平は木の枝に願を結び付けている類子を発見します。それは例のさくらんぼの便箋でした。

受験の朝,石堂高校のグランドで母校・香椎参道中の校歌を指揮している野枝由字穂を見かけます。六平が対抗して博多三中の校歌を歌ったことにより野枝は六平に好意をもちます。試験会場に入るとき,類子はそっと大宰府のお守りを手渡します。

受験休みに六平は博多から乗り物で2時間ほどかかる青葉が嫁いだ養鶏場を訪ねます。カバンの中には自分で作った穴見の像をしのばせています。青葉は元気に働いており,六平を歓迎してくれます。二人のいないときに六平は穴見の人形を青葉の子どもに見せ,「これがあんたのお父さんにんにんしゃんばい」と話します。六平は養鶏場の見える丘の上に穴見の像を埋め,青葉への想いを断ち切ります。

エピソード|高校時代(第6-19巻)

「博多っ子純情」では高校時代がもっとも充実した内容になっていますが,高校時代は中学時代の2倍の分量があります。中学校時代と同様にエピソードを紹介していくととてもとても長くなりますので割愛させていただきます。

高校時代の後は浪人時代→大学時代と続いていきますが面白さも高校時代がピークであり,高校時代まで読めばこの作品の良さは十分に堪能できるはずです。

高校に入ってからは芹井の妊娠騒動があり六平は窮地に立たされますが,この問題が決着してからラグビーの全国大会で花園にやってきたとき,芹井がスタンドで見ていることを知ったフィフティーンが円陣を組んで彼女にエールを送るところなどは名場面の一つです。このような目立ったものでなくても,しっかり読んでいくとけっこういい話がちりばめられています。

現在,読み返してみると主人公の学生生活のイベントや小さな事件を淡々と描かれており,派手さはまったくありませんし,絵柄も線画のように地味ですが,一方で夏になると必ず山笠に相当のページがさかれ,物語に彩りを添えています。密度のとても高い作品であり読破にはけっこうな時間がかかるにもかかわらず,高校卒業あたりまでは読み通さずにはいられない不思議な魅力をもっています。