私的漫画世界
人情ものを描かせるとすばらしい味を出してくれます
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ながやす巧と史村 翔

「平成の絵師」といえば池上遼一さんのことを指しますが,ながやす巧さんの絵もすばらしいものがあり,その技量,表現力は決して池上さんに劣ってはいないと考えます。池上さんの絵の持ち味はハードバイオレンスによく合ったものであり,ながやすさんの絵は人情ものあるいはヒューマンドラマととても良く合います。

どちらも原作物を手掛けていますので,物語がそれに合った絵を育てているようにも感じます。逆に二人とも自分の絵の特徴を熟知しており,それに合わせて原作を選択しているとも考えられます。

「ながやす巧」は「ちばてつや」とはちょうど10年若い団塊の世代であり,漫画家になろうとしたのは「ちばてつや」の漫画に深い感銘を受けてのこととされています。おそらく少年誌で読んだ作品と考えられますので,紫電改のタカ(1963-1965年),少年ジャイアンツ(1964-1966年),ハリスの旋風(1965-1967年)あたりが該当します。

上京して貸本劇画作家,アシスタントを経て1969年に商業誌デビューを果たしています。1973年に執筆開始した「愛と誠」は大ヒットし講談社漫画賞を受賞しています。しかし,私はこの作品にはながやすさんの持ち味は十分に発揮されておらず,その前年に発表された「牙走り」の方がずっとよい雰囲気をまとっているように感じます。

やはり,絵の雰囲気からして人情ものを描かすと思わずほろりとさせるような珠玉の作品に仕上げる画力が備わっています。その路線でもっとも個人的に好きな作品が「Dr.クマひげ」ということになります。

私の書棚には漫画本が2000冊,文庫本が1000冊ほどありますので時間的にも繰り返し読むことは困難ですが,「Dr.クマひげ」は折に触れて読み,人情ものの熱さに触れ,ときには涙腺をゆるくすることになります。1話完結のスタイルですのでちょっと読むにはとてもよい作品です。

原作者の史村 翔は「史村 翔」と「武論尊」という二つのペンネームを使い分けています。友人の本宮ひろ志に勧められて原作者になったという経緯があり,集英社の作品では「武論尊」,それ以外では「史村 翔」と使い分けていました。しかし,現在ではそのような境界はあいまいになっています。

集英社の作品ではハードバイオレンスものが多く,他社作品ではヒューマンドラマが多いようです。これは,編集部の意向が反映されていると考えます。私の書棚には彼の原作作品として「Dr.クマひげ」,「サンクチュアリ」,「アストロノーツ」などが並んでおり,どちらかというとヒューマンドラマがメインとなっています。

「サンクチュアリ(作画:池上遼一)」も池上氏独特の過激な性的描写(読者サービス?)を抑えたならば一段格上のヒューマンドラマになったものと残念に思っています。

医者の原点

現代ではほとんど死語となった「医は仁術」という言葉があります。国語辞典を引いてみると「医術は人を治療することによって仁徳を施す術である」となっています。

村上もとかの「仁 - JIN」は現代から江戸時代末期にタイムスリップした脳外科医が,現代医学の知識と江戸時代の乏しい医療器具や薬を活用して患者を治療する物語です。

主人公の名前が「南方仁」であることは「医は仁術」という言葉と無関係ではありません。医者の本来の使命は人々の生命を救うことであり,そこには「金儲け」という世俗の欲望が入り込む余地はありませんが,その気になれば医者ほど金になる商売は無いというのも事実です。

手塚治虫の「ブラックジャック」には命の代償として1000万円単位の手術費を要求する主人公が描かれています。ブラックジャックのような生き方の是非は読者により分かれることでしょうが,庶民としては「地獄の沙汰も金次第」よりは「医は仁術」であってもらいたいものです。

「医は仁術」をそのまま江戸時代に実践した小説には山本周五郎の「赤ひげ診療譚」があります。主人公の「赤ひげ」こと新出去定は腕の良い漢方医として幕府の資金や裕福な商家から多額の費用を請求することにより,小石川養生所を経営し,貧しい人々を無料で入院させ,治療しています。

彼の診療所に婚約者に裏切られ,傷心のまま長崎で西洋医学をおさめてきた若い医者の保本登がやってきます。その当時の風潮としては身に付けた学問(医術)は自分の財産であり,他人に知識を分けるということはあり得ませんでした。

しかし,「赤ひげ」は保本の知識を診療所の知識として活用しようとします。そのような非常識さに反発しながらも「赤ひげ」や同僚の医者としての姿勢に次第に感化されていきます。1年が経過し,保本はかっての婚約者の父親から目見医に推挙されます。

そのとき,保本はすでに医者の原点を小石川養生所に見出しており,推挙をお断りするとともに,かっての婚約者を許し,なにかと自分の世話を焼いてくれた彼女の妹・まさをと結婚することになります。これによりかっての婚約者の父親も面目を保つことになります。

小石川養生所での経験は保本に人間としての成長を促しており,彼はまさをに次のように自分の意志を伝えることになります。

幕府の目見医にあがるかたわら,この医術で名を上げて,やがては御番医から典薬頭(てんやくのかみ)にのぼるつもりつもりだった。しかし,いまの私にはそういう望みはない。

つづめて云えば,私は養生所に残るつもりなんだ。この考えは終生変わらずにいるかどうか,自分にもまだ確信はないが,いまは栄誉や富よりも,養生所に残る方が望ましい,これは新出先生とも相談しなければならないが,もし残るとすると,生活はかなり苦しくなるし,名声にも金にも縁が遠くなる。もちろんあなたにも貧乏に耐えてもらうことになるが,それでもいいかどうかよく考えてみて下さい。


この小説は映画化されており,三船敏郎と加山雄三が好演しています。馬齢を重ねるにしたがい,このような人情話にはめっぽう弱くなります。この作品も短編ですのでときどき書棚から取り出して読んでいます。

「Dr.クマひげ」は現代版の「赤ひげ診療譚」ということになります。主人公の国分徹郎は札幌のH医大の外科講座に席を置き,次の助教授を嘱望されていましたが,助教授レースを競っていた大親友の向井が末期がんに冒されていることを知り,(助教授のイスを向井に譲るため)大学を辞して新宿歌舞伎町に小さな診療所を構えます。

当初は住民に信頼されず,ほとんど患者が来ない状況でしたが,次第に人々から信頼される存在となり,「クマ」あるいは「クマ先生」と呼ばれ,新宿でもっとも頼りになる医者となっています。

国分が札幌で後輩にあたる都築三郎と出会った所から物語は始まります。物語は序章と最終章を含め全47話から構成されており,その中から私のお気に入りを紹介します。

私のお気に入り|序章・雪の終わりに

国分はH大学医学部を卒業しています。同期には向井と志保がおり,国分と向井は大親友であり,志保と助教授を争うライバルでもあります。二人の間には助教授レースの勝者が志保にプロポーズするという約束を交わしています。

医局に残り数年,助教授レースに決着がつきそうな頃,国分は向井のカバンからこぼれ落ちたレントゲン写真から,彼が手遅れの悪性癌であることを見抜き,助教授のポストを彼に譲るため大学を去り,新宿で開業します。それは物語の始まる2年前のことです。

その当時,学生であった都築は現在医局に在籍しており,いきつけのスナック・フラミンゴの従業員の美子深い仲になり,妊娠を告げられ動転します。彼は大病院を経営している医師の娘との縁談が進んでいるところだったのです。

酒の勢いでけんかになり,額をけがした都築を国分が簡単に手当てします。彼は美子のスナックのママと旧知の間柄であり,向井の容体を見るため札幌にやってきたのです。

国分は向井の手術を執刀しますが,すでに転移がひどくそのまま縫合するしかない状態です。志保は「あの人ね…今日までなにもしなかったのよ…キスさえも…,あなたから全部を奪いとるわけにはいかないって…」と国分に打ち明けます。

向井の真情を知った国分は向井を背負い薄野(すすきの)のフラミンゴに連れて行きます。二人は居合わせた都築の反対を押し切って乾杯します。都築がなおも止めようとすると国分は吠えます。

ヒヨッ子が えらそうなことをぬかすなーーーッ
医者に何ができる
エッ!死んでゆく人間に医者がなにをできるというんだァ!!
医者は人を生かす商売だと!! ジョーダンじゃねえ!
医者ってなァな 世の中で一番死んでいく人間を見る商売なんだ!
常に”死”をみなきゃいけない商売なんだ!
死んじまった人間を見る坊主の方が ずっとずっと楽なんだッ!
わかかるかッ!? エッ! ヒヨッ子にわかるかッ!?
いいかッ オレ達がやつらにやってやれるのはな
やってやれるのはたった一つ
人間として 人間としてつきあってやるしかねえんだ〜〜ッ


この国分の血を吐くような叫びが都築のこころを捕えます。人間として何が大事かということを悟った都築は美子と結婚し,その結果,(大病院の院長の怒りを買い)大学病院を去ることになり,国分診療所にやってきます。

このように本当に熱い話から物語は始まっており,医者ものでありながら人間はどう生きるべきかを繰り返し教えてくれる作品となっています。世の中には医者ものの作品はたくさんありますが,魂に響くような作品にはめったに出会えません。

私のお気に入り|第5話・女豹

亜矢子という少女が睡眠薬強盗を働いており,被害届も出ているようです。睡眠薬は服用量をまちがえると死亡事故にもつながりますし,薬物ショックを引き起こすこともあります。

国分は田宮に「どうしてあんなガキを放っておくんだ」と詰め寄ります。しかし,田宮から亜矢子が父親の借金を少しでも返済しようとあぶない橋を渡っていることを知らされます。

そんなとき,亜矢子から緊急の電話が入ります。睡眠薬を飲ませた男がショック状態になったというのです。亜矢子は「お願い…この人を助けて…死なせないで…」とすがりつきます。

国分の初動治療により,男性は回復します。そのあとは田宮の出番です。告訴ということになれば亜矢子は逮捕されることになります。田宮は男性に「分別のある中年が未成年者を買ってホテルへか…表ざたになったら大変だろうねぇ」とやんわり脅しにかかります。

男性が慌てたところで,「ま…しかし…これが自由恋愛っていうのなら話は別なんだが…」と助け舟というか誘導質問を行います。男性に「も,もちろん自由恋愛です」と言わせてから,「じゃ,訴えないんだね」と畳みかけます。男性は「も,もちろんです」と言わざるをえず一件落着となります。

病院から出たところで亜矢子の父親が迎えにきており,亜矢子は父親に抱きつきます。浪花節を地で行くような人情物語りです。

私のお気に入り|第7話・聖戦

都築の妻の美子が臨月となり,木村病院に通院しています。木村病院には交通事故で足が動かなくなった「雄二」という子どもが入院しています。事故の後の手術は成功しており,本人の努力により歩けるようになったはずですが,雄二は「自分の足はもう動かない」と思い込んでおり,リハビリをしようとはしません。

一方,国分は外で札幌からやってきた都築の母親と会い,おむつと産着を預かります。彼女の口から都築が自分を嫌っており,結婚式にも呼んでもらえなかったことを知らされます。

美子の陣痛が始まり木村病院に向かうとそこには当直の国分がいます。木村は国分に「一人,出産を見せたい患者がいるんだけど・・・いいかな」了解を求めます。見学させたい患者とは雄二です。カーテンを開けるとマジックミラーになっており,分娩室の様子を見ることができます。

美子はもう10時間以上も陣痛に耐えています。雄二は痛みに耐える美子の様子を真剣なまなざしで見ています。分娩が近くなると痛みはますます強くなり,雄二は思わず車いすから立ち上がり,「おばちゃん 頑張れ〜〜ッ」と叫びます。

男の子が元気な産声を上げ,都築は「よく頑張ったね,ありがとう」とねぎらいの言葉をかけます。雄二は自分が立てることを知ります。都築は出産の苦しみと苦労を知り,母親に息子の誕生とオムツのお礼の電話をします。

自分はもう歩けないんだと諦めている子どもがあるきっかけで歩けるようになる話はいくつかの作品で取り上げられていますが,出産と結びつけたのはユニークな発想です。また,出産の苦労を通して母親と息子の和解を促す話もちょっと泣かせますね。

私のお気に入り|第14話・蝮の恋

蝮とは田宮刑事のことです。女好きの田宮がクラブ・外山の真理とデートして5分で急用ができたと帰ります。外山で文句を言う真理にママが2月17日は田宮の奥さんの命日であると教えます。

田宮は国分診療所を手伝っていた村井弘美に一目惚れします。田宮に「惚れた」と迫られた国分は「彼女は既婚者で夫とは死別し健太という息子と暮らしている」と事情を説明します。田宮は気を落としますが,すぐに「子どものことは気にならない,自分と彼女の間には赤い糸が見える」と立ち直り,国分は弘美に田宮の一途な気持ちを伝えます。

弘美は田宮とホテルに行き,自分の裸をさらします。彼女は子宮と卵巣の片方を摘出する手術を受けており,子どもの産めない身体あることを明かします。ショックを受けた田宮ですが「子どもはもういる!健太って子がいるじゃねえかッ!!」と言って弘美を抱きしめます。

彼のプロポーズを弘美は泣きながら受け入れます。しかし,結婚を前に弘美は連続放火魔により殺害されます。田宮は健太を引き取り,実家に預けて養育しています。子どもの産めなくなった弘美の連れ子を自分の子として育てる決意をした田宮の一途な恋は「おとこだねぇ」と感服します。

私のお気に入り|第18話・青空高く

子どもの節句が近い頃,国分と田宮は南関東刑務所に赴きます。その日はA男の出所日です。A男と妻の時枝はおたがいに身寄りがなく,その二人に待望の子どもが出来たと知り抱き合って喜びます。

そんなとき,飲んで帰宅するA男はバイクで逃走するコンビニ強盗を止めようと道路上で両手を広げます。バイクは速度を上げたので彼は持っていた折詰を投げつけます。バイクは電柱に激突し,15歳の少年が死亡します。

A男はこの件で3年ほど入所しています。しかし,結果はともあれ強盗を制止しようという行為に対してどのような罪状が適用されるのかは不明です。社会の一般常識からすると殺人はおろか業務上過失致死の適用も無理な状況です。

ともあれ,彼は裁判の被告人となり有罪となります。面会に来た時枝に彼は生まれてくる子どもが殺人犯の子どもという負い目を背負うことになると国分に離婚を頼みます。

それでも彼は「もしオレを待っているのだったら,部屋のベランダに鯉のぼりを出しておいてくれ」という手紙を出しました。集合住宅のベランダには鯉のぼりは出ていませんが,小さな鯉のぼりを持った子どもが寄ってきて,鯉のぼりを手渡します。そこには「お父さん お帰りなさい」と書かれています。

子どもを抱き上げたA男が振り向くと時枝が涙ぐみながら立っています。国分は離婚届を出すというウソの約束をしたのです。国分に言わせると医者のウソは方便というのだそうです。再生する家族を扱ったこの話も泣かせます。ところで,この話のゲストの名前は一度も出てきません。文章にするとき主語が無いと困りますので「A男」で表示しています。

私のお気に入り|第22話・梅雨明け

秋本が奥さんのような女性に付き添われて国分診療所にやってきました。毎年,冬の寒い時期と梅雨時は必ず膝が痛むと言ってやってきます。秋本の膝には古い傷跡があり,国分は心因性のものと診断します。そのとき入ってきた久美が「秋田の山間部じゃ集中豪雨で相当の被害が出ているそうよ」と言うと秋本は「あ,秋田」と声を上げます。

田宮は署で補導された二人の子どもが質問を受けているのを見て間に入ります。荷物の中から出てきた写真を見て,田宮は「これは達三さんじゃねえか」とつぶやくと,それまで何も話さなかった男の子が「知ってるのッ,オレたちの父ちゃん 知ってるのッ!?」と口を開きます。

田宮は国分に秋本は蒸発した人間であることを知らせます。秋本は毎年,出稼ぎに来て時子といい仲になりそのまま田舎には戻らなかったようです。国分は正面から時子に秋本の事情を説明します。

「それで・・・私にどうしろと・・・」と聞かれ,国分は「医者が治せる話じゃないんだ・・・」と言い添えます。時子は「冗談じゃないわ!」といきり立ち,誰が連れ戻しに来てるのさッ!?」と戸を開けると秋本が二人の子どもと対面しています。

秋本は二人を抱きしめ,泣き出した二人に「許してくれ」と言います。時子はこの光景を見て,秋本を諦めることにします。秋本は農作業が忙しくなる時期になると田舎を思い出し,それが膝の痛みとなるようです。「子どもに勝てるわけないじゃない」と涙でつぶやく時子が印象的です。

私のお気に入り|第28話・熊手

年も押し迫った頃,国分診療所にフィリピン人のシンディがやって来て,今までの診察代の残りを全部払いに来ました。彼女はいよいよ国に帰ることにしたのです。シンディと恋人ののマノワは二人で出稼ぎに来ています。

マノワが病気になったとき,どこの病院でも見てもらえず,国分が診察した時は肺炎の手前という状態でした。帰国が決まったのでそのときの診察代を清算に来たわけです。

二人が大酉祭の参道を歩いているとき刃物を持った男が二人の方に逃げてきて,はずみでシンディが刺されます。田宮から事情を聞いた国分は木村病院に担ぎ込みます。

国分が手術をすると言うと,検査した医師たちは傷は深く出血も多く,体が手術に耐えられないので成功する可能性はほとんどゼロに等しいですと止めます。国分は「誰が決めた!? 誰が手遅れだと決めたんだ・・・,いいかッ! 彼女はまだ生きているッ! 生きているかぎり可能性は百パーセントあるんだッ!!」と医師たちを叱りとばし,緊急手術を始めます。

手術中に心拍数が低下し,血圧も下がり危険な状態となります。それでも,手術は成功しマノワは血だらけの手袋したままの国分の手を握りしめて感謝します。

所得が低く国民の多くが英語を理解するフィリピンはアジアの出稼ぎ大国です。国民の10%にあたる800万人が海外で居住あるいは働き,毎年200億ドルを超える外貨をもたらしています。

この金額はGDPの10%に達しています。フィリピンの貿易収支は150億ドルの赤字ですので,この国は出稼ぎ者のもたらす外貨なしには成立しえない状況です。しかし,多くのフィリピン人が海外で不当な扱いを受けており,日本でも多くの人権問題が発生しています。

金持ちの国が貧しい国の人から搾取する構造はグローバル経済の大きな問題点の一つです。私たちは相手が日本人であろう外国人であろうと,弱い立場に置かれた人に手を差し伸べる行動が求められています。

私のお気に入り|第35話・遠吠え

国分のアパートに越してきた売れっ子童話作家の栗岡多美子はスランプに悩んでいます。ときおり,上の階から大きな叫び声と物音がするからです。また,体調もなんとなくすぐれません。

今夜も新作の原稿を取りに来た編集者を前にまったく書くことができずにいます。そんなとき,上の階の物音が始まり,多美子は国分の部屋に怒鳴り込んできます。そのとき,多美子が腰を抱えて苦しみ出します。

国分がたずねると「このところ,オソッコが出なくて・・・」と答えます。国分はすぐに救急車を手配させ木村病院に搬送します。国分の危惧した通り急性腎臓炎であり,高カリウム血症となっています。血液中のカリウムの濃度が異常に高くなると人体に重篤な悪影響を及ぼします。多美子はすぐに血液透析を受けます。

栗岡多美子は若手でもっとも注目されている童話作家であり,都築もその名を知っています。国分は「その本を大事にしておいた方がいいぞ」と伝えます。

入院中の多美子は木村に国分がどうして週に一度くらい大声でわめくのかたずねます。「ああ,それ・・・きっとあいつの患者さんが亡くなったときでしょう」,「医者っていうのはね,当たり前の話でしょうが,患者を救えなかった時が一番辛いんですよ」,「ふつうは酒を飲んで紛らすんですけどね・・・あいつは酒だけじゃ駄目なんですよ・・・そういう男なんですよ,あいつは・・・」という木村の答えを多美子は驚きと沈痛な表情で聞いています。

木村と国分は退院と執筆の許可を出します。両親と一緒にタクシーに乗り込んだ多美子は「フッ・・・嘘の下手な先生! すぐ入りすぎる人だから・・・でも,書くからね・・・私…書くからね…死ぬまでこの原稿用紙に・・・」と涙ぐみます。彼女の訃報が届いたのはそれから2ヶ月後のことでした。しかし,彼女は自分の作品の中でも最高傑作を書き上げていました。「くまのおいしゃさん」という題名の話は次のような書き出しとなっています。

くまのおいしゃさんは
かんじゃさんがなくなったとき ほえるのです
そして おおきい かなしいこえは
ジャングルのなかに きえていくのです
・・・・・・


この話はこの作品の中でもっとも泣かせてくれます。読むたびに条件反射のように涙が出てくるのです。ネット上の数少ない書評でも,この話で泣いたという方は複数おり,人間の感情は同じようなものなのだと妙に納得しています。

私のお気に入り|第38話・六月の花嫁

木村病院の重要なスタッフの里子は角膜の移植手術を受け,今日が包帯のとれる日です。明かりを落とした病室で包帯がとられます。里子がおそるおそる目をあけるとまばゆい色の世界が飛び込んできます。生まれて初めて見た世界は彼女の想像をはるかに超えたものだったようです。

病室のドアが開き彼女の恋人の遠山が入ってきて結婚式場のパンフレットを手渡します。里子は「えも,お母さんが・・・あなたのお母さんが」と驚きます。遠山の母親は眼の見えない里子との結婚に強く反対していたからです。

遠山は「いいんだ…お袋のことはもういいんだ! お袋が反対していたのは君の目のことだろう・・・だったらもう反対する理由がないじゃないか」と説明します。里子の目から喜びの涙が溢れます。

里子は自分に角膜を提供してくれた人に,せめて遺族の方にどうしてもお礼が言いたいと伝えます。担当の坪中医師は「その件は国分先生に相談するといい」と答えます。

遠山の母親は里子との結婚に大反対し,聞くに堪えないような言葉でののしり,雨の中に彼女を叩き出したことがあります。その母親は癌になり,自宅ではどうにもならなくなって木村病院に入院します。

そこで,痛みを緩和するためのマッサージを受けます。これは事情を知っている国分が仕組んだことです。前の患者との会話で里子は「一番好きになって欲しい人に反対されたのであきらめたんです」と語ります。この話を聞いて遠山の母親は動揺します。

里子のこころを知った母親は,「自分の角膜を里子さんにあげて下さい」と遺言します。里子は遠山と国分に付き添われて遺影の人物と対面します。そして,それが遠山の母親だと聞いて驚きます。

遠山は母親のマッサージの件,遺言の件について説明し,最後に「里ちゃんが幸せになるように」と言い残し,息を引き取ったと話します。里子は遺影を抱きしめながら「なります…きっと…きっと! お母さんの分まで幸せに・・・」と言葉にします。国分は「なれるさ・・・六月の花嫁だ!」とこころの中でつぶやきます。

私のお気に入り|第40話・奇跡

救急隊員の井川は大の上高地好きであり,休暇の大半を上高地に費やしています。夏の上高地で井川は落合成美と知り合います。ホテルの想い出の写真の中で「熊先生」が二人の共通の知人であることが分かります。

成美の父親は木村病院に入院した時,国分と知り合い是非嫁にと考えているようです。今日も国分診療所にやってきて「是非,娘と付き合ってくれ」と談判をしています。そこに,井川が上高地でガールフレンドを見つけてきたことを田宮が報告に来ます。落合は田宮の胸ぐらをつかまえて「本当か それ? オレはそんなこと聞いていないぞ」と驚きます。

二人のデートの後をつけた落合は,路上で苦しんでいる浮浪者を井川が助け起こし,救急車を呼んでもらいます。そのとき,浮浪者が喀血し,井川は血を浴びます。この光景を見て落合は「さすがにオレの娘だ」と,二人の交際を認めます。

国分診療所に交際OKの報告に来た井川は吐き気のためうずくまります。国分はいやな予感を感じ,木村病院に入院させます。検査の結果,B型の劇症肝炎であることが分かりました。浮浪者がB型肝炎にかかっており,その血液を介してウイルスに感染したものです。

劇症肝炎は日本では年間数百人程度が発症し,致死率の高い病気です。国分はB型劇症肝炎と聞き「何故だ」と机をたたきます。集中治療室での治療にもかかわらず,井川は肝性昏睡の手前の意識障害が現れます。

井川は昏睡状態になる前にもう一度上高地を見せてもらいたいと国分に頼みます。国分は工務店を経営している落合と美術大の学生の成美に上高地のセットを作ってもらいます。「ほら,着いたぞ・・・目をあけるんだ,井川」の声に国分におぶさった井川は意識を取戻し,「成美ちゃんと二人でもう一度ここに立つんだ」という国分の声に井川は涙を流します。

この,セットが奇跡を呼び,井川は一命をとりとめます。病気を治すためには患者自身の治癒力が重要な要素になり,国分の精神的な励ましが奇跡を呼ぶことになりました。現実の世界ではなかなかこのような奇跡は起きませんが,奇跡を呼び起こす努力は感動に値します。

私のお気に入り|第43話・初心

木村病院で手術を終えた国分のところに木村があわてて呼びに来ます。かって,この病院に勤務していた西医師が久しぶりに訪ねて来たのです。国分と西は互いに「元気そうだな」とがっちり握手を交わします。

西は4年前に木村病院を辞めています。彼の父親はずっと僻地の医者をやっており,その父親が死んだため,その村は「無医村」になってしまいます。「オレにとっちゃ戻るべきところに戻るってことなんだ」と都会育ちの妻・美加と乳飲み子を連れて赴任します。彼女は夫の決断に当惑しているようです。

クラブ・外山で飲みながら西は都会の生活と山村の生活の差異は大きく,冬には2mもの積雪に難儀しと話し出します。急患が出ると夜中でも雪をかきわけて行かねばならず,男の西でも逃げ出そうと思うくらい大変な生活でした。一冬が過ぎて美加はノイローゼ状態になってしまいました。

彼女は「もう限界・・・」と口にします。そんなとき,一人息子がタンスの中の防虫剤を飲み込んでしまいます。町の総合病院で胃洗浄をしてもらい大事には至りませんでしたが,この一件で西は「お前たちは戻っていいぞ・・・」と話します。

村の病院に戻る道すがら,大勢の村人が出迎え「先生…ほんとうに良かっただな」「うーんと心配しただよ」「よかった よかった」と口々に声にします。ここまで村人に慕われるのは医者冥利につきます。そのあと,美加は「もう少し がんばってみる」と自分から言い出します。

少し遅れて外山に美加が到着します。彼女を見て国分と木村は「エッ」と声を上げます。西が「いまじゃ すっかり 田舎のオッカサンよッ!」と紹介します。西夫妻と別れた後,歩道橋から高層ビルの夜景を眺めながら二人は「まいったなァ・・・」と語り合います。

私のお気に入り|移植(後編)+最終章・永遠に

西の医者としての原点が山村にあるように,国分の原点は臓器移植にあります。最先端の臓器移植を学ぶために国分は米国に行くことを決意します。田宮にも久美にも止められません。

国分診療所を閉鎖するにあたり,国分は都築をH医大に戻すよう手配します。主任教授も賛成してくれました。街の人たちは国分の決断に驚き,悲しみます。診療所の入っているビルのオーナー高木は「夫の遺言でここは永久に先生に貸すことになっていたのに・・・」と残念がります。

田宮は「仕方がないス・・・やつの医者としての原点なんです・・・オレ達には送ってやることしか・・・」とうつむきながら段ボールを組み立ててカンパ箱を作り,最初に金を入れます。

国分は木村病院で歩けないことから登校拒否となった和義の歩行訓練に付き合っています。木村は「そうか」と眼を落とします。スカート事件の被害者であった山下看護婦はコックの見習いをしている金山とできており,彼に国分の米国行きを話します。

金山は「冗談じゃねえッ!!」と声を張り上げます。しかし,「誰にも止められないの・・・今・・・みんなカンパをしている・・・みんなで気持ちよく送り出そうと・・・」と言われ,財布ごと差し出します。

金山がアパートに戻ると入り口に和義がしゃがんでいます。「にいちゃん・・・ボク歩けなくなっちゃう 熊先生がいなくなったら歩けなくなる・・・ボク 学校にいけない・・・」と泣き出します。和義を抱きしめながら金山は決心します。

カンパ会場となった国分診療所の前に車いすの和義と一緒にやってきた金山は「ふっざけんじゃねえよ!!」と大声を張り上げます。「何が医学の最先端だよッ」「なにが勉強だよ」「それじゃ何か! この街には医者はいらねえっていうのかよ!」「なにが臓器だよ 見ろよ和義を! 先生は移植しているじゃねえか! 臓器じゃなくたってべつのものを・・・」「オレ達に移植しているじゃねえか! そうだろう!?」と詰め寄ります。

集まった人たちはうなだれ,意を決したように高木は「私 返していただきます」とカンパ箱からお金を取り出します。田宮はニヤッとしてカンパ箱を国分から奪い取り,「オレもだ」と金を取りだし,「他には 国分をアメリカに行かせたくないやつは〜〜ッ」とやりましたから,カンパ箱はあっというまに空になります。

「どうする国分」と田宮に言われ,「フッ・・・行きたくても金が無いじゃないか・・・とりあえず ここで稼ぐしかねえじゃないか」ということになります。国分の復帰パーティには都築もかけつけて「ボクの復帰も祝ってもらえませんか?」と切り出します。二つの「おめでとう」が重なります。

そこに尾藤が交通事故を起こしたという電話が入ります。国分が駆けつけるときはすでに手遅れの状態でした。国分は「病気なら治すことはできる・・・防ぐこともできる・・・だが,事故だけはどうにもならねえんだ」と語ります。

都築は「オレは帰ってきて正解だった・・・この人から学ぶことがオレの医者としての勉強・・・」,久美は「この街はどんなに雪が降っても 熊先生がいる限り暖かい・・・」と心の中でつぶやきます。ここで,医者としての本分を貫きながら,一人の人間として患者と正面から向き合ってきた感動のヒューマンドラマは幕を閉じます。


潮騒伝説

「潮騒伝説」は希望コミックスから出版されています。このレーベルには手塚治虫の「ブッダ」,横山光輝の「水滸伝」,坂口尚の「石の花」などの作品が並んでいます。読対称者層は高校生から青年層でしょう。

「潮騒伝説」は原作ものであり,主人公の磯村リツが一家離散に追いやられ,人間の醜さ,恐ろしさを体験しながら,最後に斉藤一郎と出会い,人間として成長していく物語です。

海の伝説,家族の離散と絆,人間の醜さ,貧富の格差,南北問題など多くのテーマが濃縮されており,単行本の6冊では消化しきれない内容です。とはいえ,暴力や人間の醜さが物語を先に進める原動力になっており,ながやす巧の良さは半分くらいしか伝わってきません。

鉄道員(ぽっぽや)

浅田次郎の小説で映画化されたものです。私も作品名は知っていましたが小説も映画も見てません。たまたま漫画化されたものがあり,作画が「ながやす巧」であったことから購入しました。舞台は北海道の空知地方と思われる架空の幌舞線といういうことになっています。石炭景気に湧いた頃は活気が溢れていたこの地域も,炭鉱の閉山とともに過疎地域になります。

主人公の佐藤乙松は鉄道一筋に生きてきており,廃止が決定された幌舞線の幌舞駅で定年を迎えようとしています。彼は生まれたばかりの一人娘を亡くし,妻には先立たれ一人で駅舎の一部となっている官舎で暮らしています。ある晩,4-5歳の女の子が待合室に現れ人形を忘れていきます。それは乙松にとっては奇跡のような一日の始まりでした・・・

小説の方は鉄道員(ぽっぽや)というタイトルでいくつかの短編集として出版されており,その中に「ラブレター」も収録されています。漫画の単行本にも「ラブレター」が収録されており,どちらの話しも泣かせますね。おそらく,活字で追うよりも漫画の方が雰囲気がよく伝わってくるので涙を誘うことになります。