私的漫画世界
人間と神の深淵をテーマにした秀逸な発想の物語
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永井豪は漫画家の新人類?

世の中の記憶では永井豪=ハレンチ学園ということになるでしょう。新たに集英社から創刊された少年ジャンプ誌上に掲載された「ハレンチ学園」はそれほどのインパクトをもってました。少年誌で変態的なコスチュームの教師と同年代の少女たちの裸を登場させたのですから,その反響(もちろん悪評です)はとても大きなものでした。

1960年代の価値観としては漫画は勉強の対極にあるものであり,「漫画ばかり読んでいないで勉強しなさい」というのが親世代の口ぐせでした。そのように社会的評価の低かった漫画に学校教育を愚弄し,あまつさえ生徒の裸を登場させる作品が掲載されたのですから世間の反応は推して知るべしです。

このような漫画が当時小学生の間で流行していた「スカートめくり」を助長するのだと各地のPTA活動でやり玉に上げられました。マスコミでも大いに取り上げられ,永井自身も本人を前にして人格を否定されるような発言もあったと語っています。

とはいうものの子どもたちは親世代の価値観に染まっていませんでしたので「ハレンチ学園」に対する拒否反応はほとんど生まれなかったように記憶しています。それは,創刊された少年ジャンプの急速な成長に現れています。この雑誌の成長を支えたのはまちがいなく本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」と「ハレンチ学園」でした。

「少年ジャンプ」が急成長できたもう一つの理由は,先行する「少年マガジン(講談社)」と「少年サンデー(小学館)」の読者層が持ち上がり高校生,大学生にも広がってきたことによります。

特に「少年マガジン」誌上では「ハレンチ学園」が始まった1968年には「巨人の星」,「あしたのジョー」が人気作品となっており,この二つを比べると読者層が明らかに異なることが分かります。

そのため「少年ジャンプ」は新しくマンガ読者になる子どもたちにとってはエントリーモデルとなっていきました。この販売戦略により「少年ジャンプ」は少年漫画誌で大きな地歩を占めるようになりました。

「ハレンチ学園」で時代の価値観を否定することにより存在感を世に示した永井豪は後続の漫画家に大きな影響を与えており,その意味では漫画家の新人類ということができます。その後は「あばしり一家」,「ガクエン退屈男」,「いやはや南友」,「けっこう仮面」とギャグとお色気のミックス路線で成長していきます。

それに対して1971年に発表された「魔王ダンテ」はダンテの「神曲」から発想を得たものであり,人類と神の深淵をテーマとしており,それまでの作品とはまったくジャンルが異なります。この人類と神(悪魔)の深淵は永井豪のもう一つのテーマとなり,「デビルマン」,「凄ノ王」と進化していきます。

個人的には永井豪の作品では「デビルマン」の評価がもっとも高いのですが,彼が1980年に講談社漫画賞を受賞した作品は「凄ノ王」でした。

デビルマンの世界観

デビルマンを理解するためにはこの作品の世界観を整理しておく必要があります。現生人類が誕生するはるか以前に創造主はこの星(地球)のすべての生物を作り出しました。

この創造主は現世人類が「神」と呼んでいる超越した存在です。ただし。「神」は単独の存在ではなく,他に多数の眷属をもっており,その集合体が「神」ということになります。

被創造物の中で万物の霊長というべき存在の「デーモン」は他の生物と合体し自分の能力を増大させることができるようになりました。彼らはその能力を次々と拡大してゆき,創造のときからしばらくの時間が経過すると地上には異形のデーモンがその能力を競い合っていました。

自分の創造物が勝手に姿かたちを変えてしまったことに怒った創造主はデーモンもろとも地球を消滅させようとします。それに反発した神の眷属である「サタン」はデーモンの盟主として神と戦い勝利します。デーモンたちは次なる神との戦いに備えて,氷の下で永い眠りにつきました。

彼らが200万年後に目覚めたとき地上には現生人類が繁栄しており,かっての美しい地球を我が物顔に破壊していました。サタンは現世人類を滅ぼし,美しいデーモンの星を取り戻すことを決意します。

この設定は旧約聖書の「ノアの箱船」と同じものです。ノアの箱船の物語では邪悪な人間は滅ぼされ,唯一善良なノアの家族だけが救われ,新しい世界を築いていくことになります。しかし,「デビルマン」の中では善良な人々が真っ先に同じ人類により殺害されることになり,残された人類には救いはないという厳しい展開になっています。

合体という能力を身に付け創造主から忌み嫌われたデーモンと地球の自然を破壊し汚染する存在となった現生人類のどちらが罪深い存在であるかについてはこの作品では語られていません。

デーモンは強いものだけが生き残る殺戮の世界を現出しましたが,現生人類は自分たち以外のすべての生物種の生存環境を脅かし,絶滅に追いやろうとしています。生命に溢れる地球を守るために現生人類を滅ぼすことを決断したサタンは責められるものではありません。

物語はサタンが自分のしたことがかって神がデーモンに行ったこと同じだと気付くところで終わっています。創造主にとってはデーモンも現生人類も地球という生命の楽園の調和を乱す擾乱因子ということになります。

恐怖の遺産

両親が海外勤務のため父の親友の牧村家に居候している不動明は名門学院に通うちょっと気の弱い普通の高校生です。牧村家の長女の美樹は気の強い性格で明と同じ学校に通っています。

ある日明の前に現れた親友の飛鳥了は父親の飛鳥教授の残した「恐怖の遺産」について語ります。それは,数万年もの間,氷の中で眠っていた地球の先住人類「デーモン」が目覚め,地球を現生人類から奪い返そうとしているというというものでした。

飛鳥教授はマヤ遺跡で発見した「悪魔像」から発せられるメッセージによりデーモンが異生物間の合体能力を有しており,人間の理性が勝っているときは合体により人間の意識をもったまデーモンの能力を自分のものにすることができるということを知り,自ら被験者になります。

飛鳥教授は合体後も人間であり続けますが,次第にデーモンの意識に支配されるようになっていくことを認識し,ガソリンをかぶって焼身自殺します。了はこのような重い「恐怖の遺産」は自分で一人では受け取れないと明に相談にきたのです。

実際,明が「悪魔像」を被ると(実際には外部からのテレパシーによる)超古代のデーモンのイメージが伝わってきて遺産が真実であると理解します。人類を救う存在となるため,明と了はできるだけ強いデーモンと合体してその能力を手に入れることを決意します。

分厚いコンクリートに囲まれた地下室でロック音楽と酒で理性を麻痺させた明はデーモンの勇者アモンと合体し,人間の心と悪魔の能力をもつ「デビルマン」になります。

デーモンとの戦い

デビルマンとなった不動明の周辺ではいくつもの不可思議な事件が起こり,明自身もデビルマンとしてデーモンと戦うことになります。この一連の戦いは超能力の対決としては面白いのですが本来のサタンの計画からすると意味がありません。

実はサタンは人間の弱点を見つけるため,自らの記憶を封印して人間の飛鳥了として送り込まれ,親友の(愛する)明がデーモンの新世界で生き残れるようにするためデビルマンにしたといういきさつがあります。

その限りではデーモンの戦士がデビルマンの明と戦う理由はありません。このあたりはサタンの記憶が封印されていた状態のため彼の意志がデーモンに伝わっていなかったと解釈するしかありません。

ともあれ,幾多の戦いでデビルマンはその力を十分に発揮することになります。明の性格もおとなしいものから好戦的なものに変わり,美樹はそんな明のたのもしい変化に接して,自らかばん持ちを志願します。

魔女狩り

サタンの人類絶滅計画は悪魔王ゼノンによる人類に対する宣戦布告により発動されます。デーモンの最大の武器は人間との無差別合体により人類社会に大混乱を引き起こすことです。この作戦により多くのデーモンが合体で死亡したり,デビルマンになります。

このような不可解な変化に対して世界的な権威・雷沼教授が出した結論は「悪魔の正体は現代生活に不満を持つ人間が自ら変身したもの」というものでした。そこにダメ押しするように記憶を取り戻した了がテレビ番組でデーモンが人間に取り付いて人間社会に潜伏しており,明がそのひとりだと語ります。

人類が社会生活の拠り所としてきた法治は崩壊し,中世の魔女狩りのように超法規的な悪魔特捜隊がデーモンと疑わしい人物,社会に対して不満をもっている人々を次々と逮捕・拷問にかけて殺害することになります。

平和な日常生活の中で抑えられていた本能的な衝動が,ちょっとしたことをきっかけに一気に表面化するという人間の本質を赤裸々に描いています。このような衝動が人間の本質かどうかは議論の分かれるところですが,少なくとも人類がそのような衝動性を有していることだけは確かです。

人類の歴史の中では異なる勢力間の対決だけではなく,思想信条,民族,肌の色,宗教あるいは宗派の違いといった彼我の間にあるささいなものに起因する戦争や大虐殺が数えきれないほど発生しています。人類の歴史は殺戮の歴史でもあります。

ましてや,この物語の中では人が人類に敵対する悪魔化するということですから,このような流れになることは自然と考えられます。

明が戻ってきたとき見たものは,逮捕され中世さながらの拷問により殺害された牧村夫妻であり,牧村家を襲った暴徒が美樹と弟を殺害し,その首を棒の先に刺して気勢を上げている地獄絵図でした。自分が守るべき対象が無残に殺害された光景を目の当たりにしたデビルマンは怒りのあまり暴徒を焼き殺すことになります。

終章

人類に対する全ての希望を失った明ですが,了の望むようにデーモンの世界で生きることを拒否し,デビルマンを集めてサタンと戦うことを決意します。20年の時が流れ,人類はすでに自滅しています。

中国大陸に集結したデビルマン軍団とデーモン軍団が対決するアルマゲドン(最終戦争)となります。その結果はデーモン軍団が勝利することになり,上半身だけの姿で横たわる明に対して12枚の美しい羽をもつサタンの姿にもどった了が静かに語りかけます。

個人的には人類が滅亡した時点でデーモンとデビルマンがアルマゲドンを起こす必然性は全くないように感じます。しかし,この作品の中で作者はどうしてもアルマゲドンを描きたかったようです。

実際,この作品は全編を通して緩むことなく,作者の熱情がストレートに伝わってくるものとなっています。その勢いが作者をしてアルマゲドンに向かわせたのでしょう。者自身はこの作品に関して次のように語っています。

ギャグマンガ作家としてはすでに「ハレンチ学園」や「あばしり一家」などのヒット作をものにしていた僕ですが,ストーリーマンガの連載には慣れておらず,いま見直してみると長い間ギャグ・キャラを描いていたための影響が強く,ずいぶんとデッサンがくるっていたり,演出テクニックも未熟だったりしているのですが,そうした数々の欠陥をものともしない力強さがこの作品には感じられるのです。

作者である僕自身が読み返すたびに,作品の持つ凄まじいエネルギーに圧倒され,なおかつ自分の心の底にある何かが再び燃え上がり,感動の嵐に巻き込まれてしまいます。一体全体,「何がそれほどまでに自分自身を酔わせるのか」は分析できずにいますが,ひとつ確かなのは当時の僕が全身全霊を打ち込んで描いたものであり,頭からではなく,正に“魂からにじみ出た作品”であることです。(引用了)


魔王ダンテ

「デビルマン」の原点となった作品です。永井豪はこの作品の発想は作者が幼いころに読んだダンテの「神曲」であると語っています。生身の体で天国と地獄を巡るダンテは地獄の最下層で下半身を氷づけにされた巨大な「悪魔の王ルキフェル」に会うシーンがあります。黒々としたコウモリの羽を持ち,恐ろしい三つの顔をもつ魔王ルキフェルの姿から「魔王ダンテ」という作品をイメージしたということです。

この作品の中には神,現生人類,悪魔の関係が黙示録の世界のように描き出されています。ただし,その役割はまったく逆となっています。現生人類が神としているものこそ超古代に地球に侵略してきた不定形エネルギー生命体であり,その生命体の侵略に抵抗した当時の先住人類が悪魔,現生人類はその当時の類人猿に神が分散して入り込み現生人類に進化させたものという設定です。

悪魔こそが地球の先住人類であり,現生人類は外部からの侵略者の末裔ということになります。現生人類に寄生している神は時間とともにその能力を失い,長くしいたげられてきた悪魔が魔王ダンテのもとに集結しアルマゲドン(最終戦争)の世界が現出されます。