私的漫画世界
ロックを題材に少女漫画の枠を軽々と越えた作品です
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水野英子

水野 英子(1939年生)は下関市出身であり,日本の女性漫画家の草分け的存在です。1950年代の少女漫画は月刊誌のみであり,多くの男性漫画家が少女誌と少年誌を掛け持ちで執筆していました。石森章太郎(1938年生),赤塚不二夫(1935年生),ちばてつや(1939年生),松本零士(1939年生)も少女誌で執筆しています。

この時期の女性作家といえばわたなべまさこ(1929年),花村えいこ(1934年生),細川千栄子(1935年生),牧美也子(1935年生),木内千鶴子(1938年生)とごく少数でした。

作品の内容もギャグや生活ドラマを扱う短篇が主流でした。そのような少女漫画の世界に大きな変化をもたらしたのは手塚治虫(1928年生)の「リボンの騎士」です。少女クラブで1953年1月号から1956年1月号にかけて連載されたこの作品は少女漫画に新しい作品世界と長編ストーリーをもちこんだ画期的なものでした。

これは手塚が少年漫画の世界で行ったのと同じインパクトをもっていました。「リボンの騎士」の登場により,少女漫画の世界は新しい時代を迎えることになります。当時,中学生であった水野英子はそれまでのまんがに欠けていた物語の要素(具体的には物語性と恋愛ロマンス)に圧倒されたと語っています。

その水野が少女漫画界における手塚の後継者となっていきます。水野は手塚より10年後の世代であり,永島慎二(1937年),石森章太郎(1938年生),ちばてつや,鈴原研一郎,水島新司,矢口高雄(いずれも1939年生)と同世代ということになります。

水野は小学生の頃に手塚の作品に感銘を受け,漫画家を志します。中学生の頃から「漫画少年」に投稿を続けており,入賞することはありませんでしたが,少女クラブの編集者であった丸山が原稿を見て手塚の推薦もあり,水野に原稿を依頼しています。

このとき水野は15歳,中学を卒業して下関の水産会社に就職を決めており,しばらくは会社員と漫画家の二重生活となっていました。この生活は2年ほど続き,1957年12月には初の長編「銀の花びら」(原作は緑川圭子)の連載が始まっています。

また,石森章太郎,赤塚不二夫と合作で「U・マイア」のペンネームでいくつかの作品を発表しています。こうなると下関に住んでいては不便ですので上京することになります。18歳の水野は丸山に連れられて「トキワ荘」にやってきます。それは1958年3月のことでした。

手塚治虫が「トキワ荘」に引っ越したのは1953年のことであり,それを追うように下記のような若手の漫画家が「トキワ荘」に集まり,さながら「マンガ荘」になっていました。水野がやって来た時にはすでに手塚は退室(1954年10月)しています。

・寺田ヒロオ(1931年生,1953年12月から1957年6月まで居住)
・鈴木真一(1933年生,1955年9月から1956年6月まで居住)
・森安なおや(1934年生,1956年2月から1956年末まで居住)
・横田徳男(生年データなし,1958年から1961年まで居住)
・水野英子(1939年生,1958年の3月から10月まで居住)
・藤子不二雄A(1934年生,安孫子素雄,1954年から1961年まで居住)
・藤子・F・不二雄(1933年生,藤本弘,1954年から1961年まで居住)
・赤塚不二夫(1935年生,1956年5月から1961年10月まで居住)
・石森章太郎(1938年生,1956年5月から1961年末まで居住)

トキワ荘に居住している間は自分の作品の執筆や「U・マイア」名義の合作以外に,石森のアシスタント的な仕事をすることも多かったようです。水野本人は石森の作画・表現技法に多大な影響を受け,自分の画力が飛躍的に向上したと語っています。

トキワ荘に入居するには下記のような基準があり,厳格な事前審査が行われていました。
●「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めている
●協調性がある
●アシスタントが務り,穴埋め原稿が描ける程度の技量に達している
●本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っている

「漫画つうしんぼ」は見たことがありますが,本物の通信簿だったんですね。「寺田ヒロオ」が通信簿を担当しており,毎月,「漫画少年」に投稿されていたいうのですから,これは厳しいものだったんですね。

水野の「トキワ荘」生活は7ヶ月で終わり,家庭の事情でいったん下関に戻り,再度,上京して「トキワ荘」にバス1本で行けるところに下宿し,「通い組」となります。つのだじろう(1936年生)も「通い組」でした。

トキワ荘に居住あるいは通っていた若手漫画家にとっては映画は貴重な情報源であり,最大の娯楽でした。水野も入居3日目に石森や赤塚に連れられて「十戒」のロードショーを見に行き,感激しています。当時は漫画制作に必要な資料が簡単に手に入りませんので,映画における歴史考証や登場人物の服装などは貴重な資料であり,動画としての動きは漫画の表現技法にも生かすことができました。

また,少女漫画の題材として欧米のファンタジーを取り入れるようになっていきます。手塚,石森,水野と続く少女漫画の系譜において,欧米を舞台にする作品が多いのはこの影響によるものでしょう。水野はその系譜において少女漫画に物語性とファンタジー,ロマンスを取り込んだ作品を次々と発表して,少女漫画の新しい地平を切り開いていきます。

ロックとヒッピー文化の台頭

1969年から開始された「ファイヤー」は衝撃的なものでした。私はその頃は実家を出て大学生をやっていたので,たまに戻った時に妹の雑誌を開いて,不思議な物語だなという印象をもったのを覚えています。

この作品は単行本のように通して読まないとストーリーや作者のメッセージを理解することはできません。「星のたてごと」で確立された水野の華麗な絵が「ファイヤー」ではガラッと変わっています。

それは,「ブロードウェイの星」でわずかに変化の兆しを見せた作者が少女漫画家から女性漫画家に変わっていく変化そのものでした。水野は20代を終えて30代に入っており,変化は必然だったのかもしれません。

「荒俣宏の電子まんがナビゲーター」の中で,荒俣は次のようにコメントしています。

一番の驚きは,なんといってもロックの意義をあつかっている点ですね。『白いトロイカ』でも歌姫は登場しますが,これはそういうものじゃない。ほんとうにロック魂というか,青年の現代文明批判が主題で,歌うシーンもすごいが歌詞も本格的。話は東洋の哲学や人間観にまで及ぶという,当時のカウンターカルチャーを真摯(しんし)に受け止めた最初のまんがだったと言えます。


荒俣のいう「カウンターカルチャー」とは定義が必要です。直訳すると「対抗文化」であり,既存の体制的な文化に対抗するものということになりますが,この文脈では1960年代後半から70年代前半にかけてのヒッピー文化やウッドストックに代表されるような当時のロック音楽,アメリカン・ニューシネマなどを指しています。

この「カウンターカルチャー」を支えていたのは欧米の「ベビーブーマー世代」です。これは日本の「団塊の世代」と一部重なるところありますが,1946年から1959年かけての世代と定義されています。余談になりますが彼らの子ども世代は「エコブーマー世代」と呼ばれることもあります。

簡単にいうと戦後世代ということになりますが,最大の特徴は既存の体制や価値観への反抗ということができます。日本と異なり米国にはキリスト教に基づく伝統的な価値観があり,戦後世代はそのような価値観に反旗を翻すようになります。

きっかけはベトナム戦争とアフリカ系米国人(黒人)の公民権運動でした。米国における奴隷制度は南北戦争(1865年終結)を経て表向きは廃止されましたが,個人や民間企業によって公民権が脅かされることに対しては法による保護は機能していませんでした。

米国の独立宣言(1776 年)には建国の理念の一部として,普遍的な兄弟愛について述べた次のような感動的な一節があります。

われわれは以下の事実を自明のことと信じる。すなわち,すべての人間は生まれながらにして平等であり,その創造主によって生命,自由,および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている。

これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ。その正当な権力は被統治者の同意に基づいている。

いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立することは人民の権利である。(一部意訳)


しかし,崇高な独立宣言文にもかかわらず,新しく誕生した米国は奴隷制によって分断されていました。南部は主要作物である綿花栽培のために奴隷を大勢使うプランテーションにますます依存するようになり,奴隷制反対の姿勢を強化しつつあった北部諸州と衝突の可能性が高まっていきます。

1860 年にエイブラハム・リンカーンが大統領に選出されます。リンカーンは、奴隷制を「醜悪な不正」と呼んでこれに反対しましたが,彼の主な関心事は連邦を維持することでした。しかし,南部の白人はリンカーンの大統領選出を南部の社会秩序に対する脅威と見なし,南部11 州が連邦を脱退してアメリカ南部連合を結成しました。南北戦争の始まりです。

戦争の初期にリンカーンは「この戦いでわたしが最も重視している目標は連邦を救うことであり,奴隷制を守ることでも破壊することでもない」と宣言しています。とはいうものの,南北対立の根本原因は奴隷制にあるので,戦争が長期化すると,奴隷の解放と連邦の維持が北軍の戦争目標として結びつくことになります。

1863年1月1日に発効した奴隷解放宣言には反乱州のすべての奴隷は「(同日以降)永遠に自由の身となる」と記されています。リンカーンはこの文書に署名をしながら,「わたしの生涯において,この文書に署名をすることほど正しいことをしていると確信したことはない」と述べています。

こうして米国のアフリカ系黒人奴隷は表向きは解放され合衆国市民としての権利を有するようになりました。しかし,恥ずべきことに,自由と民主主義を標榜する米国においてそれから100年間,特に南部において彼らは公民権を制限され二級市民の扱いを受けてきました。

彼らが普通の市民としての権利の回復することを要求する運動が「公民権運動」であり,1950年代から大きなうねりとなってきました。

もう一つの若者の怒りは「ベトナム戦争」に向けられました。第一次インドシナ戦争(1946年-1954年)の結果,ベトナムは南北に二分されます。ホー・チ・ミンに率いられた北ベトナムは南北ベトナムの統一のため南ベトナムで南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)を組織しゲリラ戦を開始します。一般的には1960年のテト攻勢がベトナム戦争の始まりとされています。

ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)は宣戦布告なき戦争であり,アメリカを盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」でした。米国は東南アジアの共産化防止のため軍事顧問団,さらには最大時には54万人という米軍を派遣して戦争の一方の当事者となります。

米軍の圧倒的な軍事力をもってしても戦局は泥沼化していき,多くの若者がベトナムに送られ死傷しています。戦場の様子はテレビという媒体により米国の家庭に届けられ,その報道に接した米国民の間で大規模な反戦運動が起こります。

1963年は奴隷解放100周年にあたり,マーティン・ルーサー・キング牧師を中心にした黒人による公民権運動(人種差別撤廃闘争)が活発化していきます。ベトナム反戦運動,公民権運動,さらに大学自治を求める白人の学生運動が結びつき,米国の若者の間に既存の価値観,体制,文化に反旗を翻す風潮が広まっていきました。この風潮は「ヒッピームーブメント」と呼ばれています。

彼らは伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし,自然回帰(Back to nature)を提唱しています。彼らの新しい価値観とは自然,愛,平和,セックス,自由であり,その中から「カウンターカルチャー」が育ってきます。中でもロック・ミュージックは「カウンターカルチャー」の象徴として戦後世代の若者のこころをつかんでいきます。

この風潮は米国だけではなく世界的な潮流となっていきます。とはいうものの,当時の日本ではそのような情報に接する機会は非常に少なく,水野は自費で米国とヨーロッパの現地取材を行っており,その土台の上に「ファイヤー」を描くことになります。

「ファイヤー」の読者評価は?

30代に入った水野が発表した「ファイヤー」の読者人気はさんざんなものだったと本人が対談で語っています。なんといっても「マーガレット」の読者層は10代後半の少女であり,米国のロック・ミュージックという題材そのものに興味があるとは思えません。

今までロマンスやファンタジーを中心に描いていた作家が突然ハードなロックの世界を描きだしたのですから,おそらく大多数の読者にとっては理解不能の世界だったのではと推測します。荒俣との対談で水野は「それまで毎日20通くらい来ていたファンレターがピタッと来なくなった」と述懐しています。

商業誌に発表する漫画は商品ですから編集部としては読者受けをする商品を並べたいと考えるは当然です。もっとも,何が受けるかなどはふたを開けてみなければ分からない世界です。

編集部としても安全のため今までの路線を大きく変えるような冒険はしたくはないはずです。そこに「カウンター・カルチャー」をテーマにした作品を出したのですから編集部はあわてたことでしょう。

1960年代末から1970年代の初頭はいわゆる「花の24年組」が活動を開始した時期であり,彼らの10年先輩の水野としては自分なりに少女漫画の地平を広げる新しい試みを開始したのか,ロック・ミュージックやヒッピー文化に傾倒していった作者が自分の生の感性をそのまま描いたものなのかは判断する材料はありませんが,本人の中で大きな転換点があったのは確かでしょう。

幸いなことに「ファイヤー」は作者が構想していた内容で終わりを迎えることができました。当時のティーンエイジャーの読者にとってはよく分からない内容であったかもしれませんが,大人の世界の評価は高く1970年に第15回小学館漫画賞を受賞しています。

感化院

単行本で4冊の作品ですが描写に感覚的な部分がいくつか含まれており,内容を説明するのは難しいですね。主人公はアロンという少年です。この名前は旧約聖書の出エジプト記に登場するモーゼの兄のアロン(注記参照)を念頭にしていると推測されます。

物語の最終章でアロンはオハマの屋外フェスティバルを粉砕し,監獄に入れられます。保釈されたアロンは「フリーダム」を率いて米国の東部から中西部へと移動していくことになり,その姿は「出エジプト記」におけるアロンの姿と重なります。

水野は主人公を「アロン」としたときから,このシーンを想定していたはずです。それはとりもなおさず,この作品が作者の構想通りに最終章を迎えたことを意味しています。

連載しているのが商業誌ですから,掲載作品が商業的価値をもたないとされると途中でも打ち切りとなることがあります。幸いなことに「ファイヤー」は少女漫画にとっては異端の存在でしたが,無事に作者の初期構想の通りに描き上げることができたようです。

アロン(ヘブライ語ではアハローン,アラビア語はハールーン)はモーゼの兄であり,モーセと共にヘブライ人のエジプト脱出を指導しました。「出エジプト記」では非常に重要な役割を果たしており,イスラム教の聖典「クルアーン」(コーラン)ではモーゼとともに偉大な預言者として記されています。

映画の十戒ではモーゼが最初にファラオにヘブライの民を自由にすることを要求する場面で,ファラオの前に杖を投げたのがアロンです。

また,映画ではモーゼがシナイ山に登り,神から十戒を授かっているとき,ヘブライの民はモーゼがもう帰ってこないのではと心配になり,アロンを説き伏せて金の仔牛像を作らせました。この行為はモーゼの怒りを買い,モーゼは十戒の記された石版を偶像の回りで踊り狂う人々に投げつけます。

実は十戒は水野が上京して3日目に石森や赤塚と一緒に見に行ったロードショーでした。そのときの記憶が「ファイヤー」の構想に影響を与えたのでしょう。


物語はジョンがアロンとの日々を追想する形式で始まっています。40年以上も前の作品ではこのような小説的手法は極めて異例です。

アロンは復活祭に母親に新しい帽子をプレゼントをしようとして,ファイヤー・ウルフの略奪に巻き込まれて感化院に入れられます。そこでアロンはファイヤー・ウルフの歌に魂を揺さぶられるような感動を受け,さらに自由を求めて死んでいったウルフを目撃します。彼との出会いがアロンのその後の人生を決めました。

ジョンとの邂逅

ファイヤー・ウルフのギターとともに感化院を出たアロンはデトロイトで働き始めます。そこで部屋の前の住民であるジョンや彼のガールフレンドのジュールと知り合いになります。部屋で歌うアロンの声に引き寄せられたジョンはガラスのようにもろくて純粋な少年と出会います。ジョンはアロンにギター教え,あらゆるジャンルの音楽を聞かせます。

ジョンが演奏していた「コンビネイト」の舞台にマージが上がります。ジョンは「彼女の歌はめったに聞けん,一度きいたらわすれられなくなる」と説明し,ジュールは「あなたには彼女の歌をきかせたくないわ」と話します。

アロンは嵐の中で叫んでいるような彼女の歌に魅せられます。アロンは舞台に座り無意識の中で歌い,マージのキスを受けます。アロンはウルフと共通するソウルをもっているマージの歌が頭から離れず,工場も休みがちになります。一方,マージはアロンのもろさと純粋さを見抜いており,彼をこわすことを恐れます。

アロンがジュールとデイトをしているとき,マージに気を取られてしまい,ジュールは交通事故に遭います。ジュールは足しげくお見舞いに来るアロンに恋心をいだくようになり,お金の無くなったアロンに枕もとで歌ってもらいます。雑誌記者をしているジュールの姉のフォンティナは新しい歌手の誕生を確信します。

アロンはジョンの代役でコンビネイトのステージに立ち,人々を魅了します。店主はその場でアロンと契約します。しかし,契約アーティスト数は決まっているので,代わりにジュリアンのグループは契約解除となり,アロンは彼らのうらみを買うことになります。

ジュリアンの予言

ジュリアンの家庭は富豪であり,アランはそこで精神作用をもつカクテルを飲み,不思議な音楽を聞きます。楽器からするとインドから西アジアのもののようです。さらに,ジュールを連れ戻すために再びジュリアンの家を訪ねたアランはジュリアンに歌う目的を聞かれます。

きみはなんのために歌うのか?
歌いたいからだ
なぜ,歌いたいんだ
わからない,ぼくの中でなにかが燃えている
どろどろした溶岩のように出口をさがして・・・
ウルフもそういってた なにかが体の中をかけめぐるんだと・・・
彼の死以来 僕の中にもそれができた
ファイヤーウルフか
きみは彼のことを歌ったな コンビネイトで聞いたよ
自由に生き,自由のために歌を教えた
さぞ鮮烈な男だったろう
彼のように歌いたいと思った 彼のように生きられたらと思った
でも ぼくはいったいなにをしてきたのか・・・
アロン きみの求めているものはウルフではない
自分自身なのだ
だれのようになりたいとか だれのために歌おうととか思ってはいけない
じぶんをだましてはいけないんだ
ウルフは自分自身以外の者のために生きようとはしなかったはずだ
きみは媚びることをしらない
いまからきみは歌手としてどんなに困難な道を歩まねばならないか・・・
世の中はきみに対してきびしいぞ
だが,それをのりこえたとききみははじめて本物のウルフになれるんだ
ぼくはきみが好きだ
きみは生まれながらに純白だ
その白さを通そうとすればまわりの者を傷つける
そうでなければ君自身が血を流して死ななければならない・・・
きみがこれからどのようにして生きていくか見ているのは楽しい


少し長くなりましたが二人の会話を引用してみました。ジュリアンはアロンの行く末を正確に予言しています。

「ファイヤー」の結成

ジュリアンのところからコンビネイトに戻ったアロンは苦しみの中で歌います。アロンの苦悩の深さに比例して彼の歌は研ぎ澄まされたものになっていきます。

アロンはコンビネイトで朝を迎え,心配してきたジョンとネロは一人で歌うアロンを見つけます。ジョンのギター,ネロのドラム,さらにエンジェルのオルガンが加わり,すばらしいハーモニーを奏でます。コンビネイトの店主もその素晴らしさを認め,週400ドルで契約したいと申し入れます。こうしてロックグループ「ファイヤー」が誕生します。

ギターを盗もうとしたリフと取っ組み合いになったアロンはリフの姉のマリーナと知り合いになります。リフは再度,ギターを盗もうとしてファイヤーの練習場に逃げ込んできます。警察の質問にメンバーはグループの一員だとしてリフをかばいます。リフはベーシストとしてファイヤーに加わることになります。

新人コンテスト

ファイヤーの人気は徐々にあがり,コンビナイト以外のクラブからも高給でオファーがあります。新聞にも新進のグループとして取り上げられます。ファイヤーはデモ用のレコードをプレスし,それはデトロイトのラジオ局に送られ,放送されます。

この一回の放送でリクエストが集まり,人気は急上昇します。ライブ演奏を聞いて大手レコード会社が販売を決め,ジュリアンの母親のレコード会社が専属契約を結びます。最初のレコードは30万枚を突破する売れ行きとなります。

ジョンとマリーナは恋仲となり,アロンはショックを受けます。ジュールもまたカリフォルニアの大学に進学します。

ファイヤーはシカゴで行われたVOA放送主催の新人コンテストに出場し,ダイアナとブラック・ブラッドとの争いとなります。ファイヤーは第1位となりますが,それは決して実力通りの評価ではないことが分かります。アロンはそのような八百長をひどくきらい,ダイアナに本当は君が1位だったんだと詰め寄り,ダイアナは軽い心臓発作で倒れます。

ダイアナとの恋

ダイアナの心臓病は死につながるものであり,そのため彼女は毎日を精一杯生きたいと語り,富豪のレイナーの援助を受けることになります。ファイヤーは一流アーティストとされているウードマックの前座に出ることになり,彼らをしのぐ人気となり,ウードマックはバンドを解散します。

ウードマックと話がしたくて,彼が演奏するステージを訪ねたアロンは思いがけずにダイアナと出会い,マリーナのミリオンセラー記念コンサートに出演してもらいたいと話します。

ダイアナはレイナーの目の前で「行くわ,きっと行くわ,あなたが好きよ」と答えます。ダイアナは援助を断り,ファイヤーのコンサートに向かいますが途中で倒れます。

ダイアナの自宅を訪問したアロンはダイアナをうたがったことの許しをこいます。ダイアナは両親に対して自分のことは自分で決める,短くても充実した一生を送りたいと宣言し,アロンとの同棲生活を始めます。

リフとダイアナの死

アロンとダイアナの甘い生活は双方の仕事によりすれ違いが生まれます。ファイヤーの事務所では同棲について賛成するものはおらず,公表してはならないと言い渡されます。アロンの微妙な変化を感じたダイアナは自分がアロンの重荷になっているのでは危惧します。アロンはダイアナを抱きしめて「誰にもじゃまする権利なんてあるもんか」と叫びますが,二人の恋の行く末は暗そうです。

ダイアナの仕事がすべてレイナーにつながるものであることを知ったアランはアパートを出ます。この辺りの展開はアランの純粋さというより未熟さが目立ちます。人を傷つける言動はやがては自分に跳ね返ってくるものなのです。

ダイアナは契約解除のためレイナーの屋敷を訪れ,崩壊してしまっている家庭を目撃します。愛と憎しみは一枚のカードの裏表のようなものですから,クリスチャンが結婚にあたり宣誓する「死が二人を別つまで」という言葉は現代の欧米諸国の高い離婚率を考えると空虚なものになっています。

幸いアロンとダイアナは愛を確かめ合うことができました。しかし,レイナーからの花束が届いたことによりアロンは怒り出し,ダイアナの話に耳を貸そうともしません。アロンの感情の起伏の大きさこそがジュリアンの予言した周囲の者を傷つけることにつながるようです。

また,アロンの歌は苦悩の中から生み出されるものであり,幸福感の中では輝きを失います。アロンの感情についていけないダイアナはしばらく別々に暮らすことにします。

ブラックブラッドはファイヤーと人気を二分するようになり,両者が参加するコンサートで騒動が起こり,双方が留置所に入れられます。世界中の一流アーティストの呼びかけにより彼らは釈放されますが,銃撃によりマリーナは失明します。

リフはナイフを持ち出して敵対する白人グループを襲い,自らも刺されて死亡します。マリーナは病室から飛び降りようとし,それを制止したジョンは結婚指輪を彼女の指に通します。

ダイアナの病状は悪化し,病院に駆け付けたアロンはダイアナに求婚します。しかし,ダイアナは自分の残り時間が少ないことを知っており,遠くで見守りたいと告げます。その晩,ダイアナは不帰の人となります。

マージとの再会

ダイアナの死によりアロンは魂が抜けたようになり,ジュリアンの予言によりヒッチハイクで西に向かいます。サンフランシスコに辿り着いたアロンはマージと再会します。マージは以前のままであり,二人は車の中で愛し合います。しかし,マージを独り占めすることはできません。マージは誰のものにもならないのです。

マージと別れたアロンはデイト中のジュールと出会います。彼女はフィアンセのチャーリーを紹介しますが,心は乱れます。ジュールはまだアロンを愛しており,彼を部屋に案内します。ベッドで寝ているアロンの横でジュールはチャーリーにアロンさえよければそばにいるわと話します。

しかし,アロンの心はマージの歌から離れられません。ジュールのギターでアロンは歌い,それはマージに合わせたものでした。マージもそれを感じており,二人は目に見えない糸でつながれていると説明します。マージの後をアロンが追い,キングスキャニオンの高みで過ごします。その光景はたった1ページですがオリンポス山の神々のように描かれています。

ジプシーの宴

ジュールの連絡によりジョンが迎えにきます。アロンは大学のフェスティバルに現れ,ジュールは駆け寄ります。アロンはチャーリーにファイヤーに入ってくれと頼みますが,拒否されます。

チャーリーはジュールを説得しようとしますが,彼女はアロンが自分を愛していなくてもついていくと告げます。アロンのメモを見てチャーリーはファイヤーに参加することにします。新しい「ファイヤー」が誕生します。

ニューヨーク最初のコンサートは大停電の中で行われ,観客は徒歩で会場に集まってきました。コンサートは成功しますが,ビオレッタはジュリアンを呼び,アロンを占います。アロンの額にある運命の星は翳りはじめています。

アロンは複数の女性と関係をもつようになり,グループはその後始末に追われます。アロンの精神は少しずつ病んでいきます。アロンは金のために歌うことを拒否するようになります。アロンにとって歌とは心の叫びであり,より始原的な感情から生まれるもののようです。それは,周辺の人には理解できるはずもありません。

アロンは歌の中で死神を見ており,その歌に応える気配を感じます。岩穴のの中にジプシーの宴が繰り広げられており,アロンはそこで歌いますが,ファイヤーの他のメンバーには岩の上で歌っているアロンしか見えません。

オハマ・フェスティバル

アロンは休養をとりアパートでリタと暮らしますが,外の通りにジプシーを見て(感じて)窓から飛び降りようとします。アロンは外に出てジプシーと一緒に歌います。夢うつつの中でアロンがチャーリーはファイヤーを抜けてソドムに加わるシーンを見ます。

ファイヤーにオハマで開催される大規模なロックフェスティバルへの招待がきますが,エンジェルはバンドの状態からして出場はとても無理だと答えます。主催者はアロンだけでもと出演を打診しますが,アロンは伝説の「ウッド・ストック」ですら金儲けのための,体制の笛に踊らされたものと批判し,フェスティバルをぶちこわすことを宣言して失踪します。

宣言通りアロンは会場に現れ,「みんなこんなコンサートなど聞くな,音楽は商品ではないはずだ。きみたちはなぜ金を出すんだ。アーチストたちはなぜ高い報酬をとるんだ。そんなところで音楽は生まれない。ほんとうの喜びや悲しみが金で買えるか」と語ります。

アロンの呼びかけに複数のアーティストと群衆が従い,移動を始めます。しかし,市は移動を禁じ,警官隊との衝突となり,1万人が逮捕されます。アロンも逮捕され,一緒に逮捕されたアーティストの要請により保釈を受け入れます。

FREEDAM

ファイヤーは解散し,アロンは共同体「フリーダム」を組織して西に進みます。その光景はまるで出エジプト記のようだとメンバーの一人が話します。このアーティストの共同体は各地で若者の熱狂的な支持を受けますが,まさしく反体制の象徴でありいくつかの州では入州を禁じます。

フリーダムは東部の諸州を回り中西部に移動します。運営資金は各地の若者のカンパに頼っていました。アランは自分に残された時間がそれほど長くは無いことを認識しています。

体制側の締め付けは厳しくなり,保守的な人々の攻撃にもさらされます。コロンバス(おそらくジョージア州)でジュールとリタはフリーダムに追いつきます。ハリーケーンの直撃で被災したフリーダムに対して町の保安官は救助はするものの早々に移動してくれと言います。

保守的な南部ではフリーダムは風紀を乱すものと考えられています。町の人々の冷ややかな視線に対してフリーダムのメンバーは「奇妙な果実(Strange Fruit)」を口ずさみます。

この歌は黒人霊歌だと思っていたのですがジャズの名曲となっていました。1930年に起きた黒人の虐殺事件を題材にして作詞されたものです。ビリー・ホリデイのレパートリーとして有名となり,アメリカの人種差別を告発する歌となりました。この歌は1960年代の公民権運動につながるものとなっています。

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees.
Pastoral scene of the gallant south
The bulging eyes and the twisted mouth
Scent of magnolias sweet and fresh
Then the sudden smell of burning flesh.
Here is a fruit for the crows to pluck
For the rain to gather for the wind to suck
For the sun to rot for the trees to drop
Here is a strange and bitter crop.

南部の木には奇妙な果実がなる
葉には血が、根にも血を滴たらせ
南部の風に揺らいでいる黒い死体
ポプラの木に吊るされている奇妙な果実
美しい南部の田園に
飛び出した眼、苦痛に歪む口
マグノリアの甘く新鮮な香り
そして不意に 陽に灼ける肉の臭い
カラスに突つかれ
雨に打たれ 風に弄ばれ
太陽に腐り 落ちていく果実
奇妙で悲惨な果実


作者がこの歌をこの場面に挿入した意図は分かりませんが,黒人への差別と若者への差別は同質のものだと訴えたかったのかもしれません。実際,その後に警察黙認の形でフリーダムに対する襲撃が続き,死者も出ます。アロンは右手をつぶされます。

フリーダムはロッキーを越えて西を目指します。しかし,食料品にも事欠くようになり,町の人々から蔑みの言葉を投げつけられ,はずみで食料品を略奪してしまいます。

フリーダムは警察に追われるようになり,メンバーは抜けていきます。ファイヤーの元メンバーたちは救援に向かいます。アロンはジュールの車でロッキーを越えてネバダ州に入り,そこで逮捕されます。

狂気の境を飛び越えて

病院に収容されたアロンはファイヤーのメンバーの前で大切にしていたファイヤーウルフのギターを燃やしてしまいます。アロンは故郷のレイク・ウッドからほど近い精神病院に送られます。母親に抱きしめられてもアロンの口からは言葉は出てきません。そのとき,ジョンはアロンがウルフのバイクに乗って去っていくのを見たような気がします。

マリーナは難産のため子どもを残して死亡します。ジョンは弟に実家に連れて帰り自分の代わりとして育ててくれと頼みます。

アロンはイスに座って初秋の景色を楽しんでいるように見えますが,ジュールもジョンも,もう誰もアロンの世界に入ることはできません。

物語の最後にジョンは『おれは奏で続ける どろどろした夜の中で 指を血で染めながら アロンのように狂気の境に飛び去ることもできず のたうちまわるのだ いつか死が見舞うまで』と結んでいます。


赤毛のスカーレット

奥付を見ると1968年になっていました。妹が読んでいたもので5年くらい前に実家から回収してきました。「赤毛のスカーレット」はそれほど興味はありませんが,一緒に収録されている短篇の「セレネのなげき」に惹かれました。

「赤毛のスカーレット」のようなドタバタより,ギリシャ神話を題材にした「セレネのなげき」のようなファンタジーの方が作者の絵柄には合っているように感じます。

この頃の「マーガレット・コミックス」はプラスチックの透明なカバーになっており,そのカバーが破れてしまうと普通紙の表紙がむき出しになりましので,すぐ手あかがついてしまいます。スキャナーで画像を作成し,かなり明るくする処理をした結果が左の画像です。