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若くして逝った今監督の遺産
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若くして逝った今監督

今敏(こん・さとし,1963-2010年)は漫画家というよりアニメ監督として活躍していました。1987年に武蔵野美術大学造形学部を卒業し,その3年後の1990年に「海帰線」を著しています。

その間には「大友克洋」と何らかのつながりがあったのか,絵柄には大友の影響が感じられます。ネット上には大友克洋の代表作「AKIRA」の5巻および6巻の巻末にあるスタッフ表記欄にはスペシャルサンクス付きながらも今敏の名前が載っているという記事がありました。

その後はアニメの世界を主要な活動の場とし,1990年には大友克洋原作・脚本の「老人Z」に美術設定として参加し,1995年には大友克洋監修のオムニバス作品「MEMORIES/彼女の想いで」に脚本・美術設定・レイアウトを担当しています。

1997年以降は「パーフェクトブルー」,「千年女優」,「東京ゴッドファーザーズ」,「パプリカ」といった名作アニメを監督し,国際的にも高い評価を受けています。このような漫画→アニメ監督という創作の履歴も大友克洋のそれと軌を一にしています。

最近の活動はアニメ監督となっていることから,漫画家ではなくアニメ監督として世に知られていますので,私も今監督と呼ばせていただきます。今監督の作品の主題は「イマジネーションと現実の融合」となっており,「海帰線」もその流れの作品となっています。残念ながら2010年にその才能を惜しまれながら46歳で急逝しています…合掌…。

物語の舞台

物語の舞台はS県にある網手町です。美しい海に面しており,よい漁場にも恵まれ町は漁業を中心に発展してきました。また,美しい海は夏になると多くの海水浴客でにぎわいます。海に囲まれた日本ではどこにでもあるような静かな町です。

日本の地方ではどこでも見られるように網手町でも若者離れが進んでいます。高校を卒業し,進学するにしても就職するにしても町を離れ,そのまま戻ってこないからです。このような寂れていく町を活性化しようとリゾート開発が進められています。それに対して,開発によるリスクを本能的に感じている人々は反対運動を行っています。

網手町には「海人(うみびと)」の言い伝えがあります。この町の神社の神主を代々務めてきた矢代家では実際に「海人の卵」を預かり,60年が経過したら海へ還し,新たな「海人の卵」を預かるという約定を海人と結んでいました。

作品中には次のように記されています。大昔,この辺りの海は荒れることが多く,不漁続きだったと言われています。ある日,当家(八代家)のご先祖が海辺で「卵」を拾いました。そして,それを探しに来た半人半魚の海人と出会い,約束をしました。海を祀り,七日に一度,「卵」のために水を替え,60年の後に海に還す。そしてまた海人様の卵をお預かりする。そうして何代も何代も約束を守り続けてきております。以来,海は静まり豊漁という恩恵にあずかった言われています。

神社の本殿から少し離れた矢代家の人だけが訪れることのできる小さな奥宮の中には海水が張られた水槽が置かれ,その中に両手で持つことのできるほどの丸い玉が入っています。これが「海人の卵」とされています。

しかし,海人がどのような姿をしており,海人との約定がどれほど重要なものであるかは次第に矢代家の中でも遠い言い伝えになりつつあります。矢代家の当主となっている33代目の神主の洋造は妻を海の事故で亡くしており,しっかりとした病院があれば妻を救うことができたのにと悔やんでいます。

その思いが町を大きく発展させることにつながるリゾート開発に向かわせます。開発会社の土地収用に協力する一方で,海人との約定を違え,「海人の卵」を観光の目玉にしようと考えています。

洋造の父親(洋介の祖父)は古い言い伝えがこの土地にとって死活的に重要なものであり,この土地が海からの恵みに預かり,(大きくは発展しないものの)寂れることもなく漁業の町としてやってこれたのは先祖から続く「海人との約定」を代々守ってきたことによるものとして,「預かりもの」は人前にさらすことなく,約束通り海に還さなければならないと強く主張します。

息子の洋介は毎週,水槽の水を取り換える役目を果たしており,なんとなく卵が胎動を開始しているような現象に接し,卵を海に還す日が近いことを感じ取っています。町がリゾート開発で大きく変貌することに関しては傍観者の立場であった洋介も「海人の卵」を衆目にさらすことに関しては嫌悪感を抱いています。

洋介自身は「海人の卵」が生きていることを体感していますので,リゾート開発に反対している幼なじみの夏美やテツとともに意見が対立している父親と祖父の間に立って自分なりの行動をとることになります。

この作品は20年前のものであり,現在の漫画に比べるととても地味です。主人公の洋介にしても特別の存在ではなく,他の登場人物と同等に描かれています。絵柄は大友克之のものをもう少し漫画的にしたものでヒロインの夏美も派手さはないものの「おっ,かわいい」と思える程度に描かれています。

物語は誇張もなく,大きな事件もないまま最後のクライマックスに向かって静かに展開していきます。このような展開は連載漫画ではとても難しいでしょう。単行本では前後の関係を理解しながら読み進めていくことができますが,連載では一回ごとの盛り上がりはないし,ストーリーを頭の中で構成していく必要があるからです。

起承転結を踏襲する物語の構成手法は映画ではよく用いられています。静かな序盤から「海人の卵」の胎動と神島の不思議な洞窟空間,祭りにおける町を二分する対立,「海人の卵」をめぐる争いの先に海の怒りが押し寄せ,生き残った人々は和解するという展開により,現実とファンタジーの境界を描く映画を見ているような読後感が残ります。

人物だけではなく町の風景などもカメラワークのようにていねいに描かれているのでそのような感じが一層強くなります。この作品の後で作者は仕事の場を映画の世界に移していきますが,この作品を見ているとなるほどとうなずけるものがあります。

観光開発の功罪

1990年といえば土地・株バブルの絶頂期であり,バブル経済に後押しされたリゾート法(1987年成立)により日本各地で乱開発が進められた時期でもあります。網手町でも大人たちはより大きく町を発展させようと考え,リゾート開発の話に飛びつくことになります。その目玉となるものが「海人の卵」なのです。

当然ながらリゾート開発は町を二分することになります。バブルに浮かれた観光開発やリゾート開発の結果は(多くの場合)一時的に雇用や収入が増えてもそれは長続きはしません。事業の採算が合わなくなると,開発会社は事業を縮小あるいは撤退します。その結果,一時的に膨れ上がった地元経済は深刻な影響を受けます。

自然を過剰に開発したり,町の規模に比して不相応の事業を行うことの是非をめぐり町が二分されることもあります。そのようなケースでは観光開発が失敗して資本がその土地から撤退しても,地域の自然や地域の人間関係を開発以前の状態に戻すことはできません。自然も地域コミュニティも一度壊すと再生は難しいのです。

開発に伴うリスクを本能的に感じ取ることのできる人々は開発反対派,ともあれ資本投下があれば町は発展できるという(リスクに目をつぶる)人々は賛成派ということになります。

そのような一般的な開発リスクに加えて網手町には「海人との約定」があり,それを破ると大きな厄災が海からやってくることは想像に難くありません。町の運命は「海人の卵の守り人」となっている洋介の去就に掛かることになります。

自然と人類との約束

この作品のテーマは特に示されていませんが,私は「自然と人類との約束」であると考えます。「海人」は自然そのものであり,「海人との約定」とは自然と人間との約束事と考えることができます。

人類が農耕を開始してからおよそ8000年ほどの時間が経過しています。そのうち最後の200年間を除くと,人類は自然の恵みの範囲でしか活動できませんでした。最大のポイントはエネルギー問題でした。

長い間,人類が利用できたのは人力,畜力とバイオマスや水力・風力のような自然エネルギーだけでした。人類はそのエネルギーで営々と自然を自分たちに都合の良い形に改変して文明を築いてきました。しかし,200年前には自然と人間の力関係はあきらかに自然の方が上でした。

ところが,200年ほど前,人類は過去の生物の遺骸が地底や海底に蓄積されて変成を受けた石炭,石油,天然ガスのような化石エネルギー資源を本格的に利用できるようになりました。

人類が最初に使用した化石燃料である石炭は,それ以前に使用していた薪に比べて単位重量あたりの燃焼エネルギーが大きいので,エネルギーを投入して掘り出したり,長い距離を運搬して都市に運んでもそれ以上のエネルギーを取り出すことができます。

投入エネルギーに対して利用エネルギーが十分大きいので人類はエネルギー社会の拡大再生産が可能になりました。このエネルギー社会の拡大再生産こそが人類活動を飛躍的に拡大する原動力となりました。

石炭の次に利用された石油は地球上でもっともすぐれたエネルギー資源でありプラスチックなど化学工業の原料にもなります。しかも石油は膨大にあり,人類は石油を必要なだけ利用することができたため,(先進国では)現在のような豊かで便利な社会を実現することができました。現代文明はまさしく「石油文明」なのです。

石油文明では自然と人間の力関係は完全に逆転しました。人類は地球の表面を都合のよいように改変し,多くの人々は自然から切り離された都市で生活するようになります。人々は「自然と人間」の関係を忘れ,現在の人類の繁栄が永続するとの幻想を抱いています。

しかし,考えてみて下さい。石炭を本格的に使い始めて200年,石油は100年で人類は資源の枯渇を意識せざるを得ないところに来ています。現在のまま進むと21世紀中には化石燃料は枯渇することでしょう。有限の地球に暮らす人類は人口や経済規模を無限に増殖させていけないことは明らかです。

同時に,拡大する人類の活動により自然は急速に劣化し,多くの生物種が絶滅の危機に瀕しています。化石燃料の使用と森林破壊は大気中の二酸化炭素量を劇的に増加させ,地球温暖化は現実の脅威となっています。

「自然と人類との約束」とはとてもシンプルなものです。人類も自然の一員であり,自然が与えてくれる以上のものを求めてはいけないということです。作品中に提示された「海人との約定」とは「自然と人類との約束」と読み変えることができます。

漁業に支えられた小さな町は大きな発展は望めませんが,自然との約束を守っている限り持続的な暮らしができます。しかし,自然との約束を忘れ,自然が与えてくれる以上のものを町の人々が求めるとき,(環境破壊により)自然は人類の敵となります。

人類と自然の力関係が逆転したと書きましたが,それは破壊の一点に関してのことです。人類は自然を破壊(改変)することはできても,依然として自然の恵みなしには食料の生産すらままなりません。地域的な人口爆発と先進国の過剰消費のどちらも自然に対して多くを求めすぎており,その恵みが減少することになると深刻な危機となります。

人類はもう少しで宇宙を支配する根源的な法則を解き明かすところまできており,火星に人を送り込むことができるほどの科学技術を発展させてきました。しかし,そのような時代にあっても,人類が居住できるのは地球だけであり,地球環境なくして人類の明日もありません。

科学技術が進んだといっても人類は太陽エネルギーと二酸化炭素と水から有機物を産生することすらできないのです。人類は自然の恵みに対して謙虚さと感謝の気持ちを取り戻す必要があります。同時にこの作品で示されたように「自然との約定」をもう一度考えてみる必要があります。