私的漫画世界
この後の楠さんはどうしちゃったんでしょうね
Home私的漫画世界 | 八神くんの家庭の事情

「八神くんの家庭の事情」の世界

「八神くんの家庭の事情」は「少年サンデー増刊号」において1986年から1990年まで連載されました。主人公の八神裕司は男子校に通うごく普通の高校生ですが,たった一つだけ普通ではない家庭の事情があります。それは実母の野美が異常に若く見え,自分と同年代の美少女にしか見えないということです。

この設定により裕司の周辺ではいつも日常的にドタバタ・コメディーが展開されます。これが「八神くんの家庭の事情」の世界ということになります。また,物語の中では裕司は周囲のけしかけもあり,次第にマザコンが芽生えてしまい物語をさらに複雑化していきます。

文章で表現すると裕司と野美,および裕司と八百井との関係は精神的には立派な変態の世界(近親相姦,同性愛)なのですが,それが違和感なく入っていける不思議な作品になっています。

危ない世界をときどき表に出しながらも正統的なコメディの世界を崩さないので安心して読んで行けるわけです。それは発想の特異性と危険性を純情さとコメディの中に包み込んでしまう作者の才能によるものです。もっとも,そのようなコメディタッチがなければ変態漫画ですから,少年誌には掲載できません。

同じく「少年サンデー増刊号」に掲載された「古祭」もオカルトの世界に軸足を置きながらも,重いテーマをきれいな物語にまとめてあります。このあたりはもしかすると少年サンデー編集部の意向が強く反映されているのかもしれません。このような路線を歩んでくれたら,楠さんは私の好きな作家ということになったかもしれませんが,残念ながらその期待は叶いませんでした。

作者の楠桂(くすのき・けい)の本名(旧姓)は大橋真弓であり,双子の姉妹漫画家として有名です。姉の大橋薫(おおはし・かおる)と共同執筆あるいは作品世界を共有するものが多くあります。

その影響なのかどうかは分かりませんが,初期作品はオカルト系が多く,ヒット作の「八神くんの家庭の事情」でコメディ漫画家としての地位を確立した後もオカルトやホラーが主要な作品世界になっています。

最近では「ガールズザウルス」のように女性恐怖症に陥った可愛い男の子を主人公とする強弱が逆転した男女関係をテーマにした作品や「イノセントW」のようにオカルトとグロテスクな世界を描いた作品が楠さんのトレンドとなってしまい,ページを開いただけでなんだこれは,あるいはあまりにひどい描画に驚いて読む気にもなりません。

楠さんは書き込みの多い丁寧な描画が持ち味であり,その画力でグロテスクな場面を見せられてはたまりません。オカルトが彼女の永遠のテーマということではないでしょうから,こちら側の世界に戻ってきてもらいたいものです。

野美さんがかわいい

花も咲かない男子高校に通う「八神裕司」には大きな悩みがありました。体質のせいか実の母親の「野美」が異常に若く見え,妹にしか見えないのです。彼がこの異変に気が付いたのは小3のときでした。

母の日の似顔絵は他の生徒のものとはまったく異なっており,父兄参観のときは周囲から「若すぎる母親」というひそひそ話が聞こえてくるため裕司は後ろの母親を見ることもできませんでした。それから7年,高校生になってもそれは裕司の苦い記憶となています。

ある日,お弁当を忘れた裕司を野美が追いかけてきて校門の前で渡すという事件が起こります。普通の母親であったら何の問題もないのですが,野美は中学生くらいの美少女にしか見えませんから友人たちが放っておきません。友人たちの質問に「(裕司の)母ですの」と答えたものですからその場が氷りつきます。

級友の冷かしの言葉から裕司は自分の子どものときの写真が無いことに気が付きます。写真がないのは実の親子ではないからだという疑念を持ったことを(なぜか)風呂に入っている野美に(浴室の外からたずねます。野美の答えは「小さい頃から皮膚が弱く病気やケガばかりしていたから二人一緒の写真はないの」というとって付けたような言い訳でした。

裕司の疑念は決定的なものになり,友人宅に家出します。心配の余りクラスまでやってきた野美に対して裕司は「証拠の写真はあるか」と迫ります。野美は「ばかぁぁ〜つ」と叫びながら投げつけた一束の写真にはかわいい野美と物体Xと見まごうばかりの何かが写っていました。

「どう,ひどいでしょ,よくみてよ!!こんな顔に撮れても我が子の写真だもの,やっぱり大切にしまってあったのよ!親じゃなきゃとっとかないわよ,こんな写真!!」という悲痛な野美の叫びに思わず(教室の中で)野美を抱きしめます。ここに立派なマザコンが一人誕生したわけです。息子とマザコンの間で揺れ動くこころを抱えて八神くんのあぶない家庭生活が始まります。

四日市先生が野美さんに一目惚れ

裕司の三者懇談会があり,野美が学校にやってくることになります。花も飛ばない男子校に美少女風の野美がやって来るのですから,裕司にとっては鬼門です。裕司の担当の「四日市」先生はロリコンの気があり,男子生徒の母親などには興味がありません。しかし,野美には一目惚れしえしまいます。早速,四日市は家庭訪問の約束を取り付けます。

それを聞いた裕司は「とかなんとかいって,目当ては母さんだな!?」と問い詰めるとあっさり「ピンポーン」が返ってきます。ここから,野美を巡ってマザコン(裕司)とロリコン(四日市)の対決となります。しかし,両方とも肝心なことを忘れていますね。野美は結婚しており,夫の陽司をとても愛しているのです。二人の対決は陽司が帰宅するとあえなく霧散します。

野美のキスが日課となります

八神夫婦のあつあつ生活に水をさそうと四日市が授業中の裕司の寝言であることないことを野美に電話します。野美に「裕ちゃん,あたしたちがキスしたりするのをみて,いやな思いをしていたの?」と聞かれて裕司は煩悶し,「そんなことはないよ」と言うべきところを「うん」と言ってしまいました。これに対する野美の反応は「ごめんね」でした。

野美は裕司にキスをして「ごめんね,裕ちゃん!疎外感を抱かせてしまって」と語ります。さらに,「これからは裕ちゃんにもちゃんとおはよう,いってらっしゃい,おかえり,おやすみのキスをしてあげるからねっ,もういじけちゃだめよ!」という予期せぬ形に展開します。さてさて,八神くんの理性はどこまでもつのでしょうか。このままでは人間の道を踏み外してしまいそうです。

ミリオン学園の五十里真幸が登場

さて,物語は青春ラブコメディ定番の聖バレンタインデーに突入します。裕司は小学校の頃からたくさんチョコレートをもらってきたようですが,今年からは男子校です。校門をくぐるとそこはブラック・バレンタインに変わってしまうのです。この学校には「学園内で(男子生徒から)チョコをもらい,そして校門で対面すると…二人は永遠に愛し合う」という恐ろしい前例があるのです。

たとえ,迷信だったにせよ,さらしもんか仲間外れにされ,もう普通の男の子にはもどれないという恐怖の日なのです。裕司がクラスメートと一緒に靴箱を開けると…きれいに包装されたチョコがあります。教室にはブラック・バレンタインを楽しむ「いけにえ捜索隊」が所持品検査にやってきます。

裕司は教室から逃げ出し,四日市に衝突したはずみにカードを落とします。そこに書かれていた名前は「五十里真幸」でした。本当は「まゆき♀」なのですが「まさゆき♂」と読まれてしまい中庭には紙吹雪が舞います。しかし,校門で待っていたのは女子高に通う美少女でした。裕司はみんなから手痛い祝福(嫉妬のリンチ)を受けてしまいます。

それから,毎日のように真幸は校門の前で待つようになり,裕司に対するリンチも継続したままであり,野美は物体X時代の裕司を思い出したようです。ホワイト・デーに現れた真幸に,こともあろうに裕司は「おれは母さんが好きなんだ,母さんと口づけしたこともあるんだ」と口走ってしまいます。

真幸の表情は硬化しますがお別れしますの言葉はありませんでした。「だから…ごめん」という裕司の言葉に涙をおさえながら立ち去ろうとする真幸に「でも,きみが…素直な気持ちでストレートにぼくの胸に飛び込んできてくれるなら…ぼくは…きっと…」という声が追います。

この声の主は四日市であったことは笑えます。このような笑いの要素がふんだんにあることで,この物語は変態漫画ではなく青春ラブコメに留まっていられるのです。

二人が出会いは真幸が街角で強引にナンパされそうになったとき,裕司がまちがえたふりをして救ってくれたことが発端です。このときの男らしい裕司の態度が真幸のこころをとらえたようです。

八神という名前しか分からない裕司のことをどのようにして調べたのかは分かりませんが,男子校に忍び込んで靴箱にチョコを置くという思い込みの激しい真幸は四日市の陰の声に後押しされて(女子校の)級友たちに「彼のことを悪くいわないで!?わたしがなおしてみせるわ!!」と宣言します。

カゼをひいた裕司の危ない理性

次のお話はギャグマンガの定番である裕司がカゼをひいたという設定になります。理性で懸命に気持ちを制御しようとしている裕司に野美は「お風呂に入れないので体を拭きます」と迫ります。野美に抑え込まれ身体を拭いてもらった裕司は理性が飛びそうになります。そこに,「遠慮しないで甘えていいのよ,なんでもしてあげるから」という野美の言葉が追い打ちをかけます。

このあたりのやりとりは思春期の男の子の欲望と無邪気な母親のすれちがいドラマとなっており,ていねいに読んでいくとコマごとにいろいろと笑える要素が埋め込まれています。このような(変態を題材にしたものとはいえ)ギャグマンガの才能がこの一作だけで途絶えてしまったのは本当に残念ですね。

校門の前で裕司を待っている真幸に級友たちは彼が病欠であることを知らせます。花束を抱えて八神家を訪問した真幸は野美と初めて出会うことになり「だっ,だれなの,この人…?妹さんはいないはずだし,お手伝いさんもいないはずだ…,ま,まさかお母さんなわけないし…」と複雑な思いを巡らします。

このときのコマには真幸の胸にハート形の「ジェラシー」が描かれています。級友には「大人の魅力に勝てないかもしれないじゃない」と告げた真幸は,自分より年下に見える野美と対面して別の感情が生まれてきたようです。

裕司の部屋に通されて真幸は「キ…キスしてるのかしら?あの人と…?」と衝撃を受け,「八神くんはマザコン,ロリコン,どっちなの?ああ,私はどうすればいいの」と自問します。そのとき級友の「女の武器を使いなさい」という言葉が脳裏をよぎります。

真幸も「なにか…してほしいこと…ある…」とたずねます。裕司は「い,いや…べつに」と答えたので真幸は訪問前の八神家のシーンを再現する長いつっこみを入れます。真幸に言い寄られ理性が危ない裕司はそれでも「気持ちの整理がつかないうちはこの娘に手を出しちゃだめだ!!」と自分に言い聞かせます。

しかし,体の方はいうことを聞かず,キスの体勢に近づいていきます。ギャグマンガですので当然,そこに裕司のクラスメートが現れキスシーンは解消されます。しかし,帰り際に「じゃあまたね」,「お大事に…」で見つめあう二人に,級友は「なにきどっているんだよ!!」と足蹴にして,裕司は真幸と肉体的接触を果たします。

四日市先生の辞任騒動

この話も笑えましたね。前半の部分はなぜか球技大会で裕司と四日市が決着をつけることになりました。賞品は四日市が家庭訪問のときにくすねた野美のピンクのパンティーということです。おいおい,少年誌にこんな話を載せていいのかいという展開です。

ピッチャー裕司の投げたボーツは乾いた打撃音を残してスタンドに飛び込みます。みごとなデドボールに四日市が倒れます。ここから後半の危ない話が始まります。

息子の不始末ですので野美は校庭の木陰に四日市を運んでもらい頭を冷やしています。「野美さん」の叫び声とともに気が付いた四日市に野美が「はいっ」と答えます。目の前に憧れの野美がいる上に,周辺には人影もないのですから(実は大勢の生徒が周辺に隠れて耳をそばだてていまます)四日市は「奥さん!!ぼくは!!」の気合いとともに野美を抱き寄せます。

危ない体勢になりながらも野美は「なんでしょうか(この言葉がその後のギャグのキーワードになります)」と微笑んでいます。この天然ぶりに四日市も裕司の進学の話に切り替えざるを得ませんでした。

しかし,このシーンを監視していた級友たちは裕司に「不倫成立」と告げます。四日市は男のメンツにかけて教室では不倫成立を語ります。この時点で裕司と教職員以外はすべて不倫不成立の一件を知っています。

不倫成立のうわさは校長先生に届き,職員室ではくすだまが割られ,「恋の成就おめでとう!!」の垂れ幕が下がります。感激のあまり校長に抱きつく四日市ですが,校長は冷たく「職員会議で君には辞めてもらうことにしたんだよ」と告げます。

四日市が辞任の挨拶をする日の前に裕司の級友が校長を呼び止め事の真実を話します。これにより,裕司以外は不倫不成立の事実を知ることになります。朝礼壇に立ち四日市は「心して聞いてください!!ぼくはっ!!じつはっ!!」と言うと(裕司を除く)全校生徒が「はいっ,なんでしょうか」と唱和します。

四日市はあの日のできごとを全生徒が知っているとを知ります。さらに,校長や教頭に助けを求めると,「はいっ,なんでしょうか」と返ってきます。四日市は「やめてやる,やめてやるーっ!!」と叫び,校長は彼をつかまえて「やめなくていいんだってばあ」と笑いながら告げます。

大団円

上記の話は2巻までのものであり,物語でもっとも面白いと感じた部分で,す。「八神くんの家庭の事情」は全6巻であり,その後も七瀬密子,八百井刺激などの登場人物を増やしながら続いていきます。ただし,話はだんだん過激な方向に進んでいき,ギャグで包まれていた変態の世界がストレートに表に出てくるようになります。そうなるとドタバタはエスカレートしても興ざめしてしまいます。

そのままでは空中分解しそうであったのですが,最終話では記憶喪失ネタを背景に大団円となります。真幸の部屋で
「わたし…そんな裕司くんのマザコンを直そうと思っていた。でももうあきらめる…なおりようないみいだから」
「だから,裕司くん,これからはお母さんに甘えたくなったら…わたしに甘えて…マザコンのままでいいから…お母様だと思って甘えて」
「ま,まだ17のわたしだけど,がんばってお母様のような女性になってみせるから」
と告げられ,思わず真幸を抱きしめます。

そのとき学園の関係者が五十里家を包囲し,「君は完全に包囲されている!!おとなしく人質を解放してでてきなさい!!お母さんは泣いているぞ!」という声がします。野美は「裕ちゃん,お願い帰ってきて!!お互いに話しかけましょう」と語りかけます。

「お願いよ,なにかいいたいことがあるならはっきりとなんでもいって!,私たち親子でしょう」と諭され裕司は
「おれは母さんが好きだあー!!」
「真幸と同じように異性としてみていたんだ!!真幸のことも好きだけど…おれはもうずっとずっと一人の女のコとしていつまでも恋をしていたんだ!!」
「おれは異常に母さんが大好きでたまらない,ほとんど変態の超マザコンなんだよぉー!!」
と叫んでしまいます。

さてこれを聞いて野美さんはなんと言ったでしょう。彼女は
「ばかね裕ちゃん…そんなことは分かっていたわ」
「男にとって母親は一番最初の恋人なんだもの」
「それに女は誰でも母性をもっているものだから,男が女にひかれる限り男はみんなマザコンなのよ」
「でも裕ちゃん,ほんとはその気持ちは錯覚だと分かっているのよね,裕ちゃんはいま,ちゃんと本物の恋人五十里さんを見つけたでしょう」
と結びます。野美さんの話はちょっと核心がずれているにせよ,危ない話をきれいにまとめましたね。はい,おしまいです。


古祭

ある土地に刻まれた落城伝説を現代のこころの病にからめた異色の作品です。落城を目前にして城内では城主の娘美奈保姫がまっさきに懐剣でのどをつき,それを追って婦女子はみな自害したとされています。

そんな伝説のある城址に学校が建ち,石垣の残る構内の片隅には寄せ手の大将の武具が置かれています。無意識のうちに手首を傷つけた山口沙霧の近くにいたことで停学処分に処された天野瞬は悪友とともに校舎の窓ガラスを割りに行きます。

そのとき,すべての窓ガラスは内側からはじけるように割れ,天野たちはその場に倒れます。それを見ていた山口沙霧(の幽体)は「古祭が始まる」とつぶやきます。

単行本の奥付は1987年となっており,「八神くんの家庭の事情」と同じ時期の作品であることが分かります。土地の伝説とヒロイン山口沙霧の多重人格を結び付けて,テンポのよい怪奇物語となっています。この頃の,作者の絵柄は物語の性格ににぴったり符合しています。