私的漫画世界
垣野内さんはこんな癒し系の作品も描けたんですね
Home私的漫画世界 | 午後三時の魔法

垣野内成美

垣野内さんの絵は軟らかい線を駆使した独特のものであり,けっこう好みなんです。しかし,マンガとして出版されているものは「吸血姫美夕」,「チャイナ・ブルーJASMINE」,「薬師寺涼子の怪奇事件簿」など超常の世界を扱った怪奇ものが多いので敬遠してきました。

これだけ華麗な絵が描けるのですら日常の世界を題材にしてもよい作品ができるのにと思っていましたら「午後三時の魔法」に巡り合えました。この作品は1993-1999年にかけて「月刊アフタヌーン」という男性誌で不定期連載されました。

垣野内さんの作品が男性誌に登場することはちょっとした驚きであり,しかもその内容が主人公の「ナイチンゲール(勝手にこう呼ばせていただきます)」が悩みや苦しみを抱えていたり,生活に疲れている人々を午後三時のお茶会に誘って癒すという物語なのでもう一度驚きました。

垣野内さんはこんな物語も作ることができたんですね。もちろん,「ナイチンゲール」の癒しの影には彼女自身の抱える悲しみや苦しみがあるのですが,そこは作品を読んで確かめてください。垣野内さんの軟らかい描画と癒しの物語がちょうどマッチしており,個人的には彼女の最高傑作としたいと考えています。

最近の作品は「薬師寺涼子の怪奇事件簿」がメインになっており,もとの怪奇物の世界に戻ってしまっていますが,「午後三時の魔法」のように日常の世界の作品を描いてくれないかなあと考えています。

物語の構成

単行本は全4巻であり17話が収録されています。それぞれの話にはメインゲストの名前がサブタイトルとして付けられています。物語は「その手と声は魔法。午後三時をしらせる時計の音とともに元気が戻ってくる」という一文から始まっています。

ゲストとして登場する人たちはさまざまな悩みや苦しみ,あるいは生活に対する不満を抱えています。そのような人たちが雑木林の奥にあるかって医院だった古いお屋敷のような建物を訪れると黄色の小鳥が「さあ,いらっしゃい」というように入り口に続く中庭に案内してくれます。

すると,どこからともなくとても古い看護婦(現在は看護士ですね)さんの服装をした若い女性が現れます。人によっては背中に羽が見えたと言う人もいます。作品中にはこの女性の固有名詞は出てきませんので,会った人によっては看護婦さん,ナイチンゲール,天使などと形容しています。私は便宜上,ナイチンゲールと呼ばせてもらいます。

実際の「ナイチンゲール」は19世紀半ばの英国人であり,近代看護婦制度の産みの親とされています。当時の病院では看護婦は病院で病人の世話をする単なる召使として見られており,専門知識の必要がない職業と考えられていました。ナイチンゲールは専門的教育を受けた看護婦の必要性を訴え続けていました。

ロシアとトルコが戦ったクリミア戦争で英国はトルコ側に付いて参戦します。負傷兵が収容された後方の病院で周囲の反対にもめげず,看護にあたり,病院内を清潔に保つことにより感染症を減らし,多くの人命を助けることになります。

その働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれ,そこから看護婦を「白衣の天使」と呼ぶようになったとされています。しかし,ナイチンゲール自身は「天使とは美しい花をまき散らす者でなく,苦悩する者のために戦う者である」と語っています。

垣野内さんの作品の主人公は概して能力に秀でた者という設定が多いのですが,「午後三時の魔法」のナイチンゲールはやさしさやはかなさを造形化したキャラクターとなっています。軟らかい線をつなぎ合わせた繊細な描画はいつも微笑みを絶やさないけれどどこか影のある彼女の特性をとてもよく表現しています。

黄色の小鳥の案内はいつもというわけではなく,ときにはナイチンゲールが前置き無しに現れることもあります。そして,彼女はきまって「午後三時のお茶会にようこそ」と言って人々を二階の部屋に案内して紅茶を入れてくれます。

ファンタジーの世界を漂うナイチンゲールの想いと現実世界で悩みや苦しみを抱えるゲストのこころが「午後三時のお茶会」を通して交感します。ナイチンゲールはゲストの抱える悩みや苦しみなどを見通しており,紅茶を飲みながら彼女と話すうちにゲストは悩みや苦しみが癒され元気を取り戻します。

彼女自身が特別なセラピストとしての能力を発揮しているわけではなく,ゲストが自分の力で悩みを解決していくところがミソです。お茶会が終わるときには柱時計がボーン,ボーン,ボーンと午後三時を告げます。

彼女と過ごすお茶会の時間は短くもあり,とても長いこともあります。しかし,そこでの時間はいつも午後三時なのです。そうです,午後三時は魔法の時間なのです。

癒しの時間を過ごしてゲストは古い洋館を後にしますが,ナイチンゲールの想いはそこに留まっており,彼女の悲しみや苦しみはゲストに伝わることはありません。

それぞれの話の中にはナイチンゲールの生い立ちに関する記述がナレーションのように断片的に語られており,最終話で「いつも求めていたのは私,人の笑顔は私に幸せをくれるの」という彼女の想いが明らかになります。これが「午後三時の魔法」の秘密なのです。

彼女の生い立ちに関するこのような語りの手法は読者の興味を引き付けます。それぞれのお話で癒されるゲストとナイチンゲールの謎めいた秘密がほどよいバランスで物語を作っています。ファンタジーの世界と現実の世界を「午後三時のお茶会」という一点に凝縮させた秀逸な発想の作品です。

Tea Time 1:浩樹

そこには年老いた医者が一人
ご自慢の白いヒゲをなぜながら患者に魔法をかける
薬も注射もなにもいらない
ほれ,治ったろ?
”病は気から”と昔から言う
……その手と声は魔法

ほんと…治ったわ
おいしゃさま すごいわ
少女と老医者の会話の背後には柱時計が時を刻む音が静かな診察室に響いています
そして 柱時計はボーン…ボーン…ボーン…と三時を告げます
あら三時 帰らなくっちゃ おやつの時間よ
さようなら おいしゃさま ありがとう
もう おなかもいたくないし
ママのクッキーがいただけるわ
ありがとう

しかし…,彼と時を刻んできた大きな柱時計は今も動いているのに,彼の時間は止まった。それから雑木林の奥のお医者様は休診のまま……

第1話の出だしはこのような情景から始まります。物語は1話完結の形となっており,その冒頭にはナイチンゲールの生い立ちが断片的に記述され,その後に時間軸を現在に戻した物語が始まります。

ゲストは弁護士を目指す大学生の「津川浩樹」です。父親は弁護士事務所を開いており,浩樹はその跡を継ぐことを期待されています。しかし,家族の期待と自分のやりたいことにギャップがあり,授業にも身が入らないまま留年しています。

体調も優れず本人は「永久に直らないカゼ」と自己分析しています。弟の優樹(高校3年生)にけしかけられて,かって診療所であった建物に入ります。
(どうぞお入り下さい)
という声が聞こえ浩樹が二階に上がろうとすると黄色い小鳥がまるで案内をするように二階に向かいます。診察室と思われた部屋に入ると,そこにはお茶用のテーブルセットとソファーセットだけが置かれており,窓際のカーテンを開いているナイチンゲールが目に入ります。

(彼女は人間なのだろうか)
浩樹が思わず自問するほど彼女は不思議な雰囲気をもっており,服装も20世紀初頭の看護婦のものです。彼女は浩樹の額に手をあて,「熱はないみたい」と微笑みます。彼女は浩樹をお茶に誘います。浩樹がイスに座ると彼女がどこからともなく現れたティーポットから紅茶を注ぎます。

彼女の質問に答えるかたちで浩樹は「父が弁護士であり,自分は両親のために大学には入ったけれど,本当に弁護士になりたいと思ってんだろうか…と思う。イライラするし食欲もなくて,ずっとカゼひいているみたいになる」と現在の心境を語ります。

ナイチンゲールはカーテンを引くと大きな月が見えます。彼女は「だいじょぶよ…真実の目があなたを守ってくれる…だって,あなたはこの月が見えるんですもの…なんだってできるはずだわ」と語りかけます。柱時計が三時を告げ,浩樹は建物の外に出ます。すでにカゼらしい病気はすっかり治っていました。これをきっかけに浩樹は自分の目指す道を自分で選択することになります。

第2話には優樹の同級生の「川島理恵」,第3話は理恵の姉の「真理」というように物語はつながっていきます。第1話がなぜ「浩樹」でなければならなかったのは物語が進行していくと明らかにされます。

ナイチンゲールと「浩樹」は子どもの頃に一度会っており,「あなたは元気を運んできてくれたの」と話しかけられます。「浩樹」は再びナイチンゲールに出会い,自分の目指す道を医者に決め,学部を変えて再入学します。そして…,後の展開は単行本で確認してください。