科学的な知見とひらめきがちりばめられています
「アフター0(ゼロ)」はビッグコミック・オリジナルなどに断続的に掲載された短編を集めたものです。「大いなる眠り子」のようにシリーズになっているものもありますが,残りは一話完結型の全く関連の無い物語となっています。
それらの短編を全6巻にまとめたのですが,その後しばらくして「著者再編集版」として全10巻が再刊行されました。これは最初の6巻に収録されなかった作品を追加し,さらにジャンル別に再編集されたものです。4巻分のために10巻をまとめて買うにはちょっと抵抗があり,我が家では旧版の6巻でガマンしています。でも岡崎さんの作品は大好きですのでそのうち買うことになるでしょう。
それにしても「アフター0」は何というジャンルの作品というべきなんでしょうか。基本的にはSFなのでしょうが,いろいろなタイプの不思議な物語が収録されており,作者の想像力というか創造力の豊かさを感じさせてくれます。表紙の絵から分かるようにほのぼのとした丸顔の登場人物が多く,内容もハッピーエンドで終わるので安心して読み進めることができます。
ただし,一つのストーリーの中で思わぬひねりが入っており,それが楽しみでもあります。基本的な物語の発想とひとひねりがこの作品の魅力です。逆に作者独特のひらめきが無ければ作品は描けないということになりますので,どうしても作品は不定期かつスローペースになるようです。
物語の中で科学的な知見に基づく説明がなされることが多々あります。もちろん,そのような科学的事実の延長上に作品のストーリーが成立するとは言い切れませんが,なんとなく「そんなこともあり得るかもしれない」と思わせる説得力を感じます。かといって,知識を前面に出した作品ではありませんので,仮にその方面の知識が無くても十分楽しめます。
このような物語は星新一さんの短編集を思い起こさせてくれます。星さんの作品もSFから現代ものまで幅広いジャンルで書かれており,その一つ一つに人間社会への皮肉やブラックユーモアが含まれています。彼のショート・ショートは文章も平易であり,誰にでも書けそうに思えますが,それは決して正しい評価ではありません。
星さんの作品ではSFや現代ものまで多様な舞台が用意されています。しかし,舞台装置で読者をひきつけるのではなく,そこで展開される人間の振る舞いに関する奇抜なアイディアとどんでん返しのような結末の意外性が作品の命となっています。
星さんの作品ではいろいろな機能を持つ薬品や装置が原理を説明することなくそういうものとして登場しています。それに対して,岡崎さんの「アフター0」ではそのような機能がどのように働くのかについて科学的な知見を交えて説明しています。この辺りもアフター0の面白さの一面となっています。
スローライフの人です
岡崎さんの他の作品には「大平面の小さな罪」 ,「国立博物館物語」 ,「時の添乗員」,「ファミリーペット・SUNちゃん」などがあります。いずれも「アフター0」と同じような形式の作品になっています。
「アフター0」の中で断続的に発表された「大いなる眠り子」などは,それだけを取り出すと単行本「大いなる眠り子」になります。他の作品も同じような傾向があります。つまり,物語のテーマや登場人物が固定されるたものが上記の作品ということになり,つながりのない短編を集約したものが「アフター0」ということになります。
それにしても岡崎さんの寡作ぶりには驚かされます。「アフター0」の執筆が開始されたのは1988年ですから,20年で総執筆量が単行本20巻程度ということになります。良いものをしっかり描こうとするとこのくらいの仕事量になるのかもしれません。
私が子供の頃は月刊誌しかありませんでした。その時代は月刊30ページであった仕事量が週刊誌になると毎週16ページになります。1週間でストーリーとネームを考え,それから作画ということになります。アシスタントなしでは成立しない仕事量です。やはり,良い作品を後世に残すためにはビッグコミックのように隔週発行が望ましいですね。
世の中でも「スローライフ」や「スローフード」という言葉が一定の重みをもつようになっています。ひるがえってみれば,日本は第二次世界大戦で廃墟となった国土を復興させ,高度成長により先進国の仲間入りを果たしました。
その後もグローバリゼーションの荒波の中で工業立国の地位を保つために経済的な効率と速度が求められました。IT技術の急激な進展と浸透がそのすう勢をさらに押し進めました。現代の世界では効率&速度=良いことという図式がすっかり定着しており,それに対して筑紫哲也さんは「それで人は幸せになれるか」という根源的な問いかけをしています。
少なくとも効率&速度には悪いところもあると考えておくべきでしょう。私たちは経済原則の流れに身を任せるのではなく,一度立ち止まり「自分にとっての幸せとはなんだろうか」と自問する必要があります。「スローライフ」が現代社会の抱えているさまざまな問題の解答とは考えませんが,大量の資源やエネルギーの使用で成り立っている効率&速度至上社会を見直すきっかけにはなるでしょう。
旧版の掲載作品一覧
岡崎さんの作品は固定的なファンは付いているようですが,地味な作風のせいか全般的な知名度は低いようです。このような暖かい良質な作品が多くの人たちに読まれ,支持されるようにならないかと期待しているのは私だけではないでしょう。旧版の全6巻のタイトルを紹介すると左のようになります。
各巻にはその中に含まれている代表作品のタイトルが付けられていますが,必ずしもそれぞれの巻の内容を表すものではなく,いろんなジャンルのものが混在しています。それらの作品を分類整理したものが「著者再編集版」ということになります。個人的には旧版のようにいろんな作品が混在している方が一つひとつの作品が新鮮に感じられるような気がします。
私の特に気に入っている作品をいくつか紹介してみます。第1巻第2話「種を蒔く男」は異星に生命を播種し文明を育てる宇宙人の物語です。地球に派遣されている那由他氏は人類の文明が破滅に向かわないように注意深く調整しているのです。
「那由他(那由多)」とは漢字圏における数の単位であり,時代によりその大きさは異なっています。現在の解釈では1060が主流となっています。西洋のべき数の最大級がエクサ(E,1018)ですから漢字圏の数の概念が際立って大きなことが分かります。
西洋のキリスト教社会では中世まで地球の年齢は旧約聖書の記述から4000年程度考えてきました。それに対して仏教では釈迦が入滅してから56億7000万年後に衆生を救済するために弥勒菩薩が現れるとされています。時間のスケールが西洋とは桁ちがいです。そして,これは偶然ですが56億7000万年後とは太陽の残り寿命とほぼ同じなのです。
過去の文明の多くがなぜ崩壊したのかという問いに対して,那由他氏は「問題の本質は人間の社会的精神の発達に比べて,技術の発達のスピードが常に速すぎるというアンバランスにあります」と答えます。良い文明とは社会的精神と技術のバランスがとれていなければならないというのです。未熟な文明が宇宙にまで拡がりをみせるようになり,修正が不可能でありかつ十分に危険な場合は「消します」と那由他氏は続けます。
現実の世界では人類は地球という宿主に寄生するがん細胞のようなものになっています。人類は地球の生態系に修復不能なダメージを与えつつあり,他の多くの生物種を道連れに破滅の道を歩んでいます。「種蒔く人」が調整する前に自壊する文明となりそうです。
第3巻第4話「悪魔の種子」も秀逸な発想です。この話は「何人もこの種子を国外に持ち出してはならぬ。国の民の為に使うべし。もしこの禁を破れば恐るべき厄災が訪れるであろう。 ”アショーカ王碑文より”」という一文で始まっています。
アショーカ王はマウリヤ朝最盛期の第3代の王であり紀元前268年頃に即位しました。当時のインドでは年代を記録するという習慣がなく,アショカ王の即位年はたまたまギリシャの文献に記されていたので分かりました。アショーカ王の即位年が判明したことは古代インドの歴史を語る上ではとても重要です。
釈迦は80歳で入滅したことは知られていますが,それがいつであったかはインドの文献からはまったく分かりません。唯一,仏典の中に入滅後X年後にアショーカ王が第三回仏典結集を行なったと記されていますので入滅時期を推定することができます。しかし,このX年後が上座部仏教と大乗仏教では100年くらい異なっていますので,現在でも釈迦の入滅年は確定していません。
「悪魔の種子」とはある特殊な性質をもった小麦(MR-99)のことです。今から2200年くらい前の小麦の種子はいくら保存状態が良くても発芽しません。そのため,遺伝子を完全な形で取り出し,その遺伝子を近種に移植し発現させることに成功しました。
この小麦は乾燥に非常に強く,しかもマメ科の植物のように自らの根粒細菌が窒素を固定しそれを養分として生育するという優れた性質をもっています。テスト地に選ばれたタイの農地はキャッサバ栽培により地力が吸い尽くされたところですが,そのような不毛な土地でもMR-99は十分な収穫が可能でした。
このような性質をもった小麦が見つり,特許をとることができれば途方もない利益を産むことになります。植物特許の世界では農家は特許所有企業から種子を買って栽培することができますが,収穫物である種子を次世代の栽培に使用することを禁じています。つまり,農家は毎年特許所有企業から種子を買わなければならないのです。
MR-99は3年で世界の栽培面積の30%を占めるようになりました。しかし,最初の実験地であるタイでは4年目に収穫がゼロになってしまいました。世界中で同じ現象が発生し,特許企業の梅澤化学は窮地に陥ります。
この4年目の時限爆弾のような性質が「悪魔の種子」の正体だったのです。MR-99は土中の窒素分を増やしますが,窒素分が十分高くなった(肥沃になった)土地では育たなくなるのです。やせた土地を肥沃な土地に変えることがMR-99の本来の役割だったのです。このアイディアは秀逸であり,思わず拍手をしたくなります。この話はさらにひねりがきいていますがそれは本で確認してください。
このようななるほどとうなづける話が詰まっています。個人的には事件の謎ときものより,幸福への叛乱(第2巻),大きな角をもつ男(第3巻),あの世の方程式(第3巻),ショートショートに花束を(第3巻),モルヒネ奇譚(第4巻),シュリーファー博士の優雅な研究(第5巻),幸せはどんな色(第5巻),マイ フェア アンドロイド(第5巻),進化の果て(第6巻)など科学的なひねりのきいた作品が好みです。