私的漫画世界
岡崎さんの作品の中では読みやすい
Home私的漫画世界 | セカンド・バージン

変わったタイトルです

母親樹美子,女子高生のセリナ,小学生のカリナのという母子家庭の話であり,樹美子は夫と死別後,ずっと男性とのおつきあいなしで過ごしてきたようですので「セカンド・バージン」というタイトルになったのかなと思っていたら外れでした。

作者の岡崎京子の最初の単行本が「バージン」であったので,二冊目は「セカンド・バージン」ということになったという身もふたもない種明かしがネットに掲載されていました。

もっとも単行本のあとがきに作者の考えたタイトルは「ノンキな母さん」あるいは「母さん星見つけた」だったそうです。あまりにも岡崎作品イメージとはかけ離れています。「セカンド・バージン」は担当者がつけてくれたもので,作品のイメージにぴったりです。

最終話に「母さんもお父さんと結婚してお前とカリナを産んで育てて…でも…なんだか二度目のあの季節が来たみたい」と述懐しています。当然ですがタイトルが先に決められたことでしょうから,最終話の樹美子の述懐は「セカンド・バージン」という洒落たタイトルに合わせた作者なりのけじめだったのではと想像します。

岡崎さんは「女の子エッチ漫画家」とインタビューで言われるほどHシーンが多い作品を手掛けているので個人的には苦手にしています。しかし,初期作品の「セカンドバージン」や「TAKE IT EASY」などはHシーンも少なく,割とほのぼのした感じの静かな展開であり,とても読みやすい内容になっています。

それに対して「くちびるから散弾銃」などは女性のものすごいおしゃべりに圧倒されます。上下合わせて260ページのおしゃべりを聞かされるのはちょっとした拷問であり,読み終わったときは解放感でいっぱいでした。どうも,岡崎さんの感性は一筋縄ではいかないようです。マンガ家でも「新人類(新類人?)」は出てくるんですね。

セカンド・バージン

装丁のページに「コンニチワ。始めての(初めての?)ごあいさつです。私が作者の岡崎です。訳あって目次はありませんのが次の次のページから全32話あります。大変ですががんばって読んでください。あとがきでお逢い(お会い?)しましょう」とあります。

単行本は222ページですから,1話あたり6ページの短さです。通常,このような構成をとるときは1話ごとにタイトルを付けるのですが岡崎さんはたんに第1話と表示しているだけなんです。確かにタイトルなどを考えるより内容に時間を使った方がずっと生産的です。

しかし,生来の怠けぐせあるいは遊び好きのため駆け出しマンガ家のときから締め切りに苦労していたようです。作者の言によると「締め切りはパンツのゴムとおなじようにいくらでも伸びる」もののようです。

物語は母親吉野樹美子(34歳),長女セリナ(高校1年生),次女カリナ(小学生4年生)の母子家庭を中心に展開されます。

第01話:樹美子のお見合いと子育ての成果
第02話:ブライアン・フェリーのおじさん登場
第03話:カリナの友だちのレイコの母親と樹美子はライバル
第04話:お母さんの職業はなに?
第05話:樹美子と吉野のなれそめ
第06話:女だけの生活も悪くない
第07話:セリナのBFの久ノ内君が樹美子に一目惚れ
第08話:樹美子34歳,新たな恋の予感
第09話:茶目っ気で樹美子はチョコレートをあげようとする
第10話:インテリの土方おじさんに母娘がチョコレートを…
第11話:土方おじさんの追憶と彼の正体
第12話:久ノ内君は随筆少年に
第13話:寺山修一(土方おじさん)を思い出せない樹美子
第14話:カリナとレイコは塾をさぼって原宿へ
第15話:3枚1000円のパンツ騒動
第16話:樹美子の実家は中洲川,おじいちゃん登場
第17話:男女七歳にして席を同じうせず
第18話:お母さんは好きな人いるの
第19話:お母さん,お母さん,ナプキン頂戴
第20話:自分の若さと娘の若さを秤にかけりゃ…
第21話:彼がもうすぐ帰ってくる
第22話:樹美子が馬好きになった理由
第23話:カリナの誕生日に土方おじさんがお呼ばれして
第24話:親がしてやれるのは当たり前の事だけですよ
第25話:樹美子さんの恋する瞳
第26話:カリナと土方おじさんが和解
第27話:セリナが中絶?
第28話:私とあなたがたのお父さんとは友人でした
第29話:妻は二夫にまみえず
第30話:お母さんのこと好きじゃないの?
第31話:あらキミコ,オメデトウ
第32話:ねえ,おまえバージン?

樹美子(旧姓中洲川)は高校生のとき学校にも家庭にも社会にも不満だらけであり,その反動で街をさまよっていました。英語教師の吉野に頬を張られ,「君はさみしいだけなんだ」と諭されます。どこからそんな言葉が出てくるんだと言いたくなりますが,ともあれ,これで樹美子は恋におち,高校を中退して吉野先生と結婚(できちゃった婚)します。

結婚後9年で吉野は亡くなり,樹美子は実家の援助なしに2人の子どもを育てています。樹美子が34歳のときに母子家庭の物語は始まります。1話6ページの中に割と(岡崎さんとしては)常識的なあるいは微笑ましい話が載っていますので安心して読み進めることができます。

第4話で姉妹が母親がどのようにして生計を立てているかという疑問について話し合っています。セリナは「誰かの愛人でありお手当てをもらっているのでは」と推理し,カリナは(二階の部屋にこもって,絶対入ってはダメと言われているので)「もしかしたらお母さんは(隠れて機を織る)鶴なのかもしんない」と返します。この返しは絶妙でした。

第5話に樹美子と吉野先生とのエピソードがあります。英語の時間にサルトルを読んでいたので吉野先生から注意されます。そのときの言い分は「授業中に私が本を読もうと他の人に迷惑をかけている訳ではありませんし,私の時間をどう使おうと自由です。成績のことでしたら先生の授業を聞かなくてもテストで百点をとれる自信はあります。その事で何か言われるとしたらナンセンスです」ということでした。

「ナンセンス」,懐かしい響きの言葉です。1985年の時点で34歳の樹美子が17歳のときは1968年ということになります。あのころは日本各地の大学紛争で生まれた「ナンセンス」という言葉がずいぶん使われました。自分と異なる意見はすべてナンセンスで片付けようとするひどい独りよがりの論理でした。そのような稚拙で未熟な問答無用の論理が日本の大学紛争を支配していたのです。

第7話:セリナのBFの久ノ内君が登場します。吉野家で一緒にお勉強をしているとき樹美子がお茶を運んできます。樹美子のやさしさに久ノ内君は一目惚れし,翌日からは吉野家の郵便受けに樹美子宛の随筆風の手紙が舞い込むようになります。

第8話で樹美子,セリナ,久ノ内が工事現場で寺山(土方おじさん)と会うことになります。このときも車に気が付かない樹美子にツルハシが飛んできて難を逃れます。う〜ん,飛んでくるツルハシの方が危ないですけれど…。これで樹美子に恋の予感が…。

第20話:セリナの中学時代の同級生が結婚することになり樹美子にワンピースが欲しいとねだります。樹美子は「買ってあげましょおおお」と応じます。ところがデパートで待ち合わせの時間に少し早く来てしまった樹美子は店員に勧められて化粧品をたくさん買ってしまいます。セリナに謝ったときの背景に「♪自分の若さと娘の若さを秤にかけりゃ,やっぱ自分の若さが大事よ♪と」いう樹美子の心理が文字となって出てきます。

第24話:子育てに悩む樹美子が母親に「何だか考えちゃうんですよね」とぽろっと漏らします。それに対して母親は「親がしてやれるのは当たり前の事だけですよ。思い上がっちゃダメ,人に何かしてやれるなんて考えない事よ」と諭します。80年代になると子育てがまともにできない親が増えてきますので,なんとなく説得力のある言葉ですね。せめて当たり前の事だけはちゃんとしてもらいたいですね。

というような感じで物語は進んでいきます。この作品を執筆しているときの岡崎さんは22歳,子育てをしながら自立して生きる女性の姿は作者にとって一つの理想像だったのではと想像します。


TAKE IT EASY

日本語にすると「気楽にやれよ」といったところでしょうか。日本では受験生に「がんばってね」と励ましますが,米国では「TAKE IT EASY」と言います。がんばれ,がんばれでは自分の負荷を過大に意識することになり,気楽に,気楽にでは本当に努力することから遠ざかってしまいます。この作品のタイトルのように主人公である一浪の弥七郎も後者に属しているようです。さっぱり受験勉強に身が入らず,幼馴染の千代子,真吾,トモジと引き起こす騒動が描かれています。

実家は蕎麦屋なのですが,祖父と母親が切り盛りしています。その祖父が体調を崩し,祖父が死んだらどうしようなどと思い悩む弥七郎なのです。最終話では蕎麦屋を継ごことになり,千代子からは「いいかげんねえ」と言われ,「いいかげんだよ…ま…TAKE IT EASYってとこさ」という落ちで終わります。この作品も異次元に飛んでしまった後期作品にくらべると,(いいかげんさには溢れているものの)読みやすく,爽やかな読後感の作品です。

くちびるから散弾銃

全2巻で260ページの全編が23歳のかしまし三人娘(一人は既婚者)の会話から構成さえています。絵は会話の背景説明のために存在しているような奇異な作品です。まあ,岡崎さんの描く人物はもともといいかげんなタッチですので,このような作品もありということです。

それにしても女性の会話というのはすごいものですね。日常生活のこまごまとしたことをよどみなく話す能力にはひたすら驚きです。このようなとりとめのないおしゃべりは女性にのみ許された特権のようです。男性がこんな調子で話していたら社会人失格の烙印を押されかねません。読後感は「は〜,ようやく終わったか…お疲れさま」といったところです。