私的漫画世界
石坂さんの作品で唯一手元に残っています
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ムスコンとはなんだろう

ムスコン(muscone)を調べると麝香(じゃこう)の芳香成分の元になっているという説明があります。麝香は雄のジャコウジカの腹部にあるジャコウ腺から分泌される物質であり,ムスク(musk) とも呼ばれます。麝香の香気成分の主役はムスコンということになりますが,その他にもさまざまな薬理作用をもつ男性ホルモン関連物質も含まれています。

ジャコウジカはアジアの山岳地帯,森林地帯,潅木地帯に生息しているシカの仲間です。ただし,シカ科とは別のジャコウジカ科に分類されています。これは通常のシカよりも原始的な特徴を備えているためです。

ジャコウジカは一頭ごとに別々の縄張りをもって生活しており,繁殖の時期だけつがいを作ります。シカの仲間は自分の縄張りを宣言するため,しばしば顔腺から分泌する匂い物質を灌木の枝などに付けます。ジャコウジカの場合は尾腺がその役割を果たしています。

繁殖期になるとオスは縄張りを出てメスを探します。そのときオスのジャコウ腺から分泌される物質が遠くにいるメスに自分の存在を知らせる一種の誘引物質として機能するのではと考えられています。オス同士はメスを巡って争います。一般的にシカの仲間はオス同士の争いのために枝角をもちますが,ジャコウジカは代わりに長く伸びた上の犬歯を武器にします。

麝香は有史以前からインドや中国では薫香や香油,薬などに用いられていました。アラビアでもクルアーン(コーラン)に記載があることからそれ以前に伝来していたと考えられています。もっともキリスト誕生のときに東方の三博士(賢者)が携えてきたのは黄金,乳香,没薬でした。

乳香はカンラン科の乳香樹という木から採取される乳白色の樹脂で,薫香として使用されます。没薬は同じカンラン科ミルラノキ属の樹木から採取される赤褐色の樹脂であり,死者の体を浄めるために使用されています。アジアの西の世界では最高の薫香材料は乳香でした。

それに対して,アジアの東側では麝香は香水の香りを長く持続させる効果があるため香水の素材として極めて重要でした。 また,興奮作用や強心作用,男性ホルモン様作用といった薬理作用を持つとされています。

麝香(musk)の香気成分というのでムスコン(muscone)という名前が付けられたようです。しかし,麝香を採取するためジャコウジカは乱獲されてきた歴史があり,現在は絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)により麝香の商業目的の国際取引は禁止されています。

作者がこの作品に「ムスコン」というタイトルを付けたのは単純に息子という音を元にした音感だけの表現とみることもできますが,麝香の性誘引物質としての機能と母と息子の関係を意識しているとも考えることができます。後者ならば危ない物語ということになりますが,どうやらこの作品は前者のレベルで留まっているようです。

石坂啓さんについて

作者の石坂啓さんは漫画家,作家,フェミニスト,「週刊金曜日」の編集委員などの肩書をもっています。wikipedia には左翼活動家として湾岸戦争時にはハンガーストライキを行った,2003年には小田実・姜尚中・和田春樹らと「東北アジアの平和を求める日韓市民共同声明」を発表した,2006年には加藤紘一宅放火事件に対し「民主主義にとってテロは敵だ。言論封じのあらゆるテロを許さない」と非難する共同宣言を上原公子らと共に発表したなどという記述があります。

この記述から現実の世界では女性の人権,言論の自由,反戦,朝鮮半島など硬派の問題に取り組んでいる様子が分かります。おそらく彼女の価値観の中で大きな位置を占めているのは「自由と平和」なのでしょう。これに付け加えると民主主義と男女平等ということになります。

このような価値観で湾岸戦争時のイラク,現在の中国,北朝鮮に対してどのようなメッセージが発せられるべきなのでしょうか。湾岸戦争時のイラクは(クゥエートの成立時の歴史的問題はあるにしても)明らかに侵略であり,隣国の平和と自由を踏みにじる行為です。

現在の中国,北朝鮮は自由と民主主義の対極にある独裁国家,軍事国家です。石坂さんの価値観からするとこれらの国は最大限に非難されてしかるべきなのですが,どうもそうではないようです。

私も民主主義,平和,自由,人権は人類社会の普遍的な価値観であると考えています。そのため,湾岸戦争時の多国籍軍の戦争行為を是としており,現在の中国や北朝鮮はとんでもない国家だと考えています。

平和を希求することと戦争あるいは武力行使に反対することは必ずしも同じものではありません。武力行使や戦争とは暴力であり人と人が殺し合いをする行為ですから本来否定されるべきものなのです。

しかし,日本でも個人あるいは武装集団が人々に危害を加えたり殺害していたら警察は武力行使をしてでも鎮圧します。警察の武力行使により死者も出るかもしれません。それでも,このような武力行使は不適切だと非難する人はまずいません。人は平和で自由な社会に暮らすことを希求しますが,それらを守るためには武力行使が必要なこともあるのです。

ところが一部のメディアや評論家と称する人々は警察の武力行使に論評を加えようとします。命がけで武装集団を鎮圧した警察の行動に明白な法的あるいは道義的な行き過ぎ行動でもあれば別ですが,方法論についてとやかく論評するのはフェアではありません。自分を安全なところに置いた者の論理と現場の論理や行動は異なっていて当然なのです。

クゥエート(1979年),ルワンダ(1994年),ボスニア・ヘルツェゴビナ(1995年),コソボ(1999年)など世界各地で局地的な紛争や民族対立で多くの人命が犠牲になっています。武力が平和をもたらすわけではありませんが,武力を行使しなければ人命や平和を守れない場合があることも理解しなければなりません。

もちろん,武力行使は最後の手段であるべきですが,ルワンダのように国際社会が介入時期を失すると後の祭りということになります。このような国際社会の武力介入を一般的な戦争行為と一まとめにして非難するのは決して公平な判断ではありません。価値観としての優先順位は平和の維持や人道的危機の回避であり,武力行使の是非はその次の問題なのです。

サダム・フセインにもクゥエート併合に対する言い分はあり,それは必ずしも間違っていると言い切れるものではありません。それでも,となりの独立国を侵略し,その富を奪い取ろうという行為は糾弾されるべきであり,武力行使をしてでもクゥエートは解放されるべきなのです。

どこの国にしても他国の紛争で自国の若者の血が流されることを望む指導者はいません。その心理を織り込んでサダム・フセインはクゥエート併合を強行したのです。多国籍軍の主体となった米国・英国の指導者が(石油資源のためとはいえ)つらくて重い決断をしなければ,クゥエート併合は既成事実化されたことでしょう。

同時にクゥエート解放という大義をもった「湾岸戦争」でも批判されるべきところは批判されるべきです。その場合は国連決議に基づく武力行使に反対する根拠と論理が明らかにされなけばなりません。

石油のために米国が武力行使をすることは「悪」であるという単純な図式で反戦を叫ぶのは簡単ですが,それではどうやって侵略により占領されたクゥエートを解放せることができるのでしょうか。

サダム・フセインの野望が経済制裁程度の対応で挫けるなどと考えていたら情勢をまったく理解していないことになります。イラクとクゥエートでは人口比がまったく異なりますので,時間をかければクゥエートという国家は消滅することになるかもしれません。

繰り返しになりますが,平和,自由,人権は人類にとって普遍的な価値であり,どのような勢力,どのような国家であれ,国内問題であれ対外問題であれ,それらを侵害するものは非難されるべきなのです。

中国の民主化運動や少数民族の弾圧,人民を飢えさせても軍事優先国家を続ける北朝鮮と湾岸戦争に自国の兵士を送り出し,世界の秩序を守ろうとした行動を比較すると,とちらをより大きな声で非難すべきかは明らかです。

平和の維持や人道的危機を解決するための武力行使でも私は「正義の戦争」などという表現は使いたくありません。この世界における正義と悪は相対的なものなのです。少なくとも絶対的な正義などは無いと考えなければなりません。

私は絶対に正しい,あの人は絶対に間違っているという思い込みは慎まなければなりません。自分だけが正義であるという独善的な思い込みこそが戦争を引き起こしていることを歴史は教えてくれます。

ムスコンの人間関係

広田コージ :中学2年生
広田ユミカ  :コージの母親,元アイドル,旧姓は千倉ユミカ
広田茂    :コージの父親
水上瑤子  :広田茂の新しい恋人
坂本ユカ   :コージの同級生,幼ななじみ
坂本梓    :大学生,ユカの姉,達也と付き合っている
桜井達也  :ケーキ屋の共同経営者,ユミカに惹かれる

中学1年のときコージの両親は離婚しました。離婚の原因は父にとっては母がお荷物になっていたということです。両親の関係はもう1年も前から破たんしており,父には新しい恋人ができていました。しかし,父親の広田茂はさっぱり幸せそうに見えないんですね。

コージは母親に引き取られアパート暮らしを始めます。母と息子のちょっと危ない生活です。母親の息子に対するスキンシップはちょっと過剰ですので肉体的に大人になりかかっているコージはどきどきすることになります。

そのままでは危ない物語になるところですが,坂本梓への憧れと坂本ユカへの新しい想いがコージを正常な世界に留まらせ,物語の最後は「ぼくは大人の男みたいに一晩中ママのことをぎゅっと抱いていた」というところがコージとママとが一番近づいた瞬間であり,これ以上近くなることはもうないだろうということになります。いや〜,危ない・・・危ない・・・,最終ページにある父親にあてた手紙の追伸は「ママにはまだ秘密ですが・・・好きなコができました」で結ばれていました。


夢見るトマト

高原とまと(女)は両親の離婚を機に上京し,いとこの玉吾(男)と菜ちゃん(男)と亡くなった千駄ヶ谷の祖母が住んでいたボロボロの一軒家で暮すことになりました。大学生の玉吾はノーマルな男の子で果淋という彼女と関係がありますが美しく成長したとまとにも興味をもっています。しかし,とまとは性的なものに対して異常な抵抗感を持っています。そのうえ,菜ちゃんは子どものころから玉吾のことが好きだったという設定になっています。

この三人の奇妙なかつけっこうシリアスな同居生活とときどき現れる祖母の幽霊が織りなす物語ですが,設定とストーリーにさすがに無理があり,再読する気にはなりません。石坂さんのすっきりした絵柄はけっこう好みなんですが,このような異常な物語で才能を使ってしまうのは惜しいですね。