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病原体と感染

病原体が体内に侵入し,ヒトの体内で増殖すると病気の症状があらわれます。このようにヒトが病原体により発症する病気を総称して「感染症」といいます。中には感染しても病気の症状の出ない場合もあり,そのような状態の人を「健康保菌者」あるいは「無症候性キャリア」といいます。病気が発病するか否かは個人の免疫力に大きく依存します。

すべての微生物がヒトに対して病原性をもっているわけではありません。ヒトの体内および皮膚の表面には多くの「常在微生物」が存在していますが,通常の場合は病気を引き起こすことはありません。つまり,宿主であるヒトと常在微生物がバランスを保ちながら共存しているわけです。

ところが,宿主の免疫力が低下するとそれまでは共存していた常在微生物がヒトの体内で増殖し,病気を引き起こすこともあります。このような病気を「日和見感染」といいます。AIDS(後天性免疫不全症候群)はヒトの免疫システムの一部を破壊しますので,いろいろな日和見感染が発生することになります。臓器移植等で免疫抑制剤を使用中の人も同様に免疫力が低下しますので日和見感染の危険性が増加します。

「感染症」により発病する場合も発病しない場合も感染者の体内で増殖した病原体の一部は呼吸,排泄,出血などにより,感染者の体外に出されます。人間は社会を形成し,たくさんの人が集まって暮らしていますので,病原体が空気,体液,食物,排泄物などを介して他の人に感染します。このように一人の人に感染した病原体が他の人に感染することを伝染,さらに集団の間に広まっていくことを流行といいます。

人類の黎明期から多くの病原体がさまざまな病気を引き起こして,その生存を脅かしてきました。人口が増加し地域の人口密度が増加すると,感染症(伝染病)は社会的な脅威となりました。

しかし,なぜそのような病気が発生し,どうすれば感染の拡大が防止できるのかは長い間なぞとされてきました。病気の症状を改善する薬品が無い時代には,ひたすら自然治癒に頼るしかありません。

そのため,自然治癒ができないものは不治の病とされました。また,病気の原因も分からなかったので,祟り,呪いというように本人やその祖先に責任がある,あるいは悪霊が体に入り込んだなどと考えられていました。


病原体とは



病原体とは人間に感染し,体内で増殖することにより何らかの病気を引き起こす生物の総称です。病原体にはウイルス,真正細菌(細菌),原虫が含まれており,この順で原始的かつ単純な構造をしています。細菌と原虫は単細胞生物に分類され,単体で生物としての機能を備えています。同じ単細胞生物でも,細菌は細胞内に核をもたない原始的な原核生物であり,原虫は核をもつ真核生物ですのでより進化した単細胞生物ということになります。大きさも細菌は0.5-10ミクロン,原虫は1-20ミクロンと異なります。しかし,この「原虫」という用語は非常に分かりづらいし,寄生虫のイメージと重なります。これは寄生虫学において単細胞の寄生虫を原虫として区分していることによるものですが,もう少し分かりやすい用語にしてもらいたいものです。私は長い間,マラリヤを発症させるマラリヤ原虫は小さな多細胞生物だと思っていました。


分類名称 細胞形態 大きさ(μm) 遺伝子数
ウイルス非細胞性粒子 0.02-0.03<数十
真正細菌原核生物 .5-101,000-,2000
原虫真核生物 1-201,000-10,000
ヒトの上皮細胞50
ヒトの赤血球8
ヒトの白血球6-14



単細胞生物は栄養分を得るため他の生物に寄生することはありますが,栄養分を取り込むことができれば,エネルギーを産生し,自分の活動に必要な物質を生産することができます。細菌は地球上のあらゆる場所に存在しており,その多くはヒトに対して病原性をもたないか,免疫機能が通常の働きをしていると病原性を示さないものです。そのため,ヒトの体には多くの細菌が住み着き,ヒトと共生しています。ヒトと共生している細菌を極端に除菌してしまうと,病原性をもつ細菌がかえって増殖する場合もあります。極端な除菌は免疫機能を撹乱し,細菌との共生システムも狂わせることになります。例えば子どもの頃,土に触れることの少なかった子どもの免疫は充分には発達せず,ときにはアレルギーのように自己を攻撃対象にしてしまうこともあります。人類も自然の一部であり,多くの生物ともちつもたれつの関係を築いてきたことを忘れてはなりません。

これに対してウイルスは細胞膜をもたず,他の生物の細胞から離れた状態では生物としての性質をほとんど示しません。ウイルスは栄養分を取り込むことも,エネルギーを産生することも,成長することもありません。ある種のウイルスは鉱物のように結晶をつくることもあります。ウイルスが生物としてふるまうのは増殖のときだけです。ウイルスは単独では増殖することができませんので,他の生きた細胞に入り込み,その細胞の機能を利用して増殖するという特殊な形態をもっています。ウイルスの構造は非常に簡単であり,自らを複製し増殖するための遺伝子とそれを保護するための殻や膜があるだけです。通常,生物はDNAという遺伝子をもっていますが,ウイルスはDNAをもっているものとより単純なRNAしかもたないものがあります。

ウイルスの起源にはいくつかの説がありますがトランスポゾン(注1)のような動く遺伝子をその起源とする説が有力です。つまり,いったん細胞内に組み込まれた核酸の一部が細胞の機能を利用して利己的に存在しようしたという考え方です。

注1)トランスポゾン (Transposon) は細胞内においてゲノム上の位置を転移 (transposition) することのできる塩基配列である。動く遺伝子,転移因子とも呼ばれる。DNA断片が直接転移するDNA型と転写と逆転写の過程を経るRNA型がある。トランスポゾンという語は狭義には前者のみを指し,後者はレトロポゾンと呼ばれる。(wikipedia)

ある種の生物に病気を引き起こす病原体は必ずしも他の生物にとっては病原性を示すとは限りません。それは病原体がどのような仕組みで他の生物に感染するかということと,相手の生物がどのような免疫をもっているかにかかっています。


免疫とは

長い進化の過程で生物は体内に入ってきた異物(非自己)を捕食,排除,無毒化して自分を守る仕組みを獲得しました。この仕組みを免疫といいます。異物には病原体だけではなく,毒物,ウイルスに感染した細胞,癌化した細胞,移植された臓器なども含まれます。ヒトの免疫は「非特異免疫(自然免疫)」と「特異免疫(適応免疫)」と呼ばれている二つの反応から構成されます。

非特異免疫(自然免疫)は生まれたときにすでに備わっています。「非特異免疫」と呼ばれるのはどのような異物に対しても同じ方法で対応するからです。これに対して「特異免疫(適応免疫)」は個体の免疫系が病原体の抗原に接触することにより後天的に獲得され,記憶されます。この記憶能力により次に同じ抗原をもつ病原体が侵入してきたときは特異免疫が選択的に発動され,的確に病原体を殺滅・排除します。

自己免疫病のような免疫異常の状態を除くと,自分の細胞は免疫反応の対象とはなりません。しかし,細胞が傷ついたり細菌やウイルスにより侵入された場合,細胞は自らサイトカインのような免疫伝達物質を放出したり,ウイルスの抗原の断片を細胞表面に提示することにより,進んで白血球により貪食されます。このような細胞のアポトーシス(自殺)は多細胞生物が個体の健康を守るために進化させたものです。


項目 自然免疫 適応免疫(後天性免疫)
応答の特異性なし病原体あるいは抗原特異的
接触後の応答時間短い(即時)長い
関与する成分細胞性および体液性 細胞性および体液性
免疫記憶なしあり
生物界での分布ほとんどすべての生物 脊椎動物




自然免疫(非特異免疫)

生体内に侵入した異物が生体細胞と接触するとまず自然免疫が発動します。自然免疫は構造パターン認識受容体で異物を感知すると即座に排除するように働きます。自然免疫の最前線には白血球がかかわっており,その中には貪食細胞(マクロファージ,好中球,樹状細胞),マスト細胞(肥満細胞),好酸球,好塩基球,NK(ナチュラルキラー)細胞が含まれます。白血球は血流にのって体内を巡り,組織に入りこんで異物を見つけ出すと捕食したり細胞膜を破壊する機能をもっています。さらに,特異免疫を活性化させる働きももっています。また,傷ついた細胞やウイルスに侵入された細胞も同様に捕食します。この自然免疫のおかげでヒトの体は健康を維持することができるのです。


適応免疫(特異免疫)

自然免疫(非特異免疫)では異物の増殖が抑えきれないときには適応免疫(特異免疫)が働きます。「適応免疫」は誕生時には備わっておらず後天的に獲得される免疫であり,Bリンパ球(B細胞),Tリンパ球(T細胞),樹状細胞,キラーT細胞,ヘルパーT細胞などが関与します。適応免疫は抗原に出会うたびにそれぞれの抗原ごとに最良の攻撃方法を習得し,記憶する能力があります。免疫記憶にはBリンパ球,Tリンパ球から分化した二種類の記憶細胞が関与しています。これらの細胞は例外的に長生きをしますので長期間記憶を保持することができます。体内に新しい抗原が入ってきてから適応免疫ができるまでには一定の時間がかかります。いったん特異免疫ができると,次に同じ抗原をもつ病原体が侵入してきたときは,素早く免疫系を動員して的確に異物を排除します。

適応免疫では異物の抗原に特異的に反応する抗体(免疫グロブリン)を作ります。抗体の生成に関与するのがBリンパ球です。Bリンパ球は表面に受容体と呼ばれる特別な部位をもち,そこで抗原と結合します。Bリンパ球はこの刺激により形質細胞に変わり,その中で抗原に特異的に結合する抗体が作られます。一種類のBリンパ球は一種類の抗体しか作れません。また,一種類の抗体は一種類の抗原にしか結合できません。ヒトの体内では数百万から数億種類のBリンパ球ががそれぞれ異なる抗体を作り出し,あらゆる抗原に対処しようとしています。伝染病を予防するため子どもたちが一定の年齢に達すると,集団でワクチン接種が行われます。これは子どもたちの適応免疫に新しい情報を習得させるためのものです。適応免疫と自然免疫とはサイトカインのような免疫システムの情報伝達物質を利用して相互に作用し,影響をおよぼしながら免疫システムを機能させています。


血清療法

血液を試験管に入れ放置すると沈殿物(血餅)と液体(血漿)に分離します。血餅は血液の細胞成分(赤血球、白血球、血小板)であり,血漿には血清と繊維素が含まれています。血清の中には抗体が含まれており,それを病気の治療や予防に用いる方法が「血清療法」です。血清療法の分かりやすい例は破傷風と毒蛇に噛まれたときの治療です。

破傷風菌は体内で強い神経毒を産生します。また,毒蛇に噛まれると毒素が直接体内に注入されます。どちらの毒素もヒトを死に至らしめるほどの強さをもっていますので,速やかに排除したり中和する必要があります。しかし,適応免疫により毒素を中和するために必要な抗体が作られるまでには少なくとも1週間ほどの時間がかかります。これではとても間に合いません。そのため,すでにそのような毒素に対する抗体をもった個体から血清を抽出し,無菌状態で保存しておきます。破傷風にかかった,あるいは毒蛇に噛まれたようなときには,それに対応した血清を体内に注入します。すると,血清に含まれている抗体が毒素と結合して中和します。

この免疫反応は外部からもたらされたものなので「受動免疫」といいます。それに対して,ワクチンは弱毒化・無毒化された抗原を注入することにより体内で抗体を作ることを促すので「能動免疫」ともいいます。受動免疫は即効性はありますが持続性はない,能動免疫は時間はかかりますが長期間(ときには一生)持続させることができるという性質をもっています。

余談になりますが血清療法を確立したのは北里柴三郎とエミール・ベーリングです。北里は破傷風,ベーリングはジフテリアを研究しており,1890年に連名で「動物におけるジフテリアと破傷風の血清療法について」という論文を発表しています。ジフテリアを研究していたベーリングはジフテリア毒素を発見し,血清療法の進展に寄与したとして1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。現在でしたらその研究内容からして北里はベーリングと一緒に受賞することになったのでしょうが,当時はまだまだ非白人に対する偏見もあり,日本人の最初の受賞は湯川秀樹(1949年,物理学賞)まで待たなければなりませんでした。


自己と非自己の識別

免疫系が働くためには免疫システムは自己と非自己(異物)を正しく認識する必要があります。人間の場合は細胞膜の表面にヒト白血球抗原(HLA)または主要組織適合遺伝子複合体(MHC)と呼ばれる標識分子をもっています。HLA分子は個人によりすべて異なっており,自分以外の人の体内で免疫反応を起こしますので抗原と呼ばれています。細菌もそれぞれ菌株固有の標識分子を細胞膜の表面にもっています。ウイルス粒子も表面の殻は特異なたんぱく質で構成されていますので,これが抗原となります。

免疫システムは細胞(粒子)表面の標識分子が自分のHLA分子以外のものを異物と判断して攻撃します。一方,ウイルスに侵入された細胞,細菌により侵された細胞ではHLA分子が侵入物の抗原の断片を拾い表面に移動(抗原提示)することも知られています。このように自己の細胞でありながら,なんらかの異常が発生した細胞がHLA分子に異物抗原マーカーを付けることにより,免疫システムはそのような細胞を異物と認識し攻撃します。これは,多細胞生物が個体を守るため,自己のものであっても異常な細胞を排除するために生み出した仕組みです。


細菌やウイルスとの共生

生物の体内には免疫と折り合いをつけ,住み着いている細菌やウイルスもたくさんいます。この状態を「共生」といいます。共生の仕組みも生物が長い時間をかけて獲得したものです。ヒトの腸内には100種類以上,100兆個以上の腸内細菌が生息しており,糞便の約半分が腸内細菌またはその死骸であると言われています。人体を構成する細胞数はおよそ60兆個ですので,腸内だけでもそれを上回る細菌が定常的に存在いていることになります。しかし,ヒトの細胞でもっとも多い上皮細胞の大きさは約50ミクロンであり,細菌の平均サイズ2ミクロンよりはるかに大きいので,ヒトの体重の大部分は自分の細胞の重さということになります。

腸内細菌は宿主であるヒトが摂取した栄養分の一部を利用して生活し,他の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら,一種の生態系(腸内細菌叢)を形成していてます。同時に宿主であるヒトが食べ物を消化するのを補助する役割を担っていなす。腸内細菌叢は個人により異なり,また同じ人でも成長により変化して行きます。腸内細菌叢のバランスの変化が感染症や下痢症などの原因になりうることも解明されています。腸内細菌はその数の多い順にバクテロイデス属,ユウバクテリウム属,腸球菌,ビフィズス菌属,その他となっており,いわゆる大腸菌は全体の0.1%程度に過ぎません。

ヒトに感染すると致死率が80%にも達するエボラウイルスでも,まだ特定はされていませんがウイルスと共生している生物(自然宿主)がいるはずです。ウイルスは他の生物の細胞の中に入らないと増殖できませんので,自然宿主との間では宿主を病気にしない程度の増殖に抑えられていると考えられます。ウイルスにとっても感染した生物を病気で死なせてしまうのは本意ではありません。自分が死滅しない程度の増殖で生物の体内に留まっていられるようにするのがウイルスの基本戦略なのです。

生物と細菌やウイルスとの共生関係は宿主の状態により変化します。なんらかの事情で個体の健康が損なわれたり,免疫機能が低下すると,いままで共生していた病原体により病気が発症することがあります。これを日和見感染症といいます。こちらが弱みを見せると攻撃してくるという意味で日和見という言葉が使用されています。


細菌は地球上でもっとも古い生命体です

細菌は地球上でもっとも古い生命です。およそ40億年前,生命に必要な有機分子(アミノ酸,核酸塩基,糖,脂肪酸,炭化水素など)が豊富に存在していた原始の海で生命は誕生しました。最古の生命(古細菌)はたんぱく質と核酸を薄い膜の中に収め,自己の形を持ち増殖することが出来るようになったと考えられています。生命の増殖に必要なエネルギーの観点から考えると,最初の生命が誕生した場所は海底火山の熱水噴出口付近であると学説が有力です。マグマと接触した熱水には多くの硫化水素や二酸化炭素が含まれており,原始生命はそれらを還元してエネルギーを得ていたようです。古細菌からは数億年をかけて真正細菌が分岐し,さらに原始真核生物が枝分かれしていきます。

現在の生物学では生物界を「古細菌」,「真正細菌」,「真核生物」という大きなドメインに分類されています。ウイルスは非細胞生物ですのでこの範疇には含まれません。私たちが(肉眼で)目にする生物はほとんどが真核生物です。にもかかわらず,真正細菌は地球上のあらゆる環境に存在しており,そのバイオマス(生物量)は真核生物全体をはるかに上回っています。土壌中には4000m2あたり2トンの微生物が住み着いており,海水中にも平均して1mlあたり50個程度の真正細菌が存在しています。英インデペンデント電子版によると「海に住む微生物は今まで考えられていたよりずっと多く,合計すると2400億頭のアフリカゾウよりも重いことが分かった」と報告されています。地球の本当の主人公は微生物ということもできます。

真正細菌の代謝系は非常に多様であり,光合成,窒素固定,有機物の分解など生命活動に必要な物質循環において非常に重要な位置を占めています。真正細菌なしには現在の地球上の生態系は成立しません。人類との関係においてもチーズ,納豆,ヨーグルトといった多彩な発酵食品をもたらしています。しかし,一部の細菌はヒトや他の動物に対して病原性をもちます。


細菌の増殖と変異株の発生

古細菌や真正細菌の大きな特徴として無性的に増殖することがあげられます。つまり,自分のクローンを無限にたくさん作り出すことができます。そのため,生物学的種として認識されているものは同じ遺伝子を持つクローンの集合体ということになります。つまり古細菌や真正細菌は分裂という手段により自分の複製をつくることができるので,半永久的な寿命をもつことになります。

それに対して,多細胞生物の細胞は一定の回数分裂すると分裂能力を失います。ヒトの細胞では50-60回が限界となっています。それは,多細胞生物の寿命を決める一つの要因となっています。この差異は遺伝子の構造にあります。真核生物の遺伝子は小さく折りたたまれていますが,引き伸ばすと縄梯子のような構造になっています。この縄梯子の両端にはTTAGGGという配列が2000回ほど繰り返されています。この部分をテロメアといいます。テロメアは遺伝子同士の端がまちがってくっつかないように特別の配列をもっていると考えられています。細胞が分裂するとき,遺伝子も複製されますが,テロメアの端の部分は複製がうまくいかず,少し短くなります。細胞分裂の度にテロメアは短くなり,ある長さ以下になると細胞は分裂できなくなります。つまり,多細胞生物の寿命はテロメアにより制限されていることになります。

これに対して細菌の遺伝子はリング状になっており複製においてテロメアのように一部が欠落することはありません。このため分裂回数には制限がなく,親とまったく同じ遺伝子をもった複製を無限に作ることができます。こうして考えると細菌は変化することが少ないように考えられますが,突然変異および接合による遺伝子組み換えにより頻繁に変異株を作り出します。自然界では細菌の突然変異の割合は10万回から10億回に1回程度です。それでも細菌の個数は桁違いに大きい(一人の人の腸内細菌だけでも100兆個程度)ので頻繁に変異が起きていることになります。

さらに,さまざまな細菌では接合(細胞を接触させて互いの遺伝子の一部をやり取りする現象)により遺伝子を交換することが知られています。大腸菌のO157が赤痢菌と同じベロ毒素を産生するのは接合により毒素の遺伝子を受け取ったと考えられています。また,ある種の細菌が抗生物質に対する耐性を獲得した場合,その遺伝子を他の細菌に伝達することにより,複数の抗生物質に対する耐性をもつ多剤耐性細菌が容易に出現します。このような変異株の出現により,結核のように20世紀に制圧されたかに見えた病気が再び増加に転じています。また,多剤耐性細菌の出現により院内感染という新しい感染経路も生まれています。


抗生物質と耐性細菌


第3章 原虫

第4章 ウイルス

■コッホによる細菌の発見

細菌の中で■以降は「細菌の生き残り戦略」参照。細菌は体内でどのような振る舞いをして病気を引き起こすのか。

■原虫による疾病の代表はマラリア
原虫とは真核生物(細胞内に核をもっている)に属する単細胞生物であり,細菌より進化した微生物です。ヒトに寄生する原虫にはマラリア原虫,カリニ原虫などがあります。アメーバやゾウリムシも原虫の仲間です。マラリアの場合,マラリア原虫は肝細胞に感染し(取り付き),増殖しながら細胞を破壊していきます。その後,血液中に入り込み,赤血球に感染し破壊します。マラリアの場合も体内の細胞が破壊されることにより,病気の症状が出てきます。

マラリアの蔓延,マラリアの特効薬■,

ハマダラ蚊との戦い■

■ウイルス
これに対してウイルスは他の生物の細胞から離れた状態では生物としての性質をほとんど示しません。ウイルスは栄養分を取り込むことも,エネルギーを産生することも,成長することもありません。ある種のウイルスは鉱物のように結晶をつくることもあります。ウイルスが生物としてふるまうのは増殖のときです。ウイルスは単独では増殖することができませんので,他の生きた細胞に入り込み,その細胞の機能を利用して増殖するという特殊な形態をもっています。

ウイルスの構造は非常に簡単であり,自らを複製し増殖するための遺伝子とそれを保護するための殻や膜があるだけです。通常,生物はDNAという遺伝子をもっていますが,ウイルスはDNAをもっているものとより単純なRNAしかもたないものがあります。地球上に初めてあらわれた生物はRNA遺伝子をもっていたと考えられています。RNAは壊れやすく複製時に情報が変化しやすいので,生物は進化の過程でより壊れづらく正確な複製が可能なDNAを獲得しました。このことからRNAしかもっていないウイルスは非常に原始的な生物であることがわかります。

ウイルスは増殖のため,生物の細胞に取り付き侵入します。ウイルスは細胞内に自分の遺伝子を放出し,殻や他の部品は細胞に吸収されます。この時期からウイルスの完成品が作られるまでは,細胞内では完全な形のウイルスが消滅してしまう期間が生じます。この期間をエクリプス期といいまます。

ウイルスの遺伝子は細胞の機能を利用してまず自分の遺伝子の複製を作らせます。さらに複製された遺伝子は細胞の機能を利用して自分の殻や膜の部品を作らせます。部品が作られると,ウイルスの殻がつぎつぎと組み立てられ,その中に遺伝子が入り,完成したウイルスになります。ウイルスの数がある数まで増えると細胞の外に飛び出します。残された細胞はウイルスの複製のためにいいように使われ破壊されます。

細胞から飛び出したウイルスはさらに他の細胞に侵入するので,細胞の被害は急速に大きくなります。ウイルス感染による症状はこのように体の特定の部位の細胞を破壊されることにより生じます。ウイルスが好んで増殖する部位はウイルスにより異なり,その部位は標準臓器と呼ばれています。例えばインフルエンザの場合は呼吸器系,脳炎を起こすウイルスの場合は脳が標的となります。エイズウイルスの場合はヒトの免疫細胞が標的になるため,感染者は免疫機能が低下し,健康な場合はまったく問題にならない病気に感染してしまいます。

■新型インフルエンザの脅威

インフルエンザは人類に最も甚大な被害を与えているウイルス性感染症の一つです。このウイルスは空気感染をするため国境を越え,世界的な流行を何回か引き起こしています。1918年に大流行した「スペイン風邪」では,世界中で6億人が感染し,2400万人が死亡しました。死亡率は4%程度ですが,体力のない老人や子ども,免疫力の低下している人々にとっては死亡率の高い病気です。その頃の世界人口はおよそ■億人であり,人の移動も現在よりはるかに少ない時代でした。

スペイン風邪のあともアジア風邪,ホンコン風邪などの世界的流行が発生しました。インフルエンザにおいても一度感染すると免疫が生じます。現在は不活性化あるいは弱毒化したウイルスを使用したワクチンを打つことにより免疫を獲得することができます。しかし,インフルエンザ・ウイルスにはA,B,C三つのタイプ(A型がもっとも感染力が強く毒性も高い)があり,それが毎年のように変身するので,去年のウイルスに免疫があるからといって今年のインフルエンザに感染しないわけではありません。ワクチンも今年はこのタイプが流行するだろうという予測のもとに生産します。それが外れると効果が小さくなるということになります。

インフルエンザは毎年のように流行するタイプが異なるのはどうしてでしょうか。インフルエンザ・ウイルスが姿を変えるには二つの方法があります。一つは「ドリフト」と呼ばれ,突然変異により外面を少しだけ変えるものです。もう一つは「シフト」と呼ばれ,ウイルス本体の遺伝子の一部を別のインフルエンザ・ウイルスのものと交換する方法です。

ドリフトによる変異は外面を少し変化させただけですので,変異前のものの免疫でもそれなりに機能します。ところが,シフトによる変異は,免疫からするとまったく新しいウイルスということになり,誰もこのウイルスの免疫をもっていないため世界的な大流行を引き起こす危険性があります。

現在,ヒトに感染する新型インフルエンザへの変異が心配されている「H5N1型」は人類にとっては新しいウイルスであり,かつ毒性と感染力が強いものです。現在は鳥への感染は確認されているものの,ヒトへの感染およびヒトからヒトへの感染はウイルスに濃密に接したような特殊な場合を除き,確認されていません。しかし,ウイルスの変異により人への感染が容易になったときは世界で■億人が感染し,■人が死亡すると予測されています。

流行は短期間に爆発的なものになるので医療機関はパンク状態になり,かつ医療従事者が感染する危険にさらされます。公共の乗り物に乗ったり,学校や事務所,商業施設のように人の多く集まる場所にいることは感染の危険性を増加させます。大流行時には学校は閉鎖され,経済活動にも大きな支障が出るものと考えられています。そのため,世界中の関係機関がこのウイルスの動向に神経をとがらせています。

インフルエンザ・ウイルスが「シフト」する場所として考えられているのは,中国の農村です。そこではヒト,ブタ,アヒルが狭い範囲に共存しており,ウイルスが種の壁を乗り越えて行き来しやすい環境となっています。インフルエンザ・ウイルスの自然宿主は渡り鳥やアヒルですが,上記のような環境ではアヒルからブタを経由してヒトに感染し,逆にヒトのウイルスがブタを経由してアヒルに感染することもあると考えられています。アヒルやブタの体内では2種類のウイルスが同時に感染することが可能ですので,ウイルスがお互いの遺伝子を交換し,新しいウイルスになると考えられています。

人間の体内に侵入したウイルスはある特定部位の細胞に感染します。インフルエンザ・ウイルスの場合は呼吸器系の細胞がターゲットになり,細胞内で増殖する仕組みは次のようになります。
(1) ウイルス表面の突起を利用して細胞に取り付く
(2) ウイルスが細胞内に取り込まれる
(3) ウイルスの遺伝子が細胞の中に放出される
(4) 細胞の機能を利用してウイルスの遺伝子を複製させる
(5) 細胞の機能を利用してウイルスの遺伝子がウイルスの部品を作らせる
(6) 部品と遺伝子が結合して細胞内で多数のウイルスが構成される
(7) ウイルスは細胞の外に出て細胞膜から離れる
(8) 感染した細胞は穴だらけの抜け殻となリ破壊される

インフルエンザに限らず体内に侵入したウイルスを直接死滅させる薬品は現在ありません。タミフルに代表される「抗ウイルス剤」はウイルスに直接的に働くものではなく,感染した細胞内でウイルスが増殖するのを阻害する働きをもっています。

「タミフル」は増殖したウイルスが細胞の外に出るのを阻害する働きをもっています。この場合,感染された細胞は破壊されるので,ウイルスが大量に増殖してからタミフルを服用してもあまり効果は期待できません。それに対して「シンメトレル」は細胞内に入り込んだウイルスが遺伝子を放出するのを阻害するので細胞内でウイルスは増殖できません。ただし,この薬は耐性ウイルスができやすいという欠点をもっています。

現在,もっとも注目されているのは臨床試験の最終段階に入っている「T-705」です。この薬はウイルスが遺伝子を複製するのを阻害する働きをもっており,耐性ウイルスがほとんどできないという長所をもっています。マウスを使った試験では少量感染,大量感染,直後投与,25時間後投与の組み合わせで行われ,「T-705」はいずれの組み合わせにおいてもタミフルより優れた生存率のデータが得られています。「T-705」は日本で開発された治療薬であり,新型インフルエンザ対策の切り札として期待されています。

人体内におけるインフルエンザ・ウイルスの増殖速度は■であり,感染してから25時間後には■倍に増殖してしまいます。増殖が進行するということはそれだけ体の細胞に損傷が大きいことを意味しますので,抗ウイルス剤も感染後すみやかに投与するのが効果的です。

■AIDS(後天性免疫不全症候群)

エイズは現代社会で最も死者を出している感染症です。この病気を引き起こしているのレトロウイルスの仲間であるエイズウイルスです。エイズウイルスは感染力も弱く,血液や体液を介してのみ感染します。通常は世界的な流行を引き起こすような恐ろしいウイルスではありませんが,性的な接触により感染する,感染してから発症するまで数年から10年程度の潜伏期間があるという二つの特徴があります。潜伏期間の間は感染者は通常の日常生活を送ることができます。このため,性交渉を介して一人の感染者から多くの人々に感染が拡大する可能性があります。

性交渉による感染,長い潜伏期間という特徴のためエイズは世界中で■万人が感染し,すでに■万人が死亡しています。アフリカでは■

エイズウイルスが主として感染するのは免疫システムの一部となっているヘルパーT細胞です。潜伏期間の間にウイルスはヘルパーT細胞を連鎖的に破壊していきます。その結果,免疫システムの機能が低下していき,それが限界値より低下すると通常では影響の無い日和見感染症などを発症します。この時点でエイズが発症したと定義されています。

エイズに感染して2週間ほと経つと体内では抗体ができ,免疫システムがウイルスを攻撃するようになります。ところがエイズウイルスは巧妙にも細胞内で増殖するとき頻繁に変異を起こします。そのため免疫システムは変異後のウイルスを認識できないので有効に機能することができません。

もっともヒトの免疫システムはたくさんの要素の組み合わせでできており,ある種の組み合わせをもっている人はエイズに感染しても体内から排除することができます。ヒトという種は同じ構造の遺伝子からできていますが,そのうち相当部分は個体により情報は異なります。これがヒトの場合は個性になります。皮膚や頭髪の色のような外観的特徴以外にも免疫システムなど目に見えないところも個人により異なっています。このように,種の中における多様性はその種の生き残る可能性の高さにつながっています。

ヒトの細胞に感染したエイズウイルスは自らの遺伝子を感染した細胞のDNAの中に組み込んでしまいます。そのため,一度感染するとヒトの体内からエイズウイルスの遺伝子を取り除くことはできなくなります。そのため,エイズ治療薬は細胞内でウイルスの増殖を抑えることに主眼がおかれています。現在はATZ■三種混合薬が使用されていますが,ウイルスが体内から消滅するわけではないので一生薬を飲み続ける必要があります。

■エマージング・ウイルス

地球上には人類に知られていないウイルスはたくさん存在しています。そのようなウイルスが突然文明社会に出現した場合,それをエマージングウイルスといいます。多くの新しいウイルスが出現するようになったのは人間社会の拡大が大きな要因となっています。そのようなウイルスはヒトの手の届かない熱帯雨林などで自然宿主と平和に共存していたものです。しかし,人類の活動範囲が急速に拡大していったため,未知のウイルスに遭遇する機会が増えたということです。

20世紀の後半には多くのエマージングウイルスが出現しましたが,その多くはレベル4(最高危険度)に分類されています。レベル4のウイルスを扱う実験室は感染防止のため非常に厳しい管理が行われています。建物は独立しており,実験室内は減圧されて,空気は外に流出しないような気密構造になっています。研究者も宇宙服のような防護服を着用し,手袋のついた密閉容器内でサンプルを取り扱うようになっています。

エメージングウイルスがヒトに対して強い毒性を示すのは,ウイルスが毒性をもっているからではなく,ヒトがウイルスに対して免疫をもっていないため広範囲の細胞がダメージを受け,症状が重くなるためです。ヒトが一定の免疫を獲得し,ウイルスの増殖を押さえ込めるようになれば,現在恐れられているウイルスとも共存できるようになるかもしれません。エマージングウイルスにも自然宿主となっている生物が存在します。そのような生物は特別の免疫システムをもっているわけではありません。時間をかけてウイルスに対する免疫を獲得し,ウイルスの増殖を病気にならない程度に押さえ込むことができるようになったのです。