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ゾウの時間ネズミの時間

変わった題名の本です。中公新書から1992年に初版が発行されています。著者である理学博士の本川達雄氏は「動物生理学」を専攻しており,本書では動物の大きさと生理機能の関係について非常に面白い話を記しています。

カバー裏には「動物のサイズが違うと機敏さが違い,寿命が違い,総じて時間の流れる速さが違ってくる。行動圏も生息密度もサイズと一定の関係がある。ところが一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は,サイズによらず同じなのである…」と記されています。

それに対してネット上には 異説「ゾウの時間 ネズミの時間」というタイトルのサイトがありました。こちら作者は理学博士の後藤健氏です。後藤氏によると哺乳類が体重に応じた固有の生理時間をもっていることには異論はありせんが,「限界寿命∝生理時間」については顕著な例外があるので法則とはならないと主張しています。

後藤さんの生命論は難しいですね。ていねいに定義するため,まるで哲学の書を読んでいるいるような気になります。確かに生命や生物の本質とはなにかということを言葉で表現しようとすると,哲学のようになるのかもしれません。



動物の大きさと時間の関係

いろいろな哺乳類で体重と時間の関係を測ってみると次の法則が確認されました。
動物の生理的時間 ∝ 体重の1/4乗 ・・・ (1)
この法則の意味するところは,動物の生理的時間は体重の1/4乗に比例するということです。

つまり体重が16倍になると固有の生理時間は2倍に,体重が10,000倍になると10倍になるという関係があります。この1/4乗則は時間がかかわっている下記のようないろいろな現象に広く当てはまります。

(1) 寿命
(2) 成熟までの時間
(3) 胎児が母親の胎内に留まっている時間
(4) 息をする時間間隔
(5) 心臓の鼓動間隔
(6) 血液が体内を一巡する時間
(7) 体内に入ってきた異物を体外に排出するのに要する時間

注1)1/4乗則は哺乳類の種間の相対体重(体重比)に対して適用されるもので,同一種の中で体重の大きい固体が長生きするということを意味しているものではありません。

注2)生理時間(呼吸や心拍間隔)は体重の1/4乗に比例しますが,時間当たりの回数(呼吸数,心拍数)は体重の-1/4乗に比例します。

注3)哺乳類の中でも霊長類とコウモリ類は1/4乗則に対して例外的に長生きの種です。体重60kgのヒト限界寿命は1/4乗則では26年ですが,体重3.8トンのゾウと同じ約100年です。妊娠期間や成熟までの時間も限界寿命と同じように長くなっています。ただし,生理時間や体重あたりの標準代謝率(安静時の代謝)に限定するとどの種も1/4乗則に従っています。

注4)上記の項目のうち動物のライフサイクル(動物の成熟までの期間,繁殖可能年齢,限界寿命)に係わるものは,動物固有の生理時間には一定の影響は受けているものの,それに加えて固有のライフサイクル要素が加わっているようです。

動物の生理的時間はすべて1/4乗則の従うというのは非常に興味深いですね。このことは物理的時間は各動物に共通でも,それぞれの動物はそれぞれ異なった時間の尺度があることを意味しています。生物学では生物におけるこのような時間を,物理的な時間と区別して生理的時間と呼んでいます。

生理時間に関係する現象がすべて体重の1/4乗に比例するというのであれば,上記の(4) から(7) の生理時間を他の時間で割り算すると,体重によらない(動物の種類によらない)定数が出てきます。

例えば「息をする時間間隔」を「心臓の鼓動間隔」で割ると「4」となります。哺乳類ならどのような動物でも一呼吸の間に心臓は4回ドキンドキンと鼓動することになります。

寿命を呼吸間隔時間で割るとおよそ4億となりり,すべての哺乳類は一生の間に4億回呼吸することになります。心臓の鼓動でみると哺乳類は一生の間に20億回となります。ただし,寿命はライフサイクルに係わるものですから例外はあります。人の心臓の鼓動数は100年間に40億回ということになります。

本のタイトルになったゾウの寿命は約100年,ネズミはせいぜい3-4年です。しかし,心臓の鼓動間隔をその動物の生理的時間単位とするならば,一生のうちにゾウもネズミも20億生理的時間を過ごすことになります。


大きいとどのような利点があるのか

哺乳類は冬眠などの特殊な場合を除き,体温を一定に保つようになっています。通常,体温は外気温より高いので体の表面から熱が逃げてしまいます。表面積は長さの2乗に比例し,体積は3乗に比例しますので大きいほど体積当たりの表面積が小さくなります。

これを動物に当てはめると,大きな動物ほど体温の維持が容易であり,環境温度の変化に耐えられることを意味します。この原理は体温だけではなく体の表面を介する環境変化の影響を受けづらいことになります。

哺乳類は体温を維持するため多くのエネルギーを消費していますが,大きいものほど体重当たりの消費エネルギーは少なくてすむことになります。一般的に大きな動物は飢餓にも耐性があります。

食料が少なくなると体に蓄えられた脂肪を使いながらしのいでいくことになり,多くの動物は体重が半分になったあたりで死んでしまいます。大きな動物ほど体重当たりのエネルギー消費量は小さいので,より長期間の飢餓に耐えられることになります。

こうしてみると一つの系統種の中では大きなものほど生存に有利ということになりそうですが,自然は必ずしもそうはならず小さなものもちゃんと生き残っています。しかも,新しい系統の祖先になるものは多くの場合,小さな動物です。

小さな動物の利点は数が多いことです。また,寿命が短いため世代交代が早く,淘汰も早いので新しい環境に適した種を生み出しやすいのです。それに対して大きな動物は多少の環境の変化にも耐えられるので長生きできます。

そのような安定性と数の少なさが新しい種を生み出すのには都合が悪いのです。個体の生存率と種としての繁栄あるいは進化はかならずしも一致しません。生物学的には大きいことは必ずしも良いことだとは言い切れません。


島の法則

島に住んでいる動物と大陸に住んでいる動物を比較すると大きさに違いが見られます。不思議なことに島に隔離されると,大きな動物は小さくなり,小さな動物は大きくなる傾向があります。これを「島の法則」といいます。

島という環境では大きな草食獣の食料は限られるので数も少なく,体格も小さくなります。一方,一匹の肉食獣を養うためには100匹の草食獣が必要とされており,狭い島では草食獣の数が少ないので肉食獣は生きていけません。

捕食者がいなくなるとネズミは生存に適したあるサイズまで大きくなり,大きな草食獣も小型化した方が食料が少なくてすむので生存に有利となるわけです。

ゾウに代表されるようにある種の草食獣は大きくなることにより捕食者から逃れようとしました。しかし,重力の支配する陸上では大きな体を支えるには骨格にかなり無理があり,大きな体を維持するためには栄養の乏しい草を一日中食べる必要も出てきます。

草食獣にも生存に適した大きさがあリます。その意味では大型動物は大きくなることに特殊化しており,一種の進化の袋小路に入り込んでいるのです。実際,かって世界中に生息していたゾウの仲間は生息場所を減らし,現在では二種類だけになっています。

捕食者がいない狭い島ではネズミは大きくなり,ゾウは小さくなる,この「島の法則」は哺乳類には生存に有利な最適の大きさがあることを示唆しています。大きさの両端に位置するゾウもネズミもサイズ的には無理をしているということになります。


動物の大きさと基本的な消費エネルギー

絶食させて,暑くも寒くも無い状態で,安静にしているときのエネルギー消費量を標準代謝量といいます。しかし,消費エネルギーを直接測定するのは容易ではありませんので,代わりに酸素消費量を測定することが一般的に行われています。

動物は炭水化物,脂肪,たんぱく質を摂取し,それらを体内で燃やしてエネルギーを得ており,どの栄養素を利用しても,酸素1リットルあたり20.1kJのエネルギーが得られます。したがって,酸素消費量を測定するとある状態におけるエネルギー消費量が分かります。

エネルギー消費量は単位時間当たりで表されるので,単位はワット(J/sec)を使用します。両対数グラフで動物の体重と標準代謝量の関係をプロットすると,どの動物もほぼ一本の直線の上にのってきます。

体重と標準代謝量の間には次のような簡単な関係が成り立ちます。
標準代謝量(w) = 4.1×比体重(kg)の3/4乗 ・・・ (2)

すなわち標準代謝量は体重の3/4乗に比例するということになり,体重が2倍になってもエネルギー消費量は1.68倍にしかならないということを意味しています。つまり,大きな動物ほど体重当たりの標準代謝量は小さくなります。

体重4トンのゾウと体重40グラムのハツカネズミでは体重差は10万倍もありますが,標準代謝量は5600倍しか違いません。ゾウの体重当たりの標準代謝量はハツカネズミの1/18となっています。

これを逆の数式で表すと次のようになります。
体重当たりの標準代謝量(w/kg) = 4.1×比体重(kg)の-1/4乗 ・・・ (3)

(1) 式と(3) 式を並べてみると次のようになります。
動物の生理的時間 ∝ 体重の1/4乗 ・・・ (1)
体重当たりの標準代謝量 ∝ 体重の-1/4乗 ・・・ (3)

この二つの式からつぎのような関係式が出てきます。
動物の生理的時間×体重当たりの標準代謝量=体重に無関係な数値
体重当たりの標準代謝量=体重に無関係な数値÷動物の生理的時間

この関係式は「生理的時間(呼吸あるいは鼓動に要する時間)における体重当たりの標準代謝量(エネルギー)は動物の大きさに関係なく一定値となる」ことを意味しています。

実際に計算してみると哺乳類では心臓の鼓動間隔の間に消費するエネルギーは体重1kgあたり0.738Jとなります。(例外はあるものの)一生のうちに使用する体重1kgあたりの総エネルギーは約15億Jとなります。

哺乳類の寿命は大きさにより大きく異なりますが,一生のうちに消費する体重当たりのエネルギーは一定ということになります。短い寿命の動物は激しく燃え尽きるということです。

ヒトの体重を50kgとすると一生の間に使用するエネルギーは750億J=75GJとなります。(実際にはヒトの寿命は1/4乗法則よりずっと長生きですので生涯の使用エネルギーも増えます)。

原油のエネルギーはトン当たり約35GJですので,ヒトは一生の間におよそ2トンの原油に相当するエネルギーを使用することになる。しかし,現在の日本人は便利で快適な生活のためその250倍ものエネルギーを使用しています。


3/4乗則は生命に共通する基本法則?

3/4乗則に対する理論的な説明はできておらず,一種の経験則の域を出ていません。いろいろな理論が提案されてきましたがまだ決定打はありません。それでも,この法則は哺乳類,鳥類といった恒温動物のみならず変温動物を含めた脊椎動物にも適用できます。

さらには筆者は無脊椎動物や単細胞生物にまで拡大できるとしています。ただし,恒温動物,変温動物,単細胞生物の間にはギャップがあります。つまり,(2)式の「4.1」に相当する定数がそれぞれの動物種により異なるというです。

同じ体重の恒温動物の標準代謝と20℃に換算した変温動物の標準代謝を比較すると29.3倍となっており,恒温動物は安静時にも変温動物の30倍ものエネルギーを消費しています。もっとも,変温動物の場合,外部温度が高くなると体温は上昇しエネルギー消費量も増大します。

その割合は10℃あたり2.5倍となっている。変温動物の体温を恒温動物並みの39℃にした場合,標準代謝量は恒温動物の1/5となります。エネルギー代謝からみると両者の差は体温が違うというだけではなく,質的に異なった生き方をしていると考えられています。

単細胞生物の場合はさらに体重当たりの標準代謝量は小さくなりますが,やはり体重の3/4乗に比例しています。単細胞生物から多細胞背物へ,変温動物から恒温動物への進化はエネルギー消費量の観点からすると質的な(断続的な)変化があったといえます。

この変化のステップごとにエネルギー消費量の基礎定数は,0.018→0.14→4.1と増加しており,数式で表すと(エネルギー単位はワット,体重はkg)下記のようになります。
恒温動物の標準代謝量=4.1×体重の3/4乗
変温動物の標準代謝量=0.14×体重の3/4乗
単細胞生物の標準代謝量=0.018×体重の3/4乗

進化の過程で大きな変化はあったものの,それぞれの生物グループのエネルギー消費量は体重の3/4乗則にしたがっています。この3/4乗則には生命の基本的な設計原理が隠されているのかもしれません。


生理時間と限界寿命

「ゾウの時間・ネズミの時間」では「動物の生理的時間∝体重の1/4乗」の法則を限界寿命にも適用していますが,それに対してはいくつかの重大な例外が指摘されており,固有の生理時間が寿命を決定しているということは言えなくなっています。

最大の例外は霊長類です。ヒトの限界寿命を1/4乗則にしたがって計算してみましょう。限界寿命LT(分)は次式で算出することができます。
LT(分)≒ 6.1 × 106 × M0.20
ただし,Mは1kgに対する体重比率(相対体重,比体重)であり,体重が60kgであれば体重比率は60です。

ヒトの体重を60kgとすれば上式によるヒトの限界寿命は「1.38×107分」,つまり26年ということになります。人の限界寿命は120年程度ですので,ヒトは1/4乗則とはかけ離れた限界寿命をもっていることになります。

限界寿命がこれだけ異なりますと,一生の間の呼吸数や心臓の鼓動数も異なってきます。また,妊娠期間,性成熟齢なども同じように長くなっています。他の同程度の体重をもつ動物に比べると,ヒトはゆっくり成長し,長い寿命をもった種ということになります。

個体の発生から成熟,寿命に至る期間をライフサイクル(生命サイクル)といいます。大多数のの哺乳類では「生理時間 ∝ 生命サイクル」の関係が成立するにもかかわらず,ヒトの場合は(生理的時間∝体重の1/4乗の法則に則っているにもかかわらず)成立しないのは,生命サイクルに関与する別の要素(法則)があることを示唆しています。

現在,生命サイクルを規定する法則についてはほとんど分かっていません。米国の古生物学者スティーヴン・グールド(1941-2002年)は「ワンダフル・ライフ」,「パンダの親指」など多数の著作があり,学界に多くの学説や問題を提起しました。「パンダの親指」の中でグールドは次のように生命サイクルについて記述しています。

・相対的に生命サイクルがゆっくりな哺乳類は生態学的死亡率の低いグループです。
・相対的に生命サイクルがはやめの哺乳類は生態学的死亡率の高いグループです。

つまり,動物種の生態学的死亡率が生命サイクルと関連しているということです。すべての生物種は淘汰圧を受けており,それに耐えられない種は滅んでしまいます。生理時間は生物種に共通する法則に基づく値をとるにしても,種の存続のため,淘汰圧や環境に応じた固有の生命サイクルを進化させてきたと考えられるわけです。

生命サイクルにおいてもっとも重要な事象は遺伝子を次世代に確実に手渡すこと,つまりできるだけたくさんの子孫を残せるようにすることです。生態学的死亡率の高い種はより早い時期に子孫を残す方が種の存続に有利に働き,生態学的死亡率の低い種では,少数の子孫をゆっくり,確実に育てる方が種の存続に有利に働くであろうことは容易に想像がつきます。

ヒトは霊長類の中でももっとも成長がゆっくりしており,長寿命の種となっています。子孫の成長がゆっくりしているにもかかわらず,親世代の寿命が短ければ種として必要な数の子孫を残せないことになります。そのため,ヒトを含む霊長類は繁殖の妨げとなる老化を遅延させるためのメカニズムを進化させてきたため,結果的に1/4乗則に対して例外的な長寿命の種となったと考えられます。


老化はなぜ起きるのか

生物が子孫を残す方法には「無性生殖」と「有性生殖」という二種類の方法があります。原核生物や単細胞の真核生物は細胞分裂により増殖します。分裂前の細胞と分裂後の2個の細胞の間には親子関係はありません。まったく同じクローンが作られたわけであり,環境条件がよければ次々と分裂して無限に数を増やしていきます。

もちろん細胞が餓死したり,捕食されたりすることはあっても,(一部の例外はありますが)分裂ができなくなることはありません。細胞分裂という「無性生殖」の方法をもっている生物には老化は発生しません。

この原理はすぐに理解できます。細胞分裂で増殖する生物に老化があると仮定するとどうなるでしょう。細胞分裂により全く同じものができるわけですから,時間とともに老化が蓄積していき,次第に繁殖力を失っていきます。したがって,細胞分裂で増え,老化する生物が仮にあったとしても,ある時間で繁殖できなくなり絶滅してしまいます。

それに対して「有性生殖」をする種はほとんどの場合老化し,有限の寿命をもちます。老化は個体の生存力や繁殖力を低下させるため,生物にとっては不利な形質です。老化は遺伝的形質により支配されていることは明らかです。しかし,それは遺伝子に老化プログラムが書き込まれているということは意味していません。

生物はいつも淘汰圧を受けていますので,進化はできるだけ老化を遅延したり抑制するメカニズムを強化する方向に進むはずです。そう考えると「老化」とは若さを維持しようとする(老化を抑制する)プログラムやメカニズムが加齢により劣化(擦り切れ,エラー蓄積,障害)することだと推論が成立します。これが「老化の擦り切れ説」の考え方です。

ヒトにおける老化の進行は一様ではなく個体差があります。老化を抑制するメカニズムがよりよく機能する遺伝子を受け継いだ人は老化の進行が遅く,より長寿となる可能性が高くなります。そのような遺伝子は長寿遺伝子とされています。

長寿遺伝子は一つではありません。ヒトの体は非常に複雑にできており,機能を維持するためには多くの臓器や免疫などの仕組みが正常に働いていなければなりません。そのためには多くの遺伝子が関与しており,その総体的な結果が個体の老化の進行に影響しているわけです。

長寿遺伝子に重大な異常があれば,通常よりもはるかに速く老化が進行することもあります。そのように考えていたわけですが,最近,「サーチュイン遺伝子」が脚光を浴びるようになり,考え方がぐらついています。

Hayflickは1961年に細胞には分裂寿命があるということを発見しました。体細胞は分裂により細胞数を増加させることができますが,その回数に限界があるということです。ヒトの場合は50-70回ほどです。

細胞の分裂寿命を規定しているものは「テロメア」です。テロメアは染色体の終端にある特別な繰り返し配列をもつDNAと様々なタンパク質からなる構造です。原核生物のDNAは環形ですが,真核生物の染色体は直線状であり末端が存在します。

細胞内にあるDNAはウイルス感染,活性酸素,化学物質などにより損傷を受け切断されることがあります。このような異常な終端と正常な終端を見分けるため,正常な終端はテロメア構造になっています。

DNAの異常な切断部や損傷部は細胞がもつDNA修復機構が修復したり,修復不可能な場合はDNA分解酵素が分解します。このような修復機構が誤って機能しないようにするためテロメア構造があります。テロメアはDNAの安定性にとって必要不可欠な構造です。

正常な細胞が分裂するときはすべての遺伝子は正確に複製されますが,終端部のテロメアは完全に複製することができないため,DNAの特徴的な繰り返し部分が少し短くなります。テロメアが短くなっても遺伝子の機能には影響しません。

ところが,体細胞のテロメアは細胞周期が回転するごとに短縮していくため,テロメアがある長さ以下になると細胞分裂ができなくなります。これが「細胞老化」という状態です。

テロメアはDNAの正常終端を異常な切断部を識別するための構造ですので,短くなりすぎると染色体が不安定になります。細胞老化はそのような不安定化により発生する発ガンなどから細胞を守っていると考えられます。

テロメアは細胞分裂の回数を制限する砂時計のようなものであり,分裂できる限界数は種によって異なりますが,おおむねその種の寿命と比例していることから,「老化のプログラム説」(老化が遺伝子によりプログラムされている)の有力な根拠となっています。

「老化の擦り切れ(エラー)説」と「老化のプログラム説」は老化に関する二大仮説となっていますが,個人的には擦り切れ説の方に分があるように思います。ヒトの場合は分裂回数の限界は50-70回程度ですが,それよりずっと前に限界寿命があります。

細胞の分裂寿命は個体の限界寿命に一定の影響を与えていても,限界寿命を規定しているわけではありません。これは,動物の固有生理時間は限界寿命に一定の影響を与えていても,唯一の要因というわけではないという考え方に類似しています。


外骨格で成功した昆虫

生物の種類が繁栄の基準になるとすれば,地球上でもっとも繁栄しているものは「昆虫」です。生物の種類がどれほどのものかは専門家でもはっきりしていませんが,現在まで知られている生物種は100万種ほどであり,そのうち70%が昆虫で占められています。

昆虫の種類がこれほど多いのはやはり大きさが関係しています。昆虫は世代交代が早く,移動範囲もそれほど広くはないので狭い地域に適合した新種が生み出されやすのです。

昆虫は世界中のあらゆる場所に生息しており,その成功の秘密はクチクラという殻で体をすっぽり覆ったことにああります。クチクラはキチンという多糖類でできており,軽くて丈夫でです。このクチクラの表面にはワックスがかけられており,水が通らないようになっています。

陸上を自由に移動する小さな生物にとってもっとも重要なことは乾燥から身を守ることです。小さな動物では相対的に体積に比べて表面積が大きいので水分がどんどん逃げてしまいます。昆虫は水を通さない殻で全体を覆うことにより乾燥に耐えることができています。

さらに,この軽くて丈夫な殻は力を支える外骨格および体表面を外傷から守る鎧にもなっています。この三つの機能をあわせもつクチクラの殻をもつことにより昆虫は地球上で繁栄できるようになりました。

昆虫のように外部をすっぽりと覆うような構造により力を支えるものをモノコック構造といいます。脊椎動物の体は柱や梁に相当する骨格で力を支えるようになっていますが,昆虫ではその機能を外側の殻で代用しています。モノコック構造は大きな荷重を支えることはできませんが,ずれやねじりの力には強い構造です。

飛行機の構造がモノコックになっているのは外気から加わる力に対して抵抗力があるからです。これに対して脊椎動物のように大きな生物では自重を支えるため内部に骨格が必要となります。

体全体を丈夫な素材で覆うと関節のように曲げる部分は困ったことになります。これも昆虫はみごとに解決しています。クチクラは作り方により硬くも柔らかくもすることができるので,関節に相当する部分に柔らかいクチクラを使用することにより曲げるという問題を解決しています。

もう一つの問題は酸素の取り込みです。小動物は体積の制約により脊椎動物のように複雑な呼吸系をもてないので,体表から取り込んだ酸素を拡散させる仕組みでこの問題を解決しています。しかし,昆虫の場合,クチクラが体全体を覆っているので体表から酸素を取り込むことができなません。そのため,気管系を発達させました。

気管は体表面にあいたいくつかの穴から細い管が枝分かれしながら細胞の表面にまで達しています。この細い管の内側はクチクラで覆われており,細胞に接する部分だけがクチクラがなくなっています。

このように気管系を体全体にはりめぐらすことにより細胞の表面で直接,拡散(濃度の濃い方から低い方に物質が自然に移動する)によりガスの交換が行われます。この気管系の優れたところはほとんどエネルギーを使用しないでガス交換(呼吸)が可能であり,かつ気管内部の空気が攪拌されないので水分はほとんど逃げないことです。呼吸系・循環系をもつ脊椎動物の場合,少なからぬ水分が呼吸のために失われます。

昆虫の食生活は幼虫と成虫(羽化後)とではまったく異なります。幼虫時代をイモムシあるいは毛虫の姿ですごし,ひたすら植物の葉を食べます。植物の細胞壁はセルロースでできており,栄養になるのはわずかな細胞質です。葉は栄養に乏しいので幼虫はとにかくひたすら食べて,成虫になるために必要な組織(栄養物質)を蓄積します。

幼虫は葉を大量に食べるには適した姿をしていますが,移動や交尾の相手を探すには不適ですので,体内に必要な栄養物質が蓄積されるとさなぎになります。さなぎの中で体の構造を根本的に変えて成虫になる準備が進行しています。

準備が終わるとさなぎから成虫が出てきて,羽を伸ばして飛び回るようになります。成虫の目的は子孫を残すことだけです。彼らの食料は花の蜜や樹液といった栄養価の高いものをわずかに摂取するだけであり,中には成虫になるとまったく食事をしないものもいます。

それならば,幼虫の時代から花の蜜を摂取すれば良いのではということになりますが,そう簡単にはいきません。花の蜜は植物の開花時期に限定されており,かつ競争相手も多いのでひ弱な幼虫がそれに頼るわけにはいかないのです。

それに対して葉は時期を選ばず大量にありますので,たくさんの幼虫を養うことができます。昆虫の成功の秘訣の二つ目は,他の動物があまり手をつけなかった葉を幼虫の食べ物として選択したことにあります。

植物の細胞壁を構成しているのはセルロースという多糖類です。セルロースはでんぷんと同じようにブドウ糖がたくさんつながったものなので,これを分解することができれば大変栄養のある食料にすることができます。地球上におけるセルロースの年間生産量は1000億トンと穀物(20億トン)の50倍にもなります。

しかし,でんぷんとは分子構造が異なり,昆虫を含め動物の消化酵素ではその結合を分解できないため消化することができません。セルロースは重力に対抗して植物が陸上で自立するために不可欠な建築材料であり,かつセルロースの細胞壁は乾燥から植物を守る働きをしています。しかも,動物に分解されない優れた素材なのです。

私たちは野菜を食べて栄養素を摂取することができるのは,咀嚼により細胞壁を機械的にすりつぶして内部の物質を消化するからです。シロアリや一部の草食哺乳類はセルロースを分解して,栄養を摂取するすることができます。しかし,分解の主役は胃や腸の中に共生しているバクテリアや原生生物です。

人類がセルロースを安価に分解する技術を開発することができたら,食糧問題,エネルギー問題解決のために大いに資することになります。逆に昆虫がセルラーゼ(セルロース分解酵素)を手に入れたら,その昆虫は爆発的に増え,大集団で飛び回り,周辺の緑を食い尽くしてしまうバッタのようになるかもしれません。