亜細亜の街角
出口の無いスークから脱出すると大モスクがあった
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アレッポ  (参照地図を開く)

アレッポはシリアの北部に位置し,トルコ国境まで48kmのところに位置する。周辺ではおよそ4000年前頃から人が居住するようになり,ヒッタイトの粘土板にも記録が残っている。ダマスカスと並びシリア地域でもっとも古い都市であり,アラビア語では「新鮮な乳」を意味する「ハラブ」と呼ばれている。

地中海とユーフラテス河を結ぶ東西の交易路とアラビアとアナトリアを結ぶ南北の交易路の交差するところにあり,古代から交易で繁栄してきた。ヨーロッパから喜望峰回りでインドへ向かう海路やエジプトから紅海を通る海路が交易の主流になると,交易都市アレッポは衰退する。

13世紀から近代までシリアからエジプトにおよぶアラブ世界はオスマン帝国の支配下にあった。第一次世界大戦で敗戦国になったオスマン帝国は解体され,アレッポはフランス領シリアの一部となった。トルコとの関係が断たれアレッポの経済は大きな打撃を受けた。

現在のアレッポは人口は約170万人,周囲5km弱の城壁に囲まれた旧市街とその西側と北側に広がった新市街からなるシリア第2の都市となっている。旧市街は13世紀にさかのぼるが,何度かの地震により損壊している。

古代からの交易都市らしく石屋根の迷路のようなスーク(市場)や大きなキャラバン・サライ(隊商宿)があり歴史を感じさせる町である。1986年に世界遺産として登録された。

アレッポは石鹸の発祥の地としても知られている。この地域のオリーブオイルを原料にして作られる石鹸は古代エジプトの貴族,中世の貴婦人にも愛用されていた。

石鹸作りの技法はフランスのマルセイユに伝わり,そこから世界へと広がったといわれている。現地では石鹸のことをアラビア語で「サボン」または「シャボン」と呼んでおり,これがフランス語のシャボンとしてそのまま使用されている。

パムッカレ(H)→デニズリ 移動

パムッカレの宿から幹線道路に出てミニバスを待つ。民営のミニバスは1.75リラと少し割高である。デニズリのオトガル(バスターミナル)に到着して,窓口でアンタキャ行きのバスのチケット(43リラ)を購入する。

その前に近くの鉄道駅にも行ってきたが,アフヨンでの乗り継ぎ時間が18時間もあり役にたたない。距離からすると国境までのバスは予想外の安さだ。今日のバスの目印は「天使の羽」のマークである。

トルコでは多くのバス会社が路線をもっているので,オトガルで自分のバスを探すのはけっこう難しい。同じ番号のバス乗り場からも異なるバス会社のものが発着することもあるので何か目印を見つけておくとよい。

バスの出発時刻の19:30までは4時間ほど間があるので,荷物をバスのチケット売り場に預けて,デニズリの街をのんびり歩いてみた。中心部は5-8階の中層ビルの立ち並ぶきれいな街並みになっている。

家具屋のおじさんに呼び止められ,お茶になる。これがトルコ最後のお茶かななどと思いながら感傷気分でいただく。ビル街の一画に立派なモスクがある。オスマン時代に確立された様式で小さなドームの重なりの中央に大ドームが配置されている。細い2本のミナレットもトルコのモスクの特徴だ。

オトガルに戻りしばらくベンチで本を読んで過ごす。原書の「ジェラシック・パーク」はこんなときに良い友達になってくれる。しかし,英語の本はそんなに長い間集中することはできない。今回の旅でもこの本を読み切ることはできそうもない。

オトガルの近くには魚屋が集まった一画がある。魚の種類は日本とは大分違う。大きな口の魚の写真を撮ろうとしたら,売り子の男性が魚の口にレモンをくわえさせた。ん・・・,この光景はどこかで経験した。

記憶をたぐってみると,トラブゾンの魚屋でやはり大きな魚の口に小鯵を入れた茶目っ気の多い男性がいた。魚屋のおじさんは名刺を僕に渡し,「写真を送ってくれ」と要求する。ごめん,写真は希望者が多くてちょっと無理だよ。

夕食はオトガルにあるロカンタでチキンと野菜の煮込みをいただく。おいしいトルコ料理とも今日でお別れとなる。19時過ぎにバスがやってきて,チケットでバスを確認してもらい乗り込む。

デニズリ(H)→アレッポ 移動

バスは定刻に出発し2-3時間おきにドライブインで停車する。僕の利用したHASはこの地域では大手のバス会社のようで,あるドライブインでは3台も停まっていた。このような場合,ナンバープレートの番号を覚えておかないと自分のバスが分からなくなる。

地中海にほど近いアダナという大きな町で乗客の大半は下車した。じきに,きれいな朝焼けとなり,太陽が顔を覗かせる。アフヨンから南に向きが変わると,短い区間ではあったが地中海が見える。

綿花畑ではこの時間帯から人々が綿摘みに精を出している。風景はトルコ世界から地中海東岸のそれに変わっていく。09時にアンタキアのオトガルというか街から離れた広場のようなところにバスは到着した。ここにはHASのマークのあるミニバスが何台も停まっている。

その中には国境を越えてシリアのアレッポに向かうものもある。アレッポ行きを確認し荷物を乗せかえると両替屋がやってきた。余った26トルコリラは950SP(シリアンポンド),100$は4800SPとなった。それほど悪くないレートだと思う。

09:30にミニバスは動き出し,30分ほどで国境である。カスタムのチェック待ちの大型トラックが列を作っている。僕の乗ったミニバスはその車列の間を通り抜け,イミグレの前で停まった。

乗客は個々に出国手続きを済ませ再びミニバスに乗り込む。ここの手続きはごく簡単,1分もかからずにパスポートにスタンプが押される。ミニバスは次にシリアのイミグレの前に停まる。

運転手が乗客のパスポートを集める。入国カードを書いていると運転手が「そんなものはどうでもいいんだよ」と書きかけのものを窓口に提出した。確かにこのカードはパスポートと一緒に戻ってきたのでどうでもいいもののようだ。

入国スタンプはすべてアラビア文字のため,入国日が分からない。滞在期間は15日なので用心のためシリアビザのページに入国日を自分で記入しておいた。再びミニバスに乗り込み,12時にアレッポのどこかに到着した。

さてさて,ここはどこだろうとガイドブックの時計塔の写真を近くの人に見せると「あっちだよ」と目の前の通りを教えてくれた。少し歩くとランドマークの時計塔が見える。安宿街はすぐ近くだ。

Hotel Spring Flower

スプリング・フラワー・ホテルは個室の空きがあった。しかし,とても狭い。広さは2畳,1ベッド,T/Sは共同でまあまあの清潔さである。料金は200SP(480円)である。

ルーフトップは屋根と壁のあるドミになっており,16枚のマットレスが隙間無く並べられている。プライバシーもセキュリティも何もないのでこのドミはさすがに願い下げだ。

金曜集団礼拝

僕の滞在している宿はアレッポの北西地区にあり,旧市街は南東地区に広がっている。距離は2kmほどなので歩いて十分に回ることができる。宿の南にアル・マーリ通りがあり,そこを東に行くと時計塔がある。

その手前に小さなモスクがあるので中に入ってみる。正面にモスクの本体,中庭を囲むように付属の建物がある。中庭の2/3にはじゅうたんが敷かれ,人々が集まってくる。今日は金曜日なので集団礼拝が行われようとしている。

イスラームには五行と呼ばれる次のような重要な行動規範がある。その中でも礼拝は2番目に重要なものである。
(1) 信仰告白(シャハーダ)
(2) 礼拝(サラート)
(3) 断食(サウム)
(4) 喜捨(ザカート)
(5) 大巡礼(ハッジ)

礼拝は一日に5回,夜明け前,午後早く,午後遅く,日没直後,そして夜に行うことが義務付けられている。「イスラーム」とは(神に)帰依することを意味する。そのもっとも重要な実践が礼拝とされている。

礼拝は単に行動に表れる儀式が主体ではなく,どこにいても人々は礼拝を通して神との精神的交流を図り,絶対神に従うことを自分の中で確認するのである。

特に金曜日(ジュマ)は定められた集団礼拝の日で,イスラーム教徒にとって特別の意義をもっている。金曜日の礼拝を集団で行うことがイスラーム教徒の成年男子のすべてに義務と定められている(女性の場合は、本人の気持次第とされている)。この集団礼拝を行う場所として,多くのイスラムの町にはマスジド・ジャアミイ(金曜モスク)がある。

金曜日の礼拝は他のすべての集団礼拝の場合と同様に選ばれたイマームが指導する。礼拝の前にイマームが参集者にフトバ(説教)を行い,イスラーム教徒の責任と義務について説かれる。これは信者同志の精神的連帯を深めるための手段として行われている。

イスラーム教徒にとっての金曜日はユダヤ教の安息日やキリスト教の日曜日によく似ているが同じではない。ユダヤ教では安息日を聖なるものとして仕事はおろか家事も禁止されている。しかし,イスラームにおいては金曜日も自分の仕事に励んでもよい。実際には午後早くの集団礼拝まで,あるいは1日中商店は閉められることが多い。

人々はモスクの入口の水を使用して身を清め,中庭のじゅうたんの上に坐る。モスクの内部はもういっぱいのようだ。じゅうたんの手前には彼らの履物が並んでいる。

アレッポの石けん

街を歩いていると商店の店先にはたくさんの茶色の石けんが裸のままで積み上げられている。えっ,これが有名なアレッポの石けんなのと思われるくらい無造作に置かれている。

失礼ながら外観からすると昔の洗濯石けんではないか。しかし,この石けんは4000-5000年もの歴史をもち,石けんのご先祖様ともいうべきありがたいものなのだ。

原料となるのはオリーブオイル,あるいはローレル(月桂樹)オイルである。石けん生地を三昼夜じっくりと釜で練り上げてから,石けんの形にして熟成させる。

できた当初は緑色であるが1-2年の熟成期間を経ると表面は飴色に変わっていく。僕は表面が茶色のものしか見たことが,内部は緑色のままだという。

オリーブオイルはオレイン酸を多く含み人の肌の脂肪酸と良く似た組成をしている。そのため汚れを落としつつ脂肪酸を補うという2つの効果がある。ローレルオイルは肌や頭皮,髪の毛に対して消臭・フケとりなどの高い洗浄効果があるとされている。

とまあ,いろいろ効能が高く,お土産としても手ごろで人気のあるアレッポ石けんであるが,僕は使用したことが無いので何とも言えない。

石けんは油脂と水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)を混合することにより得られる。油脂は3個の脂肪酸と1個のグリセリンが結合したもので,脂肪酸はその中に含まれる炭素の数によりいくつもの種類に分かれる。

油脂に水酸化ナトリウムを加えると3個の脂肪酸ナトリウムと1個のグリセリンができる。高校時代の化学を思い出すと左図のような反応式となる。この脂肪酸ナトリウムが石けんの主成分である。余分のグリセリンは石けんの工程中で除去されることが多い。

この石けん生地に各種の香料などを添加して市販の石けんができあがる。水酸化ナトリウムの代わりに水酸化カリウム(KOH)を使用すると,液体石けんであるカリ石けんができる。

石けんの原料はあのべとべとした油脂なのになぜ油を落とせるかはちょっとした秘密がある。それは脂肪酸ナトリウムが分子内に水になじみやすい部分(親水基)と油になじみやすい部分(親油基・疎水基)をもつので界面活性剤として機能するからである。

水と油は通常の場合は混ざり合わないが,界面活性剤があると白濁して均一になる。この現象を乳化といい,そのような作用をもつ物質を乳化剤という。つまり,石けんは油と水が混ざった状態を作り出すので油汚れを落とすことができる。

界面活性剤を化学合成したものが「合成洗剤」である。台所洗剤は非常に強い作用をもっているので,手の皮脂膜をも洗い流してしまう。私たちの皮膚を乾燥から守るために毛穴には皮脂腺があり,そこから皮脂が分泌されている。

これは天然のクリームのようなものであるが,洗剤はそれまで落としてしまう。そのため,洗剤で水仕事をすると肌荒れの原因となる。

最近の小さいボトルに入った「少量でも汚れが落ちる洗剤」は界面活性剤の割合が非常に高くなっているだけのものである。合成界面活性剤は環境中に放出されると,石けんよりも生分解されづらく長く環境中に留まり,生態系に悪影響を与えることになる。

スーク

アル・マーリ通りをさらに東に行くと時計台がある。その少し手前にけっこう繁盛している食堂がある。ガイドブックににもボルサイドという名前が記載されているのでおそらくそれであろう。この食堂ではトルコでいうとロカンタ形式で,でき合いの料理を指で指し示して注文することができる。

時計台から南に折れ,クランク状の交差点をさらに南に歩くと城門のようなスークの入口がある。天井はレンガを積み上げたアーチ状になっている。しかし,アーチの下側を支える部分は商店の中にあり,その構造は分からない。

スークの内部は薄暗く電気の無い時代にも灯火は必需品であったことだろう。もっとも場所によってはところどころに明り取りの穴があり,その周辺だけが明るくなっている。このスークの通りは東西の直線で1kmあり,メインの通りの周辺に何本かあるスークの総延長は12kmにも及ぶという。

スークにはとても古いところもあれば,かなり近代化したところもあり,見ていて飽きない。しかし,内部はとても混雑しており,そこに台車が,ときには車まで通るのでのんびり見学というわけにはいかない。

また,一度ここに入り込むと抜け出すのは困難である。僕は3回トライしてみたが結局,東西の出口と大モスクに通じる道以外は発見できなかった。

ほとんどの商店は間口1間程度のもので,奥行きはそれなりにある。う〜ん,これでは天井をどうやって支えているんだろう。自然光がほとんど入ってこないためスークの中は暗い。金曜日のため半分くらいの商店は閉まっている。

扱っている商品は生鮮食品から衣類,雑貨,貴金属まで多様だ。商店の売り子はすべて男性なので写真は問題ない。子どもたちも写真にはなんの拒否反応もない。

シリアの人の85%はアラブ人,少数民族としてアルメニア人,パレスチナ人,クルド人がいる。顔立ちはやはりアラブ系が多いが,中には金髪碧眼のアルメニア系の少年も見かけた。

大モスク(ジャミア・ザカリーエ)

スークの中ほどの北側に大モスクがあり,そこだけはスークから脱出できるようになっている。大モスク(ジャミア・ザカリーエ,ジャミアはトルコ語のジャーミーと同じで礼拝所を意味する)は,ウマイヤ朝時代にダマスカスにあるウマイヤド・モスクと同時期の715年に建てられた。両方とも元はキリスト教の教会だったものがモスクに転用された。

ウマイヤド・モスクの場合,前身のビザンチン帝国の「洗礼者ヨハネ聖堂」は擁壁で囲われた中庭の中心に,東西方向に長い長方形プランの教会堂があった。しかし,イスラームではメッカの方角に向かって礼拝するので,この教会堂の構造はモスクには不向きであった。

そのため,モスクに転用するとき,教会堂は取り壊し,メッカの方角の南側に礼拝堂を建造することになった。そのとき教会堂を構成していたアーチの列(アーケード)を注意深く解体し,モスク内部のアーケードに転用したという。

周囲を回廊,もしくは付属の建物で囲い,内部を大きな広場とし,メッカの方角(南)に敷地と同じ幅のモスク本体を配置する構造はその後のモスク建設の基本構造となった。

アレッポの大モスクも同じような構成になっている。しかし,この大モスクは14世紀のマルムーク朝の時代に再建されたもので,ウマイヤ朝時代の建築プランは部分的にしか残っていない。

大モスクを外から眺めるとほとんどただの石の壁である。トルコのモスクは例外的に外観も優れた建築物になっているが,多くのモスクはその内部空間に美しさを凝集している。

北西の隅に四角柱のまるで時計塔のようなミナレットが1本だけ立っている。この11世紀に建てられた45mのミナレットはその独創的な形のため,中世シリアのもっとも重要な建築例としてあげられている。

現在はすでにテープになってしまったが,少し前にはこのミナレットから礼拝を呼びかけるムアッジンのアザーンが響いていたことであろう。

大モスクの北側は広場になっておりタクシーがたくさん停車している。広場からの入口はミナレットを挟むように北側と西側にある。僕は北側の門から入ろうとするとその手前に机を出している男性からバクシーシを求められた。

大モスクは異教徒にも開放されており,入場料のようなものはない。彼はいわば寄付を要求しているのだ。僕は「内部を見せてもらって気に入ったら払うよ」と言い残して中に入る。結果として気に入ったので外に出るとき25SPを彼に払った。するとちゃんと律儀に領収書を切ってくれた。

モスクの入口をくぐると,内部は石板が敷きつめられた中庭になっており,その向こうにモスク本体の建物がある。もちろん,入口から先は中庭を含め土足禁止となっている。すでに集団礼拝は終わっているが,内部にはまだたくさんの人が残っている。

四面の建物は石造りで擁壁を兼ねている。中庭に面して多くのアーチ型の窓や出入り口がある。中庭はほとんど何も無い空間となっており,人々が礼拝の前に身を清める泉水と水飲み場があるだけだ。

中庭に面した壁面にもほとんど装飾は見られず,モザイクで飾られたダマスカスのウマイヤド・モスクとは対照的な空間となっている。

モスクは南に面しているので中庭側は日陰になる。そこには集団礼拝を終えた人々が坐ってくつろいでいる。モスクは礼拝所でもあるが人々が集っておしゃべりを楽しむ場も提供している。これでお茶でもあれば最高なのだろうがそうはいかない。

ここにいるのは男性だけである。モスクの日陰で休むのは男性の特権ということかな。家族連れは中庭の北側の建物で休息をとっている。礼拝所の内部はじゅうたんが敷かれ,緑と茶色の模様が礼拝時の位置決めを示している。

モスクは英語読みで語源はアラビア語のひざまずく場所を意味する「マズジド」である。その名の通り,モスクにはミンバルという説教台を除きイスの類は一切無い。人々はじゅうたんのラインに合わせて一列になって礼拝を行う。

礼拝以外の時間帯に何人かの人々はアーチを構成する巨大な柱に背を預けて聖典コーランを読んでいた。シリアではアラビア語が母語となっているのでコーランを読むことは容易だ。

しかし,コーランは音読しなければ読んだことにはならないとされている。しかも,それには日本の読経のように独特の節回しが付随している。礼拝堂の一画では長老もしくはイマームを囲んで音読会が開かれている。

一人がコーランの聖句を読み上げていき,まずいところがあると長老が訂正している。流麗なアラビア語で書かれたコーランは比較的大きな書物になっている。彼らの前には読書台が置かれ,聖典はその上に開げられている。

モスクに訪れる男性の服装は膝下まである長い上着とゆったりとしたズボン姿が多い。アラビア風の「ソーブ」と呼ばれるくるぶしまで届く白いワンピースに,白いスカーフ,そしてそれを押さえるための輪を着けている人も散見される。

中性的な魅力に溢れている

白いワンピースを着ている10歳くらいの二人の子どもがいたので写真を撮らせてもらう。髪型からして男の子と女の子のような感じを受けるが性別は定かではない。あえて言うならば中性的な魅力に溢れている。

外側から見たミナレット

ナンバープレート

スパイス

オリーブの酢漬け

ここからアザーンが流れるのかな


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