亜細亜の街角
公安検査で宿を追い出される
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从江(従江,コンジアン) (地域地図を開く)

榕江から黍平に行く道は2本ある。北周りは茅貢を通るもので,すでにバスで移動したルートだ。もう一つは南回りでその途中に从江の町がある。旅行情報は何も無い。しかし,一気に肇興から榕江に移動するのはもったいないので,途中の町に立ち寄ることにした。

肇興(30km)→分岐点(60km)→从江 移動<

肇興(10:00)→分岐点(10:30)→貫洞(11:05)→从江(12:00)とバスを乗り継いで移動する。夜中に強い風が吹いた。開いた窓がバタンバタンと音をたてうるさい。早朝の天候は曇り,上層には薄い雲,下層には黒い雲がありその流れは早い。窓の下の池には風で飛ばされたゴミがたくさん浮いている。おじさんが長い竹の先に網を取り付けた道具ですくっている。

肇興から从江までの直通バスは無いので紀堂の少し先の分岐点でバスを乗り換える必要がある。分岐点で下車し洛香方面に少し移動するとすぐに从江行きのバスがきた。

洛香は古い街並みが残っており,風雨橋を3ヶ所で見かけた。昔(月へんに昔)水では鼓楼が2つ見える。貫洞では市が開かれており,肇興と異なる民族服の女性を見かけた。12:00に从江の汽車站に到着する。

従江汽車站

表通りには立派な建物が並んでいる。宿もたくさんあり泊まるところには不自由しないようだ。汽車站の向かいに金帝豪賓館ある。部屋は8畳,2ベッド,T/HS付き,TVと机もあり清潔である。部屋代は30元と嬉しい値段である。

从江は都柳江沿いに開けた町だ。南西から北東方向に川が流れ,それと平行して幹線道路が走っている。市街地は道路の両側1kmくらいの範囲だ。市街地は再開発で新しくできたようだ。道路は4車線ほどの広さで,ビルの高さもそろえたように6階建てになっている。

小学校|雲梯で遊ぶ

町から4kmほど南西にある巴(山かんむりに巴)沙に行こうと歩き出す。汽車站の北東に橋があり,その手前に小学校があるので中に入る。子どもたちの服装は完全に漢人化しているのに,写真に対する反応はイマイチである。

カメラを向けてもなぜかカメラ目線になってくれないのだ。もちろん,低学年の子どもたちは集合写真に入ってくれたし,鉄棒で遊んでいるグループも笑顔でポーズをとってくれた。しかし,全体として反応の鈍い学校である。

なんとなく反応がいまいちであった

この笑顔・・・将来有望かな

だいぶ写真に慣れて来たかな

でも下を向いている子どももいる

都柳江にかかる橋の上で出会った子どもたちは笑顔であった

都柳江沿いに新しい建物が並ぶ

橋を渡ると対岸に从江の町が見える。川と斜面の間に二列になったビルが並んでいる。その上の斜面には木造家屋がちらほらと見える。

都柳江は渇水期のため水量は少ない。土手がほとんどなく水面から道路までは2mほどしかない。これではちょっとした雨が降ると水が出そうだ。上流側を見ると川の対岸にもコンクリートの建物が見える。両岸のどこにも平地は無く,川と斜面の風景があるだけだ。

再開発から外れたところには木造家屋が残されている

橋の下では男の子が水遊びに興じている

少し歩くと田園風景となる

再開発の及ばない斜面に伝統集落が残されている

下流側に目をやると町はじきに終わる。斜面が削られ大きな鼓楼が立っている。回りには木造の集落が固まっており,そこはトン族の生活圏となっている。橋の下では子どもたちが水遊びを楽しんでいる。

川がゆるやかな弧を描くところに棚田がある

橋を渡り南西方向の道をしばらく歩く。対岸では斜面が削られ赤い地肌の上にビルが建てられている。川がゆるやかな弧を描くところに2haほどの少し傾斜した平地がある。そこは手入れの行き届いた水田になっている。

山また山の風景だね

周辺の山々の下半分は人の手が入っているが,上半分は森林が保全されている。町が見えなくなると自然が豊かな川の風景がそれに代わる。

■調査中

森林が豊かなので木材工場がいくつもある

道路はしだいに上りになる。道路沿いの斜面は段々畑になっている。木材工場がいくつもある。特産の杉材を使用して柱や板を製材している。間伐材なのであろうか,工場の前には直径10-20cmほどの細い木材がうずたかく積まれている。たぶん数千本はあるだろう。

工場の敷地には大きな板材に混じって10mx60cmほどの板が乾燥のため井桁に組まれている。用途は分からないがこれも大変な量だ。

中国の森林資源は面積1.75億haで森林被覆率は18.1%,10年前に比べて4ポイント改善された。天然林の多くは東北地区と西南地区に集中しており,人口が密集した東部平原や広大な西北地区にはほとんどない。

治水,砂漠化の防止,木材資源の確保などのため中国政府は国土の緑化を強力に推進している。2004年度の統計では造林面積は380万ha,閉鎖林育成は257万haに達している。

それでも経済発展にともない木材,パルプ需要が急増しており中国は世界第2位の林産物生産国となっている。その一方で,丸太や木材加工品の輸入も急増している。主要輸入先はロシア,マレーシア,インドネシアで,その中には生産国で違法に伐採されたものが相当量含まれているという。

比較的雨の少ない中国にあって,貴州省は雨と豊かな森林に恵まれている。語呂合わせではないが紀州と似たような地理的条件なので林業は今後ますます盛んになっていくことだろう。

植林されているのは杉のようだ

町に戻ってきて出会った子どもたち

バスケットボールの試合を観戦する

木材工場のところでどうも巴沙への道ではないことに気が付き,町に戻ることにした。往復6kmのむだ足である。まあ,こういうこともあるさと自分を慰める。

再び小学校に足を運ぶ。校庭ではバスケットボールの試合が行われている。観戦中の女子グループの写真を撮る。さきほどとはうって変わって簡単である。何枚か集合写真をとり宿で小休止する。

さすがに写真を撮る外国人に慣れてきた

雲梯のところで最後の一枚を撮る

宿の下の道をサーカスの宣伝隊が通る

気温は高く,半そででも汗をかくほどだ。今日は1リットル近い水分を補給した。中国版の栄養補給飲料(500cc,3.5元)も試してみる。日本の乳飲料に近い味だ。通りがにぎやかになったので外をのぞいてみると,檻に入ったライオンとトラがトラックに乗せられている。どうやらサーカスのPRのようだ。

そろそろ夕暮れの時間となる

メンが少し固いものの和風ラーメンと同じ味である

通りの北東側で食べた昼食はトマトの卵の炒め物とごはんで10元もした。夕食は通りの西南側にしてみる。こちら側には庶民の食堂が何軒かある。地元の人が食べているのをチェックしていると,ラーメン(2.5元)がある。注文してみるとメンが少し固いものの和風ラーメンと同じ味である。

小さな子どもが水を汲んでいる

少し先の斜面には小さな子どもが水を汲んでいる。水道ではなく地下水が染み出してきているようだ。見た目にもあまりきれいな水ではない。この子の写真を撮ると,近くで遊んでいた友だちが集まってくる。全員の集合写真を撮り,彼女の水を少し分けてもらいヨーヨーを作ってあげる。

バスで下江に移動する

7時に起床し,昨日のラーメン屋で朝食をとる。汽車站からバスに乗り下江に向かう。巨洞村では半分くらいの家が新築中である,しかもすべて伝統的な木造建築なので何か理由があるのだろう。

下江は幹線道路沿いにコンクリートの建物が並んでいる。幹線道路と都柳江の間に2本の生活道路があり,周辺には木造家屋がたくさん残っている。

川沿いの通りを歩いてみる。都柳江の下流側はゆったりとした流れになっており,少し先でゆるやかに右に蛇行している。

カーブのあたりの斜面に木造集落があり,岸辺には小舟がたくさん係留されている。上流側は岩場が多く,水面から岩が顔を出している。山間部を川がゆったりと流れ絵になる景色である。

川までは細い道を通って下りる。岸辺から岩伝いに本流の近くまで行ってみる。水はきれいだし,気温が30℃を超えているので水遊びが楽しそうだ。僕の立っているところから10mほど離れた岩の上で子どもたちが釣りをしている。間には流れがあるので僕が近づけるのはここまでだ。

すこし離れると昔のままの集落がある

カワウが竹ざおに止まっている

岩場の下流側に2隻の小舟がつながれており,近くに置かれた竹ざおのの上に6羽の川鵜が止まっている。この時間帯は漁はお休みのようで,鵜はのどをふるわせたり,羽の手入れをしている。鳥たちを驚かせないように背後から回り込んで前方の岩場に移動する。

幸い鳥たちは人に慣れているので,ある距離をおくと平気である。よくみると,水かきの付いた片足で15cmほどの太さの竹に器用に止まっている。片足には紐が付けられ竹ざおに固定されている。しばらく,珍しい鳥の生態を観察していた。

鵜飼いはおそらく日本と中国だけに残っている漁法である。南アジアでは泳ぎが達者なカワウソを使って,網に魚を追い込む漁法もある。鵜飼いは川鵜を飼いならすことから始まる。

漁師は慣れた鵜と一緒に舟で漁場に向かい,そこで頸の下端をある程度の強さで縛ってから舟から下ろす。鵜は先端が鉤形をした鋭い嘴をもっており,水中で魚をしっかり挟みとり,水面に出て飲み込む。

ところが食道が狭くなっているので魚を飲み込めない。日本では鵜をひも付きで放し,頃合を見て鵜匠がひもを引いて鵜を手繰り寄せ,頸をつかみ喉を押して魚を吐かせる。

日本のテレビで見た限りでは中国ではひも無しで鵜を放す。どういうことか鵜は魚を飲み込むと小舟に戻ってくる。漁師は魚を吐き出させまた水面に放していた。うまくすれば,ここでもそのような風物詩を見ることができるのかもしれない。

村の子どもたち

村の道をしばらく歩いてみたが,あまり良い被写体にはめぐり合えない。町に戻るとお葬式の家があった。参列者は白い頭巾を被り,残りの布は後ろに垂らしている。

カーテンの向こうには棺がある。太い木を2つに割ったものを4本組み合わせたものだ。男性の遺影が飾られており,56才で亡くなったとのことだ。通りの向かいで参列者用にごはんがふるまわれており,僕も誘われるままにイスに坐る。

赤ちゃんのお守りというわけではない

バイクと荷車を結合させて三輪車

昔ながらの家屋はまだまだ残っている

村の子どもたち

オリヅル教室を開く

上流側の水はけっこうきれいだ

さっきまで水遊びをしていた

放し飼い状態のアヒル

从江に戻ると宿のおばさんが「公安の検査があり,ここに泊められなくなった。向かいの賓館に移動してくれ」と今日の部屋代を差し出す。从江ではもうすることがないので,榕江に移動することにする。今日は土曜日なので公安の検査が入ったのかもしれない。それにしてもこんな立派な宿に外国人が泊まれないというのはおかしいことだ。


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