亜細亜の街角
■白玉河と金曜大礼拝を楽しむ
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和田(ホータン)  (地域地図を開く)

タクラマカン砂漠の南西にある大きなオアシス都市,古来から西域南道シルクロードの拠点とした繁栄していた。人口は14万人で,オアシスの人口密度は1000人/km2と高い。

コンロン山脈からの雪解け水を集めた,白玉河,墨玉河に挟まれており,そこからとれる玉(ヒスイやメノウと同系統の石)は驚くほどの値段で取引されている。

中国では古代からこの玉を珍重しており,「璧(へき)」のようにある種の玉器は王権の象徴や皇帝の権威を表すものとされてきた。「璧」という文字の下の部分は「玉」であることに注意していただきたい。

現在は欠点や不足が全く無いという意味で使用されている「完璧」という言葉は,完全な壁ではなく「完璧而帰(璧をまっとうして帰る」という中国戦国時代の故事に由来している。

「ホータン玉」は古代から中国の最高の宝であり,現在でも最高級の羊脂玉は金より高い値段が付けられている。また,玉を加工した置物などは天文学的値段が付いている。

和田はまた絹の産地として名高い。厳しい禁輸品であった蚕の種はシルクロードを通り,この地にもたらされたものである。もともとはこの地域には仏教を信仰する漢民族が住んでいたので,蚕の種は彼らによってもたらされたのかもしれない。

その後,この地域にはチュルク系のウイグル人が増え,11世紀にはイスラム化した。現在,住民の大半はウイグル人である。それでも,古来からの絹の産地であることには変わりない。

中心部では暑さを避ける地下商場の建設が進められている。道路を掘り下げているため,大通りが通行禁止になっており,歩道との間は鉄板で仕切られている。

囲いの切れ目を見つけて覗いてみると200mほどの区間で工事が行われていた。確か,看板の標語は「一度造るとその後は長く恩恵に与れる」という内容であった。

民豊(313km)→和田移動

民豊(09:30)→干田(11:15)→策動(13:30)→和田(14:30)とバス(35元)で移動する。早朝に汽車站でチケットを買い,朝食をとってからバスに乗り込む。バスは普通タイプだが座席の間隔が狭くてちょっときゅうくつである。

民豊から干田までの道路は一部の工事区間を除き良好である。民豊を出るとじきに緑は無くなり砂漠地帯になる。道路を横切り南から北へ何本もの川が流れており,その周辺だけ緑の畑になっている。干田は意外に大きな町で,バスの車内からも2軒の賓館があることが確認できた。

干田から策動まではずっとグリーンベルトが続いている。道路は全面工事中のためほこりがひどいのでカメラはザックの中に避難させる。策動から先は立派な舗装道路になる。

バスは20秒間隔でクラクションを鳴らし,時速80-100kmで走行する。結局,和田(ホータン)まで休憩無しで走り通した。あと2年もすれば西域南道高速道路が完成し,快適な移動ができるようになるだろう。

和田迎賓館

ホータンの宿は和田迎賓館のドミにする。門を入ると立派な本館があり,ドミ棟はその左側にある。部屋(20元)は3ベッド,T/Sは清潔,服務員も親切で居心地が良い,お勧めの宿だ。

外に出ると昨日の暑さがうそのように涼しい(早朝だけ)。宿の南側の漢人の食堂でおかゆと揚げパンをいただく。パンの中にはニラがぎっしりと入っており,朝からこれはかんべんして欲しい。

巨大な毛沢東像

ホータンは西域南道最大の町でウイグル人が大半を占める。中心部は近代化され面白いところではない。宿の近くには巨大な広場があり,その中央に毛沢東がウイグル人の老人と握手する像がある。

共産党が新疆の人民を解放したことを意味しているのであろう。しかし,現実は共産党が少数民族を武力で制圧したものであり,中国からの独立を求める運動も起きている。この像は解放ではなく制圧・支配の象徴なので,まったく好きになれない。

メロンの季節

ホータンにはメロンとハミ瓜があふれていた。屋台のメロンは1個1元(15円)である。当然,切り売りはやっておらず1個売りである。味は日本のマスクメロンと比較しても遜色が無い。それどころか地域の気候のせいか日本産より甘い。

屋台のおじさんに値段を確認し,味見をしてから切ってもらう。甘いジュースが口の中に広がり乾いた喉をうるおす。メロン1個を食べる贅沢を毎日味わっていた。

バザール通り(ウイグル人の商店街通り)

ホータンの町はすっかり近代化されており,道路は広く,建物も立派だ。町中ではシルクロード・オアシスの面影は見つからない。でも,ウイグル人地区に行くとちょっとだけその雰囲気が味わえる。

200mほどの石畳の通りが(観光用に?)整備されている。両側には高さが揃ったなんとなくウイグル風の2階屋が並んでいる。1階は商店や道具屋になっており,住居用の2階はテラスになっている。アーチ型の柱が西域を感じさせる。人々も一目ででウイグル人と分かる服装をしている。

自家用車今昔物語

昔ながらの家並み

整備されているのはこの通りの両側だけで,横道に入ると,昔ながらの家が並んでいる。建物は地面の色と似ており,全体が薄茶色の風景である。道の両側の家の通りに面した部分は壁か小さな窓があるだけで,人通りも少ない。

家の前にベッドが置かれスカーフ姿の女性たちが坐っている。カメラを向けると子どもを抱き上げてポーズを取ってくれた。和田では写真を撮ろうとして断られたことはほとんどなかった。

立派な門構えのモスク

石畳の通りに戻り,東に歩いていくと,中ほどに立派な門構えのモスクがある。正門は閉ざされており,老人が石段に腰を下ろしている。その中の一人はモスクの近くでよく見かけた。

最初の出会いのときはちょっと一休みをしていると思ったが,翌日もモスクの近くで見かけた。どうやら家が近くにあり,毎日このあたりを散策しているようだ。ウイグルの伝統的な服装はこのようなものらしい。白の長い上着とズボンの組み合わせは,中東,アフガン,パキスタン,インドの西部と同じ流れにある。

横の通用門は開いていたので中に入る。大きな広場になっており,西側には建物があり,そこにはアーチ型の門がある。人々はこの西壁にむかってお祈りをする。

金曜大礼拝のときにはこの広場が男性たちで埋め尽くされることであろう。その光景を見るのはシルクロード旅行の一つの目的であった。当然,大礼拝のとき異教徒は中に入ることはできない。幸い,広場の東側は鉄格子の門になっており,外部から大礼拝を眺められそうだ。

ウイグル人の美少女

バザール通り(ウイグル地区メインストリート)を歩くのはとても楽しい。ここには西域の感じがそれなりに残っている。民家の前に縁台が置かれ,かわいい少女たちが並んでいる。ウイグルの少女の中には,はっとするような美少女が少なくない。似たような顔立ちの3人を見るとこの一族は美人の家系のようだ。

ハミ瓜・メロン・スイカが溢れている

新装開店の店の前で

屋台で夕食をとる

これから学校だね

大きな荷物を持った女性たち

ご当地のパン

白玉河(ホータン川)

今日は白玉河と和田地絨廠を見に行こうと宿を出る。街の中心部から3kmほど離れているので,バスを乗り継いで白玉河の橋の辺りで降ろしてもらった。河川敷の幅は1500m,しかし水が流れているのはその一部分だけである。

白玉河の源は崑崙山脈の雪解け水なので,雪の解ける夏場だけこのような大河が出現する。川は本当に突然出現するらしい。白玉河はこの先で墨玉河と合流して「ホータン川」となり,タクラマカンを縦断して,500km先でタリム川に合流する。

「ホータン玉」はこの「白玉河」でよく取れる。崑崙山脈に玉の原石があり,水に流されてここまで来たものだ。一攫千金を夢見て大勢の人々が川原で玉を探している。

しかし,この辺りの川原の石はすでに取り尽くされており旅人ではまず見つけられない。そもそもどれが玉なのかの見分けがつかない。

どうも色は薄緑から白,表面には光沢があり,わずかに光を透過させるものらしい。玉のお土産は買っていくだけが能ではないので,自分なりにちょっときれいな石を持ち帰ることにする。

たきぎを運ぶ

樹形から判断すると胡楊であろう

民家は平屋で敷地は土塀で囲われている

じゅうたん工場

ホータンはじゅうたん作りでも名高い。市内から5路のバスに乗ると白玉河の橋を渡り,その上流側にあるじゅうたん工場に行ってくれる。働いているのはほとんどが女性たちだ。

縦糸に毛糸を巻きつけ,しばり,切る,毛すきのような道具で上からたたいて間をつめる,何段かできると大きなはさみで毛の長さを切りそろえる。

同じ作業の繰り返しにより1日で20cmほどが織りあがる。縦糸の向こうには実物大の図柄の見本が貼られており,彼女たちにはときどき縦糸の隙間から図柄を覗き込んで作業を進めていく。大きなものは3-4人が共同で織り上げる。

働いているのは20-30代の女性たちで,彼女たちの子どもたちは工場内の保育所に入っている。中庭では子どもたちが遊んでいるが,柵がめぐらされており中には入れない。子どもたちに並んでもらい,柵の間から写真を撮り,画像を見せてあげる。驚きの表情がとてもよい。

子どもたちは柵のところに集まり,さかんに写真を要求する。ちょうど子どもたちの顔のあたりに障害物がないので,おもしろい写真になる。モデルのお礼にキャンディーを1個ずつ配る。昼休みになると,女性たちは子どもを連れて家に帰る。

ムスリムの家に案内してもらう

男性の持つナイフは凝ったデザインである

ちょっと遅い昼食

いい笑顔だね

幼稚園(学前班)だったかな

家の前の縁台で夕涼みをしている

運動公園で遊んでいた子どもたち

乾燥地帯にもかかわらず雲が多い天気が続く

中学校入学試験のため女生徒が集まっている

バザール通りの入り口の近くに中学校がある。その前に数十人の子どもたちとその親たちが集まっている。今日は中学校進学のための学力テストがあるという。なぜか圧倒的に女生徒が多い。

彼女たちの服装はすべてワンピースか同柄のツーピースである。胸には写真の張られた身分証をつけている。ほとんどの人はスカーフを被っているが,中には男性のウイグル帽をかわいくしたような帽子を被っている娘さんもいる。

よそ行きの服装なので写真は歓迎される

みんなよそ行きの服装をしているので,写真をお願いすると快く並んでくれる。それどころか,画像を見せてあげると次々と希望者があらわれうれしい悲鳴である。しばらくして彼らは先生に連れられ学校に入っていった。僕も2個のバッテリーが空になってしまい,宿に戻って充電するはめになった。

バザール通り入口の交差点

きれいにふくらんだパン

シルク工房を見学する

ブリキ製の日常道具

小学校にて

中学校の試験があったところで

家族で朝食をいただく

金曜日の集団礼拝の準備が進む

ミシンを扱っていたのでお針子さんであろう

幼稚園児が集団でお出かけである

近くの村を歩いてみる

金曜大礼拝

ホータンの金曜日には2つの楽しみがある。一つはバザール,もう一つは大礼拝である。ウイグル地区の通りでは和田玉と食べ物の屋台が準備中だ。どうもこの通りがバザールのすべてらしい。ちょっと肩透かしをくった気分だ。

午後3時になると大礼拝のため男性が集まってくる。僕はモスクの横の鉄格子の門からその様子を眺める。アザーンが聞こえる頃には,モスクの中庭の半分が埋まっている。

15:15になると広い中庭もほぼいっぱいになる。中庭には布が敷いてあり,人々はクツを脱ぎ,西に向かい一列に正座をしている。一つの列がいっぱいになると次の列ができる。

最初,人々の動きは統制がとれていないが,あるところから先は全員が同じ動作になる。
(1) 全員が立ち上がる
(2) 手を膝に当てて深く礼をする
(3) ひざまずく
(4) 手と額を地面につける
この動作を数回繰り返して礼拝は終了する。

金曜モスク前は大混雑となる

イスラムの定めにしたがい,人々は金曜の午後の礼拝をとても大事にしているようだ。人々はモスクの外に出て,屋台で飲食し,玉の品定めする。普段は広い通りも,この日ばかりは露店と人出で,大変な混雑になる。

桑の実は買ってみたかった

売れ行き好調の肉屋

野菜市場

白玉河を再訪する

近くの村を歩いて子どもたちに出合う

そろそろ商売を覚える年頃かな

遊園地のようなところで出会った子どもたち


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