亜細亜の街角
ネパール唯一の鉄道による日帰り旅行
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カジュリ  (参照地図を開く)

ネパールで運行されている唯一の鉄道がジャナクプルを通っている。ジャナクプルの北側22kmのビザルプラと南側29kmのジャイナガル(インド)を結んでおり,地域住民の足となっている。ガイドブックにこの鉄道を利用した旅行記があったのでトライしてみた。

駅舎に入りチケット窓口に並ぶ。逆U字にガイドレールが付いており,一方通行である。数人の乗客が並んでいる。しかし,ここはインドと同じように,逆側から入ってきてチケットを買おうとする人がいるので窓口は混乱している。この程度のことでルールが守れない社会なのだ。国境のカジュリまでは20Rp,1.5時間の行程である。

車両の横に自転車がたくさん取り付けられている

列車はすでに入線していた。そこに人々が群がっており,比較的すいている車両に入るとそこは一等車であった。満席のようだったがなんとか座ることができた。二等に比べて15Rpほど高いが,その分すいている。

地獄のような帰りの列車からすると行きは天国であった。自転車を運ぶ人も多く,車両の横に自転車がたくさん取り付けられている。列車は定刻の06:45に動き出した。

乾季の水田はまだ農作業は行われていない

ジーゼル機関車がゆっくりと客車を牽引する。線路はかなり怪しいものでとても速度は出せないので,自転車並みの速度で走っていく。一等車も乗車率は200%を越え,入り口にぶら下がっている人もいる。

向かいに英語のできる男性が坐っていた。インドまで行き,日帰りで戻ってくるという。この男性に周辺の畑についてたずねると,ほとんどが水田であり,裏作で麦を作っているところもけっこうあるという。

5つ目の駅がカジュリ

08:30,およそ1時間半でカジュリに到着する。ここはジャナクプルから5つ目の駅であった。人ごみをかきわけて外に出る。となりに逆方向の列車も停まっている。駅の周辺に300人ほどの人がおりそれぞれの列車に入り込もうとしている。

線路は生活道路となる

線路とその横は生活道路となる。到着した列車から降りた人たちは人々は小さな集団となり,それぞれの家路を目指す。

出入り口の様子は阿鼻叫喚となる

上りも下りも大変な状態である。客車の屋根はもとより機関車の前や横にも人が乗っている。すでに満員の列車にさらに100人以上の人が乗ろうとするのであるから正気の沙汰ではない。

床面積当たりの乗客数は日本のラッシュの方が上かもしれない。しかし,この列車は前と後ろにしか出入り口がなく,しかも大きな荷物を持ち込んでいる人もいる。出入り口の様子は阿鼻叫喚といったところだ。

これを見て僕はかなりいやな予感がした。帰りはインド側が始発になるので,この状態で列車が到着したらひどいことになるだろう。しかも,ここからジャナクプールまではこれしか移動手段がないのだ。身の危険を感じて12:13の列車で戻ることにする。不幸にしてこの悪い予感は的中し帰りの列車では地獄を見ることになる。

上り,下りとも最後尾には無蓋の座席のない車両がつながっていた。これは何か意味のあることなのだろうか。ネパールにはインド以上に厳しいカーストがあるので,そのせいなのかと勘ぐってしまう。上下線とも動き出し,駅の周辺は人影もまばらになる。

人々は家路につく

掘っ立て小屋のような食堂が何軒かある

駅の近くには掘っ立て小屋のような食堂が何軒かある。そこで出されているのはコメのどんに豆のごった煮をかけたものだ。これはどうにも僕の感性には合わない。ようやくプリーと野菜の煮込みの組み合わせを見つけた。味も何もただお腹を膨らますだけの食事である。

マンゴーの果樹園

人々の移動方向から推定して駅の南側に村があると判断した。実際には村は駅の南西側にあり,その手前はマンゴーの果樹園となっている。まだ収穫の時期になっていないが,十分に大きくなった青い実がぶら下がっている。

マンゴーと人類の関わりは古く,紀元前からインドで栽培されていた。マンゴーの木は常緑高木であり,樹高は40m以上になる。しかし,ここの果樹園の樹高は15mほどである。それでも収穫作業は大変だろう。

花は枝の先端に萌黄色の総状花序を多数付ける。総状花序にはたくさんの花が付くが,成長した実になるのは一つの花序でおおむね一つである。このため,マンゴーの実は枝からひもにぶら下がったような状態となる。

水牛に乗った子どもたち

草地に水牛に乗った子どもたちがいる。水牛は子どもたちを乗せたまま目的地に向かってゆっくりと歩いている。子どもたちは喜んで写真に入ってくれた。画像を見せてあげると大はしゃぎである。

カジュリ村の家屋

少しジャナクプール側に戻り右の道がカジュリ村への道である。村の入り口までは20分くらいである。大きな建物があり,その先に村の家屋が広がっている。クワ村と異なりここまでやってくる旅行者はいないのだろう。村の子どもたちはまったくうるさくない。あの「ワン・チョコレート」が聞こえてこないとほっとする。

村の子どもたちは写真には興味津々である

村の子どもたちはうるさくないが写真には興味津々である。小さな子どもたちが僕の後をついてこようとするので集合写真を撮ってあげる。画像を見せてあげると歓声が湧く。子どもたちは一回では満足せず再び僕の後をついてくる。

振り向くと駆け足で逃げていく,この様子もいいね。子どもたちをもう一度集めて集合写真を撮る。画像を見せてみんなにバイバイというと素直に帰ってくれた。クワ村の子どもたちとはずいぶん違うね。

村のメインストリート

村の中を比較的大きな道が通っており,枝道に寄り道しながらのんびり歩いていた。土壁の家にはミティラー画が描かれているものもある。しかし,木や模様を題材にした簡単なもので,いたずら書き程度のものである。孔雀の姿をかたちどったものもあり,これはタルーの人々の文化に近い。

池の泥を集めている家族がいた

大きな池があり底の泥を集めている家族がいた。泥に切ったワラをまぜているので,これは家の壁を作るためであろう。6歳くらいの女の子も小さな容器に泥を乗せて運んでいる。カメラを向けると笑顔で応えてくれる。

この子の姉も気軽に写真を撮らせてくれる。家に着いたので水をもらってヨーヨーを作る。3個作ると近所の子どもが来たので最後の一個は上に放り投げてとった者にあげることにした。狭い路地の向こうで子どもたちが集まっている。一段高くなったところから近づくとフォト,フォトの合唱となる。家の壁の前に並んでもらい何回目かの集合写真となる。

野良仕事から戻る

村の家屋が途切れたあたりに大きな池がある。池の横に道があり,二頭の白い雄牛とともに鋤を肩に乗せた男性がやってくる。野良仕事から帰る途中のこの男性はとても良い被写体になってくれた。

金属光沢をもつジガバチの仲間

道路の端には緑がかった金属光沢をもつジガバチの仲間が地面を歩き回り,しきりになにかを探していた。日本にもいる「ヤマトルリジガバチ(アナバチ科・ドロジガバチ亜科・ルリジガバチ属)」の仲間であろう。

ヤマトルリジガバチは名前の通金属光沢のある瑠璃色であるが,ここのものは緑が強い。ジガバチの仲間なので,竹筒内に泥の仕切りを作り,幼虫の餌としてヒメグモやアシナガグモを貯食する。

女の子は逃げてしまう

道路の周辺にはマンゴーの果樹園がいくつもある。この辺りはネパールでもっともマンゴーの生産が盛んな地域だそうだ。まだ青い実は小さく食用にはならない段階である。3-4人の女の子が落ちたマンゴーを集めている。酸味が強いけれど食べられないほどではない。カメラを向けるとすぐに逃げてしまう。それに対して,道路にいた女の子は笑顔でポーズをとってくれた。この落差はなんだろう

牛を使って荒起こしをする

だいぶ先に牛を使って荒起こしをしているところがあった。二頭の雄牛の首に渡した棒に木製の鋤を取り付けている。牛の口にはなぜか竹で編んだカバーが取り付けられている。水は飲むことができても草を食べることはできない。畑の草に気をとられることなく作業をしなさいということらしい。

土にある程度水分が含まれているので比較的容易に鋤が機能している。牛が動きやすいように農地の幅の楕円を描いて動いている。簡単そうに見えても熟練の必要な作業である。

村のメインストリートを歩く人々

水牛の上でポーズをとる

道路わきの池の中では水牛が水に浸かっていた。乾季の暑い気候では水牛にとって水浴びはなによりの楽しみであろう。水牛の世話をしている少年たちも一緒に水浴びをしており,カメラを向けると,水牛の上に立ってポーズを決めてくれた。

牛と水牛の風景

水汲み場の風景

村の水場では女性たちが食器を洗っていた,お母さんの笑顔のお礼にこの子にヨーヨーを作ってあげる。

12:13の列車で帰ることにする

11:30を回っていたので急いで駅に向かう。駅に到着すると列車はまだ着いていなかった。駅の外に面したところにチケットの窓口がある。ここはL字形になっており一方通行のはずだ。

5人ほどの人が窓口に手を突っ込んでおり,他に5人ほどが並んでいる。ほとんどが女性である。にもかかわらずL字の逆側から窓口に行く女性がいる。

予定より15分遅れて列車が到着した。悪い予感がそのまま当たった。すでに乗車率は200%を越えているだろう。乗降口付近は人でごったがえしている。

降りる人を優先する基本的なルールはインド圏ではまったく期待できない。あるのは我先にと乗り込もうとする人の波である。その中で車内から大きな荷物を取り出そうとしている人がある。降ろされた大きな袋は乗客に踏まれて気の毒な状態になっている。

帰りの列車で地獄をみた

列車に乗り込もうとしている乗客は200人あまり。どうやってこの人数が車両に納まったのか分からない。一等車の内部は二等車と同じ混雑状況である。

僕は荷物を取り出していた乗降口からようやく乗り込むことができた。僕の後からもどんどん乗り込んでくるので乗降口空間の座席のところまで押された。乗車率はすでに300%,これは地獄だね。

僕はザックを胸に抱え,いちおう自分のスペースを確保することができた。前に立っているおじいさんと座席に座っている女性の間でなにやら言い争いが始まった。座席の女性は背後から押されることが我慢できないようだ。

しかし,背後の状況を見れば無茶な要求だ。荷物を持っている女性が頭の上に上げようとすると,その荷物が当たるといっては小競り合いが始まる。ほとんど地獄のような状況である。


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