亜細亜の街角
急激な人口増加にインフラが追いつかない町
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カトマンドゥ  (参照地図を開く)

カトマンドゥ市はネパールの首都で首都圏人口は約160万人(2007年)である。1991年には106万人であったカトマンドゥ盆地の人口は2009年には300万人に急増している。ネパールの人口は約3000万人,人口増加率は2.4%となっており,これは30年で人口が倍増することを意味している。急激な人口増加によりネパールは自然資源の劣化,都市インフラの立ち遅れなど多くの問題を抱えている。

カタカナ表記ではカトマンドゥが現地の発音に近い。カトマンドゥは一般的にカトマンドゥ市のことを指すが,カトマンドゥ盆地全体を意味することもある。カトマンドゥ渓谷という表現は誤訳に近い。英語では「Kathmandu valley」となっているため渓谷と訳したわけであるが,「valley」は日本の谷よりも広い土地を意味しており盆地,谷間,谷と訳される。

ルンビニ(07:15)→カトマンドゥ(19:00) 移動

バレリヤ・バザールのバス停でバスに乗り込む。しかし,このバスは次のルンビニのバス停の手前で故障して止まってしまった。ドライブシャフトとギヤのかみ合いがおかしくなったような音であった。運転手はバスの下を覗き込み,乗客に何かを伝える。おそらく「このバスは修理が必要だよ」とでも言っているのであろう。

乗客はバスから降りてルンビニのバス停まで歩く。このようなことになっても怒る人はいない。みんなしょうないねえといった感じで歩いていく。携帯があるので次のバスはすぐに来るかもしれないと思っていたら時間がかかるようだ。ここからは曲がり角まで真っ直ぐなので見通しがきく。近くのチャーイ屋でお茶を飲みながら待つことにする。

眺めの良いところでバスは止まってくれた

ブトワルで乗り換えたカトマンドゥ行の小型バスの座席は一列4人なのでとてもきゅうくつだ。おまけにスピーカーからは耳障りなインド風音楽が聞こえてくる。乗客を拾い集めることに関してはこの小型バスはとても熱心だ。道路に人がいると止まって声をかけるので停車回数がとても多い。

13:15にトイレ休憩兼昼食休憩となる。停車時間が分からないので車掌の横のテーブルでターリーをいただく。ターリーはごはんをちゃんと食べることができる。カトマンドゥ盆地の標高は1300mなのに現在の標高は500mほどである。バスはアップダウンはあるもののかなり長い時間この辺りの標高を走っていた。15:30に眺めの良いところでバスは止まった。ここは近くに水場があり,乗客はボトルを持ってそちらに向かう。僕は川と段々畑の風景を写真に収める。

ハッピー・ホーム

19:00に新バス・パークに到着した。すでに暗くなっているうえ,バス・パーク自体も迷路のようになっており,出口がさっぱり分からない。タクシーの運転手はタメルまで300Rpだという。ガイドブックから判断すると150Rpがいいところだ。しかし,雨がポツリポツリと落ちてきた。仕方が無いので150Rpで手を打った。転手にはタメル地区の大きな地図でホテルの場所を指示したが何の役にも立たなかった。

この先は歩いても行けるので荷物を持って下車する。途中で見つけたハッピー・ホームに立ち寄ってみた。部屋はかなり古く,料金は400Rpだという。とても納得できるものではないが部屋探しも面倒になってきたので350Rpで宿泊することにした。部屋は8畳,2ベッド,T/S付きで,清潔である。換気がうまくいってないので少し湿っぽい。

カトマンドゥの朝食と夕食

夕食は近くにある「おふくろの味(上の写真)」をひいきにしていた。最初の日はしょうが焼き定食(180Rp)をいただく。ちょっと濃い目の味付けであったがまともな日本食であった。赤出しの味噌汁や漬物,ほうじ茶まで出てきてちょっと驚く。2日目は「肉じゃが」を注文する。出てきたものは僕のイメージとはちょっと異なっていたが,味はなんの問題もなかった。

朝食は「おふくろの味」から北に進み,少し先を右に入ったところで「Big Belly」というレストランでいただいていた。セットメニューの内容はトースト2枚,ジャムとバター,目玉焼き2個,ポテトとトマトの炒め物,コーヒーである。これで90Rp(100円)なのでかなりお得なセットメニューである。

両替のためにヒマラヤ銀行に行く

両替のためにヒマラヤ銀行に行く。銀行の中に入ると両替は外だと言われる。確かに隣の寺院にくっつくような小さな建物があり,そこに「Maney Transfer」と記されている。でもこの時間には開いていない。銀行の向かいにある両替屋に行きT/Cを扱っているかと聞くと手数料なしで両替してくれるという。200$のT/Cにサインをしてパスポートと一緒に出す。

レートは69.2である。200$=13,840Rpの計算である。担当者は500Rp札を26枚,それから840Rpを手渡してくれた。これは分かりやすい。もちろん,その場でちゃんと数えることは怠らなかった。バンクレシートは特に渡されなかったが,再両替の必要はまずないので問題にはならないだろう。このようにカトマンドゥではいちおう政府公認の私設両替所がたくさんあるので,わざわざ銀行に出向く必要はまったくない。

ヒマラヤ銀行横のヒンドゥー寺院

ヒマラヤ銀行の横にはちょっとしたヒンドゥー寺院があったので見学する。ネパールではヒンドゥー教と仏教が混交していることから,宗教建築物はパゴダ様式,仏塔様式,シカラ様式に大別される。仏塔様式とはストゥーパを中心としたものであり,シカラ(高塔)様式は石造りの丸みを帯びたスリムな四角錐の塔をもつものである。このようなものはカトマンドゥ盆地で少なく,大多数のものはパゴバ様式である。

パゴダ様式は基本的に木造建築物であり1-5層の屋根をもつ。瓦もしくはトタン張りの屋根の庇は大きく張り出しており,多数の支柱により支えられている。この支柱の一つひとつに神像が彫り込まれており興味深い。寺院の入り口の上部には半円状の金属もしくは木板の門飾りが取り付けられており,そこには精緻なレリーフが施されている。

パシュパティナート方面に歩き出す

パシュパティナートはタメルから東に3kmほどのところにある。ガイドブックではタクシーで100-150となっている。パシュパティナートの参道の手前にいたタクシーに「タメルまでいくら」と聞いてみると200という答えであった。インドルピーでは120に相当する。観光地カトマンドゥのタクシーはかくも高い。

主のいなくなった王宮は政府により管理されている

歩き出してすぐに前の王宮のある一画を通る。高い塀で囲われており,王政の廃止された今は博物館(500Rp)になっているはずだ。また,一部は「ガーデン・オブ・ドリームズ」として解放されているが,入場料が160Rpとなっている。

とにかくカトマンドゥでは何を見るにもかなりの金額が必要になる。そのため王宮博物館はいいやということになる。周辺の建物は古いものがどんどん新しいものに置き換えられ,20年前の面影はほとんど残っていない。どこを歩いても車やバイクに注意しなければならず,楽しい町歩きではない。

リングロード近くのヒンドゥー寺院

寺院の周辺で子どもたちが遊んでいた

パシュパティナートへの参道

ようやくカトマンドゥをとりまくリング・ロードに出て,そこからパシュパティナートへの参道が始まる。この参道は石畳になっており,趣がある。坂の下にパシュパティナートの正門があり,その両側には花屋や土産物屋が並び,インド世界らしい彩が溢れている。

パシュパティナートは有料地域になっている

パシュパティナートは現役のヒンドゥー寺院である。にもかかわらず,入場料が500Rp(600円)だという。これを聞いてあきれ返った。そもそもこの寺院の本院は二重の塀で囲まれており,異教徒は立ち入ることができない。旅行者が見られるのは背後のバグマティ川にあるガートだけなのだ。そこではバナラシと同様に火葬が行われる。

ネパール政府のあまりのやりように腹が立つ。このような施設には頼まれても入りたくない。ここに限らずネパールではあらゆる観光資源に値段をつけて,旅行者からお金をとるシステムを徹している。確かに観光以外はほとんど産業の無い国なので,このような仕組みにすることはある程度理解できる。しかし,ことパシュパティナートに関しては常軌を逸脱している。

カトゥマンドゥ盆地は1979年に世界遺産に登録された。これは指定範囲が広すぎる。これでは盆地内の主要な歴史的建造物はすべて世界遺産ということになってしまう。それに悪乗りして現役の寺院に高額の入場料をとるとはあまりにもひどい。インドの場合は遺跡を公園化し,管理する費用が必要なので外国人料金の250Rp(約500円)は理解できる。しかし,この寺院の入場料はとても納得がいかない。

内部の様子は正門から写真を撮る。南側の門のところからももう一枚撮ろうとしたら婦人警官に制止された。その態度が極めて横柄だ。金を払わない者には見せない,写真も撮らせないという態度がもろに出ており非常に感じが悪い。周辺の参拝用品や土産物屋の写真を撮り,中には入らなかった。

人々はここでお参りのための供物を買う

老人の家

パシュパティナート寺院の西側には「老人の家」がある。ここは(おそらく身寄りの無い)老人が無料で滞在できる施設である。13年前に訪れたときは「神の愛の宣教師会」のメンバーが働いていたが,現在は管理が政府に引き継がれたようだ。

この一画はもともとは寺院であったようだ。中央部の寺院は白い塔の林立する美しいものだ。その塔を囲むように長屋のような家屋があり,そこが老人たちの居住区となっている。

衣装住は保障されており老人たちは洗濯など身の回りの仕事とおしゃべり,お祈りなどで過ごしている。建物の外で話をしている男性たちはとても幸せそうに見える。ここならば写真を撮っても許されるだろう。内部には寄付金箱があるので100Rpを入れてきた。パシュパティナート寺院に500を出すのなら,この寄付金箱に入れたほうがずっとましだ。

乗り合いマイクロバスでタメルに戻る

カトマンドゥの市内をいくつかのコースで乗り合いマイクロバスが路線をもっている。パシュパティナートの老人の家からついてきてくれたおじさんが教えてくれたマイクロバスはラトナ・パークの近くを通ったのでそこで下ろしてもらった。

ラトナ・パークは広い公園になってあり,大勢の女性たちが横断幕を持って集まっている。目的はさっぱり見当がつかないが,民主化を達成したネパールでは女性の参加する集会も普通に開かれるようになったのだ。

歩道橋のある交差点

ラトナ・パーク広場の北西角には歩道橋のある交差点がある。ここを南北に走っているのがカンティ・パト通りで,市内の幹線道路である。また,ここから西に向うとアサン・チョークに出る。カンティ・パト通りは車の交通量が多い。カトマンドゥでもかなり交通量の多い交差点にもかかわらず信号機はない。歩道橋がなければとても通りを横断することはできないだろう。

カトマンドゥの道路事情はひどく悪い。道路整備は急激な車の増加にまったく対応できておらず,市内の各所で渋滞が発生している。この交差点などはましな方で,旧市街の道路などは渋滞,車がすれちいがえない状態が常態化している。

大気汚染も深刻なレベルに達している

排気ガス対策のとられていない車の増加によりカトマンドゥ盆地の大気汚染も深刻なレベルに達している。盆地という汚染物質が拡散しづらい地形が大気汚染を加速している。特に冬期の夜間は地面により地表付近の大気が冷やされるため,上層の大気より冷たいという逆転現象が発生する。

ちょうど冷たい空気でふたをされたような状態になり,地表付近に高濃度大気汚染を出現させる。このため,冬期の午前中は大気汚染のピークとなる。現在はその状態に比べてはるかにましなのかもしれない。それでも,道を行く小学生の列にはマスクをしている人を何人か見かけた。

ラーニ・ポカリ

交差点から北に歩くと右側にラーニ・ポカリがある。池は長方形で東西180m,南北120mほどの大きさをもっている。ラーニ・ポカリは「女王の池」を意味しており,プラタップ・マッラが息子を亡くした王妃のために造営したと云われている。

プラタップ・マッラはダルバール広場の高い石柱の上に家族とともに像になっている。かなり,家族思いの王であったようだ。池の中央にはシヴァ寺院があり,池の西側からアーチが連続する優美な橋が寺院に通じている。

この施設は年に一度だけディワリ(ティハール)の祭りの期間中の1日だけ一般に開放される。その日は「兄弟の日」とされており,兄弟や姉妹を亡くした人々が池の中にある寺院を訪れ,祝福を受けるという。ディワリは春の到来を祝う光の祭りであり,その日はこの橋が豆電球の光できれいに輝くという。

風の旅行社を表敬訪問

タメルの宿に戻る途中に「風の旅行社」のネパール支店があるので表敬訪問した。日本の「風の旅行社」ができたときに初めてのネパール旅行(1991年)を手配してもらった縁がある。2回目のネパール旅行(1998年)のときはタルー平原の少数民族を訪ねるガイド付き個人ツアーをネパール支店で手配してもらった。

事務所の中は昔の通りであった。スタッフの一人が昔のユーザーである僕をていねいに対応してくれた。ポカラの近くにある「月の家」に宿泊できないか確認すると,ツアーの一部として宿泊するところで,宿泊のみは扱っていないとのことであった。

タメルに戻ったのは15:30を過ぎており昼食兼夕食を「おふくろの味」でいただくことにする。今日は「肉じゃが」を注文する。出てきたものは僕のイメージとはちょっと異なっていた。材料には牛肉,ジャガイモ,ニンジン,インゲンが使用されている。やはり肉じゃがは薄く切った豚肉とジャガイモだけで十分だ。味付けも塩と砂糖を基本としてしょうゆはそれほど使用しなくてもよい。ともあれごはんをおかわりしてお腹一杯いただくことができた。

それにしてもタメルにはインターネット屋が少ない。ようやくタメル・チョウクから少し奥に入ったところで見つけた。料金は1時間100Rp(1.5$)

は他の国と比較してもかなり高い。それでも他には見つからないので利用することにする。アーグラー以降のことを書き込んで出す。これで次はポカラかデリーで出すことになるだろう。となりの女性はチャットを楽しんでいた。こちらは1分間に5Rpとかなり高くつく。

カトマンドゥの物価はひどいものだ。観光客がそのような値段で買うので地元との二重価格制がすっかり定着しているようだ。荷車を引いた果物屋にマンゴーの値段を聞いて250Rp/kgと言われ唖然とした。インドの3倍近い価格である。とても買う気にはならない。タメルから離れた果物屋なら別の値段となることだろう。明日は試してみよう。

宿に戻り水浴びをし,日記作業を開始する。18時から停電,雷雨の影響があるのかもしれない。雨は降っていないが雷鳴はときどき聞こえる。停電になるとすることがない。ベッドで横になって2時間を過ごす。

室内用のサンダルが臭うようになり,足にもその臭いが移っている。ベッドの上であぐらをかいて座ってパソコン作業をしているとき,そのひどい臭いに気が付いた。

サンダルを濡らし液体石鹸をかけて足でこすりながら洗うことにする。しかし臭いというものは一度ついてしまうと厄介だ。足裏の部分はこれで臭いがとれたが,鼻緒の部分は臭いが残りやり直しが必要だ。寝る前にもう一度洗うことにしよう。

22時から雨が降り出した。昨日とほぼ同じくらいの時間帯である。雨の量は昨日ほどではなく15分ほどで上がったようだ。と思ったら寝る頃には再び降り出し,寝付くまでは雨の音は絶えなかった。

聖地ボダナートの雰囲気は変わっていなかった

いつものカフェで朝食をいただく。今日は本当のボイルド・エッグになる。若い旅行者用の朝食セットは僕には多すぎる。トーストは薄いものが3枚だったので1枚はお返しする。卵も明日は1個にしてもらおう。

朝食をとって出かけようとするとちょっと腹具合が・・・。宿に戻り今朝二回目のトイレとなる。しばらくベッドで横になっており出発は09時になった。腹具合はだいたい回復しているようだが,昼食は考えた方がよさそうだ。

ラトゥナパークのところでボダナート行きのミクロを探す。ミクロとは小型の乗り合いワゴンのことで,カトマンドゥの中心部から近距離の各地まで乗客を運んでいる。

幸い目的のミクロはすぐ見つかった。内部には両側にベンチシートがあり,そこに14人が押し込まれれることになった。大変なきゅうくつさであるがそのぶん料金は12Rpと安い。

チベットのラサとカトマンドゥはを古くから交易路によって結ばれていた。その時代からボダナートはチベット仏教の聖地とされ,交易にやってきた商人や巡礼者が訪れるところであった。この聖地は15世紀にイスラム勢力により破壊され,現在の大ストゥーパはその後に再建されたものである。

30分ほどでボーダナートに到着する。この間はずっと町並みが続いておりストゥーパは見えない。車掌に言われ少し粋すぎたところで下車することになった。少し戻ったところにボーダナートへの入り口がある。 狭い路地に露天が並んでおりその先がストゥーパを囲む広場になっている。巨大なストゥーパに対して広場は狭いのでストゥーパの全景がフレームに入らない。全景を入れるためには南の正門のところしかない。

外国人はここで入場料100Rpを払うことになっている。しかし,僕は南東の小さな路地から入ったためそれに気が付かなかった。パシュパティナート寺院のケースとは異なり,金額は控えめであり,ストゥーパや周辺の建物の維持費もかかることを考えると気持ちよく入場料を支払う。 正門の道は幅が広く全景を撮る唯一のポイントである。その真ん中で日本人女性の3人組がガイドから説明を受けている。英語の「場所を空けていただけませんか」では通じなかったようだ。「ここはストゥーパの写真を撮る一番のところなんです」と言うとよやく端に移動してくれた。人の多いところなので撮影には時間が必要だ。

周辺は家屋がずっと増えていた

ストゥーパの周辺に農村が広がるボダナートは1959年のチベット動乱以降にチベットから避難してきた人々が集まるようになり,住宅やゴンパ(チベット仏教寺院)が周辺に建つようになった。チベット仏教エリアは現在まで拡張を続け,世界的にも有数のチベット仏教,文化の中心地となっている。

20年前に比べると周辺は家屋がずっと増え,家屋に囲まれた空間に大ストゥーパがあるという構図になっている。それでもここの空間は静かで聖地の雰囲気を失っていない。ヒンドゥー教徒の集団がやってくるとその静けさは破られる。ヒンドゥー教徒の参詣はとにかくにぎやかだ。それに対して仏教徒の参詣はとにかく静かである。

巨大なストゥーパの回りを一周する

大ストゥーパは4層の基壇,半球状のドーム,ブッダの眼の描かれた部分,最上部の尖塔という立体構造をもっている。基壇は方形であるが,角の部分は二つの切り欠きをもっている。その外側を多角形の塀が囲んでいる。参詣の人々はこの塀の周囲を時計回りに回る。チベット仏教では右手で構造物に触れるのが基本なので時計回りになる。これはヒンドゥーの寺院でも同じである。

多角形の塀には一部を除き全面にマニ車が取り付けられている。参詣の人々はマニ車を回しながらストゥーパの周りを回る。巨大なストゥーパの周りにはどれほどの数のマニ車があるのであろうか。巡礼者は一つ一つ丁寧に回しながら進んでいく。僕も時計回りにストゥーパを一周して気に入ったものの写真を撮る。

本尊は僕の視線よりかなり高いところにある

大ストゥーパの周辺にはいくつかのゴンパ(チベット仏教寺院)があり,誰でも中に入ることができる。また寺院のテラスの高さからから大ストゥーパを見ることができるところもあり,いくつかのゴンパに入ってみた。フラッシュを使用しない限り,読経の間でも自由に写真を撮ることができる。

本尊は僕の視線よりかなり高いところにあり,見上げることになる。チベット仏教の寺院では本尊を言い当てるのは不可能に近い。釈迦牟尼仏も観音菩薩も弥勒菩薩もほとんど同じお顔なのである。この寺院の本尊のお顔もその部類に入る。隣には僧侶の写真が飾られている。チベット仏教は多くの宗派に分かれており,そのいくつかは宗派独自のリンポチェと呼ばれる最高位のラマを擁している。この写真はおそらく現在あるいは先代のリンポチェであろうと推測する。

いくつかのチベット寺院を回る

大ストゥーパの北側にはたくさんのチベット仏教寺院がある。そのいくつかを回り写真を撮ったが,後から写真をチェックしてもどこがどこやら分からない状態になってしまった。

スプライトの値段

大ストゥーパの周辺にはビューポイント・カフェがある。ここでスプライトの値段を聞いたら80だという,さすがに辞退した。少し路地を入ったところいある商店では20であった。この落差は大きい。

チベット仏教寺院(シンチェン・ゴンパ)

その中のシンチェン・ゴンパは案内標識が出ていたので行ってみた。外観は近代的な寺院となっているが,内部は時の流れが止まった空間であった。 正面には三体の像がありいずれも釈迦牟尼仏のようだ。ほこり対策なのか,本尊の物理的な保護のためなのか,本尊の前にはガラスが入っている。本尊に向って両側に細長い座布団が敷かれ,数人の僧侶が読経をしていた。寺院の規模に比して寂しい人数である。

少しお腹が空いたけれど,腹具合を考えるとモモでは重いのでリンゴを一個買い,近くに魚の口から水か出る水場があったのでそこでリンゴを洗いいただく。

幹線道路に出てミクロを探したがカトマンドゥ中心方面をどう車掌に説明してよいかとまどっていた。親切なおじさんがタメルに戻るのかと聞かれ,そうですと答えるとカトマンドゥ方面の車両をチェックして乗せてくれた。インドではしょっちゅうこのような親切な人に出会った。嫌な思い出の多いカトマンドゥにもこのような親切な人もおり,救われた気持ちになる。


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