亜細亜の街角
大事な石窟を見逃して悔いの多い世界遺産
Home 亜細亜の街角 | Ellora / India / Mar 2010

エローラ石窟  (参照地図を開く)

エローラはアウランガーバードから30Kmほど離れた村である。シャラナドリ台地の西に面した急峻な斜面に多くの石窟があることで知られている。

ここには5世紀から10世紀の間に造営された34の石窟があり,造営時期に関係なく南から順に1-34の番号が付けられている。第1-12窟は仏教,第13-29窟はヒンドゥー教,第30-34窟はジャイナ教の石窟である。

多くの石窟の中でもっとも有名なものは,100年の歳月を費やして造営された第16窟「カイラーサナータ寺院」である。この寺院はカナヅチとノミといった簡単な道具により岩を削り出して造ったものである。

つまり,寺院全体が幅47m,奥行き81m,最大高さ33mの巨大な彫刻作品になっている。この傑出した寺院を含むエローラ石窟群は1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録されている。

エローラはこのモニュメントのところで下車する

宿から徒歩3分のセントラル・バススタンドでエローラ行きのバスを探す。さすがに世界遺産への行き方はすぐに分かった。右側奥の8番からバス(20Rp)が出ている。そのとなりのバスもエローラを通るようだ。バスの本数は多いので適当な時間にバススタンドに行き,バスに乗ればよい。

僕のとなりは3歳くらいの孫を連れたおばあさんであった。この子は乗り物に弱いようだ。すぐに気分が悪くなり,戻し始めた。おばあさんは袋から布を取り出して戻したものを包み込む。

2度そういうことがあり,見ているのが気の毒なくらいの苦しがりようである。おばあさんが僕のザックを指差して何かがほしいという。水だろうとボトルを取り出すとそれであった。おばあさんの手に少し水をたらすと,それで女の子の口元を洗ってあげた。

エローラ遺跡公園から第16窟周辺を眺める

世界遺産の登録にともないエローラ石窟と周辺地域は遺跡公園になっている。外国人の入場料は250Rp,インドの世界遺産はこの値段のようだ。

もっともインド人の料金は10Rpくらいのものだろう。あるいは無料なのかもしれない。というのは多くの小学生が先生に引率されて見学に来ていたからだ。多くのインド人はバスもしくは乗り合いジープでやってきている。

入り口のゲート前にチケット窓口があり,その横にはチケット切りのおじさんが控えている。ゲートの背後は整備された公園になっている。公園内には乗り物はなく,自分の足で歩くしかない。

公園内は芝生と花壇になっており,その間を何本かの遊歩道が石窟に向って続いている。モンスーンの時期を除き雨の少ないこの地域で芝生を維持するのは大変だろう。ジャズミンの白い花が印象的であった。

岩山は45度くらいの斜面でおおむね西に面している

石窟のある岩山は45度くらいの斜面である。石窟にはある程度の高さが必要なので,造営の前に斜面の下の部分を必要な高さが得られるところまで削り,そこを石窟の入り口としている。第1-5窟のあたりは斜面の先端が切れ落ちており,それは石窟造営のため人の手で削られたものであろう。

午前と午後の光でカイラーサナタ寺院を鳥瞰する

第16窟の左側から小さな石窟を眺めながら斜面を登っていく。足元に注意しながらなだらかな斜面を右に回りこむとカイラーサ・ナータ寺院を上から眺めることのできる場所に出る。

足下は垂直の壁になっており,このあたりには転落防止の柵はない。高所恐怖症の僕としてはあまりありがたくない状況である。それでも巨大な石の彫刻を鳥瞰したいという動機の方がずっと強い。

16窟はほぼ西に面しており,この時期の太陽は正面右から昇ってくる。光はまだ寺院全体には入ってきておらず寺院の上部は陰影の強いものになっている。やはりここから寺院を撮るならば午後の光の方が良い。

寺院の基本軸は東西となっており,西から塔門,ナンディー堂,前殿,本殿が一直線上に配置されている。最も高い本殿の高さは33mもある。

カイラーサナータ寺院の塔門

エローラには34の石窟があり,カイラーサナータ寺院を除きすべて石窟の構造となっている。つまり,岸壁に穴を穿ち,その内部の壁面に仏像や神像を彫り込む構造になっている。それはアジャンターに始まった石窟の形態を踏襲したものである。

しかし,カイラーサナータ寺院だけは寺院の形をすべて顕在化させた特異なものになっている。この劇的な変化は宗教の大衆化によるものという考え方も出されている。

本来,石窟は仏教の僧侶が瞑想を中心とした悟りに至る修行の場であり,そのため石窟やより小さな僧房のような閉鎖空間が必要であった。

しかし,宗教が現世利益や衆生救済に軸足を移すようになると,石窟も次第に開放的になり,仏像や神像が置かれ,寺院の体裁を整えていった。その最後の姿が完全に外部に露出したカイラーサナータとなった。

特別な日なのか生徒の参拝が多い

塔門の上部から見たカイラーサナータ寺院北側

実際,エローラの石窟群の傾向として時代が新しくなるにつれて開放的な構造になっており,この仮説にはうなずけるところが多い。宗教と人々とのつながりはさておいても,これほどの構造体を100年で造り出した人々の情熱と努力はまさに奇跡と呼ぶべきものである。

アジャンター石窟が中国・日本に至る仏教芸術の原点とするならば,カイラーサナータ寺院はインドにおけるヒンドゥー寺院建築の原点となっている。

これだけの作業を簡単な道具と人力だけで仕上げたのであるから,ガイドブックにあるように「奇跡の寺院」と呼ばれるのはある程度うなずける。

岩山を削って造営した宗教建造物としてはエチオピアのラリベラに点在する岩窟教会群が世界遺産に登録されている。ヒンドー教とキリスト教の差はあっても,宗教は傑出した建造物を生み出す原動力となっている。

二組目の子どもたちの集合写真を撮る

寺院見学の小学生が先生に引率されてやってくる。子どもたちはとてもよい被写体になってくれる。そのため三組の集団の後をついて寺院の周りを4周することになった。

最初の子どもたちの集団はどこかでクツを脱いできており,裸足で寺院内を見学していた。ヒンドゥーの寺院では裸足でお参りするのが通例であり,遺跡といえどもその作法通りにしている。

一組目の子どもたちが前殿の中に消えるとすぐに二組目の子どもたちが入ってきた。この集団はすべて女子でみんな色鮮やかなパンジャビー・ドレスを着ている。いってみればよそ行きの服装である。

この集団は写真に対してずいぶん積極的であった。おめかしをしているので記念写真を撮ってというところである。下半分だけ日の当たる回廊で集合写真を撮っているので僕も一緒に回廊の下から撮る。

三組目の子どもたちの集合写真を撮る

集合写真が済むと子どもたちと打ち解けて,それ以降は写真の要求がたくさん来るようになった。さすがに,光の具合の良いところの写真はきれいに撮れる。三組目の集団では先生のカメラで集合写真を撮る係りにされてしまった。この時だけは子どもたちの集団の動きが止まり,まあまあの写真を撮ることができた。

ナンディー堂の北面を飾る神々の彫像

ナンディー堂の側面も数多くの彫像で飾られており,見ごたえがある。前殿,本殿の側面もレリーフで飾られている。建造物の側面にある神々の彫像の周囲に柱や庇(ひさし)が彫り込まれ,あたかも神々が寺院の中にいるような構図となっている。

ナンディー堂の場合,そのような神像の下にも二段にわたり,象をモチーフにした小さなレリーフが彫られている。

まるで,平らな面があると不都合があるかのように,あらゆる壁面をレリーフで飾っている。象や獅子を題材にした彫像は前殿の基壇部分にも採用されている。こちらの方はナンディー堂のものよりずっと大きく,いかにも寺院を支えたり,守ったりしているという印象が強い。この基壇部分に彫られた象は宇宙を支えるものとされ,この寺院自体が宇宙をシンボライズしているとされている。

ラーマーヤナを題材とした非常に細かいレリーフ

前殿の左側面には8段のラーマーヤナを題材とした非常に細かいレリーフがある。戦いの場面が多いことだけは分かるが,ラーマーヤナ物語を想起させるようなものはない。

このようなレリーフの拡大写真は撮っても,寺院における位置づけが分かるような写真にしていないのであとあとどこの部位のものなのか分からなくなる。右側面の同じ位置にも類似のレリーフがあり,こちらはマハーバーラタを題材としている。

ナンディー堂の西面を飾るラクシュミー像

塔門をくぐると正面はナンディー堂の西面となる。そこには入り口はなく,4頭の象に守られるように「ラクシュミー像」がある。参拝者はここから時計回りに移動し,ナンディー堂と前殿の間にある石段を登ってお参りをすることになる。

カイラーサナータ寺院の主神であるシヴァ神の配偶者はパールバティ(ウマ)であり,ラクシュミーはヴィシュヌ神の神妃とされている。このような入り口正面に異なる眷族の女神をもってくるところは,ヒンドゥー教の懐の深さというかなんでもありというか・・・。

ナンディー堂の二階の入り口を飾る怒れるシヴァ神

ナンディー堂の二階の入り口には怒れるシヴァ神(バイラブ)および瞑想するシヴァ神の彫像がある。どちらも巨大なシヴァ神の背後に多くの神々や動物を配した構図である。このほとんどすき間のない彫像も漆くいで縁どられていたようだ。

再び記念写真と集合写真となる

巨大な石柱に支えられた前殿の先に本殿の空間がある

ナンディー堂の二階から24本の巨大な石柱に支えられた前殿を通り,最奥部の本殿に向う。前殿の石柱には細かい装飾が施されているが,なんといっても暗すぎる。フラッシュ無しでは満足のいく写真にはならない。

本殿の中央にはシヴァ神の象徴であるリンガが置かれているだけであり,周辺の壁面にはなんの装飾もない。外の壁面を飾る多数の彫像やレリーフとナンディー堂および本殿のまったく装飾のない空間にこの寺院の造営思想のようなものを感じる。

二階部分には柵がない

ナンディー堂の前で記念写真を撮るように依頼された

世界遺産のエローラにはインド人の観光客もたくさん訪れる。ナンディー堂に上る階段のところで休んでいた子どもの写真を撮ったら,一家の記念写真を撮るように依頼された。写真を撮って画像を見せてあげるとなかなかの喜びようであった。

この一家が終わると次の一家からも依頼がきて,再び記念写真を撮ることになった。このような人々にとっては手軽に撮れて,すぐに画像が見られるデジタルカメラはすばらしい機会なのであろう。

ムスリムの生徒たち

カイラーサナータから出ると,ちょうど入れ替わりで白い長袖シャツと白い長ズボンのムスリムの男子生徒の一団がやってきた。

インド北部・中部はたびたびイスラム勢力の侵攻を受け,その支配下におかれたことがある。イスラム勢力は偶像崇拝を禁止したイスラムの教えより多くのヒンドゥー寺院や仏教遺跡を破壊した。エローラの石窟にも顔が損傷を受けている彫像やレリーフが多数見られる。

また,破壊したヒンドゥー寺院の上にモスクを建設した事例も多い。そのようなイスラム勢力の文化破壊,宗教破壊行為は現代に至るまで宗教対立の火種となっている。三つの宗教の遺跡が混在するエローラ石窟は,宗教の共存が可能であることを示すかっこうの場所となっている。ムスリムの子どもたちがこの遺跡を見学することの意味は決して小さくない。

乾季のためか冬枯れのような風景である

ヒンドゥーらしい豊満な体つきの女神が迎えてくれる

17窟以降の石窟のファザードの多くは未完成品のような印象を受けた。その一つに入ってみた。ヒンドゥーらしい豊満な体つきの女神が迎えてくれる。これらは壁面からは切り離されていないものの,完全な立体像である。一部の女神像は明らかに人の手による損傷を受けている。

普通ならばめったに撮らないノミの跡が残る壁面も写真に残すことになった。手前の石窟を支える太い四角柱の柱は数多くの女神像に飾られており興味深い。

石柱の背後には奥の石窟に通じる二つの入り口が開いており,その両側には守護神であろうか二体の男性神が配されている。奥の部屋には何も装飾はなく,ただシヴァ神のシンボルであるリンガが置かれている。

第21石窟|窟前の広い空間にはナンディー像がある

第21石窟は岩山を奥まで削ってから石窟を造営している。石窟の前には台座に乗ったナンディー像が配されており,この石窟がシヴァ神に捧げられたものであることが分かる。この台座とナンディー像はもともとの岩山から削り出したものだ。もちろんナンディー象は石窟の方を向いている。

第21石窟|魔王マヒシャを打ち倒すドゥルガー女神

この石窟は開口部がそれほど広くないので内部の写真はきれいにはならない。この石窟は入り口手前の左右の壁面に彫られた女神が迎えてくれる。入り口を支える6本の柱にも女神の彫像で飾られており,明るい光の中で撮影することができる。

石窟の内部には男女ペアの彫像があり,これはシヴァ神とその神妃であるパールバティであると推測した。水牛を踏んでいる女神像もある。これは水牛の魔王マヒシャを打ち倒したドゥルガー(パールバティの化身の一つ)であろう。この石窟には比較的損傷の少ない多くの彫像があり,ずいぶん楽しめた。

第21石窟|外で遊んでいた子どもたちの写真を撮る

おまけに石窟の外には子どもたちがおり,地面に背中合わせに坐った女の子の写真も撮ることができた。第21窟はヒンドゥー寺院でも著名なものらしく,多くのインド人観光客が訪ずれていた。しかし,ここから先に行く人はほとんどいなかった。

石窟の入り口付近でハヌマンの群れを見かけた

実際,入り口部分を見て判断した限りでは,ほとんど訪れる価値があるようには見えなかった。唯一の収穫はそのような石窟の入り口付近でハヌマンラングール(サル目・オナガザル科)の群れを見かけたことである。

不用意に近づくと逃げられてしまうのでゆっくりと近づいて撮影する。二頭はのんびりと毛づくろいをしている。身長に比してとても長い尾をもっているが,この尾は樹上でもほとんど役に立たず,地上ではジャマになるだけだ。

大きな木の枝には蜂の巣が4個付いていた

谷側には大きな木があり,その枝には蜂の巣が4個付いていた。インドにはオオミツバチ,コミツバチ,トウヨウミツバチが混在しているので,巣を見ただけでは種類は特定できない。インド,ネパール,バングラデシュではこのような野生の蜂の巣からハチミツを採取する「ハニーハンター」という職業の集団が存在する。彼らは高い木の枝や,急峻な岩場にあるミツバチの巣の一部を取り,そこからハチミツを得ている。

オオミツバチはその名の通り大型で気性が荒いのでハニーハンターは危険な職業である。オオミツバチの巣は大きなものになるとたたみ1畳ほどにもなるという。さすがにそのようなものはまれでも,半畳ほどのものは珍しくない。エローラの木にあるものは1/4畳ほどのものである。巣にはびっしりとハタラキバチがとりついており,巣が見えないほどである。

ジャイナ教石窟群に続く道

この場所からは岸壁の下を通る細い道がずっと先まで続いており,ジャイナ教石窟群まではおよそ1kmの道のりである。この辺りの岸壁はほとんど垂直であり,場所によっては上部がオーバーハングしているような印象を受ける。途中で岸壁の上部に水が流れた跡がある。現在は乾季なのでまったく水は流れていないが,ガイドブックには川が記載されているので雨季にはここが滝となり,下の谷に流れ下っていくようだ。

1kmの距離を歩いてジャイナ教石窟まで行く人は数少ない。僕も21窟以降のヒンドゥー教石窟は見るに値しないと感じていたのでジャイナ教石窟群はパスしてしまった。これは大きな判断ミスであった。帰国後にエローラの旅行サイトをチェックしてすばらしい彫像があることが分かり,悔しい思いをした。

デイゴの花

緑の少ない季節なので石窟を巡る道の谷側は夏枯れの状態である。その中で鮮やかな朱色の花を咲かせている木がある。おそらくデイゴ(マメ科・デイゴ属)であろう。日本でも沖縄にはデイゴがあり,その原産地はインドである。しかし,デイゴもいろいろな種類があるのか,沖縄のものが鮮紅色であるのに対してここのものは鮮やかな朱色である。

花の近接写真を撮るため,なるべく背の低い木のところに向う。うまい具合に高さ2mほどのものが見つかった。葉を落とした木の枝の先端部が総花序になっており,花で埋まっている。デイゴの花は生命の躍動をそのまま色にしたように美しいが,その末路は哀れである。盛りを過ぎた花は次第に暗赤色になり,落ちることなくしばらく枝に留まる。鮮やかな花盛りと比較すると,その落差はあまりにも大きい。

第14窟,サイコロで遊ぶシヴァ神とパールバティ女神

デイゴの花を見るため谷に下りたので,少し回り込みながら元の道に出る。第14窟の入り口は4本の石柱により支えられている。基部は道路と同じ面にあるので入りやすい。石柱に支えられた広間があり,その三方が回廊になっている。石柱の上部は梁の構造をもっており,梁が天井を支える木造建築の構造がそのまま石窟の造形に取り入れられている。

奥側の壁面は光が入っているので写真は撮りやすい。ここには左に「踊るシヴァ神像」,左に「サイコロで遊ぶシヴァ神とパールバティ女神」の彫像がある。しかし,石柱との距離がとれないので,壁面の広角写真にはどうしても石柱が入ってしまう。シヴァ神とパールバティ女神の顔は明らかに人為的に削り取られている。このようにすばらしい宗教芸術が宗教の教義の違いだけで損傷されるのはとても悲しいことだ。

第14窟|イノシシの頭部をもった男神と女神の彫像

ここにはイノシシの頭部をもった男神と女神の彫像もある。イノシシの手にはチャクラム(円盤状の武器)があるので,このイノシシはヴィシュヌ神の化身であるヴァラーハであろう。世界が悪魔により海の底に沈められた時,ヴィシュヌ神は大イノシシに化身して,悪魔と闘い,世界を引き上げたという神話を描いたものであろう。とすると,側に寄り添うのは神妃のラクシュミということになる。

第12窟|大乗の思想を表している過去七仏の彫像

第12窟はすっきしたファザードを見せており,門塀の向こうに3層の石窟が覗いている。門をくぐると第1層は前後左右に等間隔に石柱が並んでいるだけの空間で,彫像は第2層,第3層の壁面にある。ここには石窟では珍しい「過去七仏」の像がある。ブッダ以前にも六仏がすでに存在していて,釈迦牟尼仏は第七仏に相当するという大乗仏教の教えである。

仏教においては釈迦が一人で仏教を生み出したのではなく,それは釈迦以前に成道した6人の功徳が累積した結果であるという考え方が紀元前後に成立している。しかし,上座部仏教においてはブッダは唯一無二の存在であり,過去七仏の考え方は大乗にのみ存在するものである。石窟という修行の場は上座部仏教から始まったものなので,そこに過去七仏像があるのは非常に珍しいとされている。

石窟内部の石柱はきれいに並んでおり,その先の壁面にブッダ像がある。両側に脇持仏を配置している構図はインドの初期仏像によくあるものだ。脇持仏とは本尊の両脇に位置し,本尊を助ける役割を果たすものである。アレクサンダー大王の東征後のガンダーラで最初に生まれた仏像はブッダの両側に梵天と帝釈天を配したもので,梵天勧請と呼ばれている。

この脇持仏を配した三尊像の構図は日本にも伝来し,それぞれの宗派において独自の三尊像となっている。8世紀のインド仏教は大乗が主流となリ衆生救済を教義の中心に据えることになった。この石窟にある多くの仏像も在家の人々の祈りの対象になったことであろう。

修復中の石窟もある

子どもたちは一斉に片手を上げてポーズを取ってくれた

仏教石窟の外れのあたりまで先生に引率された子どもたちが見学に来ていた。彼らは気軽に写真に応じてくれたので,一緒に歩きながら写真を撮る。工事現場を過ぎたところで集合写真となリ,子どもたちは一斉に片手を上げてポーズを取ってくれた。子どもたちはカイラーサナータ寺院の近くの水場に行き,先を競うように水を飲んでいた。


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